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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 22-2

ATS【自動列車制御装置】について補足

みなさまこんばんは、長らく放置状態になってしまい申し訳ありません。
今回は、第2次5カ年計画のうち、安全対策(ATS取付、自動信号区間を全線の60%に)、特にATSに関して少し解説を加えさせていただこうと思います。

老朽化した施設の取替えが優先された昭和20年代

国鉄では、戦時中に酷使した老朽化施設や車両に加え、戦中戦後の粗製乱造による不良車両の一掃を目指して整備が行われており、こうした安全対策は後手後手に回る傾向がありました。

実際、D52型蒸気機関車【製造当初は粗製乱造の代名詞のような機関車で】は実際に何度かボイラー爆発事故を起こしており、乗務員の死者も出ていたりしました。

ボイラ破裂で機関車転落 10/19
 醒ケ井駅構内で、D52形蒸気機関車のボイラーが爆発、機関車は近くの川に転落、この事故で乗務員2名が即死、一人も後に死亡の事故

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所)

またレールも老朽化し早急に取り替える必要があるものの肝心の石炭がないので鉄も作れずということで悪循環を繰り返していたそんな時代でした。

国鉄が導入したATSは、厳密にはATSと言えない?

当時は国鉄運輸省の監督下にあったとはいえ、独自の基準により運輸省の検査を受けない【運輸省鉄道省)の現業部門が分離したと言う意識があり、特に陸上輸送の70%以上を国鉄が占めていた時代があったことから、国鉄の方が運輸省よりも上位に位置するといった意識がありました。
同様の傾向は、郵政省と電電公社にもありました。

元々車内警報機と言う装置を改良したもので、注意信号や赤信号を通過しようとした場合ブザー音で警告を鳴らすだけと言う代物に、赤色信号を冒進使用とした場合に非常ブレーキをかける様に改造したものでした。

そうした簡易な中途半端な装置をATSとしたことでその後も国鉄時代は衝突事故を起こしたりしています。

さて、ATSについては、少し技術的内容はwikipediaから引用します。

国鉄・JRのATS

B形(軌道電流形)・S形(地上子形)

いずれの方式も、ATS設置以前に使われていた車内警報装置に、5秒以内に確認操作をしなければ非常ブレーキがかかる機能を追加したものが元となっている。

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B形は主に国電区間で用いられた方式で、商用周波数を利用した送電電流を2本の線路の間に流して軌道電流として用いる。B形は制御点に列車が到達したことを接近リレーで検知して、通常は流れ続けている軌道電流を一定時秒停電することにより、「停止信号接近」の情報が地上から車上へ伝達される。

S形は国電区間以外の線区で用いられた方式で、線路の線間に設置された「地上子」と、車両に設置された「車上子」の組み合わせによって構成されている。S形は「変周式」であり、車上の発振周波数が(車上子コイルを通じて)地上子の共振周波数に引き上げられることにより、「停止信号接近」の情報が地上から車上へ伝達される。国鉄が試験を行っていたC形の改良型だが機能の面での違いはなく、真空管を使った回路からトランジスタを使った回路に改良されている。

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S形の場合、地上信号の停止現示に対応するロング地上子 (130kHzを発振する) を通過すると運転台において警告音(ベル)が鳴り、そこで運転士が5秒以内にブレーキをかけて(重なり位置にして)、確認ボタンを押すとチャイム(いわゆる「キンコン音」、一部の車両は電子音のタイプもある)に変わる(実際にはチャイム音はベル音とともに鳴り始める。ATS-S型の電源投入時やATCからATS-S型に切り替える時にもベル音とチャイム音が鳴動する)。

引用終了

 さて、話を再度昭和40年に戻しますが、国鉄が第2次5カ年計画のうち、安全対策としてATSを取り付けることが計画され実際に昭和41年には全線に設置を終えましたが、これは三河島事故を受けての整備でした、しかし、上述のように、厳密にはATSと言える代物ではありませんでした。

戦前には速度照査式のATSが実験までされていたことを考えると大幅な後退と言えましょう。

1941年(昭和16年) : 山陽線網干駅列車衝突事故。この事故をきっかけに東海道・山陽・鹿児島線で連続コード速度照査式ATSの設置工事を開始したが、受信機が爆撃を受け全損したため頓挫する。また、戦後すぐに関門トンネルを挟む幡生駅 - 門司駅間9.8kmを部分完成させ、車上装置を4両に搭載し試験を開始したが占領軍命令で中止となった。

wikipediaから引用

その後は前述のとおり老朽施設の改廃などに時間と費用を捻出したこともあり、そうした安全装備が疎かになったと言えそうです。実際、こうした安全と言うのはどこまで行けば完全に大丈夫と言うものではありませんので、どこでリスクを取るかですよね。

 

さてその辺は本題からはずれするのでこのくらいにしておきましょう。

 

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