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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 83

本当に久々の更新でございます、本日は、鈴木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。

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鈴木首相の政策の目玉にしたかった臨時行政調査会

鈴木首相誕生の背景は、言葉は悪いが棚ぼた的なものであり、大平首相急逝に伴う自民党内の派閥の軋轢から生まれたと言ってもよく、目玉になる政策などもありませんでした。

最終的には、中曽根内閣が鈴木首相が取り組んだ臨調を受け継ぐ形で、国鉄電電公社の民営化を進めることになったのでした。
第二臨調と言われてますが、実は「第一臨調」と呼ばれるものも有ったのです。

昭和36年に実施された。臨時行政調査会【通称第一次臨調】

昭和36(1961)年~昭和39(1964)年にかけて実施された「臨時行政調査会」がそれで、後に鈴木首相が臨時行政調査会を設置したときに2回目と言うことで、第2次臨時行政調査会と呼ぶようになったそうです。
第一臨調は、紆余曲折がありましたが、昭和39(1964)年9月29日に発表されることになりますが、結果的にはその成果は十分反映されることはありませんでした。

元々非効率な官庁の仕事を合理化して民間並みにと言うのが主な目的でしたが、高度経済成長期でもあり税収の自然増が期待されたことから結果的には答申は出されたものの顧みられることなく忘れ去られていったのです。

第一次臨調の失敗を反省して計画された第二臨調

さて、国労の記事でも出てくる、中曽根内閣ですが、戦後政治の総決算というかけ声とともに、臨時行政調査会を発展させていきました。

 昭和561981)年に発足した臨調は、昭和58(1983)年3月14日に臨調最終答申をうけ、さらに同年5月13日には、国鉄再建監理委員会を発足させることとなりました。
実は第2臨調は、国鉄電電公社などの公社の民営化は進めましたものの、実は省庁の改革には一切行っていませんでした。
これが、国鉄改革を成功させた一つの要素ではないかと言われています。
と言いますのも、ここで面白い論文を見つけたので少し引用させていただこうと思います。

第二臨調は官僚組織に手を加えないことで成功した

中曽根政権の行政改革・教育改革・税制改革の成否を分けたもの
-改革における事務局掌握の重要性-
と言う論文の中で、

「大蔵省は鈴木政権で第二臨調が設立された当初から「抵抗」していたといわれます。その理由は、大蔵省は「予算編成権を横取りされるのではないかという強迫観念にとりつかれていた」からである

と書かれていました、実はこれは第一次臨調の当時、「大蔵省主計局を分離して内閣直属の「予算局」とすることを打ち出したことが、大蔵省の警戒感をまねいたといわれる」と言うことらしいです。
大蔵省の主計局といえば、予算の大元締めであり、私が郵政局にいた頃も経理部の主計課だけは独特の雰囲気がありました。(課長以下エリートという意識が強くて、私も経理部にも所属していましたが明らかに、他部署を見下している感はありました。)
そこで、中曽根首相は臨調に対して大蔵省主計局分離構想は「封印」することで官僚の抵抗を抑えたと言われています。
さらに、中曽根首相は臨調を成功させるために、

「臨調に対して行革対象を限定してほしいとの意向が伝えられ、臨調第四部会は3公社の改革、とくに国鉄改革に焦点を絞っていった」と言われています。

これは、官僚にとってもメリットがありました、自分たちの領域は守られると・・・。
特に運輸省(現在の国土交通省)は積極的に動くことになりました、

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運輸省国鉄の因縁

国鉄は、昭和24年に運輸省から分離した組織であり、当時の運輸省エリートがこぞって国鉄に移籍したといわれていました、実際昭和24年当時は国鉄が実質的な日本の輸送を司っていると言っても過言ではない時代であり、運輸省に対して常に優越意識を持つ独立的組織でした。
実際、運輸省国鉄の制定した規格を追認する形が昭和30年代には続いていました。
その極端な例が、ATS等に見ることが出来ます。
現在のJRで採用されているATS-SX形は元々は国鉄時代の車内警報装置を改良したものであり、ATSとしては不十分なものでした、その後追突事故の多発などを受けてATSが私鉄でも整備されることとなったさいは、運輸省が速度照査式のATSを設置するように通達を出していますが、国鉄はその適用を除外されています。

参考 鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

blackcatk.exblog.jp他にも、国鉄が基準を独自に定めることは多々あり、郵政省もそうでしたが、時には国鉄運輸省電電公社郵政省というイメージがあったことは事実でした。
そうした意味では、運輸省にしてみれば、「運輸省国鉄の間に楔」を打ち込もうとした第二臨調の戦略は、運輸省にしてみれば、協力することが省益にかなう行為であったのです。
参考 中曽根政権の行政改革・教育改革・税制改革の成否を分けたもの
-改革における事務局掌握の重要性-

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180105000416.pdf?id=ART0009238998

 

今回は、国労に関連する記述は直接はありませんが、中曽根臨調が国鉄をターゲットにすることで官僚の協力を取り付けた点を注目していただければと思います。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第1節 国鉄再建監理委員会の発足と「緊急提言」
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二 中曽根内閣による行革路線の推進

┌──────────────────────┐
├○ 臨調=行革路線の展開と中曽根内閣の反動性│
└──────────────────────┘

 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

 1982年(昭和57)年11月、第2臨調=行政改革の”断行”をかかげて発足した中曽根内閣は、あけて、3年3月14日に臨調最終答申をうけ、さらに5月13日に国鉄再建監理委員会を発足させた。
 9月になると、臨調答申にそった関連法案を審議するため臨時国会を招集した。しかし、その会期さなかに東京地裁が、ロッキード事件丸紅ルート判決において、被告人の田中元首相に懲役4年追徴金5億円の判決を行った。野党は直ちに田中角栄議員辞職勧告決議の優先審議と早期解散を主張し、国会は1ヶ月あまり空転したが、衆参両院議長の斡旋もあって11月28日に国会は解散した。この年末総選挙は、当然のことながら政治倫理が主たる争点となり、3月18日に投票の結果は、自民党が126議席を失い単独過半数を割る大敗を喫した。12月17日発足の第2次中曽根内閣は、新自由クラブとの連立内閣となった。
 明けて1984年第2次中曽根内閣は行政改革を再重点施策にすると明言して、電電公社・専売公社の民営化など臨調答申に基づ基礎のごの行革関連法案を国会に提出した。さらに、教育「改革」をもくろんだ臨時教育審議会【臨教審】設置法案、医療費抑制【本人1割負担など】のための健康保険法改正法案なども提出され、それら行革関連法案はほとんど成立した。【電電公社民営化法案は84年12月成立】、翌85年4月1日、電電公社日本電信電話株式会社(NTT)専売公社は日本たばこ産業株式会社(JT)として、それぞれ民間会社としてスタートした。そして7月26日には、国鉄再建監理委員会最終答申「国鉄改革に関する意見」が出された。中曽根首相は、この答申を強引に実行する布石として、国鉄分割・民営化を推進することを期待して任命された仁杉総裁が弱腰を見せると更迭し、杉浦喬也前運輸事務次官国鉄新総裁に任命していた。【6月25日】
 他方、1983年11月、レーガン米大統領が来日して日本市場の開放と、より一層の防衛努力を要請した。これを受けて中曽根内閣は、”強いアメリカ”をとくレーガン大統領との協調を第一にする立場を鮮明にしながら、経済大国に見合う日本の政治・軍事大国化を目指して「国際責任を果たすための防衛力【軍備】増強路線を歩みだした。そのことは、毎年の予算編成における行革下のマイナス・シーリング方針の中で防衛費の伸び率だけが突出したり、防衛費がGDPの1%枠【三木内閣の閣議決定】を突破するのはやむをえないという姿勢に現れていた。そのうえ、靖国神社公式参拝に踏み切る【85年8月】とか、戦時中を思い出させるスパイ防止法案が議員立法の形で衆議院に上程される【同年6月】など、中曽根内閣の反動性はこの時期、さらにあらわになってきた。 

