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国鉄労働組合史詳細解説 92

本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。

任期途中で交代した高木総裁

仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。

その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。

当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。

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その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。
中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。

中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前鉄建公団総裁の仁杉巌氏を第9代国鉄総裁に任命したのでした。

仁杉氏の略歴は、下記の通りです。

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仁杉総裁略歴 国有鉄道1984-01から引用

民営化推進派として送り込まれた、仁杉総裁

国有鉄道と言う部内雑誌の1984年1月号で、就任に際して、と言う記事が書かれています。

これを読ませていただきますと、国鉄退官後、極東鋼弦コンクリート振興株式会社を経て、西武鉄道の専務取締役に就任するのですが、国鉄と異なり私鉄の場合は、全ての部分を見なくてはならないとして、下記のような感想を残しています。

「私は西武鉄道に8年いて学んだ経験の最大のものは、私鉄では経営者の精神が現場のすみずみまで徹底しているなということです。」

ただ、この言葉をして、国鉄の民営化には賛成ですと言ったとはなりません。

また、下記のようにも述べています。

国鉄を再建するのは大変なことで、まず国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり、これが全役職員に浸透しなければいけないと思いますネ。

と回答しているように、総裁としては国鉄を民営化させることが目的では無く、あくまでも国鉄の信頼を取り戻すと言うことに主眼を持っていたわけです。
それ故に、組合の説得工作で変心したと言った記述をした文献もあるようですが、個人的にはそのように思いません。
少なくとも、この頃は、国労(民同左派)と職員局幹部の馴れ合いとも言えそうな、蜜月時代は終わり、むしろ対立路線に舵を切っていますので、総裁が組合に説得されたという論は無いと考えております。

もっとも、直接当時本社にいた方からお話を聞ければ、また修正できると思うのですが、現在は状況証拠から推察とさせていただきます。

国労は、「過員」問題で要求書を当局に提出した。

恐らく当局も極端な人員減は想定外で有ったと思うのは、59・2ダイヤ改正で有ろうと思います。

と言いますのも、ヤード系輸送の縮小にしても当初は、全面的な廃止を想定しておらず、武蔵野ヤードなどの近代的ヤード等は残せると考えて、専用線の合理化を含めて考えていたようですが、収支均衡を目指すと言う視点から、これは民営化に協力したと言うよりも、民営化させないために国鉄として自立できる道を選ぼうとした結果、要員を圧縮しすぎてしまったのでは無いかと推測できるわけです。

 84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。「国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。

その辺の焦りが、国労からも要求書として出てきたのではないかと推測しています。

なお、国労も書いていますが、制式には過員が正解であり、マスコミが書き立てた、「余剰人員」なるものは存在しません。

ただ、残念ながら未だに多くの文献などでは、「余剰」と言った言葉で語られることが多く、実際に渦中にあった国鉄職員の方から見ればこれは屈辱以外の何者でも無かったであろうと容易に推測できます。

自身の組織を守ろうとしてしたら、予想以上に縮小してしまったという話

国鉄本体が自身の組織を守るために行った改変が結果的には全てのヤードを廃止させることとなったと思われます。

同様の理由で、荷物輸送にあっても「クロネコヤマトの宅急便」に代表される宅配便が普及したことから、従来のように駅まで荷物を持ち込むもしくは受け取りにくる従来の鉄道荷物は減少続けることとなり、昭和58年度には集配から配達までを一貫して行える仕組みを作ったものの、減少傾向には歯止めがかからず、国鉄当局としては、59年のダイヤ改正で、荷物取扱量の少ない駅や線区の荷物営業を廃止したり、輸送力の削減と言った合理化を行ったとされています。
しかし、こうした努力はその殆どが、空回りしてしまう結果となったのは残念です。

下図は、昭和56年8月頃から使用を開始した、従来の荷札に代えて使用を開始した、国鉄荷物ラベルだそうです。
郵便局ののラベルは、私が郵便局に入ってからですので、国鉄の方がこうしたラベルの使用は早かったわけで、宅配便のに普段を参考としたのかもしれませんが、少しずつでも荷物輸送の改善に取り組んでいたことが判ります。

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昭和58年度国有鉄道 6月号の記事から引用

 

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

┌───────┐
├○ 過員の発生│
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 2月1日以降の全国の職場に過員が発生したが、この問題の解決が59・2ダイヤ改正闘争に残された最大の課題であった。このため、84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。

国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。こうした施策によって意図的に創りだされた大量の「過員」の存在は、国鉄労働者の首切りにさえつながる危険をもつものである。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 91-2

今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。

第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。

当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。

特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは本来であれば国が整備すべき若しくは税金で補填すべき部分に対しても過剰な国鉄への依存や短期鉄道債券による資金調達などの問題(新線建設などの場合30年40年と長期にわたり費用の償還等が発生するため資金調達もそれに合わせた長期かつ低廉な資金で調達すべきところですが、これを最短6年ほどで償還する鉄道債券などで調達していたことなども一つの原因ではないかと考えています。建設途中に償還期間がくるため新たな債券を発行するなどしなくてはならず、生活費がらりなくてクレジットカード等でお金を借りてしまいますので、その支払いのために更に生活が圧迫されて、新たなクレジットで借りて生活費に充てるような状況に国鉄は置かれていました。

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当初の貨物輸送再編は、民営化を想定したものでは無かった

国鉄貨物輸送の改善に関しては、昭和55年から、輸送量に見合った輸送力にすべく【減量ダイヤ】を行ってきたにも関わらず、その輸送量は減少を続けました。
抜本的改正を目指して、ヤード系輸送の廃止と直行輸送方式に変更するプロジェクトは、臨調がスタートした半年後の、昭和56(1981)の夏頃でした。

この改善プロジェクトは、臨調に追随する形で始まったわけではなく、むしろ臨調には批判的な位置から始まったのであり、昭和55年のダイヤ改正以降の総仕上げ的な意味合いもありました。
当初の計画では、ヤードを全廃するわけではなく、100カ所程度の集約するほか、車扱い輸送で専用線などを利用する場合には、むしろその合理化を図った上で、有効な路線は更に活(い)かしていくと言った方向性が考えられており、国鉄貨物局長の私的諮問機関である、貨物輸送制度研究会では、昭和58年3月24日に貨物輸送に関する提言を行っており、この中で専用線についても言及されていました。
その概要を、国鉄部内誌の国鉄線 昭和58年6月号から引用してみますと、おおむね下記のような内容でした。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

