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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 100

皆様、久々に更新させていただきます。色々と資料を探してみるのですが、この辺の資料であれば、公企労レポートが一番適当かと思うのですが、あいにく持ち合わせておりませんので、今回は深掘りした意話ができないことを最初にお断りしておきます。

国労による「三ない運動」

国労は、分割民営化反対を当初から掲げており、「三ない運動」と呼ばれる戦略行動でした。

  • 辞めない・・・勧奨退職に応じない
  • 休まない・・・一時帰休
  • 出向しない・・出向

国鉄当局が進めていた施策でしたが、国労はこれを「首切り三項目」として、徹底的に反対するようにしていました。

特に、これ以外に、「こうした話を聞かない」を含めた行動としていた場合も有るようです。

さて、こうした取組に対して、同じような主張をしていた千葉動労は、国労の運動を評価すると共に、動労労使協調路線(中核派などからは、資本階級に取り込まれたと指摘)に転向したことを厳しく指摘しています。

以下、千葉動労のサイトから引用させていただきます。

動労カクマルを手先
 動労革マルは、すでに82年1月には「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだしていた。表向きには「分割民営化反対」を掲げていたが、たちまち馬脚をあらわす。82年のブルトレ問題でのぬけがけ的妥結を皮切りに、以降、入浴問題、現場協議制問題等でつぎつぎに当局と妥結。東北・上越新幹線開業に伴う83年2・11ダイ改では、国労が六年ぶりに順法闘争をたたかっている最中、鉄労とともに当局提案を全面的に受け入れた。こうして動労を使って国鉄労働運動をつぶすというこの攻撃の出発点が形づくられた。  

doro-chiba.org

なお、国労に歩調を合わせていた組合としては、他に全動労 全国鉄動力車労働組合

)【現建交労(全日本建設交運一般労働組合・鉄道部会)がありました。

 

国労は何故「三ない運動」で反対したのか

国鉄当局の狙いは、勧奨退職を活用することで、55歳以上の労働者を退職させることにありました。

実は、国鉄時代には明確な定年というものがなく、慣習的に55歳で退職する人が多かったのですが、55歳を回って退職する人もいたとのことで、退職者を増やすことで3万人の人員削減を図りたいという思惑がありました。

そこで、国労としては、徹底的に反対することで組織としての引き締めを図ったと考えています。

国労の発表によると、希望退職などの総数は下記の通りだと報告されています。

① 特例休職は対象者1万218人のうち、応募者5,856人、発令者5,317人
② 退職前提休職(55歳以下)は申し出者449人、発令者389人
③ 復職前提休職【50歳未満)は申し出者72人、発令者41人
④ 派遣者については24人
を発令した、と発表した。

国労は、この実数について、国労組合員が三ない運動を実践したことによると総括しています。国労は 昭和59年9月の時点で、未だ二十万八千人の組合員を擁する圧倒的な第一組合であったからでした。

ただし、その状況はその後、雇用安定協約の破棄などで急転するのですが、雇用安定協約とはどのようなものであったのか、以下から引用してみたいと思います。

反転攻勢 国労運動45年に学ぶ

この本によりますと、1971年3月、国鉄職場に締結されたもので、日本国有鉄道法に定める身分保障を更に一歩進めた内容となっていました。

具体的には、職場が合理化等で無くなってもただちに整理解雇などにより身分を失うことがないと言う契約で有り、更に一歩進めて合理化しても人減らしをしないと言う本末転倒な取り決めなどが結ばれる温床ともなりました。

少し長いですが、本文を引用してみたいと思います。
 

卑劣な攻撃
 相つぐ人員合理化のなかで大量に発生した余剰人員問題こ雇用不安を背景にして、1984年10月9日、国鉄当局は、提案していた余剰人貝調整三項目のうち、休職制度、派遣制度が同日二四時までに妥結されない場合には、雇用安定協定の存続について重大な決意をもってのぞむ、との申し入れを関係各組合に対しておこなった。雇用安定協約の存続と引き換えに人員整理策に同意をもとめるというまったく矛盾した恫喝を国鉄労働者に対してかけてきたのであった。
 そもそも雇用安定協定は1971年3月、国鉄職場における機械化・近代化・合理化にさいして、職貝の雇用の安定と労働条件を維持・改善することを目的に締結されたものであった。その協定の内容は、①雇用の安定の確保と労働条件の維持・改善をはかる、②本人の意に反する免職・降職はおこなわない、③配置転換となる者、職員の申し出による休職を希望する者の取り扱いは別に定める、というものであり、国鉄職員の雇用の安定に関して、日本国有鉄道法に定める国鉄職員の身分保障をさらに一歩すすめた内容のものとなっていた。

この協定によって、国鉄職員は、一応、機械化・近代化・合理化によって、職場がなくなってもただちに整理解雇などにより身分を喪失することはないという保障があたえられていた。
 国鉄当局は卑劣にも、この雇用安定協定の存続と引き換えに余剰人員調整三項目に関する協定の締結を各組合に迫ったのである。雇用の安定というかぎりは、余剰人員対策においても国鉄内における配置転換によって雇用を確保するというのがギリギリの線であろう。その線をこえて他社へ出向(派遣)させなり。一時帰休制度をとることは本来の雇用の安定とは矛盾するものであり、大きな雇用不安を国鉄職員のなかに持ち込むものであった。
このような国鉄当局の姿勢は、雇用安定協定と三項目協定とをセットにして関係労働組合に押しつけ、人員整理に協力するか否かの踏み絵、換言すれば、分割・民営化に協力するか否かの踏み絵を踏ませることによって、国鉄労働者のあいだに襖をうちこみ、分断することをねらうまさに卑劣な攻撃であった。

国労としては、雇用安定協約と余剰人員調整三項目をセットにしたのは、問題であるとして、労働省【当時の名称】に「就業規則の変更に当たる出向、一時帰休制度で労働基準監督署に届けでもせず、内部規定の制定で足りるとするのは労働基準法89条に違反」として労働省に行政指導を要請し、一定の成果を上げています。

また、国労は、国鉄本社に対する抗議行動をいっそう強化するとともに、中央抗議行動を展開し、国民的なたたかいを呼びかけた。青木宗也法政大人学総長など労働法学者が運名で「雇用安定協約の一方的破棄に関する見解」を発表し国鉄当局を批判するなど、国鉄改革を、国民全体の関心事として捉えるべき運動として取り組みましたが、10年近く前のスト権ストなど、国鉄の現状を知るものからすれば、国民全体の問題と言いながらも大きな流れにはなりませんでした。

 

関連 国鉄労働組合史詳細解説 97 もご参照ください。

 

国労の運動方針は、国鉄分割民営化阻止

小町副委員長の経過報告に続き、山崎書記長が84年度運動方針案を提案した。その骨子は「分割・民営化を阻止し、国鉄労働者と関連労働者の雇用と労働条件を守る」など。同書記長は細部の説明に入るまえ、冒頭の委員長挨拶にもあった「もはや黙って嵐が過ぎるのを持つ態度は許されない。立って闘う以外に道はない」旨を受ける形で「56歳以上の特別休職扱いには、組合機関もかかわり合う方法を確立したい」と述べた。

