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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 128

今回は、国労国鉄再建提言と言うことで、国労の資料では、国鉄研究会の国鉄再建「提言」が行われたと、書かれているのですが、実は国鉄労働組合40年史を参照したのですが、詳細が書かれていないため、補足しての説明が難しいのですが、個人的見解を中心に書かせていただこうと思います。

 また、国労がこの国鉄研究会をいつ発足させたのか具体的な日程が出ていないのですが、恐らく国鉄当局の事前協議資料が出る前であったと思われます。 

国労による国鉄再建提言

国労が「国鉄研究会」( 座長∴局梨昌信州大学教授) を書記長とする、研究会を設置した背景には、国鉄当局がヤード系輸送の廃止などを発表したことによる危機感によるものと考えられます。

実際には、昭和58年1月31日、各組合に対して国鉄は下記に示すように、ヤード系輸送の廃止を前提にした、貨物改善策を打ち出していきました。

その辺を、国鉄労働組合40年史から引用してみたいと思います。

83年1月31日、国鉄当局は国鉄における赤字の大きな要因となっている鉄道貨物営業に関して、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物営業体制の具体的計画を事前協議資料として、

①輸送システムの転換に関してヤード集結方式から拠点駅間直行輸送体制に転換し、現行10ヤード、851駅体制を、拠点87駅を中核に457駅体制に縮小する。・・・中略・・・業務委託の推進、車両基地の統廃合、情報処理の近代化などによる業務運営の効率化をはかり、60年度(85年度)に収支を均衡を実現すると言った内容であった。

実際に、国鉄赤字の多くはローカル線と貨物輸送と呼ばれていますが、実際には下図の通り、国鉄の中でもヤード系輸送による赤字が大きく、コンテナを中心とする直行系輸送は実は黒字だったという事実があります。

引用元 国有鉄道 1983年3月号 新しい貨物営業から引用

 

直行系貨物輸送は、減少していないと言う事実

ヤード系輸送は減少しているが、直行系輸送は減少していない

ヤード系輸送は、集約駅で分解組成を行うため、どうしても時間がかかってしまいトラックに比べて大きく水をあけられてしまうことになる。

その反面、直行系輸送の場合は、ほぼ昔の急行列車並みの速度で運転できるため、トラックに比しても十分な競争力を持っている。(東京~大阪間で比較)

国鉄における、直行系輸送は1981年時点で黒字を計上

直行系輸送は黒字を計上

実際、収支は下記のように、直行系輸送は黒字を計上していることから、国鉄は全国の操車場を廃止して、車扱い輸送を最小限にする方向を打ち出す合理化を計画しました。

上記の図を見ていただいても判りますが、貨物の収支係数全体は154で有り、この数字が、再建監理委員会からは、国鉄の貨物は赤字であると言う結論を導き出したと言えそうです。

国労は大きく反発

そうなると、当然のことながらヤード系の職員を中心に大幅な余剰人員が発生することとになります。

さらに、国鉄の合理化計画は、83年4月15日に提示されましたが、その内容は貨物取扱駅の大幅削減で有り、全国で貨物取扱1717駅廃止、137線区(約7000km)に及ぶ長大なものでした。

さらに、6月6日には、出札窓口の大幅な統廃合などにより大幅な人員削減が計画されたとして、国労はその反対運動に取り組むことになりました

 

国労の思惑とは異なる提言

国労はその対応策として、国鉄研究会で国労の意向に沿った提言を期待したものと思われますが、結果的には、国労の期待に添えるものではなかったようです。

国労は当初下記のような条件を出していたと書かれていますので、国労の記事から引用してみたいと思います。

  1. この研究会は、国労の要請により、国鉄経営改革に関する 『提言』を行うため、各分野の専門研究者を結集して組織する。
  2. 研究会の『提言』は、各層の支持を得ることのできる実行可能な内容のものとなるような方法を採用する。そのために、国鉄労使のみならず、国鉄関係諸団体や行政機関などから幅広く事情聴取を行い、あわせて関係資料等を収集する。
  3. これらの事情聴取と収集した資料にもとづいて、研究会側の責任において『提言』をまとめる。
  4. 『提言』をどのように受けとめ、取り扱うかはあくまで、国鉄労働組合の主体的判断と責任にもとづいて取捨選択を委ねる。

と言った内容であり、あくまでも国労に有利になるものを期待していましたが、提言自体は国労のめがねにかなうものではなかったようで、特に下記の二点は、国労にしてみれば意に沿わなかったのではないかと思われます。

  • 鉄道事業は、純粋な『公共財』といえないから、租税を財源とし一般会計と直結する政府直営形態も選択肢には入らない。」
  • 営形態は、政府全額出資であることは必ずしも十分条件ではない。民間資本参加の途を開く方が望ましい経営成果を期待できる」

