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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 79

国鉄改革との組合の動き様々

昭和57年頃から国労動労の動きには、明確な違いが見えてきました。
特に昭和57年の大幅な減量ダイヤは、動労には衝撃でした。

貨物輸送ダイヤの減便は、同時に機関車の大量余剰に繋がるからです。

駅業務等と異なり、機関車乗務員の場合は列車の削減=乗務員の削減となるため。
乗務員の削減=組合員の減少につながります。

より現実的な選択をした動労に対して、国労は反発を強めることになります。

動労は「改定案は職場闘争を圧殺する意図を持っているとし批判をしながら、結局、「こんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」て、協定締結の道を選択した。この動労の方向には、全施労も同調した。動労と全施労のこうした動向は、先の57・11ダイヤ改正問題の先行妥結にもみられたことであった。

現場協議制の実質的廃止に異を唱える国労

さらに、国労としては鉄労が現場協議制を改定したことについても苦言を呈しています。

国労全逓、いずれも戦後の総評労働運動をけん引してきた組合ですが、この二つにの組合に共通しているのは、既得権益の取得に力を入れていたような気がします。

私は郵政省時代、敢えて全逓に所属したのですが(全逓が権利の全逓という方針であったことから、労働法的視点からどのような組合員がいるのかという興味があったからです。)結果的には郵政局に転勤した後に全郵政に移籍するタイミングを失ったのは私としては痛恨事ですが、こればかりは私の判断ミスですから仕方がありません。

国労も、現場協議制しかり、地方議員の議員兼職しかり全て組合として勝ち取ってきたものであると言う点から踏み出せなかったことが問題であったと思います。

ただ、これは組合に限らず、昨今の大手と言われる大手企業の不祥事にも繋がっている問題だと思われます。

すなわち、既得の権益であったり、仕事のやり方は変えるべきではない・・・そんな誤った考え方がここに来てひずみを生じさせているような気がします。

最後は余談ですが、あながち間違っていないような気がします。

「現協こそ諸悪の根源」と、主張してきた鉄労は、「鉄労との単独妥結も辞さないとする当局の態度は「従来の労使関係を改善しようとするものとして評価できる」として、新協約の締結を歓迎した。

兼職議員廃止に関しても苦言

国労にしてみれば、国鉄が発足してから、ずっと国鉄の兼職議員は続いてきたからという思いがありました。そこで、「地方議員が駅舎、駅前広場、踏切、学校、病院等の改善に一定の役割を果たしてきたが、このことをどのように評価するのか。」という質問を当局にぶつけることになりました。

しかし、こうした質問に対しては当局は答えることはせず、粛々と措置を進めていったようです。
実際に、改選前五三二人いた兼職議員が一四三人に激減、多くは国鉄を退職して議員のみの生活に切替えるなどしたと思われます。

この辺は、政権党であった自民党、政府からの圧力もかなりあったと言われています。
大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第54集 1984年版」を参照しますと、下記に様な記述がみられます。

少し長いですが、引用させていただきます。

兼職議員の禁止

 当局は臨調答申と自由民主党の圧力にそって一九八二年七月突如として国鉄職員の地方議会議員との兼職をいっさい禁止するとの方針を打ち出し、一九八二年一一月一日以降議員に当選した職員についてはいつさい兼職を承認しない措置をとった。右期日以降の市(区)町村議会議員の選挙に立候補を予定した者は、立候補をあきらめるか、当選の際には当局から失職扱いをされるのを覚悟して立候補に踏み切るか、さらにはみずから国鉄を退職するか、深刻な選択を迫られることとなった。

 この議員兼職禁止措置は国鉄労働者の地方議会への進出に大きな打撃を与え、一九八三年四月の統一地方選の改選前五三二人いた兼職議員が一四三人に激減した。

 右議員兼職禁止にたいしては当選議員となった国労動労の組合員から当局の兼職不承認は違法であり、雇用契約上の地位確認を求める訴訟が各地で提起されており、裁判所の判断が注目される。

兼職議員は認めないという裁判所の解釈

実際、雇用契約上の地位確認を求めて提訴していますが、判例として見つけたものでは、原告敗訴で終わっています。
その後、この原告が国鉄清算事業団を相手取って訴訟した方否かは調査不足で追いかけていません。<(_ _)>

