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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 88

貨物合理化で職場を奪われる組合員

今回は、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画について、国鉄当局側に資料などを参照しながらお話を進めたいと思います。

今回の貨物輸送合理化により、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となるころから、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたのでさほど大きな反対運動にはならなかったのでは無いかと推測していますが、国労にとっては保守基地の再編成による要員縮減は、直接組合員の減少に繋がるため、強く反対せざるを得ませんでした。

国鉄貨物の衰退は、どこにあったのか?

貨物輸送は、昭和45年から減少に転じ、その原因としては下記のような理由があったと言われています。

  •   昭和40年後半を中心に頻発したストライキ
  • ヤード系輸送など実態に合わない貨物輸送

下図でも判るように、貨物輸送はその後も減少しており、特にヤード系と呼ばれる輸送量の減少は著しいことが判ります。

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国有鉄道昭和58年3月号 から引用

 昭和56年の監査報告書でも、国鉄の貨物輸送は直行系を中心に行うべきでは無いかと提言しています。

昭和56年監査報告書 22ページから引用させていただきます。

貨物営業体制の抜本的改善を図ることが必要である。
これまでの国鉄貨物輸送は、高速直行輸送体制の拡充を図ってきたとはいえ、依然としてヤード中継輸送体制を主体とするものである。
ヤード系輸送は極めて非効率な輸送であり、しかも輸送速度が遅く近時における荷主のニーズに適応し得ず、輸送量は激減してきている。
一方の直行系輸送は、高速性、大量性という国鉄貨物輸送機能の特性を発揮し、荷主のニーズに適応し得るものであり、かつまた、経営効率が高いため競争力を維持することが可能である。 したがって、今後国鉄貨物輸送を市場指向型の営業体制に再構築するためには、現行の体制を早急に拠点間直行輸送体制に転換することが必要である。輸送体制の転換にあたっては、この体制に適合する輸送需要を確保するため、ニーズに対応する列車設定、運賃の弾力的適用、車扱貨物のコンテナへの誘導、広域集配体制の確立などの施策を総合的に推進すべきである。 また、この抜本的なシステムチェンジによって貨物部門の収支均衡を図るとともに、国鉄貨物輸送機能を将来にわたり有効活用する基盤を確立することは、国民経済的にも極めて有益なことであり、万難を排して転換を完遂すべきである。

 として、ヤード系輸送とする貨物方式とすることで、貨物の競争力を付けるべきであると提言しています。

監査報告書でも提言されたヤード系輸送の見直し

 

 

直行系輸送とヤード系輸送

国有鉄道昭和58年3月号 から引用

臨調は、こうした監査報告書の提言を受けて、それを支持する形となりました。

実際、昭和56年度の貨物収支は、収入が3200億円に対して、貨物固有経費が4900億円で1700億円の赤字でしたが、「監査報告書」において取り入れられている輸送形態別の収支試算の手法で分析すると。直行系では200億円の黒字だが、ヤード系は1,900億円の収入に対して経費は2倍の3,800億円を要し、1,900億円もの大幅な赤字を発生させていることになり、直行系輸送であれば、貨物輸送は十分黒字になり得ることが証明されたのでした。

 

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ただ、監査報告書でも「この抜本的なシステムチェンジによって貨物部門の収支均衡を図るとともに、国鉄貨物輸送機能を将来にわたり有効活用する基盤を確立することは、国民経済的にも極めて有益なことであり、万難を排して転換を完遂すべきである。」

と書かれているものの、この実現には大きな問題がありました。

すなわち、多くのヤードが不要になることを意味しています。

また、機関車並びに貨車の整備をする機関区や貨車区といった施設も不要になるわけです、少なくともヤードを廃止となると、多くの連結手の要員も余ってしまうわけです。

それまでも、小規模ヤードの統廃合などは進められていましたが、今回の59年2月のシステムチェンジは、全てのヤードを一気に廃止するものであり、組合にしてみれば組織存亡(分会の消滅)に関わることでした。

そこで、国労としても、、より強く反発せざるを得なくなる訳です。

85年度までに貨物固有経費で収支均衡を達成するため。直行輸送体系を確立し、貨物駅を457駅体制とし、ダイヤ改正を実施する。こういった輸送システムの転換に伴い「駅要員をはじめ乗務員、検修要因等の勤務や作業のあり方を抜本的に見直すとともに、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となる。

国労の苦悩は個々に集約されていると言って、良いでしょう。

合理化で2万人以上の職場が奪われることを意味するわけですから。

2万人の中には機関士なども含まれているので、2万人全てが国労組合員と言うわけでも無いにしても、かなりの下図の国労組合員も対象になることは容易に理解できます。

当時は、国労国鉄最大の組合組織だったのですから。

当然のことながら国労は反発

昭和40年3月号の交通技術の中で「やさしい貨物操車場の話」の中で、死亡率が多の職場と比べて3.7倍【死亡件数/従事員数】にもなると報告されており、実際危険な職場であることは変わりありませんでした。

更に基本計画では、それまでの860駅を一気に450駅まで減少するものであり、組合からの反対以上に、地方鉄道の存続に関わる問題であるとか、不要になった専用線や貨車の補償を行え、危険品が町に溢れる・・・等々。各種の反対意見があった記録されています。

国労がこれに対して、国労は「提案内容に同意できない。後日、要求を申し入れるので実りある団交を」すると、厳しい態度で反発、動労に関しては現在正史と言うべき資料が手元に無いのですが、おそらく同じような反対をしたものと思われます。

ただ、動労は既に57年頃から、こうした合理化に対しては何でも反対という方向から少しシフトしいましたので、その辺は更に資料を探して今後追記なり修正させていただこうと考えております。

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和歌山操駅付近を走行する特急くろしお 2D

 *******************以下は、国労の資料になります。**********************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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一 貨物経営合理化と要員削減問題

┌──────────────────┐
├○ ヤード系輸送全廃の貨物合理化提案│
└──────────────────┘

 国鉄当局は83年1月31日、59・2ダイヤ改正に関連して「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画を国労に提案した。この提案では、明治以来国鉄貨物輸送の中心であったヤード系輸送を全廃し、ヤードを経由しない直行輸送方式に転換するというものであった。82年7月の臨調基本答申において「貨物営業は、鉄道特性の発揮できる拠点間直行輸送を中心とし、業務のあり方を抜本的に再検討し、固有経費における収支の均衡を図るよう拠点間直行輸送を中心とする輸送体制に再編成するとともに、業務のあり方を抜本的に再検討し、所要の措置を実施に移す」ことを閣議決定した。国鉄当局の計画はこの閣議決定に基づいたものである。したがって、国鉄がすでに実施している「経営改善計画」を大きく変更し、さらに合理化をすすめたものとなっている。
 提案内容の概要は以下のとおりである。

 「国鉄貨物輸送は、この10年間に国内物流量の増大にもかかわらず半減し、シェアモ著しく低下した、これは、ヤード系輸送方式では輸送需要の高度化に対応できなかったからである。一方、国鉄貨物輸送のなかのヤードを経由しない直行輸送はこの10年間の輸送量が横ばいであり、国鉄貨物輸送に占めるウエートを高めている。収支面でもヤード系輸送から赤字が発生しており、直行輸送は収支が均衡している。85年度までに貨物部門の収支の均衡を目指す現行の「経営改善計画」の目標は、ヤード系輸送を維持したままでは達成不可能である。85年度までに貨物固有経費で収支均衡を達成するため。直行輸送体系を確立し、貨物駅を457駅体制とし、ダイヤ改正を実施する。こういった輸送システムの転換に伴い「駅要員をはじめ乗務員、検修要因等の勤務や作業のあり方を抜本的に見直すとともに、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となる。