国鉄線 昭和56年6月号から引用

 

  1. 専用線については、工場敷地内に設置する場合などを除き、企業などが用地と費用をして敷設されるが線路の維持管理は国鉄の側線扱いとして国鉄が負担することになり、その保守費用等も含めて効率の悪い線路は廃止するなり集約します。
  2. 廃止に伴いコンテナ輸送等を推進するほか、廃止に伴う金銭的補償を行います
  3. 運賃制度も安いだけではなくコストに見合った運賃とするなど適正化を図るとともに、新たな専用線の誘致などを行っていきたいとしています。

下記に、専用線の提言に関する部分を引用させていただきましたので参照頂きたいと思います。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

少し長いですが、関連する部分などを引用してみたいと思います。

今後の対策
今後の対策
以上が提言内容であるが、ハード-・ソフト両面にわたって、今後の貨物輸送の方向に沿った改善を図るととを求めています。
今後は提言を踏まえ以下の通り検討を進めることとしたい。


(1)ハード面
効率の高いものの育成、強化と、低いものの見直しについては、58x以降の貨物駅整理並びにその対策について、早急に検討していきたいです。
なお、廃止に伴う補償等については、国鉄のおかれている現状を配慮しつつ、可能な限り実効性のあるものとしたい。
(2)ソフト面、その他
低コスト輸送の可能な専用線貨物の運賃については、58x以降の輸送システムに適合した運賃制度全般について5月20日に「貨物運賃制度研究会」を設け、検討を進めていますので、その中での検討に譲ることとしたい。
コンサルタント機能の充実、専用線の利便性の向上施策等については、関係箇所等を通じて貨車の回転率の向上、専用線内作業の適正化など輸送全般について、荷主の要望に配慮するとともに、専用線の敷設、運営、保守全般にわたってコシサルタント機能を充実し、経費の節減に資することとしたい。
なお、新規誘致や育成強化のための共同専用線化、敷設促進のための助成措置等についても、引き続き検討を進めることとしたい。

結果的には、ヤード系輸送全廃を目指すことに

当時の高木総裁の談話などを見ていますと、臨調の示す分割民営化は難しいのではないかと言った批判的であったと言われており、任期途中で分割民営化を進めるために、政府は民営化推進のための、更迭して、元技師長の仁杉巌(いわお)氏を総裁として送り込んでいます。
この辺は国鉄と当時の政府とのパワーバランスと言えましょう。
ちなみに、当初は国鉄民営化推進派と思われていましたが、組織温存を図る目的で、どちらかといえばその推進には否定的であったことから【組合による変節という意見もあるようですが、この辺は更に調べていく必要がありますが、結果的には、政府の不興を買うこととなり、その後運輸省事務次官で退官した、杉浦喬也(すぎうら たかや総裁に交代していくのは御存じの通りです。 

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 59年2月の貨物輸送システムチェンジは、国鉄再生を主とした目的でした。
結果的には、多くの専用線を含むヤード系輸送を全廃をせざるを得ないと言う結果になったのは残念でした。
また当然のことながら専用線廃止を含む方針が発表された後からは、廃止の延期などを含めた陳情が下記のように寄せられましたし、宇品線のように山陽線の側線扱いとして存続していた専用線も晩年は利用者が減少していたこともあり、廃止となってしまいました。

参考

local-line.at.webry.info

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国鉄労働組合史詳細解説 91

当局に押しきられる形となった国労

 国労は、貨物輸送の縮小に反対するとして、積極的に反対運動を行ったと書かれています。国労としては、全日本交通運輸労働組合との連携を図ったと書かれています。

また、国労は、下記のように総括していますが、施策自体は、臨調の後ろ盾というも、分割民営化を阻止したい当局側の組織防衛であったと考える方が素直であり、「臨調の後ろ盾」と言うよりも、「国鉄当局自体が背水の陣を敷かざるを得なかった状況であった」と考える方がより素直なような気がします。

全日本交通運輸産業労働組合協議会(公式ホームページ)

 国労は全交運とともに全国各地で、宣伝・オルグ活動を強化し、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や国鉄本社、運輸省交渉などに取り組んだ。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書の提出、沿線住民の総決起集会、荷主、通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見提出など幅広い運動が展開されていった。9月21日には、国民の国鉄を破壊する59・2貨物・手小荷物「合理化」反対、地方交通線廃止反対、運賃値上げ反対、要求する中央総決起集会を開いた。全国の職場の仲間から寄せられたカンパで1万8000人の国労組合員が上京し、中央行動に取り組んだ。
 交渉と運動とを有機的に結合する闘いを展開するなかで、59・2ダイヤ改正交渉の回数を重ねたが、この施策が臨調答申を閣議決定して提案されただけに、部分的修正を勝ち取れたものの、施策の基本にかかわる部分、とりわけ貨物取扱駅の存続、ヤードの存続については国鉄当局の態度は頑なであった。

また、国労が行った「自治体での貨物廃止反対決議」はそれなりの効果があったかもしれませんが、結果的には大きな影響を及ぼしたとは言えませんでした。

この辺は国鉄線【1984年3月】の、59.2における貨物駅再編成計額-その経過と反省-で次のような記述が見られます。

地方自治
自治体に対する説得は、保守・革新を問わず相当難行した。荷主がすべて納得しても、自治体だけは反対というケースもあり(最後まで難行した数カ所はほとんどこれに近いケーlスであったてこれは予想外の事態であった。しかし、考えてみれば、自治体が今回の計画に賛意を表することを期待する方が無理であろう。国鉄の赤字は自治体に何の関係もないわけであるし、利用の多少にかかわらず、国鉄貨物駅はないよりあった方が地元にはベターである。
これが大部分の自治体の気持であろうことは推測に難くない

こうした、自治体の反対決議が、国労の運動の成果か否かは判りませんが、貨物駅等が廃止になることで地方納付金(固定資産税に相当する租税)が減少する事への危惧なども有ったのでは無いかと考えています。【この辺はあくまでも私の私見であることをお断りしておきます。】

