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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 33

 マル生運動と国鉄労働組合

 

本日も、国労の資料を底本として労働運動について考えてみたいと思います。

国鉄の一つのターニングポイントは、スト権ストですが、実際には国民のためと銘打って行ってきたストライキも結局は国民に見放されていたのは国鉄そのものではなくて国労動労であったと言う落ちが付くのですが、そうした国労の一時的な天下のような時代を、まねく原因を作った事件が生産性運動でした。

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磯崎叡氏は、石田禮介総裁に代わって第6代国鉄総裁として、国鉄生え抜きとしてトップに君臨することとなります。
国鉄生え抜きのキャリアで、石田総裁の元副総裁として勤めた後石田総裁の推挙もあって総裁に就任したと言われています。

1970年から日本生産性本部と協力の下、国鉄職員の意識改革などを目的とした、生産性向上運動(マル生運動)を開始したのですが、現場サイドでは行き過ぎた管理職による勧誘(いわゆる引き抜きなど)があったとして、国労が問題提起することとなり。
結果的に、これが、出世をえさにした組合脱退強要の行為等の行為があったとなったことから、磯崎総裁が関係者の処罰を含めて対処すると言わざるを得なくなりました。

衆-社会労働委員会-6号 昭和46年10月11日 から引用

○有馬委員 ただいまのお答えでちょっとはっきりしないところがございますが、第二点の、組合側がこの救済措置にも要求してありますように、不当労働行為を行なった末端の管理者、これに対する懲戒処分をどういうふうに考えておるかという点でございますが、この点、私がちょっと聞きそこなったのかもしれませんが、もう一度はっきりお答え願いたいと思います。

○磯崎説明員 不当労働行為を行ないました末端の管理者につきましては、ただいまお示しの公労委の命令にも出ておりますとおり、いろいろな考え方があると存じます。私はその点をもうしばらく慎重に考えまして、そのケースごとに適切な総合的な措置をとってまいりたいというふうに思っております。

 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/066/0200/06610110200006.pdf

有馬委員・・・有馬元治 - Wikipedia

 

財政再建10ヵ年計画」が指摘した国鉄労働者の「労働者生産性向上の課題」は、国鉄財政再建の不可欠な課題であり、同時に再建「合理化」策の推進の阻 害要因を徹底的に排除する目的で実施された。それが「マル生」運動であり、排除の対象とされたのは、これに真っ向から反対していた国労動労であったと言えましょう。

大原社会問題研究所 労働年鑑に国労の運動方針が出ていました

国労の運動方針として、1968年7月第29回定期全国大会を開き、「運動の基調」として「職場に労働運動を」のスローガンを再び確認し、活動の目標として「賃金引上げ」「安全輸送の確保と国鉄経営民主化」「ストライキ権奪還・権利確立」「社会保障の拡充と労働者福祉の拡大等を掲げ、「合理化反対のたたかい」として下記の7項目を掲げることとした。

①週40時間週休2日制の獲得
②業務量と時間短縮に見合要員の獲得、組合案による事前協議決定。器勤務に関する協約、要員配置基準、総合労働協約の締結
③不明
④5万人「合理化」業務の民間委託、業務機関の廃止・統合など、人減らし「合理化反対」
⑤赤字閑散区の廃止反対
⑥民主的な養成制度の確立
⑦退職年齢60歳の制度化

大原社会問題研究所 昭和45年労働年鑑320Pから抜粋

 国労としては、国鉄生え抜きで石田禮介総裁の下、副総裁として働いていた、磯崎氏に対してはあまり良い印象を持っていなかったのか、総裁による全国行脚を批判的な記述で綴っています。

すなわち、国労としては、「組合案による事前協議決定。器勤務に関する協約、要員配置基準、総合労働協約の締結」と言った運動方針から対立するものであったからだと推測されます。

就任の挨拶で、新総裁は、「国鉄再建10ヵ年計画」のレールの上を、「40数万の職員が、がっちりとスクラムを組んで21世紀に向かってば く進することが、国鉄の進むべき道だと所感を述べ、直ちに抜本的措置を実施していった。一つは、現場長という新機軸の全国行脚であり、増収意欲、再建意欲 を現場長に浸透させ、現場管理体制の強化を意図した。第二に功労章制度を創設し、組合の同意なしに、当局の一方的な判断で表彰しうるものとして労務管理の 強化を図った。

 国労にしてみれば、目の上のたん瘤であったマル生と能力開発課

職員局を改編し、「職員管理室」と「能力開発課」を設置した。すなわち、職員管理の面に着目し(職員管理室)また、総合的な人材育 成への発展を図ることを目的とした「能力開発課」の新設であった。前者は、国労動労組合員一人一人に対する「職員としてのモラールの向上」をもたらすた めの管理を、後者はそのベースをなす思想教育を目指した。この二つは、「マル生」運動推進の中枢部となる重要な部署であった。

