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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 73

みなさま、おはようございます。

 

今回は、国労の労働運動史を底本とせず、昭和57年当時の国鉄当局の動きを大原社会問題研究所の労働年鑑を参照しながら私なりに解説を加えさせていただこうと思います。

はじめに

昭和56年末のブルトレ闇手当問題に端を発するマスコミによる告発キャンペーン、更には、翌年3月の名古屋駅における特急紀伊衝突事件は、機関士が酒に酔って運転していたこともあり、世間から非難を浴びることとなりました。

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そうした、流れの中で出てきた国鉄の抜本的改革を含む臨調答申は、大きく注目されることとなりました。

さらに、こうした背景を受けて国鉄当局も、従前の労使関係、どちらかと言えば融和政策から、対決政策に大幅に舵を切ったと言えます。

それまではどちらかと言うと、現場労働者にしてみれば泡沫の夢から覚めたような、現場管理者にしてみれば悪夢から覚めたような感じだったのではないでしょうか。

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現場協議制の廃止などを実施

現場協議制は、公労委仲裁委員会の勧告(一九六七年一二月)に基づき、一九六八年三月から、職場段階(車掌区・機関区・駅等)における交渉がおこなわれてきました。

これは、現業を抱える職場では現場の問題は現場で解決すべきであるということで、国労が提起し、地方調停委員会での調停作業を経て労使が受諾した結果、締結されたものでした。

 「当該現場の労働条件に関する事項であって、当該現場でなければ解決し難いもの及び当該現場で協議することが適当なものについて協議する」ことを定めたこの協約でしたが、組合とすれば、現場当局の交渉のためのきわめて重要なものであり、組合側からすれば、現場交渉を通じて職場における新たな労使慣行を形成していく格好の場であったわけです。

言ってみれば、職場管理の状況を呈していたわけで、管理職の吊し上げ等も行われ、物言わぬ管理者の誕生や管理者不適な者を管理者にせざるを得ないと言った状況も発生していました。(組合が適職者に対して助役試験を受けさせなかったためと言われています、この手法は郵政でも全逓が行っていました。)その「現場協議制を本来の趣旨にのっとった制度にあらためる」と第二臨調が提言したことを受けて、国鉄当局は一九八二年七月一九日、国労動労など関係組合に協約の改訂を申し入れました。制度の目的を変更する旨を通告し、従来の労働協約は一九八三年一一月三〇日をもって期間満了としその後再締結しないことを明確に通告しました。

  1. 業務の正常なる運営
  2. 正常で平和的な労使関係の維持
  3. 国鉄業務の公共性、特殊性に鑑み、現業機関における労働条件に関して生じた団体的紛争の迅速かつ実情に即した処理、としており、また「協議」は「審議」に変わり、対象事項や回数を限定する

当初は反対の意を示した各組合でしたが、動労、鉄労、全施労はその提案を最終的には受入れましたが、国労・全動労は反対を貫くことになりました。

改定案を受入れた動労、鉄労、全施労、反対した国労・全動労

 この最初のボタンのかけ間違いとでもいいますか、つまずきがその後大きく流れを変えていくことになるのですが、ここでは動労が、今回の改訂方針を受入れたことは注目されます。

これは、1982年のダイヤ改正で、貨物を中心に大幅なダイヤ減量で多くの機関車などが余剰になったことも関係していました。
列車キロが減るということは同時に乗務員の減少を意味するわけですから、乗務員のみで構成されている動労にしてみれば、死活問題で有ったわけで。

多少の不満はあっても、当局に従うべきであると考えたと思われます。

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組合活動の抑制を行ってきた当局

  臨調の基本答申では「違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図る」と提言されており、

これに基づき、当局は、それまではある程度容認してきた、リボン・ワッペン着用にたいしても訓告などの処分を行うようになってきました。

ビラ貼り・立て看板・横断幕の一方的撤去等々組合活動にかかわる権利にたいする介入・干渉が各地で起こったと言われています。

また、時間内入浴などの処分も行われており、職場確立のための緊急アンケートも行われています。

(バッチについては、国鉄時代は処分の対象にしなかったよう見受けられますが、JR東海発足後は組合バッチを付けていた社員に対して処分が発令されています。余談ですが、それ以降国労では、国労バッチの代わりに国労ボールペン(国労のマークがクリップ付近についたもの)や国労ネクタイ(ネクタイのタイの部分が国労のマーク入り)で対抗すると言ったことが行われました。)

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ちなみに、郵政省の場合は、協約でバッチに関しては容認だったようで、全郵政・全逓ともバッチはしていました。

また、俗にいうブルトレ闇手当問題に関しても、動労が組合として立て替える形で返納すると表明したことに対し、国労および全動労の組合員は長年の慣行による職務手当であり返還する義務はないと返納を拒否、その後国鉄当局が返還を求めて提訴する事態となっています。

