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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 21

皆様こんばんは、2週間ほど開けてしまいましたが再開させていただきますのでよろしくお願いいたします。

所得倍増計画と好景気

さて、1960年代と言うのは、池田勇人内閣による所得倍増計画が実行され、国民の生活は急速に改善される時期に入ったと言えましょうか。

具体的には、国民総生産を倍増することで、雇用を拡大し失業問題を解決。結果的に生活水準を引上げることを目的としていました。
農業近代化、中小企業の近代化、経済的な後進地域の開発等も平行して行われ、新産業都市と言った言葉も使われましたね。

この当時春闘相場を決定していたのは、鉄鋼であり、鉄鋼労連の回答が春闘の相場を決めると言われていましたが、1958年7月から42ヵ月の長期にわたった「岩戸景気」も1961年には息切れしてしまい、1962年の春闘は低迷、景気が回復しだしたのは1962年の10月からだったそうで、1963年の春闘も結果的に低迷したと言われています。
国鉄にあっても、ストには至らず仲裁裁定を待っての決着だったようですが、1963年の春闘は、景気回復を受けて、太田総評議長の「青年よ、ハッスルせよ」というラッパで幕を切って落としたと言われています。

 それによれば、

  1. 25%以上あるいは7,500円以上の大幅賃上げ要求
  2. 最低賃金の確立
  3. 労働時間の短縮

の3本柱を中心に、数か月の長期闘争を想定しており、国労も同様に計画していたようです。

このときの公労協の賃上げは下記のとおりです。

  1.  国労⇒7,600円
  2.  動労⇒8,800円
  3.  全電通⇒5,000円
  4.  全逓・造幣・印刷・専売⇒6,000円
  5.  全林野とアルコール専売⇒6,300円

さらに、春闘共闘委員会のスト権奪還統一行動中央総決起集会、公労協のILO条約スト権奪還統一行動、等の戦術が組まれていき、3月4日に公労協は、戦術委員会で4月17日に一斉半日ゼネストを実施するとの方針を決めたと言われています。

> 国労は、春闘を前に第24回臨時大会を開いた。この大会では、「今年は安易な妥協はしない」という方針を決めた。総評も臨時大会で強力な決意で春闘に臨む方針を決定していた。公労協は3月4日に春闘決起集会を開催し、4月17日に一斉半日休暇を実施し、それでも解決しない場合、ストを反復するという強力な方針を打ち出した。

公労協は本来スト権を持たないのですが、スト権を奪還するためのストライキと言う意味の良くわからないストライキが行われていたことも事実であり、こうした解雇者のための闘争資金として組合費から彼ら活動家の生活費に回っていたものがかなりあり、全逓(郵政省)も比較的高い組合費を徴収されていましたね。

> 4月8日、日本共産党は、「4・17ストは挑発であり労働者と全民主勢力との統一を破壊する危険性がある」と声明を発表し、スト中止のために力を注いだ。

日本共産党が、「4.17ストは、弾圧を行うためのアメリカ帝国主義の挑発である」としたて、中止を呼びかけたが4月6日には鉄鋼大手が3,200円の回答を示して妥結の方向に向かうなどしたそうです。

> のち日本共産党は7月13日からの中央委員会で、誤りであったとして自己批判を発表したが、公労協各組合では、夏の大会まで、ストに反対した。組合員の除名など統制処分問題で激しい論議が続いた。全逓全電通などでも除名処分が行われたが、国労では、共産党自己批判の直前である7月5日から9日の第25回定期大会(旭川)で、組織内共産党員の統制問題が激しい議論となった。その結果、除名31名を含む権利停止など合計148名の統制処分が行われた。

結果的に、日本共産党のこの発言は後に誤りであったと自己批判を行ったにもかかわらず、問題は収束せず、多くの共産党員を排除することなり、日本共産党の総評における地位は大きく後退することとなりました。

> 4月16日、池田首相と太田総評議長のトップ会談(池田・太田会談)で公企体と民間との賃金格差是正などの確認が行われ、ストは中止された。この確認は、のちの言葉で言えば、「民間準拠」方式と呼ばれるものであった。


首相官邸で行われた、トップ会談は(太田総評議長・岩井総評事務局長)と池田首相との会談は、その後の公務員給与の“民間準拠”の原則となりましたが、これが逆に不景気時や地方では公務員優遇と批判を浴びることになったことは皮肉なことでした。

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昭和38年の時刻表から、新幹線開業前の東海道本線

 

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以下は、国労の資料になります。

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├○ 64年春闘と4・17スト問題   │
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 1962年と63年春闘は、公労協はスト体制は維持したがストには至らず、仲裁裁定で決着した。国鉄関係は、62年は平均6%、63年は平均6.5%であった。もっとも、62年の年度末手当に関し、国労は3月30日と31日時限ストを行ない、当局は解雇36名を含む1,819名の処分を通告した。
 64(昭和39)年2月、国労は、春闘を前に第24回臨時大会を開いた。この大会では、「今年は安易な妥協はしない」という方針を決めた。総評も臨時大会で強力な決意で春闘に臨む方針を決定していた。公労協は3月4日に春闘決起集会を開催し、4月17日に一斉半日休暇を実施し、それでも解決しない場合、ストを反復するという強力な方針を打ち出した。
 3月27日の春闘共闘委の最賃ストを皮切りに、春闘に突入していた4月8日、日本共産党は、「4・17ストは挑発であり労働者と全民主勢力との統一を破壊する危険性がある」と声明を発表し、スト中止のために力を注いだ。このため、公労協のスト体制は混乱した。この声明と一連の行動について、のち日本共産党は7月13日からの中央委員会で、誤りであったとして自己批判を発表したが、公労協各組合では、夏の大会まで、ストに反対した。組合員の除名など統制処分問題で激しい論議が続いた。全逓全電通などでも除名処分が行われたが、国労では、共産党自己批判の直前である7月5日から9日の第25回定期大会(旭川)で、組織内共産党員の統制問題が激しい議論となった。その結果、除名31名を含む権利停止など合計148名の統制処分が行われた。
 この春闘では、公労協スト体制を崩さなかったが、4月16日、池田首相と太田総評議長のトップ会談(池田・太田会談)で公企体と民間との賃金格差是正などの確認が行われ、ストは中止された。この確認は、のちの言葉で言えば、「民間準拠」方式と呼ばれるものであった。また、この会談の口頭確認で、当事者能力や予算制度を含む公企体の在り方の再検討も約束された。
 64年は、いろんな面で節目となった年であった。労働運動に限ると、同盟会議が全日本労働総同盟(同盟)となり、総評に対抗するナショナルセンターとしての性格を一層明確にした。また、国際金属労連日本協議会(IMF・JC)が結成され、のちに大きな力を発揮し、現在に至っている。 

続く