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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 95

当局の人員削減対策

国鉄の余剰人員は、昭和57年に退職のピーク以降は緩やかな減少を辿り、国鉄の監査報告書によると、59年度期首に於ける余剰人員(過員)は、24,500人となったと報告されています。
今後も合理化で、更に余剰人員(過員)が発生するため、その対策として、当局は、一時帰休制度や退職前提の休職制度などを提案してきます。

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昭和58年監査報告書 134ページを抜粋

退職前提の休職や、派遣制度の導入

  1.  退職制度の見直し
      ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。
      ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。

  2. 職員の申し出による休職
    退職前提の休職の適用条件として
    ① 55歳以下であること
    ② 復職前提の休職期間又は派遣期間満了日から1年以上経過していること。休職期間は2年、ただし1回に限り更新できる。賃金は、退職前提の場合は基本給、扶養手当、都市手当、住宅手当のそれぞれ全額。復職前提の場合は6割を支給
    休職制度の特例
     84年度までに56歳、57歳、58歳となる者については、本年度に限り従来の「職員の申し出による休職」を適用する。
  3. 職員の派遣に関する取り扱い
    (1)① 派遣目的=関連企業の指導・育成・強化
       ② 人材の育成
       ③ 国鉄の業務に関連する事項の調査・研究
     (2)派遣職員の決定=①本人の職務経歴、適性等を総合的に勘案の上所属長が決定する
       ② 決定に際して派遣先、期間、就労条件を明示し、同意書を提出させる。
       ③ 職員は派遣希望調書に記入、提出できるものとし、所属長はこれを斟酌する。
     (3)派遣期間=三年を超えない範囲とする。
     (4)派遣期間中の勤務条件=派遣先の就業規則などによるが、年休の付与日数、有効期間は国鉄の規定による
     (5)派遣の終了=① 期間満了
        ② 業務上の理由により派遣職員を復帰させる必要が生じたとき
        ③ その他、派遣継続が不可能又は不適当と認められるとき。
     (6)復職時の取り扱い=① 原則として派遣前の所属・職名に復帰させる。
       ② 必要時の応じて教育・訓練等を行う。       

 *1

と言った内容でした。

国労の言い分は、どうだったのか?

再び、国労の資料から参照してみたいと思います。

国労の記述を見ますと、昭和59年頃には、通称「人活部屋が設置されていたことが窺えます。」

国鉄当局は、これまで余剰人員を”ブラ勤”状態にさせないためと称して余剰人員を狭い部屋に押し込め「研修」なるものを実施したり、あるいは線路脇の草むしり、駅舎の窓ふきなどさせたり、増収セールスや特別改札などに充用してきた。三項目の提案のうち一時帰休は比較的若い層を中心に潜在的な転職・休職希望者の掘り起こしが狙いとされ、勧奨退職制度は一万人以上いる55歳以上の高齢層の定昇やベア、退職時の特別昇給をストップすることによって退職を促進することが狙いとされた。出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。

実は、最後の一行、出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。と言うのは少し異なっていまして、実際に関連企業への出向も多かったと思われますが、民間企業への出向、【下記の例では、スズキ自動車販売の販社に出向した職員の評判がすこぶる良いのでと言う話です】

長いですが、引用させて貰います。

はじめに
「今、派遣で来ていただいている国鉄職員を契約期間後もいて貰う方法はないだろうか?
一年半後のことだが、国鉄へ帰られると困るんだ・・・・・・」
そんな電話がある販売会社の社長からかかってきた。二年間の派遣期間で職員を受け入れて約半年経った時点での電話であった。
国鉄職員の派遣受け入れを始めて八カ月が経過した現在、軽自動車を中心としている自動車販売会社における状況を述べてみたい。

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昭和61年7月号 国鉄線から引用

これで見ることが出来るように、国労が主張する国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策ばかりでは、なかったことになります。


必ずしも、資料が正しいわけではないということ

何時も意識していることですが、こうしたblog、特に労働運動系のblogを書く場合は、複数の組合があれば、複数の組合で手に入る資料を比較したり、大原社会問題研究所に代表される、社会学のサイトを参照したり、運輸白書などを参照したりして、自分なりにバランスを取りながら、疑問符という仮説をつけながら調べていくようにしています。
少なくとも、特定の政党や、特定の組合を応援するというわけではなく、ただ淡々と事実について調べて、比較して、多少の私見を述べて、アップするようにしています。
まだまだ不十分なところも多々あると思いますが、自分なりに調べて学んだことをこうしてアウトプットすることで、更に自分の理解が深まるのではないかと考えております。
更新頻度は低いですが、どうかじっくりと読んでいただければ幸いです。

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌───────────────┐
├○ 余剰人員対策三項目の具体案│
└───────────────┘

 ところが、国鉄当局は、公労委調停中であることを無視して、7月10日に次の余剰人員対策三項目についての具体案を「余剰人員の調整策」として各組合に提案した。

 1、退職制度の見直し
  ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。
  ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。
 2、職員の申し出による休職
  退職前提の休職の適用条件として
  ① 55歳以下であること
  ② 復職前提の休職期間又は派遣期間満了日から1年以上経過していること。休職期間は2年、ただし1回に限り更新できる。賃金は、退職前提の場合は基本給、扶養手当、都市手当、住宅手当のそれぞれ全額。復職前提の場合は6割を支給、

