鉄道ジャーナリスト、日本国有鉄道歴史研究家 日本国有鉄道 社会学 鉄道歴史 労働史 労働運動

日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 1

みなさま、はじめまして。
鉄道ジャーナリストの加藤です。(といっても、まだまだ実績もないので自称といえば自称ですが、今年は交通系もしくは社会問題の学会等への参加が目標です。笑
それとともに、積極的に交通を中心とした社会問題に自分なりに取材と提言をこなしていこうと思っています。

みなさま、どうかよろしくお願い致します。
また、面白いと思っていただけましたら、是非ともお声をおかけくださいませ。

はじめに

今回底本としますのでは、国労が作成した、国鉄労働組合史を基に、私の解説を簡単に加えた形でアップしていこうと思います。

あくまでも、国労による史観で書かれた内容ですが、あくまでも当時の国労の考え方を知ることは、今後の社会問題などを考えていく上でも参考になると思いますのでよろしくお願い致します。
こちらは1周間に1回程度の更新を目指します。

左翼的思考に基づく書き方なので、資本家VS労働者的視点から書かれていますが、国鉄は明治五年の新橋~横浜間の鉄道開業後、富国強兵・殖産興業の旗印に掲げていたことは歴史の教科書等で学ばれたことと思いますが、これらの工業製品を輸送する手段として鉄道は有効に働きました。
1870年代には大阪周辺でも政府経営の鉄道が建設され。80年代には、民営の鉄道営業も許可され、明治16年には日本鉄道株式会社【現在に高崎線の一部】が上野~熊谷間の路線一部を開通、2年後の明治18年には関西でも南海電気鉄道の前身阪堺鉄道難波駅大和川駅間を開業するなど鉄道の普及は官民とも共で進んでいきました。
その後の日清戦争・日露の戦役で鉄道の戦略的重要性の認識が深まったこともあり、鉄道の国有化が叫ばれるようになりました。

平時では「殖産興業」の重要手段として経済的役割を担う鉄道が戦時では「富国強兵」の一環として軍事輸送に転換できるように、鉄道国有化論が台頭して来るわけです。

この買収は当初は、比較的時間をかけて行われますが、大東亜戦争【太平洋戦争】中は、陸軍等の要請に伴い半ば強制的な買い上げも行わた他、戦時統合による鉄道会社の強制合併なども並行して行われました。
阪和線などは戦時買収の典型的な例で、仮に戦争がなければ阪和線は引き続き南海電鉄保有していたと思われます。
さて、こんな感じで簡単に解説を加えた形でアップさせて頂きますが、いずれきちんとした形でオリジナルの文書として改めてアップさせていただきますので、皆様よろしくお願い致します。

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以下国労の本文になります。

1987年4月、国鉄は世界に例を見ない初の「分割・民営化」によって、国鉄百有余年の歴史に幕を閉じた。この1980年代の「分割・民営化」以前と以降の諸問題については、第二部で述べる、この第一部は、国鉄の形成・展開と戦前における国鉄労働者の闘い、戦後の国鉄経営と国鉄労働者の闘い、とくに国鉄労働組合の取り組みを概説し、1980年代以降の闘いの歴史的現実的意義を一層、明らかにすることを目的としている。