また、国鉄には地方議員との兼職に関しましては、私もこれからさらに調べていく必要があるのですが、興味深いものを見つけました。

それは、国鉄職員はかっては町村長議員のみ認められていたが、市会議員は認められていないということで、これを改正しようという動きが有ったそうです。

少し長いですが、当時の国会審議録から抜粋させていただきます。

昭和二十九年十二月六日(月曜日)第020回国会 運輸委員会 第2号

 ○委員長(高木正夫君) 速記を初めて。
 それでは国有鉄道法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 先ず発議者大和与一君から提案理由の説明を願います。
○大和与一君 只今議題となりました日本国有鉄道法の一部を改正する法律案につき、提案者を代表いたしまして提案理由を簡単に御説明申上げます。
 現行日本本国有鉄道法におきましては、国有鉄道の職員は、地方公共団体の議会の議員(町村を除く)を兼ねることが禁止されているのでありますが、かかる措置は実情に副い得ないものがあり、且つ憲法によつて保障された公民権である被選挙権を不当に制限している虞れがあると考えられるのであります。
 即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。ちなみに国鉄職員で現在市議会の議員を兼職している著は全国七十七名の多数に上つているのであります。
 なお、最近政府が慫慂している町村の合併が促進されるならばますますその数は増加することが予想されます。
 第二に、国有鉄道の職員が地方議員を兼職した場合業務に及ぼす影響が大であるかのごとく考えられるのでありますが、単に職員ばかりでなく、市議会の議員としてその職務に専従している人は極めて少く、他に勤務を持ち、或いは家事のかたわらその責務を果しているのが通例であろうと思われます。勿論、職員は直接又は間接に旅客、貨物の輸送に従事する重責を担つております。併しながら市町村の行政区域は比校的狭く且つ、交通機関の発達いたしております現状におきましては、何ら業務に支障なく議員たるの責務を果しつつあることは既往の実績が雄弁にこれを物語つているところであります。
 第三に、同じ公共企業体の職員である專売公社の職員には議員兼職に対する何らの制限規定もなく、電信電話公社職員は市議会の議員まで兼職が認められている現在、国鉄職員なるが故に、町村議会の議員のみにとめておくことは、過去の政治的慣習を無視するものであるばかりでなく、一貫性のない極めて不均衡な取扱いであるといわなくてはかりません。かかる問題は法律によつて抑制すべき事柄ではなく、有権者の自由にして民主的な判断に待つべきものであると思考いたします。
 以上の諸点より、国鉄職員に対する職員兼職の制限規定は本法律より削除すべきが当然ではありますが、本問題の今日までの経緯に鑑み、少くとも市議会までは兼職を認むべきが妥当と考え、右のごとく提案いたした次第であります。
 何とぞ慎重御審議の上、速かに可決あらんことをお願いいたします。

上記で審議された議事録の内容ですが、当時は国鉄の職員が積極的に町村議員などをすることは否定されていなかったむしろ、奨励されていたように見受けられます。

なお、兼職議員は、電電公社や、日本専売公社にもありましたが、町村議員に限ると言った制限はなく、市会議員などになっている職員もいるということで国鉄だけが問題視するのはおかしいとして指摘されています。
最終的には国鉄法が改正されて、昭和30年1月には、それに伴う部内規程等も改正され、国鉄にしてみれば地方議員の兼職はごく一般的なことであったようです。

そうした兼職議員にもメスが入ることとなりました。

それまでは、当選後総裁の承認を経て兼職が可能であったのが廃止されました、この件に関して、町議会議員に立候補し当選した国鉄職員が公選法の規定を根拠に失職したものとされたことに対し地位確認の訴えをした事例として、下記に判例が載っていますが。
国鉄の状況を考えれば、当選後失職はやむを得ないものであるとせざるを得ないという判決になっています。

労働基準判例検索-全情報

 活動家に対する免職処分を発令

 この時期は、職場での活動家にたいする免職処分が連続したようで、下記のように多くの組合役員が免職処分を受けています。

  • 甲府駅(分会組織部長、一九八二・八・一五)
  • 帯広駅(分会員二人、一九八二・一二・一三)
  • 福島駅(分会青年部書記長、一九八二・一二・二三)
  • 直方貨車区・気動車区(支部書記長と執行委員、一九八二・一二・二七)
  • 喜多方駅(分会員、一九八二・四・二五)
  • 松山電気支区(支部書記長、一九八三・五・三一)

このように、昭和57年(1982年)以降の国鉄は、労務管理に関しても大きく舵を切ることとなりその根拠として、第二臨調答申を根拠として進めてきたところが有り、それにより国鉄は長い低迷期を経て積極的に旅客サービスなどへと踏み出していくこととなります。
ちょうど、フルムーン旅行などの発売などがまさにこれ以降と重なるように感じます。
次回は、再び国労の資料に基づき解説を加えさせていただきます。