結果的には、国鉄のシステムチェンジは、国鉄自体の貨物輸送が生き残るためのものであるという認識が、現場から運輸省に至るまで一貫していたことが大きかったとされたと、59.2における貨物駅再編成計額-その経過と反省-国鉄線【1984年3月】では下記のように結ばれています。

少し長いですが、再び引用させていただきます。

 

この転換の最大の推進力は、要約すると次の二点に絞るととができるだろう。
第一に、部外にあっては、国鉄における合理化の必要性がすべての国民の間で、個々の利害を超えたコンセンサスとして成立していたという点である。そのため、抽象的な公共性論等はあったものの、合理化そのものを否定する主張はほとんど聞かれなかった。ただこの条件は、逆の面からみれば、国民は国鉄が合理化に逡巡するととを決して許さないということを意味する。これからの国民の眼はますます厳しくなると考えなければならない。
第二に、部内的には、今回の貨物ダイヤ改正は鉄道貨物が生き残るために避けることのできない施策であるという共通認識が、現場から管理局・本社まで、さらに監督官庁である運輸省に至るまで一貫しており、そしてすべての関係者が、文字通り寝食を忘れて目的達成のために全ガを傾けたという点である。
最後にここで我々が肝に銘じなければならないことは、59・2は拠点間直行輸送体系のハードウェアを作ったにすぎないということである。とのハードウェアを駆使す-るソフトウェアを定着させ、目論見通りの収入を確保するのでなければ、今回のシステムチェンジは次代の展望をひらくものとはならず単なる減量化施策の一つに終わってしまう。

とうことで、国鉄当局としてもこのシステムチェンジは非常に重要な意味であったことが窺えます。

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4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期

国鉄貨物輸送の廃止は、国労も組織を挙げて反対したが、実際には国鉄の態度に押しきられる形となりました。

ただし、下記の通り一部の特定地方線区はその廃止を延期するなどの措置が取られることとなりましたが、これはあくまでも例外規定であり、国労の言うところの

廃止問題について4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。

ここで、国労が主張する、「4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。」と言うのは、下図の第一次特定地方交通線の廃止であり、当局側の都合で延期になったと見るべきではないでしょうか。

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もちろん、組合が迫って認めたのか、当局側が最初からやむを得ないと判断したのか判りかねますが、当局側の資料として国有鉄道1984年3月号)を参照しますと、下記のような記述を見ることが出来ます。

特定地交線対策協議会において種々議論があり、各協議会で線区の実情に応じ、一定時期まで暫定的に貨物取扱いを継続することが決定された。もちろん、これはあくまで暫定措置であり、460駅体制の例外をなすものではない。

あくまでも、上記4線7駅の措置は例外的なものであり、転換若しくは廃線になるまでの間、特例として貨物輸送を残すものであると明記されています。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

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├○ 59・2ダイヤ改正に対する闘い│
└─────────────────┘

 1983年8月19日から開催された第45回定期全国大会の運動方針では、次のような「闘い方」の方針を決定した。

 「1、59・2ダイヤ改正反対の闘いについては、従来の国鉄当局との団交、大衆行動、地域共闘、一定の戦術配置というパターンでは闘いの成功は期しがたいことについて意思統一をはかる。
 2、59・2(特に貨物、荷物)については、単なるダイヤ改正と受け取らず、わが国における陸上輸送の中にしめる国鉄貨物、特に車扱輸送のあり方を問題にした闘いに発展させるとの視点にたった全体の合意のもとに、中央・地方・職場で創意ある闘いを展開していくことにする。
 3、この闘いを展開するに当たって重要なことは臨調・政府の国鉄も貨物輸送のあり方(当局案)に反対する『世論』をつくりあげこれを『国鉄政策』の変更を求める力として結集し、『家庭で国鉄の労使問題として取り組むという闘いの配置が重要である。
 4、輸送システムの変更、修正を求めるという輸送施策の問題については、9月末~10月上旬を重要な山場として徹底した大衆行動を組織し、その高まりの中から前幸運貨物共闘の統一行動の一環としてストライキ等を配置して闘うことにする。」

 国労は全交運とともに全国各地で、宣伝・オルグ活動を強化し、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や国鉄本社、運輸省交渉などに取り組んだ。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書の提出、沿線住民の総決起集会、荷主、通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見提出など幅広い運動が展開されていった。9月21日には、国民の国鉄を破壊する59・2貨物・手小荷物「合理化」反対、地方交通線廃止反対、運賃値上げ反対、要求する中央総決起集会を開いた。全国の職場の仲間から寄せられたカンパで1万8000人の国労組合員が上京し、中央行動に取り組んだ。
 交渉と運動とを有機的に結合する闘いを展開するなかで、59・2ダイヤ改正交渉の回数を重ねたが、この施策が臨調答申を閣議決定して提案されただけに、部分的修正を勝ち取れたものの、施策の基本にかかわる部分、とりわけ貨物取扱駅の存続、ヤードの存続については国鉄当局の態度は頑なであった。
 こうした状況の中で、10月6日にダイヤ改正に伴う労働条件の提案を受けたが、その理由は、国労が従来のダイヤ改正のように、事前協議で一定の施策の合意に基づく提案という形は取れないと判断したことと、施策の論議を今後とも続行するとの合意ができたことによる。と同時に、反対運動の状況が全国・全系統で一様でなく、全体として盛り上がりが十分でなかったため、労働条件の提案を受けることにより闘いを全体として高揚させる契機にしようと考えたからであった。
 12月段階の交渉では、廃止予定駅のうち地元の同意が得られない駅について存続させるよう強く主張したが、国鉄当局は言葉では荷主や関係自治体の理解を求めると言いながら、その実態は施策の理解が得られようが得られまいが、方針を変えないという、過去のダイヤ改正では例を見ない態度であった。国労は交渉において当局が線区、駅の廃止問題について4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。組合は、「59・2施策の基本について納得することはできないが、ダイヤ改正実施はやむを得ないと考える。しかし、根室線五能線運輸事業審議会に付議されており、駅廃止問題、組合要求も残っているので、残された期間に交渉を続け、最終判断したい」との態度を明らかにした。根室線五能線の問題が運輸審議会での結論が出されたため、1月27日に「59・2ダイヤ改正に関する協定」等を締結し、1年間の闘いを終えた。これによってダイヤ改正は2月1日から実施されることとなった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 90-2

