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国鉄労働組合史詳細解説 24

みなさまこんにちは、今日もしばしお付き合いくださいませ。
本日は、36条協定についてのお話になります。

皆様は、36条協定を知っていますよね?
超勤を1時間以上、もしくは休日出勤等を行わせる場合には必要な契約となっていますよね。

労働基準法第36条(時間外及び休日の労働)というのが正式な法律名で

 労働基準法第36条(時間外及び休日の労働)抜粋しますと。

 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間又は前条の休日に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。
 ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、1日について2時間を超えてはならない。

 私も郵政のいた頃は超勤発令を行うこととされており、発令は4時間前だったかまでに行わないと超勤を発令できないといったルールが有りましたが、郵政局では逆にそうした超勤発令がなくてほとんどサービス残業状態でした。

話が国鉄話題から外れますのでこのへんにしておきましょう。

基本的には、1時間でも超勤すれば、もしくは休日出勤をさせようと思えば36条協定を結ぶ必要がありますが、下記の場合は法内超勤ということで問題にはなりません。

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 締結単位を現業機関にするという口頭勧告が出され、労使も合意したが、現 場長にまでおろすかどうかでは、労使は真っ向から対立した。65年に東京地本は再度申請したが、調停は不調に終わり、66年6月、国労と東京地本は仲裁申 請に踏み切った。

 この辺は、その後のマル生運動失敗の頃からこの現場協議が悪化して組合による職場管理が横行する時代となるのですがそのへんは後に出てくると思われますのでここではさらっと流しておきましょう。

 法内超勤の強要である。就業規則に定める勤務時間・休日数が労基法、同施行規則の基準より上回っていたが、労基 法・同施行規則に定める制限内の所定外労働時間を、三六協定の有無にかかわらず、労働者の同意もなく、所属長権限で強要した。

 そこで、国労は法内超勤であっても「労働者の同意もなく、所属長権限で強要した。」と書かれておりこの辺は、正直私の感覚では首を傾げてしまいます。
いわば、効率化とかではなく、以下に労働者の働く時間を削減するかという考え方であり、これでは効率が悪かろうと思うのですが、これが当たり前の時代であったと言えましょう。

「三六協定事業場単位締結問題が決着したのは、66年7月の第27回定期大会の2ヵ月後であったが、東京地本が先導的役割を果たした。東京地本はすでに 64(昭和39)年3月、東京地方調停委員会に調停申請を行っていた。この時は、締結単位を現業機関にするという口頭勧告が出され、労使も合意したが、現 場長にまでおろすかどうかでは、労使は真っ向から対立した。65年に東京地本は再度申請したが、調停は不調に終わり、66年6月、国労と東京地本は仲裁申 請に踏み切った。同年7月、仲裁委員長のあっせん案が提示された。

この方式は、国鉄以外にも郵政でも採用されていて、地本と当局で合意した内容はそのまま現場に降ろされて、現場単位で管理職との間で締結するというもので、国労が導入した方式を郵政が真似をしたのか否かはわかりませんが、同様な36条協定が郵政で行われていました。
当時は、非常に不効率なことをしていると憤慨したものです。

① 国労東京地本と東京鉄道管理局幹に、従来の36協定の内容に相当する内容の基本協定を締結する。これに則って、鉄道管理局本局・駅・車掌区等の現業機関ごと現場長とこれに対応する職員局代表間に36協定を締結する。
② それは、36協定の内容を変更しないものとする。
③ 基本協定が成立したときは、地方本部は傘下職員代表にすみやかに現場での36協定を締結させる。
④ 時間外及び休日労働は当該事業所のみに発生した業務であって、他の事業場に関連のない場合にかぎる。

 

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******************************以下国労の資料になります*******************
┌───────────────────┐
├○ 36協定事業場単位締結のたたかい   │
└───────────────────┘

 1965(昭和40)年10月の第71回中央委員会は、職場交渉権確立の手がかりとして36協定の事業場締結各地るの方針を決定した。さらに、66年7 月、国労第27回定期大会(小松市)では、これまでの「三六協定事業場締結」を中心とする職場の取り組みの総括を行い、今後の闘争目標として、「職場団交 権の確立」と「三六協定の事業場単位締結」を掲げた。それまで国鉄では三六協定は鉄道管理局単位で行われていた。だが新潟闘争を契機に新国労が誕生し、国 鉄当局は、都合の良い方法、①鉄道管理局単位での三六協定を締結し、②新国労が多い事業場では、そこでも三六協定を締結するというやり方を採用し、時間外 労働をめぐり職場に混乱が生じていた。第27回大会では、「三六協定の事業場単位締結」のため、「三六協定破棄のたたかい」と「第三者機関の場を活用した たたかい」などを決定した。この時期、職場での主要問題は、「合理化」遂行化での勤務、労働条件であった。慢性化する時間外労働、業務命令の乱発、所属長 による一方的な勤務変更などをどう規制するか。要員の必要量をいかにハッキリさせるか。それを現場で追求するにはどうすべきかなどが課題であった。そのな かで、国労が選択したのが「三六協定破棄のたたかい」であった。それは、分会や班の機能を高め、「三六協定の事業場ごとの締結」を実現し、「職場の問題は 職場で取り上げ、職場で交渉し、職場で解決する」運動の開始を意味した。
 国労に対し、(国鉄同がなされた。?)第三に。法内超勤の強要である。就業規則に定める勤務時間・休日数が労基法、同施行規則の基準より上回っていたが、労基 法・同施行規則に定める制限内の所定外労働時間を、三六協定の有無にかかわらず、労働者の同意もなく、所属長権限で強要した。第五に、内達一号による特殊 な特殊な勤務形態の押し付けと実働評価の問題である。内達一号によれば、労働時間、拘束時間の内訳に沿って、実乗務を基本とした実働評価の業務命令が発せ られたことになり、それが賃金・手当にリンクする点に最大の問題があった。
こうして労使間の主張は真っ向から対立した。
「三六協定事業場単位締結問題が決着したのは、66年7月の第27回定期大会の2ヵ月後であったが、東京地本が先導的役割を果たした。東京地本はすでに 64(昭和39)年3月、東京地方調停委員会に調停申請を行っていた。この時は、締結単位を現業機関にするという口頭勧告が出され、労使も合意したが、現 場長にまでおろすかどうかでは、労使は真っ向から対立した。65年に東京地本は再度申請したが、調停は不調に終わり、66年6月、国労と東京地本は仲裁申 請に踏み切った。同年7月、仲裁委員長のあっせん案が提示された。
 
① 国労東京地本と東京鉄道管理局幹に、従来の36協定の内容に相当する内容の基本協定を締結する。これに則って、鉄道管理局本局・駅・車掌区等の現業機関ごと現場長とこれに対応する職員局代表間に36協定を締結する。
 ② それは、36協定の内容を変更しないものとする。
 ③ 基本協定が成立したときは、地方本部は傘下職員代表にすみやかに現場での36協定を締結させる。
 ④ 時間外及び休日労働は当該事業所のみに発生した業務であって、他の事業場に関連のない場合にかぎる。

 このあっせん案には、事前に労使双方に打診があり、あっせん案自体に注が付いていた。
すぐれて政治的で、しかも変則的な解決方法であったが、労使双方の合意を得るには効果的であった。
 このあっせん案に沿い、同年9月東京鉄道管理局と東京地本の間で基本協定、付属協定が締結され、それに基づく運用協定が各事業場で締結された。その後同 様な方法で、同種の協定が全国的に締結された。その後、同様な方法で、同種の協定が全国的に締結され、36協定の事業場単位での締結が実施されるように なった。

続く