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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説3

みなさま、約6日ぶりに投稿させていただきます。
毎日投稿できればよいのですが、何分これを仕事にできるほど稼げていませんので、別の仕事の合間に書かせていただくため、飛び飛びになってしまうことは容赦いただきたいと思います。
さて、今回は治安警察法について簡単に解説を加えて、本文を参照していただければと思います。

富国強兵を進める明治政府にあって、西欧化の流れは日本にあった徒弟関係に変えて、資本家VS労働者という構図を生みつつあったのでしょうか。
明治33年には、集会及び政社法を廃止し、治安警察法が3月10日に公布され、同月30日から施行されます。

その原因となったのが、明治31年に行われた日本鉄道【現在の東北本線】の機関士方によるストライキが伏線となっています。

いわゆる、ストライキ自体を規制しようとするのが本法律の目的となっています。


明治38年 世相編 国鉄があった時代 

国鉄があった時代

日本鉄道の機関士らが同盟会指導者解雇反対のストライキを起こす。鉄道でははじめて 2/24
日本鉄道のストライキ、要求がとおり解除 2/27

この労働争議で危機感を感じたのか、政府は治安警察法を2月13日に衆議院に上程、僅か11日間の審議で両院(衆議院貴族院)を通過し、法律第36号として公布されたのでした。
その時の審議の理由を法案の策定者である有松英義内務書記官の「提案理由」説明において、次のように述べていると記載されています。

> 其ノ次ニ第十八条〔議会における修正により一条削除されたため、法律では第一七条となった〕。

削除前の第17条

 左ノ各号ノ目的ヲ以テ他人ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀シ又ハ第2号ノ目的ヲ以テ他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコトヲ得ス

 1 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ協同ノ行動ヲ為スヘキ団結ニ加入セシメ又ハ其ノ加入ヲ妨クルコト

 2 同盟解雇若ハ同盟罷業ヲ遂行スルカ為使用者ヲシテ労務者ヲ解雇セシメ若ハ労務ニ従事スルノ申込ヲ拒絶セシメ又ハ労務者ヲシテ労務ヲ停廃セシメ若ハ労務者トシテ雇傭スルノ申込ヲ拒絶セシムルコト

 3 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ相手方ノ承諾ヲ強ユルコト耕作ノ目的ニ出ツル土地賃貸借ノ条件ニ関シ承諾ヲ強ユルカ為相手方ニ対シ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スルコトヲ得ス

 之ハ詳シク申シ上ゲマスルマデモアリマセヌ、ゴ一読下サリマスレバ御了解下サルコトデアラウト存ジマス、之ハ追々近来工業ガ発達致シマスルニ付キマシテハ、雇主ト労働者ノ間ニ随分確執ヲ生ジ易クナッテ居ルノデゴザイマス。御承知ノ通労働者ノ共同ノ組合即チ団結モ、大阪或ハ東京其外今日デハ九州ノ方ニモ起リカケテ居リマス、ソレカラ労働契約ノ条項変更若クハ賃銀ヲ上ゲテ貰ヒタイト云フコトニ付キマシテハ、同盟罷工ヲナスノ風ガ追々盛ンニナッテ参ルノデゴザイマス。〔中略〕
>  御承知ノ如ク、或鉄道会社ノ労働者ガ同盟罷工ヲ為シタタメニ、其鉄道ハ数日間運転ヲ停止シタノデゴザイマス、ソレガタメニ公衆ガ幾許ノ損害ヲ蒙リ、幾許ノ迷惑ヲナスカト申スコトハ、実ニ今日ノ法律モアル世ノ中ニ、嘆息ニ堪エナイ程ノ程度デアッタコトデゴザイマス、凡ソ此大工業鉱山ニ致シマシテモ、又此船舶ノ運送ニ致シマシテモ、其他ノ諸製造ニ致シマシテモ、労働者ガ同盟罷工ヲ致シマスタメニハ、独リ其会社ノ損害ヲ惹キ起コスノミナラズ、会社(ママ)〔社会?〕ノ損害ヲ惹起ス場合ハ沢山アルノデゴザイマス、就中(ナカンズク)軍事品ヲ供給致シマスル製造業者ガ、一朝同盟罷工ニ掛ッタナラバ、戦役ノ上ニ少ナカラザル影響ヲ及シマス、例ヘバ戦争中ニ砲兵工廠ノ労働者ガ同盟罷工ヲ致シマシタトキハ、我国ノ軍隊ハ非常ナル不利益ヲ蒙ルノデゴザイマス、又国家ノ経済カラ申シマシテモ、非常ナ国ノ損害ヲ来スノミナラズ、外国トノ貿易其他ノ関係ニ付イテ大ナル不都合ヲ生ズルノデゴザイマス、