貨物事業縮小の陳情に対する当局の態度

再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。

少し長いですが、全文引用させていただきます

四、陳情と対応策

陳情内容をいろいろな角度から述べましたが、陳情に対して私どもがどう対応しているか述べてみたいと思います。

貨物取扱駅存続460駅体制は、物流のまとまりを考えて組んだものであり、この駅体制と直行システム化は、言わば車の両輪であり、貨物取扱駅の存続はできない。
輸送ルート確保の車扱については、一定のまとまりのある区聞に限定して直行列車を設定しているので、輸送量の少ない区間には送れないことになる。しかし、コンテナでは、ほぽ全方位の輸送を確保するととにしている。
コンテナ輸送のメリットを最大限に発揮させるため、拠点駅への通運免許の付替、通返事業者等の集配力の強化、長距離区間貨物取扱駅が廃止される地域等を中心に、貨物跡地を利用した通運の広域集配基地(通運デポ)の設置等効率的な広域集配体制の確立を図る。
なお、具体的な物資については、次のように対処している。
小量分散型貨物
〔化成品〕・・・数日分を一箇列車にまとめて輸送できないか、私有タシクコンテナによるコンテナ化のしようよう。
〔火薬類〕・・・車扱輸送ルートのない場合、コンテナ化のしようよう(現行では、火薬類はコンテナに積載出来ないが、関係省庁へ規制緩和について折衝中)
〔特大貨物〕・・・運輸上支障のない場合に限り、臨時貸切列車の設定を行う。但し、運賃は割高となる。
大量分散型貨物
〔肥料・米〕・・・コンテナ化をしようよう。
〔みかん・りんご・馬れいしょ等の季節貨物〕・・・臨時のコンテナ、車扱直行列車設定を検討

五九・二ダイヤ改正の延期の要望
五十七年七月の臨調答申、五十七年九月の閣議決定、五十八年八月の国鉄再建管理委員会の基本的実施方針等において求められている拠点間直行輸送体制は、国鉄貨物に残された最後の生き残り策であり、予定通りの期日に実施する。
補償

今回計画による廃止対象駅の規模が大きいことなどから現行の補償制度を全般にわたって見直しを行う。新規補償はしない。
等々を説明し理解を求めているところです。

*1

国鉄線 昭和58年10月号31Pから引用

ということで、車扱輸送を行っていた貨物も極力コンテナで対応できるとしており、専用線にあってもコンテナにより対応できるとしていましたが、多くの専用線を持つ企業は専用線を廃止して、トラック輸送に変わっていったように記憶しています。

西大路駅横には、日本電池((GSバッテリー)現・ジーエス・ユアサコーポレーション)の工場があり線路に沿って専用線が引かれ積込がされていましたが現在は専用線は撤去されてしまいました。(工場の施設自体は現在も残っていますが。)

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左上の大きな建物が湯浅バッテリーの工場で、専用線が伸びていることが判ります。

近代京都オーバーレイマップ

貨物輸送縮小に関しての世論はどうであったか

当時の世論は大きく二つに分かれていました。

  • 国鉄貨物の占めるシェアは僅か7.3%であり、鉄道貨物輸送は終わったと言う、いわゆる鉄道貨物安楽死論であり、臨調や自民党の立ち位置でした。
  • 今回の計画は国民生活の破壊につながるもので、現行輸送方式を維持すべきだ」とした、国鉄貨物公共性論の立場であり、組合並びに社会党共産党などの立ち位置でした。

国鉄としても、鉄道貨物輸送を手放すつもりは無く、実際にコンテナ輸送は57年度で落ち込みはあったものの、それまでも順調に増加していましたので、引き続き経営する意欲はあったわけですが、車扱輸送による赤字、特にヤード継走方式は、到着時間が不確定になるなどの問題を内包していたことも事実でしたので、この辺りで収支均衡を図るためにも不採算部分は思い切って切り離したいと考えていました。

労働組合としては、ヤード系輸送の廃止は反対と唱えていますが、国

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鉄当局側の見解としては、「車扱輸送も5000万トンを割るようでは、ヤード系集結輸送はコストが高くなり、そのうえ到着目時が明確でない、到着時分が長くなるといった欠点ばかりが出ている。」としており、国鉄としても正直言って扱い量全体が減少していく中では、赤字を増やすだけの車扱はしたくないというのが本音であったと考えます。

国労の見解をここに引用させていただきます。

国労の見解については5月21日付の「国鉄新聞」に新しい貨物営業」に対する組合の考え方を明らかにした。

そこでは、国鉄の貨物は国内貨物輸送量の8%を分担しており、きわめて重要な位置にあること。

そして、ヤード系輸送方式からの撤退と直行系輸送方式に転換することは、国民経済に大きなマイナスの影響を与える、さらに、ヤードの全廃と貨物駅の集約は国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつくものであると批判した。

つづけて、国鉄貨物輸送の望ましい姿としては、

  1. 大企業に奉仕する運輸政策を転換し
  2. 民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立し、そこに国鉄貨物を位置づける必要がある。
  3. 国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力が必要
だと主張した。

と書かれていますが、民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立・・・というのはどう言ったものを指すのか、全く具体案が見えてきません、実際トラック輸送に奪われたシェアを取り戻すのに民主的とは何を指しているのか。大企業に奉仕する運輸政策を転換し・・・というのは、昭和47年頃から言われていた話ですが、車扱貨物輸送は、資本家のために安い運賃で荷物を運んでおり、本来得るべき労働者の利益が搾取されているとして反対してきたものですが、逆に安い運賃であったが故に物価が安定していたという面もあるわけで、その後のスト権スト等の闘争で、荷主の信用を失った結果、国労が言うところの、「国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつく」と言う結果を招いたと考えます。

それ故、国労が提案している「国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力」というのは国鉄当局としては、ヤード系輸送の廃止を行い、黒字がでている直行輸送系に切り替えることで、自民党や臨調の中で燻り続ける、鉄道貨物安楽死論を阻止する意味合いがあったわけ、そうした意味では、国労の主張は筋として努力すべき点は同じですが、ここに行き着くまでのプロセスにおいて大きな矛盾を抱えていると考えてしまうのです。

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*1:しょうよう【慫慂】そうするように誘って、しきりに勧めること。