続く

国鉄労働組合史詳細解説 82

またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。

今回も、国鉄労働運動史を底本として、解説を加えさせていただきます。

入浴に関する国労の主張と当局の見解

昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677か所、12月の点検では583か所に減少したとはいえ1/3の職場では依然時間内入浴が行われているとして、より強力な方策がとられたようです、これについては国労は、勤務時間内入浴は、既得権益であるとしてその権利を守るべきであると言う主張を行っていました。

 

 

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとった

勤務時間内入浴は、国鉄労働者の権利という主張

 こうした行為に対して、国労は「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生し、賃金カットなどが行われる等の問題を発生させていきました

国労としても、既得権益を主張する組合員との間で、組織を守るためにも、現実路線を取るべきではないかと苦悩したであろうことが伺えます。

それが、山崎俊一企画部長の「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。」という発言につながったと言えそうです。

世論から浮いてしまった国労

国労組合員の思惑と異なり世間は、時間内入浴についてはあまり良い意味合いは持っていなかったようで、新聞からの記事を引用した「昭和58年6月号の国有鉄道」を参照しますと、国労としては、時間内入浴は既得の権利であるからということで、下記に書かれているように、最も味方につけるべき世論を敵に回してしまったと言われても仕方がない行動をとっています。

国労の言い分からすれば、「「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。」ことに対する対抗措置とも言えますが、結果的には自分たちの組織を弱体化させるだけに終始したように思えてなりません。

以下は、本文をキャプチャーしましたので参照願います。

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また、こうした入浴に関する動きとして、国労は新たな戦術として、3月15日から17日まで、入浴に関する順法闘争が行われたのですが、これに関しては、新聞各社が不快の感を示しています。

特に、東京新聞が、「何とも奇妙な順法闘争」という話題で批判していた他、朝日新聞も、「不毛だった順法闘争」として、半ば呆れたと言う論調で書かれています。

こちらも、当時の国有鉄道の記事から引用させていただきます。

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 マスコミすら敵に回してしまった国労

少なくとも、マル生運動の時はマスコミを上手く味方につけた国労は、今度はあろうことかマスコミを全方位的に敵に回した感があると感じるのは私だけでしょうか。

国労としては、現場協議制の実質的な廃止以降の当局の動きに対してただ反発するだけの組織としてしか機能しなくなり、世論を完全に見誤ったと言えるのですが、さらに混迷は続くことになりました。

ただし、国労の組合員からすれば、時間内入浴が禁止されることには不満もあったようで、本部の方針が変わったことに対して不満の意見が述べられています。

この辺は、昭和58年10月国有鉄道 視点論点 「危機意識を根底の論議」と言う記事の中に、国労5組合の全国大会の様子を記録した記事からの引用ですが、そこで国労の代議員からの質問で、入浴(洗身闘争)に対して、本部の指導が不十分で、全国統一闘争を決めていたのに、戦術が変更されたことに対する質問が出ていました。

全文引用させていただきます。

・主な発言内容は,「洗身闘争には本部指導が不十分で、138回中央委員会で全国統一闘争を決めていたのにもかかわらず、そのあとの戦術委員長
会議で変更したのはなぜか」「全民労協路線に結果的に賛成している」「賃金要求は家族と共にナマの要求をぶつけていくべきだ」「57・11の団交拒否は誤りで,ダイヤ改正と労働条件は切り離して闘うことができなかったか」「車両改造の具体的計画で職場の不満が強い」、となっている。
 これに対し,山崎俊一企画部長は「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。この問題は労安法,労基法違反の摘発・
点検闘争を併用した。今後もあくまで要求していく。全民労協の危険性はさらに暴露していく。

ということで、国労の主流派であった山崎委員長はある意味苦しい答弁をせざるを得ない状況に置かれていたようです。

国労と距離を置き始めた動労

更に、元々は国鉄分割民営化には反対であった動労が昭和57年以降態度を軟化させ、国労・全施労・動労・全動労の4組合で国鉄分割民営化反対に共闘を結んでいましたがここに来て、動労と全施労はその歩調を合わせないようにしてきました。

その辺りは、動労の大会での答弁に見ることができます。

再び、動労の全国大会の意様子を、上記文章の中から引用したいと思います。

 国労動労の共闘は中身を割っていかなければならない。門司の例はある意味で挑発だ。未曽有の攻撃に耐え得るための共闘というよりは共倒れ
になってしまう。現実における事実経過,歴史的な過程などをよく考えていくべきだろう。総評三顧問による労研センターは総評新生の目的にかな
わない。

として、国労とは距離を置いていきたいとしたものであり、国鉄当局は9月以降から特に厳しく取り組んできたと言われています。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
└───────────────────────┘

 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

続き

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。5月には大鉄局管内において、前年9月期に大阪地本と管理局との「慣行是正」についての交渉の結果、「入浴・洗身時間として最低15分間を確保する。それ以上の時間にわたる慣行の是正については各職場の現場協議で決定する」旨の確認事項があったのを、一方的に無視し類似の措置を強行した。
 こうした措置に対し、国労側は、「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生した、当局は、洗身した者には賃金カット、抗議行動に参加したものには賃金カット、抗議行動に参加した者には戒告、それを指導した組合役員には減給ないし停職の処分を通告した。賃金カットにかけられた組合員だけでも、せんだい・新潟地本のそれと合わせると、延べ人数5,200人を超え、金額は1,500万円余りに及んだ。
 この事態を重く見た社会党共産党、総評、国労は「入浴問題中央調査団」を結成し、83年3月8日と9日、攻撃のもっとも激しい門司、直方、鳥栖3地区の職場(機関区・気動車区・客貨車区・保線区)の実態調査を実施した。他方、門司地本(2月4日)と東京地本(3月22日)はそれぞれ地方調停委員会に入浴問題に関する「団体交渉応諾義務確認」のあっせん申請を行った。
 そんななか、動労は「職員の入浴に関する解明要求」を当局に提出する。(3月24日)などして国労と共闘してきていたが、門司、東京などの職場では、両者の間で意見や行動の違いが表面化する事態が起こった。動労の一部役員・組合員が国労組合員の洗身を妨害したり、あるいは当局に入浴の現認を迫ったり、当局と一緒なって入浴の現認をする。などの行為が明るみになった。すでに、57・11ダイヤ改正問題や現場協議制協約締結問題でいわば先行妥結があったが、入浴慣行問題をめぐる動労のこうした動向は、国労にとってはにわかに理解しがたい行動といわざるをえなかった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 81