として積極的に、特別休職に対して反対すると共に、分割・民営化を阻止することを打ち出しています。

実は、当時の国鉄当局も分割民営化迄は、想定していないというか、分割民営化は反対しており、過員が解消できて、合理化が完成していれば、もう少しスマートな形で移行できるもしくは、分割は避けることが出来たと思うのですが、あまりにも国労既得権益に拘りすぎていたのではないかと、その後の流れを見ていると、個人的には考えてしまうのです。

なお、上記3項目(勧奨退職、一時帰休、出向)に反対するため、8月31日に3項目に反対する、全国統一半日ストライキを実施すると、国労の山崎書記長【後の委員長】集約答弁で回答しています。

 

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************************以下は、国労の資料から引用***********************************

 
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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

┌───────────────┐
├○ 特例休職の実施と国労の闘い│
└───────────────┘

 国鉄当局は。余剰人員調整策の一つである出向の受け入れさきとして、国鉄関連企業に受け入れ要請を行ってきたが、10月8日現在で約300社から、計2500人について受け入れの回答がきていることを明らかにした。また。10月1日から実施されている特例休職(56歳以上の退職前提休職)の実施状況は、6日までに2,622人が発令され、さらに1,095人が申しでており、合計3,717人となることを発表した。12月1日現在の実施状況は、
 ① 特例休職は対象者1万218人のうち、応募者5,856人、発令者5,317人
 ② 退職前提休職(55歳以下)は申し出者449人、発令者389人
 ③ 復職前提休職【50歳未満)は申し出者72人、発令者41人
 ④ 派遣者については24人
を発令した、と発表した。

以上の実施状況から明らかなように、派遣・一時帰休の応募が極めて少なかった。この時点では、”辞めない、休まない、出向かない”という国労の方針が組合員に浸透していたと言える。
 こうした情勢のもとで、国労は、84年10月31日と11月1日の2日間、第142回拡大中央委員会を開き、「余剰人員の調整策」撤回を求める闘いの中間的総括を行い、当面の闘いの目標として、「三項目」反対、「特退協定」の早期解決、過員解消、60.3ダイヤ改正反対、年末年始などにおき、11月中旬から12月上旬にかけて第七次全国統一闘争を展開し、1,2月の第八次全国統一闘争は大衆行動を着実に積み上げ、重要な場面ではストライキを含む闘いを配置するとの方針を決定した。
 なお、国労は、第142回中央委員会直前の10月24日に国労は、「就業規則の変更に当たる出向、一時帰休制度で労働基準監督署に届けでもせず、内部規定の制定で足りるとするのは労働基準法89条に違反」として労働省に行政指導を要請していた。
この点の追求を全国的に展開し、1640の支部、分会が取り組んだ。
 12月18日、労働省労働基準局は国鉄当局に対し、
 ① 大綱的な就業規則の他に大量の内部規定があり、就業規則として一本化していない。
 ② 届出義務のある就業規則まで内部規定で定めており、変更の届出を怠っている、
として85年1月31日までに、改善措置を文書で報告するよう指導した。
 この指導が出されたことをうけて、国労は12月25日に国鉄当局に対し、
 ① 労基法違反をただちに改善し、過半数組合である国労との団交を再開する。
 ② 所定手続きの終了するまで出向、一時帰休の募集を中止する。との二項目を申し入れるとともに、当局の違反行為を改善しない場合、検察当局への告発も検討するとの強い姿勢を表明した。労働省の改善勧告を受けた当局は、八五年一月三一日、労働省に対し、「本年三月三一日までに整理して、所定の手続きをとる」と回答した。

参考、労働基準法89条
(作成及び届出の義務)

第89条  
常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
1. 始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
2.賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
3.退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
3の2. 退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
4. 臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
5. 労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
6. 安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
7. 職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
8. 災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
9. 表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
10. 前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

続く

 

国鉄労働組合史詳細解説 99

本日も、国労の労働運動史を底本にして、昭和59年当時の国労の動きを中心にして、国鉄改革の歩みを見ていこうと思います。
そこで、当時の国労だけでなく、動労の動きにも注目してみたいと思います。
国有鉄道という国鉄部内誌を参照しますと、昭和59年7月~8月にかけて開催された国労動労、鉄労などの組合大会の様子が書かれており、詳細は不明なるも概要を知ることは出来そうです。
そこで、少しずつその辺を抜き書きしながら、当時の各組合の考え方を見ていきたいと思います。

人員削減・貨物輸送削減・ローカル線廃止のいわゆる三項目には動労も反対

昭和59年10月号の国有鉄道を参照しますと、7月17日から20日まで秋田市で、国労の山崎委員長も出席した動労の大会における、最終の集約答弁で、動労の福原書記長は、以下のように答弁しています。

福原書記長の集約答弁は最終日の20日,次のように行われた。
社会党違憲合法論,原水禁の問題,84春闘の惨敗など,われわれにとってピンチが続いている
時,国鉄問題でも仁杉総裁の発言,鉄労提言,三塚氏の著書と矢継ぎ早に分割・民営化の動きが出ている。いよいよ正念場を迎えた。
骨身を削るという動労提言の姿勢は地域住民や関係労組員の共感を得た。それが中央大行動の成功につながったと思う。労働運動の惨状の中で動労は一定の集約をしてきたが,国労は組織を強くしてきたのだろうか。
観念の世界でなく,現実にあるべき姿をみなければならない。国鉄再建フォーラムでの協議も大切にしながら60・3ダイヤ改正の節に向けて全力をあげる。
3本柱(3項目のこと)は基本的に反対している。団交で受けられないというならフォーラムがある。場合によっては臨時中央委員会を聞く。そのうち過員問題に政治が介入することも考えられる。
したがって3本柱は職域の拡大などという視点からも考えていく必要がある。雇用安定協約の再締結もやっていかなければならないが,当局が一方的に実施してきたらストで闘う。

国労とは、この頃から既に考え方は異なっていましたが、3本柱(3項目のこと)は基本的に反対している*1

と明言しています。

ただし、国労との共闘については距離を置いているようで、話は前後しますが、来賓として呼ばれた、国労の山崎書記長は下記のように挨拶しています。

再び、引用したいと思います。

冒頭、佐藤委員長は「いまの状況では、自らが"職場と仕事と生活"を守る以外にない。そのためにも動労提言を実現させなくてはならない。国労共闘については、既成のエゴイズムを打破しなくては解決しない」と挨拶した。
来賓挨拶には、公明党の近江巳記夫衆議院議員(運輸委員会理事)、地元の佐々木秋田県知事らが行った。また国労は、57年の洞爺湖大会に当時の武藤書記長(現・委員長)が出席して以来、2年ぶりに山崎書記長が出席し、「動労国労との理念の違いはやむを得ないが、雇用と労働条件を守らなければならないという点では一致している。また共通の課題で共闘してきた歴史的事実もある。正常でない関係について十分話し合いたい。すべての点で共同行動をとか、組織合同をといっているのではない」と述べた。この発言は、7月24日からの総評大会でも行われ、動労も「こちらから共闘を否定したことはない」と態度を明らかにしている。しかし、現時点では関係修復までの具体的な詰めは進められていない。