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 87

今回は少し視点を変えて

今回は、労働組合視点ではなく国鉄当局視点で、国鉄改革をどのように受け止めていたのか見ていきたいと思います。

国鉄改革に関しては、急進派もいれば慎重派【守旧派】もいたわけで、国鉄の中でもその辺りは微妙な温度差はあったと思われます。

国鉄と言う組織が政治の介入を受けやすく、かつ民業圧迫の名の下関連事業などを制限された状況の中で、道路整備は特別会計による国策で整備され、国有鉄道国鉄自らの資金調達で行わねばならないという矛盾についても国鉄が実質破綻する昭和45年頃までは何も特段の措置を政府は講じることはありませんでした。

その後の再建計画も言わば、数字あわせの再建計画のための再建計画であり、国鉄当局も政府も誰もが責任を負わない体制になっていました。

結果的に、積み上がった借金をどうするのか。

その借金の背景には、新幹線のように本来であれば国策として国がその資金を措置すべき物もあったかと思いますし、8割以上割引の学生通学定期など本来であれば文部省【当時の組織名】が本来であれば補助金と言う形で助成すべき物や、昭和30年代に中央政府が地方交付金が不足したことに対してその穴埋めをする形で始めた地方納付金制度【公社の建築物に対して固定資産税相当額を納付する制度】を活用して、国鉄から資金を吸い上げたりしました。

ですから、国鉄当局としても答申で、「国鉄は破産状況にあり、改革には一刻の猶予も許されない」という言葉は内心忸怩たる物があったのではないかと思われるのです。

今回は、国鉄の部内誌、国有鉄道昭和57年(1982)9月号の記事から引用させていただきました。

少し長いですが、引用させていただきます。

国有鉄道 昭和57年9月号

 

竹内常務理事に聞く
国鉄に対する国民の評価が決め手

-----早速ですが、7月初日に臨時行政調査会の基本答申が政府に提出され、これについて
8月7日の「つぱめ」で、総裁が、真しなお気持を国鉄職員全体に対して訴えておられます。
重複する面もあるかと思いますが、極めて事柄が重大でありますので、竹内常務からも、この基本答申についてのお話をお伺いしたい次第です。

竹内
今回の基本答申も5月17日の臨調第4部会の中間報告と内容としてはほとんど変わっておりません。国鉄にとってたいへん厳しいものになっております。そういうふうに厳しくなった背景をまず私どもとしては,よくわきまえてかからなければならない。要するに,答申はひとにぎりの委員の独断,偏見と考えると大きなまちがいで,国民の多くの方から支持をうけて出されたものであるということです。大筋は中間報告と変わりなし経営形態の変更が国鉄再建のためどうしても必要だとしています。いってみれば公社制度そのものについての不信感が基本にあるわけでして,要はそれが中途半端な制度であり,当事者能力がないために経営姿勢や労使関係がよろしくない。
その上に,現在国鉄が進めている経営改善計画も手ぬるいということで,さらにこれを深度化し,その上緊急に処置すべき11項目というものをかかげて,直ちに改善しなければならないといっておられるわけです。しかし,そうしたもろもろの問題の中でもとくに過去債務の問題,年金処理の問題,青函トンネルや本四架橋といった国家的大プロジェクトにかかわる経費負担をどう考えたらいいのかというような問題は,どうしても国鉄だけでは解決できない。
しかもこれらを解決しなげれば,再建計画はどうにも進めようがないというわけですから,これらの問題をとりあげられたことは私どもとして大変ありがたいことと考えている
わけです。後半部分は省略

国鉄問題は国民注視の問題であるとしながら、公社という形態以上に「青函トンネルや本四架橋といった国家的大プロジェクトにかかわる経費負担をどう考えたらいいのかというような問題」にまで踏み込んだことは大きいと一定の評価をしています。

実際、青函トンネルは工事が進められていたときは、その後の運営を誰がするのか?という点が大きく問題としてクローズアップされました。

実際、青函トンネルを作っても国鉄が維持していくことにたいして,年間800億円の赤字が発生するという試算が出されており、その維持費をどうするのかといった問題が大きくクローズアップされ,青函トンネルの活用方法が議論されることになりました。

実際に,昭和58年7月の鉄道ジャーナルでは、青函トンネルと北海道の鉄道ということで、青函トンネルをどのように活用するのかと言った点が議論されており、多目的利用の観点からカートレインを走らせて高速道路との融合などという案も提言されていました。

そうした意味で、国鉄だけで解決できないところまで踏み込んだことには一定の評価をしているように見受けられます。

さらに、「監理委員会の任務とか権限というものについて詳細に書かれ、これからの経営形態にかかわる問題とか、先程の過去債務などの問題、再建の基本となる諸問題を処理するということになっているわけです。」ということで、監理委員会がその方針としている、「分割・民営化にはかなりの期聞を要するわけで、その期間中に私ども、現在の経営改善計画を深度化し完遂し、緊急措置事項をキッチリと実行するととが必要なわけです。」

ということで、臨調が分割民営化を打ち出す前に国鉄が,緊急に措置すべき11項目を実行すれば、分割民営化という最悪の事態は避けられるのではないかと判断している節があります。

その辺を本文から引用してみたいと思います。

竹内
ところで、今回の基本答申の中でとくに前回と変わった点は、国鉄再建監理委員会ですネ。前回の中間報告のときはまだあまりハッキリとしてはいなかったのですが、今回は監理委員会の任務とか権限というものについて詳細に書かれ、これからの経営形態にかかわる問題とか、先程の過去債務などの問題、再建の基本となる諸問題を処理するということになっているわけです。
したがって、監理委員会がどういう審議をされ、どういう結論を出されるかということみに、私どもとしては重大な関心をよせざるをえません。どういう形をとるにしても、との委員会に私ども申しあげるべきことは十分申しあげ、国鉄再建についてのご判断にあやまりなきょう努力しなければならないと思っています。だからとそ、総裁もこの委員会に積極的に参加したいといっているのです。臨調の基本答申の分割・民営化にはかなりの期聞を要するわけで、その期間中に私ども、現在の経営改善計画を深度化し完遂し、緊急措置事項をキッチリと実行するととが必要なわけです。

そこで、聞き手は、組織防衛が諮れる可能性があるのでしょうかと聞いています。

これに対して、国鉄の問題は「過去債務の問題や年金の問題は、国民負担にもかかわる問題ということで、やはりその解決には国民の皆さんが国鉄に対してどういう評価をされるかが問題で、それが最後の決め手となる。」

楽観視はしておらず、国鉄自らが変わらないと、分割民営化の答申は避けられないのではないかと結んでいます。

そのためにも、地方議員の兼職禁止やOBを含めた無料乗車証の問題等、過去からのしがらみの部分を改善していく必要があるし、何といっても一番大切なことは毎日列車を正確に運転し、お客さまには誠意をもって接し、きめられたことはキチンとするという、日常業務遂行の態度ですネ。職員が多いから中には多少困ったものもいるとか、仕事がたてこんでくるとそういちいち丁重にも できないと か、そんなことはいいわけにも何もならないわげです。」として職員一人一人の職務を全うすることが国民の信頼を得ることになるのではないかとして言葉を結んでいます。

実際、この頃から国鉄では増収キャンペーンや、車掌などの自己紹介など以前の国鉄と比べれば大きく変わりつつあると印象深くさせることも多々ありました。

ただし、そうした多くの職員が頑張っている中で、機関士による飲酒運転による事故なども発生していました。

昭和57年の3月15日には名古屋駅で飲酒運転の機関士が名古屋駅で特急紀伊に激突事故を起こしていますし、更に2年後の昭和59(1984)年10月19日には、西明石駅で飲酒運転の機関士が工事に伴い電車線運行に変更になっていたことを失念して進入、客車がホームに激突する事故を起こすなどの言い訳が出来ない事故を起こしていました。