本日も、国鉄労働組合運動史から抜粋した内容に解説を加えながらアップさせていただきます。

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法令から見る勤務時間内入浴についての可否について

今回は、昭和57年のブルトレヤミ手当事件を端緒とした、職場規律総点検(特別監査)により、多くの悪慣行が存在したとして、「勤務時間内入浴」が大きくクローズアップされることになりました。

国労の見解とに対する当局の行動とそれに対抗する国労の闘いが描かれています。

この点について何か根拠法令は無いかと探してみたところ、

下記の通り労働安全衛生規則 の中に、勤務時間中に身体や被服を汚染する恐れがある場合と規定しており、鉄道以外の職種では危険物(化学薬品等を扱う職種等が該当します)を扱う職種など該当することがわかりました。
もっとも、入浴設備に限らず、工場内コンビナート等ではすぐに使えるシャワー設備などが該当します。

これに照らしてみると、国鉄の場合は保線区・工場や・機関区等での修繕・整備の従業員が該当すると思われます。

労働安全衛生規則 第七章 清潔(第六百十九条-第六百二十八条)

(洗浄設備等) 第六百二十五条 事業者は、身体又は被服を汚染するおそれのある業務に労働者を従事させるときは、洗眼、洗身若しくはうがいの設備、更衣設備又は洗たくのための設備を設けなければならない。
2 事業者は、前項の設備には、それぞれ必要な用具を備えなければならない。

 ただし、勤務時間内の入浴は基本的には認められないとするのが一般的であり、就業規則等に明示はなくとも社会通念上から判断しても勤務時間と含めないのは妥当という判断をされています。

勤務時間内入浴については裁判でも争われた

なお、実際に勤務時間内入浴に対して、賃金がカットされたことに対して、「国鉄蒲田電車区事件」として裁判が起こされた事例がありますが、昭和59年(ワ)第5507号事件として裁判が起こされますが、昭和63年2月24日に判決が出て原告の申し出は却下されています。

その一部を引用します。

主 文
原告らの各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、それぞれ別紙債権目録(一)及び(二)中の「請求債権額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五九年五月二七日から各完済に至るまで、それぞれ年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨

中略
(三) 本件労使慣行の合理性
(1) 洗身の必要性
原告ら車両検査、検修係員らの担当する交番検査や台車検査等の業務が身体の著しい汚染を伴うものであることは、前記(一)に述べたとおりであり、この様な原告らの身体汚染の実態からすれば、原告らは作業終了後は身体を洗浄しなければ、公衆に触れあるいは交通機関を利用して帰宅することは困難であり、また、身体汚染の洗浄は原告らの衛生保持上も必要不可欠であり、したがつて、原告らが作業終了後に洗身を行うことが必要であることは明白である。至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

上記の裁判では、業務の内容に照らして入浴は妥当であり、労働安全衛生規則から見ても被服等が著しく汚損する職場であると強調しています、しかし裁判の判決では、そうした慣行が。

被告の現業機関である駅、機関区、電車区及び保線区等は、列車の運行に直接関係のある職場であるところから、突発事故等の緊急事態が発生した場合には、早急に措置を求められることがあり、その場合は、関係職員は、直ちに事故の復旧及び列車の運行にかかるそれぞれの担当作業に従事しなければならないから、勤務時間内に洗身入浴することは、右緊急事態に直ちに対応することができないことになり、被告の業務の正常な運営に支障をきたす虞れがある。それゆえ、かかる違法な行為はたとえそれが事実上継続反覆されていたからといつて、慣行として成立する余地はない。

として、仮に過去からの慣行で時間内入浴が認められていたとしても、突発事故の対応が出来ないからそれは慣行と認めないと切り捨てています。

全文は下記をクリックしてください。

国鉄蒲田電車区等職員賃金カット - 昭和59年(ワ)第5507号 - 東京地方裁判所

国鉄当局としてみれば、炭鉱でも終業時間前入浴は認めていないと言うか、勤務時間と看做さないのが一般的ですので、国鉄もそうした例を参考に自民党のバックアップを受けながら職場総点検を行ったと思われます。

国労は入浴禁止に対して拒否行動を指令

国労はこれに対して、過去からの慣例であるとして、昭和57(1982)年9月22日「入浴規制反対闘争を強化」するよう指令を発しますが、これに対して当局は公然と対抗措置を講じてきた。とりわけ、門司、東京(三局)、大阪の各鉄道管理局管内において厳しい措置を一方的に行なってきた。

と書かれていますが、昭和57(1982)年の監査報告書には下記のように書かれています。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

 当局の「職場規律総点検調査」結果(82年4月22日)にもとづいて、いわゆる「悪慣行是正」の措置が一方的に強化されるなか、国労および四組合共闘会議は、従来から国鉄職場において反復・継続され確立されてきた職場貫行について『正すべきは正すと述べてきたが、この年7月29日から第44回定期全国大会(東京・日比谷公会堂)でも、この問題に議論が集中した。。国労はすでに第39回定期全国大会(77年8月新潟)において、自主的規律の確立によって自覚的な団結を固めなければ圧倒的多数の勤労国民に支持されないことは明らかである。職場からの闘いを強めるために、要求と運動が『社会的妥当性』を持つことが必要であり、その内容は『労働者の尊厳と自由民主主義』の見地から、要求が当然であり、多くの労働者と進歩的勢力から理解と支持を得られるものということである。こうした見地に立つのが『正すべきは正す』という方針である。
 第二に、『職場規律を乱すことは悪である』といった自民党当局・マスコミの態度は悪意に満ちている。労使の団体交渉の結果、協定や慣行が成立し、この諸協定や慣行を守ることが”職場規律”である。現場協議で確認してきたものであっても、現場長の”権限と責任"をこえるものは無効であるとして、これを当局が一方的に破棄してきているが、これも地方や各職場で労使が遵守するのは当然のことである。
 さらに、日常の労働組合活動や就業時間内入浴に対する攻撃についても、同大会では『労働条件や労働組合活動などの諸権利は職場を基礎とした闘いによって向上・維持される。しかしそれらの諸権利獲得が一部の地域や職場、職能だけに限定されているのでは十分なものとはいえない。全国の職場を見ると諸権利の獲得状況にアンバランスがある。その点の克服が急務である』との認識を組合員に示した。」