と、国労としては共闘を求めようとしており、動労としても拒否するわけではないと言っていますが、結果的に双方の溝は埋まらず、別々の道を歩むことになったのはご存じの通りです。

動労は、動労提言で国民にアピール

 動労は、その辺に対しても下記のように述べています。

執行部は「59・2ダイヤ改正後の減量、攻撃にわれわれがどのように対処,撤回しているかという点も理解してほしい。動労提言は地域住民の利便性を守ることを大きな目的にしている。各地本でもそれをどう闘っていくか考えていくべきだ」(佐藤交渉部長)

として、動労の場合は、組織がなくなってしまうと、組合運動自体が消滅するとして、上記のような答弁をしています。

ただ、組合員の中には労働強化に対してストで対抗せよといった強硬派の意見もあるのですが、その辺は中央執行部が押さえつけていると言った期待があり、それが上記の発言に繋がっています。

さらに、動労はちゃっかりと、国民のための国鉄として運動していますよと下記のような記事を書いて宣伝しています。

実際、小倉~博多間の増発や、するがシャトルの実現などは動労からの提言であるとしています。
市民出版社刊「鬼の動労の緊急提言」から、引用してみたいと思います。

  するがシャトル出発進行

五九・ニダイヤ改正から、静岡駅を中心にして島田-興津間に、一五分間隔で運転する。"するがシャトル"がスタートした。

これは「定時間隔の運転」を意味していることであるそうだが、この要求は古く、動労の静岡地本が53年の改正から始めたものだった。現在ある電車を最大限利用し昼間体を中心に、短編成で列車増発せよ、というのであった。
 それがようやく陽の目を見たのは五七・一一の改正からで、今回の五九・二が本格的な出発進行である。この列車増により「時刻表を気にせずにいつでも乗れる国鉄」と好評を博し、乗客も前年度比約五%の増となっている。さらにいま続けて利便性を高めるために沼津圏や浜松圏へもひろげ、新駅の設置まで含めて要求し、地域住民と一緒に活動を展開している。

鬼の動労の緊急提言

動労の提言から、するがシャトルなどの実現

と言った具合でしたが、残念ながら国労ではこうした時期にどのような状況であったか改めて、国労大会に様子を見ていきたいと思います。

国労の動きはどうだったのか?

国労は8月20日から23日まで静岡県伊東市で第四六回大会を開催しており、開催され、冒頭挨拶で下記のように発言しています。

武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、

  • 政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化
  • 反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化
  • いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化、
の3つだと述べた。
同時に総評労働運動の勢いを廷らせることは国労自身の力を増すことにもなるとしfこ。また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のつくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

来賓挨拶では真柄総評事務局長が「分割・民営化問題に積極的に対応していくが、動労ともそれに反対という一致点があるならば戦略的に対しても一致できるよう努力してほしい」とし、動労から久方ぶりに出席した福原書記長は「総評大会でも共闘への努力を明らかにしている。余剰人員問題は一過性ではない。総評強化にしても国労が最大組織としての中心軸になって闘う任務がある」と述べた。

動労が寄り現実的な路線を選択し、世論を味方に付けようとしていく中で、国労は懐古的とも言える階級闘争にそのエネルギーを割いているとしか見えません。

結果的には、国労は当局に押しきられる形でとなり、動労・鉄労・全施労などは、当局の強提案を受けいれますが、強硬に反対してきた国労や全動労、千葉動労に対しては、雇用安定協約の解約を通告することとなり、こうした一連の流れが、組合員の不安を生むことになりました。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

┌────────────────────────────┐
├○ 休職制度と派遣制度についての提案と動労などの先行妥結│
└────────────────────────────┘

 「特例休職」の交渉が妥結し、続いて10月10日実施予定の「余剰人員の調整策」余剰人員対策三項目)の本格交渉が開始されることになった。交渉は、復職前提の休職制度と派遣制度にかかわる問題であった。連日の交渉が続けられたが、10月9日になって国鉄当局は以下の新たな提案を行った。
 ① 「退職制度」については国鉄当局は10月10日から6ヶ月延長し引き続き交渉する。
 ② 「休職」「派遣」については、これまでに示した当局の考え方に加え、復職前提の休職者および派遣社の復帰について所属長の文書で該当の職員に対し明確に保証する。
 ③ 「休職」「派遣」については、9月24日までの妥結を強く要望する、妥結に至らない場合は雇用安定協約の存続について重大な決意で臨まざるを得ない、と一方的実施の意向を示した。
 当局の強硬ともいえる提案を受けて、動労は「職場を失っては、生活はもとより、労組も運動もあり得ない」と判断し、雇用安定協約の確保を重視して妥結し、全施労も足並みをそろえた。鉄労は、余剰人員対策では余剰人員の活用と業務外注化の見直しなどの方針を掲げていたが、ある程度納得出来る回答が得られたとして妥結した。
 よく10月10日早朝、当局は国労に対し団体交渉を打ち切りを通告してきた。そして11日には雇用安定協約を85年1月11日を持って解約したい、との通知を国労、全動労、千葉動労に行った。国労は、団体交渉否認の態度を改め、誠意をもって要求を解決せよという目標を掲げた闘争指令を出した。それは徹底した抗議行動とともに「休職」の募集、「派遣」の希望調書には一切応じない組織的な取り組みの強化、ワッペン着用闘争の継続、非協力闘争、11月下旬にはストライキを含む全国統一闘争を実施するなどの指令であった。
 また、国労は、社会党など各方面に働きかけ、労働大臣や運輸大臣とも会見し、「監督官庁として国鉄を適切に指導」するよう求めた、国会においても運輸委員会で国鉄問題を審議され、社会・共産両党の議員が「余剰人員対策三項目」を一方的に実施した国鉄を批判し、組合との合意ができるまで中止せよと迫った。こうした働きかけにも関わらず団交再開に至らなかった。

続く

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*1:三項目とは、人員削減、ローカル線廃止、貨物輸送縮小・削減を明言した経営改善計画のこと

国鉄労働組合史詳細解説 98-2

今回も、国労は56歳以上の者の退職条件を切り下げることで退職を促進することを目的とする当局の方針に異議をとなることとなります、しかしそういった申し出に対しても、当局側はなかなか応じようとはしませんでした。
 さて、実際にはどのような経緯となるのでしょうか、以下お読み下さいませ。
現在、労働組合視点の資料を探しているのですが、中々見つけられませんので、当局資料などを中心にして類推しながら書かせていただくことを了承いただきたいと思います。

合理化は国鉄改革の原点と位置づけた当局

国鉄の場合、組合問題に論点がいきがちですが、何故合理化を強力に推し進めなくてならなかったのか、その一つには、確かに組合との馴れ合いで、合理化が進んでこなかったと言う側面もありますが、実は特定人件費の増加という点にも着目する必要があるかと個人的には考えています。