少し長いですが、引用させていただきます。

国鉄法二六条二項の改正は、国鉄職員について町村議会議員との兼職を許容しながら市議会議員との兼職を禁止していたそれまでの原則を改めることを目的としたものであり、ただ無条件に兼職を可能とすると国鉄の業務運営上相当でない結果を招来する可能性が考えられるため、総裁の承認を得た者に限って兼職を認めることとしたのである。
 そして、兼職申出に対する承認について、国鉄法の上で、総裁の判断を羈束するような条項は存在しないので、当選人からの兼職申出に対し総裁がこれを承認するか否かは、その自由裁量に委ねられていると解すべきである。もとより、その判断に当たり、労働基準法その他の労働関係法規を尊重し、慎重に検討するのが望ましいことはいうまでもないが、そうだからといって原告主張のように、業務遂行に著しい支障のない限り承認すべきであるとの解釈は、公選法国鉄法の各条文の解釈を逸脱したものといわざるをえない。

判例の要旨としては、国鉄法が改正されたのは、町村議会議員との兼職を許容しながら市議会議員との兼職を禁止していたそれまでの原則を改めることを目的としたものであって、当選人からの兼職申出に対し総裁がこれを承認するか否かは、その自由裁量に委ねられていると解すべきという判断をしています。

再び、日本国有鉄道法の一部を改正する法律 法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)を参照いただきましょう。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)

 日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十六条第二項中「(町村の議会の議員である者を除く。)」を削り、同項に次の但書を加える。

  但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。

2 この法律施行の際、現に市(特別区を含む。)町村の議会の議員である職員については、第二十六条第二項但書の規定による総裁の承認があつたものとみなす。

(運輸・内閣総理大臣署名) 

 総裁に裁量権があるから、兼職を認めないと言う判断ができると判決しています。

故に、「業務遂行に著しい支障のない限り承認すべきであるとの解釈は、公選法国鉄法の各条文の解釈を逸脱したものといわざるをえない。」という結論を導き出しており、当然のことながら国鉄職員としての地位は当選の時点に遡って失職したと看做す判決が下されました。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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続き

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 現場協議制に関する交渉の決裂

続き

 なお、全動労も「職場の交渉権を否定する当局の改定案はのめない」と主張したため交渉は決裂した。
 ところが動労は「改定案は職場闘争を圧殺する意図を持っているとし批判をしながら、結局、「こんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」て、協定締結の道を選択した。この動労の方向には、全施労も同調した。動労と全施労のこうした動向は、先の57・11ダイヤ改正問題の先行妥結にもみられたことであった。
 また、「現協こそ諸悪の根源」と、主張してきた鉄労は、「鉄労との単独妥結も辞さないとする当局の態度は「従来の労使関係を改善しようとするものとして評価できる」として、新協約の締結を歓迎した。
 こうして1968年7月1日に公労委の勧告を受け入れて、国労国鉄当局との間で制度化されて以来、14年間にわたり定着・機能してきた現場協議共訳は、ついに国鉄内組合の足並みが乱れるなかで、国労と全動労については1982年12月1日以降、無協約状態となった。

 兼職議員の禁止を強行

国鉄における兼職議員禁止の方針についても、当局はかねてより組合側に提示していたが、82年9月2日、一方的にその禁止を通告した。その内容は、① 82年10月21日以降あらたにまたは改選により議席を得たものについては承認しない、②10月2日現在議員として在任中にある者については任期満了までの間、国鉄の業務の支障とならないことを前提に引き続き承認する、などとなっていた。
 国労は、すでに8月の第44階定期大会(東京・日比谷大公会堂)において、「兼職議員の現行条件維持」の方針を決めており、当局に現行条件維持の方針を要求してきた。また、82年度の国労議員団総会においても、かかる禁止措置は「政治的な攻撃であり、公民権に対する重大な侵害である。組織内候補と国労組合員はこの攻撃に対決していく決意を固め奮闘しなければならないと決議していた。そして9月10日、大要次のような事項について当局に解明要求を出した。
 
 ① 要因事情や業務の都合等を考え議員活動をするにあたり、「公職」としないで、年休、公休祝日、代休等で処理しても承知しないのか、とすればその理由は。
 ② 全面的に禁止する理由は何か
 ③ 全面禁止は公職選挙法(第10条)、地方自治法(第19条)、労基法(第7条)に違反しないか。
 ④ 日鉄法第26条2項但し書きについての当局見解はどうか。
 ⑤ 地方議員が駅舎、駅前広場、踏切、学校、病院等の改善に一定の役割を果たしてきたが、このことをどのように評価するのか。

続く