余談が長くなりましたが、再び引用させていただきます。

一一国鉄全員一丸となって努力すればいまわれたような方向で改善は可能なわけですネ

竹内
国鉄は永い間、国民の国鉄ということで、国民生活に大変深いかかわりあいをもってきているものですから、国民の皆さんも非常な関心をもって問題の推移を見守っておられると患います。
先程から申しあげている再建の基礎となる過去債務の問題や年金の問題は、国民負担にもかかわる問題ということで、やはりその解決には国民の皆さんが国鉄に対してどういう評価をされるかが問題で、それが最後の決め手となる。
したがって、国鉄としては、国鉄はよくやっているという評価をしていただけるような努力をしなければならない。そういう努力がなげれば、今度設置される国鉄再建監理委員会でもわれわれの望むような結論は到底出されないと思います。
いくつか不都合な点があっても、分割・民営化がいいというのが国民の大多数の意見になる可能性は現状では多分にあることを認識しておく必要があります。
そこで、当面の最大課題である緊急対策の問題ですネ。新規採用の停止、地方議員の兼職禁止、OBを含めた無料乗車証の問題等、どれーっとっても永い過去からのいきさつのあるものですから大変は大変なんですが、これはもう勇断をもって実行しなげればなりません。しかし、何といっても一番大切なことは毎日列車を正確に運転し、お客さまには誠意をもって接し、きめられたことはキチンとするという、日常業務遂行の態度ですネ。職員が多いから中には多少困ったものもいるとか、仕事がたてこんでくるとそういちいち丁重にも できないと か、そんなことはいいわけにも何もならないわげです。

結局、最終答申では国鉄の分割・民営化の方針は覆らず、国鉄としても分割民営化に向けて準備を始めることになるのですが、昭和57年当時はまだまだ、分割・民営化は避けられるのではないか、もしくはもう少し違った形に出来たのではないかという思いがあったように感じます。

 

 

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続く

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国鉄労働組合史詳細解説 86

  久々に更新させていただこうと思います。

今回も、国労の資料を底本として、他の資料等を参照しながら見ていきます。

国鉄主導では無く、自民党主導で進められる国鉄改革

国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。

特に、今回の再建監理委員会の権限は単なる諮問機関では無く実行力を伴うということで、その拘束力は大きなものがありました。

民営化反対を明確にする国労

国労は、監理員会設の設置に反対し、社会党【現・社民党】や共産党と連携を図りながら、法案成立阻止を目指しましたが、法案は82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、国労としては、廃案を目指し法案反対署名100万人の集約や2回の総決起集会などを実施しましたが、当時の世論はむしろ国鉄職員に対する批判が強かったと言われています。
特に、昭和59年2月に大幅な貨物システムの改訂【ヤード系輸送の廃止】に際して荷主からも、もっと国鉄部内ですべきこと、【合理化や、過剰な要員】等を指摘されたという話もあり、世論はむしろ国鉄改革の行方をどちらかと言えば期待しながら見ていると言った風潮がありました。

もちろん、国労も、分割・民営化の本質についての徹底した学習と討議により、闘うエネルギーを結集し、地域への闘いの輪をひろげる努力をしたが、労働組合の側も反対の統一行動が必ずしも組織され無かったこともあり、廃案には至りませんでした。

 

当時の世論を、国鉄線という雑誌の投書から拾ってみますと、下記のような記事がありました。

親切な駅員などがいる反面、これでもサービス業か?と疑われるような職員もいたようです。

少し引用してみます。 

出札窓口編

「単身赴任中の父に会いに行くのを楽しみにしていた母は、父の急用で時期を変更しなければならなくなりました。みどりの窓口にきっぷの変更を相談に行った母はすっかりしょげて帰ってきました。理由を聞くと窓口で叱られたと言います。久しぶりに元気になった母が『迷惑かけてしまって、もう行くの止めようか』とすまなそうに言うのを聞くと悲しくなりました。」

「田端駅で特急『あいづ』の指定券を求めた際、すぐきっぷを渡してくれたが、ふと『あいづ』では発車まで時聞がありすぎるので、もう少し早く帰れないかと思い、その旨尋ねた。すると、その職員は時刻表を見て『いいで』号がありますが、しかし、これから上野へ行つては間に合いません。赤羽へ行けば何とか間に合うかも・・:。と教え、いったん作成した『あいづ』に変えて『いいで』の指定券を心よく用意してくれた。結果は赤羽で四分の余裕を残し、きわやかな気分で帰郷できた。」


車掌さん

「先日、国電の一番後ろに乗ったんです。車掌さんを見てましたら駅の名前を言うだけで、後は新聞を読んでいるんです。動かすのは運転士がいるからいいんでしょうが・・・・。」

「激しい雨の日、電車ですばらしい車掌さんに出会いました。彼は列車が駅に着くころを見はからって『次の駅でお降りの方は、前から二両目でお降り下さい。それ以外のところはホlムに屋根がございません。強い雨が降っています。』とアナウンスするのです。こんな調子でどの駅もこなしてしまい、声にも張りがありました。この放送を聞いて、私は雨の憂うつ、も吹っとんで楽しくなりました。」

ここに記したにはほんの一例ですが、現在では考えられないほど職員の勤務態度は誉められるものではありませんでした。
特に、一番利用者と接するフロントがこのような状況であったことも、国鉄に対して世論が擁護に動きにくい状況を作っていたのでは無いかと推測されます。

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国鉄線、昭和57年4月号投書から拾うから、転載させていただきました。

 

再建監理委員会による緊急提言

 国鉄改革反対という世論を味方に付けようとしても、世間の国鉄に対する批判は、収まらず、 監理委員会は発足後二ヵ月に満たない八三年八月二日には、「国鉄再建のための緊急措置について」を提言し、「経営管理の適正化」「事業分野の整理」「営業収支の改善と債務増大の抑制」の三点にわたって具体的措置を述べています。

  1. 経営管理の適正化」
    組織全般の簡素化や職場規律の確立など
  2. 「事業分野の整理」
    ローカル線の廃止促進、ヤード系貨物輸送の全廃、荷物輸送の廃止
    国鉄の経営改善計画を進めるための、基礎となりました。)
  3. 「営業収支の改善及び債務増大の抑制」
    経費縮減のための要員削減、収入増のために地域別運賃の導入、設備投資の抑制、資産の売却など

実際、この提言を受けて、既に昭和57年には、国鉄職員の新規採用が停止され、そのしわ寄せが現在のJR各社で顕在化している退職者問題に行き着くわけです。
退職により、技術伝承が上手くいかなくなる恐れがあることなどが問題になっているのはご存じのとおりです。

さらに、この提言によって、当時実施されていた国鉄の「経営改善計画」はさらに、加速化されることになり、結果的に、昭和56(1981)年に国鉄が自ら策定した後の無い再建計画よりも遙かに強力なものとなり、結局、昭和59(1984)年5月9日には、経営改善計画そのものの変更せざる得なくなり、実質的に国鉄が計画した再建計画は破綻することとなりました。

投書の国鉄が描いていた再建計画では、

経営の重点化と徹底的な減量化施策を行なうとともに,法定限度内の適時適切な運賃改定や行財政上の措置により,経営の改善を完遂しようというもので、経営改善の具体的な方策としては,
①輸送の近代化
②業務運営の能率化
③収入の確保
経営管理の適正化
⑤設備投資
地方交通線の改善
⑦安全の確保および環境の保全の7項目から成っている