国鉄労働組合史詳細解説 90

当局の輸送改変の不当性を訴え、荷主の要望を集約する運動に出た国労

国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる」として、「荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。」とした運動方針を打ち立てるのですが、元々国鉄労働者の度重なるストライキにより、荷主が離れていった現状にあって、これはどうなんだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか。

国鉄貨物輸送の問題を国民生活面や産業・経済活動・交通公害などの問題として社会問題化させ、政治的課題にまで押し上げる運動を通じて、国鉄貨物問題を赤字や黒字という財政的課題にまで押しあげる運動を通じて、国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる。」として次のような闘争方針を決定した。

 ① 当局計画の不当性、問題点などについて、職場討議を早急に展開する。
 ② 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
 ③ 国鉄の民主的再建、貨物輸送の在り方についての国労要求を早急にまとめ、大々的に宣伝活動を展開する。
 ④ 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。

一部は撤回まで持ち込めたと国労は評価

こうした国労の運動結果については、個人的な見解を述べさせていただくことを許していただくとすると下記の点で矛盾が生じているように思われます。

  • 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
  • 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。

いずれも、その原因を作ったのが国労を中心とした運動の結果であったと個人的には考えております。

一つの例として、山陰本線二条駅に自動車輸送のターミナルがあり、京都市内はもとより、滋賀県兵庫県丹波地方】及び鳥取県までの自動車輸送の基地として機能しており、国鉄としても収益の柱として期待されましたが、昭和40年だ後半から頻発したストライキで荷主の信用を失い、昭和47年をピークとした貨物輸送は昭和51年には終了。

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昭和47年頃の二条駅(上方に見える赤い長い線が、自動車輸送用貨車ク5000)

昭和58年頃には保留車となった583系などが留置されていたのを記憶されている方も多いのでは無いでしょうか。

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画像 Wikipediaから引用

大原社会問題研究所に書かれていましたので少し引用させていただきます。

 

こうした運動では、荷主自体が反対していたこともあって「最終的には、八線区一二駅の廃止撤回を得た」と国労の記述では書かれていますが、どこまで国労の運動で荷主が動いたのか、正直その辺はかなり疑問なのですが総評を通じて、組合を通じて交渉したと言うことになるかもしれませんが、この辺は今後総評の資料などを参照してみないとなんとも言えませんが個人的にはちょっと違うような気がしています。

貨物合理化を柱にした五九・二ダイヤ改正にたいし、国労・全交運の地域での宣伝とオルグの強化によって、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や本社、運輸省交渉などが取り組まれた。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書、沿線住民の総決起集会、荷主・通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見書提出など広範囲の運動が展開されていった。国鉄内のダイヤ改正交渉などを通じて八線区一二駅の廃止を中止させる成果を得

 法政大学大原社研 1982〜1986年国鉄分割・民営化路線の浸透とダイヤ改正交渉〔日本労働年鑑 第57集 057〕

ただ、こうした国労の運動の成果と評価していますが、実際には下図のように、荷主本体からの要請が多数あったわけで、国労の運動がどこまで効果があったのかはいささか疑問と思われます。

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昭和58年国鉄線 10月号から引用

実際、貨物輸送が減少した原因の根本を作ったのは、昭和50年代に行われたストライキがそもそもの原因であり、その点に関しては荷主が明言しています。

日本石油輸送株式会社市場開発部長の記述を見れば明らかでしょう。

四十年代後半に続発した国鉄ストが、国民に与えた不信の後遺症いまだ癒えてはいない。国鉄貨物輸送が、反転できない新たなシステムの転換の局面に立っている時、内部の問題から提供すべきサービスの質と量が低下するとすれば、利用者の意識はどこへ行ってしまうかは明らかであるう。

昭和58年国鉄線 10月号から引用

ただ、国鉄だけにその責任を転嫁するのでは無く、公共輸送ということで、有って当たり前と言う思いは無かったかと反省の弁を述べています。

f:id:whitecat_kat:20180524080016j:plain

 

 そうした意味では、国労自身の活動のように言っていますが、どこまで国労の意見が通ったのかは不明ですし、結果的には、国労の意見と言うよりも荷主などの協力と国鉄の譲歩などにより実現されたと言う方が妥当かと思われます。

なお。企業によっては新しい拠点間輸送により更なる到達時間に短縮などを期待していると言った記述も見られます。

 

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 国鉄の貨物輸送集約に関しては、国労が反対はしましたが結果的には清水港線など一部の路線の廃止が延長になったりしたほかはほぼ予定通り進められることになりました。

次回に、国鉄本社が陳情等に対しての回答と言いますか、方針が書かれた資料がありましたのでこちらでアップしたいと思います。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

┌────────────────────┐
├○ 59・2ダイヤ改正に対する国労の批判│
└────────────────────┘

 国労は、上記のような当局の提案に対し、83年2月24日、25日に開いた第137回拡大中央委員会で次のように闘争方針を決定した。
 「国鉄貨物輸送の問題を国民生活面や産業・経済活動・交通公害などの問題として社会問題化させ、政治的課題にまで押し上げる運動を通じて、濃くてう貨物問題を赤字や黒字という財政的課題にまで押し運動を通じて、国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる。」として次のような闘争方針を決定した。

 ① 当局計画の不当性、問題点などについて、職場討議を早急に展開する。
 ② 中央・地方は事前協議で当局計画の矛盾点との追求と合わせて、今日までの貨物輸送の低落に対する当局の責任を徹底的に追求する。
 ③ 国鉄の民主的再建、貨物輸送の在り方についての国労要求を早急にまとめ、大々的に宣伝活動を展開する。
 ④ 荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。