下記は、昭和58年度監査報告書に書かれている、経営改善計画の収支表です。

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1984-09_国有鉄道から、引用
 
これによりますと、特定人件費の上昇が極端に大きいことが判ります。
特定人件費とは、戦後、復員者及び、満州鉄道、朝鮮鉄道等で勤務していた人も国鉄で採用したことで発生している人件費で有り、本来はこうした人件費は、政府の責任で処理すべき問題であったと思われますが、その辺は臨調などでも話題になったとは言えません。
なお、運輸白書にも、特定人件費に関する記述がありました。
下記のように記述されているように、国鉄の問題の一つは、国鉄の組織そのものだけではなく、国鉄職員のうち、本来であれば国が負うべき人件費も国鉄が負担していたことにも注目しなくてはいけないのではないでしょうか。
全体収支においては,地方交通線・地方バスの損失及び特定人件費の増大により,改善の目途がたたない状況にあり,将来の国民負担の軽減や鉄道の果たしている使命の維持のためには,経営形態を含めた抜本的な改革が必要となっている。
 

f:id:whitecat_kat:20181123121810j:plain

2 再建対策の経緯 昭和61年度運輸白書から引用
ここで書かれている人件費は、特定人件費を含めた全ての金額のためわかりにくいが、国鉄財政破綻の大きな要因の一つは特定人件費の問題であったと言えます。ただし、その反面、本来であれば積極的な合理化等で組織をスリム化していく必要があったにも関わらず、イデオロギーに拘り、合理化を反対してきた各組織にも問題がなかったとは必ずしも言えません。

国鉄労組的には、国鉄赤字の原因は政府と当局の責任らしいです。

国鉄労働組合の中には複数の派閥が分かれていましたが、国鉄労働組合革新同志会(革同】になるのでしょうか、杉田明著 「臨調国鉄攻撃と労働者階級」国鉄問題研究会刊の記事を参照しますと、国鉄の赤字に関して下記のような記述を見ることが出来ます。

少し引用してみたいと思います。

 以上見てきたような国鉄赤字がどこから生まれてきたか、結論的にいってそれは日帝の戦後高度成長政策、戦後国鉄政策とその破産・崩壊の不可避的な帰結ということができる。特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け
入れた結果である。巨大な利子等は、国鉄が戦後一貫して独立採算制の名のもとに巨額の借金を重ねながら設備投資を続け、日帝・独占資本の要請に応えてきたことの、いわばツケということができる。一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果
だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって、けっして狭い意味での国鉄経営のあり方の問題でもなければ、ましてや国鉄労働者の働き度の問題でもないのである。

p146~147

ここで、個人的なコメントを挟むことを許していただけるならば、「特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け入れた結果である」としながらも、当局は定員法により、適正規模の人員に減らそうとしましたが、強く定員整理に反対したのはどこの組合だったでしょうか。
結果的に、定員法による首切りは実現されたものの、その多くは戦時中に徴用された女性従業員や若手の職員でした。
一番、解雇に反対していた組合はその辺の活動はなかったことにしているようです。
また、「一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって」としていますが、国労が行った違法ストライキで利用者が減少し、更に貨物輸送の荷主にも愛想を疲れたことには一言も触れられていません。
もちろん、国鉄当局も専用線方式ではかなり荷主に無茶ぶりをさせていたのも事実でした。
専用線を引いたは良いが、肝心の貨車が配給できないとか、自由に使いたければ貨車も用意しろと言った具合で、国鉄当局の貨物輸送のあり方もじゅうぶんに誉められたものではありませんでしたが、ク5000を使用した自動車輸送は、一定の成果を見せて自動車業界も積極的に利用を行おうとしたのに、ストライキの続発で結果的に荷主の信用を失わせた組合の責任はどこにあるのでしょうか。
自分たちが行ったストライキが、「日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結」と言えるのでしょうか。
自分たちの都合の悪いところは徹底的に模糊としてしまう点に関しては、納得いかないものがあります。

結果的に自分たちの職場を小さくしていく方向に動いた労働運動

 なお、この辺に関しては、民間では昭和39(1964)年に結成された、全日本金属産業労働組合協議会のように、富の再配分という労働運動の本質的な部分を生産性の拡充に求めていった、右派的労働運動を選択したのに対して、階級的闘争を打ち出した、左派的労働運動を貫いたことで、国鉄は独占性が失われあまたの交通機関と競合する中で、その地位を下げていく事となり、貨物輸送が壊滅的な状況に追い込まれて、乗務員が遊んでしまう。いわゆる、「ブラ勤」と呼ばれる状況を作ってしまいました。
更に、列車そのものの本数が減るので、機関車や貨車の稼働が減ることになり、一部の機関車は休車という措置を取ることになります。
機関車などの場合、一休(復活前提の休車)をすることで、検査時期を延長できますので、実質的に稼働日数を増やせることになります。【休車指定することで、いわば時間を止めると言った方が解りやすいでしょうか】結果的に、工場の稼働も減るので、今度は工場の職員も遊んでしまうことに成ります。
また、日々の検査も休車は不要になるので、これまた検査掛の要員も余ってしまいます。
結果的に、今まで積極的に行っていなかった合理化がここに来て一気に問題が表面化したと言うことでしょうか。
貨物輸送の減少に関しては、組合がいくら反論したとしても、スト権ストなどに至るまでの数々のストライキが、鉄道輸送利用者をことごとく裏切った事へのしっぺ返しと言えるわけで、この辺は組合はやはり猛省すべき点ではないかと個人的には考えてしまいます。
 

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国鉄労働組合史詳細解説 98

さて、本日は59・2ダイヤ改正に伴い発生するであろう過員に対し、国鉄当局は退職前提の特別休職を中心に休職を者の募集を開始したが、それに対して国労は、強く反発する反面、組織温存を図りたい、動労、鉄労、全施労は当局の要求を早々と受け入れ、さらに早期に募集開始を迫る構図となり、国労側にプレッシャーをかけることになります。
そうした中で、一定の整理がはかれたとして国労も改革三労組(動労・鉄労・全施労)とほぼ足並みを揃える形で休職者募集が開始されることになります。
 
現在、この辺に関して当局視点だけではなく、国労なり動労の視点での資料を集めようとしているのですが、適切な資料が中々適切な資料がありませんので、当局視点の資料からの類推になりますが、ご了承ください。
 

