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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

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国鉄労働組合史詳細解説 64

皆さんこんにちは、2週間以上も放置状態になってしまい申し訳ございません。

幾つもblogを運営していますとどうしても得手が良い方は更新頻度が高くなり逆に苦手なものなどは後回しになってしまう傾向があります。

意識して、均等にと思うのですが中々思うように行きません。

困ったものですが、出来る限りの努力はしておりますのでどうかご容赦願います。

実はこの blog以外にもwebサイトの方も更新しておりまして、少しづつではありますが変更を加えております。

ただ、膨大な量の一部でしかないので見た目はほとんど変化していないとお叱りを受けてしまいます。

さて、今回も昭和57年以降の国鉄の動きを国労の資料から読み解いていきたいと思います。

組合と対決姿勢を見せ始めた当局

国鉄では、マスコミによる国鉄キャンペーンが行われ、国会では国鉄問題としてローカル線を含む再建法案が審議され、どちらかと言うと馴れ合い的にきた当局と組合(この場合は国労)との流れは若干異にする動きをするようになりました。

タカ派と呼ばれた太田職員局長

国鉄本社では、太田知行職員局長が人事のトップに立ったことでその流れが変わったようで、今までどちらかと言うと妥協に妥協を重ねてきた人事政策から一転、対決姿勢にも見える姿を示し始めます。

ただ、これも太田職員局長が自分の権力を掌握するためだけのものであったと言う意見もあります。

それは、鉄労の書記長でもあった志摩書記長の証言であります。

国鉄二つの大罪 職場を崩壊させた国鉄労使

から、少し長いですがここで引用したいと思います。

こうした”労使関係安定論”の虚構に対し、職場規律問題で一気に経営側の主導権を握ったのが「タカ派」といわれる労政を展開した当時の太田知行職員局長であった。
 吉井・川野体制を強引なまでの政治力によって迫放した太田労政のキャッチフレーズは、旧来の”労使関係の精算”であった。
 確かに、国鉄の諸悪の根源ともなっていたマル生以降の労使関係の原点たる「給対覚書」の破棄、「現協協定」の見直し廃止、合理化事案の締結等々労務施策を次から次へと打ち出してきた太田労政は旧来の権者の労使関係を進めてきた主流の官僚にとっては、まさにタカ派であるとともに、敵であったことは事実である。
 しかし、政府与党、、マスコミ、そして折からの行革方針を審議していた臨調等の大きな支援と期待が重なり、その打った手は大胆なだけでなく、極めて細密な計算によって成り立っていたのであった。
 兼職議員の不承認、国鉄職員のパスの廃止、ブルトレヤミ手当の返還、地方での協定化をやめた新昇給協定等、その施策は、少なくとも表面的には国鉄改革の先頭に立つ気概すら感じられたのであった。

しかし、その後は太田職員局長はその後の現場の改革していこうという流れに対して反対の動きをしたと書かれているのですが、その辺を明らかにするためにもう少しだけ引用してみましょう。

しかし、それも昭和五十八年の秋までであった。
 翌五十九年に入ると、地方局の労務施策を担当するものから様々の不満、不安の声が聞こえ始めたのであった。
 その典型的なものがリボンワッペン問題である。服務規律違反であるこの国労のリボンワッペンは単に規定違反で処分といったものではなく、現場の職員――組合員がその指導命令系統下で事実上組合(国労)に従うのか、職場秩序を守るのかを訴えるシンボルでもあったのである。
 当然、太田労政の展開によって、職場秩序の回復を期待した現場管理者の一部(まだ多くあった)や、地方局の幹部の一部はワッペン等について議論、調査を行い、本社の指示をあおぐことになったが、これに対し太田は何らの有効な手を打つこともなく、むしろ黙認の方針すら示したのであった。
 職場秩序の回復、職員のヤル気向上のために、最も求められていた信賞必罰についても、新昇給協定に基づいてこれを厳格に実施しようとした管理局に対し、本社が従来通りでいくよう圧カすらかけたことも明らかになったのであった。
 太田にとっては、職場規律の問題は、その権力奪取のための一手段にすぎぬことが明らかであった。
 政府与党、マスコミの支持を受けるためには、失っても自分達が痛くないものは平気で切って捨てた。

当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、国労組織の否認という攻撃が強まってきた。 

ワッペン問題とは?

ここで、簡単にワッペン問題についてお話をさせていただこうと思います。

ここでいうワッペンとは、黄色いビニール地にスローガンなどが書かれたリボンであり、国鉄に限らず郵政でも同様のワッペン闘争なるものが行われれていました。

このワッペンは言ってみれば踏絵のようなもので、ワッペン自体はただのビニールのリボンですが、スローガンが書かれることで、いわば組合としての「示威行動」となるわけで、郵政でも基本的には禁止なのですが実際には郵便局では組合との了解事項として特例的に扱われるということが多かったようです。

ただ、国労としてみれば今までの双方の利益があるとしてきたなれ合い体質が、ここにきて軋み始めたと言えそうです。

下記のようにその現状を反論しています。

7月19日に提案された「現場協議に関する協約」改訂をめぐる労使交渉では、期限を切ってまとめなければ協約を破棄するとの姿勢を崩さず、のちに11月30日にいたって国労との交渉は決裂してこの協約はなくなるが、鉄労、動労、全施労とは当局案で妥結した。これより先、11月10日には57・11ダイヤ改正問題について鉄労、動労、全施労とは国労より先に妥結していたが、このころより他の問題についても最大多数組合の国労との交渉が妥結にいたらなくても、少数労組の鉄労、動労、全施労などが先行妥結し、それを国労に押し付けるという組合対策の傾向がはっきりしてきた。

