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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 60

窮地に追い込まれる国鉄

昭和57年以降、国鉄としては、減量経営を含む本格的な縮小体制に入ることとなり、ますます国鉄は窮地に追い込まれることとなりました。

国鉄の再建策は、第1次再建対策(44~47年度)、第2次再建対策(48~50年度)、「日本国有鉄道再建対策要綱」に基づく第3次再建対策(52年度において一部改正)と3回にわたって計画され実行してきましたが、過去3回とも、所期の目的を達することが出来ませんでした。

特にマル生運動の失敗以降は、管理者がモノを言えない仕組みを作ってしまったことが大きいかもしれません。

また、その後の再建計画も言わば再建のための辻褄合わせだったのではないかと言ったことを、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」で書いていたように記憶しています。

ただ、何度かの引越しでその本が散逸してしまったので、また近日中に買い求めて読み直す予定にしておりますのでその際はもう少しこの話も追記できると思います。

更に私見としては、国鉄の赤字をすべて組合だけに持っていくのが良いかと言うとそうでもない部分がありと考えております。

組合を擁護するとか、当局が悪いということではなく、当時の国鉄を取り巻く雰囲気と言いますか政治がそうした体制であったと言えるわけです。

地域独占と言う名の下で国鉄に対する過大の政府の期待とそれを受けて運輸省との協調を避けてきた国鉄と言う組織にも多少の問題はあったように思います。

歴史にIFはありませんが、国鉄運輸省現業機関としての日本国有鉄道であったならば、・・・(JNRではなく、JGR japan Government Railway)になっていたらとか。

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少なくとも、政府が、「全国新幹線鉄道整備法」を出した時点で、国鉄としても政府の積極的な資金援助で建設(鉄建公団に建設をさせて国鉄は全て年賦で買い取る方式)であれば、また変わったものになっていたかもしれません。

勿論、そうしたことは今後資料などを見つけながら私自身研究させていただこうと思います。

なお、昭和57年度の国鉄改革の様子を昭和58年度の運輸白書から全文引用させていただきますと。

第1節 経営の現状と再建への取組み

2 現行再建対策

(1) 現行再建対策の経緯

  (過去の再建対策は目的を達せず)
  国鉄の経営状況の悪化に対処するため,国及び国鉄は,44年度以降,日本国有鉄道財政再建促進特別措置法に基づく第1次再建対策(44~47年度)及び第2次再建対策(48~50年度)並びに*1(50年12月閣議了解)に基づく第3次再建対策(52年度において一部改正)と3次にわたり再建対策を講じてきた。しかし,これらの対策はいずれも所期の目的を達することができず,国鉄の経営状況は好転しなかった。
  (現在の再建対策)
  国鉄経営の危機的状況に対処すべく,政府は,54年12月29日「日本国有鉄道の再建について」の閣議了解を行い,これを具体的に実施するため,「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(以下「再建法」という。)が55年12月27日に公布,施行された。
  再建法は,国鉄の経営再建の目標を,60年度までにその経営の健全性を確保するための基盤を確立し,引き続き速やかにその事業の収支の均衡を図ることに置き,そのために必要な法的措置として,①国鉄の経営改善措置の確実な実施を期するため,国鉄は,経営改善計画を作成,実施するとともに,毎事業年度,経営改善計画の実施状況について検討を加え,必要に応じこれを変更すること,②地方交通線に関しては,徹底した合理化及び特別運賃の設定を行うとともに,特定地方交通線については,路線ごとに設けられる特定地方交通線対策協議会において協議を行った上で,バス輸送等へ転換するための措置を講ずること,③政府は,国鉄に対する助成措置として,国鉄の債務のうち累積赤字の一部に相当する5兆599億円について,棚上げ措置を講ずること等を規定している。
  その後,国鉄は,「経営改善計画」を策定し,56年5月21日,運輸大臣の承認がなされた。経営改善計画においては,経営の重点化,減量化と能率の向上(60年度職員35万人体制),収入の確保,設備投資の抑制,労使関係の改善等の経営改善措置を確実に実施することにより,行財政上の措置とあいまって,60年度までに一般営業損益においてできるだけ多くの益金を出し,60年度には幹線の損益において収支均衡を達成するなど健全経営の基盤を確立するとともに,61年度以降については可及的速やかに収支均衡の実現を図ることとしている。

その後の白書の中身を見ますと、国鉄を分割して・・・云々と言う話が続いています。

当時は、今までのなれ合いの仕組みが変わりつつあり、特にマル生の時には自分たちに有利に動いたマスコミが今度は反作用的に摘発キャンペーンを行うことも、組合にとってはマイナスに動いたと思われます。

 

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参考

第3次再建計画の際にその基礎となった、「日本国有鉄道再建対策要綱」全文です。

日本国有鉄道再建対策要綱」

(1) 再建の基本理念

  国鉄が,我が国総合交通体系の中で今後とも重点的に果たすべき役割は,都市間旅客輸送,大都市圏旅客輸送,中長距離・大量貨物輸送とするが,同時に,国鉄本来の使命からみて,これら以外の分野を含めた全体について,独立採算性を志向した自立経営を行うものとする。また,国鉄再建の基本は,国民に対して責任ある経営体制を確立することであり,このため,労使関係の速やかな正常化を行うとともに,①責任ある業務遂行体制と厳正な職場規律の確立,②組織及び人事制度全般にわたる抜本的改革等を中心に,国鉄経営の刷新を図るものとする。

(2) 国鉄財政の再建

  国鉄財政の再建は,51,52年度の2年間で収支均衡の回復を図り,以後健全経営を維持することを目標とし,以下の措置をとるもりとする。

 ア 収支均衡回復のための措置

 ① 過去の財政圧迫要因を除き健全経営の基盤を整備するため,累積赤字相当額の一部である2兆5,404億円について,国が20年元利均等償還ベースで利子の補給,償還額の無利子貸付けを行う。
 ② 51年度に実収37%(名目50%)増の運賃改定を行う。

 イ 健全経営維持のための措置

 ① 55年度までに5万人の要員合理化を行うとともに,要員増は厳に抑制する。
 ② 赤字ローカル線については,地域住民の利便と自立経営上の負担の程度を勘案しつつ,国鉄がその取扱いを検討することとするが,国においても積極的な支援を行う。
 ③ 貨物輸送は,現在の輸送機能の維持を前提に,当面55年度において固有経費を賄うよう所要の近代化・合理化の施策を講ずる。
 ④ 資産の有効活用,適正な処分,附帯事業の増収を計画的に推進する。
 ⑤ 国鉄の自主経営能力を強化するため,運賃決定方式の弾力化について,早急に検討し結論を出す。
 ⑥ 設備投資は,極力その効率を考慮して行うとともに,他交通投資とのバランスを勘案し利子負担の軽減を図るため,工事費補助制度は継続する。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 続き