この全国大会五、中央闘争委員会は直面している情勢について「最近起きている職制による横断幕の一方的撤去、リボン、ワッペンに対する過度の干渉、カベ新聞の撤去など日常組合活動に対する介入や入浴時間問題に見られる専制的な労務管理が増大している」と分析し、こうした「当局の労働組合無視、職場の労働組合運動圧殺の攻撃は一層強まるものとみなければならない」として抗議交渉を含めたねばり強い闘いを、あらためて呼びかけた。
 さて、この第44回定期全国大会後まもなくして、勤務時間内の洗身(入浴)慣行に対する攻撃が一段と強められた。
 国労は「勤務時間中(現行の入浴時間)の入浴禁止について業務命令が出された場合は拒否する」、業務命令への抗議として「時間外の抗議交渉」を行い、地方調停委員会の活用を含めて入浴規制反対闘争を強化するよう指令を発した。(82年9月22日)この指令を受けて入浴規制反対の取り組みが全国各地で開始されるや、当局は公然と対抗措置を講じてきた。とりわけ、門司、東京(三局)、大阪の各鉄道管理局管内において厳しい措置を一方的に行なってきた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 80

国鉄当局は「緊急11項目」の一環として「乗車証制度の改正」に着手する動きを見せていたが、82年10月15日に初めてその改定を明らかにし、理由を明示しないまま10月22日をタイムリミットに設定してきた。すでに国労は、当局のこうした動きに対し、臨調答申に屈して改悪すべき制度ではないとの立場から、乗車証制度は職責の重要な雇用・労働条件である点を重視して、「国鉄110年の中で確立された制度であり、就職の際に明示された雇用・労働条件である」こと、それゆえ「労使協議の上意見の一致を見て制度の改正は実施すべきである」こと、また、乗車制度の基本は「精勤乗車証・永年乗車証・家族割引である」こと、などを上げ改悪反対を主張した。動労。全施労・全動労もこれを重要課題と位置づけ、「改悪反対」で意思統一をはかり4組合共闘体制を組織してきた。
 こうした取り組みの中で国労本部、退職者組合、家族会は、45万名にのぼる、改悪反対署名を携えて再三にわたり本社衆参交渉を申し入れたが当局は「集団交渉には応じられない」とする姿勢を取り続けた。その他にも、ハガキ、電報による抗議、現場長・局長に対する抗議交渉などを組織した。

自民党国鉄基本問題調査会の提言

として、下記の15項目が提言されました。
今回は、乗車証に関するお話のため、直接関係ない部分に関しては提言内容は省略させていただきました。

出典・

法政大学大原社研 1981〜1982年国鉄労働者と労働組合にたいする攻撃〔日本労働年鑑 第53集 295〕

 

【提言の要旨】
 一、管理体制の強化

 労務指揮、施設管理等の管理権は殆んど行使されていない現状にある。今、労使関係の是正を考えるとき、原点に立ち返って、業務命令、時季変更権、施設管理権を適正に行使し、従わない者に対しては厳正な勤務認証、現認を行い、賃金カツト・昇給カット・処分などの措置をとることが必要である。

 従来ややもすれば、管理権の行使が列車の運行を阻害することを恐れて組合の不法な要求に屈した例が多いが、このため、多くのヤミ協定を残し、国鉄の存立を脅かす結果となっている。列車の正常運行は長期にわたって確保されるべきものであり、そのためには一時的な混乱を恐れないで筋を通す覚悟が必要である。
 二、現場協議

 現場協議は、国労の職制麻痺闘争の場を提供した結果となり、管理者の大きな負担と業務遂行の障害となっている。現協協定をまずいったん破棄し白紙に戻したうえで、現場における業務遂行上必要な現場長と職員の意思疎通をはかる制度を新たに検討、制定すること。
 三、ヤミ協定、悪慣行

 国鉄の職場には数多くのヤミ協定、悪慣行が存在するが、これらのほとんどは、現場長の責任と権限を超える事項についての確認、または社会常識を著しく逸脱したものであり、集団的な威嚇行動のもとにつくられたものであるから、そもそも無効であり、当局を拘束する力を持っていない。即刻無効であることを宣言し、正規の運用とすること。
 四、処分に関する問題(概要省略)


 五、違法ストに対する刑事罰

 (概要省略)
 六、職員に対する求償権の行使
 (概要省略)
 七、昇給・昇格

 (概要省略)
 八、紛争対策委員会の覚え書等

 (概要省略)
 九、合理化の促進

 (概要省略)
 一〇、配転

 (概要省略)
 一一、採用と採用時教育

 (概要省略)
 一二、便宜供与

 (概要省略)
 一三、兼職議員の禁止

 徹底した要員削減に取組むなかで、国鉄の要員事情もきわめて逼迫した状態にあり兼職議員の承認を与えることは到底許されないことである。緊急の措置として、政府より国鉄総裁に対し兼職議員の承認を与えないよう指示すること。
 一四、乗車制度の見直し
 国鉄のおかれている状況、世間の強い批判にかんがみ、乗車証等については誤解を招くことのないよう厳正に見直す。

 一五、(概要省略)

 また、これを受けて、国鉄は昭和57年7月に

「新形態移行までの間緊急にとるべき措置」

として11項目を明示しました。

これらの方針は、自民党を中心とした与党の国鉄基本問題調査会の提言を受けたものであり、いわゆる後ろ盾を得ての行動であったことが伺えます。

  1.   職場規律の確立を図るため、職場におけるヤミ協定および悪慣行(ヤミ休暇、休憩時間の増付与、労働実態のともなわない手当、ヤミ専従、管理職の下位職代務等)は全面的に是正し、現場協議制度は本来の趣旨にのっとった制度に改める。また、違法行為に対しての厳正な処分、昇給・昇格・昇職・管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図る。

  2.  新規採用を原則として停止する。また、業務運営全般について、私鉄並の生産性をめざすこととし、そのため、作業方式、夜間勤務体制、業務の部外委託、職務分担のあり方等の抜本的な見直しを行い、実労働時間の改善を図るとともに、配置転換を促進し、各現場の要員数を徹底的に合理化する。

  3.   設備投資は、安全確保のための投資を除き原則として停止する。なお、整備新幹線計面は、当面見合わせる。

  4.   貨物営業は、鉄道特牲を発揮できる拠点間直行輸送を中心とし、業務のあり方を抜本的に再検討し、固有経費における収支の均等を図る。

  5.   地方交通線の整理を促進するため、遅延している特定地方交通線対策協議会の単期蘭催を図るとともに、残余の対象路線についても昭和60年度までに結異が得られるよう早急に選定を行う。なお、対策が進まない場含、たとえば特定地方交通線対策協議会開催目の義務付け、協議期間の短縮等の改正を行う。また、上記以外の特定地方交通線を含む地方交通線についても、私鉄への譲渡、第3セクター化、民営化等を積極的に行う。

  6.  分割会社との間係を配慮しつつ、自動車、工場および病院の分割等を推進する。

  7.  永年勤続乗車証、精勤乗車証および家族割引乗車証を廃止する。その他職員にかかわる乗車証については、たとえぱ勤務区間に限定するなど業務上の必要のためのみに使用されるよう改める。また、国鉄以外の者に対して発行されているすべての乗車証についても廃止する。なお、他の交通機関との間に行われている相互無料乗車の慣行を是正する。