休職制度の特例
 84年度までに56歳、57歳、58歳となる者については、本年度に限り従来の「職員の申し出による休職」を適用する。
 3、職員の派遣に関する取り扱い
 (1)① 派遣目的=関連企業の指導・育成・強化
    ② 人材の育成
    ③ 国鉄の業務に関連する事項の調査・研究
 (2)派遣職員の決定=①本人の職務経歴、適性等を総合的に勘案の上所属長が決定する
    ② 決定に際して派遣先、期間、就労条件を明示し、同意書を提出させる。
    ③ 職員は派遣希望調書に記入、提出できるものとし、所属長はこれを参酌する。
 (3)派遣期間=三年を超えない範囲とする。
 (4)派遣期間中の勤務条件=派遣先の就業規則などによるが、年休の付与日数、有効期間は国鉄の規定による
 (5)派遣の種類=① 期間満了、② 業務上の理由により派遣職員を復帰させる必要が生じたとき、③ その他、派遣継続が不可能又は不適当と認められるとき。
 (6)復職時の取り扱い=① 原則として派遣前の所属・職名に復帰させる。
   ② 必要時の応じて教育・訓練等を行う。                    
国鉄当局は、これまで余剰人員を”ブラ勤”状態にさせないためと称して余剰人員を狭い部屋に押し込め「研修」なるものを実施したり、あるいは線路脇の草むしり、駅舎の窓ふきなどさせたり、増収セールスや特別改札などに充用してきた。三項目の提案のうち一時帰休は比較的若い層を中心に潜在的な転職・休職希望者の掘り起こしが狙いとされ、勧奨退職制度は一万人以上いる55歳以上の高齢層の定昇やベア、退職時の特別昇給をストップすることによって退職を促進することが狙いとされた。出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。
 以上の提案に国鉄内の各労組はすべて反対した。国労は次のような声明を発表した。

 「われわれは、この提案に対する心からの強い怒りを国鉄当局にたたきつける。・・・この提案は、世界に比類のない迅速・安全・正確なものとして誇り、培ってきた国鉄労働者3万人以上の事実上の首切りにとどまらず、さらに大量の国鉄労働者を職場から一挙に追い出すものである。・・・・国鉄労働組合は、労働者に犠牲を求めようとするなら当局首脳が、まず最初にその責任を明確にすることを求め、徹底して追求していく。同時にこの大量首切り提案に対しては、国民諸階層と連帯し、一人の首切りも許さず分割・民営化反対闘争の一環として、組織の総力をあげストライキ闘争などは壮大な闘いに総決起するものである。」

この日、全国からかけつけた組合員約5,000人が国鉄本社前で抗議集会を開いた。

続く

*1:【当時の国鉄では、定年制度はありませんでしたが、概ね55歳となった年の三月末で退職することが多かったのです。】

国鉄労働組合史詳細解説 94

本日も国鉄労働運動史を底本として、昭和59年2月以降の労働運動について見ていきたいと思います。

構造的な余剰人員【過員】問題

過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、運転職場などでは一足先に昭和57年頃から、発生していたと思われますが、国鉄部内誌、国鉄線 昭和60年1月号の記事によりますと、天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています。

国鉄があった時代を参照しますと、下記の記述を見ることが出来ます。

紀勢本線 亀山~新宮間、参宮線 多気~鳥羽間CTC使用開始 12/21

国鉄大阪電気工事局と天王寺鉄道管埋局が57年10月から60億円を費して行った紀勢本繰亀山~新宮間と参宮線多気~鳥羽間のCTC化が完成、使用を開始・制御所は亀山で、同局管内のCTC化は69%の進展率

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所)

 このCTC化により、過員が発生しましたが、下記のようなユニークな方法で過員を改称したとしています。

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御坊駅を発車する381系くろしお

管理局における過員問題の取組

その取組とは、観光ガイドブックの作成でした、国鉄職員自らが歩いて集めた情報をまとめたもので、「南近哉のハイキングガイド」は、好評であったと言われています。
その取組に関する記事が、国鉄部内誌の「国鉄線昭和60年1月号」に有りましたので、少し長いですが、記事を引用させていただきます。

国鉄の余剰人員問題は、今や国家的課題になりつつある。それだげに、われわれも全局をあげて、真剣に取り組んできたところである。
当管理局において余剰人員が発生したのは、58年12月紀勢本線 亀山~新宮間及び参宮線のCTC化と停留所化を実施した時点である。これによる職員の配転をどうするか、余った人の使い方はどうするか、大変な問題であった。いろいろ考えた結果、営業部の事務分掌にもあるとおり、調査開発の仕事がつい忙しさにとり紛れ十分行われておらず、またこれらの調査資料は、営業戦略上非常に大事な役割を持っていること等を考え、59年2月に営業部に臨時調査開発室を発足させ各同年三月下部機関として各運輸長室の所在駅に五室を開設した。
その後、本室4名、各室5名、総勢29名で出発し、今日まで大きな成果をあげている。
すでに刊行した一部を紹介すると、「南近畿の年中行事」、「夏のレジャー情報」、「南近畿のハイキングガイド」等で、いずれも職員が自分の足で歩き、目で確かめて集録したものである。中でも、「南近哉のハイキングガイド」は好評を博し、関係自治体や学校関係、個人愛好者からの引き合いが多く、たちまち品切れになった経緯がある。これらの資料が、これからの増収対策に役立つことを期待している次第である。

今でも中古本として流通しているようなので、また購入してみようと思っていますが、国鉄当局側の取組としてはユニークなものだと思ってしまいます。

下記は、記事のキャプチャ

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国鉄線昭和60年1月号

自動車駐車場や自転車置き場の運営なども計画

国鉄は、合理化により発生する過員を吸収すべくあらゆる取組を各管理局で行っていましたが、合理化による要員減少に新たな仕事の開発が追いつかず、特に昭和59年2月の輸送システム変更では、構内係や機関士等、駅務員以外で、多数の過員が発生することとなりました。

その対策として、学園での教育の上、増収対策要員として弁天町他75駅【天鉄局管内】や車掌区などでの特別改札要員などとして配置したほか、自動車・自転車整理場を設置していくなど、要員対策を併せて行ったと書かれています。

再び、引用してみたいと思います。

学園教育・増収対策要員として、59年3月に290名を弁天町他75駅に、また80名を亀山車掌区他四車掌区にそれぞれ配置をし、学園教育については計画通り実施終了している。増収対策としては、特別改札を例にとると、五十九年度上期において、1億9000万円を売り上げ、58年度上期の96OO万円に比較して198%の成績となっている。
その他の余剰人員対策としては、59年9月、各部のエキスパートを集めた要員管理室を発足させ、余剰人員対策に取り組んでいるが、その一つとして、59年2月の貨物廃止によって生み出された用地の暫定利用を考えて、直営の自動車・自転車整理場を計画し、五十九年十月から紀伊田辺駅で、同年11月から王寺・高田駅で、同年12月から松阪・紀三井寺駅でそれぞれ営業を開始している。営業収入は59年12月5日現在で440万円の実績であるが、いずれも計画を上回る成績で推移している。この要員は22名で、営業関係職員のみではなく、運転関係職員も含め運用している。残る三駅は年度内の営業開始を予定しており、既設の自動車整理場5駅、簡易自動車整理場45駅を加えた収人は約2億円を予定している。

