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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 22

国鉄労働史

みなさまこんにちは、今日も国鉄労働運動について、国労の資料を底本にしながら私なりの解釈を加えさせていただこうと思います。

今回は、昭和35年から39年までの第2次5カ年計画を中心にその後の長期再建計画のさわりを説明させていただこうと思います。

第2次5カ年計画始まる。

国鉄では、昭和35年の池田内閣による所得倍増計画に呼応するように、第1次5ヵ年か計画を最終年度を残して取りやめ【実際には、賃金増などで予算が足りなくなったといも言われていますが、これにより新しい第2次5カ年計画が36年度を初年度として計画されました。

動力近代化とセットで始まる第2次5カ年計画

この背景には、国鉄動力者近代化委員会が動力近代化計画として、昭和35年度から蒸気機関車を段階的に廃止し、昭和50年には蒸気機関車を全廃すると計画を立てたことも、第2次5カ年計画を導入する運びとなったようです。

この計画自体も、64年度をもって、打ち切られ。第3次長期計画(実際は65年度から68年度の4年間)に移行することになるのですが、その前に第2次5カ年計画とはどのような計画であったのか見てみたいと思います。

 

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DF50型電気式機関車

第2次5カ年計画とは以下のような内容でした。

 (1) 東海道線広軌鉄道を増設すること。【東海道新幹線の建設、当時は単に新幹線と呼ばれていました。)
 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手する。
 (3) 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化する。
 (4) 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入する。
 (5) 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良する。

  第2次5箇年計画は,38年度でその第3年目を終了したが,39年度計画を含めた進ちよく状況を、当時の運輸白書から見たいと思います。

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運輸白書昭和38年から引用 進捗状況

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運輸白書昭和38年から引用 線路増設

結局これらの計画は、昭和39年には、前述のように昭和39年度で一度打ち切られ、昭和40年から長期再建計画に入っていくのでした。
なお、新5カ年計画では約3万人の要員を生み出すことで、新幹線要員への充当、時短などに振り向けられることとされていましたが、全体では合理化による解雇などはありませんでした。

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昭和31年の時刻表から 東海道本線山陽本線も非電化区間が残っていた頃の時刻表

 

組合による協定が合理化を阻む要因を生むことに

これらの合理化闘争に向けて、適正要員配置と言うことで多少の反発はあったものの、組合では昭和33年から、近代化実施に当たって、組合と当局の完全一致を求めるものであり、国労も同じような協約を締結したが、動労にしてみれば機関区統合に伴う要因および拠点の変化は大きな問題といえましょう。


しかし、合理化の進展で、機関区の統廃合などが現実問題として上がってきたことから、動労は昭和34年10月ダイヤ改正に向けて、基本的了解事項の実施に関する覚書」を締結、これにより合理化計画の段階で組合に情報を提供すると言う譲歩を行ってしまい、その後の合理化などで遅れた遠因を作ったと言えましょう。

国労も同様に、昭和35年に、「設備または作業の機械化、自動化、近代化および合理化に伴う事前協議に関する協定」と言うもので、動労同様、計画段階の内容を事前に組合に計画段階で説明を行うことが求めました。

その後のに実施される第2次5カ年計画では、国鉄では本格的な合理化に伴う人員削減を打ち出してきたことで組合は硬化することとなりますが、計画の概要は以下のような内容になります。

> この64年度をもって、第2次5ヵ年計画は打ち切られ。第3次長期計画(実際は65年度から68年度の4年間)、ついで国鉄財政再建10ヵ年計画(69年度から78年度)が実施に移された。

> 内容は、
>  ① 安全対策(ATS取付、自動信号区間を全線の60%に)
>  ② 通勤輸送対策(線路増設、駅拡張)
>  ③ 幹線輸送力増強(線路増設、山陽新幹線建設)
>  ④ ほかに、電化・ディーゼル化、車両増強などを目的とし、多面的な「合理化」計画が打ち出された。

 ということで、特に安全対策に力が入れられましたというのが、昭和37年・38年と立て続けに起こった重大事故【三河島事故鶴見事故】で国鉄の安全対策、通勤輸送の改善などが更に強く求められていたことがありました、しかし、こうした公共事業に対して、本来は国がしかるべき措置を取るべきであったのですが、国鉄の独立採算制の手前、国からの積極的な援助は行われず、借入金で賄ったことがその後の国鉄財政を悪化させていく原因と作ったと言えましょう。