さらに部門別経営改善計画として
①旅客部門
②貨物部門
③荷物部門
④船舶部門
⑤自動車部門
⑥その他の業務の能率化
⑦関連事業
⑧資産処分

の8項目、それぞれの部門について,業務能率の向上や収支改善,収入目標などが掲げられている。

 と言った内容であり、あまり自浄作用が期待できないような計画であったようです。

分割民営化ありきで進められた解体劇

監理委員会は、分割・民営化をその基本方針と定め、世論の醸成を図っていくこととしました。
これは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなか根強く残っていたからでした。
昭和58年1月に国鉄の貨物輸送の大幅な改変(ヤード系輸送を廃止し、直行系輸送中心に切換)する場合も、自民党としては総論賛成、各論反対の状況があって、その説得に難渋したという記録もあります。

f:id:whitecat_kat:20180326204019j:plain第1次地方交通線で昭和59年2月1日以降も当面貨物輸送を残す線区

こちらも併せて参照していただけると幸いです。

ameblo.jpそうした状況を踏まえて、監理委員会としては、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いがあったと言われています。

その辺は、大原社会問題研究所、日本労働年鑑 第57集 1987年版
特集 国鉄分割・民営化問題 I 分割・民営化論の台頭から具体案の作成まで」に詳しく記されていますので、少し長いですが、引用させていただきます。

監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ根強い状況を踏まえて、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていた。監理委員会のかかる目論みを引きとるかのように、六月二一日に仁杉国鉄総裁は日本記者クラブで基本的に分割・民営化に賛成だという見解を明らかにした。ついで、三塚博自民党国鉄再建小委員長が『国鉄を再建する方法はこれしかない』と題する著書を発行し、国鉄再建は分割・民営化が基本であると述べた。同盟系の鉄労も六月二六日の中央委で、地域本社制と特殊法人への転換を主張し、国鉄自らの、外圧によらない分割・民営化を推進するよう提言した。仁杉国鉄総裁は七月六日に修正発言をするが、こうした有力者による分割・民営化賛成発言は、反対派の気勢をそぐのに効果があったであろう。こうしで八四年八月一〇日に監理委員会の第二次提言が提出された。

ここで、仁杉国鉄総裁は基本的には分割民営化には賛成という見解を発表するものの、その後はトーンダウンしていくこととなり、同盟系の鉄労は、分割は基本反対であるが民営化は推進の方向を示しました。

ただ、鉄労の民営化推進は、積極的に民営化を受け入れると言うよりも、国労に対する対抗心から出てきた対応策であったと推測されます。

さらに、三塚博自民党国鉄再建小委員長は、改革三人組と呼ばれた幹部職員からの情報を得ながら国鉄分割民営化への道筋を作っていったと言えそうです。

 分割民営化反対で行動する国労

ここで、再び国労の見解と言いますか、国労の記事を参照しますと、下記のように綴られています。

国労としては、国鉄の再建策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。」

と言う位置づけにしているのですが、これは裏を返せば今までのマルにする文化*1を継承しようという意味合いにも取れます。

もちろん、路線の縮小などは「利用者にガマンを強いつつ」というところで当てはまりますが、どうも労働者のための職場を奪われるのは我慢ならないと言うことで、これに対して『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。

ということで、今までの単なる反対から一歩抜け出せたと見えるのですが、国労が示す、

① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」

と言う題目は、対案を国労としては残念ながら示せませんでした。

また、2項目の

② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、

とありますが、上記のような駅員や車掌の態度がそのまま国民に伝わるのか正直この当時の現状を知るものからすればお寒いものを感じてしまいます。

国労の記録から引用させていただきます。

今日すすめられている国鉄「再建」策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。われわれは、政府・独占、当局のこれらの政策・攻撃に反対し、こうすれば国鉄の真の再建ができるということを明らかにしつつ、『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。この立場から。① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、どのような態度をもって望むか、職場で真剣に討議し、討議の結果にもとづいて一つひとつ実行していかなくてはならない。【1983年度運動方針】という具体的な方針を決定した。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第1節 国鉄再建監理委員会の発足と「緊急提言」
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二 中曽根内閣による行革路線の推進

┌─────────────────┐
├○ 監理委員会発足後の国労闘争方針│
└─────────────────┘

 国労は監理員会に対する警戒感を強め、管理印加位はその権限によって「国家財政の危機の深化に即応して国家財政による負担の切り捨て、行政サービスの放棄はもちろん、採算性だけを重視して『再建』が強行実施されるとしたら、委員会は国鉄のもつ全国のネットワークの特性と公共性を無視した国鉄破壊の推進的役割を果すことになるだろう」【1983年度運動方針】と考えた。
 国労は、総評や全交運とともに監理員会設置法案が82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、廃案を目指し法案反対署名100万人の集約や2回の総決起集会などを実施し、また国会内では社会、共産両党の闘いと連携して反対運動を展開した。だがこの闘いは、国労内では分割・民営化の本質についての徹底した学習と討議により、闘うエネルギーを結集し、地域への闘いの輪をひろげる努力をしたが、この行革反対の闘いが社・共両党のみであるという厳しい環境におかれ、労働組合の側にも臨調攻撃にさらされている舞台での統一行動が必ずしも組織されず、ここに分断され弱さが露呈された」ため、廃案という成果をあげることができなかった。【第138回中央委員会方針】
 監理員会設置後の民主的再建闘争の方針として、国労は次のように決定した。

 今日すすめられている国鉄「再建」策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。われわれは、政府・独占、当局のこれらの政策・攻撃に反対し、こうすれば国鉄の真の再建ができるということを明らかにしつつ、『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。この立場から。① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、どのような態度をもって望むか、職場で真剣に討議し、討議の結果にもとづいて一つひとつ実行していかなくてはならない。【1983年度運動方針】という具体的な方針を決定した。

続く

*1:不祥事を無かったことにする文化

国鉄労働組合史詳細解説 85

久々に更新させていただきます。

今回は、国労の記事と言うよりも、当局の話を中心にさせていただきます。

再建監理員会の発足と緊急提言に関するお話の続きとなります。

国鉄当局としても、臨調の答申は、当初予想していた以上に厳しいものでした。

国鉄に対する国民の評価が決め手

電電公社【現・NTT】が積極的に真藤総裁以下民営化に進んだのとは対照的であり、電電公社は積極的に民営化に動くことで実質的に分割を免れ組織温存出来たのに対し、国鉄は結局地域分割並びに労働者の解雇と新会社による再雇用という形で行われました。これにより、結果的に多くの国鉄職員が職場を去ることになりました。

私の父親は管理職をしていたのですが、国鉄民営化の職員振り分けの責任感から採用辞退して退職しました。

52歳でした。

その後は、民間会社に就職するという流れだったのですが、父親もそうした意味では国鉄改革の被害者であったかもしれません。

さて、その当時の内容に関しては、国鉄の部内誌、国有鉄道 昭和57年9月号の記事に

「竹内常務理事に聞く 国鉄に対する国民の評価が決め手」というタイトルの記事で、冒頭に述べられています。

少し長いのですが全文引用させていただきます。

竹内
今回の基本答申も5月17日の臨調第4部会の中間報告と内容としてはほとんど変わっておりません。国鉄にとってたいへん厳しいものになっております。そういうふうに厳しくなった背景をまず私どもとしては,よくわきまえてかからなければならない。要するに,答申はひとにぎりの委員の独断,偏見と考えると大きなまちがいで,国民の多くの方から支持をうけて出されたものであるということです。大筋は中間報告と変わりなし経営形態の変更が国鉄再建のためどうしても必要だとしています。