 

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国鉄線昭和60年1月号から引用

これ以外にも、弘済会売店の一部を借り受けての受託販売等も計画していたとされています、このように管理局単位では新たなビジネスを立ち上げるなどして、過員を吸収しようとしていました。

今回の内容は天鉄局の例を挙げましたが、それ以外の局でも創意工夫して取り組んでいたようであり、機会があればここに取り上げてみたいと思います。

国労の過員活用は、ワークシェアリング

国労が「輸送サービス・安全確保に関する緊急要求」当局に申し入れた意図は少し違ったようです。

国労の意図としては、

週40時間を超える勤務の時間短縮、年次有給休暇の完全消化、年間を通じた非稼働日に対応する要員の配置、波動時期・多客輸送時間帯における要員配置の充実

と言った方策であり、本来業務に就かせたたまま。ワークシェアを求めていたような内容と言えそうです。

結果的には、国労の申し入れは認められず、

当局の回答は「現行ルールの範疇で要員運用する場合は当局の責任で行う。」との域を出なかった。

ということで、国労は、公労委へ調停申請を行うことになり。

最終的な公労委の調停案は、国労の主張に沿ったもので

「いわゆる過員にかかわる要員運用策の実施に伴い労働条件に変更が生じる場合には、労使は、中央及び地方の対応機関において、具体的に問題を提起し、団体交渉などにより、その事業の早期解決に務めること」という、

国労としてはこれを受諾し、その趣旨をいかせるように対処することを決めた。

と書かれています。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌──────────────────────┐
├○ 余剰人員対策についての交渉と公労委の調停│
└──────────────────────┘

 国労は、1984年6月1日に過員問題の解決のための1月12日の要求【前述】に続く再申し入れとして、次の「輸送サービス・安全確保に関する緊急要求」を当局に提出した。

 「過員問題解決のために団体交渉を誠実に実施し、雇用安定協約、、配置転換協定の遵守、強制配転の中止、サービスと安全確保を強化する体制の整備、週40時間を超える勤務の時間短縮、年次有給休暇の完全消化、年間を通じた非稼働日に対応する要員の配置、波動時期・多客輸送時間帯における要員配置の充実、労基法、労安法等の諸法規遵守、雇用不安をおこす合理化の中止、技術教育・訓練の充実・強化、業務委託の拡大中止、安全輸送の確保とサービスの向上、営業・販売体制の強化・充実のための過員の積極的充当をすること。」

 ところが国鉄当局は、この要求書の提出の4日後の6月5日、2万5000人縮減の84年度要員計画と「余剰人員対策」を細田運輸大臣に報告するとともに「余剰人員対策について」を発表し、その内容を公にした。この「余剰人員対策」は84年度の要員計画を実施しても3,000~5,000人の余剰人員が見込まれるために、① 勧奨退職の促進など退職制度の見直し、② 退職前提休職、復職前提休職など休職制度の改定・拡充、③ 派遣制度の拡充、を図るという三項目の内容であった。当局はこの「余剰人員対策について」を各組合に提示し、具体的内容については7月中旬に明らかにする。
 また、「余剰人員対策」の円滑な実施を前提に雇用安定協約を締結するとの提案も行った。
 この直後に開かれた国労第141回拡大中央委員会(6月6日~7日)は。過員問題を中心に論議がかわされ、次のような当面の闘争方針を決めた。

 「本部は達194号を認めない立場から過員問題を追求し、『団体交渉による解決を目指す。』あわせて、院内闘争を強化し6月末までの間の経緯によって公労委活用についても緊急に検討する。このため、当面、過員問題の先行解決をもとめ新たな合理化提案は受けない。各地方は統一して協定違反の配転、物販、出向などは拒否して闘う。過員問題の解決と労働基本権を守ることを中心としたワッペン着用闘争、非協力闘争、現場長に対する集団行動などを展開する。」、「労働基準(労基)法労働安全衛生(労安)法等に基づく点検・摘発行動を強化する、また強制配転を許さない闘いを強化する。」

過員問題解決のための緊急要求についての国鉄本社との交渉は、6月14日から始まった。
しかし、交渉は遅々として進まず、当局の回答は「現行ルールの範疇で要員運用する場合は当局の責任で行う。」との域を出なかった。当局は、① 余剰人員対策③項目提案の早期の確立、有効活用を前提に雇用安定協約を存続する、② 労働時間の短縮は問題とならない、③ 部外能力活用が望ましい事柄については業務委託を行う、などと主張した。そして、「全体として効率性が低い中で、・・・・むしろいっそうの効率化が至上命令である」との回答を繰り返すだけであった。
 このため、国労は7月5日で交渉を打ち切り、翌6日に公労委へ調停申請した。調停を求める事項は次の二つである。① 一時的に「過員」となる労働者にかかわる労働条件は団体交渉を行い、意見の一致を期すこと。② 「過員」にかかわる具体的労働条件は従来の協定及び労使慣行に基づき地方・現場で交渉することの二つにつき調停申請した。
 公労委での事情聴取が7月17日から始まり、24日の第2回の事情聴取を終えた後、公労委の調停案が示された。調停案は、「いわゆる過員にかかわる要員運用策の実施に伴い労働条件に変更が生じる場合には、労使は、中央及び地方の対応機関において、具体的に問題を提起し、団体交渉などにより、その事業の早期解決に務めること」という、ほぼ国労側の主張を認める内容であり、国労はこれを受諾し、その趣旨をいかせるように対処することを決めた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 93

過員の発生と組合運動

国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」

と書かれていますが、大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第55集 1985年版」を参照しますと、国労主流派であった民同左派が、昭和58年8月19日から23日まで開催された、定期大会では下記のような発言をしたと記録されています。