 

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結果的に、今までは最大労組である国労が妥結しないと前に進まないこと街パン的であったことが、「少数労組が先行妥結し、それを国労に押し付ける」という方向性がより鮮明となり、国労としては守勢に回らざるを得なくなりました。

また、大きな船が小回りが利かず方向をすぐに変えられないように国労と言う巨大組織も、動労が「ブルートレイン乗務旅費手当」の積極的返納などで国鉄当局の動きを敏感に感じて、より積極的に体制に合わせていく柔軟性を持っていたのに対し、国労は未だ国鉄当局が訴訟まで起こさないだろうと思っていた節があります。

結果的には、世論や政府の意向もあり、国鉄当局は今までとは違う動きを見せ始めたのでした。

元々、国鉄と言う組織は電電公社と異なり、組織自体が硬直しているところがあり、極端から極端に走る傾向が強くありました。

国鉄一家主義・・・的な考え方が浸透していたこともその遠因かもしれませんが良くも悪くも、一方方向に舵を切るとそのまま突っ切ってしまう・・・そんな傾向があったようです。

結果的に一番苦労するのは現場であり、その辺の事情が先ほどの鉄労志摩書記長が述べている。

職場秩序の回復、職員のヤル気向上のために、最も求められていた信賞必罰についても、新昇給協定に基づいてこれを厳格に実施しようとした管理局に対し、本社が従来通りでいくよう圧カすらかけたことも明らかになったのであった。」

と言ったところに垣間見られたのではないかと思っております。

当局への批判でも、組合擁護ということでもなく、本当に当時の国鉄はこうした傾向が多々見られたという意味で見ていただければと思います。

ただ、機関士・運転士と言った動力車乗務員のみで構成された動労は、国労のように駅務・検査・動力…と言った多岐にわたる組合と異なりその意思統一は比較的し易かったという側面もあり、「職場が無くなる・・・だからこそ、雇用を守るために必要に応じて当局との協力関係を結ぶ」という変容を受入れられたと言えそうです。

この辺の変節は、スト権ストの失敗の頃から考えていたようであり、昭和57年の減量ダイヤ以降は本格的に減少する職場に対してどのようにすべきかを真剣に考えていたようであり、その辺の柔軟性はあったと言えましょう。

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焦りを見せる国労

太田労政は、志摩委員長の言では、昭和58年中であり昭和59年にはむしろ後退してしまったと書かれていますが、その辺は全て鵜呑みにするのではなく、全体を検証しながら考えていきたいと思いますので深く言及することはここでは行いません。

ただ、国労にしてみれば、当局はそこまでしないであろうと思っていた「ブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起」等は寝耳に水であったのではないでしょうか。

国労としてみれば今まで現場協議制などで得てきた既得権益をすべて否定されるようになったわけですから当然と言えば当然のことでした。

そして、国労が言っているように、

国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ

 7月15日の当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、」国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ緊急11項目(後述)によって「国鉄再建法」を骨抜きにしようとしていること、そして臨調答申・自民党案として32万人体制とか29万人体制とかの「合理化」・「効率化」を求め、それを国鉄当局に押し付け、当局も自主性を放棄してそれに乗っていることなどを特徴的に物語っていた。

以下続きます。

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国鉄があった時代 JNR-era

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 三 「太田労政」の展開とその特徴│
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 いわゆる太田労政の展開

続き

>点検結果について」を運輸大臣に提出した。

こうした当局による職場規律問題の総点検が、自民党三塚委員会の職場視察などの活動と同時並行的にすすめられていたことは、先に見てきたとおりである。
 さて、この間、国鉄本社の大田知行職員局長をはじめとする当局幹部や現場管理者の内部告発自民党やマスコミに流され、また82春闘直前に意図的な職員局の人事異動、首脳陣の更迭が矢継ぎ早に行われた。そして、5月17日の臨調第四部会の報告、6月25日の自民党三塚委員会の「国鉄再建方策」発表、7月15日の当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革」をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ緊急11項目(後述)によって「国鉄再建法」を骨抜きにしようとしていること、そして臨調答申・自民党案として32万人体制とか29万人体制とかの「合理化」・「効率化」を求め、それを国鉄当局に押し付け、当局も自主性を放棄してそれに乗っていることなどを特徴的に物語っていた。
 とくに7月19日に提案された「現場協議に関する協約」改訂をめぐる労使交渉では、期限を切ってまとめなければ協約を破棄するとの姿勢を崩さず、のちに11月30日にいたって国労との交渉は決裂してこの協約はなくなるが、鉄労、動労、全施労とは当局案で妥結した。これより先、11月10日には57・11ダイヤ改正問題について鉄労、動労、全施労とは国労より先に妥結していたが、このころより他の問題についても最大多数組合の国労との交渉が妥結にいたらなくても、少数労組の鉄労、動労、全施労などが先行妥結し、それを国労に押し付けるという組合対策の傾向がはっきりしてきた。

続く