 マル生運動が昇進の道具に・・・。

 

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生産性本部の文章は、生と書かれた赤いスタンプが押してあったので、通称マル生運動と呼ばれました。

現場長試験や助役等任用試験など管理職登用試験問題として出題されたことが、結果的にマル生運動に参加することが昇進するための早道、そのうち一部の助役等により、組合を脱退させてマル生運動に協力している鉄労に加入させることが重要であると解釈した職員などがいたことから、これを国労が不当労働行為ではないかということで、公労委に提訴したことで状況は変わっていくのですが、マル生教育自体は間違ったものではなく、「俺がやられねば誰がやる」の合言葉で積極的な増収運動や挨拶運動など一定の成果をもたらしていました。
歴史にIFはありませんが、不当労働行為など無いとして、公労協の答申を突っぱねていたなら、国鉄の民営化、そして今に至る総合交通に関する問題などは生じなかったのではないでしょうか。

ちょっと、飛躍しすぎましたが。(^-^;

「マル生」教科書の内容が、現場長試験や助役等任用試験など管理職登用試験問題として出題されたので、登用試験がじかに思 想・差別支配に直結した。助役・現場長等への登用試験には、第一次が筆記試験、第二次が面接試験とされていたので、この両試験をクリアーするため、「〇〇 試験研究会」が盛況となり、それも「マル生」教育の場となった。

生産性運動本部の見解

国労の反対方針に対して、生産性運動本部は、その正当性を訴えていましたが、マスコミ対策を十分に行った国労が勝利をおさめ、最後は磯崎総裁が組合に陳謝すると言う形で収束、マル生運動が国鉄を変えうる唯一の道として信じてきた現場の管理職ははしごを外された形となり現場で孤立、それ以降もの言えぬ管理者になってしまったことで職場の荒廃は進むこととなり、設計は保守の省力化と合理化、さらには経済性よりも故障しないという冗長性を持った設計が主流となり、300PSの出力を220PSまで下げて故障の可能性を減らした、キハ40系列や、MG・CPを編成中3台体制にすることで1台故障してもサービスに影響なく運転できるように予備のCPなどを搭載したりという、1年程度は整備しなくとも壊れない車両を作ったと言われています。
結果的には、頑丈すぎて長く使える?車両となりましたけどね。
JR後は、各社エンジンの取替などを行い経済性を重視しているのはすでに見てきたとおりです。

余談ですが、このDMF15HSAと言うエンジンは、12系や14系客車に使われているエンジンと同じ種類のものなんですよね。

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画像はキハ48形 wkikipediaから引用

■「生産性運動を正しく理解せよ」
(昭和46年11月19日 財団法人 日本生産性本部)

生産性運動を正しく理解せよ

昭和46年11月19日
財団法人 日本生産性本部

過般の国鉄における生産性問題に端を発して,最近,生産性本部に対する総評本部の見解が発表された。この一連の経緯を通じて目立つ現象は,生産性運動の正しい理解に欠け,誤解,曲解のうえに運動に対する誹謗と攻撃が行なわれていることであり,一般国民,労使,大衆に及ぼす影響も少なくないと考えられるので,この際,われわれの立場を明らかにして誤解を解きたい。

1.生産性運動の基本的理念は,人間尊重を根底におく福祉社会の建設であり,戦前における人間軽視の合理化運動の類とは全く異質なものである。(別紙の生産性3原則及び5目標参照<省略〉)。

1.生産性運動は,戦後,先進国と発展途上国とを問わず,さらに資本主義国と社会主義国の別なく,世界的に展開されている運動で,イデオロギーや体制を超えた高次の普遍的運動である。文明の進歩は,旧イデオロギーや謂うところの体制論を超克した高福祉社会の実現を指向しており,生産性運動は,この人類的要請に応えんとするものである。

1.本部創設以来16年間,生産性理念に立って,われわれは労働者の経営参加による産業民主化を提唱し,労使協議制の普及強化を図ってきた。幸いにして今日までに,わが国企業の80%は労使協議制を採用し,さらに五指を越える重要産業においては,産業別労使会議を設置するに至った。今日,労働組合の組織系列を超えて,670万余の組織労働者が生産性運動に参加している事実を指摘したい。

