当局の輸送改変の不当性を訴え、荷主の要望を集約する運動に出た国労
国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる」として、「荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。」とした運動方針を打ち立てるのですが、元々国鉄労働者の度重なるストライキにより、荷主が離れていった現状にあって、これはどうなんだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか。
「国鉄貨物輸送の問題を国民生活面や産業・経済活動・交通公害などの問題として社会問題化させ、政治的課題にまで押し上げる運動を通じて、国鉄貨物問題を赤字や黒字という財政的課題にまで押しあげる運動を通じて、国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる。」として次のような闘争方針を決定した。
① 当局計画の不当性、問題点などについて、職場討議を早急に展開する。
② 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
③ 国鉄の民主的再建、貨物輸送の在り方についての国労要求を早急にまとめ、大々的に宣伝活動を展開する。
④ 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。
一部は撤回まで持ち込めたと国労は評価
こうした国労の運動結果については、個人的な見解を述べさせていただくことを許していただくとすると下記の点で矛盾が生じているように思われます。
- 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
- 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。
いずれも、その原因を作ったのが国労を中心とした運動の結果であったと個人的には考えております。
一つの例として、山陰本線二条駅に自動車輸送のターミナルがあり、京都市内はもとより、滋賀県・兵庫県【丹波地方】及び鳥取県までの自動車輸送の基地として機能しており、国鉄としても収益の柱として期待されましたが、昭和40年だ後半から頻発したストライキで荷主の信用を失い、昭和47年をピークとした貨物輸送は昭和51年には終了。
昭和47年頃の二条駅(上方に見える赤い長い線が、自動車輸送用貨車ク5000)
昭和58年頃には保留車となった583系などが留置されていたのを記憶されている方も多いのでは無いでしょうか。
画像 Wikipediaから引用
大原社会問題研究所に書かれていましたので少し引用させていただきます。
こうした運動では、荷主自体が反対していたこともあって「最終的には、八線区一二駅の廃止撤回を得た」と国労の記述では書かれていますが、どこまで国労の運動で荷主が動いたのか、正直その辺はかなり疑問なのですが総評を通じて、組合を通じて交渉したと言うことになるかもしれませんが、この辺は今後総評の資料などを参照してみないとなんとも言えませんが個人的にはちょっと違うような気がしています。
貨物合理化を柱にした五九・二ダイヤ改正にたいし、国労・全交運の地域での宣伝とオルグの強化によって、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や本社、運輸省交渉などが取り組まれた。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書、沿線住民の総決起集会、荷主・通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見書提出など広範囲の運動が展開されていった。国鉄内のダイヤ改正交渉などを通じて八線区一二駅の廃止を中止させる成果を得
法政大学大原社研 1982〜1986年国鉄分割・民営化路線の浸透とダイヤ改正交渉〔日本労働年鑑 第57集 057〕
ただ、こうした国労の運動の成果と評価していますが、実際には下図のように、荷主本体からの要請が多数あったわけで、国労の運動がどこまで効果があったのかはいささか疑問と思われます。
実際、貨物輸送が減少した原因の根本を作ったのは、昭和50年代に行われたストライキがそもそもの原因であり、その点に関しては荷主が明言しています。
日本石油輸送株式会社市場開発部長の記述を見れば明らかでしょう。
四十年代後半に続発した国鉄ストが、国民に与えた不信の後遺症いまだ癒えてはいない。国鉄貨物輸送が、反転できない新たなシステムの転換の局面に立っている時、内部の問題から提供すべきサービスの質と量が低下するとすれば、利用者の意識はどこへ行ってしまうかは明らかであるう。
ただ、国鉄だけにその責任を転嫁するのでは無く、公共輸送ということで、有って当たり前と言う思いは無かったかと反省の弁を述べています。
そうした意味では、国労自身の活動のように言っていますが、どこまで国労の意見が通ったのかは不明ですし、結果的には、国労の意見と言うよりも荷主などの協力と国鉄の譲歩などにより実現されたと言う方が妥当かと思われます。
なお。企業によっては新しい拠点間輸送により更なる到達時間に短縮などを期待していると言った記述も見られます。
国鉄の貨物輸送集約に関しては、国労が反対はしましたが結果的には清水港線など一部の路線の廃止が延長になったりしたほかはほぼ予定通り進められることになりました。
次回に、国鉄本社が陳情等に対しての回答と言いますか、方針が書かれた資料がありましたのでこちらでアップしたいと思います。
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第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減
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├○ 59・2ダイヤ改正に対する国労の批判│
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国労は、上記のような当局の提案に対し、83年2月24日、25日に開いた第137回拡大中央委員会で次のように闘争方針を決定した。
「国鉄貨物輸送の問題を国民生活面や産業・経済活動・交通公害などの問題として社会問題化させ、政治的課題にまで押し上げる運動を通じて、濃くてう貨物問題を赤字や黒字という財政的課題にまで押し運動を通じて、国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる。」として次のような闘争方針を決定した。
① 当局計画の不当性、問題点などについて、職場討議を早急に展開する。
② 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
③ 国鉄の民主的再建、貨物輸送の在り方についての国労要求を早急にまとめ、大々的に宣伝活動を展開する。
④ 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。
こうした闘争方針に基づき国労は、2~4月には荷主アンケート調査を実施した。5月9日には全国ヤード代表者会議を開き、中央・地方が一体となり荷主や地域での共闘体制づくり全力を上げ貨物切り捨て反対の世論を盛り上げることを意識統一し、ただちに行動に入った。そして、各地方からのダイヤ改善要求の集約化と要求化をすすめた。7月から9月にかけて全国動員の中央行動を実施し、関係省庁交渉、政府・政党に対する陳情行動などに取り組んだ。地方でも管理局前集会、座り込み、デモなどを行った。
国鉄当局の計画についての国労の見解については5月21日付の「国鉄新聞」に新しい貨物営業」に対する組合の考え方を明らかにした。そこでは、国鉄の貨物は国内貨物輸送量の8%を分担しており、きわめて重要な位置にあること。そして、ヤード系輸送方式からの撤退と直行系輸送方式に転換することは、国民経済に大きなマイナスの影響を与える、さらに、ヤードの全廃と貨物駅の集約は国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつくものであると批判した。つづけて、国鉄貨物輸送の望ましい姿としては、① 大企業に奉仕する運輸政策を転換し、② 民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立し、そこに国鉄貨物を位置づける必要がある。そして、国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力が必要だと主張した。
続く