こうした闘争方針に基づき国労は、2~4月には荷主アンケート調査を実施した。5月9日には全国ヤード代表者会議を開き、中央・地方が一体となり荷主や地域での共闘体制づくり全力を上げ貨物切り捨て反対の世論を盛り上げることを意識統一し、ただちに行動に入った。そして、各地方からのダイヤ改善要求の集約化と要求化をすすめた。7月から9月にかけて全国動員の中央行動を実施し、関係省庁交渉、政府・政党に対する陳情行動などに取り組んだ。地方でも管理局前集会、座り込み、デモなどを行った。
 国鉄当局の計画についての国労の見解については5月21日付の「国鉄新聞」に新しい貨物営業」に対する組合の考え方を明らかにした。そこでは、国鉄の貨物は国内貨物輸送量の8%を分担しており、きわめて重要な位置にあること。そして、ヤード系輸送方式からの撤退と直行系輸送方式に転換することは、国民経済に大きなマイナスの影響を与える、さらに、ヤードの全廃と貨物駅の集約は国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつくものであると批判した。つづけて、国鉄貨物輸送の望ましい姿としては、① 大企業に奉仕する運輸政策を転換し、② 民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立し、そこに国鉄貨物を位置づける必要がある。そして、国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力が必要だと主張した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 89

地方都市圏で導入された「都市型ダイヤ」

国鉄は、昭和59年の大幅な輸送改善、【システムチェンジ】を提案してきましたが、最も大きな点は地方都市に於ける都市型ダイヤの導入でした。

59年2月の改正で、ヤード系輸送の廃止ばかりが目立ちますが、昭和57年11月の改正で広島地区のダイヤを列車形ダイヤから都市型ダイヤに変更して試行した結果顕著な結果でがでたことから、全国的に地方都市圏でも広島方式が検討されることになりました。

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国鉄線 昭和58(1983)年12月 主要中核都市圏の輸送改善例から引用

この結果を受けて国鉄では下表のように、広島形の都市間輸送を行うこととなりました。【61年11月改正は省略】

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 (1)旅客輸送、① 都市間輸送=山陽・九州の急行、九州内の特急の需要に応じた見直し。北海道地区の急行の一部特急への格上げと普通列車への格下げ。その他線区の需要に応じた見直し。② 大都市圏輸送=首都圏、関西圏で通勤時を中心に輸送改善 ③=その他=普通列車は線区ごとに需要動向を勘案して、編成了数、本数などの見直し、以上の結果、列車キロほぼ横ばい。

 (2)荷物関係、① 拠点間ロット輸送=東海道、山陽、関西、東北、奥羽、日本海縦貫を中心にロット化、締切化を深度化する。② 営業の重点化荷物列車等の改正。
 (3)貨物輸送、① コンテナ輸送=直行系輸送の主軸として輸送力を増強。②=物資別適合輸送=実態に応じ整備、見直しをはかる。 ③=一般車扱い輸送=直行系輸送に再編成する。ヤード体制は廃止する。拠点駅とその他の駅を結ぶ集配列車を設定し、そのための基地を60箇所配置する。列車設定キロはう約29万キロ
 (4)その他、① 乗務員基地の集約等を行う。② 貨物駅を457駅体制とする。② 作業体制、勤務体制を全面的に見直し業務運営の効率化を図る。動力車・列車乗務員の効率化を図る。

旅客輸送を増やす反面貨物輸送は大幅減少

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国鉄監査報告書昭和58年 P103から引用

一般車扱貨物は昭和57年11月と比べても1/3以下の列車本数になり本数的には半減以下になりました。

 この改正では、旅客に関しては利便性が上がるものの、コンテナ輸送=直行系輸送の主軸としてヤード体制は廃止することになるため、全体としての要員は前述のとおり圧縮されることになります。

当然ながら世論も大反対の声が

当然のことながら、国労は、「提案内容に同意できない。後日、要求を申し入れるので実りある団交を」するという要求を出すことになりました。

また、ヤード系輸送の廃止には、専用線や貨物輸送を扱っていた私鉄【関西では別府鉄道等】にも影響を及ぼすこととなり、国鉄の発表を受けて日本化学工業会は、昭和58(1983)年2月1日に運輸省国鉄に対し、扱駅の縮に対して「貨物輸送の縮小に反対」の陳情を行ったとされています。

 国労の資料によりますと、下記のように反論を述べています。 

国鉄当局は、貨物部門のこうした大がかりな合理化を推進するにあたって、荷主や自治体との折衝を全国ですすめていった。国鉄貨物取扱駅の削減で大打撃を受けるものが硫酸、液体酸素などの危険物の輸送を国鉄に依存している化学製品業界である。、計画通りの削減が実施されると、タンク車による輸送不可能量の91万トンを10トン積みタンクローリー車約9万台分で代替輸送しなければならなくなり、当時の道路輸送の4割増になると試算されていた。

当時のっせろんはどのようなものであったのか、実際にはもっとあらゆる声が有ったと思いますが、集約すると概ね下記のような意見が多かったようです。

  • 「県から駅がなくなるのは困る」
  • 市場駅廃止は,市場の存廃にかかわる」
  • 「北海道のパレイショが本州へ送れない」
  • 「四国のみかんが東京へ送れない」
  • 「石炭輸送の廃止は炭坑の死活問題だ」
  • 「危険品が町へあふれる」
  • 「トランスや車両のような重量品はどうして運ぶのか」
  • 「連絡社線を勝手に廃止することは民鉄をつぶすことになる」
  • 「貨物問題は地交線廃止の先取りである」
  • 「不要になった私有貨車や専用線の補償を行え」

等々、様々な問題提起が行われたようです。

「県から駅がなくなるのは困る」といった感情論的な話から、「北海道のパレイショが本州へ送れない」とか、「四国のみかんが東京へ送れない」と言った誤解と【実際にはコンテナで輸送できるわけですから】言いますか割高になるのを嫌ったのかそうした声もあったほか、「不要になった私有貨車や専用線の補償を行え」といったより実務的な話とかもあったようです。

特に道路輸送が困難では無いかと指摘されたのは下記の3点

実際には、国鉄の施策は納得せざるを得ないということで共感される反面、道路輸送の困難を示したのは、下記のような物品であった。

  • 化成品等の危険品
  • 変圧器等の超重量品
  • 鉄道車両

これらの関しては化成品がコンテナに移行しているものもありますが、鉄道により輸送されているのはご存じの通りです。

当時のそうした顛末が、国鉄線 昭和58(1983)年10月号に「不退転の決意で」と言うタイトルで大鉄局の営業部長名で当時の苦労話が書かれていましたので参考に添付しておきます。