ということで、明らかに次の部分などは、日本鉄道を意識したものとなっています。

> 或鉄道会社ノ労働者ガ同盟罷工ヲ為シタタメニ、其鉄道ハ数日間運転ヲ停止シタノデゴザイマス、ソレガタメニ公衆ガ幾

許ノ損害ヲ蒙リ、幾許ノ迷惑ヲナスカト申スコトハ、実ニ今日ノ法律モアル世ノ中ニ、嘆息ニ堪エナイ程ノ程度

日本鉄道としても、従業員の待遇改善を求めたという今であれば至極あたりまえのことですが、当時とすれば急速に近代化しないと西欧の拡大主義に飲まれると感じていたことも影響としてあるかもしれません。
こうした場合、どうしてもその部分だけを取り上げると視野の狭い話となってしまいますので常にその当時の状況なども知りながら検討する必要があるかもしれませんんね。

すみません全体を網羅しようと思ったのですが最初のさわりだけでかなりページをを割いてしまいましたが、こうした法律が制定されたこと、そして日鉄ストは戦前において極めて特異な事例であったことを知っていただいた上で読んでいただきたいと思います。

参考『明治日本労働通信』補訂  『高野房太郎研究ノート』  未完の高野房太郎伝──大島清先生のこと

参考

 

公布;1900(明治33)年3月10日法律第36号

施行;1900(明治33)年3月30日

最終改正1926(大正15)年

治安警察法廃止等ノ件(昭和20年勅令第638号)により、1945(昭和20)年11月21日廃止

第1条

 政事ニ関スル結社ノ主幹者(支社ニ在リテハ支社ノ主幹者)ハ結社組織ノ日ヨリ3日以内ニ社名、社則、事務所及其ノ主幹者ノ氏名ヲ其ノ事務所所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ其ノ届出ノ事項ニ変更アリタルトキ亦同シ

第2条

① 政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ヲ開カムトスル者ハ発起人ヲ定ムヘシ
② 発起人ハ到達スヘキ時間ヲ除キ開会3時間以前ニ集会ノ場所、年月日時ヲ会場所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ
② 届出ノ時刻ヨリ3時間ヲ過キテ開会セス若ハ3時間以上中断スルトキハ届出ハ其ノ効ヲ失フ
④ 法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員選挙準備ノ為ニ選挙権ヲ行フヘキ者及被選挙権ヲ有スル者ニ限リ会同スル所ノ集会ハ投票ノ日ヨリ前50日間ハ本条第2項ノ届出ヲ要セス

第3条

 公事ニ関スル結社又ハ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ保持スル為届出ヲ必要トスルモノアルトキハ命令ヲ以テ第1条又ハ第2条ノ規定ニ依ラシムルコトヲ得

第4条

 屋外ニ於テ公衆ヲ会同シ若ハ多衆運動セムトスルトキハ発起人ヨリ12時間以前ニ会同スヘキ場所年月日時及其ノ通過スヘキ路線ヲ管轄警察官署ニ届出ツヘシ但シ祭葬、講社、学生生徒ノ体育運動其ノ他慣例ノ許ス所ニ係ルモノハ此ノ限ニ在ラス

第5条

① 左ニ掲クル者ハ政事上ノ結社ニ加入スルコトヲ得ス
 1 現役及召集中ノ予備後備ノ陸海軍軍人
 2 警察官
 3 神官神職僧侶其ノ他諸宗教師
 4 官立公立私立学校ノ教員学生生徒
 5 女子
 6 未成年者
 7 公権剥奪及停止中ノ者
② 未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス
③ 公権剥奪及停止中ノ者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

改正(1922〔大正11〕年4月20日)前=②女子未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス

第6条

 日本臣民ニ非サル者ハ政事上ノ結社ニ加入シ又ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

第7条

 結社ハ法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員ニ対シテ其ノ発言表決ニ付議会外ニ於テ責任ヲ負ハシムルノ規定ヲ設クルコトヲ得ス

