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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 82

またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。

今回も、国鉄労働運動史を底本として、解説を加えさせていただきます。

入浴に関する国労の主張と当局の見解

昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677か所、12月の点検では583か所に減少したとはいえ1/3の職場では依然時間内入浴が行われているとして、より強力な方策がとられたようです、これについては国労は、勤務時間内入浴は、既得権益であるとしてその権利を守るべきであると言う主張を行っていました。

 

 

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとった

勤務時間内入浴は、国鉄労働者の権利という主張

 こうした行為に対して、国労は「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生し、賃金カットなどが行われる等の問題を発生させていきました

国労としても、既得権益を主張する組合員との間で、組織を守るためにも、現実路線を取るべきではないかと苦悩したであろうことが伺えます。

それが、山崎俊一企画部長の「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。」という発言につながったと言えそうです。

世論から浮いてしまった国労

国労組合員の思惑と異なり世間は、時間内入浴についてはあまり良い意味合いは持っていなかったようで、新聞からの記事を引用した「昭和58年6月号の国有鉄道」を参照しますと、国労としては、時間内入浴は既得の権利であるからということで、下記に書かれているように、最も味方につけるべき世論を敵に回してしまったと言われても仕方がない行動をとっています。

国労の言い分からすれば、「「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。」ことに対する対抗措置とも言えますが、結果的には自分たちの組織を弱体化させるだけに終始したように思えてなりません。

以下は、本文をキャプチャーしましたので参照願います。

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また、こうした入浴に関する動きとして、国労は新たな戦術として、3月15日から17日まで、入浴に関する順法闘争が行われたのですが、これに関しては、新聞各社が不快の感を示しています。

特に、東京新聞が、「何とも奇妙な順法闘争」という話題で批判していた他、朝日新聞も、「不毛だった順法闘争」として、半ば呆れたと言う論調で書かれています。

こちらも、当時の国有鉄道の記事から引用させていただきます。

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 マスコミすら敵に回してしまった国労

少なくとも、マル生運動の時はマスコミを上手く味方につけた国労は、今度はあろうことかマスコミを全方位的に敵に回した感があると感じるのは私だけでしょうか。

国労としては、現場協議制の実質的な廃止以降の当局の動きに対してただ反発するだけの組織としてしか機能しなくなり、世論を完全に見誤ったと言えるのですが、さらに混迷は続くことになりました。

ただし、国労の組合員からすれば、時間内入浴が禁止されることには不満もあったようで、本部の方針が変わったことに対して不満の意見が述べられています。

この辺は、昭和58年10月国有鉄道 視点論点 「危機意識を根底の論議」と言う記事の中に、国労5組合の全国大会の様子を記録した記事からの引用ですが、そこで国労の代議員からの質問で、入浴(洗身闘争)に対して、本部の指導が不十分で、全国統一闘争を決めていたのに、戦術が変更されたことに対する質問が出ていました。

全文引用させていただきます。

・主な発言内容は,「洗身闘争には本部指導が不十分で、138回中央委員会で全国統一闘争を決めていたのにもかかわらず、そのあとの戦術委員長
会議で変更したのはなぜか」「全民労協路線に結果的に賛成している」「賃金要求は家族と共にナマの要求をぶつけていくべきだ」「57・11の団交拒否は誤りで,ダイヤ改正と労働条件は切り離して闘うことができなかったか」「車両改造の具体的計画で職場の不満が強い」、となっている。
 これに対し,山崎俊一企画部長は「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。この問題は労安法,労基法違反の摘発・
点検闘争を併用した。今後もあくまで要求していく。全民労協の危険性はさらに暴露していく。

ということで、国労の主流派であった山崎委員長はある意味苦しい答弁をせざるを得ない状況に置かれていたようです。

国労と距離を置き始めた動労

更に、元々は国鉄分割民営化には反対であった動労が昭和57年以降態度を軟化させ、国労・全施労・動労・全動労の4組合で国鉄分割民営化反対に共闘を結んでいましたがここに来て、動労と全施労はその歩調を合わせないようにしてきました。

その辺りは、動労の大会での答弁に見ることができます。

再び、動労の全国大会の意様子を、上記文章の中から引用したいと思います。

 国労動労の共闘は中身を割っていかなければならない。門司の例はある意味で挑発だ。未曽有の攻撃に耐え得るための共闘というよりは共倒れ
になってしまう。現実における事実経過,歴史的な過程などをよく考えていくべきだろう。総評三顧問による労研センターは総評新生の目的にかな
わない。

として、国労とは距離を置いていきたいとしたものであり、国鉄当局は9月以降から特に厳しく取り組んできたと言われています。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

続き

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。5月には大鉄局管内において、前年9月期に大阪地本と管理局との「慣行是正」についての交渉の結果、「入浴・洗身時間として最低15分間を確保する。それ以上の時間にわたる慣行の是正については各職場の現場協議で決定する」旨の確認事項があったのを、一方的に無視し類似の措置を強行した。
 こうした措置に対し、国労側は、「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生した、当局は、洗身した者には賃金カット、抗議行動に参加したものには賃金カット、抗議行動に参加した者には戒告、それを指導した組合役員には減給ないし停職の処分を通告した。賃金カットにかけられた組合員だけでも、せんだい・新潟地本のそれと合わせると、延べ人数5,200人を超え、金額は1,500万円余りに及んだ。
 この事態を重く見た社会党共産党、総評、国労は「入浴問題中央調査団」を結成し、83年3月8日と9日、攻撃のもっとも激しい門司、直方、鳥栖3地区の職場(機関区・気動車区・客貨車区・保線区)の実態調査を実施した。他方、門司地本(2月4日)と東京地本(3月22日)はそれぞれ地方調停委員会に入浴問題に関する「団体交渉応諾義務確認」のあっせん申請を行った。
 そんななか、動労は「職員の入浴に関する解明要求」を当局に提出する。(3月24日)などして国労と共闘してきていたが、門司、東京などの職場では、両者の間で意見や行動の違いが表面化する事態が起こった。動労の一部役員・組合員が国労組合員の洗身を妨害したり、あるいは当局に入浴の現認を迫ったり、当局と一緒なって入浴の現認をする。などの行為が明るみになった。すでに、57・11ダイヤ改正問題や現場協議制協約締結問題でいわば先行妥結があったが、入浴慣行問題をめぐる動労のこうした動向は、国労にとってはにわかに理解しがたい行動といわざるをえなかった。

続く