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国鉄線 昭和58(1983)年10月号から引用

和歌山県では拠点駅が廃止、それに連動して専用線も廃止

こうした多くの問題を抱えながら、最終的には、一部の駅では廃止が撤回されたところもありましたが、多くはほぼ計画通り進められることとなり、特に天鉄局では、今回の廃止計画の約半数が天鉄局で占めており、多くの貨物扱が集約されると共に、和歌山県では、鉄道による貨物輸送の拠点自体が無くなってしまいました。

この集約に伴い、住友金属空の専用線荷物はもちろん、宮前駅付近から小雑賀に向かって伸びていた化成品の専用線も廃止、初島駅から伸びていた東亜燃料【現在のJXTGエネルギー】の専用線も廃止されるなど和歌山では昭和59年以降は大きな変動が起こりました。

結果的には、僅か3年で1/3まで貨物取扱駅が減少することとなりました。

これにより、拠点駅が全国で87駅、これを補完する駅が335駅となりました。

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国鉄監査報告書昭和59年 P83から引用

 

  「要員削減計画」測って例を見ない大量の人員削減計画であった。「計画」によれば、83年度の要員削減数は2万8900人とし、そのための施策として、① 59・2ダイヤ改正関連【貨物関係1万6000人、旅客関係3000人、荷物関係1000人、計20,000人】② 中央交渉三事案【車両検修業務の合理化で2,300人、線路保守業務の関係で2,000人、電気保全業務の改善で1,500人、計5,800人 ③ その他【各部門における業務体制の見直しで3,700人)の合計2万9,500人の削減を上げ、駅新設などでの600人増を差し引いて実現するものとしていた。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

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├○ 59・2ダイヤ改正の提案│
└──────────────┘

 83年3月24日国鉄当局は、「59・2ダイヤ改正にかかわる計画概要」を組合に提案説明した。あらましの提案内容は次のとおりであった。

 (1)旅客輸送、① 都市間輸送=山陽・九州の急行、九州内の特急の需要に応じた見直し。北海道地区の急行の一部特急への格上げと普通列車への格下げ。その他線区の需要に応じた見直し。② 大都市圏輸送=首都圏、関西圏で通勤時を中心に輸送改善 ③=その他=普通列車は線区ごとに需要動向を勘案して、編成了数、本数などの見直し、以上の結果、列車キロほぼ横ばい。
 (2)荷物関係、① 拠点間ロット輸送=東海道、山陽、関西、東北、奥羽、日本海縦貫を中心にロット化、締切化を深度化する。② 営業の重点化荷物列車等の改正。
 (3)貨物輸送、① コンテナ輸送=直行系輸送の主軸として輸送力を増強。②=物資別適合輸送=実態に応じ整備、見直しをはかる。 ③=一般車扱い輸送=直行系輸送に再編成する。ヤード体制は廃止する。拠点駅とその他の駅を結ぶ集配列車を設定し、そのための基地を60箇所配置する。列車設定キロはう約29万キロ
 (4)その他、① 乗務員基地の集約等を行う。② 貨物駅を457駅体制とする。② 作業体制、勤務体制を全面的に見直し業務運営の効率化を図る。動力車・列車乗務員の効率化を図る。

国労はこの提案に対し、「提案内容に同意できない。後日、要求を申し入れるので実りある団交を」するよう要求した。
 「要員削減計画」測って例を見ない大量の人員削減計画であった。「計画」によれば、83年度の要員削減数は2万8900人とし、そのための施策として、① 59・2ダイヤ改正関連【貨物関係1万6000人、旅客関係3000人、荷物関係1000人、計20,000人】② 中央交渉三事案【車両検修業務の合理化で2,300人、線路保守業務の関係で2,000人、電気保全業務の改善で1,500人、計5,800人 ③ その他【各部門における業務体制の見直しで3,700人)の合計2万9,500人の削減を上げ、駅新設などでの600人増を差し引いて実現するものとしていた。
 7月19日の国労本部と国鉄本社の間の交渉の際に当局から車両数、車両基地と乗務員基地の統廃合についての提案がなされた。それによると車両数約2,180両、車両基地66ヶ所、乗務員基地99ヶ所の減、列車設定キロは在来線旅客で約5000キロ減、貨物約7万8000キロ減という内容であった。
 国鉄当局は、貨物部門のこうした大がかりな合理化を推進するにあたって、荷主や自治体との折衝を全国ですすめていった。合理化による駅や専用線の廃止で輸送の支障をきたす荷主や通運業者などへの補償が百数十億円を超えるものとみなされていた。国鉄貨物取扱駅の削減で大打撃を受けるものが硫酸、液体酸素などの危険物の輸送を国鉄に依存している化学製品業界である。日本化学工業会は、83年2月1日、運輸省国鉄に対して「貨物輸送の縮小に反対」の陳情を行った。計画通りの削減が実施されると、タンク車による輸送不可能量の91万トンを10トン積みタンクローリー車約9万台分で代替輸送しなければならなくなり、当時の道路輸送の4割増になると試算されていた。

続く

 

国鉄労働組合史詳細解説 88

貨物合理化で職場を奪われる組合員

今回は、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画について、国鉄当局側に資料などを参照しながらお話を進めたいと思います。

今回の貨物輸送合理化により、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となるころから、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたのでさほど大きな反対運動にはならなかったのでは無いかと推測していますが、国労にとっては保守基地の再編成による要員縮減は、直接組合員の減少に繋がるため、強く反対せざるを得ませんでした。

国鉄貨物の衰退は、どこにあったのか?

貨物輸送は、昭和45年から減少に転じ、その原因としては下記のような理由があったと言われています。

  •   昭和40年後半を中心に頻発したストライキ
  • ヤード系輸送など実態に合わない貨物輸送

下図でも判るように、貨物輸送はその後も減少しており、特にヤード系と呼ばれる輸送量の減少は著しいことが判ります。

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国有鉄道昭和58年3月号 から引用

 昭和56年の監査報告書でも、国鉄の貨物輸送は直行系を中心に行うべきでは無いかと提言しています。

昭和56年監査報告書 22ページから引用させていただきます。

貨物営業体制の抜本的改善を図ることが必要である。
これまでの国鉄貨物輸送は、高速直行輸送体制の拡充を図ってきたとはいえ、依然としてヤード中継輸送体制を主体とするものである。
ヤード系輸送は極めて非効率な輸送であり、しかも輸送速度が遅く近時における荷主のニーズに適応し得ず、輸送量は激減してきている。
一方の直行系輸送は、高速性、大量性という国鉄貨物輸送機能の特性を発揮し、荷主のニーズに適応し得るものであり、かつまた、経営効率が高いため競争力を維持することが可能である。 したがって、今後国鉄貨物輸送を市場指向型の営業体制に再構築するためには、現行の体制を早急に拠点間直行輸送体制に転換することが必要である。輸送体制の転換にあたっては、この体制に適合する輸送需要を確保するため、ニーズに対応する列車設定、運賃の弾力的適用、車扱貨物のコンテナへの誘導、広域集配体制の確立などの施策を総合的に推進すべきである。 また、この抜本的なシステムチェンジによって貨物部門の収支均衡を図るとともに、国鉄貨物輸送機能を将来にわたり有効活用する基盤を確立することは、国民経済的にも極めて有益なことであり、万難を排して転換を完遂すべきである。

