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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 42

 

長らく更新できませんでしたが久々に更新させていただきます。

今回は、マスコミによる国鉄タルミキャンーペーンについて語らせていただきます。

時間がありましたら昭和53年のことも機会を改めて記述させていただきます。

ただ、昭和52年頃はマル生運動の余波もあってか勤務変更を迫った管理者の意向を無視して電車を運休させたとか・・・こうしたことが平然と行われていた時代であったともいえましょう。

当時の国鉄を見るうえでのエピソードとして見ていただければ幸いです。

マスコミによる国鉄タルミキャンペーンとその反論

そんな中、国労が行った、「77年8月の第39回定期大会(新潟市)」の春闘総括で、「仕事の上でのタルミ事故や職場の労働者モラルの確立」という点について語ってみたいと思います。

国労は、76年の後半以降、マスコミによる異常な「国鉄職員のタルミ論」の一大キャンペーンを行ったとされていますが実際はどうだったのでしょうか。

私もすべての事故等を網羅できているわけではないのですが、調べた範囲をこちらでアップさせていただきます。

決して少なくない、国鉄職員による事故など

特に明記なき場合は幣サイト、国鉄があった時代1976年・77年編を参照

http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_51.html

http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_51_5.html

http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_52.html

http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_52_5.html

1976年

  • 2月24日
    鹿児島県川内市で列車運行中の機関士が、貨物列車の通過までの待ち時間を使い、パンを買いに行ったところ、ブレーキが甘かったのか列車が動き出した。機関士が慌てて戻ろうとしたらダンプカーにはねられ命を落とした。国鉄の規定では、基本的に機関士は列車から離れてはいけないことになっている。引用 適当な調査: 国鉄時代の不祥事の事例
  • 5月2日 普通電車停車駅通過

    23時20分ごろ、上野発土浦行普通電車(勝田電車区)12両編成が佐貫駅を通過、牛久駅で停車。佐貫駅で降車予定の34人は、牛久から駅長手配のタクシーで目的地へ。佐貫駅ホームに乗客の姿が見えないので運転士は通過列車と錯覚。

  • 5月14日 普通電車停車駅通過

    15時56分ごろ、京浜東北線西日暮里駅で大宮発大船行普通電卓(蒲田電車区)10両編成が約80mオーバーランして停車したが、西日暮里~日暮星間は短小区間で信号保安のため戻れず、次の日暮里まで運転。5、6人の乗客で混乱はなかった

  • 5月31日 車掌腹痛で特急のドア開かず、乗り越し。

    21時22分ごろ、鹿島神宮発東京行総武線上り特急「あやめ4号」が綿糸町駅到着のさい、車掌が腹痛を起こし、ドア不開のまま発車・同駅での降車客15人は東京駅から逆送。運転士のパイロット確認漏れと重なる事故

    f:id:whitecat_kat:20160507130726j:plain

  • 6月15日  運転士と駅員が喧嘩
    東京都青梅市で運転士が走行中の列車を止めてから降りて、ポイント清掃中の駅員と喧嘩をした。運転士は線路から離れるのが遅かった駅員に窓から注意をしたが、それに駅員が反論して喧嘩になった。
    引用 適当な調査: 国鉄時代の不祥事の事例
  • 7月6日 遅刻を理由に助役つるし上げ、乗客迷惑

    東京駅で検修担当の助役が遅刻、8時半の点呼が出来ずなかったことで、検査掛の職員が仕事を始めず、「ひかり67号」の出発が1時間11分遅れ。
     なお、実際には担当助役より20分前に指導権を持つ別の助役が到着しており、約1時間にわたってつるし上げしていたことも後に発覚

  • 7月9日 新幹線無人走行
    三島駅で「こだま」の電車運転士が、故障していたドアを点検中にドアが閉まってしまい、無人のまま発車約13キロ走った。
    さらに、この話当初は、運転士が腹痛で代理の運転士が運転したとされていたが、10月16日になって内部告発などからうそが発覚したと言うお粗末

    f:id:whitecat_kat:20160507130524j:plain

  • 列車到着前にドア開放 10/21

    常磐線上野駅手前で電車のドアを開放。(詳細調査中)

  •  普通列車が駅通過 10/30

    紀勢本線阿漕駅普通列車が止まらずに通過 (詳細調査中)