 具体的には、「202億円損賠の遅延、違法ストに対する処分の形骸化、ビラ貼り・らくがき等の放置、人事に対する組合の介入、どれを見ても違法精神が労使の力関係の前に屈した結果であり、経営の責任者がこれを是認しない看過したことは否定出来ない。労使関係是正にあたってまず矯すべきはこのような姿勢である」として、「法とルールを守りぬくという遵法精神の確立と管理者の一体感の回復」を要請したうえで、
(1)管理体制の強化【管理者の奴隷的状態解消・待遇改善、管理権の適正行使】
(2)現場協定の破棄
(3)ヤミ協定、悪慣行の即刻無効
(4)違法行為ストに対する厳正な措置
(5)違法ストに対する刑事罰
(6)国鉄に損害を与えた場合の求償権行使
(7)昇給・昇格協定の見直し
(8)生産性運動挫折時の約束事【紛争対策委員会の覚書等】の破棄
(9)合理化の推進
(10)配転協定に関する組合側の解釈によらない円滑な配転
(11)新入社員教育の実施
(12)便宜供与の即刻是正
(13)兼職議員の禁止
(14)乗車制度の見直し
(15)202億円損害賠償裁判の促進
などについて、「即刻行動を起こすべき」と注文をつけた。
 この「提言」は、自民党総務会で討議決定され、運輸大臣国鉄総裁へ伝達された。そして6月25日と7月2日には、三塚委員会の手による二次にわたる「国鉄再建のための方策」が発表され、87年を目処に国鉄の四島分割民営化を示唆した。

続く

*1:日本国有鉄道再建対策要綱

国鉄労働組合史詳細解説 59

みなさまこんにちは、久々に更新させていただきます。

労使対立を強める当局

国鉄では、昭和57年になると、それまでの労使協調路線から一変、対立する姿勢を見せ始めました。

昭和56年から始まったマスコミによるキャンペーンさらには、名古屋駅での「寝台特急紀伊」衝突事故など世間は国鉄はたるんでいるのではないかという世論を作るのにちょうど良い環境を生み出してしまったといえましょう。

国鉄当局としても現場の職場調査を行う必要が生じ、そこで出てきた回答は、マル生の後遺症とでもいうべきものでしょう。

当局と現場の板挟みだった中間管理職

実際に、マル生の一番の犠牲者は現場の助役など中間管理職でした。

現場からは突き上げられ、当局からは目標必達を言われる。

マル生の時は、助役以下は完全に梯子を外された状況で、これ以後物言わぬ管理者(物言えぬ管理者)が増えていったと言われています。

昇進試験を受ける者が居なくなり、業務遂行能力に問題あるものが助役になることで余計に混乱を招くと言った状況に追い込まれて行きました。

それが、下記の内容に書かれているような内容でした。

民間会社の12分の1しか働いていず・・・この辺は判りませんが、管理のミスを摘発ということはよく行われていたと聞いたことがあります。

また、下位職代行ということで、助役が弁所掃除をしたりしたうえで労使交渉に挑むと言ったことも多々あったと言われています。

現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。

 車両も冗長性を持たせたものが多かった。

また、車両なども冗長性を持たせたものも多く、下記のようにこの時期に製造された車両は性能よりも安定性を求めた時代と言えました。

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特に現在も活躍するキハ40系列などは、DMF15HSA元々300PS程度の高出力エンジンを220PSまで下げて余裕を持たせることで、故障よりも安定性を持たせることとなったため、キハ17よりもトン当たりの出力が約1.4倍であるにも関わらず、パワーウエイトレシオでは約1.2倍弱となっており、結果的に走行性能はキハ17やキハ20よりも下がっています。

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その辺を「国鉄二つの大罪 国鉄国民会議編 昭和61年刊・第4章 職場を崩壊させた国鉄労使 志摩好達」から引用させていただこうと思います

ただ、当時は現場は大変な苦労をしてたと言われる中で、当時の国労と当局幹部は、下記の通りなれ合いが通っていたと言われており、実際にこの辺はマスコミにたかれることとなりそれが、昭和56年のマスコミによるキャンペーンに繋がるのでした。

つまり労使関係の安定と称し、国労動労国鉄不沈艦意識のうえで談合し、お互いにモタレ合う、これがマル制以降の一貫した当局の姿勢であった。
 だがこの労使間保安定論は、当局、国労の双方の幹部の保身のためのものでしかなかったのである。
 今日まで当局・国労間で数多くの協定、慣行が結ばれ、黙認されたが、その結果の最大の被害者は、真面目に働く職員であり、更には本気で管理責任を果たそうとする現場の管理者であり、そして何よりも利用者であり、納税者である国民であったのである。
 マル生以後の当局は、国会答弁等で「職場は徐々に良くなってきている」とうそぶいてきたが、昭和五十六年末以降のマスコミによるキャンペーンの前に、当局は自らの手で 「職場規律の実態調査」を行うことを余儀なくされ、当時の総裁が驚くほど乱れた実態が明らかになったのであった。

 その後、国鉄当局ではタカ派の太田氏が職員局長となり、組合に対して強圧的な態度で行われたといいます。しかし、大田職員局長自身の方策に関しては、志摩氏は批判しているのですが、下記のような方策を取られたとされています。

こうした”労使関係安定論”の虚構に対し、職場規律問題で一気に経営側の主導権を握ったのが「タカ派」といわれる労政を展開した当時の太田知行職員局長であった。
 吉井・川野体制を強引なまでの政治力によって迫放した太田労政のキャッチフレーズは、旧来の”労使関係の精算”であった。
 確かに、国鉄の諸悪の根源ともなっていたマル生以降の労使関係の原点たる「給対覚書」の破棄、「現協協定」の見直し廃止、合理化事案の締結等々労務施策を次から次へと打ち出してきた太田労政は旧来の権者の労使関係を進めてきた主流の官僚にとっては、まさにタカ派であるとともに、敵であったことは事実である。
 しかし、政府与党、、マスコミ、そして折からの行革方針を審議していた臨調等の大きな支援と期待が重なり、その打った手は大胆なだけでなく、極めて細密な計算によって成り立っていたのであった。
 兼職議員の不承認、国鉄職員のパスの廃止、ブルトレヤミ手当の返還、地方での協定化をやめた新昇給協定等、その施策は、少なくとも表面的には国鉄改革の先頭に立つ気概すら感じられたのであった。

 なお、この話に関しては短案る権力争いであったという内容もあるので、もう少し詳しく調べてからまた報告させていただこうと思います。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 続き