「特例休職」募集提案の妥結

国労は、退職者の募集に際しては、組合の記述では、
国鉄の分割・民営化、余剰人員対策「三項目」と新たな過員をつくりだす合理化事業案に反対し、対決して闘うことを軸にした方針を決定した。
 この大会決定にもとづき、24日、8月31日のストライキを中心とする闘争指令1号を発した。さらに、27日、募集中止を求めて公労委に斡旋を申請した。
とされていますが、実はその辺の資料を今後探そうとしているのでどのような内容であったか中々見られないのですが、この頃になってきますと、かなり柔軟と言いますか、国労も現実主義的な動きをするようになっており、この話題とは直接関係ないですが、国労の大会では、運動方針案を次のように運動方針案に記載していました。
われわれは、労働条件の改悪や「合理化」強行のための「効率化」にはあくまでも反対するが、労働者に犠牲をもたらさない限り、「効率化」に一面的には反対しない。このような立場から「効率化」に対する具体的な対応について討議するとともに、闘いを進めていく(原文のまま〉。
運動方針案についての集約意見で武藤書記長は「大会で決めた/l寺とそれを実行する時では、情勢や条件が違ってくる。基本をねじ曲げてはいけないが、戦術の判断は執行部にまかされていいと思う」と述べている。
ただし、こうした方針に対しては、当然の事ながら代議員から、「当局の合理化計画に沿ったものになりやすい」という反対意見が続いたたとされており、国労執行部は、一応保留とするという態度を示していますが、国労と言う組織が一枚岩でないだけにその辺は難しい舵取りを迫られていたのであろうと容易に推測できます。

国労当局としても最優先課題は、組合員の雇用

特に、国労としても組合員の雇用を守るという点は大事にしていかねばならない問題であったことから、
① 強制・強要の排除
 ② 申し出を行った者に対する平等の扱い
 ③ 不承認年休の買い上げ
 ④ 乗車証の取り扱い
 ⑤ 健康診断の扱い
 ⑥ 期末手当の扱い
 ⑦ 特定退職協定交渉との分離
 ⑧ 配転問題
 ⑨ 欠員補充
 など一定の前進した回答を引き出したので協定化をはかり妥結した。
いわゆる条件闘争に導いたと言えますが、結果的には、国労、全動労は約一週間遅れの9月21日から退職者の募集が開始されました。

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休職制度の概要、共済組合は休職中もその資格は保有すると明記されています。

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上記は、特定退職者協定の退職条件と在職条件
55歳の退職の場合、10号奉【約2年半勤務相当の昇格に相当】がアップされる他、年度末年齢が55歳だけ4/1となっているのは、昇給の関係と思われます。
公務員等は、4月1日付で昇給【基本は4号奉】するための措置で、管理者などは退職に際しては6月末で退職するのが一般的でした。
これは、6月1日に在職【実際には年休消化などで殆ど出勤していない】していることで、賞与の支給条件を満たすためでした。
なお、一般職員は3月末の退職が一般的で有り、この辺は役職者と担当で差が付けられていました。
 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌───────────────┐
├○ 「特例休職」募集提案の妥結│
└───────────────┘

続き


 こうした分析にもとづいて国鉄の分割・民営化、余剰人員対策「三項目」と新たな過員をつくりだす合理化事業案に反対し、対決して闘うことを軸にした方針を決定した。
 この大会決定にもとづき、24日、8月31日のストライキを中心とする闘争指令1号を発した。さらに、27日、募集中止を求めて公労委に斡旋を申請した。29日、公労委は国労の主張をほぼ認めた斡旋案を提示したので、国労は斡旋案を受諾し、ストライキの中止を指令した。ところが国鉄当局は30日にこの斡旋案を受諾しておきながら、その40分後に再び、「斡旋案を受諾したので、9月15日から休職募集を開始したい」と提案してきたのである。国労はかかる当局の態度に対し、団交否認と同一であるとして強く抗議し、撤回を求めた。
 その後「特例休職」について交渉をつづけたが、9月11日に当局から修正提案がなされた。
 ① 84年度末の限って、56歳以上の退職条件と55歳以上の在職条件については従来通りの扱いとする。
 ② 84年度の退職者に限り、満56歳以上の者の退職条件は従前の例による。
 ③ 85年度に限り、満55歳以上の在職条件は、なお従前の例による、という提案であった。

 9月13日には、動労、全施労、鉄労が先行妥結し、15日からの募集開始を当局に迫るという状況のもとで、国労労働協約の遵守を求め。要求の前進をめざして交渉を進めた。9月19日になって、国労は前進した事項として、
 ① 強制・強要の排除
 ② 申し出を行った者に対する平等の扱い
 ③ 不承認年休の買い上げ
 ④ 乗車証の取り扱い
 ⑤ 健康診断の扱い
 ⑥ 期末手当の扱い
 ⑦ 特定退職協定交渉との分離
 ⑧ 配転問題
 ⑨ 欠員補充
 など一定の前進した回答を引き出したので協定化をはかり妥結した。この結果、特例休職については動労・全施労・鉄労の三組合については9月15日から、国労、全動労については、21日から募集が始まった。

続く
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国鉄労働組合史詳細解説 97

長らく開けてしまいましたが、再開したいと思います。

今回も、国労の資料を底本に展開させて頂きます。

国労が過員センター【国鉄当局の名称は、人材活用センター】ですが、その実体ということで、営業補助【特別改札などの他、今まで協力会社が行っていた下請け作業の直営化等が行われたと記録されています。

また、直営売店などへの転出なども行われ、一部の組合員は、正規の名札を着用せず、元所属の名称を書いた名札を着用するなどの行為が見られました。

なお、国労の記述では

国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

さて、ここで下記の記述に関しては既に、前回の 96号にも詳しく書いていますが、実際の国労組合員の考え方は、どのような物であったのかと言うことを、国鉄部内誌、国有鉄道の昭和59年10月号を参照しながら当時の国労の考え方を見ていきたいと思います。

 

whitecat-kat.hatenablog.com国労は、この時点でまだまだ分割民営化は覆せると考えていた。

国労大会は、昭和59年8月20日から23日まで静岡県伊東市で開催され、挨拶に立った、武藤委員長は下記のように挨拶をしています。

引用させていただきます。

武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、

 

  1. 政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化
  2. 反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化
  3. いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化

の3つだと述べた。同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。
また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

として、国労としてはまだまだ、この時点で、勧奨退職、一時帰休、出向を強く拒否するとしています。

結果的には、採用において明暗を分けることになるのですが、当時の国労では、下記のように、国労の弱体化を図るもので、容認できないとしていました。

国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

 動労との協調を期待する総評

総評は、国労並びに動労は、全逓日教組と並び公労協の主要な組織で有り、動労と共闘できるところは協同して欲しいと呼びかけていますが、最終的には動労は総評と袂を分かつこととなりますが、この頃は未だ動労としても、過員の問題など共闘できるところは協力すると述べています。

この辺は、当時の公企労レポートなどを参照していく必要があると思っておりますので、改めてその辺は書き加えることが出来ればと考えております。

以下、引用させていただきます。

来賓挨拶では真柄植評事務局長が「分割・民営化問題に積極的に対応していくが、動労ともそれに反対という一致点があるならぱ戦略的に対しても一致できるよう努力してほしい」とし、動労から久方ぷりに出席した福原書記長は「総評大会でも共闘への努力を明らかにしている。余剰人員問題は一過性ではない。総評強化lこしても国労が最大組織としての中心軸になって翼う任務がある」と述べた。