  •  車掌乗せずに発車 11/7

    函館本線滝川駅で車掌が乗らぬうちに発車 (詳細調査中)

  •  運転士が勤務忘れ 11/9

    総武線西船橋駅で運転士の勤務忘れ(詳細調査中)

  •  外房線御宿駅で特急列車がオーバーラン 11/17(詳細調査中)

  • 旅客電車があわや衝突 11/30

    中央本線国分寺駅構内で信号無視の普通電車が、側線停車中の貨物列車にニアミス。

  •  車掌不在のまま発車 12/1

    東北本線小牛田駅で車掌不在のまま発車 (詳細調査中)

  •  車掌勤務忘れ 12/1

    日田彦山線後藤寺駅で車掌の勤務忘れ (詳細調査中)

1977年
  • 走行中の〈こだま〉のドア開く 1/21

    21:46頃最終広島行き〈こだま442号〉が博多~小倉間のトンネル付近を走行中、突然ドアが開いて急停車。発車すると、また開き、徐行運転で小倉へ入り運転を打ちきった。車両修理時の配線ミスが原因

  • 助役勤務中に飲酒して電車止る
    身延線の国母駅で勤務中の助役が信号の切り替えを忘れ、電車が止まった。助役は勤務中に酒を飲み寝ていた
    引用 適当な調査: 国鉄時代の不祥事の事例
  • 〈こだま〉がお家の事情で運休 5/25

    新大阪6時06分発の博多ゆき〈こだま〉の初列車391Aと、折返し博多9時44分発392Aが、運転士のやりくりがつかず運休。休みが多かったとか、勤務制の変更を乗務員が断わったとか、お粗末な理由が原因

  • 回送車の非常ドア開き急行にあたる 6/8

    16:30ごろ品川客車区から東京駅へ回送中の「みずほ」の非常ドアが開き、すれ違った下り「東海4号」にぶつかるという事故があった。死傷者なし、原因ほ検査員の非常ドアのしめ忘れ

 

全てを網羅しているわけではないので何とも言えないのですが、これだけの不祥事があればタルミ事故とは、言い切れないと気がするのです。

国労の言い分は、以下のようになっています。

「マスコミは、国鉄の事故などが、あたかも主に職員のタルミ に起因し、国鉄の赤字もまた、国鉄職員の”怠け”に原因があるかのような報道を連日行った。もちろん、”タルミ”や”怠け”が全くなかったとは言えない し、また、いくら注意を払っても、誤りは、ナマ身の人間である以上、避けられない。問題は予期しない事態が起きても、必要な要因と設備で捕らえる体制が整 備されているかどうかである。だが現実は、「合理化」の名による人べらしと手抜き作業化、安全性を無視したスピードアップが押しつけれた。こうした現実と は無関係に、国鉄労働者の「タルミ論」が展開されていたことに、意図的な異常さがあった。」

ただ、前回も書きましたが当時は本当にこうした国鉄による事故等が、毎日のようにどこかで起こっていたのです。

最近では、JR東海の社員が電子たばこを吸っていたとして、新聞に載っていましたが喫煙類似行為となるのでしょうか、

私はタバコを吸わないのでこの辺の感覚が理解できないのですが・・・。

ただ、上記のような内容で見る限りは、国労の主張する

「「合理化」の名による人べらしと手抜き作業化、安全性を無視したスピードアップが押しつけれた。」ばかりでは、無いような気がするのは、私だけでしょうか。

 

******************************以下は、国労の本文になります。******************************

 

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第8節 国鉄民主化要求闘争

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 1 春闘の低迷と「管理春闘」の強まりに抗して
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┌───────────────┐
├○ 職場の労働者モラルの確立 │
└───────────────┘