 先のアンケート調査の集計結果も4月4日発表されたが、そこでは「おまや?(ママ)人民管理状態の中で、数としては少ない管理者が身を挺し必死に国鉄を支えている状態ではあるが、その心身の疲労も極限に達しつつあることが伺われ、一刻も早く援助の手を差し延べなければ内部より発す猛膳の芽は枯れはてる」と表明した。
おして「速やかに職場規律の改善に対する国鉄としての体制を確立せしめ、これら管理者が力を発揮できるようにしてやることが国鉄再建に不可欠である。」と結論づけた。
 また、現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。もはや、現行の慣行は内部の努力では改善できない。現状を赤裸々にさらけ出して世論の力を借りるべきである」といった内容の「意見書」を公表した。
 ついで、4月16日三塚委員会は「管理経営権および確立に関する提言」をまとめ、「国鉄の労使関係の実態は予想を占める荒廃ということに尽きる」との認識を示し、その原因は「生産性向上運動の中止とその事後処理に誤りがあった」こと、および「労働問題の処理すべてに優先するという経営責任者の姿勢にある。」旨強調し、「労使関係是正の方策」について提言した。すなわち、「生産性運動中止以降、管理者の力は著しく弱体化し、組合の主導権のもとヤミ協定、悪貫行が数多く蓄積され、働き度が下がるとともにサービスは低下し、職場の規律もきわめて悪化しており、世間一般の常識的な労使関係から取り残された状態となっている。」とした。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 58

 皆様こんにちは、また2週間ほど放置してしまいましたが、今回も国労運動史を底本に、当時の様子に解説を加える形で書かせていただきます。

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国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃

国鉄職員憎しのマスコミのキャンペーンに対して、国鉄職員を擁護する運動も当然のことながら出てくるわけで、下記のような「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】や、「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】などが開催された、こののち昭和58年以降は、各労組との交流もあり国鉄分割民営化反対の運動は大きくなっていきました。

国鉄労働者がすべて悪いわけではないと言うことで、労働組合の一部により、82年7月8日、”国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃する取り組みの一つとして、「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】など、国労批判キャンペーンに対する対抗行動が起こされた他、また翌83年1月12日には、関西在住の国鉄問題を考える学者・法律家・文化人【黒田了一大阪府知事など46人)の呼びかけで「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】が開かれ、臨調の本質と国鉄問題、国鉄危機打開の道、国鉄の労使関係、国鉄の労組にもの申す、経営形態論、労働実態などについて討論が行われた。

政府側も着々と足元を固めることに

 「時期を同じくして三塚委員会は、82年3月2日付で国鉄の労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。」とされています。

その13日後3月15日に名古屋駅構内で、機関士が飲酒運転で列車に接近、約20㎞/hの速度で衝突して、機関車並びに客車を大破、機関士はその場で現行犯逮捕される事故が発生、当直助役も勤務前に飲酒の実態を把握できなかったのかと思うのですが、こうしたことは国鉄職員が悪くないと言っても、中々素直に受け入れられないかと思います。

なお、「アンケートの回答内容は、①管理者の休暇消化状況、②下位職代務、③現場の状況、④悪慣行、ヤミ手当、⑤突発休、⑥りぼん、ワッペンの着用状況、⑦業務命令、時季変更権の行使、⑧管理者の一般作業対応、金銭供与、⑨組合の人事介入、昇給管理についての組合への事前相談等について25項目にわたり、系統区分別【営業、運転、施設、電気】および職場別に実施された。」

その後も、何度か職場総点検という形で実施されてと記録されています。

現場実態の把握で、管理業務が大幅に改善することに

昭和57年(1982)3月2日付で国鉄の労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。この職場総点検をきっかけに、あらゆる実情が見えてきました。

その辺を国鉄監査報告書昭和57年版から

昭和57年度の「国鉄監査報告書」には下記のように書かれています。

少し長いので要約してアップさせていただきます。

第4 職員管理

職場管理国鉄の職場規律の乱れが次々と指摘され昭和57年3月運輸大臣の指示により全職場の総点検を実施した結果、多くの職場において、 いわゆる悪慣行、ヤミ協定、 現場協議制の運用の乱れなどが存在していることが判明

是正状況を厳しく 自己点検し是正の促進と定着化を図り、 さらに昭和58年3月に第3次の総点検を実施

いわゆるヤミ手当をはじめ、 給料日の早退、 管理者の金銭的負担等が解消、 いわゆる悪慣行、ヤミ協定等かなりの項目についても大勢として改善の方向にが認められた。

また、 新しい現場協議委員会制度に関する協約については未締結の組合もあ るが、 昭和57年12月以降の現場における業務運営は、ごく一部を除き、大きな混乱も なく行われているこ とが把握された。


しかしながら、リボン・ワッペンの着用、現場での36協定の遅れ調印等若干の項目について、 是正の遅れているものや前回より後退しているものが ある。

ただ、 是正された項目についても定着化が不十分だったり、時間内入浴については逐次減っ てきたが、 門司、東京等一部に反発がみ られたことなど、 職場規樟の乱れは十分に払拭された とは言い難い状況にある。

 個々に書かれているように3次にわたる職場総点検により、ヤミ休暇などの撲滅等が図られて行き、労使関係が本来の形に戻りつつあるといえましょう。

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国有鉄道昭和57年8月号から引用

 

だお3次総点検結果について述べた記事によりますと、概ね改善されたとはいえ、リボン・ワッペン等がまだまだ残っている実態が報告されています。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 一 マスコミの「国鉄問題」キャンペーン│
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 反国鉄労使キャンペーンに抗して

続き

 さらに82年7月8日、”国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃する取り組みの一つとして、東京新宿区の労働者・市民などにより「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】がもたれるなど、国労批判キャンペーンに対する対抗行動が展開されるようになった。また翌83年1月12日には、関西在住の国鉄問題を考える学者・法律家・文化人【黒田了一大阪府知事など46人)の呼びかけで「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】が開かれ、臨調の本質と国鉄問題、国鉄危機打開の道、国鉄の労使関係、国鉄の労組にもの申す、経営形態論、労働実態などについて討論が行われた。

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├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 一方、自民党は1982【昭和57】年2月5日に濃くてう基本問題調査会の下部機関として「国鉄再建に関する小委員会」(いわゆる三塚委員会)を設置した。ここでは主に国鉄労使関係問題を重点に調査・審議が進められた。折から問題化していた国鉄の職場慣行などについて国鉄当局を追求する場ともなったが、早いベースで検討が重ねられ、3月4日には「中間報告」が、4月16日には後述のごとき「管理経営及び職場規律についての提言」(第1次】が提出された。
 他方、時期を同じくして三塚委員会は、82年3月2日付で国鉄の労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。アンケートの回答内容は、①管理者の休暇消化状況、②下位職代務、③現場の状況、④悪慣行、ヤミ手当、⑤突発休、⑥りぼん、ワッペンの着用状況、⑦業務命令、時季変更権の行使、⑧管理者の一般作業対応、金銭供与、⑨組合の人事介入、昇給管理についての組合への事前相談等について25項目にわたり、系統区分別【営業、運転、施設、電気】および職場別に実施された。
 さらに3月18日には、国労の職場組織が強い職場とされた甲府駅大月保線区へ現場視察に出かけ、ついで3月25日には小委員会のメンバーだけでなくマスコミ関係者をも同行して新宿保線支区視察を実施した。三塚委員長は、視察の結果「管理権を回復しない限り、いかなる施策も、絵に描いたモチでしかないということがイヤというほどわかった。今こそ、我々は不退転の決意をもって、濃くてうの管理権確立のための諸方策を推進しなければならないと痛感した」と語った。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 57