  8.  期末手当、業務手当等の抑制について検討する。

  9.  国鉄運賃については、当該地域における私鉄運賃、線区別原価等をも十分配慮して定める。また、安易な運賃改定は行わない。なお、文教政策、社会福祉政策等の観点からの通学定期割引等の運賃の公共負担については、国として所要の措置を講ずる。

  10.  兼職議員については、今後、認めないこととする。

  11.  資産処分の一層の促進を図るとともに、関連事業についても営業料金等の見直しを行う等積極的な増収に努める。

参照 国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所)

兼職議員に禁止と同じく既得権益の廃止となるため、組合としても反対することとなりました。

国労の記録によれば、動労。全施労・全動労もこれを重要課題と位置づけ、「改悪反対」で意思統一をはかり4組合共闘体制を組織してきた。」

と書かれているように、この時点では動労も・全施労何れものちに労使協調宣言して、鉄労と歩調を合わせるのですが、この時点では反対している点は注目すべきだと思います。
ただ、鉄労が反対していないのは積極的にそうした当局の施策を容認したと言うよりも国労が反対しているから、反対しようと言った消極的な意味合いからの反発だと推測されます。(ただし、この辺はあくまで個人的な見解であることをあらかじめお断りしておきます。)

なお、乗車証廃止に対して、国労に限らず、退職者組合、家族会等による45万名にのぼる改悪反対署名を携えて再三にわたり本社衆参交渉を申し入れたが当局は「集団交渉には応じられない」とする姿勢を取り、交渉は最終的に決裂、昭和57年12月1日をもって実施されることになりました。

下記は、国鉄部内雑誌、国有鉄道昭和58年1月号からの抜粋になります。

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引用  交通協力会 電子図書館

なお、本件について当局が団体交渉に応じないことに対しては、国労の記録でも書かれていますが、

国労は翌83(昭和58年)年2月12日、当局の団体交渉応諾義務確認の訴えを東京地裁に提訴し、さらに10月27日には500万円の損害賠償請求を追加した。」

とされています、損害賠償については全額認められることになりますが、乗車証廃止については団体交渉で対応すべきものであり、団体交渉に応じなかった国鉄当局側に非があるが、廃止に基づく損害は認められないと言う立場でした。

なお、国労最高裁まで控訴しますが、東京高裁判決(昭和62・1・27)も地裁判決を維持し、最高裁第三小法廷判決(平成3・4・23)も高裁判決を維持したことで、乗車証を廃止したことに関しては確定しています。

裁判所のホームページから参照した、上記裁判の判決

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全文はこちらを参照。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 条制度の改訂(無料乗車証廃止)と団体交渉拒否

 国鉄当局は「緊急11項目」の一環として「乗車制度の改正」に着手する動きを見せていたが、82年10月15日に初めてその改定を明らかにし、理由を明示しないまま10月22日をタイムリミットに設定してきた。すでに国労は、当局のこうした動きに対し、臨調答申に屈して改悪すべき制度ではないとの立場から、乗車証制度は職責の重要な雇用・労働条件である点を重視して、「国鉄110年の中で確立された制度であり、就職の際に明示された雇用・労働条件である」こと、それゆえ「労使協議の上意見の一致を見て制度の改正は実施すべきである」こと、また、乗車制度の基本は「精勤乗車証・永年乗車証・家族割引である」こと、などを上げ改悪反対を主張した。動労。全施労・全動労もこれを重要課題と位置づけ、「改悪反対」で意思統一をはかり4組合共闘体制を組織してきた。
 こうした取り組みの中で国労本部、退職者組合、家族会は、45万名にのぼる改悪反対署名を携えて再三にわたり本社衆参交渉を申し入れたが当局は「集団交渉には応じられない」とする姿勢を取り続けた。その他にも、ハガキ、電報による抗議、現場長・局長に対する抗議交渉などを組織した。
 制度の改定が提示された直後の10月20日にもたれた対当局交渉において、国労は従来からの主張に合わせ、
 ① 理由を明示しないタイムリミットの設定は認められないこと、
 ② 意見の一致を期すために実施期日を延期すべきであること、などを要求したが当局は「22日がタイムリミットである」こと、乗車証は「労働条件ではなく恩恵的な便宜供与である」こと、制度の廃止は「閣議決定であり、世論の批判を十分受け止める必要がある」こと、などと従来の主張を繰返した。翌21日には常務理事との準トップ会談、つづく22日にも交渉がもたれたが、当局は同様な主張を繰り返す一方、12月1日実施を強行に主張して譲らなかったため交渉は決裂した。
 そうした状況の中で当局は、10月22日、① 無料乗車証については職務乗車証を除き全廃する。② 職務乗車証については全国通用のものは廃止し、職分などに応じて「管理局」通用、「地域ブロック」通用のものなどとする。③ 精勤乗車証、永年勤続乗車証は廃止し、割引制度を設ける。④ 家族割引については発行枚数の縮減を図る(年20枚)、などを内容とする「乗車制度改定」を発表し、82年12月1日、一方的に強行実施した。
 その後も国労は、乗車制度の根幹は維持すべきであり、重大な労働条件の変更であるから団交による問題解決をするよう主張したが、当局は”話し合い”には応じるがこの制度は「団体交渉の対象事項には含まれないとした。そこで国労は翌83年2月12日、当局の団体交渉応諾義務確認の訴えを東京地裁に提訴し、さらに10月27日には500万円の損害賠償請求を追加した。
 提訴から3年後の東京地裁判決(昭和61・2・27は、「労組法第7条の規定は、単に労働委員会にける不当労働行為救済命令を発するための要件を定めたものであるにとどまらず、労働組合と使用者の間でも私法上の効力を有し」、「労働組合が使用者に対して団体交渉を求める法律上の地位を有し、使用者はこれに応ずべき地位にある」から、その侵害に対して公労委に対する「救済申し立て権が発生する」とした。そして、乗車制度が労働条件にかかわり、団交の対象事項にあたるかについては、職務乗車証、精勤乗車証、永年勤続乗車証等の交付と使用の実態、さらに国鉄当局が職員の募集や採用に際して乗車証制度を待遇の一つとしてあげていたことから、「本健常者制度の改廃に関する事項は、公労法第8条4号にいう『労働条件に関する事項』に該当」することは明らかとした。ただし、損害賠償請求については「団体交渉事項であることが確認される」ことにより、「相当程度損害が回復され得るものとみることができる」として否定した。
 この判決について国鉄当局は控訴したが、東京高裁判決(昭和62・1・27)も地裁判決を維持し、最高裁第三小法廷判決(平成3・4・23)も高裁判決を維持した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 79-2

 皆様こんにちは、再び議員兼職の問題について私なりに当時の資料などを調べたところからお話をさせていただこうと思います。

衆議院参議院で意見が分かれた兼職議員問題

地方議員の兼職は、昭和26年6月からですが、当時の議論の経緯を見てみますと、衆議院は町村議員まで認める、参議院は市会議員まで認めるべきという意見で双方で意見が分かれていたようです、原則は町村議会議員までしか認めないが、今回当選した市議会議員については、任期中に限り例外として認めるとしたもので、その後なし崩し的に改正されて、市会議員までは兼職が認められたと言う経緯があります。