 国労は、77年8月の第39回定期大会(新潟市)でも春闘総括を行った。そのなかで、「相対的には3連敗に歯止めをかけた」としたが、民間準拠方式への反省、制度闘争の不十分さの反省や、別に交運共闘のもつ特別な意義などのほか、「仕事の上でのタルミ事故や職場の労働者モラルの確立」を強調して目を引いた。
 この背景には、76年の後半以降、マスコミの異常な「国鉄職員のタルミ論」の一大キャンペーンが背景にあった。マスコミは、国鉄の事故などが、あたかも主に職員のタルミに起因し、国鉄の赤字もまた、国鉄職員の”怠け”に原因があるかのような報道を連日行った。もちろん、”タルミ”や”怠け”が全くなかったとは言えないし、また、いくら注意を払っても、誤りは、ナマ身の人間である以上、避けられない。問題は予期しない事態が起きても、必要な要因と設備で捕らえる体制が整備されているかどうかである。だが現実は、「合理化」の名による人べらしと手抜き作業化、安全性を無視したスピードアップが押しつけれた。こうした現実とは無関係に、国鉄労働者の「タルミ論」が展開されていたことに、意図的な異常さがあった。
 この大会は。「国民の国鉄」を目指す民主的規制を決めた大会であったが、77年春闘の総括を踏まえて、「職場における労働者の自主規律の確立」を打ち出した。すなわち、「働き、要求し、たたかう」作風の確立を打ち出した。それは、マスコミの「タルミ論」への批判を意識していたが、同時に一定の自省の念も含まれていた。

┌────────────┐
├○ 春闘再構築への努力 │
└────────────┘

 1978(昭和53)年春闘は、重化学産業部門で構造的不況業種が続出し厳しい春闘なった。賃上げ要求基準は、前年をさらに下回った。同盟・JC、新産別が定昇込み12%の要求基準を決め、総評も含め労働4団体の賃上げ要求がほぼそろった。国労は、2月の第121回拡大中央委員会で、3万2000円、18.4%の賃上げ要求基準を決めた。額は前年と同じ、率では1.4ポイント下がった。闘い方では、前年に続き、地域春闘を重視した。事実、国労は、3月29日、30日、地域ストを実施した。
 これは、国鉄当局が、1月30日、(貨物大「合理化」の一環として、前年夏の提案(276駅廃止)以来、さらに79年度、80年度に貨物取扱駅の廃止提案(290駅)を行ったことに依っていた。4月に入り、地域での時限ストがさらに他の地方に広げられた。18日と19日には、2日間のストを行い、全幹線がマヒ状態となった。
 4月25日午後、私鉄は8800円、5.53%で妥結し、ストを中止したが、財界、政府の介入が例年になく目立った。これは、鉄鋼回答を乗り越えて春闘相場形成の主軸になろうとする私鉄への不当な政治圧力であった。25日は、全交運と公労協の集中決戦ストとなった。公労委の調停は難航し、調停委員長が示されたのは、26日の深夜11時となった。内容は、2.2%プラス1,500円、国鉄では9,000円、5.16%であった。
 国労は、78年7月の第40回定期大会(高知市)で、「78年国民春闘は労働者側の『敗北』といわざるをえない」と総括を行った。ただ,地域春闘については,積極的評価を行った。また、78年春闘が、”鉄冷え春闘”と評されるほど抑えこまれ。とくに私鉄春闘への政治的介入が目立った経過を踏まえ、国労は改めて、春闘再構築の先頭に立つ決意を固めた。
 79年は、景気回復は業種によってバラつき雇用情勢も悪かった。国労は、2月の第124回拡大中央委員会で、2万2000円(9.6%プラス1,200円)の賃上げ要求を決めた。また、3月6日には、運輸審議会国鉄地方交通線問題小委員会が出した「ローカル線5000キロ分離」などの報告に反対して闘った。4月11日、JCへの賃上げ回答(鉄鋼8,600円、5.02%)が出されたが、私鉄、公労協への交渉、調停は難航した。25日、電電公社を除く2公社5現業への調停委員長見解は、平均2.35%プラス1800円(定昇込み平均9,641円、5.63%)、国鉄は、平均6,027円、3.35%(定昇込み平均9,804円、5.45%であった。私鉄は,このあと公労協に見合う9,700円、5.63%という新回答が出され、ストを収拾した。例年と比べ、公労委が先行し、私鉄があとに回った。それだけ、政府筋などの私鉄への圧力が強かった。7月の第41回定期大会(鹿児島市)で,国労はとくに私鉄との共闘を高く評価した。ただ、(ア)JC主導型の賃金抑制が復活したこと、(イ)「産別自決」が「単産自決」にかわり、業種間、企業間格差が拡大したこと、(ウ)産別志向と統一闘争の混迷、(エ)労戦統一への思惑から、労働4団体や組合相互間の結束が弱いことが春闘結果に反映し、80年代春闘の多難さを示唆する春闘であった。

続く