大合理化、分割・民営化にたいして、「労働者に犠牲をもたらさないかぎり、効率化を一面的には否定しない」との独自の「効率化」を模索し、前年の方針を踏襲した「長期抵抗路線」でたたかうとの運動方針を、議論のすえ、原案どおり採択した。また、武藤久委員長、山崎俊一書記長らの新執行部を選出した。議論では、はじめて打ち出された「効率化」にたいし、代議員から猛反発(「効率化は合理化だ」、「国労の鉄労化だ」など)が出、執行部は、「国民の側に立ったかたちでムダな投資や資材購入をやめさせ、管理機構も見直すべきだ」と答えるとともに、「ひきつづき討議をおこない、検討を加えていきたい」と書記長が集約し、基本的な考え方をつらぬいた。

ここで注目されることは、ある程度の条件で合理化を受け入れるべきであると受け取れる見解を発表したことでしょうか。

当然のことながら、「合理化=資本家による搾取」という発想であれば、反発することも当然かと思うのですが、こうした点に国労が一枚岩でまとめられなかった難しさがあるかと思います。
実際に、この後も国労は迷走して、ILO事務局長に事前に本社通告無しに行ったことから当局側も態度を硬化させることとなり、雇用安定協約の破棄など、国労組合員に取っては不安しかない状態を作り出したのも国労執行部でした。

参考:国鉄改革のあゆみ 24 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

結果的に、地本レベルで雇用安定協約を結べないかと言った問い合わせが相次ぎましたが、国労として雇用安定協約を結んでいないので、管理局単位などで個々に労働協約を結べないとして、国労は更なる雇用不安に追いやられました。
話が飛躍しすぎましたので、元に戻しますが、国労も多少は歩み寄りを見せようとしていたのですが、結果的には、まだまだ国鉄が本当に分割・民営化されるとは思っていなかったように思われます。

  

国鉄当局は昭和57年に現場協議制度を実質終わらせた頃からですが、鉄労が合理化による人員削減は致し方ないとして、地域本社制の提案をするなど、より前向きな方向性を探っていたとき、

過員の勤務、職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。職場では、国労組合員に対する現場管理者の高圧的な態度がますます強化され、雇用不安がかきたてれら、労働不安が強まっていた。
 59・2ダイヤ改正は、国鉄労働者のなかに過員を生み出すと同時に、国鉄関連労働者の雇用問題に影響を及ぼした。国鉄の整備会社は全国に42社あり、2万7000人が働いているが、59・2ダイヤ改正によって、北海道1社の150人、九州2社の350人をはじめ全国で約2,000人の首切りが提案されたのである。

 国労は、8月20日から23日まで伊東市で開催された、国労大会で下記のように発言しています。

部内誌 国有鉄道1984-10から引用させていただきます。

「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、▽政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化▽反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化▽いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化、の3つだと述べた。同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向〉を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

あくまでも、未だこの頃は過半数国労が握っていたことから、まだまだ逆転は可能と考えていたのではないでしょうか。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

┌───────┐
├○ 過員の発生│
└───────┘

そこで国労の要求は、職制・職務内容、配置転換などに関する協定の遵守、転職に必要な教育、旅客サービスの向上のための「過員」の活用、属人的過員の扱いは禁止、業務委託の見直しによる国鉄労働者の職場と仕事の確保などを要求し、「過員」にかかわる諸問題については、「団体交渉で意見の一致を期し、紛争の生じないようにすること。」

 この要求書に対する回答が1月19日の交渉の席でなされた。当局は、職制・職務内容や配置転換などの従来の協定を尊重すると答え、転職にあたっての必要な教育を実施すると回答した。旅客サービス向上のために過員を活用する要求と属人的過員扱いは行わないという要求については、「地方局にまかせてある」と答えるにとどまった。また、過員の勤務、職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。職場では、国労組合員に対する現場管理者の高圧的な態度がますます強化され、雇用不安がかきたてれら、労働不安が強まっていた。
 59・2ダイヤ改正は、国鉄労働者のなかに過員を生み出すと同時に、国鉄関連労働者の雇用問題に影響を及ぼした。国鉄の整備会社は全国に42社あり、2万7000人が働いているが、59・2ダイヤ改正によって、北海道1社の150人、九州2社の350人をはじめ全国で約2,000人の首切りが提案されたのである。
 基地の統廃合等でも数百人の要員減が予測されており、5人の1人の首切りとなる。
このため、国関労(国鉄関連産業労働組合協議会)と全整労連(全国鉄整備労働組合総連合)は、「業務委託費10%カット」「大量の要員削減・首切り」に反対し、2月20日から22日までの間に国鉄本社前で総決起集会を開き、本社交渉を行い、本社前座り込み行動を実施した。また、22日には政府、各政党への陳情行動を行うなどして、国鉄の親企業責任を追求した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 92

本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。

任期途中で交代した高木総裁

仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。

その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。

当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。

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その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。
中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。

中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前鉄建公団総裁の仁杉巌氏を第9代国鉄総裁に任命したのでした。

仁杉氏の略歴は、下記の通りです。

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仁杉総裁略歴 国有鉄道1984-01から引用

民営化推進派として送り込まれた、仁杉総裁

国有鉄道と言う部内雑誌の1984年1月号で、就任に際して、と言う記事が書かれています。

これを読ませていただきますと、国鉄退官後、極東鋼弦コンクリート振興株式会社を経て、西武鉄道の専務取締役に就任するのですが、国鉄と異なり私鉄の場合は、全ての部分を見なくてはならないとして、下記のような感想を残しています。

「私は西武鉄道に8年いて学んだ経験の最大のものは、私鉄では経営者の精神が現場のすみずみまで徹底しているなということです。」

ただ、この言葉をして、国鉄の民営化には賛成ですと言ったとはなりません。

また、下記のようにも述べています。

国鉄を再建するのは大変なことで、まず国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり、これが全役職員に浸透しなければいけないと思いますネ。