いってみれば公社制度そのものについての不信感が基本にあるわけでして,要はそれが中途半端な制度であり,当事者能力がないために経営姿勢や労使関係がよろしくない。
その上に,現在国鉄が進めている経営改善計画も手ぬるいということで,さらにこれを深度化し,その上緊急に処置すべき11項目というものをかかげて,直ちに改善しなければならないといっておられるわけです。しかし,そうしたもろもろの問題の中でもとくに過去債務の問題,年金処理の問題,青函トンネルや本四架橋といった国家的大プロジェクトにかかわる経費負担をどう考えたらいいのかというような問題は,どうしても国鉄だけでは解決できない。

国鉄にとって、経営形態の変更を含む内容は正直承服できなかったと思われますが、それまでにも、毎年のように繰り返される運賃値上げや、それ以前のスト権ストに見られるような国民無視のストライキは、いくら国労理論武装しても受け入れられることは無かったと言うことでした。

実際には、国鉄監査報告書を見ていただくと判りますが、

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 国内の鉱工業生産指数も国民総生産も増えているにも関わらず、国鉄の輸送量は減少を続け、国内輸送機関別に見ても国鉄だけが昭和45年以降一人負け続けていることが窺えます。

また、国鉄の貨物輸送に関しては、昭和45年からは車扱輸送は減り始め、順調な伸びを見せていたコンテナ輸送も昭和50年頃から横ばいもしくは減少するなど国鉄の輸送は昭和57年当時には昭和30年代と同程度の列車キロとなり、貨物輸送量の合計に至っては、昭和30年を下回る結果となっていました。

 

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 ただ、国鉄当局としても、公社制度そのものが中途半端な制度であり、当事者能力がないために経営姿勢や労使関係がよくない事を認めています。

国鉄だけに責任を押しつけるべき出ない問題も多く

しかし、その反面、「過去債務の問題,年金処理の問題,青函トンネルや本四架橋といった国家的大プロジェクトにかかわる経費負担をどう考えたらいいのかというような問題は,どうしても国鉄だけでは解決できない。」とある意味開き直りのようにも取れる発言をしています。
 実際に過去債務の問題を考えると、その多くは昭和30年代の輸送力増強や通勤通学輸送への投資が行われていたことや、9割近くの割引と言われた学生運賃の割引や、大幅な定期運賃割引に関する問題など、昭和30年代から問題視されていた事がここに来て一気に吹き出した訳であり、国鉄が悪いとか、組合が悪いと言う言葉だけで片付けられる問題ではありませんでした。

例えば、

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国有鉄道昭和57年9月から引用 特定退職手当及び年金の増加が目立ちます。
  • 年金処理の問題に関しては、戦後、満州鉄道や陸海軍工廠の技術者の受入たことによる年金受給の問題がありました。
    共済年金の中で一番最初にパンクしたのが国鉄共済であり、結局他の公務員共済が助ける形を取らざるを得なくなりました。
  • 青函トンネルや本四架橋といった国家的大プロジェクトにかかわる経費負担についても、開通前から議論がなされ、特に青函トンネルの維持費が問題となりました。核シェルターに活用するといった案や、果ては破壊して埋めてしまえと言った過激な発言もありました。

現在の青函トンネルは、鉄道建設・運輸施設整備支援機構がトンネルを所有していますし、備讃瀬戸大橋【瀬戸大橋線】に関しては、鉄道施設は日本高速道路保有・債務返済機構が所有となっていますが、国鉄が存続していた場合はこれらの施設に関しても国鉄に応分の負担【トンネルは全額負担】となっていた可能性があるわけで、その辺が不満が、上記のような発言に繋がったのではないかと推測されますが、臨調の答申は、国労だけで無く、現状維持したい国鉄当局にしても不満が残るものであったことが窺えます。

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国鉄労働組合史詳細解説 84

皆様長らく更新できませんでしたが、久々に更新させていただきます。

本日も国鉄改革について書かせていただきます。

強大な権限を持つ再建監理委員会

第九八国会で審議に入り、八三年五月一三日に可決・成立した。国鉄再建監理委員会(以下、監理委員会と略す)は、単なる研究報告的な委員会では無く、行政委員会という位置づけがなされ、再建のための諸政策の執行機関としての性格が打ち出されていました、
運輸省としては運輸省組織の改編にまで切り込まれるのでは無いかという危惧があったようです、それよりも衝撃を受けたのは当局であったと思われます。

臨調第4部会の中間報告に対して、国鉄の意見として、昭和57(1982)年6月掲載、国有鉄道の記事で、国鉄の見解を以下のように述べています。

長いですが、全文引用させていただきます。

概要としては、

  1. 国鉄の公共性という問題を無視していきなり分割民営化という考え方は容認できない。
  2. 現在も国鉄内部で、改善を行っているが、分割民営化ありきでは職員の士気にも影響する。ただし経営改善計画が実現しなかったら、民営分割を受け入れざるを得ないので改善には全力で取り組む
  3. 工場・病院・自動車などの関連部門の分離は行うべきでは無い。
  4. 長期債務、年金問題の処理等については、国鉄だけで処理できない問題であり、その点にメスが入ったことは歓迎する。年金問題も然り
  5. 監理委員会を総理府に行政委員会として設置されることは歓迎する。

と言った内容ではありました。

以下、長いですが引用させていただきます。

4 部会報告に対する国鉄の考え方

(1)分割民営化について
 ア 部会報告にある分割民営化については、理念として宣言されたものと理解できるが、次のような問題があり国鉄としては賛成することができない。
(ア)国鉄問題のすぺては公共性と採算性との調和を求めることに出発点をおくべきであると考えられるが、この点で今回の部会報告は、採算性の見地からの主張に片寄り遇ぎているため、公共性に対する視点が希薄であって、「何故国鉄公共企業体なのか」という基本的問題に対する考え方が不明確であること。
 (イ) 緊急措置の実施が新形態移行までの間とされていること。緊急措置については、経宮改善計画の達成に全力を挙げて邁進中の現在、大筋においてこの計画の延長線上にあり真摯に受け止めて取り組んでいかねばならないものと考えられるが、はじめから分割民営化を予定しておき、その目標へ向けての経営努力ということでは再建意欲は湧き上がってこないこと。
 (ウ)多くの人命と財産を預り、日々安全かつ正常な輸送業務を遂行しなければならない国鉄において、これに携わる職員にいたずらに不安感を抱かせることは好ましくないこと。
 イ しかし、逆に、緊急措置も含めて経営改善計画が達成されない場合には、経営再廸促進特別措置法提出の際の自由民主党の決議(55年2月19日)もあり、民営分割も避けられないとの覚悋が必要であり、再建の目標達成に向けて能う限りの経営努力を傾注しなければならないものである。
(2) 緊急措置について
  緊急措置については、細部では若干の異論もあるが、大筋において納得できるものであり前向きに受け止めて新形態への移行とは関係なく実施していかなけれぱならないと考えられる。経営改善計画策定時からみると、貨物輸送量の大幅な減、旅客輸送量の微減など経営を取りまく環境は大きく変化してきており、経営改善計画の目標としている60年度における幹線の収支均衡を達成するには経営改善計画の内容の見直し、深度化をはかる必要がある。したがって、緊急措置は、この経営改善計画の目標達成のための一環として受け止めて実施に移していく考えである。
 しかし、関連部門(自動車、工場、病院)の分離については、種々問題を孕んでおり、実施すぺきではない。国鉄が現在取り組んでいる経営改善計画は、能率向上をはかることが目的であって、単に人数を削減すれぱ事足れりとするものではない。関連部門については、すでに工場勘定など独立した経理を行ない,効率的運営につとめており、今後もなお一層可能な限りの徹底した合理化を実施することとしている。したがって、仮に分離しても人件費が物件費におきかわるに過ぎず収支改善の効果を多くは期待できない。
 また、組織の変更を強行した場合、職員の身分上の問題も発生し、これに従事している職員を他の分野で配転して吸収するとなれぱ全体としてかえって著しい効率低下を招来することにもなる。
 したがって、関達都門の分離は60年度を目ざした経営改善を推進する立場からはとるぺき方策ではない。
 また、給与の抑制についてもとるべきではない。従来から公共企桑体等職員の賃金については、その事業の性格上、個々の経営状況によって格差を設けることは適当でないものとして取り扱われてきた経緯もあり、総力をあげて経営の効率化と職場規律の確立に取り組んでいる現在、職員の士気に影響をおよぽすことのないよう、また、その生活の安定をはかる意味からも職員個々人の給与の抑制はとるべきではない。しかし、給与総額については、合理化による要員削減により、これまで極力圧縮の実をあげてきたところであり、今後ともこの努力を続けていく必要がある。
 (3)長期債務、年金問題の処理等について
長期債務について