なお、この時に県議会議員等に出馬した議員は兼職が認められず、国鉄を退職したものと看做すと明記されています。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律法律第百八十九号(昭二六・六・一)日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

(中略)

附 則

4 第二十六条第二項の改正規定は、この法律施行の際日本国有鉄道の職員であつて、現に都道府県の議会の議員であるものについては、附則第一項の規定にかかわらず、この法律の施行の日から起算して十日間は、適用しない。この場合において、その者がその期間内に議員の職を辞さないときは、その期間を経過した日に日本国有鉄道の職員の職を辞したものとみなす。

参考 幣blog 国鉄労働組合史詳細解説 78 - 日本国有鉄道 労働運動史 参照

 こうした経緯があって誕生した市会議員までの兼職ですが、吹田市などのように国鉄職員の多くが住民であった地域にあっては、国鉄の職員が議員であることは国鉄の立場を代弁してもらうと言った場合に優位に働くこともあり、また無所属で立候補している議員も多かったので、国鉄当局にとってもメリットはあったと思われます。

昭和52年には兼職議員は原則として認めないことを示唆

昭和52年の2月13日に、国鉄総裁は、今後市町村の議員兼職は認めないと言う方向を示しています。少し見にくいのですが左上13日に、「国鉄総裁が「国鉄職員の市町村議員兼職は今後認めない」と語った。」と明記してあります。

少なくとも兼職議員の許認可は総裁の権限である以上、それを認めないと言うことを明言していますので、組合側が既得権益であると言い張っても、国鉄総裁自身の裁量権の範囲であるとこの時期に明言しているのは大きいと思われます。


交通年鑑、昭和52年版参照

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国有鉄道 昭和57年10月号の記事、自民党国鉄再建に関する小委員会の設置について」の記事によりますと、下記のように昭和57年3月9日の記録として、委員からも、議員兼職は不承認ということで、その方向性が決まったように思えます。

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こうしたことを受けて、当局は、経営の危機的状況をあげて、職員は「厳しい状況の認識を深め、職務に専念する」こと、議員兼職の維持・継続は「国鉄の再建意欲について国民に疑惑の念を抱かせ、再建を阻害することになりかねない」として、拒否するのですが、兼職議員に廃止自体は昭和52年に方針が示されていたこともあり、国鉄改革を受けて出てきたものばかりではないことが伺えます。

また、昭和57年5月17日の臨時行政調査会第4部会の報告でも、新形態移行に際して解決すべき諸問題として、

(10)兼職議員の禁止
兼職議員については,今後認めないこととする。

と言った意見や、自民党の小委員会などの委員の意見を等の援護も受けて、「兼職議員を禁止する」旨の総裁通達(666号)が発出されたと言えます。

これに対して、国労は裁判闘争を行いますが、前回書いた通り、総裁の兼職承認は、総裁の裁量権の範囲であり、権利ではないとした判断がなされました。

ただし、JR発足後は市町村議会の兼職が認められている場合もありJR東日本就業規則では、議員の兼職が認められている。(ただし、休暇は無給扱、職員が兼務が難しい場合は任期中は休職扱いが出来るとされており、兼職も可能という条件になっています。

東日本以外のJR各社の就業規則は確認できませんでしたので、JR東日本就業規則をアップさせていただきます。

ただし、就業規則は変更されていることもありますのであくまで参考としてご覧ください。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 兼職議員の禁止を強行

続き

 これに対して当局は、経営の危機的状況をあげて、職員は「厳しい状況の認識を深め、職務に専念する」こと、議員兼職の維持・継続は「国鉄の再建意欲について国民に疑惑の念を抱かせ、再建を阻害することになりかねない』などと応じた。そして突如、82年9月22日に「兼職議員を禁止する」旨の総裁通達(666号)を発する、という強硬措置に出た。その後も労使交渉ではまったく前進せず、国労は原告19人にも及ぶ裁判を提起し、地位保全、損害賠償等を請求した。
 裁判で当局は、日鉄法(日本国有鉄道法)26条2項と公職選挙法103条1項を根拠に、日鉄法26条2項但し書き所定の総裁の兼職承認がない限り、当選告知の日に当事者はその国鉄職員としての地位を失うとの手続き論を主張した。これに対し国労は、日鉄法26条2項による「総裁の不承認」は使用者による労働者の選挙権・被選挙権への重大な宣言であり。これまでは実質的には『届けで制」と同様な運用がなされてきたこと、また「不承認」により当該当選者が国鉄職員の地位を失職することは民間労働者との不合理な差別であり、他の公社職員とも不合理な差別であり(電電公社も専売公社も兼職が認められている。、「不承認制」を採用したことの不当性を強く主張した。しかし、判決では国労の主張は認められなかった。
 なお、JR体制に移行してからは、就業規則31条1項(7)で「公職休職』制度を設け、議員兼職を認めている。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 79

国鉄改革との組合の動き様々

昭和57年頃から国労動労の動きには、明確な違いが見えてきました。
特に昭和57年の大幅な減量ダイヤは、動労には衝撃でした。

貨物輸送ダイヤの減便は、同時に機関車の大量余剰に繋がるからです。

駅業務等と異なり、機関車乗務員の場合は列車の削減=乗務員の削減となるため。
乗務員の削減=組合員の減少につながります。

より現実的な選択をした動労に対して、国労は反発を強めることになります。

動労は「改定案は職場闘争を圧殺する意図を持っているとし批判をしながら、結局、「こんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」て、協定締結の道を選択した。この動労の方向には、全施労も同調した。動労と全施労のこうした動向は、先の57・11ダイヤ改正問題の先行妥結にもみられたことであった。

現場協議制の実質的廃止に異を唱える国労

さらに、国労としては鉄労が現場協議制を改定したことについても苦言を呈しています。

国労全逓、いずれも戦後の総評労働運動をけん引してきた組合ですが、この二つにの組合に共通しているのは、既得権益の取得に力を入れていたような気がします。

私は郵政省時代、敢えて全逓に所属したのですが(全逓が権利の全逓という方針であったことから、労働法的視点からどのような組合員がいるのかという興味があったからです。)結果的には郵政局に転勤した後に全郵政に移籍するタイミングを失ったのは私としては痛恨事ですが、こればかりは私の判断ミスですから仕方がありません。

国労も、現場協議制しかり、地方議員の議員兼職しかり全て組合として勝ち取ってきたものであると言う点から踏み出せなかったことが問題であったと思います。

ただ、これは組合に限らず、昨今の大手と言われる大手企業の不祥事にも繋がっている問題だと思われます。

すなわち、既得の権益であったり、仕事のやり方は変えるべきではない・・・そんな誤った考え方がここに来てひずみを生じさせているような気がします。

最後は余談ですが、あながち間違っていないような気がします。

「現協こそ諸悪の根源」と、主張してきた鉄労は、「鉄労との単独妥結も辞さないとする当局の態度は「従来の労使関係を改善しようとするものとして評価できる」として、新協約の締結を歓迎した。