また、更新できないまま過ぎてしまいましたが、久々に更新させていただきます。

ちょっと適当な資料が手元にないのですが昭和57年は東北新幹線が6月23日に開業(上越新幹線は、同年11月15日)いずれも大宮からの暫定開業として新幹線が開業した時期であり、国鉄としても財政悪化と新幹線開業と言う非常に経営的には厳しい時期であり、同年3月15日には、名古屋駅で飲酒した機関士が約20㎞/hの速度で客車に衝突、大破させた事故があり、世間としても国鉄に対する目は厳しいものがありました。

さらに、マスコミによる国鉄労働者批判キャンペーンは、ある意味重箱の隅をつついたような記事も掲載されることとなったようです。

例えば、下記のような新聞の論調が見られました。
引用 国有鉄道(昭和57年5月号から引用させていただきます。)

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国鉄の5年連続値上げに国民は驚き,あきれ,憤慨している。(略〉その原因はいろいろあろうが,諸悪の根源は極度に腐敗墜落した国鉄労使のエゴイズムにあることは疑問の余地がない。朝ねぽうとか,うっかりミスとか,たるみ事故が頻発している。(略〉国鉄財政再建には精神的再建が先決である。(2. 12サンケイ)

と言った意見や、

次々と明らかにされる不祥事に対して「国鉄当局のあまりの弱腰と親方日の丸の上にあぐらをかいた,ごうまんなブラ職員たちにあいた口がふさがらない。現在国鉄は,あらゆる面で世論の大きな批判をあび,破産寸前の状態にあるという認識がいささかで、もあるのかと疑いたくなる。こんな状態では59年度末までに果たして35万人体制による国鉄再建はできるのか。(3.8サンケイ)

と言った意見もありました。

さらには、こんな仰天意見もあったのですが、この辺は当時の新聞記事などでさらにソースを探したいと思いますが、

ボーナス日は早退,雨の日の屋外作業はイヤだ,年末年始,旧盆にはヤミ休暇をといったわがまま勝手な脱線職場が、全国30カ所の鉄道管理局内すべてにあると知って驚いた。国鉄は国民の理解,信頼を得ることができなければ,とうてい再建は不可能だ。そのためには,今こそ国鉄労使が“我"を捨て,再建への熱意を具体的に示すことが先決ではないだろうか。(3. 12毎日)

実際に、そんな慣行が有ったのかはわからないですが、こうした記事がでてくるほど、世間では国鉄に対す目は厳しくなっていったわけです。

 

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 一 マスコミの「国鉄問題」キャンペーン│
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 反国鉄労使キャンペーンに抗して

 1982【昭和57年】2月23日、国労は総評、新産別と共に国労批判キャンペーンに抗すべく「反国労キャンペーン対策本部」を国労本部内に設置し、公労協、国民の足を守る中央会議公共交通優先国民共闘会議社会党国鉄対策特別委員会などといっそう密接な連携をとり、反国鉄労使キャンペーンに対応することにした。
 ついで3月9日、国労動労、全施労、全動労の4組合がはじめて合同中央執行委員会を開き、「国鉄問題四組合共闘会議」を発足させた。同日、四組合共闘会議は、第二臨調の国鉄『分割・民営化』、20万人体制などの策動に反対し、真の国鉄再建を目指し四組合の統一要求実現に向けて諸行動を強化することを確認しあい、全国鉄労働者と国民に訴える二つのアピールを発表した。さらに、運輸大臣の指示によって開始された当局の「職場規律総点検」通達【後述】の中から全国174箇所を独自にアンケート調査し、その結果を公表した【3月29日】。そして、その調査結果にもとづいて4組合共闘会議は、労働基準法や協約・協定の厳守を前提に①正当な理由のない早退・遅刻・ポカ休は自粛する、②いわゆるヤミ日勤は廃止する、③執務態度を厳正にしサービスの向上に努める、④拘束時間内の飲酒は止める、などの諸点を申し合わせ、「実態のともなわない手当は廃止し、制度化を要求していく」ことをそれぞれの下部機関に指示した。
 国労は82年5月12日の中央執行委員会で、反国鉄労働者攻撃に対する当面の具体的な闘い方を、要旨次のように決定した。

1.全職場で全組合員による点検・摘発運動を行う。
 点検ノートを全組合員がもち、1ヶ月間行い、結果を分解で集約し、支部・地本で分析して問題を整理し、労基署、公労委等への提訴、マスコミ発表、団交等それぞれの対応をきめる。
 この運動は、一時的ではなく長期的に考えていく。
2.当面の「職場規律改善」に対する態度として、次のことを実施していく。
 ① 現場協定の改定に反対するとともに、現場での確認・協定を守り、当局の一方的破壊に反対する。
 ② 第134回中央委員会および全国委員長・戦術委員長会議で意思統一してきた方向にもとづき職場討議を深め、組合が自覚的に意思統一をすすめていく。
 ③ 業務命令が出される場合、文書によることを要求する。
 ④ 現場段階で労使対立し問題が解決しない場合は地本へ上移するようにする。
 ⑤ 勤務・労働安全衛生等については協定・法規を守らせる。
 ⑥ 勤務・休憩時間等の一方的変更は認めない。
 ⑦ 団交権・団結権は守り不当労働行為は断じて許さない、リボン・ワッペンの着用、横断幕の掲揚等は
節目を設けて整然と行う。
 なお、国労は憶測による反国労キャンペーンと思われる新聞・週刊誌等の記事に対しては、その都度抗議すべく対応策を決め、実施してきたが、そのなかでも「産経新聞」【3月31日付朝刊の社会面】の記事は「国労の職場闘争が新任の助役を自殺に追い込んだかのように描き出している。」ことは黙視しがたいものがあるとして、大分警察署へ「名誉毀損」で告訴するとともに、同社代表取締役を相手どって損害賠償謝罪広告を求める民事訴訟を提訴した【4月23日】
 こうした状況の中で、3月30日、国鉄問題に強い関心をもつ学者・文化人による「国鉄の自主再建を願う7人委員会」が発足した。メンバーは都留重人【元一橋大学学長】、中野好天【評論家】沼田稲次郎【前都立大学学長】、松本清張【作家】、大河内一男【元東大学長】、木下順二【劇作家】、矢島せい子【国民の足を守る全会長】といった人たちで、①国鉄は民間の財産であり、効率化だけでなく国民の文化的福祉的な役割を持つことから研究する、②国鉄労使が自主的に正すべきは大胆にただし、労使協議を確立し自主的に再建の提案をする必要がある。③利用者の立場を基本に研究し、注文し、問題提起や提言を行う、の3点を決めた。国労はこの7人委員会の研究会に要請があれば協力していく考えであった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 56