第8条 =⇒ 禁止令

① 安寧秩序ヲ保持スル為必要ナル場合ニ於テハ警察官ハ屋外ノ集会又ハ多衆ノ運動若ハ群集ヲ制限、禁止若ハ解散シ又ハ屋内ノ集会ヲ解散スルコトヲ得
② 結社ニシテ前項ニ該当スルトキハ内務大臣ハ之ヲ禁止スルコトヲ得此ノ場合ニ於テ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得

第9条

① 集会ニ於テハ重罪軽罪ノ予審ニ関スル事項ヲ公判ニ付セサル以前ニ講談論議シ又ハ傍聴ヲ禁シタル訴訟ニ関スル事項ヲ講談論議スルコトヲ得ス
② 集会ニ於テハ犯罪ヲ煽動若ハ曲庇シ又ハ犯罪人若ハ刑事被告人ヲ賞恤若ハ救護シ又ハ刑事被告人ヲ陥害スルノ講談論議ヲ為スコトヲ得ス

第10条

 集会ニ於ケル講談論議ニシテ前条ノ規定ニ違背シ其ノ他安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムル場合ニ於テハ警察官ハ其ノ人ノ講談論議ヲ中止スルコトヲ得

第11条

① 結社、集会又ハ多衆運動ニ関シ警察官ノ尋問アリタルトキハ主幹者、会長、発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル社員若ハ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ之ニ答フヘシ
② 警察官署ハ制服ヲ著シタル警察官ヲ派遣シ政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ニ臨監セシムルコトヲ得其ノ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ妨害スルノ虞アリト認ムルトキ亦同シ此ノ場合ニハ発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ警察官ノ求ムル席ヲ供スヘシ

第12条

 集会又ハ多衆運動ノ場合ニ於テ故ラニ喧擾シ又ハ狂暴ニ渉ル者アルトキハ警察官ハ之ヲ制止シ其ノ命ニ従ハサルトキハ現場ヨリ退去セシムルコトヲ得

第13条

 集会及多衆ノ運動ニ於テハ戎器又ハ兇器ヲ携帯スルコトヲ得ス 但シ制規ニ依リ戎器ヲ携帯スル者ハ此ノ限ニ在ラス

第14条

 秘密ノ結社ハ之ヲ禁ス

第15条 

法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員議事準備ノ為ニ相団結スルモノニ対シテハ第1条及第5条ヲ適用セス

第16条

 街頭其ノ他公衆ノ自由ニ交通スルコトヲ得ル場所ニ於テ文書、図画、詩歌ノ掲示、頒布、朗読若ハ放吟又ハ言語形容其ノ他ノ作為ヲ為シ其ノ状況安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムルトキハ警察官ニ於テ禁止ヲ命スルコトヲ得

第17条 削除=1926(大正15)年4月9日公布(7月1日施行)

削除前の第17条

 左ノ各号ノ目的ヲ以テ他人ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀シ又ハ第2号ノ目的ヲ以テ他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコトヲ得ス

 1 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ協同ノ行動ヲ為スヘキ団結ニ加入セシメ又ハ其ノ加入ヲ妨クルコト

 2 同盟解雇若ハ同盟罷業ヲ遂行スルカ為使用者ヲシテ労務者ヲ解雇セシメ若ハ労務ニ従事スルノ申込ヲ拒絶セシメ又ハ労務者ヲシテ労務ヲ停廃セシメ若ハ労務者トシテ雇傭スルノ申込ヲ拒絶セシムルコト

 3 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ相手方ノ承諾ヲ強ユルコト耕作ノ目的ニ出ツル土地賃貸借ノ条件ニ関シ承諾ヲ強ユルカ為相手方ニ対シ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スルコトヲ得ス

第18条

 行政官庁ハ安寧秩序ヲ保持スル為必要ト認ムルトキハ戎器、爆発物又ハ戎器ヲ仕込ミタル物件ノ携帯ヲ禁スルコトヲ得

第19条 

第1条ニ違背シタル者ハ30円以下ノ罰金ニ処シ第1条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ50円以下ノ罰金ニ処ス

第20条 

第2条第1項又ハ第2項ニ違背シタル者ハ20円以下ノ罰金ニ処シ第2項ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ30円以下ノ罰金ニ処ス

第21条

 第4条ニ違背シタル者ハ20円以下ノ罰金ニ処シ第4条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ30円以下ノ罰金ニ処ス