と回答しているように、総裁としては国鉄を民営化させることが目的では無く、あくまでも国鉄の信頼を取り戻すと言うことに主眼を持っていたわけです。
それ故に、組合の説得工作で変心したと言った記述をした文献もあるようですが、個人的にはそのように思いません。
少なくとも、この頃は、国労(民同左派)と職員局幹部の馴れ合いとも言えそうな、蜜月時代は終わり、むしろ対立路線に舵を切っていますので、総裁が組合に説得されたという論は無いと考えております。

もっとも、直接当時本社にいた方からお話を聞ければ、また修正できると思うのですが、現在は状況証拠から推察とさせていただきます。

国労は、「過員」問題で要求書を当局に提出した。

恐らく当局も極端な人員減は想定外で有ったと思うのは、59・2ダイヤ改正で有ろうと思います。

と言いますのも、ヤード系輸送の縮小にしても当初は、全面的な廃止を想定しておらず、武蔵野ヤードなどの近代的ヤード等は残せると考えて、専用線の合理化を含めて考えていたようですが、収支均衡を目指すと言う視点から、これは民営化に協力したと言うよりも、民営化させないために国鉄として自立できる道を選ぼうとした結果、要員を圧縮しすぎてしまったのでは無いかと推測できるわけです。

 84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。「国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。

その辺の焦りが、国労からも要求書として出てきたのではないかと推測しています。

なお、国労も書いていますが、制式には過員が正解であり、マスコミが書き立てた、「余剰人員」なるものは存在しません。

ただ、残念ながら未だに多くの文献などでは、「余剰」と言った言葉で語られることが多く、実際に渦中にあった国鉄職員の方から見ればこれは屈辱以外の何者でも無かったであろうと容易に推測できます。

自身の組織を守ろうとしてしたら、予想以上に縮小してしまったという話

国鉄本体が自身の組織を守るために行った改変が結果的には全てのヤードを廃止させることとなったと思われます。

同様の理由で、荷物輸送にあっても「クロネコヤマトの宅急便」に代表される宅配便が普及したことから、従来のように駅まで荷物を持ち込むもしくは受け取りにくる従来の鉄道荷物は減少続けることとなり、昭和58年度には集配から配達までを一貫して行える仕組みを作ったものの、減少傾向には歯止めがかからず、国鉄当局としては、59年のダイヤ改正で、荷物取扱量の少ない駅や線区の荷物営業を廃止したり、輸送力の削減と言った合理化を行ったとされています。
しかし、こうした努力はその殆どが、空回りしてしまう結果となったのは残念です。

下図は、昭和56年8月頃から使用を開始した、従来の荷札に代えて使用を開始した、国鉄荷物ラベルだそうです。
郵便局ののラベルは、私が郵便局に入ってからですので、国鉄の方がこうしたラベルの使用は早かったわけで、宅配便のに普段を参考としたのかもしれませんが、少しずつでも荷物輸送の改善に取り組んでいたことが判ります。

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昭和58年度国有鉄道 6月号の記事から引用

 

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

┌───────┐
├○ 過員の発生│
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 2月1日以降の全国の職場に過員が発生したが、この問題の解決が59・2ダイヤ改正闘争に残された最大の課題であった。このため、84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。

国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。こうした施策によって意図的に創りだされた大量の「過員」の存在は、国鉄労働者の首切りにさえつながる危険をもつものである。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 91-2

今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。

第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。

当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。

特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは本来であれば国が整備すべき若しくは税金で補填すべき部分に対しても過剰な国鉄への依存や短期鉄道債券による資金調達などの問題(新線建設などの場合30年40年と長期にわたり費用の償還等が発生するため資金調達もそれに合わせた長期かつ低廉な資金で調達すべきところですが、これを最短6年ほどで償還する鉄道債券などで調達していたことなども一つの原因ではないかと考えています。建設途中に償還期間がくるため新たな債券を発行するなどしなくてはならず、生活費がらりなくてクレジットカード等でお金を借りてしまいますので、その支払いのために更に生活が圧迫されて、新たなクレジットで借りて生活費に充てるような状況に国鉄は置かれていました。

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当初の貨物輸送再編は、民営化を想定したものでは無かった

国鉄貨物輸送の改善に関しては、昭和55年から、輸送量に見合った輸送力にすべく【減量ダイヤ】を行ってきたにも関わらず、その輸送量は減少を続けました。
抜本的改正を目指して、ヤード系輸送の廃止と直行輸送方式に変更するプロジェクトは、臨調がスタートした半年後の、昭和56(1981)の夏頃でした。

この改善プロジェクトは、臨調に追随する形で始まったわけではなく、むしろ臨調には批判的な位置から始まったのであり、昭和55年のダイヤ改正以降の総仕上げ的な意味合いもありました。
当初の計画では、ヤードを全廃するわけではなく、100カ所程度の集約するほか、車扱い輸送で専用線などを利用する場合には、むしろその合理化を図った上で、有効な路線は更に活(い)かしていくと言った方向性が考えられており、国鉄貨物局長の私的諮問機関である、貨物輸送制度研究会では、昭和58年3月24日に貨物輸送に関する提言を行っており、この中で専用線についても言及されていました。
その概要を、国鉄部内誌の国鉄線 昭和58年6月号から引用してみますと、おおむね下記のような内容でした。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

国鉄線 昭和56年6月号から引用

 

  1. 専用線については、工場敷地内に設置する場合などを除き、企業などが用地と費用をして敷設されるが線路の維持管理は国鉄の側線扱いとして国鉄が負担することになり、その保守費用等も含めて効率の悪い線路は廃止するなり集約します。
  2. 廃止に伴いコンテナ輸送等を推進するほか、廃止に伴う金銭的補償を行います
  3. 運賃制度も安いだけではなくコストに見合った運賃とするなど適正化を図るとともに、新たな専用線の誘致などを行っていきたいとしています。

下記に、専用線の提言に関する部分を引用させていただきましたので参照頂きたいと思います。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

少し長いですが、関連する部分などを引用してみたいと思います。

今後の対策
今後の対策
以上が提言内容であるが、ハード-・ソフト両面にわたって、今後の貨物輸送の方向に沿った改善を図るととを求めています。
今後は提言を踏まえ以下の通り検討を進めることとしたい。