兼職議員廃止に関しても苦言

国労にしてみれば、国鉄が発足してから、ずっと国鉄の兼職議員は続いてきたからという思いがありました。そこで、「地方議員が駅舎、駅前広場、踏切、学校、病院等の改善に一定の役割を果たしてきたが、このことをどのように評価するのか。」という質問を当局にぶつけることになりました。

しかし、こうした質問に対しては当局は答えることはせず、粛々と措置を進めていったようです。
実際に、改選前五三二人いた兼職議員が一四三人に激減、多くは国鉄を退職して議員のみの生活に切替えるなどしたと思われます。

この辺は、政権党であった自民党、政府からの圧力もかなりあったと言われています。
大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第54集 1984年版」を参照しますと、下記に様な記述がみられます。

少し長いですが、引用させていただきます。

兼職議員の禁止

 当局は臨調答申と自由民主党の圧力にそって一九八二年七月突如として国鉄職員の地方議会議員との兼職をいっさい禁止するとの方針を打ち出し、一九八二年一一月一日以降議員に当選した職員についてはいつさい兼職を承認しない措置をとった。右期日以降の市(区)町村議会議員の選挙に立候補を予定した者は、立候補をあきらめるか、当選の際には当局から失職扱いをされるのを覚悟して立候補に踏み切るか、さらにはみずから国鉄を退職するか、深刻な選択を迫られることとなった。

 この議員兼職禁止措置は国鉄労働者の地方議会への進出に大きな打撃を与え、一九八三年四月の統一地方選の改選前五三二人いた兼職議員が一四三人に激減した。

 右議員兼職禁止にたいしては当選議員となった国労動労の組合員から当局の兼職不承認は違法であり、雇用契約上の地位確認を求める訴訟が各地で提起されており、裁判所の判断が注目される。

兼職議員は認めないという裁判所の解釈

実際、雇用契約上の地位確認を求めて提訴していますが、判例として見つけたものでは、原告敗訴で終わっています。
その後、この原告が国鉄清算事業団を相手取って訴訟した方否かは調査不足で追いかけていません。<(_ _)>

少し長いですが、引用させていただきます。

国鉄法二六条二項の改正は、国鉄職員について町村議会議員との兼職を許容しながら市議会議員との兼職を禁止していたそれまでの原則を改めることを目的としたものであり、ただ無条件に兼職を可能とすると国鉄の業務運営上相当でない結果を招来する可能性が考えられるため、総裁の承認を得た者に限って兼職を認めることとしたのである。
 そして、兼職申出に対する承認について、国鉄法の上で、総裁の判断を羈束するような条項は存在しないので、当選人からの兼職申出に対し総裁がこれを承認するか否かは、その自由裁量に委ねられていると解すべきである。もとより、その判断に当たり、労働基準法その他の労働関係法規を尊重し、慎重に検討するのが望ましいことはいうまでもないが、そうだからといって原告主張のように、業務遂行に著しい支障のない限り承認すべきであるとの解釈は、公選法国鉄法の各条文の解釈を逸脱したものといわざるをえない。

判例の要旨としては、国鉄法が改正されたのは、町村議会議員との兼職を許容しながら市議会議員との兼職を禁止していたそれまでの原則を改めることを目的としたものであって、当選人からの兼職申出に対し総裁がこれを承認するか否かは、その自由裁量に委ねられていると解すべきという判断をしています。

再び、日本国有鉄道法の一部を改正する法律 法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)を参照いただきましょう。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)

 日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十六条第二項中「(町村の議会の議員である者を除く。)」を削り、同項に次の但書を加える。

  但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。

2 この法律施行の際、現に市(特別区を含む。)町村の議会の議員である職員については、第二十六条第二項但書の規定による総裁の承認があつたものとみなす。

(運輸・内閣総理大臣署名) 

 総裁に裁量権があるから、兼職を認めないと言う判断ができると判決しています。

故に、「業務遂行に著しい支障のない限り承認すべきであるとの解釈は、公選法国鉄法の各条文の解釈を逸脱したものといわざるをえない。」という結論を導き出しており、当然のことながら国鉄職員としての地位は当選の時点に遡って失職したと看做す判決が下されました。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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続き

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 現場協議制に関する交渉の決裂

続き

 なお、全動労も「職場の交渉権を否定する当局の改定案はのめない」と主張したため交渉は決裂した。
 ところが動労は「改定案は職場闘争を圧殺する意図を持っているとし批判をしながら、結局、「こんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」て、協定締結の道を選択した。この動労の方向には、全施労も同調した。動労と全施労のこうした動向は、先の57・11ダイヤ改正問題の先行妥結にもみられたことであった。
 また、「現協こそ諸悪の根源」と、主張してきた鉄労は、「鉄労との単独妥結も辞さないとする当局の態度は「従来の労使関係を改善しようとするものとして評価できる」として、新協約の締結を歓迎した。
 こうして1968年7月1日に公労委の勧告を受け入れて、国労国鉄当局との間で制度化されて以来、14年間にわたり定着・機能してきた現場協議共訳は、ついに国鉄内組合の足並みが乱れるなかで、国労と全動労については1982年12月1日以降、無協約状態となった。

 兼職議員の禁止を強行

国鉄における兼職議員禁止の方針についても、当局はかねてより組合側に提示していたが、82年9月2日、一方的にその禁止を通告した。その内容は、① 82年10月21日以降あらたにまたは改選により議席を得たものについては承認しない、②10月2日現在議員として在任中にある者については任期満了までの間、国鉄の業務の支障とならないことを前提に引き続き承認する、などとなっていた。
 国労は、すでに8月の第44階定期大会(東京・日比谷大公会堂)において、「兼職議員の現行条件維持」の方針を決めており、当局に現行条件維持の方針を要求してきた。また、82年度の国労議員団総会においても、かかる禁止措置は「政治的な攻撃であり、公民権に対する重大な侵害である。組織内候補と国労組合員はこの攻撃に対決していく決意を固め奮闘しなければならないと決議していた。そして9月10日、大要次のような事項について当局に解明要求を出した。
 
 ① 要因事情や業務の都合等を考え議員活動をするにあたり、「公職」としないで、年休、公休祝日、代休等で処理しても承知しないのか、とすればその理由は。
 ② 全面的に禁止する理由は何か
 ③ 全面禁止は公職選挙法(第10条)、地方自治法(第19条)、労基法(第7条)に違反しないか。
 ④ 日鉄法第26条2項但し書きについての当局見解はどうか。
 ⑤ 地方議員が駅舎、駅前広場、踏切、学校、病院等の改善に一定の役割を果たしてきたが、このことをどのように評価するのか。

続く

 

国鉄労働組合史詳細解説 78

皆様こんにちは、久々に投稿させていただきます。

本日は、国労の資料から少し離れて、国鉄改革時に禁止となった兼職議員についてその歴史を探ってみたいと思います。

国鉄時代には兼職議員というのは、実はごく一般的な存在でしたがその根拠はどこにあったのでしょうか?