国労の運動方針は、国鉄分割民営化阻止

小町副委員長の経過報告に続き、山崎書記長が84年度運動方針案を提案した。その骨子は「分割・民営化を阻止し、国鉄労働者と関連労働者の雇用と労働条件を守る」など。同書記長は細部の説明に入るまえ、冒頭の委員長挨拶にもあった「もはや黙って嵐が過ぎるのを持つ態度は許されない。立って闘う以外に道はない」旨を受ける形で「56歳以上の特別休職扱いには、組合機関もかかわり合う方法を確立したい」と述べた。

として積極的に、特別休職に対して反対すると共に、分割・民営化を阻止することを打ち出しています。

実は、当時の国鉄当局も分割民営化迄は、想定していないというか、分割民営化は反対しており、過員が解消できて、合理化が完成していれば、もう少しスマートな形で移行できるもしくは、分割は避けることが出来たと思うのですが、あまりにも国労既得権益に拘りすぎていたのではないかと、その後の流れを見ていると、個人的には考えてしまうのです。

なお、上記3項目(勧奨退職、一時帰休、出向)に反対するため、8月31日に3項目に反対する、全国統一半日ストライキを実施すると、国労の山崎書記長【後の委員長】集約答弁で回答しています。

この当時の国労と、動労、そして鉄労、それぞれの思惑が有りながらも中々交わらない、否、交われない、そんな風に思えます。

また、この頃の国鉄当局も組織温存の意識から、政府の力を借りて労使の正常化と今まで進んでいなかった合理化は進めたい反面、臨調が提唱しているような、分割民営化はしたくないというのが本音で有り、動労革マル派が機を見て、当局との協力体制を取って、積極的に出向などに応じたように、国労もそうした制度に対して理解を持って、3ない運動ではなく、修正した出向案であったり、合理化案に多少でも応じていれば、また流れは変わったと思うのですが、国労は、段々と意固地になって最後には総評の斡旋案も受け入れないほど、極端な状態になってしまうのですが、悪い面での国鉄らしさが見えたような気がするのは私だけでしょうか。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い


┌─────────────────────┐
├○ 「特例休職」募集の開始提案に対する闘い│
└─────────────────────┘

続き


 この間、国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

ここで書かれている「過員センター」は、一般には「人材活用センター(人活センター)」と呼ばれていたものです。なお、マスコミは余剰人員という言い方をしていましたが、国が行う業務関しては、全て定員が定められておりそれを超す人員を「過員」という表現をしています、「余剰」という言い方はいわゆるマスコミによる印象操作の一つとも言えるでしょう。

┌───────────────┐
├○ 「特例休職」募集提案の妥結│
└───────────────┘

 当局は、8月16日になって特例休職の具体的な取り扱いについて、
 ① 休職中の賃金は100分の100を支払う、
 ② 退職手当は規定第12条により整理退職の場合の退職手当を支払う、
 ③ 功績賞受賞者、勤続25年以上の者または勤続10年以上の者は4号奉昇給させる、

 ④ 退職発令日を1985年3月31日とする、という提案を行ってきた。
 国労は、この提案の直後の8月20日~23日に開かれた第46回定期全国大会(伊東)で「余剰人員三項目」提案の本質とねらいが、
 ① 「20万人体制」を具体化するために制度の確立をめざすものであって、今後とも合理化を強行し、さらに「過員」を作り出して国鉄の職場から放り出す「受け皿」づくりである。
 ② 「過員」は団結破壊、闘争力の弱体化、世論との分断をはかる思想攻撃の手段である、
 ③ 「雇用安定協約」の空洞化と事実上の破棄につながる
 ④ 国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 96-2

長らく更新しておりませんでしたが、改めて更新させていただこうと思います。

国鉄当局の退職前提の休職に対する、国労の闘争を、国労の資料から見ていくものですが、国鉄のこうした大量の過員【余剰人員】は、どのような契機で発生したのかを考えないとみえにくいものがあります。

合理化しても人を減らせない職場

本来であれば、機械化することなどで合理化するのが本来なのですが、合理化=人減らしに繋がるとして、「合理化しても人を減らさない」もしくは、合理化させないといった行動を取ってきた時代がありました。

昭和53年鉄道ジャーナル10月号では、架線下DCの特集をしていますが、そのパターンとして

  1. 非電化線区への直通が出切り気動車の特長を活かした運転パターン
    A 主要区間が電化され、途中から分岐するローカル線が非電化であるパターン
    B 電化路線の路線の一部が非電化で残っている場合【紀勢本線の新宮以東など】
    C 走行区間の一部に電化区間が介在する
  2. 非電化ローカル線からの直通列車を併結させるパターン
  3. 車両基地の理由から運転されるパターン
  4. 間合い運用を活かすために架線の下を長距離にわたって運転されるパターン

ということで、書かれており、

特に、2~4のパターンは、本来であればで、無理に走らせる必要のない列車ではないかと疑問を挟んでいるものがあります。

特に、車両基地の理由から運転されるパターンの場合は、車両基地の統合反対などの妥協の産物で生まれたものも多く、

同じく、鉄道ジャーナルの架線電化と動力車の中で、電化後のDC列車が残る理由として、車両基地の能力不足・・・として、DCで運転しているとされていますが、こうした例も以前であれば、基地の統廃合で今まで対応していた事例であり、こうした統廃合を行わず、電化だけはするけれど、普通列車気動車で引き続き険修させると行った二重投資を認容してきたことの証左になります。

実際、長崎、佐世保電化では、特急列車のみ電車化して、急行列車以下は引き続き気動車で運転すると言う事例がありましたし、紀勢本線の場合も、特急は日根野電車区配置となったものの、気動車は和歌山機関区に引き続き残り、急行きのくにの運用に残ると言ったことがありました。

これに対しては、将来的紀勢東線区間を電化させるか否かを見極めるためという理由がなされていますが、このあたりも、組合との基地統廃合の問題があったのでは無いかと思われます。

結局、和歌山機関区はその後合理化で、電車配置がなされますが、昭和43年の国鉄部内誌、交通技術を参照しますと、将来の紀勢本線電化も見越して、日根野に電車基地を、設けるとしています。

3基地の必要性
 現在の阪和線の電車基地は、鳳電車区のみで、紀勢・
和歌山両線のDC・SL基地とLては、和歌山機関区がある。
 鳳電車区は、昭和19年阪和線南海電車から国鉄に買収されて以来殆んど増強のための改良は行なわれず、その留置能力はすでに眼界に達し.基地内のELを竜華に配置替えした跡、ならぴに吹田工場鳳電車職場を吹田に移転した跡(能力増24両)を整備して留置線に充当してもなお、30両の能力不足となり.また紀勢直通優等列車も、和歌山地区その他に分散留置させても約30両の不足となる.
 さらに将来の紀勢線の電化、及び飯和沿線の宅地造成計画による人口増加により、電車の大幅な増備が見込まれる。
したがって、相当程度の輸送量の段落が想定され、かつ用地取得の比較的容易な、日根野駅付近に将来事両基地を新設(理在の鳳電車区は電留線として在置する〉ことが決定された。