みなさま、10日ぶりに更新させていただきます。

本日も、国労史を底本に、自分なりの解釈を加え解説させていただきます。

国鉄財政の状況は危機的と呼ばれる状況となりました。

国鉄問題を語るとき、ローカル線の廃止問題であるとか、特定人件費問題(戦後、出征中の職員が復員したことや満州鉄道の職員を受入れたり、戦時中に買収した私鉄の職員も国鉄職員としてそのまま編入された)等が問題にされますが、他にも新幹線等の建設に関しては引き続き国鉄自らが資金を調達して行う直営方式が取られており、民業圧迫の観点から関連事業に対しても大きな制限を加えられる中で、中々合理化も進められない状況となっていました。

そんな中で、最初に口火を切ったのが読売新聞で、1981(昭和56)年12月12日の『読売新聞』が「国鉄労使、悪慣行の実態」「”突発休”多く支障」などの見出しで、国鉄の「職場管理監査報告」を照会したのが始まりで、この頃から、マスコミによる国鉄に対する風当たりと言うか国鉄労働者に対する批判が大きくなっていたと言われています。

事の発端となった、ブルトレ手当問題

部内誌、国有鉄道昭和58年12月から、その当時の世論はどのようなものであったか引用してみようと思います。

下記の表は、昭和58年1月から3月末までに現場規律に関して報道された全国紙の記事を一覧にしたものですが、これによると、1月11日、大阪駅でヤミ休憩ダイヤとして、読売新聞の朝刊3面に出たのが最初のようです。この時は、3面記事と言うことでさほど大きな話題にもならなかったのでしょうが、1月23日に朝日新聞が、東京機関区でのブルートレインの検査係の添乗手当の支給問題を「赤字国鉄闇手当ヤミ手当」として朝刊1面で報道、その後各紙が夕刊で後追いしたことから一気に問題は浮上していきました。

ここで少し、ブルートレインの検査係の添乗手当について解説させていただきます。

この手当は、元々ブルーレインと呼ばれた20系客車電源車の運転要員に端を発します。

当時は20系客車を含めすべての寝台列車はエンジンの始動から電源負荷まで、検査係により自動運転が実現していました、20系客車が誕生した当時は、機関の運転や負荷の切り分けなどは運転要員による手動制御が行われており、そのための乗務手当として支給されてきました。

 昭和45年に最後の20系客車が製造され、電源車は自動運転が可能な100番台となったのちも既得権益であるとして、実態的には乗務していないにもかかわらず、手当だけは支払われた形になっていたというものです。

 

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語りつぐ労働運動史には当時の向日町運転所での話が出てきますので、少し長いですが引用させていただこうと思います。

◆◇◆国労つぶしを狙った大キャンペーンが続く◆◇◆

 1月23日、朝日新聞(朝刊)に「赤字国鉄ヤミ手当ブルートレイン検査係に手当支給、年に千数百万円カラ出張で山分け、過去十年間」という記事が報道された。それから連日、商業各紙が競うようにして「国鉄ヤミ休暇、花見や潮干狩り、成田参り」「国鉄脱線職場、ポカ休は当たり前」「値上げ申請の朝、国鉄ミス続出、運転士がいない」「国鉄にブラ勤、仕事はゼロ、合理化合意しても配転できず」「国労組合証を使ってケロリ~家族たち」などと報道。

 自民党に81年4月設置された「国鉄再建小委員会(委員長・元運輸大臣三塚博)」いわゆる三塚委員会。2月3日、三塚本人を先頭にした「調査団」が抜き打ち的に甲府駅にあらわれ、それから以降、各地の現場に「調査」と称して入り、現場管理者を「組合に負けるな」と激励し、労働実態や職場慣行などを聞いて、職場がいかに「荒廃」しているかとマスコミに情報を流し、大々的に報道させた。

 さらに、4月20日から6.8%の運賃値上げが国会で決まると、「国鉄運賃なぜ5年連続アップ?すべて官・民の生産性の差から」「国鉄踏切番、大あくび、37本3人がかり、私鉄なら2人で700本」などと書きたてた。

 3月9日、向日町運転所での現場協議の席上、当局側の発言「悪慣行とかヤミ協定などマスコミ用語であり、労使で協議して結論を得て実施しているもので、もし変更の必要があるとすれば協議していきたい。」

 マスコミが連日報道する『ヤミ』『カラ』『ポカ』という国鉄労働者への批判的キャンペーンの内容なのです。

ヤミ手当は何故起こったのか?

ヤミ手当なるものは、本来的に言えばおかしな話であり、私が郵政に居た頃にも必要ないのではないのかと思わせる手当が有ったことを思い出す。

さすがに私が郵便局に入った頃には無かったと思うが、薪炭手当なるものもあったように記憶している。読んで字のごとく、炭を買うための手当てということで生活給の一部として支給されていたらしい。

さて、本題に戻って考えてみましょう。

こうしたヤミ手当が生まれた背景には、マル生運動の後遺症が有ったのではないかとお言われています。

国鉄二つの大罪 国鉄国民会議編 第四章 職場を崩壊させた国鉄労使 志摩好達氏(元鉄労委員長)の記述から引用させていただきます。少し長いのですが、ご容赦願います。

四 当局のマル生からの撤退が職場の悪慣行をつくり出した

 しかし、マル生が事実上の当局の敗北によって、人事権はおろか職場管理権までも国労に自らが与えたのであるから、国労の要求は一二〇%実現し、要求しないものまで与えることによって職場の主人公の御機嫌を取り続けなければ、職場の管理者は務まらなかったのである。
 しかし、国労は労働者の要求は闘いによってのみ獲得できると指導してきた建前から、今度は
 「敵はいま、国労の要求を全て認めているが、それは労働者の階級意識を除去するためのしかけた巧妙な『ワナ』である。
 したがって、当局が認められないような要求を出し、現場長に解決を迫ることが必要である」
と指導したのである。
 それが「賃金」「勤務」「人事」に関する国労の要求となり、いねば、解決しにくい要求の解決を権限のない現場長に求めたのであるから職場は混乱し、管理局の無策からその対策に苦慮した現場長の殆どが組合の要求に屈したのである。
 これが「ヤミ協定」を産み出し、「ヤミ手当」を支給させた背景である。