なお、合理化の点についてはまた別に機会にアップさせていただきます。

第五節 国鉄経営・財政問題と国鉄労働組合の闘い

 

参考

鉄道車両の耐用年数の一覧

減価償却・耐用年数表/車両及び運搬具から引用

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***********************************以下、国労の記事から********************************************

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├○ 1 国鉄財政の悪化と財政再建「合理化計画」   │
└─────────────────────────┘

 東京オリンピックの年の64(昭和39)年10月、東海道新幹線東京~新大阪間が開業した。この64年度をもって、第2次5ヵ年計画は打ち切られ。第3次長期計画(実際は65年度から68年度の4年間)、ついで国鉄財政再建10ヵ年計画(69年度から78年度)が実施に移された。国鉄財政は、東海道新幹線が開業した64年度に、単年度で初めて赤字に転落した。この赤字は次年度以降も続き、累積赤字は増大する一方であった。その要因は、(一)輸送機関別シェアの変化による国鉄収入の伸び悩み
(二)64年度に減価償却制度を変更したことによる経費増、(三)独立採算制のもとで、政府からの資金援助がなく、のちの計画で、僅かな助成金が支出されたが、それでは不十分なこと、(四)第二次五ヵ年計画で、世界銀行からの初の借入金による資金調達が行われたが、以後の長期計画では投資資金の借入が当然となり、元金・利子負担が累積して財政を圧迫した。(五)しかも、投資計画規模は、新計画の都度、拡大する一方であり、幹線投資の増大が赤字を生むという構造的な赤字であった。
 第三次長期計画以降、ビルド型の投資計画だけでなく、ローカル線、不採算路線の切り捨てといったスクラップ型の計画も進行した。第三次長期計画の特徴は、(一)上記のスクラップ型計画も繰り込まれたこと。(二)通勤・安全対策もある程度考慮に入れられたこと。(三)営業・事務関係の「合理化」が加わったこと、(三)第二次計画では、まだ付随的であった要員削減が、いわゆる五万人合理化として、前面に躍り出た。第三次長期計画は、前期(65年度から68年度)と後期(69年度から71年度)からなる7ヵ年計画であり、総額2兆9,720億円の投資規模であった。

内容は、
 ① 安全対策(ATS取付、自動信号区間を全線の60%に)
 ② 通勤輸送対策(線路増設、駅拡張)
 ③ 幹線輸送力増強(線路増設、山陽新幹線建設)
 ④ ほかに、電化・ディーゼル化、車両増強などを目的とし、多面的な「合理化」計画が打ち出された。
 その後、66年には検修作業体制の近代化案が打ち出され、67年には「5万人合理化案」が打ち出された。
 後者については、当局は「5万人という数字を公表したことはない」としていた。事実、「合理化」項目を羅列した資料を示し、「第3次長期計画の前期計画が終了する時点までに実施する」と説明した。国労は、これまでの要員「合理化」の実績を考慮し、その案から「合理化見込み人員」を試算した。それが、「5万人合理化案」と呼ばれていた。

二 「合理化」反対を中心とする国鉄労働組合のたたかい

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├○ 2国労の「合理化」反対闘争と反「合理化」闘争指導指針│
└────────────────────────────┘

 第三次長期計画での「合理化」の進展は急速であった。5万人「合理化」攻勢、EL・DLの助士廃止、人減らしを伴う小口貨物輸送の合理化、車掌の乗組基準の改編、電務などの無人化計画などがつぎつぎと当局から提案された。65(昭和40)年8月の第26回定期大会(岡山)は、この「合理化」攻勢に対する基本方針を決定したし大会であった。大会の書記長集約は、「合理化に対しては人間が物に支配されるのではなく、人間を尊重せよという立場で抵抗闘争を組む」として、地方の盛り上がる力、国民の諸要求との正しい結合、産業別の共闘の場としての交運共闘などを重視する考え方を示した。
 第二次五ヵ年計画から第3次長期計画へ移行する最中、国労では闘争の基調をどこにおいて反「合理化」闘争を指導するか、新しい「指導方針」の作成が急がれた。従来の反「合理化」闘争は、61年作成の「合理化指導闘争要綱」によっていた。新「指導方針」は、66年7月の第27回大会(小松市)で意見が集約され、交渉部でまとめた。同指針は、「合理化の形態が機械化を柱にした全系統にわたる省力化へとすすむ」なかで、それを発展させ、新たな「技術革新や社会構造の変革に即応するに必要な対策を樹立し、労働組合として当面可能な到達目標を明らかにする必要がある」との考え方によるものであった。