1.われわれは政治運動とともに,労働組合運動にはいっさい関与しないことを鉄則としてきた。この方針は今後も堅持する。また生産性運動と,いわゆる不当労働行為は,まったく無縁のものであるのみでなく,逆に不当労働行為を排除することが,われわれの運動の基本的方針である。日本経済はいま,戦後最大の難局に直面している。この試練は,従前の景気変動と異なり,日本経済を,高福祉社会への路線にスイッチする歴史的な契機であることを認識しなければならない。このような国民的課題は,単なる法令の多発や財政金融政策のみによって達成できるものではなく,広く国民の合意と協力,とりわけ産業における労使の協同と政府の重要施策への参加が成功の要件であると考えられる。

この際,労使双方は,旧き思考様式や慣行にとらわれず,この新しい国家的挑戦に立ち向う姿勢をとらなければならない。70年代のわれわれの生産性運動は,まさにこの新路線を歩むものである。

公益財団法人日本生産性本部 綱領・宣言集 生産性運動を正しく理解せよ

 公益財団日本生産性本部の記事から引用

www.jpc-net.jp

  公益財団日本生産性本部 

 参考 生産性運動3原則

 日本生産性本部は、1955年(昭和30年)3月、「生産性向上対策に関する閣議決定」に基づき設立されました。 生産性運動の推進にあたって、運動の基本的な考え方として、以下の「生産性運動3原則」を設定しました。

①雇用の維持拡大
②労使の協力と協議
③成果の公正な分配

 この3原則は、当時の時代背景として、生産性運動の推進には労使の協力が不可欠との強い気持ちが反映されたものです。

 

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******************************以下は、国労の資料になります。***********************************

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第6節 国鉄マル生運動の展開と国鉄労働組合のマル生
   粉砕闘争

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 1 国鉄「マル生」運動の展開
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├○ 磯崎新総裁の就任と新たな「職員管理 │
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 「財政再建10ヵ年計画」が指摘した国鉄労働者の「労働者生産性向上の課題」は、国鉄財政再建の不可欠な課題であり、同時に再建「合理化」策の推進の阻 害要因を徹底的に排除する目的で実施された。それが「マル生」運動であり、排除の対象とされたのは、これに真っ向から反対していた国労動労であった。
 69(昭和44)年5月、石田禮助に代わって、磯崎叡総 裁が誕生した。就任の挨拶で、新総裁は、「国鉄再建10ヵ年計画」のレールの上を、「40数万の職員が、がっちりとスクラムを組んで21世紀に向かってば く進することが、国鉄の進むべき道だと所感を述べ、直ちに抜本的措置を実施していった。一つは、現場長という新機軸の全国行脚であり、増収意欲、再建意欲 を現場長に浸透させ、現場管理体制の強化を意図した。第二に功労章制度を創設し、組合の同意なしに、当局の一方的な判断で表彰しうるものとして労務管理の 強化を図った。第三に、職員局を改編し、「職員管理室」と「能力開発課」を設置した。すなわち、職員管理の面に着目し(職員管理室)また、総合的な人材育 成への発展を図ることを目的とした「能力開発課」の新設であった。前者は、国労動労組合員一人一人に対する「職員としてのモラールの向上」をもたらすた めの管理を、後者はそのベースをなす思想教育を目指した。この二つは、「マル生」運動推進の中枢部となる重要な部署であった。
 
┌─────────────────────┐
├○ 「マル生」教育と企業内教育機関の活用 │
└─────────────────────┘
 
 国鉄当局は。「マル生」教育を全国的統一的に行うため、部内で多くの教科書をつくり、70年の秋頃には全国の職場に行き渡った。それらを集約したのが、 日本生産性本部の『国鉄と生産性運動』であった。それは、生産性運動の原則と具体的方法を述べ、当然、生産性向上運動に反対する組合を批判し、「階級的闘 争主義は、本来労働組合運動とは関係のない陰惨な無意味な闘争」であり、そうした「組合の主張は説得力を持たない」と述べていた。
 国鉄当局は、「マル生」教育の場として、第一に、国鉄の企業内教育制度を活用した。職員管理規程、職場内教育基準規程、教育機関教育基準規程、教育関係 庶務基準規程などの諸規定に基づく、中央鉄道学園を初め、各地に存在する鉄道学園委託教育制度、通信教育、職場内教育などである。第二に、それ以外の教育 制度で、これには「能力開発課」が加わり、正規教育、転換教育、再教育の三つのコースが新設され、本来の技術教育、職業訓練に代わり、「マル生」教育が みっちり仕込まれた。第三に、「マル生」教科書の内容が、現場長試験や助役等任用試験など管理職登用試験問題として出題されたので、登用試験がじかに思 想・差別支配に直結した。助役・現場長等への登用試験には、第一次が筆記試験、第二次が面接試験とされていたので、この両試験をクリアーするため、「〇〇 試験研究会」が盛況となり、それも「マル生」教育の場となった。

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