(1)ハード面
効率の高いものの育成、強化と、低いものの見直しについては、58x以降の貨物駅整理並びにその対策について、早急に検討していきたいです。
なお、廃止に伴う補償等については、国鉄のおかれている現状を配慮しつつ、可能な限り実効性のあるものとしたい。
(2)ソフト面、その他
低コスト輸送の可能な専用線貨物の運賃については、58x以降の輸送システムに適合した運賃制度全般について5月20日に「貨物運賃制度研究会」を設け、検討を進めていますので、その中での検討に譲ることとしたい。
コンサルタント機能の充実、専用線の利便性の向上施策等については、関係箇所等を通じて貨車の回転率の向上、専用線内作業の適正化など輸送全般について、荷主の要望に配慮するとともに、専用線の敷設、運営、保守全般にわたってコシサルタント機能を充実し、経費の節減に資することとしたい。
なお、新規誘致や育成強化のための共同専用線化、敷設促進のための助成措置等についても、引き続き検討を進めることとしたい。

結果的には、ヤード系輸送全廃を目指すことに

当時の高木総裁の談話などを見ていますと、臨調の示す分割民営化は難しいのではないかと言った批判的であったと言われており、任期途中で分割民営化を進めるために、政府は民営化推進のための、更迭して、元技師長の仁杉巌(いわお)氏を総裁として送り込んでいます。
この辺は国鉄と当時の政府とのパワーバランスと言えましょう。
ちなみに、当初は国鉄民営化推進派と思われていましたが、組織温存を図る目的で、どちらかといえばその推進には否定的であったことから【組合による変節という意見もあるようですが、この辺は更に調べていく必要がありますが、結果的には、政府の不興を買うこととなり、その後運輸省事務次官で退官した、杉浦喬也(すぎうら たかや総裁に交代していくのは御存じの通りです。 

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 59年2月の貨物輸送システムチェンジは、国鉄再生を主とした目的でした。
結果的には、多くの専用線を含むヤード系輸送を全廃をせざるを得ないと言う結果になったのは残念でした。
また当然のことながら専用線廃止を含む方針が発表された後からは、廃止の延期などを含めた陳情が下記のように寄せられましたし、宇品線のように山陽線の側線扱いとして存続していた専用線も晩年は利用者が減少していたこともあり、廃止となってしまいました。

参考

local-line.at.webry.info

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国鉄労働組合史詳細解説 91

当局に押しきられる形となった国労

 国労は、貨物輸送の縮小に反対するとして、積極的に反対運動を行ったと書かれています。国労としては、全日本交通運輸労働組合との連携を図ったと書かれています。

また、国労は、下記のように総括していますが、施策自体は、臨調の後ろ盾というも、分割民営化を阻止したい当局側の組織防衛であったと考える方が素直であり、「臨調の後ろ盾」と言うよりも、「国鉄当局自体が背水の陣を敷かざるを得なかった状況であった」と考える方がより素直なような気がします。

全日本交通運輸産業労働組合協議会(公式ホームページ)

 国労は全交運とともに全国各地で、宣伝・オルグ活動を強化し、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や国鉄本社、運輸省交渉などに取り組んだ。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書の提出、沿線住民の総決起集会、荷主、通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見提出など幅広い運動が展開されていった。9月21日には、国民の国鉄を破壊する59・2貨物・手小荷物「合理化」反対、地方交通線廃止反対、運賃値上げ反対、要求する中央総決起集会を開いた。全国の職場の仲間から寄せられたカンパで1万8000人の国労組合員が上京し、中央行動に取り組んだ。
 交渉と運動とを有機的に結合する闘いを展開するなかで、59・2ダイヤ改正交渉の回数を重ねたが、この施策が臨調答申を閣議決定して提案されただけに、部分的修正を勝ち取れたものの、施策の基本にかかわる部分、とりわけ貨物取扱駅の存続、ヤードの存続については国鉄当局の態度は頑なであった。

また、国労が行った「自治体での貨物廃止反対決議」はそれなりの効果があったかもしれませんが、結果的には大きな影響を及ぼしたとは言えませんでした。

この辺は国鉄線【1984年3月】の、59.2における貨物駅再編成計額-その経過と反省-で次のような記述が見られます。

地方自治
自治体に対する説得は、保守・革新を問わず相当難行した。荷主がすべて納得しても、自治体だけは反対というケースもあり(最後まで難行した数カ所はほとんどこれに近いケーlスであったてこれは予想外の事態であった。しかし、考えてみれば、自治体が今回の計画に賛意を表することを期待する方が無理であろう。国鉄の赤字は自治体に何の関係もないわけであるし、利用の多少にかかわらず、国鉄貨物駅はないよりあった方が地元にはベターである。
これが大部分の自治体の気持であろうことは推測に難くない

こうした、自治体の反対決議が、国労の運動の成果か否かは判りませんが、貨物駅等が廃止になることで地方納付金(固定資産税に相当する租税)が減少する事への危惧なども有ったのでは無いかと考えています。【この辺はあくまでも私の試験であることをお断りしておきます。】

結果的には、国鉄のシステムチェンジは、国鉄自体の貨物輸送が生き残るためのものであるという認識が、現場から運輸省に至るまで一貫していたことが大きかったとされたと、59.2における貨物駅再編成計額-その経過と反省-国鉄線【1984年3月】では下記のように結ばれています。

少し長いですが、再び引用させていただきます。

 