第22条

 第5条又ハ第6条ニ違背シタル者ハ20円以下ノ罰金ニ処ス第5条又ハ第6条ニ違背シ入社セシメタル者亦同シ

第23条

① 第8条第1項ノ制限若ハ禁止ノ命ニ違背シ又ハ解散ヲ命セラレタル後仍退散セサル者ハ2月以下ノ軽禁錮又ハ30円以下ノ罰金ニ処ス
② 第8条第2項ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ6月以下ノ軽禁錮又ハ100円以下ノ罰金ニ処ス

第24条

 第9条ニ違背シ又ハ第10条ノ中止ノ命ニ違背シタル者ハ3月以下ノ軽禁錮又ハ10円以上50円以下ノ罰金ニ処ス

第25条

 第11条第1項ノ尋問ニ答ヘス若ハ答フルモ実ヲ以テセス又ハ第2項ノ場合ニ於テ警察官ノ臨監ヲ拒ミ若ハ其ノ求ムル席ヲ供セサル者ハ50円以下ノ罰金ニ処ス

第26条

 第12条ニ依リ退去ヲ命セラレタル後仍退去セサル者ハ1月以下ノ軽禁錮又ハ20円以下ノ罰金ニ処ス

第27条 

第13条ニ違背シタル者ハ3月以下ノ軽禁錮又ハ50円以下ノ罰金ニ処ス

第28条

 秘密ノ結社ヲ組織シ又ハ秘密ノ結社ニ加入シタル者ハ6月以上1年以下ノ軽禁錮ニ処ス

第29条

 第16条ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ1月以下ノ軽禁錮又ハ30円以下ノ罰金ニ処ス

第30条 削除=1926(大正15)年4月9日公布(7月1日施行)

削除前の第30条

 第17条ニ違背シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処シ3円以上30円以下ノ罰金ヲ附加ス使用者ノ同盟解雇又ハ労務者ノ同盟罷業ニ加盟セサル者ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スル者亦同シ

第31条

 第18条ノ禁ヲ犯シタル者ハ6月以下ノ重禁錮ニ処ス

第32条

 本法ニ関スル公訴ノ時効ハ6箇月トス

第33条

 集会及政社法ハ之ヲ廃止ス

 

無産政党結社禁止ニ関スル件  昭和3年12月21日 閣議決定

  東京市麹町区内幸町一丁目五番地
            党
本年3月15日秘密結社日本共産党ノ検挙ヲ行ヒ更ニ翌4月10日政社労働農民党極左団体ノ結社禁止ヲ命シタルカ従来労働農民党中心人物ハ何レモ強烈ナル共産主義思想ノ抱持者ニシテ概ネ這般ノ秘密結社日本共産党ニ加盟シ其ノ指導ニ基キ常ニ共産党ノ目的トスル幾多ノ極メテ詭激ナル運動ヲ敏活且執拗ニ敢行セルヲ以テ治安維持上到底其存立ヲ容認スヘカラサルモノト認メ右ノ如ク其結社禁止ヲ命シタル次第ナルカ其ノ後彼等ハ直ニ新党組織準備会ナル名称ノ下ニ党ノ再組織ヲ企図シ着々準備整ヘ遂ニ去ル10月24、25ノ両日全国代表者会議ヲ開催シテ役員決定及ヒ綱領政策、規約、宣言骨子其他諸般ノ運動方針ヲ議決シ愈々来ル12月22日ヨリ3日間ニ亘リ正式ニ創立大会ヲ開催スル運ヒニ至レルヲ、其ノ旧党幹部ノ大部分ハ依然新党幹部トシテ臨マムトシツゝアリ且、新党準備会ハ終始別紙参考書ニ記載スル如ク極メテ詭激ナル運動ニ出テ、其ノ活動綱領ハ従来ノ行動指令、ニュース及機□□ニヨリ観察シテ旧党ノ夫レト何等実質ニ於テ差違アルヲ見ル能ハス全盤旧党ノ伝統的指導精神ヲ其侭継承セル再組織ヲ企図スルモノト認ムヘキヲ以テ此際結社ヲ許容スルニ於テハ過般ノ結社禁止ノ趣旨ヲ無意義ニ終ラシムルノミナラス社会ノ安寧秩序ヲ紊ルニ至ルヘシ
依ツテ本結社成立ノ暁ニ於テハ別記理由ニ依リ直ニ治安警察法第8条第2項ニ依リ再ヒ其ノ結社ヲ禁止スヘキモノト認ム