マル生運動は、当時の国鉄総裁磯崎叡氏が、生産性本部と一緒に取組んだ国鉄再建の運動であり、生産性を高めることで国鉄を再生させようとと言う取り組みであり、運動としては決して悪くなかったのですが、生産性運動を国労組合員を辞めさせて鉄労に加盟させるのが趣旨と思った一部の現場助役などの行動が引き金となり、磯崎総裁自らが謝罪する羽目となったもので、1971年10月11日に衆議院で行き過ぎが有ったことを認め陳謝することとなった一連の運動であり、このことから現場では助役が下位職代行(トイレ掃除などの雑用までも助役に仕事などになったりしたところもあったと言われています。)ことで、現場は混乱、そうした妥協の産物として出てきたのがこれらヤミ手当と言われる内容のものであったと言われています。

世論は、さらに国鉄に厳しくなっていくことに

 さらに追い打ちをかけたのは、名古屋駅で発生した、寝台特急紀伊」追突事件でした。

飲酒して酩酊状態であった運転士が居眠りをして、特急紀伊と衝突したものです。

幣ページ国鉄があった時代から引用させていただきますと。

機関士は仮眠中前に飲酒して乗務したということであり、助役もそれに対して何も言えなかったのかと言う疑問が残りますが、当時の現場はそのようなことに対してあまり何も言えない状態であったのかもしれません。

jnrera3.webcrow.j

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2時16分頃、機関車付け替えのため名古屋駅10番ホームでに停車中の東京発紀伊勝浦寝台特急紀伊」(14系客車6両編成)に、連結しようとしていたDD51ディーゼル機関車DD51 717)が約20km/hで衝突し、客車3両が脱線した。乗客と機関士(52)の計14人が重軽傷。
機関士が前日の夜、仮眠時間に飲酒して寝すごし、運転中も、もうろう状態だったらしい(16日夕。中村署に業務上過失致傷などの疑いで逮捕された。

この事故は、当時マスメディアを中心に展開されていた、国鉄職員のモラル欠如への批判キャンペーンをさらに強めることとなり、国鉄国労などでは、本社職員幹部を更迭するなどし、マル生運動破綻以来の労使癒着関係を解消させることにもつながった。機関車と事故列車の先頭車(スハネフ14 102)が廃車となった。

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国鉄があった時代 JNR-era

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 一 マスコミの「国鉄問題」キャンペーン│
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 「国鉄問題」キャンペーンと国労

1981(昭和56)年12月12日の『読売新聞』が「国鉄労使、悪慣行の実態」「”突発休”多く支障」などの見出しで第2臨調に提出された国鉄の「職場管理監査報告」を紹介したが、これはそれ以降半年近くに及ぶ半国鉄労働者キャンペーンの先駆けであった。明けて82年になると、1月23日の『朝日新聞』が「赤字国鉄闇手当ヤミ手当」の見出しでブルートレインの検査係の添乗手当の支給問題を報道したことを契機に、マスコミによって大々的に「ヤミ手当」「職場慣行」などの問題が恣意的に報道され、国鉄労使関係問題が世の注目を集めた。つづいて、『サンケイ新聞』が3月から4月にかけて「国鉄はほんとうに必要なのか」のシリーズものを連載し、国鉄の「破産・現場・赤字」問題をテーマに国鉄労働者の誹謗の記事を特集した。新聞ばかりでなく週刊誌も、「新聞が書けない『国鉄労働組合』」【『週刊新潮』2月11日号】、「国鉄一家の『ぐうたら体質』を衝く-もはや民活移行で喝をいれるしかない」【『週刊ポスト』2月19日号】、「スクープ国鉄運転士の”集団二重就職”を暴露する!」【『週刊サンケイ』4月29日号】)といった調子であった。また、テレビもいわば眼に見える形で国鉄労働者の”働かない”姿を追い続けた。
 折から国会では「行革」に関連して「国鉄の労使関係」が取り上げられ、民社党の塚本書記長塚本三郎は総括質問の中で「国鉄がこんなに悪くなったのはマル生反対の国労動労の恫喝に管理者が屈し、人民管理的な運営になったからだ」「諸悪の根源は現場協議制にあり、国鉄職員にも真面目な者がおり、国労動労にもナラズ者でない者もいる」などと発言し、労使関係の再検討を要求した(2月2日)ことが、マスコミに報じられた。
 また、国鉄問題を論議している第二臨調の関係者も、論文発表というかたちで表舞台に立った。第四部会長の加藤寛慶大教授は雑誌『現代』【82年4月号】に「行革爆弾提言国鉄解体すべし」を同部会の屋山太郎参与は『文藝春秋』【82年4月号】に「国鉄労使国賊論」をそれぞれ発表し、国鉄批判キャンペーンに少なからぬ影響を与えた。
 こうしたマスコミ報道は、国鉄改革論議が盛んな時期だけに、分割・民営化やむなしとする世論形成に寄与したことは間違いない。後に臨調の参謀と言われた瀬島龍三は、「私どもは会談の内容を意識的一無意識的に外へ漏らしていくという行き方をとった。
・・・・意識的、無意識的にできるだけ外へ出していくことによって、マスコミがこれを取り上げて書いてくれる。それがまた国民に問題意識を与え、そして一つの流れができていくと判断した」【83年12月23日、国策研究会】と述べて、作戦が功を奏したことを明らかにした。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 55

皆様こんばんは、またしても2週間近く更新できませんでしたがしばしお付き合いくださいませ。

国鉄の財政は、昭和51(1976)年2兆5,404億円の債務棚上げ並びに昭和56(1981)年に2兆8,200億円の長期債務棚上げが行われ、並行して国鉄財政再建が進められました。

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昭和57年度運輸白書から引用

しかし、実際には損失は増え続け、その内訳を見てみますと、損益勘定利子と呼ばれる鉄道債券・借入金などの利子が利子を生む状態(当時の公定歩合は昭和55(1980)年で7.25%ですから、鉄道債券(一般向けの公募債は国債とほぼ同じ金利だったと考えると、概ね8%台で発行されていたこととなり償還期間5年ということもあり、償還前金を改めて債券で発行する悪循環で、返済利息が雪だるま式に増えていったと言えます。

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総務省統計局資料から抜粋 主要金利水準

その辺を昭和57年運輸白書から引用させていただきます。

国鉄の経営は38年度までにおいては比較的順調に推移したが,39年度に単年度赤字を生じて以来,輸送量の伸び悩みと運賃値上げの遅れから経費の増加に見合う収入の増加が得られず,各年度の欠損額は次第に増加し,41年度には利益積立金を取り崩して繰越欠損を生じ,46年度には償却前赤字を生ずるに至った。更に,48年末に生じた石油危機による諸物価と人件費の大幅な上昇は,収支を大幅に悪化させ,このため,50年度には欠損額が9,000億円を超えて同年度末の累積赤字は3兆円を超える事態となった。その後においても,51年度及び55年度に債務の棚上げ等の措置が講じられたにもかかわらず顕著な収支の改善はみられず,一方,国鉄職員の年齢構成の歪みから生ずる退職金,年金負担の増大が近年に至って顕在化したこともあって,毎年度の欠損額はこの数年1兆円を超える巨額なものとなっており,この結果,56年度末の累積赤字は7兆5,868億円となっている。また,56年度末における国鉄の長期債務残高は16兆円に上っており,長期債務の増加に伴う支払利子の増大は国鉄の経営を圧迫する要因となっている。