この転換の最大の推進力は、要約すると次の二点に絞るととができるだろう。
第一に、部外にあっては、国鉄における合理化の必要性がすべての国民の間で、個々の利害を超えたコンセンサスとして成立していたという点である。そのため、抽象的な公共性論等はあったものの、合理化そのものを否定する主張はほとんど聞かれなかった。ただこの条件は、逆の面からみれば、国民は国鉄が合理化に逡巡するととを決して許さないということを意味する。これからの国民の眼はますます厳しくなると考えなければならない。
第二に、部内的には、今回の貨物ダイヤ改正は鉄道貨物が生き残るために避けることのできない施策であるという共通認識が、現場から管理局・本社まで、さらに監督官庁である運輸省に至るまで一貫しており、そしてすべての関係者が、文字通り寝食を忘れて目的達成のために全ガを傾けたという点である。
最後にここで我々が肝に銘じなければならないことは、59・2は拠点間直行輸送体系のハードウェアを作ったにすぎないということである。とのハードウェアを駆使す-るソフトウェアを定着させ、目論見通りの収入を確保するのでなければ、今回のシステムチェンジは次代の展望をひらくものとはならず単なる減量化施策の一つに終わってしまう。

とうことで、国鉄当局としてもこのシステムチェンジは非常に重要な意味であったことが窺えます。

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4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期

国鉄貨物輸送の廃止は、国労も組織を挙げて反対したが、実際には国鉄の態度に押しきられる形となりました。

ただし、下記の通り一部の特定地方線区はその廃止を延期するなどの措置が取られることとなりましたが、これはあくまでも例外規定であり、国労の言うところの

廃止問題について4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。

ここで、国労が主張する、「4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。」と言うのは、下図の第一次特定地方交通線の廃止であり、当局側の都合で延期になったと見るべきではないでしょうか。

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もちろん、組合が迫って認めたのか、当局側が最初からやむを得ないと判断したのか判りかねますが、当局側の資料として国有鉄道1984年3月号)を参照しますと、下記のような記述を見ることが出来ます。

特定地交線対策協議会において種々議論があり、各協議会で線区の実情に応じ、一定時期まで暫定的に貨物取扱いを継続することが決定された。もちろん、これはあくまで暫定措置であり、460駅体制の例外をなすものではない。

あくまでも、上記4線7駅の措置は例外的なものであり、転換若しくは廃線になるまでの間、特例として貨物輸送を残すものであると明記されています。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

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├○ 59・2ダイヤ改正に対する闘い│
└─────────────────┘

 1983年8月19日から開催された第45回定期全国大会の運動方針では、次のような「闘い方」の方針を決定した。

 「1、59・2ダイヤ改正反対の闘いについては、従来の国鉄当局との団交、大衆行動、地域共闘、一定の戦術配置というパターンでは闘いの成功は期しがたいことについて意思統一をはかる。
 2、59・2(特に貨物、荷物)については、単なるダイヤ改正と受け取らず、わが国における陸上輸送の中にしめる国鉄貨物、特に車扱輸送のあり方を問題にした闘いに発展させるとの視点にたった全体の合意のもとに、中央・地方・職場で創意ある闘いを展開していくことにする。
 3、この闘いを展開するに当たって重要なことは臨調・政府の国鉄も貨物輸送のあり方(当局案)に反対する『世論』をつくりあげこれを『国鉄政策』の変更を求める力として結集し、『家庭で国鉄の労使問題として取り組むという闘いの配置が重要である。
 4、輸送システムの変更、修正を求めるという輸送施策の問題については、9月末~10月上旬を重要な山場として徹底した大衆行動を組織し、その高まりの中から前幸運貨物共闘の統一行動の一環としてストライキ等を配置して闘うことにする。」

 国労は全交運とともに全国各地で、宣伝・オルグ活動を強化し、荷主、関係団体、自治体などとともに各管理局や国鉄本社、運輸省交渉などに取り組んだ。全国の自治体での貨物廃止反対決議、意見書の提出、沿線住民の総決起集会、荷主、通運業者の局陳情、対策会議の設置、経済団体の意見提出など幅広い運動が展開されていった。9月21日には、国民の国鉄を破壊する59・2貨物・手小荷物「合理化」反対、地方交通線廃止反対、運賃値上げ反対、要求する中央総決起集会を開いた。全国の職場の仲間から寄せられたカンパで1万8000人の国労組合員が上京し、中央行動に取り組んだ。
 交渉と運動とを有機的に結合する闘いを展開するなかで、59・2ダイヤ改正交渉の回数を重ねたが、この施策が臨調答申を閣議決定して提案されただけに、部分的修正を勝ち取れたものの、施策の基本にかかわる部分、とりわけ貨物取扱駅の存続、ヤードの存続については国鉄当局の態度は頑なであった。
 こうした状況の中で、10月6日にダイヤ改正に伴う労働条件の提案を受けたが、その理由は、国労が従来のダイヤ改正のように、事前協議で一定の施策の合意に基づく提案という形は取れないと判断したことと、施策の論議を今後とも続行するとの合意ができたことによる。と同時に、反対運動の状況が全国・全系統で一様でなく、全体として盛り上がりが十分でなかったため、労働条件の提案を受けることにより闘いを全体として高揚させる契機にしようと考えたからであった。
 12月段階の交渉では、廃止予定駅のうち地元の同意が得られない駅について存続させるよう強く主張したが、国鉄当局は言葉では荷主や関係自治体の理解を求めると言いながら、その実態は施策の理解が得られようが得られまいが、方針を変えないという、過去のダイヤ改正では例を見ない態度であった。国労は交渉において当局が線区、駅の廃止問題について4線区7駅を2月1日以降一定時期まで廃止を延期するとの修正提案を行い、妥結を迫った。組合は、「59・2施策の基本について納得することはできないが、ダイヤ改正実施はやむを得ないと考える。しかし、根室線五能線運輸事業審議会に付議されており、駅廃止問題、組合要求も残っているので、残された期間に交渉を続け、最終判断したい」との態度を明らかにした。根室線五能線の問題が運輸審議会での結論が出されたため、1月27日に「59・2ダイヤ改正に関する協定」等を締結し、1年間の闘いを終えた。これによってダイヤ改正は2月1日から実施されることとなった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 90-2