一定の処理をするという考え方が打ち出されており、これは方向として は国鉄としてかねてより要望してきた線に沿ったものである。しかし、処理される長期債務の金額や処理する方法について不明確であること、さらに、この対策が新形態への移行を前提として考えられていることには問題がある。今後,経営改善計画を遂行する過程で債務が累積するととは避け得ない状況におかれており,したがって,新形態への
移行とは関係なし 緊急措置も含めた最大限の企業努力を行なうことを前提として累積赤字相当の債務の棚上げを希望するものである。
年金問題について
破局を迎えつつある共済年金制度に対する措置を講ずる必要があるとしとくに類似制度との統合,あるいは追加費用について国庫補助を行なうとしていることは,従来から国鉄としても要望してきたものでありその実現方を希望するものである。ただし,長期債務の処理と同様,新形態への移行-とは関係なく措置されることを希望するものである。
(4) 国鉄再建監理委員会の設置について
国鉄問題の解決のためには,各省庁に分散している権限を一元的に集めて横断的に処理する場が必要であり,この点から監理委員会を総理府に行政委員会として設置されることは意味があると考えられる。

国鉄にとっては、手のひら返しを受けたように感じた?

非常に長い引用になってしまいましたが、国鉄としては今まで散々「公共性の追求」と言って、赤字ローカル線の運営や、学生定期運賃の大幅割引など、本来は国鉄単体が負うべきものでない部分まで公共性の名の下負ってきたにもかかわらず、ここに来て「赤字」という部分だけがクローズアップされたことに対しての不満を述べています。

国鉄は縛られた巨人

実は、この点は国鉄が抱えていた構造的な欠陥であったと考えています。

鉄道省時代は鉄道輸送とそれに関連する部分も鉄道省の範疇(いわゆる省益)としての囲い込みができたので、観光地の開発なども行えたようです。

しかし、国有鉄道になってからは、輸送業務にのみ専念することとが義務づけられ、、関連事業なども民業圧迫大義名分の元、大幅に制限されていました。
民衆駅の最初の走りと言われる豊橋駅なども国鉄としてもらえるのはわずかの店子の借料であって自らも駅の中で営業するといったことは許可されていませんでした。

赤字ローカル線の建設なども・・・

その上、公共性という視点からローカル線の建設等が政府や時の代議士による我田引水ならぬ我田引鉄が行われていました。

鉄道建設公団(現在は、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が昭和39(1964)年に設立されるのも、国鉄がローカル線建設を拒否したことによるもので、十河総裁が再任されなかったことの原因は、新幹線建設費の増大で責任を負ったとされていますが、むしろ赤字ローカル線の建設拒否したことの方が大きな原因でなかったかと考えています。(十河総裁が退任後すぐに鉄道建設公団が、国鉄並びに政府の出資で誕生しています)

参考 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 地方鉄道研究blog (URL変更しました。)

local-line.at.webry.info

さて、話が横道にそれてしまいましたので、再び元に戻したいと思います。

また、緊急措置項目についても、するべき必要を認めつつも、最初から民営化ありきでは、職員の士気に影響するのではないかということで、組織としての当然のことながら抵抗を試みています。

工場の統廃合や、病院の一般診療開始、診療所の廃止なども

また、緊急措置項目の中で工場や病院の分離が提言されておりますが、鉄道病院に関しては、専門病院から一般診療を行う付属病院に変更されるとともに、診療所などが閉鎖されました。

余談ですが、私の父親も国鉄でしたので、病院はもっぱら和歌山駅の美園商店街よりにあった鉄道病院の和歌山診療所でした。
一般診療を行っていないため、いつ行っても空いていたことを覚えています。

閑話休題

さらに、鉄道工場については、分離は行わなかったものの統廃合は行われ。高砂工場が閉鎖されて鷹取工場に統合されるなど全国で工場の統廃合が行われました。

また、自動車についても、分離が提言されていますが、国鉄バスは、鉄道路線の培養・短絡・代行を目的としており、不採算なローカル地域の輸送を担っている路線が殆どであり、分離独立はこの時点では実質的に不可能であったと考えられます。

ただし、国鉄時代からバス事業は独立採算制で行われていました。

余談ですが、自動車部門は国鉄改革時にはJR各社に引き継がれた後、JR四国を除き、翌年には地域ごとに分割されたバス会社がJRの子会社として発足しています。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第1節 国鉄再建監理委員会の発足と「緊急提言」
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一 中曽根内閣による行革路線の推進

┌───────────────┐
├○ 反核軍縮運動の国際的高揚│
└───────────────┘

 1984年夏、ソ連は米ロサンゼルス・オリンピックをボイコットしたが、同年11月の米大統領選挙でレーガン再選のあと、翌85年1月に米ソ外相会談がもたれ、包括軍縮の合意がなされた。ついで3月には、ソ連のトップのゴルバチョフ書記長が登場し、その夏にすべての核実験中止を一方的に表明した。同年11月、ジュネーブで行われた6年半ぶりの米ソ首脳会談は、具体的成果はとぼしかったが新たなデタント【国際緊張緩和】への期待をいだかせた。ペレストロイカ【改革】とグラスチノス【情報公開】を唱えるソ連共産党書記長ゴルバチョフが、かってソ連を「悪の帝国」と呼んだアメリカ大統領レーガンと会談し、軍縮交渉を行うという事態は、新しい時代を予感させた。

二 中曽根内閣による行革路線の推進

┌──────────────┐
├○ 国鉄再建監理委員会の発足│
└──────────────┘

 国鉄再建監理員会設置法は、第98国会において1983年5月13日に可決・成立した。監理委員会【国鉄再建監理員会】の権限については、臨調【第2次臨時行政調査会】第4部会報告では、行政委員会【3条委員会)と位置づけ、国鉄再建のための諸政策の執行機関としての性格付けがなされていた。だが、運輸省などからあまりに強い監理委員会の権限について、関係官庁の業務を侵すものと反発が出されたため、臨調の基本答申ではやや後退した性格付けがなされた。そして監理委員会法では、通常の政府の審議会と同じ8条委員会ではあるが、「限りなく3条に近い8条」【中曽根康弘行政管理庁長官】という規定であった。つまり監理員会は通常の審議会以上の権限を付与され、首相は監理員会の意見を尊重しなければならない。また、監理委員会は関係行政機関の長及び国鉄総裁に対して資料の提出、説明その他必要な協力を求めることができる。としている。
 監理委員会は5人のメンバーで構成され、委員長には亀井政夫住友電工会長が就任し、委員には隅谷三喜男東大名誉教授、吉瀬維哉日本開発銀行総裁、加藤寛慶大教授、住田正二運輸省事務次官が任命され、83年6月10日に発足した。監理委員会設置法は第1条において臨調答申を尊重することを事業再建の基本方針にしているのであるから、監理員会の検討方向は当初から国鉄の分割・民営化をめざしたものとなった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 83