交通技術、昭和43年11月号から引用

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これ以外にも、交流電化区間などでは、特急のみ電車化して、普通列車は引き続き気動車や客車列車で残ると言った場合も数多く有りました。このような矛盾と言える運用などは、サービス上も、運営上も非効率な経営を加速させることとなりました。

この当時は、まだまだマル生運動の後遺症で、組合に対して妥協に妥協を繰り返す、そんな時代でもありました。

北海道で、基地の統廃合問題で、ダイヤ改正が遅れたと言ったこともあり、本社としてもなんとしてもダイヤ改正だけは実施したいので、ということで、組合と妥協に妥協を繰り返すと言ったことをしていた時代でもありました。

このように、組合と妥協を繰り返し、合理化しても人を減らさないと言う奇妙な合理化を進めてきた時代のつけが、昭和56年5月に承認された経営改善計画以降、強力に推進されることで、大きな問題として浮き彫りになってきたと言えそうです。

また、その時期に太田職員局長、【鉄労の志摩委員長の弁では、ただ時流に乗ったタカ派だと発言していますが、労使との馴れ合いに対して決別するとして、政府の後ろ盾がある、経営改善計画に則り、合理化を進めていくこととなったのです。

余剰人員の発生は構造的

このように、今まではどちらかというと、妥協に妥協を重ねてきた消極的な合理化【自然減と採用数の減少による定員減)から大きく舵を切るようになり、CTC導入に伴う旅客駅の無人化や、委託化を進め、駅職員を中心に余剰人員と呼ばれる過員が増えてきましたが、駅員の場合は、大駅への転勤などで吸収することが出来ましたが、貨物輸送の輸送量減少に伴う、貨物列車廃止などで、機関士自体が余ってしまい、職場に来ても仕事がないぶら勤状態が顕著な問題となってきました。

また、これと派生して、機関車の運用距離が減るので、必然的に工場入場の回数が減り、今度は工場もそれに連動して、人が余剰になってくると言う悪循環になっていきました。

当局も労使対決姿勢を明確に

昭和50年代の国鉄労使の関係を公企労レポートなどで参照していきますと、処分の段落とし、本来の発令するべき処分よりも一段軽い処分、例えば、解雇相当であれば、停職にするとか、停職であれば、減給と言った形で処分を軽くするものでした。

実際には懲戒免職になる職員が、数ヶ月の停職で、国鉄職員としての資格を失わず、国鉄の組合幹部として戻ってくると言ったことが行われていたわけです。

組合にしてみれば、解雇となれば、組合費からその組合員を専従などで雇用することになりますが、身分を失わない場合は、組合は実質的にその職員の雇用に関しては考慮する必要は無いわけですから。

それが、昭和57年頃から風向きが変わってきたわけですが、国労は大きな船よろしく、中々方向転換が出来ず、当局に対して対抗していくことに成るのでした。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌─────────────────────┐
├○ 「特例休職」募集の開始提案に対する闘い│
└─────────────────────┘

  国鉄当局はこの調定案の出た翌25日、第2回目の余剰人員対策第3項目の交渉を各組合と行ったが、その席上「特例休職」(退職を前提にした休職希望者の募集=56歳以上の者の勧奨退職)募集を9月1日から始めたいと提案してきた。
 国労は、この提案に対して、7月30日、31日に全国委員長戦術委員長会議を開き、募集撤回を要求して、8月10日、地上勤務者による全地方本部の2時間ストを実施することを決めた。国労は、募集撤回のこの8月闘争を重要視し、同時に「分割・民営化」を明示した監理委員会の第2次緊急提言が10日頃出されるとみて、この闘争を「分割・民営化」反対の長期闘争の一環に位置づけた。
 国鉄当局は、この8月闘争に先制攻撃を仕掛けるかのように、83年5月13日の監理委員会設置反対の29分スト、84年7月6,7両日に実施した過員問題解決要求と健保改悪反対の順法闘争の二つの闘いにたいして、停職3人を含む2600人の大量処分を通告してきた。
 国労は7月31日、9月1日から特例休職の募集を行うという提案を撤回し、団交での合意を求める、という要求を当局に提出した。8月2日にこの緊急要求で本社交渉を行ったが、当局は提案通り9月1日から実施したいと回答し、「調整策が有効に機能しなければ雇用安定にとって最悪の事態も予想され、民間で行っている調整策の一番上位のものが迫られる」と述べ、国鉄労働者の指名解雇もあり得ると国労を恫喝した。こうした恫喝に対し、国労は強く抗議し、9月1日の募集の中止を重ねて要求した。
 8月9日、ストライキを翌日に控えて国労は本社との準トップ交渉を行った。ここで当局側は9月1日の募集は該当職員の再就職のためであるとし、9月1日募集開始を譲らなかったため、組合と対立したまま交渉を打ち切った。かくして「三項目」提案の撤回、9月1日からの「特例退職」募集中止を要求した。8・10ストライキが実施された。全国27地本363ヶ所の拠点指定職場で3万1111人が参加した始業時から2時間のストライキであった。このストライキは、これまでの弱点を克服して全国統一闘争を成功させることができた画期的なストライキであった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 96

久々に更新させていただきます。

今回は、昭和59年2月以降の国鉄の動きについて、国鉄の部内誌などを参考に書かせていただこうと思います。

なお、組合視点の記事については、次回、組合史詳細解説 96-2として書かせていただきます。

ご了承ください。

約2万5千人の余剰人員

昭和59年の輸送システム改廃で国鉄では数多くの過剰人員が発生しました。

国鉄側の資料などによりますと、

計画 29,800人

実行 43,500人(+14,300)と当初計画よりも合理化が進んでしまいました。

退職予定者 22,000人

退職予定者が、当初の見込みを下回った原因は、年金支給開始年齢が55歳から56歳に延伸された為です。
この両者の差の約21,500人が58年度中に新たに発生した余剰人員であり,これに昨年から持ち越しの3,000人を加えた2万4500人が,59年度首における余剰人員の規模となったと書かれています。

 

余剰人員【過員】が発生する原因としては、機関区は工場の統廃合、駅のCTC導入などでの合理化など多岐にわたりますが、今まで合理化をしたくてもできなかったのが国鉄末期になって一気に行ったため、そこでも大きな歪みが生まれたとも言えます。

余剰人員対策は国鉄としても取り組んでいるが

国鉄としても、人員の有効活用を図るため、日本テレコム【初代】のような関連事業などへの転用なども図りましたが、こうした新会社を立ち上げてと言う場合は関係部局との調整や、法令の整備など時間がかかるため、一番多かったのが、直営売店や、外部委託事業の再直轄化等でした。

その辺を、国鉄部内誌、国有鉄道 昭和59年8月号から引用してみたいと思います。

(1)余剰人員の活用策
59・2ダイヤ改正以来、現実に余剰人員が大量に発生して以来今日まで、各地方機関等において様々な工夫を擬らし、地域の実情に即したキメの細かい活用策を推進してきた。その主なものは以下のとおりである。