早速ひも解いてみたいと思います。

国鉄職員の兼職が認められたのは昭和26年6月から

その経緯を探ってみますと、元々国鉄では議員の兼職は認められていませんでしたが、昭和26年6月1日の改正 法律第百八十九号で、日本国有鉄道法の一部が改正され、今まで職員の兼職を認めていなかったものが一転、町村議員に限って許可すると法律が改正されます。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第百八十九号(昭二六・六・一)

  日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十一条中「第十二条第二項」を「第十二条第四項」に改める。

第二十六条第二項中「第十二条第二項第三号に該当する者」を「第十二条第四項第三号に該当する者(町村の議会の議員である者を除く。)」に改める。

附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。                  

2 この法律施行の際日本国有鉄道の職員であつて、運輸省設置法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律(昭和二十五年法律第百五十九号)の施行の日(昭和二十五年五月十日)以後に行われた選挙によつて市(特別区を含む。)の議会の議員となり、現にその議員であるものは、第二十六条第二項の改正規定にかかわらず、その任期中は、引き続きその議員であることができる。

3 前項の日以後に行われた地方公共団体の議会の議員の選挙の際日本国有鉄道の職員であつて、当該選挙において当選人となつたものについては、改正前の第二十六条第二項の規定は、その者が当選人であること、議員であること及び日本国有鉄道の職員であることになんらの影響を及ぼすものでない。

4 第二十六条第二項の改正規定は、この法律施行の際日本国有鉄道の職員であつて、現に都道府県の議会の議員であるものについては、附則第一項の規定にかかわらず、この法律の施行の日から起算して十日間は、適用しない。この場合において、その者がその期間内に議員の職を辞さないときは、その期間を経過した日に日本国有鉄道の職員の職を辞したものとみなす。

(内閣総理・運輸大臣署名) 

参考 国鉄があった時代

この改正により、議員の兼職が法的に認められたわけですが、何故町村議員に限って兼職が認められたのでしょうか?

国鉄の兼職議員は、町村議員から?

この頃の世論では、公民権の行使として地方議員に参加するのはごく一般的であると言う考え方から、でているようです。そのあたりは、参議院議員の議事録にそのヒントがありそうです。

少しだけ長いですが、全文引用します。

○大和与一君 只今議題となりました日本国有鉄道法の一部を改正する法律案につき、提案者を代表いたしまして提案理由を簡単に御説明申上げます。
 現行日本本国有鉄道法におきましては、国有鉄道の職員は、地方公共団体の議会の議員(町村を除く)を兼ねることが禁止されているのでありますが、かかる措置は実情に副い得ないものがあり、且つ憲法によつて保障された公民権である被選挙権を不当に制限している虞れがあると考えられるのであります。
 即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。

大和与一氏は、日本社会党(左派)の代議士で昭和28年初当選、参議院議員所属3期18年を務めて引退しているようです。

恐らく、ここで氏が指摘しているように、今以上に公民権の意識が強かったと思われ、国鉄職員であっても地方自治に参加する機会を奪ってはならないと言う趣旨での発言であったと思います。

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当時は町の半分以上が国鉄職員という地域も存在した。

この背景には、当時は自治体としての自律を求められていたことや、国鉄・専売公社。昭和27年からは電電公社などの直接政府に対しての権力関係を持たない職場であれば地方自治に直接議員として参加することは容認されるべきという雰囲気があったのかもしれません。

そこで、昭和26年に改正された日本国有鉄道法ですが、更に昭和29年12月には再び改正され、今まで町村議員のみに限られていた議員の兼職を総裁の許可があれば市町村議員までは兼職を認めると言うことになりました。

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他の公社職員との扱いを是正するために兼職議員を認めろと言う論調

その理由を再び、氏の発言から引用させていただきます。

ざっくり書けば、

  1. 国鉄職員が住民の大半を占める地域もあり(吹田市などはその例)そんな地域で国鉄職員が政治に参加できないのは地方自治の主旨に合致していないし、実際に既に全国で77名の多くの兼職議員が誕生しており今更禁止出来ないでしょ
  2. 議員なんて暇だから専従者はすくなく国鉄職員以外の一般の議員も所詮は兼職しているから、国鉄職員だけ特別扱いにしなくてもいいよね。
  3. 専売公社は、禁止規程自体無いし、後発の電電公社(NTT)も市議会議員まで認めているんだから、国鉄だけが町村議員しか認めないのは極めて不合理だよね。

ということで、書き方は乱暴ですが、そうした趣旨の発言をしており実際にこの改正により、国鉄は再び日本国有鉄道法を改正することになりました。

即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。ちなみに国鉄職員で現在市議会の議員を兼職している著は全国七十七名の多数に上つているのであります。
 なお、最近政府が慫慂している町村の合併が促進されるならばますますその数は増加することが予想されます。

  第二に、国有鉄道の職員が地方議員を兼職した場合業務に及ぼす影響が大であるかのごとく考えられるのでありますが、単に職員ばかりでなく、市議会の議員としてその職務に専従している人は極めて少く、他に勤務を持ち、或いは家事のかたわらその責務を果しているのが通例であろうと思われます。勿論、職員は直接又は間接に旅客、貨物の輸送に従事する重責を担つております。併しながら市町村の行政区域は比校的狭く且つ、交通機関の発達いたしております現状におきましては、何ら業務に支障なく議員たるの責務を果しつつあることは既往の実績が雄弁にこれを物語つているところであります。
 第三に、同じ公共企業体の職員である專売公社の職員には議員兼職に対する何らの制限規定もなく、電信電話公社職員は市議会の議員まで兼職が認められている現在、国鉄職員なるが故に、町村議会の議員のみにとめておくことは、過去の政治的慣習を無視するものであるばかりでなく、一貫性のない極めて不均衡な取扱いであるといわなくてはかりません。かかる問題は法律によつて抑制すべき事柄ではなく、有権者の自由にして民主的な判断に待つべきものであると思考いたします。
 以上の諸点より、国鉄職員に対する職員兼職の制限規定は本法律より削除すべきが当然ではありますが、本問題の今日までの経緯に鑑み、少くとも市議会までは兼職を認むべきが妥当と考え、右のごとく提案いたした次第であります。

 昭和29年12月15日、下記のとおり再び改正され、。

但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

この法律の制定により、国鉄職員は市町村の議員として兼職が認められることとなったと言われています。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)

 日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十六条第二項中「(町村の議会の議員である者を除く。)」を削り、同項に次の但書を加える。

  但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。

2 この法律施行の際、現に市(特別区を含む。)町村の議会の議員である職員については、第二十六条第二項但書の規定による総裁の承認があつたものとみなす。

(運輸・内閣総理大臣署名) 

 参議院会議録情報 第020回国会 運輸委員会に関しましては、こちらを参照ください。
 

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