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国鉄労働組合史詳細解説 18

皆さん、おはようございます。今日も少しだけ国労の資料を参照しながら簡単な解説を加えて行こうと思います。
さて、昭和30年代というのは組合運動にとっても重要な年でありました、昭和35年の安保改定闘争では国会前のデモで東大生の樺美智子さんが死亡する事件が起こっています。
そんな時代背景を、元に書かせていただきます。

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国会を取り囲んだ安保改定に反対するデモ隊

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議院内では強行採決が行われた。

昭和30年代、復興とともに平和運動の勃興

> 第1回原水爆禁止世界大会
この運動の始まりは、第5福竜丸が、ビキニ環礁付近で操業していた際にアメリカによる水爆実験による被爆を受けた事件をきっかけに始まったもので、昭和29年、東京杉並区の主婦の始めた原水爆禁止署名運動は瞬く間に広がり、良く昭和30年には広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催されるまでになりました。
その後主義主張の違いなどで昭和38年考え方の違いなどで分裂しましたが14年後の昭和52年に再び合流、現在に至ると言われています。

昭和毎日:第1回原水爆禁止世界大会広島大会 - 毎日jp(毎日新聞)

改正警職法に国民が敏感に反応、結局改正はできず。

> 58年10月8日、岸内閣は、労働組合運動など民主運動弾圧をねらった警察官職務執行法警職法)の改定案を国会に提出した。

> (質問)
> 第二条  警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何ら かの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者 又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることにつ いて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。
> 2  その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の 妨害になると認められる場合においては、質問するため、その者に附近の警察署、 派出所又は駐在所に同行することを求めることができる。

 この案では、法執行の重点を、個人の生命、安全、財産保護から「公共の安全と秩序」を守ることまで拡大したこと
具体的には、「凶器の所持」を名目とする令状なしの身体検査や、保護を名目とする留置を可能にするという内容でした。

> 13日には、警職法反対国民会議が結成された。これには、社会党、総評を初め、多くの諸団体が参加し、大部分の地方組織には日本共産党も参加した。10月~11月警職法反対の統一行動が4回にわたり展開され、国労も各地で積極的な活動を展開した。

戦前の記憶、戦中の特高警察を髣髴させる警察官職務執行法は世論を得られず

この警察官職務執行法改正案は、戦前の、「オイ・コラ」警察を連想させるとして、大衆娯楽誌『週刊明星(みょうじょう)』が「デートも邪魔する警職法」の特集で一般市民を上手く巻き込み世論を集約していったと言えるでしょう。
 他にも、児童文学者協会、日本写真家協会日本シナリオ作家協会、日本キリスト教女子青年会、全国の旅館業者等が参加し、かつてない結集の幅広さをもったことが特徴でした。

世界的なエネルギー転換、石炭から石油へ・・・。

> 警職法改悪反対闘争が展開されている頃、日米安保条約の改定交渉が行われていた。他方、「エネルギー転換」の名のもと、石炭から石油へのドラステックな転換が開始され、炭鉱の閉山、「合理化」が相次いだ。

 

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それと同じ時期、中東の石油が順調に開発されたことにより、石炭よりも取扱い容易な石油がタンカーの大型化などによる価格引下げによって経済的に有利になり、世界的に石炭から石油へとその流れは変わっていきました。
そんな中、炭鉱の閉鎖等が相次ぎ、北海道や九州では多くの鉄道路線が一気にローカル線化していくこととなりました。

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それと同じ時期、中東の石油が順調に開発されたことにより、石炭よりも取扱い容易な石油がタンカーの大型化などによる価格引下げによって経済的に有利になり、世界的に石炭から石油へとその流れは変わっていきました。
そんな中、炭鉱の閉鎖等が相次ぎ、北海道や九州では多くの鉄道路線が一気にローカル線化していくこととなりました。
余談ですが、筑豊地区は九州最大の炭鉱が数多くあった地域であり、当時に張り巡らされた路線はその多くが赤字ローカル線となってしまいました。

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元々海軍の採炭施設であった志免鉱山、戦後は国鉄が引継ぎ採炭を継続していましたが上記のエネルギー政策の転換に伴い、赤字に転落、払い下げ計画が立てられましたが国労による反対闘争が展開されました。

エネルギー政策の転換期に、三池闘争は勃発、資本家VS労働者
 による戦い

> 三井鉱山三池炭鉱の場合は、たんに「エネルギー転換」ではなかった。三池炭鉱には、職場闘争で鍛えられた当時の最強の組合が存在していた。三井鉱山の経営者だけでなく、日本の総資産は、三池型の労働組合を弱体化することを意図した。希望退職者が予定人員に達しなかった後、会社は59年12月11日、指名解雇を通告した。これに対し、60年1月25日、三池労組は無期限ストに突入し、会社はロックアウトで対抗した。

これにつきましては、別途項を起こして詳細を概説したいと思います。

併せてご覧ください。

yaplog.jp

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├○ 警職法・安保・三池の闘い     │
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国労の取り組みは、政治的課題、平和問題でも活発化した。すでに55年の砂川基地拡張反対闘争でも支援活動を行ったが、同年8月には第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、その直後、日本原水協が結成されたが、国労は総評とともに結成に参加した。
 58年10月8日、岸内閣は、労働組合運動など民主運動弾圧をねらった警察官職務執行法警職法)の改定案を国会に提出した。これに対する反応は早く、13日には、警職法反対国民会議が結成された。これには、社会党、総評を初め、多くの諸団体が参加し、大部分の地方組織には日本共産党も参加した。10月~11月警職法反対の統一行動が4回にわたり展開され、国労も各地で積極的な活動を展開した。11月22日、鈴木社会党委員長と岸首相との会談で、警職法改定案を廃案にすることが合意された。
 警職法改悪反対闘争が展開されている頃、日米安保条約の改定交渉が行われていた。他方、「エネルギー転換」の名のもと、石炭から石油へのドラステックな転換が開始され、炭鉱の閉山、「合理化」が相次いだ。国鉄でも、蒸気機関車の動力源となっていた志免鉱山の払い下げ計画が立てられ、60年代初期まで強力な反対闘争が展開された。三井鉱山三池炭鉱の場合は、たんに「エネルギー転換」ではなかった。三池炭鉱には、職場闘争で鍛えられた当時の最強の組合が存在していた。三井鉱山の経営者だけでなく、日本の総資産は、三池型の労働組合を弱体化することを意図した。希望退職者が予定人員に達しなかった後、会社は59年12月11日、指名解雇を通告した。これに対し、60年1月25日、三池労組は無期限ストに突入し、会社はロックアウトで対抗した。
 他方、安保条約の改定交渉の進展に対し、社会党や総評は約300団体を結集し、安保改定阻止国民会議を結成した。この会議には、日本共産党もオブザーバーとして参加した。そして、統一行動を繰り返し、全国の地域の末端まで共闘組織が結成された。だが、警職法反対闘争の時と違って全労会議は参加しなかった。また、59年9月の社会党大会では、安保をめぐる行動で糾弾された右派グループが脱党し、60年1月、民社党を結党した。国労でも民社党に近いグループがあり、深刻な組織問題が発生した。総評の社会党系幹部集団(労働者同志会)は、日本の条件のもとで労働組合の政治闘争の必要性を説いた「日本的労働組合主義」の文書を発表して動揺を防いだ。
 60(昭和35)年の前半、国会では新安保条約の危険性、とくに極東の範囲の解釈によって、アジアのどこの戦争にも日本が巻き込まれる危険性が暴露され、1月の改定調印以後、国会周辺のデモは規模を増した。