  1. 増収・・・・・特別改札(大駅、無人駅、車内)、渉外セールス(団体募集、企画商品販売、指定券取次ぎ等)
  2. 経費節減・・・・・外注移行時期の繰り延べ、外注作業の一部直営施行(貨車解体、業務用自動車・機械の修繕、調査・設計業務等)
  3. 教育・・・・・フロントサービス教育、多車種化教育、管理者教育、技術レベル向上のための教育等
  4. その他・・・・・用地の再チェック、波動対策(除雪、海水浴、各種イベント)、その他

これらは、営業基盤の確立・開発、経費規模の縮小、将来の鉄道運営への基盤整備等、何れも重要な意義を持っており、また最も基本的な余剰人員対策であるため、今後もより一層の深度化をはかるとともに、内容を充実していくことが必要である。

実際、今までは業務委託していた作業、古いブレーキホースのブレーキ管からの回収や、

 

さらに、国鉄は、余剰人員対策として昭和59年8月になると、「余剰人員対策委員会」なるものを設置し、 余剰人員に関するあらゆる問題を総合的に調整 ・審議したそうで、その中で出てきた施策の一つが、「特例休職」(退職を前提にした休職希望者の募集=56歳以上の者の勧奨退職)の制度でした。

特例休職制度とは

  特例休職制度は、その後民間会社でもよく見られたいわゆる、肩たたき制度であり、55歳以上は給料上げないよ。【定期昇給も特別昇給も無し】としたもので、現在民間企業の多くでも、55歳の役職定年制度を設けているところが多いのですが、国鉄のこの方式を参考にしているのでは無いかと考えています。
この辺は、もう少し調べて見る必要がありそうです。

他にも、55歳以下の職員に対して二つのオプションを用意しました。

一つは往復切符の休職、もう一つは、片道切符の休職

いわゆる、復職前提の休職と、退職前提の休職で、それぞれ次のような特徴が有りました。

少し長いですが、全文引用させていただきます。

退職前提休職

 

1..適用条件

退職前提の休職を適用する場合の条件は、休職期間満了時に退職する旨の意思表示があることのほか、次の各号に定めるところによる。

  • 休職の発令予定日の属する年度の末日において、年令満55歳以下であること。
  •  休職の発令予定日が、復職前提の休職の期間又は派遣期間の満了日から、原則として1年以上経過していること。

2.休職期間
休職期間は次の各号に定めるととろによる。ただし、休職期間中において退職の意思表示があった場合は、その日をもって休職期間満了の日とみなす。

 

  •  休職の発令予定日の属する年度の末自において、年令満55歳未満の者・・・・・1年
  • 休職の発令予定日の属する年度の末日において、年令満55歳の者・・・・・・・当該年度の末日まで

3.休職の申出

  • 職員が退職前提の休職を申し出る場合は、所定の休職願に、辞職願を附して所属長に提出しなければならない。
  • 休職を発令された職員は、前号の辞職願による退識の意思表示を取り消すことはできない。

4.休職の承認

職員から休職の申出があった場合、所属長は要員需給上休職させても差し支えないときに、1項に定める適用条件を審査のうえ、遅滞なく休職を発令するものとする。ただし、余人をもって代えがたい業務に従事している場合など休職を発令するのが適当でないと認められる場合には、休職を承認しないことがある


5 .休職期間中の身分

休職者は、職員としての身分は保有するが、その職務に従事しない。


6.休職理由の競合

休職者から、公務による疾病が発生した旨の申出があり、その疾病が「公傷病」と認められる場合には、休職理由の発令替えを行うものとする。


7.退職の扱い

所属長は、退職前提の休職の期聞が満了する日をもって、退職を発令するものとする。

以上のように、55歳以上は基本的に退職前提の休職制度が導入されたほか、55歳未満の若年層を中心に、復職前提の休職制度も設けられました。

 引き続き引用させていただきます。

原則2年間が休職期間で、その間給与は60%が補償され、他の仕事をしても構わないこととされています。状況報告を行う義務はあるものの、就業の制限等はされていませんでしたので、専門学校に行ったり、資格取得のための勉強なども可能でした。
なお、更新は一度だけ認められており、最高4年休職することができるようになっていました。

なお、退職前提の休職では、給料は100%補償(各種手当てを含めて)されるなど、その扱はかなり異なるものでした。

復職前提の休職

1.適用条件
復職前提の休職を適用する場合の条件は,次の各号に定めるところによる。

 

  •  休職の発令予定日の属する年度の末日において,年齢満50歳未満であること。
  •  休職の発令予定日が,派遣期間の満了日から原則として1年以上経過しているとと。

2 休職期間


復職前提の休職の期間は2年とする。ただし,一回に限り更新できるものとする。


3 休職の申出


職員が復職前提の休職を申し出る場合(更新の申出の場合を含む)は,所定の休職願を所属長に提出しなければならない。


4.休職の承認


職員から休職の申出(更新の申出を含む〉があった場合,所属長は要員需給上休職させても差し支えないときに1項に定める適用条件を審査のうえ,遅滞なく休職を発令するものとする。ただし,余人をもって代えがたい業務に従事している場合など休職を発令するのが適当でないと認められる場合には,休職を承認しないことがある。
5.休職期間中の身分休職者は,職員としての身分は保有するが,その職務に従事しない。


6 休職理由の競合

 

  • 休職者から,公務による疾病が発生した旨の申出があり,その疾病が「公傷病」と認められる場合には,休職理由の発令替えを行うものとする。
  • 休職者が刑事事件に関し起訴された場合は,休職理由の発令替えを行うことがある。
  • 休職者に対し,公共企業体等労働関係法(昭23年法律第257号〉第7条第l項但書の規定に基づき,所属長が専従休職を許可した場合は,直ちに休職理由の発令替えを行うものとする。

7.休職状況報告


休職者は休職期間中,所属長の指示に従い状況報告を行うものとする。


8.復職


所属長は,復職前提の休職の期聞が満了する自の翌日をもって,復職を発令するものとする。ただし,必要と認める場合は,期間満了前においても復職を命ずることがあるものとする。

 引用以上

当局としても、55歳以上の退職を促進したかったというか、実質的に55歳以降の職員を大幅に退職させることが目的であったようで、昭和60年監査報告書では、下記のように書かれています。

勧奨退職を促進するための退職制度の見直し、 いわゆる一時帰休を含めた休職制度の改訂 ・拡充、 関連企業等への派遣制度の拡充を行い、これら諸制度の活用により退職者数約3万人 (55歳以上の職員の退職率は従来を大幅に上回り90%となった。)

大幅な退職者が発生したわけですが、それでもまだ、国鉄では更なる合理化で多くの余剰人員が発生することになるのですが、その辺はまた改めて書かせていただこうと思います。

 

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国鉄監査報告書昭和59年から抜粋

 

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 最後までお読みいただきありがとうございました。

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