 として、ヤード系輸送とする貨物方式とすることで、貨物の競争力を付けるべきであると提言しています。

監査報告書でも提言されたヤード系輸送の見直し

 

 

直行系輸送とヤード系輸送

国有鉄道昭和58年3月号 から引用

臨調は、こうした監査報告書の提言を受けて、それを支持する形となりました。

実際、昭和56年度の貨物収支は、収入が3200億円に対して、貨物固有経費が4900億円で1700億円の赤字でしたが、「監査報告書」において取り入れられている輸送形態別の収支試算の手法で分析すると。直行系では200億円の黒字だが、ヤード系は1,900億円の収入に対して経費は2倍の3,800億円を要し、1,900億円もの大幅な赤字を発生させていることになり、直行系輸送であれば、貨物輸送は十分黒字になり得ることが証明されたのでした。

 

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ただ、監査報告書でも「この抜本的なシステムチェンジによって貨物部門の収支均衡を図るとともに、国鉄貨物輸送機能を将来にわたり有効活用する基盤を確立することは、国民経済的にも極めて有益なことであり、万難を排して転換を完遂すべきである。」

と書かれているものの、この実現には大きな問題がありました。

すなわち、多くのヤードが不要になることを意味しています。

また、機関車並びに貨車の整備をする機関区や貨車区といった施設も不要になるわけです、少なくともヤードを廃止となると、多くの連結手の要員も余ってしまうわけです。

それまでも、小規模ヤードの統廃合などは進められていましたが、今回の59年2月のシステムチェンジは、全てのヤードを一気に廃止するものであり、組合にしてみれば組織存亡(分会の消滅)に関わることでした。

そこで、国労としても、、より強く反発せざるを得なくなる訳です。

85年度までに貨物固有経費で収支均衡を達成するため。直行輸送体系を確立し、貨物駅を457駅体制とし、ダイヤ改正を実施する。こういった輸送システムの転換に伴い「駅要員をはじめ乗務員、検修要因等の勤務や作業のあり方を抜本的に見直すとともに、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となる。

国労の苦悩は個々に集約されていると言って、良いでしょう。

合理化で2万人以上の職場が奪われることを意味するわけですから。

2万人の中には機関士なども含まれているので、2万人全てが国労組合員と言うわけでも無いにしても、かなりの下図の国労組合員も対象になることは容易に理解できます。

当時は、国労国鉄最大の組合組織だったのですから。

当然のことながら国労は反発

昭和40年3月号の交通技術の中で「やさしい貨物操車場の話」の中で、死亡率が多の職場と比べて3.7倍【死亡件数/従事員数】にもなると報告されており、実際危険な職場であることは変わりありませんでした。

更に基本計画では、それまでの860駅を一気に450駅まで減少するものであり、組合からの反対以上に、地方鉄道の存続に関わる問題であるとか、不要になった専用線や貨車の補償を行え、危険品が町に溢れる・・・等々。各種の反対意見があった記録されています。

国労がこれに対して、国労は「提案内容に同意できない。後日、要求を申し入れるので実りある団交を」すると、厳しい態度で反発、動労に関しては現在正史と言うべき資料が手元に無いのですが、おそらく同じような反対をしたものと思われます。

ただ、動労は既に57年頃から、こうした合理化に対しては何でも反対という方向から少しシフトしいましたので、その辺は更に資料を探して今後追記なり修正させていただこうと考えております。

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和歌山操駅付近を走行する特急くろしお 2D

 *******************以下は、国労の資料になります。**********************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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一 貨物経営合理化と要員削減問題

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├○ ヤード系輸送全廃の貨物合理化提案│
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 国鉄当局は83年1月31日、59・2ダイヤ改正に関連して「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画を国労に提案した。この提案では、明治以来国鉄貨物輸送の中心であったヤード系輸送を全廃し、ヤードを経由しない直行輸送方式に転換するというものであった。82年7月の臨調基本答申において「貨物営業は、鉄道特性の発揮できる拠点間直行輸送を中心とし、業務のあり方を抜本的に再検討し、固有経費における収支の均衡を図るよう拠点間直行輸送を中心とする輸送体制に再編成するとともに、業務のあり方を抜本的に再検討し、所要の措置を実施に移す」ことを閣議決定した。国鉄当局の計画はこの閣議決定に基づいたものである。したがって、国鉄がすでに実施している「経営改善計画」を大きく変更し、さらに合理化をすすめたものとなっている。
 提案内容の概要は以下のとおりである。

 「国鉄貨物輸送は、この10年間に国内物流量の増大にもかかわらず半減し、シェアモ著しく低下した、これは、ヤード系輸送方式では輸送需要の高度化に対応できなかったからである。一方、国鉄貨物輸送のなかのヤードを経由しない直行輸送はこの10年間の輸送量が横ばいであり、国鉄貨物輸送に占めるウエートを高めている。収支面でもヤード系輸送から赤字が発生しており、直行輸送は収支が均衡している。85年度までに貨物部門の収支の均衡を目指す現行の「経営改善計画」の目標は、ヤード系輸送を維持したままでは達成不可能である。85年度までに貨物固有経費で収支均衡を達成するため。直行輸送体系を確立し、貨物駅を457駅体制とし、ダイヤ改正を実施する。こういった輸送システムの転換に伴い「駅要員をはじめ乗務員、検修要因等の勤務や作業のあり方を抜本的に見直すとともに、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となる。

続く

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