貨物事業縮小の陳情に対する当局の態度

再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。

少し長いですが、全文引用させていただきます

四、陳情と対応策

陳情内容をいろいろな角度から述べましたが、陳情に対して私どもがどう対応しているか述べてみたいと思います。

貨物取扱駅存続460駅体制は、物流のまとまりを考えて組んだものであり、この駅体制と直行システム化は、言わば車の両輪であり、貨物取扱駅の存続はできない。
輸送ルート確保の車扱については、一定のまとまりのある区聞に限定して直行列車を設定しているので、輸送量の少ない区間には送れないことになる。しかし、コンテナでは、ほぽ全方位の輸送を確保するととにしている。
コンテナ輸送のメリットを最大限に発揮させるため、拠点駅への通運免許の付替、通返事業者等の集配力の強化、長距離区間貨物取扱駅が廃止される地域等を中心に、貨物跡地を利用した通運の広域集配基地(通運デポ)の設置等効率的な広域集配体制の確立を図る。
なお、具体的な物資については、次のように対処している。
小量分散型貨物
〔化成品〕・・・数日分を一箇列車にまとめて輸送できないか、私有タシクコンテナによるコンテナ化のしようよう。
〔火薬類〕・・・車扱輸送ルートのない場合、コンテナ化のしようよう(現行では、火薬類はコンテナに積載出来ないが、関係省庁へ規制緩和について折衝中)
〔特大貨物〕・・・運輸上支障のない場合に限り、臨時貸切列車の設定を行う。但し、運賃は割高となる。
大量分散型貨物
〔肥料・米〕・・・コンテナ化をしようよう。
〔みかん・りんご・馬れいしょ等の季節貨物〕・・・臨時のコンテナ、車扱直行列車設定を検討

五九・二ダイヤ改正の延期の要望
五十七年七月の臨調答申、五十七年九月の閣議決定、五十八年八月の国鉄再建管理委員会の基本的実施方針等において求められている拠点間直行輸送体制は、国鉄貨物に残された最後の生き残り策であり、予定通りの期日に実施する。
補償

今回計画による廃止対象駅の規模が大きいことなどから現行の補償制度を全般にわたって見直しを行う。新規補償はしない。
等々を説明し理解を求めているところです。

*1

ということで、車扱輸送を行っていた貨物も極力コンテナで対応できるとしており、専用線にあってもコンテナにより対応できるとしていましたが、多くの専用線を持つ企業は専用線を廃止して、トラック輸送に変わっていったように記憶しています。

西大路駅横には、日本電池((GSバッテリー)現・ジーエス・ユアサコーポレーション)の工場があり線路に沿って専用線が引かれ積込がされていましたが現在は専用線は撤去されてしまいました。(工場の施設自体は現在も残っていますが。)

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左上の大きな建物が湯浅バッテリーの工場で、専用線が伸びていることが判ります。

近代京都オーバーレイマップ

貨物輸送縮小に関しての世論はどうであったか

当時の世論は大きく二つに分かれていました。

  • 国鉄貨物の占めるシェアは僅か7.3%であり、鉄道貨物輸送は終わったと言う、いわゆる鉄道貨物安楽死論であり、臨調や自民党の立ち位置でした。
  • 今回の計画は国民生活の破壊につながるもので、現行輸送方式を維持すべきだ」とした、国鉄貨物公共性論の立場であり、組合並びに社会党共産党などの立ち位置でした。

国鉄としても、鉄道貨物輸送を手放すつもりは無く、実際にコンテナ輸送は57年度で落ち込みはあったものの、それまでも順調に増加していましたので、引き続き経営する意欲はあったわけですが、車扱輸送による赤字、特にヤード継走方式は、到着時間が不確定になるなどの問題を内包していたことも事実でしたので、この辺りで収支均衡を図るためにも不採算部分は思い切って切り離したいと考えていました。

労働組合としては、ヤード系輸送の廃止は反対と唱えていますが、国

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鉄当局側の見解としては、「車扱輸送も5000万トンを割るようでは、ヤード系集結輸送はコストが高くなり、そのうえ到着目時が明確でない、到着時分が長くなるといった欠点ばかりが出ている。」としており、国鉄としても正直言って扱い量全体が減少していく中では、赤字を増やすだけの車扱はしたくないというのが本音であったと考えます。

国労の見解をここに引用させていただきます。

国労の見解については5月21日付の「国鉄新聞」に新しい貨物営業」に対する組合の考え方を明らかにした。

そこでは、国鉄の貨物は国内貨物輸送量の8%を分担しており、きわめて重要な位置にあること。

そして、ヤード系輸送方式からの撤退と直行系輸送方式に転換することは、国民経済に大きなマイナスの影響を与える、さらに、ヤードの全廃と貨物駅の集約は国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつくものであると批判した。

つづけて、国鉄貨物輸送の望ましい姿としては、

  1. 大企業に奉仕する運輸政策を転換し
  2. 民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立し、そこに国鉄貨物を位置づける必要がある。
  3. 国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力が必要
だと主張した。

と書かれていますが、民主的総合交通(貨物輸送)政策を確立・・・というのはどう言ったものを指すのか、全く具体案が見えてきません、実際トラック輸送に奪われたシェアを取り戻すのに民主的とは何を指しているのか。大企業に奉仕する運輸政策を転換し・・・というのは、昭和47年頃から言われていた話ですが、車扱貨物輸送は、資本家のために安い運賃で荷物を運んでおり、本来得るべき労働者の利益が搾取されているとして反対してきたものですが、逆に安い運賃であったが故に物価が安定していたという面もあるわけで、その後のスト権スト等の闘争で、荷主の信用を失った結果、国労が言うところの、「国鉄労働者、通運労働者そして鉄道関連産業労働者の雇用の危機と賃金、労働条件の低下に結びつく」と言う結果を招いたと考えます。

それ故、国労が提案している「国鉄貨物輸送の維持・拡大のためには、輸送方式の改善、営業施策の改善、新規サービスの開始、施設の整備をはかるなどの努力」というのは国鉄当局としては、ヤード系輸送の廃止を行い、黒字がでている直行輸送系に切り替えることで、自民党や臨調の中で燻り続ける、鉄道貨物安楽死論を阻止する意味合いがあったわけ、そうした意味では、国労の主張は筋として努力すべき点は同じですが、ここに行き着くまでのプロセスにおいて大きな矛盾を抱えていると考えてしまうのです。

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*1:しょうよう【慫慂】そうするように誘って、しきりに勧めること。