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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 59

みなさまこんにちは、久々に更新させていただきます。

労使対立を強める当局

国鉄では、昭和57年になると、それまでの労使協調路線から一変、対立する姿勢を見せ始めました。

昭和56年から始まったマスコミによるキャンペーンさらには、名古屋駅での「寝台特急紀伊」衝突事故など世間は国鉄はたるんでいるのではないかという世論を作るのにちょうど良い環境を生み出してしまったといえましょう。

国鉄当局としても現場の職場調査を行う必要が生じ、そこで出てきた回答は、マル生の後遺症とでもいうべきものでしょう。

当局と現場の板挟みだった中間管理職

実際に、マル生の一番の犠牲者は現場の助役など中間管理職でした。

現場からは突き上げられ、当局からは目標必達を言われる。

マル生の時は、助役以下は完全に梯子を外された状況で、これ以後物言わぬ管理者(物言えぬ管理者)が増えていったと言われています。

昇進試験を受ける者が居なくなり、業務遂行能力に問題あるものが助役になることで余計に混乱を招くと言った状況に追い込まれて行きました。

それが、下記の内容に書かれているような内容でした。

民間会社の12分の1しか働いていず・・・この辺は判りませんが、管理のミスを摘発ということはよく行われていたと聞いたことがあります。

また、下位職代行ということで、助役が弁所掃除をしたりしたうえで労使交渉に挑むと言ったことも多々あったと言われています。

現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。

 車両も冗長性を持たせたものが多かった。

また、車両なども冗長性を持たせたものも多く、下記のようにこの時期に製造された車両は性能よりも安定性を求めた時代と言えました。

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特に現在も活躍するキハ40系列などは、DMF15HSA元々300PS程度の高出力エンジンを220PSまで下げて余裕を持たせることで、故障よりも安定性を持たせることとなったため、キハ17よりもトン当たりの出力が約1.4倍であるにも関わらず、パワーウエイトレシオでは約1.2倍弱となっており、結果的に走行性能はキハ17やキハ20と殆ど変わらないものとなっています。

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その辺を「国鉄二つの大罪 国鉄国民会議編 昭和61年刊・第4章 職場を崩壊させた国鉄労使 志摩好達」から引用させていただこうと思います

ただ、当時は現場は大変な苦労をしてたと言われる中で、当時の国労と当局幹部は、下記の通りなれ合いが通っていたと言われており、実際にこの辺はマスコミにたかれることとなりそれが、昭和56年のマスコミによるキャンペーンに繋がるのでした。

つまり労使関係の安定と称し、国労動労国鉄不沈艦意識のうえで談合し、お互いにモタレ合う、これがマル制以降の一貫した当局の姿勢であった。
 だがこの労使間保安定論は、当局、国労の双方の幹部の保身のためのものでしかなかったのである。
 今日まで当局・国労間で数多くの協定、慣行が結ばれ、黙認されたが、その結果の最大の被害者は、真面目に働く職員であり、更には本気で管理責任を果たそうとする現場の管理者であり、そして何よりも利用者であり、納税者である国民であったのである。
 マル生以後の当局は、国会答弁等で「職場は徐々に良くなってきている」とうそぶいてきたが、昭和五十六年末以降のマスコミによるキャンペーンの前に、当局は自らの手で 「職場規律の実態調査」を行うことを余儀なくされ、当時の総裁が驚くほど乱れた実態が明らかになったのであった。

 その後、国鉄当局ではタカ派の太田氏が職員局長となり、組合に対して強圧的な態度で行われたといいます。しかし、大田職員局長自身の方策に関しては、志摩氏は批判しているのですが、下記のような方策を取られたとされています。

こうした”労使関係安定論”の虚構に対し、職場規律問題で一気に経営側の主導権を握ったのが「タカ派」といわれる労政を展開した当時の太田知行職員局長であった。
 吉井・川野体制を強引なまでの政治力によって迫放した太田労政のキャッチフレーズは、旧来の”労使関係の精算”であった。
 確かに、国鉄の諸悪の根源ともなっていたマル生以降の労使関係の原点たる「給対覚書」の破棄、「現協協定」の見直し廃止、合理化事案の締結等々労務施策を次から次へと打ち出してきた太田労政は旧来の権者の労使関係を進めてきた主流の官僚にとっては、まさにタカ派であるとともに、敵であったことは事実である。
 しかし、政府与党、、マスコミ、そして折からの行革方針を審議していた臨調等の大きな支援と期待が重なり、その打った手は大胆なだけでなく、極めて細密な計算によって成り立っていたのであった。
 兼職議員の不承認、国鉄職員のパスの廃止、ブルトレヤミ手当の返還、地方での協定化をやめた新昇給協定等、その施策は、少なくとも表面的には国鉄改革の先頭に立つ気概すら感じられたのであった。

 なお、この話に関してはたんなる権力争いであったという内容もあるので、もう少し詳しく調べてからまた報告させていただこうと思います。

 

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 続き

 先のアンケート調査の集計結果も4月4日発表されたが、そこでは「おまや?(ママ)人民管理状態の中で、数としては少ない管理者が身を挺し必死に国鉄を支えている状態ではあるが、その心身の疲労も極限に達しつつあることが伺われ、一刻も早く援助の手を差し延べなければ内部より発す猛膳の芽は枯れはてる」と表明した。
おして「速やかに職場規律の改善に対する国鉄としての体制を確立せしめ、これら管理者が力を発揮できるようにしてやることが国鉄再建に不可欠である。」と結論づけた。
 また、現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。もはや、現行の慣行は内部の努力では改善できない。現状を赤裸々にさらけ出して世論の力を借りるべきである」といった内容の「意見書」を公表した。
 ついで、4月16日三塚委員会は「管理経営権および確立に関する提言」をまとめ、「国鉄の労使関係の実態は予想を占める荒廃ということに尽きる」との認識を示し、その原因は「生産性向上運動の中止とその事後処理に誤りがあった」こと、および「労働問題の処理すべてに優先するという経営責任者の姿勢にある。」旨強調し、「労使関係是正の方策」について提言した。すなわち、「生産性運動中止以降、管理者の力は著しく弱体化し、組合の主導権のもとヤミ協定、悪貫行が数多く蓄積され、働き度が下がるとともにサービスは低下し、職場の規律もきわめて悪化しており、世間一般の常識的な労使関係から取り残された状態となっている。」とした。

続く