 

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以下は、国鉄労働組合史になります。


弾圧政策と国鉄大家族主義

 鉄道にも見られる、労働者の組織的運動が始まった時、明治政府は強権的な弾圧政策を取った。1900【明治33】年の治安警察法と行政執行法制定が弾圧政策の中心をなし、以後、猛威を奮った。日鉄矯正会と鉄工組合は組合財政が悪化の一途であったことも作用して衰微した。日鉄矯正会、1901年11月に解散した。さらに1910年、明治政府は、大逆事件に示される社会主義者らの一大弾圧を行ない、運動は<冬の時代>をむかえた。
 他方、鉄道国有化にともない、鉄道院初代総裁・後藤新平による大家族主義の提唱と推進によって、国鉄労働者は、外部の運動と全く遮断された。国鉄内部では、1907【明治40】年、旧日本鉄道職工らを初め、全国のいくつかの地域、鉄道で、国有化慰労金分配問題などで紛争が生じ。一部では増額を勝ち取った事例、1910年、福岡県・若松駅の駅員・列車員が友愛会【救済組合】を組織した事例などがあるが、散発的な運動に終った。

第一次大戦後の運動の高揚と国鉄労働者

政府の弾圧のもと、社会・労働運動はしばらく沈静化していたが、1912【大正1】年8月、鈴木文治らにより、親睦・共済・修養などによって、労働者の地位の向上を図ろうとする友愛会が結成され、以後、大正デモクラシー運動の高揚にも助けられ、組織を拡大した。労働運動が急増し、前年の108件、8413人から398件、5万7309人にのぼった。1918年、都市下層民を中心とする米騒動が全国で発生し、時の寺内内閣が倒れた。米騒動は、労働運動ではなかったが、大衆行動の威力を示した。
 友愛会の改革運動も生じた。1919年4月には、賀川豊彦らの指導で、友愛会改革の試みとして、友愛会関西労働同盟が結成された、19年8月の友愛会第7回大会では会名を大日本労働総同盟友愛会に変更し、労働組合としての体制を整えた。この時の会員数は56,000人であった。1921年10月には,日本労働総同盟と改め,友愛会の名前も消えた。労働運動も高揚し,組合結成が相次ぎ,労働争議も大工場や各産業で発生した。政党では,1922【大正12】年7月,日本共産党が結成され労働運動への影響を強め始めた。
 だが、政府の社会・労働運動への弾圧も一段と強化された。1923年9月1日,関東大震災が発生した。この震災を利用して朝鮮人の大量虐殺が行われた。さらに,南葛労働会の河合芳虎や友愛会時代からの運動家でもあった平沢計七ら、労働運動家・社会主義者が虐殺された事件(亀戸事件)、無政府主義者大杉栄伊藤野枝の殺害など震災を利用した弾圧が行われた。
 他方、1925【大正14】年、青年男子への一定の制限付きの普通選挙権付与と並んで、4月に治安維持法が公布され、5月11日から施行された。この法律は、1928【昭和3】年、3・15事件として、日本共産党弾圧に初めて発動された後、同年6月に死刑を追加して弾圧法規として一段と強化され、以後、日本共産党だけでなく、政治的諸運動、社会運動、学者、宗教家、自由主義者へと弾圧の枠を広げていった稀に見る悪法であった。国鉄労働者の運動も、第一次大戦後までは、まだ散発的であった。1913【大正2】年9月、足尾鉄道の鉄道院への貸与に伴う現業員200人解雇に対し、現業員側は慰労金要求でストを計画し、要求を実現した。1914年5月には、鉄道省被服工場職工らが東京洋服技工組合を結成した。第一次大戦後、1919【大正8】年、東京駅、同機関区、検車所の有志を中心に、全国鉄道労働者を対象にした単一の日本鉄道従業員組合結成の動きがあった。これは第一回国際労働会議(ILO)労働代表の選出にあたり、政府は、ぜんこくの労働者から代表選出協議員を選出させることとし、国鉄にも3名の協議員を割り当てた。こうした動向が誘いとなり、東京を中心に単一組合組織結成の計画が進められた。当局は直ちにこれを弾圧し、失敗に終わった。

続く

 

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