そんな中で、国労は、反合理化・ローカル線廃止を国民のための戦いと規定して、『国民の交通』『国民のための国鉄』『国鉄の民主的再建』のため、全力をあげ、国民の足を守りぬかなければならない」という方向で動き始めることとなりました。

組合としては、路線の廃止=職場の縮小を意味するわけですから当然と言えば当然のですが、この頃から動労国労はその活動方針が微妙に変わっていくことになります。

これは、この年に開催された、動労はむしろ、合理化を容認していく方向性が見られるだけに、この頃から双方の温度差は出てきていたと思われます。

ただ、動労が有利だったのは、国労と異なり単一職能組合(機関士・運転士等の乗務員のみ)であったため、意見集約が図りやすかったことがあり、国労のように各種の職種の場合はその辺は中々一枚岩とならないため、最後までその辺の方向が定まらなかったと言えます。

特に、この時期は未だ、国鉄改革の必要性は叫ばれていたものの、国鉄自体を分割して民営化すると言うことが行われるとは思っていなかったため、国民共闘で国鉄組織は守れると考えていたと思われます。

それが、国労の「われわれは、『親方日の丸』論や『国鉄労働者は働かない』といった思想攻撃を打ち破り、『働き、要求し、闘う』の作風を前組合員のものとし、みずからの労働を通じて利用者・国民との連帯を深めるうえでの『親切・誠実』を地道に追求し、全組合員が参加する労働組合運動、そのなかから生まれる創造性と自発性エネルギーを結集して闘いぬく決意である。」という言葉に集約されているように思います。

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山陰本線 嵯峨駅にて 1986年頃

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第1節 80年代初頭の情勢と国鉄労働組合
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├○ 四 最後の「国鉄再建法」と国労の闘い │
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続き

 国労は12月14日~15日の第123回中央委員会【国労会館】で82年に向けた第2臨調下での戦いの方針を討議・決定したが、そのなかで「今後の戦いを展望する場合、全文運「国民の足を守る会議」の規模で闘うことが重要である」事を提起し、「ローカル線廃止反対の闘いと運政局答申による私鉄バス路線の廃止【全国で約5500路線】反対の闘いを結合して闘い、『国民の交通』『国民のための国鉄』『国鉄の民主的再建』のため、全力をあげ、国民の足を守りぬかなければならない」との方針を決めた。
 「明けて、1982年になると国鉄「再建」問題は、第2臨調第4部会における職場規律あるいは、”悪慣行”などが意図的に取り上げられ、運輸大臣による職場規律そう点検指示とその実施、自民党三塚委員会の活動と提言などを通じて国鉄「労使国賊論」へ、さらには国鉄『解体論」へと、世論操作をともないながら「分割・民営化」論へ進展した。そして、7月20日の第二臨調第三次答申【基本答申】は、国鉄の「分割・民営化」の報告を明確に提起した。
 そうした中で7月29日から開いた第44回定期全国大会【東京・日比谷公会堂】においては国労は、これからの闘いの基調を骨子次のように決定した。

自民党政府が第2臨調の基本答申を受け、われわれ労働組合や勤労国民・革新政党の反対を押し切り強行した『国鉄再建特別措置法』さえかなぐりすて、電車、専売の民営化とともに国鉄を根底から破壊する。『分割・民営化』の攻撃をかけてくることは必至必至。である。第二臨調の国鉄破壊・公共交通法規の政策に対して真っ向から反対し、今日まで築きあげてきた国民の財産としての国鉄を我が国の陸上交通の基幹的大動脈として位置づけ、さらに充実・強化し、国民の利便性、安全性を追求する『国民の国鉄をめざす民主化・政策要求』闘争と『合理化』反対闘争とを結合した闘いが、いっそう切実かつ緊急に求められている。
 われわれは、『親方日の丸』論や『国鉄労働者は働かない』といった思想攻撃を打ち破り、『働き、要求し、闘う』の作風を前組合員のものとし、みずからの労働を通じて利用者・国民との連帯を深めるうえでの『親切・誠実』を地道に追求し、全組合員が参加する労働組合運動、そのなかから生まれる創造性と自発性エネルギーを結集して闘いぬく決意である。そして、この道に立ってこそ、みずからの力を蓄積し、闘う労働戦線の統一と政治的統一戦線形成の基礎作りにも貢献できると信じている。また、このことは国鉄労働組合の歴史と伝統を守り発展させる道すじでもある。」、

続く

国鉄労働組合史詳細解説 54

みなさま、こんばんは。

また1週間以上更新が出来ませんでした。

申し訳ありません、さて今回は昭和57年の11月の改正の話を中心に進めさせていただこうと思います。

国鉄のシェアは減少傾向に

国鉄のシェアは、度重なるストライキや運賃値上げ、更には高速道路の延伸と国民所得の増大による自家用車の普及が進むなど、輸送手段が多様化し旅客も昭和45年の32%をピークに徐々に減少し、昭和55年度では25%まで低下、貨物に至ってはトラック輸送の台頭により、56年度のシェアは8%となっており、昭和35年度の39%から見ると大幅な減少と言えます。

嘗て、吹田操車場では貨物で向こうが見えないとか、掃いても貨物がやってきて解消しないと言われた時期から比べるとその減少量は極端と言えましょう。

国鉄の旅客輸送量のシェアは35年度51%であったものが45年度32%,55年度25%へと低下した。また,貨物輸送については,国内貨物総輸送量が年々増加する中で,国鉄の輸送量は30年代後半に続いて40年代前半において500~600億トンキロで横ばい傾向となり,そのシェアも35年度39%から45年度18%へと半減するに至った。更に,40年代以降,ストライキによる荷主の信頼の低下等の影響も加わり,45年度624億トンキロをピークとして減少傾向へと転じ,56年度のシェアは8%となるに至っている

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国鉄改革法と国鉄労働組合

こうした状況に対して、国労

 「国鉄地方線廃止反対」のアピールを採択。また、「国民の足を守る中央会議」は、「地方交通線廃止阻止」をかかげて独自的に、国鉄本社要請、国会請願、傍聴、運輸省・知事・地方自治体への働きかけ、その他関係省庁機関への要請行動、市民との「対話集会」などを精力的に展開した。

と書かれており、組合を上げての反対運動が行われた様子が伺われます。

さらに、国労では下記のように、
 「運賃値上げ・特別運賃制度・地方交通線廃止反対」の署名・街頭宣伝、そして第2臨調答申への抗議行動を全国規模で実施し、また11月25日実施のストライキは、「配分の早期解決」などの要求も加わって、地区拠点方式により全国各地の対象職場で打ち抜かれ(荷物関係は0時から12時間)、総数約8000人が参加した。

