皆様久々に更新させていただきます。
今回は、再び国労の労働運動史を底本にして説明を加えさせていただきます。
経済不況と春闘相場
昭和58年、国鉄の財政は厳しさをましていましたが、それ以上に経済の悪化は大きく、実質経済成長率は、当初見通しを大きく下回り、5.2%から3.1%に下方修正されたといわれています、当然のことながら、春闘における、相場も厳しいものとなりました。
労働四団体は統一要求として、7%の賃上げを要求
八三年春闘にあたって、82年12月3日、労働組合としては7%の要求基準が決められました。
これは、82年12月3日、労働四団体の事務局長・書記長会議決定されたものでした。
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国労の労働運動史から引用させていただきます。
超低額回答の八三春闘
八三年国民春闘は、人事院勧告の凍結、臨調行革の推進、82年12月に全民労協の発足にみられる労働戦線の右より再編が進行するなかで闘われた。その結果は、春闘史上最低の4.5%の賃上げ率に終わった。各労働団体は、八三春闘を実質所得の増大をはかり、消費拡大による内需主導型の安定成長を実現する闘いと位置付け、減税と賃上げ(7%の統一要求基準)を柱として闘争に取り組んだ。八三春闘は政策要求闘争に加え、82年度の人事院勧告完全実施と仲裁裁定の完全実施および年度末手当闘争を春闘前段に据えて始まった。
全体で4.5%という低い改定率で終わった春闘
最終的には、国労の資料でも書かれていますが、全体では4.5%という低い賃上げ率に留まりました。
鉄鋼、造船が3%台、自動車がホンダの5.39%を筆頭に、概ね5%前後で妥結、重電・家電とも4.90%で横並びになったほか、全民労協に加盟して、公労協から距離を置いていた、私鉄総連も、4.73%【金額ベースで行くと、唯一一万円超え】の10,300円+生活関連手当500円を獲得するなどしていました。
これは、前年と比べると、額で三〇七八円、率で二・〇〇ポイント下回った事になります。
突出した私鉄総連のベースアップ
なお、私鉄が10,300円(4.73%)という高額の回答を出した背景には、国鉄がストをしてくれれば私鉄が儲かると言う認識が労使双方にあったことも見逃してはなりません。
実際、ストライキを計画したものの、4月17日(当日は日曜日)を設定し、通勤通学輸送に影響を与えないことを暗に伝え、経営者側としてもその意図を汲んでそれに引き換え、高額のベースアップ回答を行いました。
windows の機能で1983年4月のカレンダーを出力
国鉄では、ベースアップ以前に解決すべき問題も山積みに
国鉄では、昭和57年のブルトレヤミ手当以降、職場規律の改善に向けて取り組んでいましたが、賃金問題以上に解決すべき問題として、時間内入浴などの問題がありました。
その辺を、再び国鉄部内誌、国有鉄道 昭和58年6月号から引用してみたいと思います。
前段に発生した諸問題
国鉄においては、昨年来の問題の解決に関連して、いろいろの事象が発生していた。職場規律問題のうち残された入浴問題2万2600人の合理化問題とこれに関連して発生した鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題、これら諸問題に関して国労が行った順法闘争がこれである。
とうことで、入浴問題に関しては、当局側の阻止を無視して時間内入浴を行うもの、裸で区長や助役に詰め寄る姿などがテレビや新聞を通じて流され、国鉄職員=働かない職員というイメージを自ら作っているところがあったように思われます。
結果的に、国鉄の場合はベースアップ以前に正すべき事が正されていない事が問題であり、前述のように、私鉄が、労使協調路線で国労・動労との共同戦線から離脱していった事は大きく、私鉄準拠を求めていく国労・動労からすれば更に引き離されることとなりました。
なお、鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題について、簡単に記しておきます。
鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題は、鹿児島局管内の駅、鹿児島本線 川内駅、肥薩線 栗野駅の荷物部門、指宿枕崎線 山川駅、日豊本線 西都城駅、南宮崎駅の出改札業務の合理化を目指したものの、3月1日からの実施を目指したが、組合が交渉に応じず、委託会社の社員を入れないように、ピケを張ったために、最終的には警察に出動を求めて排除したほか、西都城駅、南宮崎駅に至っては、勝手にきっぷを販売し、売上金を駅長室に放置したり、職員名の預金口座に入金するなどの状況を呈してたもので、当局から国労に強く申し入れで、3月28日になって漸く正常化29日からは通常の業務となったが、組合管理の状態に置かれた無法地帯と化したとして、大きく報道されることとなりました。
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国鉄があった時代 JNR-era
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************************以下は、国労の資料から引用になります************************
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第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を
めぐる闘いと専制的労務管理への反撃
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四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結
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├○ 二 八三、八四、八五春闘 │
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超低額回答の八三春闘
八三年国民春闘は、人事院勧告の凍結、臨調行革の推進、82年12月に全民労協の発足にみられる労働戦線の右より再編が進行するなかで闘われた。その結果は、春闘史上最低の4.5%の賃上げ率に終わった。各労働団体は、八三春闘を実質所得の増大をはかり、消費拡大による内需主導型の安定成長を実現する闘いと位置付け、減税と賃上げ(7%の統一要求基準)を柱として闘争に取り組んだ。八三春闘は政策要求闘争に加え、82年度の人事院勧告完全実施と仲裁裁定の完全実施および年度末手当闘争を春闘前段に据えて始まった。
国鉄では1月26日に82年仲裁裁定実施にともなう配分交渉がまとまり、これを受けて国労は2月10日に年度末手当についての申し入れを行い、交渉を進めてきた。だが、当局は終始「いつ、いくら支払えるのか回答できない」を繰り返すだけであった。国鉄・林野については政府・自民党が大幅削減の方針を決めていたのであった。当局は、年度末ぎりぎりの31日23時45分になって、予算措置のなされている0.3カ月をさらに割り込む0.24カ月の回答をしてきた。この回答にたいし国労は、林野より低い「三段階格差」であると抗議し、再回答を求めた。しかし、国鉄当局は「経営判断であり、最終回答だ」と強弁した。この妥結によって、公労協の春闘が本格的に始まった。
公労協は八三春闘の目標を、民間準拠の原則の確認、企業体間の格差回答なし、仲裁裁定の完全実施におき、4月18日~21日を回答指定日として交渉を重ねてきたが、この間に有額回答はなされなかった。すでに、4月12日には金属労協の主要四単産に回答がだされ、16日には私鉄総連が賃上げ1万300円(4.7%)の回答で妥結していた。第二臨調の最終答申の賃金抑制提言につづいて、日経連による公共企業体等労働者の賃金の民間準拠批判、公共企業体等の企業業績を反映し、支払い能力を考慮した回答を求める提言を政府、公労協に提出しており、きびしい状況下におかれていた。
続く
*1:注:労働四団体 日本労働組合総評議会 (総評)、全日本労働総同盟 (同盟)、中立労働組合連絡会議 (中立労連) 、全国産業別労働組合連合 (新産別)の四つを指す