本当に久々の更新でございます、本日は、鈴木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。

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鈴木首相の政策の目玉にしたかった臨時行政調査会

鈴木首相誕生の背景は、言葉は悪いが棚ぼた的なものであり、大平首相急逝に伴う自民党内の派閥の軋轢から生まれたと言ってもよく、目玉になる政策などもありませんでした。

最終的には、中曽根内閣が鈴木首相が取り組んだ臨調を受け継ぐ形で、国鉄電電公社の民営化を進めることになったのでした。
第二臨調と言われてますが、実は「第一臨調」と呼ばれるものも有ったのです。

昭和36年に実施された。臨時行政調査会【通称第一次臨調】

昭和36(1961)年~昭和39(1964)年にかけて実施された「臨時行政調査会」がそれで、後に鈴木首相が臨時行政調査会を設置したときに2回目と言うことで、第2次臨時行政調査会と呼ぶようになったそうです。
第一臨調は、紆余曲折がありましたが、昭和39(1964)年9月29日に発表されることになりますが、結果的にはその成果は十分反映されることはありませんでした。

元々非効率な官庁の仕事を合理化して民間並みにと言うのが主な目的でしたが、高度経済成長期でもあり税収の自然増が期待されたことから結果的には答申は出されたものの顧みられることなく忘れ去られていったのです。

第一次臨調の失敗を反省して計画された第二臨調

さて、国労の記事でも出てくる、中曽根内閣ですが、戦後政治の総決算というかけ声とともに、臨時行政調査会を発展させていきました。

 昭和561981)年に発足した臨調は、昭和58(1983)年3月14日に臨調最終答申をうけ、さらに同年5月13日には、国鉄再建監理委員会を発足させることとなりました。
実は第2臨調は、国鉄電電公社などの公社の民営化は進めましたものの、実は省庁の改革には一切行っていませんでした。
これが、国鉄改革を成功させた一つの要素ではないかと言われています。
と言いますのも、ここで面白い論文を見つけたので少し引用させていただこうと思います。

第二臨調は官僚組織に手を加えないことで成功した

中曽根政権の行政改革・教育改革・税制改革の成否を分けたもの
-改革における事務局掌握の重要性-
と言う論文の中で、

「大蔵省は鈴木政権で第二臨調が設立された当初から「抵抗」していたといわれます。その理由は、大蔵省は「予算編成権を横取りされるのではないかという強迫観念にとりつかれていた」からである

と書かれていました、実はこれは第一次臨調の当時、「大蔵省主計局を分離して内閣直属の「予算局」とすることを打ち出したことが、大蔵省の警戒感をまねいたといわれる」と言うことらしいです。
大蔵省の主計局といえば、予算の大元締めであり、私が郵政局にいた頃も経理部の主計課だけは独特の雰囲気がありました。(課長以下エリートという意識が強くて、私も経理部にも所属していましたが明らかに、他部署を見下している感はありました。)
そこで、中曽根首相は臨調に対して大蔵省主計局分離構想は「封印」することで官僚の抵抗を抑えたと言われています。
さらに、中曽根首相は臨調を成功させるために、

「臨調に対して行革対象を限定してほしいとの意向が伝えられ、臨調第四部会は3公社の改革、とくに国鉄改革に焦点を絞っていった」と言われています。

これは、官僚にとってもメリットがありました、自分たちの領域は守られると・・・。
特に運輸省(現在の国土交通省)は積極的に動くことになりました、

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運輸省国鉄の因縁

国鉄は、昭和24年に運輸省から分離した組織であり、当時の運輸省エリートがこぞって国鉄に移籍したといわれていました、実際昭和24年当時は国鉄が実質的な日本の輸送を司っていると言っても過言ではない時代であり、運輸省に対して常に優越意識を持つ独立的組織でした。
実際、運輸省国鉄の制定した規格を追認する形が昭和30年代には続いていました。
その極端な例が、ATS等に見ることが出来ます。
現在のJRで採用されているATS-SX形は元々は国鉄時代の車内警報装置を改良したものであり、ATSとしては不十分なものでした、その後追突事故の多発などを受けてATSが私鉄でも整備されることとなったさいは、運輸省が速度照査式のATSを設置するように通達を出していますが、国鉄はその適用を除外されています。

参考 鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

blackcatk.exblog.jp他にも、国鉄が基準を独自に定めることは多々あり、郵政省もそうでしたが、時には国鉄運輸省電電公社郵政省というイメージがあったことは事実でした。
そうした意味では、運輸省にしてみれば、「運輸省国鉄の間に楔」を打ち込もうとした第二臨調の戦略は、運輸省にしてみれば、協力することが省益にかなう行為であったのです。
参考 中曽根政権の行政改革・教育改革・税制改革の成否を分けたもの
-改革における事務局掌握の重要性-

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180105000416.pdf?id=ART0009238998

 

今回は、国労に関連する記述は直接はありませんが、中曽根臨調が国鉄をターゲットにすることで官僚の協力を取り付けた点を注目していただければと思います。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第1節 国鉄再建監理委員会の発足と「緊急提言」
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二 中曽根内閣による行革路線の推進

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├○ 臨調=行革路線の展開と中曽根内閣の反動性│
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 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

 1982年(昭和57)年11月、第2臨調=行政改革の”断行”をかかげて発足した中曽根内閣は、あけて、3年3月14日に臨調最終答申をうけ、さらに5月13日に国鉄再建監理委員会を発足させた。
 9月になると、臨調答申にそった関連法案を審議するため臨時国会を招集した。しかし、その会期さなかに東京地裁が、ロッキード事件丸紅ルート判決において、被告人の田中元首相に懲役4年追徴金5億円の判決を行った。野党は直ちに田中角栄議員辞職勧告決議の優先審議と早期解散を主張し、国会は1ヶ月あまり空転したが、衆参両院議長の斡旋もあって11月28日に国会は解散した。この年末総選挙は、当然のことながら政治倫理が主たる争点となり、3月18日に投票の結果は、自民党が126議席を失い単独過半数を割る大敗を喫した。12月17日発足の第2次中曽根内閣は、新自由クラブとの連立内閣となった。
 明けて1984年第2次中曽根内閣は行政改革を再重点施策にすると明言して、電電公社・専売公社の民営化など臨調答申に基づ基礎のごの行革関連法案を国会に提出した。さらに、教育「改革」をもくろんだ臨時教育審議会【臨教審】設置法案、医療費抑制【本人1割負担など】のための健康保険法改正法案なども提出され、それら行革関連法案はほとんど成立した。【電電公社民営化法案は84年12月成立】、翌85年4月1日、電電公社日本電信電話株式会社(NTT)専売公社は日本たばこ産業株式会社(JT)として、それぞれ民間会社としてスタートした。そして7月26日には、国鉄再建監理委員会最終答申「国鉄改革に関する意見」が出された。中曽根首相は、この答申を強引に実行する布石として、国鉄分割・民営化を推進することを期待して任命された仁杉総裁が弱腰を見せると更迭し、杉浦喬也前運輸事務次官国鉄新総裁に任命していた。【6月25日】
 他方、1983年11月、レーガン米大統領が来日して日本市場の開放と、より一層の防衛努力を要請した。これを受けて中曽根内閣は、”強いアメリカ”をとくレーガン大統領との協調を第一にする立場を鮮明にしながら、経済大国に見合う日本の政治・軍事大国化を目指して「国際責任を果たすための防衛力【軍備】増強路線を歩みだした。そのことは、毎年の予算編成における行革下のマイナス・シーリング方針の中で防衛費の伸び率だけが突出したり、防衛費がGDPの1%枠【三木内閣の閣議決定】を突破するのはやむをえないという姿勢に現れていた。そのうえ、靖国神社公式参拝に踏み切る【85年8月】とか、戦時中を思い出させるスパイ防止法案が議員立法の形で衆議院に上程される【同年6月】など、中曽根内閣の反動性はこの時期、さらにあらわになってきた。 

