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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 58

 

 

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国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃

国鉄職員憎しのマスコミのキャンペーンに対して、国鉄職員を擁護する運動も当然のことながら出てくるわけで、下記のような「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】や、「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】などが開催された、こののち昭和58年以降は、各労組との交流もあり国鉄分割民営化反対の運動は大きくなっていきました。

国鉄労働者がすべて悪いわけではないと言うことで、労働組合の一部により、82年7月8日、”国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃する取り組みの一つとして、「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】など、国労批判キャンペーンに対する対抗行動が起こされた他、また翌83年1月12日には、関西在住の国鉄問題を考える学者・法律家・文化人【黒田了一大阪府知事など46人)の呼びかけで「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】が開かれ、臨調の本質と国鉄問題、国鉄危機打開の道、国鉄の労使関係、国鉄の労組にもの申す、経営形態論、労働実態などについて討論が行われた。

政府側も着々と足元を固めることに

 「時期を同じくして三塚委員会は、82年3月2日付で国鉄労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。」とされています。

その13日後3月15日に名古屋駅構内で、機関士が飲酒運転で列車に接近、約20㎞/hの速度で衝突して、機関車並びに客車を大破、機関士はその場で現行犯逮捕される事故が発生、当直助役も勤務前に飲酒の実態を把握できなかったのかと思うのですが、こうしたことは国鉄職員が悪くないと言っても、中々素直に受け入れられないかと思います。

なお、「アンケートの回答内容は、①管理者の休暇消化状況、②下位職代務、③現場の状況、④悪慣行、ヤミ手当、⑤突発休、⑥りぼん、ワッペンの着用状況、⑦業務命令、時季変更権の行使、⑧管理者の一般作業対応、金銭供与、⑨組合の人事介入、昇給管理についての組合への事前相談等について25項目にわたり、系統区分別【営業、運転、施設、電気】および職場別に実施された。」

その後も、何度か職場総点検という形で実施されてと記録されています。

現場実態の把握で、管理業務が大幅に改善することに

昭和57年(1982)3月2日付で国鉄労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。この職場総点検をきっかけに、あらゆる実情が見えてきました。

その辺を国鉄監査報告書昭和57年版から

昭和57年度の「国鉄監査報告書」には下記のように書かれています。

少し長いので要約してアップさせていただきます。

第4 職員管理

職場管理国鉄の職場規律の乱れが次々と指摘され昭和57年3月運輸大臣の指示により全職場の総点検を実施した結果、多くの職場において、 いわゆる悪慣行、ヤミ協定、 現場協議制の運用の乱れなどが存在していることが判明

是正状況を厳しく 自己点検し是正の促進と定着化を図り、 さらに昭和58年3月に第3次の総点検を実施

いわゆるヤミ手当をはじめ、 給料日の早退、 管理者の金銭的負担等が解消、 いわゆる悪慣行、ヤミ協定等かなりの項目についても大勢として改善の方向にが認められた。

また、 新しい現場協議委員会制度に関する協約については未締結の組合もあ るが、 昭和57年12月以降の現場における業務運営は、ごく一部を除き、大きな混乱も なく行われているこ とが把握された。


しかしながら、リボン・ワッペンの着用、現場での36協定の遅れ調印等若干の項目について、 是正の遅れているものや前回より後退しているものが ある。

ただ、 是正された項目についても定着化が不十分だったり、時間内入浴については逐次減っ てきたが、 門司、東京等一部に反発がみ られたことなど、 職場規樟の乱れは十分に払拭された とは言い難い状況にある。

 個々に書かれているように3次にわたる職場総点検により、ヤミ休暇などの撲滅等が図られて行き、労使関係が本来の形に戻りつつあるといえましょう。

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国有鉄道昭和57年8月号から引用

 

だお3次総点検結果について述べた記事によりますと、概ね改善されたとはいえ、リボン・ワッペン等がまだまだ残っている実態が報告されています。

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国鉄があった時代 JNR-era

 

 

 *************************以下は、国労の資料になります。**************************

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 一 マスコミの「国鉄問題」キャンペーン│
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 反国鉄労使キャンペーンに抗して

続き

 さらに82年7月8日、”国鉄労働者悪玉キャンペーン”に反撃する取り組みの一つとして、東京新宿区の労働者・市民などにより「国鉄労働者をはげます集い」【四谷公会堂】がもたれるなど、国労批判キャンペーンに対する対抗行動が展開されるようになった。また翌83年1月12日には、関西在住の国鉄問題を考える学者・法律家・文化人【黒田了一大阪府知事など46人)の呼びかけで「国鉄の経営問題を考えるシンポジウム」【大阪市立大学文化交流センター】が開かれ、臨調の本質と国鉄問題、国鉄危機打開の道、国鉄の労使関係、国鉄の労組にもの申す、経営形態論、労働実態などについて討論が行われた。

┌────────────────────┐
├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 一方、自民党は1982【昭和57】年2月5日に濃くてう基本問題調査会の下部機関として「国鉄再建に関する小委員会」(いわゆる三塚委員会)を設置した。ここでは主に国鉄労使関係問題を重点に調査・審議が進められた。折から問題化していた国鉄の職場慣行などについて国鉄当局を追求する場ともなったが、早いベースで検討が重ねられ、3月4日には「中間報告」が、4月16日には後述のごとき「管理経営及び職場規律についての提言」(第1次】が提出された。
 他方、時期を同じくして三塚委員会は、82年3月2日付で国鉄労務監査の重点職場174カ所の全管理者3,257名を対象にした職場実態把握のためのアンケート調査と、それにあわせて現場管理者の「自主的」意見を求めた。アンケートの回答内容は、①管理者の休暇消化状況、②下位職代務、③現場の状況、④悪慣行、ヤミ手当、⑤突発休、⑥りぼん、ワッペンの着用状況、⑦業務命令、時季変更権の行使、⑧管理者の一般作業対応、金銭供与、⑨組合の人事介入、昇給管理についての組合への事前相談等について25項目にわたり、系統区分別【営業、運転、施設、電気】および職場別に実施された。
 さらに3月18日には、国労の職場組織が強い職場とされた甲府駅大月保線区へ現場視察に出かけ、ついで3月25日には小委員会のメンバーだけでなくマスコミ関係者をも同行して新宿保線支区視察を実施した。三塚委員長は、視察の結果「管理権を回復しない限り、いかなる施策も、絵に描いたモチでしかないということがイヤというほどわかった。今こそ、我々は不退転の決意をもって、濃くてうの管理権確立のための諸方策を推進しなければならないと痛感した」と語った。

続く