と書かれており、国労としては、ストライキなどで乗り切れると思っていた節があるのかと思われます。

また、当時は容認ではないでしょうが、「リボン」(要求貫徹といったスローガンが書かれたリボンを制服に着用)等が行われていました。

実は、こうした行動は郵政でも全逓(現在は解散)が強い職場では、同じようなところがあったと記憶しています。

 しかし、この頃はその後にマスコミによる国労悪玉キャンペーンなどが出て来るとは夢にも思わず、国労の運動は受け入れられると思っていた節があります。

減量ダイヤの昭和57年11月ダイヤ改正

 国鉄は合理化を伴う、昭和57年11月のダイヤ改正を昭和56年(1981年)10月27日に発表

これは、国鉄としては初めての減量ダイヤであり、これにより大量の機関車等の余剰が発生しました。

国労の文章を下記に引用しますと次のようになります。

列車設定キロは旅客で2万5000キロ、貨物で4万キロの削減が行われることになり、これにともない車両検修基地の集約、機関車、電車、客車、貨車などの大幅な削減、工場・貨車職場などの大幅な削減、工場・貨車職場の統合、船舳の便数、隻数の削減などの「「合理化」が実施され、同時に作業体制・勤務体制の見直し、動力車・列車乗務員の運用と効率化が企図されていた。これらはいずれも大幅な要員削減が前提となっており、「国鉄再建法」にもとづく「経営改善計画」のねらう35万人体制そのものであった。

その反面、画期的な部分もあったダイヤ改正

 昭和57年11月のダイヤ改正は、国鉄初の減量ダイヤでしたが、広島City電車が初めて試行され、地方都市における国電ダイヤが試行されることとなりました。

山陽本線広島~大野浦・岩国間が15分間隔で運転されることになりました。

これは、東京・大阪という大都市圏以外では初めての取り組みでした。

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画像 wikipedia 115系3000番台

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昭和57年11月ダイヤ改正時刻表から

その反面、貨物を中心に大量の余剰が発生

 昭和57年は、沿線住民の反対運動により遅れてはいたものの東北・上越新幹線が暫定開業(大宮~上野間はリレー号による運転)という華やかな陰で、貨物列車にとっては大幅にその本数を減らすと言う国鉄始まって以来の減量ダイヤ改正が行われました。

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画像 wikipedia 185系100番台 リレー号

国鉄としては、昭和57年の改正では車扱いを中心として貨物輸送を大幅に減少、それに伴い、ヤードの縮小、その後昭和59年にはヤード系輸送自体が廃止になるのですが、この時点では100ヤード体制ということで武蔵野や新鶴見などはヤードとして残す予定だったと言えます。

また、この改正で約13000両の貨車が余剰になったと言われており、この後もヤード系輸送の廃止などで2軸貨車を中心に大幅な余剰が発生、その処分が問題となりました。

 

その辺りは、国有鉄道昭和57年7月号から引用させていただこうと思います。

昭和55、56年度の2年度にわたり輸送量の減少がみられており、昭和54年度と比較すると約8割程度の規模になっている。今年度の見通しも、景気面で回復の気配も今のところみられず、今後、積極的に営業活動を展開することとしても、輸送量増加には著しい努力を必要とするといえよう。
このため、11月のダイヤ改正ではヤード系集結輸送の分野を中心に、輸送需要の動向に対応して輸送力の調整を行なうこととし、全体として、55 . 10ダイヤから約3万8000キロの輸送力を削ることとした。
第二に、今後、効率的な直行輸送体系の確立をめざす際に、基幹的な輸送方式となるコンテナ輸送について、質、量ともに充実をはかることとしたことである。すなわち、質の面では、本線上におけるスピードアップに加えて体制からの脱皮をはかり、荷物営業の一層の体質改善をはかつていくこととしたいドアップに加えて、発、着両ターミナルにおける締切時刻(コンテナの積み込み完了時刻〉から列車出発の時刻までおよび列車到着時刻から荷役線への入線時刻(コシテナの取卸可能時刻〕までの各時間(検査時間、入出線作業時間等〉を可能な限り短縮することとした。

 

現下の厳しい状況に鑑み,経営改善計画で,昭和60年度までに実施を予定していた800駅100ヤード体制を,ダイヤ改正時までに前倒しをはかることとしたこと,
貨車については,需要動向をふまえ,1万3000両の余剰貨車をとう汰することとしたことに代表されるように,徹底した効率化をはかろうとした ことである。

と言った記述に見られるように、機関車並びに貨車の余剰が大量に発生することとなりました。

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 ***********************************以下は、国労の資料となります。**************************

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第1節 80年代初頭の情勢と国鉄労働組合
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┌─────────────────────┐
├○ 四 最後の「国鉄再建法」と国労の闘い │
└─────────────────────┘

続き

こうした地方自治体の意見ないし動向に対応して、9月28日に開かれた全文運第38回定期大会は、「知事の意見を無視するような政府の一方的なやり方は許されないとの意見を集約し、9月30日からの第17回交研集会でも「国鉄地方線廃止反対」のアピールを採択した。また、「国民の足を守る中央会議」は、「地方交通線廃止阻止」をかかげて独自的に、国鉄本社要請、国会請願、傍聴、運輸省・知事・地方自治体への働きかけ、その他関係省庁機関への要請行動、市民との「対話集会」などを精力的に展開した。
 国労は、この年の秋、「運賃値上げ・特別運賃制度・地方交通線廃止反対」の署名・街頭宣伝、そして第2臨調答申への抗議行動を全国規模で実施し、また11月25日実施のストライキは、「配分の早期解決」などの要求も加わって、地区拠点方式により全国各地の対象職場で打ち抜かれ(荷物関係は0時から12時間)、総数約8000人が参加した。
 それに合わせた大衆行動として、リボン、ビラはり、横断幕掲出などの宣伝行動、決起集会、デモ、集団交渉などの示威行動を全国的に実施して「経営改善計画」に対する切迫した国労組合員の怒りを爆発させた。
 81年10月27日に国鉄当局が発表した57(82年11月)ダイヤ改正によれば、列車設定キロは旅客で2万5000キロ、貨物で4万キロの削減が行われることになり、これにともない車両検修基地の集約、機関車、電車、客車、貨車などの大幅な削減、工場・貨車職場などの大幅な削減、工場・貨車職場の統合、船舳の便数、隻数の削減などの「「合理化」が実施され、同時に作業体制・勤務体制の見直し、動力車・列車乗務員の運用と効率化が企図されていた。これらはいずれも大幅な要員削減が前提となっており、「国鉄再建法」にもとづく「経営改善計画」のねらう35万人体制そのものであった。

続く