続く

国鉄労働組合史詳細解説 82

またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。

今回も、国鉄労働運動史を底本として、解説を加えさせていただきます。

入浴に関する国労の主張と当局の見解

昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677か所、12月の点検では583か所に減少したとはいえ1/3の職場では依然時間内入浴が行われているとして、より強力な方策がとられたようです、これについては国労は、勤務時間内入浴は、既得権益であるとしてその権利を守るべきであると言う主張を行っていました。

 

 

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとった

勤務時間内入浴は、国鉄労働者の権利という主張

 こうした行為に対して、国労は「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生し、賃金カットなどが行われる等の問題を発生させていきました

国労としても、既得権益を主張する組合員との間で、組織を守るためにも、現実路線を取るべきではないかと苦悩したであろうことが伺えます。

それが、山崎俊一企画部長の「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。」という発言につながったと言えそうです。

世論から浮いてしまった国労

国労組合員の思惑と異なり世間は、時間内入浴についてはあまり良い意味合いは持っていなかったようで、新聞からの記事を引用した「昭和58年6月号の国有鉄道」を参照しますと、国労としては、時間内入浴は既得の権利であるからということで、下記に書かれているように、最も味方につけるべき世論を敵に回してしまったと言われても仕方がない行動をとっています。

国労の言い分からすれば、「「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。」ことに対する対抗措置とも言えますが、結果的には自分たちの組織を弱体化させるだけに終始したように思えてなりません。

以下は、本文をキャプチャーしましたので参照願います。

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また、こうした入浴に関する動きとして、国労は新たな戦術として、3月15日から17日まで、入浴に関する順法闘争が行われたのですが、これに関しては、新聞各社が不快の感を示しています。

特に、東京新聞が、「何とも奇妙な順法闘争」という話題で批判していた他、朝日新聞も、「不毛だった順法闘争」として、半ば呆れたと言う論調で書かれています。

こちらも、当時の国有鉄道の記事から引用させていただきます。

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 マスコミすら敵に回してしまった国労

少なくとも、マル生運動の時はマスコミを上手く味方につけた国労は、今度はあろうことかマスコミを全方位的に敵に回した感があると感じるのは私だけでしょうか。

国労としては、現場協議制の実質的な廃止以降の当局の動きに対してただ反発するだけの組織としてしか機能しなくなり、世論を完全に見誤ったと言えるのですが、さらに混迷は続くことになりました。

ただし、国労の組合員からすれば、時間内入浴が禁止されることには不満もあったようで、本部の方針が変わったことに対して不満の意見が述べられています。

この辺は、昭和58年10月国有鉄道 視点論点 「危機意識を根底の論議」と言う記事の中に、国労5組合の全国大会の様子を記録した記事からの引用ですが、そこで国労の代議員からの質問で、入浴(洗身闘争)に対して、本部の指導が不十分で、全国統一闘争を決めていたのに、戦術が変更されたことに対する質問が出ていました。

全文引用させていただきます。

・主な発言内容は,「洗身闘争には本部指導が不十分で、138回中央委員会で全国統一闘争を決めていたのにもかかわらず、そのあとの戦術委員長
会議で変更したのはなぜか」「全民労協路線に結果的に賛成している」「賃金要求は家族と共にナマの要求をぶつけていくべきだ」「57・11の団交拒否は誤りで,ダイヤ改正と労働条件は切り離して闘うことができなかったか」「車両改造の具体的計画で職場の不満が強い」、となっている。
 これに対し,山崎俊一企画部長は「入浴については状況によって相応の戦術を検討せざるを得なかった。この問題は労安法,労基法違反の摘発・
点検闘争を併用した。今後もあくまで要求していく。全民労協の危険性はさらに暴露していく。

ということで、国労の主流派であった山崎委員長はある意味苦しい答弁をせざるを得ない状況に置かれていたようです。

国労と距離を置き始めた動労

更に、元々は国鉄分割民営化には反対であった動労が昭和57年以降態度を軟化させ、国労・全施労・動労・全動労の4組合で国鉄分割民営化反対に共闘を結んでいましたがここに来て、動労と全施労はその歩調を合わせないようにしてきました。

その辺りは、動労の大会での答弁に見ることができます。

再び、動労の全国大会の意様子を、上記文章の中から引用したいと思います。

 国労動労の共闘は中身を割っていかなければならない。門司の例はある意味で挑発だ。未曽有の攻撃に耐え得るための共闘というよりは共倒れ
になってしまう。現実における事実経過,歴史的な過程などをよく考えていくべきだろう。総評三顧問による労研センターは総評新生の目的にかな
わない。

として、国労とは距離を置いていきたいとしたものであり、国鉄当局は9月以降から特に厳しく取り組んできたと言われています。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 勤務時間中流身(入浴)など職場慣行を守る闘い

続き

 門司(保線区、運転区、機関区、客貨車区、信号通信区、電力区、建築区、機械区などの日勤職場)では、82年12月上旬に「勤務時間内入浴禁止」の通告文を風呂場に掲示するとともに、管理者を各風呂場に配置して現認体制を取るなどの措置をとったのを手始めに。83年の2月に入るや東鉄三局管内の運転職場においては現認にとどまらず、風呂場に施錠するなどの強行手段が取られた。5月には大鉄局管内において、前年9月期に大阪地本と管理局との「慣行是正」についての交渉の結果、「入浴・洗身時間として最低15分間を確保する。それ以上の時間にわたる慣行の是正については各職場の現場協議で決定する」旨の確認事項があったのを、一方的に無視し類似の措置を強行した。
 こうした措置に対し、国労側は、「国鉄の就業時間内入浴は汚染・発汗作業、あるいは一昼夜交代等の勤務と無関係ではなく、国鉄有史以来の既得労働条件であり確立された慣行である」などの点を強調し、この立場にたって時間内洗身の取り組みを継続したので全国各地の分会段階において連日激しいトラブルが派生した、当局は、洗身した者には賃金カット、抗議行動に参加したものには賃金カット、抗議行動に参加した者には戒告、それを指導した組合役員には減給ないし停職の処分を通告した。賃金カットにかけられた組合員だけでも、せんだい・新潟地本のそれと合わせると、延べ人数5,200人を超え、金額は1,500万円余りに及んだ。
 この事態を重く見た社会党共産党、総評、国労は「入浴問題中央調査団」を結成し、83年3月8日と9日、攻撃のもっとも激しい門司、直方、鳥栖3地区の職場(機関区・気動車区・客貨車区・保線区)の実態調査を実施した。他方、門司地本(2月4日)と東京地本(3月22日)はそれぞれ地方調停委員会に入浴問題に関する「団体交渉応諾義務確認」のあっせん申請を行った。
 そんななか、動労は「職員の入浴に関する解明要求」を当局に提出する。(3月24日)などして国労と共闘してきていたが、門司、東京などの職場では、両者の間で意見や行動の違いが表面化する事態が起こった。動労の一部役員・組合員が国労組合員の洗身を妨害したり、あるいは当局に入浴の現認を迫ったり、当局と一緒なって入浴の現認をする。などの行為が明るみになった。すでに、57・11ダイヤ改正問題や現場協議制協約締結問題でいわば先行妥結があったが、入浴慣行問題をめぐる動労のこうした動向は、国労にとってはにわかに理解しがたい行動といわざるをえなかった。

続く