第一節 戦前の国鉄国鉄労働運動

一 日本国有鉄道の形成と展開

国有鉄道の成立と大家族主義

1868年の明治維新以後、日本の急速な資本主義化が進められたこの頃、欧米資本主義諸国は、19世紀末~20世紀初頭の帝国主義=独占資本主義段階に入る間近な時点まで発展していた。これら諸国に対抗し、急速な資本主義化を進めるため、明治政府は「殖産興業」、「富国強兵」を柱に、国家権力=「上からの」強権的な力で資本主義的段階に入る間近な時点まで発展していた。これら諸国に対抗し。急速な資本主義化を進めるため、明治政府は「殖産興業」、「富国強兵」を柱に、国家権力=「上からの」強権的な力で資本主義的工業化を図った。その場合、鉄道は、原材料や生産された製品など物資輸送と労働力になり得る人を輸送し、もって国土と国民を統一する最重要手段であった。1872年【明治5年】、新橋~横浜間29kmで、日本で最初の鉄道が開通し、70年代には大阪周辺でも政府経営の鉄道が建設された。80年代には、民営の鉄道営業も許可され、85【明治20年】日本鉄道株式会社【上野~青森間】の路線の一部が開通した。
 日清戦争後、ロシアとの緊張が高まり軍備の充実とともに、鉄道の戦略的重要性の認識が深まった。平時では「殖産興業」の重要手段として経済的役割を担う鉄道が戦時では「富国強兵」の一環として軍事輸送に転換できるように、つまり経済的機能と軍事的機能が両立できる制度・設備の平時からの確立が急がれた。
1904【明治37】年から翌年の日露戦争では、国内、朝鮮、満州で、鉄道は軍事輸送の中心の役割を担った。この戦争を契機に国有化の動きは一気に進み、1906年鉄道国有法が発布され、主要民営鉄道が買収された。その際、建設費をはるかに超える補償金が公債で賄われ、営業収入の2割近くの利子負担となった。また、軍事的・政略的理由による新線建設が行われ、他方で割高な旅客運賃と割安な貨物運賃、社会政策的運賃割引制という運賃政策も取られた。この莫大な利子負担や経済合理性を超える、新線建設・運賃政策が、鉄道国有化の出発点で採用され、戦後の高度経済成長期以降の原型を形成した。1907【明治40】年、関西鉄道参宮鉄道の買収で、鉄道国有法による17私鉄の買収が完了し、国有化は完成した。営業キロ数は7,152km、従業員は9万人であった。この国鉄は、規模では当時の世界の鉄道の中でも最大のものであった。しかも当初、10年を要すると見られた国有化が、日露戦争後の財政逼迫にもかかわらず2年間で完成したことは、国家権力が以下に強力に国有化を推進したかを示していた。国家権力による国有化政策の強行、それは80年後には、国鉄の「分割・民営化」という逆の政策の強行となった。
 この国鉄の膨大な業務運営を統一的に行うため、この年、帝国鉄道庁が設置され、監督官庁として逓信省鉄道局が存置された。だが、1908年には鉄道院となり、逓信省から分離されて内閣の直属となった、この鉄道院の初代総裁が後藤新平である。彼は、地方分権主義・現業主義・責任者主義、さらに信愛主義=大家族主義をもって、国鉄の運営にあたった。
 大家族主義は、職員の連帯意識を助長し、鉄道の組織的運営の重要原理とするため、福利・厚生制度の充実を内容とする温情主義的なものであった・1907年には、職員の災害救済を目的とする職員救済組合の制度が設けられた。この救済組合は日本で最初で、以後、官庁、民間会社に普及した。救済組合は、当時展開し始めた労働運動対策の意味も持っていた。その労働運動が高まると、死亡や老衰の救済に重点を置いた生命保険主義を改めて、1918【大正7】年4月、社会保険的性格を強めた共済組合に組織を変更した。また同年7月、米騒動に対処して、9月に購買部が、翌年8月には貸付部が設けられ、職員の福利・厚生制度は一層拡充された。いずれも、労働運動の国鉄内への波及を防ぐ意味を持った。それが、大家族主義のもう一つの重要な意義であった。
 その温情主義的な大家族主義の別な側面として、従業員の身分制度が挙げられる。鉄道院の職員は、勅任官、奏任官、判任官、雇員、庸人及び使用人の6等級からなり、前三者は本官と称し、正式の職員であるが、雇員以下は通常一時的な使用人であって、長く一身を官職に託するものではないとの観念が強く、両者の待遇は全く異なっていた。だが、鉄道国有化以降、それまで移動率の高かった機関手その他の鉄道労働者は、鉄道院以外にはほとんど労働市場が存在しなくなり、勤続は長期化した。それが共済組合の設立や家族主義形成の背後にあった基本的条件の変化であったが、それは身分制度にも影響を与えた。
 本官以外の新採用者は庸人として採用され、数年で雇員に昇進する。庸人は庸人、雇員は雇員で職種ごとに最高給が定められていたので、昇進しなければ最高給以上には昇給しなかった。後には雇員職には職名によって。それぞれ一定の割合で判任官定員がおかれ、昇進の途が開かれたが、それは極めて狭い門であったし、駅長、助役にも定数があり、その昇進も限られていた。また、機関手の場合、駅長、助役などになる道は閉ざされていた。そこで、1913【大正2】年、一方では、判任官機関手採用試験制度を設け、他方、判任官待遇の鉄道手という一階級を設け、一定の条件を満たす場合、特に任用できるとした。こうした身分制度の調整を行ない、大家族主義の内実を固めた。

鉄道省設置と戦時下の国鉄

第一次大戦を契機に、日本資本主義の重化学工業化が進み、日本は独占資本主義段階に突入し、中国への侵略など帝国主義的性格を強めた。この日本資本主義の発展は、鉄道など陸上輸送や海上輸送部門にも急激な需要の増大をもたらした。国鉄は年々、営業距離を伸ばし、1919【大正8】年度末には、9,990kmに達し、職員数も16万人に増大した。こうした鉄道の業務規模の拡大を背景にして、鉄道院の「省」への昇格問題が懸案事項となり、1920年鉄道省への昇格が実現した。同時に改正鉄道敷設法が公布され、ここに国鉄経営機構の整備、線路網の拡充の基礎が築かれた。また陸運監督権を掌中にして、名実ともに陸上交通の行政官庁としての地歩を固めた。また、国鉄の技術水準は、第一次大戦後、すでに国際水準に達していた。
 日本は、1931【昭和6】年の満州事変に始まり、37年の日華事変に始まり、37年の日華事変で決定的となる戦時体制に突入し、国鉄の軍事輸送は増大し平時ダイヤを脅かした。鉄道は、旅客輸送・貨物輸送の両面で、戦時輸送=戦争目的遂行が第一義となった。40年には、陸運統制令が公布され、戦時輸送のため。旅客輸送制限が実施された。また鉄道への資材の供給が悪化し、職員の極端な減退をもたらした。戦争で鉄道は荒廃し、国鉄経営も破滅的状況に陥った。この破局状態にある国鉄にとどめを刺すアメリカ軍による爆撃が行われた。さらに、アメリカ軍は、本土上陸を前に鉄道への集中攻撃を計画していた。この作戦計画が遂行する前に、敗戦をむかえた。

続く

 

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