国労にしてみれば、国鉄は公共財であり広く国民の足であると言う提言を求めていたと言えそうです。

結果的には、国労としては到底容認できないとして、拒否しています。

以下は、当該部分を引用したものです。

このように提言は、国鉄の公共性より経済性重視の考え方、民営化の方向、分割につながる分権化・減量化は不可避とするを方などをとっており、国労は提言の基調に同意できなかったので・「およそ国労の運動方針とはそぐわない内容である」と、提言の主要部分を否定した。

確かに、国鉄は昭和30年代の独占事業から比べると、高速道路の延伸などで、特に地方路線などでは、高速道路は高規格道路の方が有利で有り、貨物輸送も直行系輸送は順調に利潤を積み重ねているのに対して、ヤード系輸送は大きな赤字を生み出しており、他の輸送手段がない頃であればまだしも、トラックによる長距離輸送が一般化している時代では、鉄道のみが独占しているとは言えず、「公共財」であるという概念には立たなくなるというのが当時の一般的な考え方であったようです。

以下は、個人的な見解ですが。

高齢化社会を迎える中で、鉄道も有効な公共財と考える時期にきているのではないかと

考えてしまうのです。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第六節 国労国鉄再建提言
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├○ 一 国労国鉄再建提言│
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 国鉄研究会の国鉄再建「提言」

 国労は1983( 昭和58) 年1月に「国鉄研究会」( 座長∴局梨昌信州大学教授) を書記長の諮問機関として設置した。この研究会の目的と運営方法は、国労との申し合わせ事項では次のように位置づけられた。
 「①この研究会は、国労の要請により、国鉄経営改革に関する 『提言』を行うため、各分野の専門研究者を結集して組織する。
 ②研究会の『提言』は、各層の支持を得ることのできる実行可能な内容のものとなるような方法を採用する。そのために、国鉄労使のみならず、国鉄関係諸団体や行政機関などから幅広く事情聴取を行い、あわせて関係資料等を収集する。③これらの事情聴取と収集した資料にもとづいて、研究会側の責任において『提言』をまとめる。④『提言』をどのように受けとめ、取り扱うかはあくまで、国鉄労働組合の主体的判断と責任にもとづいて取捨選択を委ねる。」
 国鉄研究会は、84年10月5日に「国鉄の経営再建に関する提言」を国労に提出した。「提言」は、大きくは《総論》と《提言》に分かれ、《総論》は国鉄経営再建の対策を「構想するに当たって用いた分析の理論的フレームと視角」を述べており、《提言》は国鉄経営再建試案と題されていた。最も重要な経営形態については提言のなかで次のように述べられていた。
 「鉄道事業は、『自然独占』的性格が強く、また現在なお競争上強い地位を保持している事業分野や路線があること考慮するなば、民営の一般企業形態は選択肢に入らない。また、鉄道事業は、純粋な『公共財』といえないから、租税を財源とし一般会計と直結する政府直営形態も選択肢には入らない。」経営形態としては「仮に『公社』という名称を継承したとして、新会社として再発足することが必要であるが、それよりも『公団』か『特殊株式会社』かのいずれかに改称して、公社の更正による再建をはかる方が現実性がある。その際、これらの経営形態は、政府全額出資であることは必ずしも十分条件ではない。民間資本参加の途を開く方が望ましい経営成果を期待できる」。企業分割については行わず、「本社機構は不可欠であ」るが、本社に残す権限は「本社でしか担当しえない最小限の業務執行に関する」ものとし、それ以外の業務は「可能なかぎり下位部門に権限を委譲する必要がある。本社の決済をその都度得ることなく、下位部門が発揮できるような仕組みを考えておかねばならない。」 このように提言は、国鉄の公共性より経済性重視の考え方、民営化の方向、分割につながる分権化・減量化は不可避とするを方などをとっており、国労は提言の基調に同意できなかったので・「およそ国労の運動方針とはそぐわない内容である」と、提言の主要部分を否定した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 127

引き続き、国鉄労働運動史からアップさせていただきます。

国鉄は、運賃改定に辺り三種類の運賃を準備した

前回も書きましたが、昭和59年4月20日の運賃改定は、国鉄は政府当局の意向も受けて、鉄道運賃を三種類に分けて、割増運賃導入した地方ローカル線、一般幹線、特定区間運賃の三種類に分けて申請されました。

この運賃値上げでは、競争力の高いところは、できるだけ運賃を抑えるとともに、ローカル線などでは運賃を上げる、擬制キロを採用することで、実質的に高くなる事を狙ったものであり、これに対して、国労は反対運動を始めることとなります。 

ただ、こうした動きに対して国労は、反対を示していますが、実は国鉄当局自身が、昭和58年から特別割引の回数券を発売して、値上げせずとも競争力を高める事を証明していました。

大鉄局が導入し、JR西に引き継がれた昼間特割切符

国鉄時代に設定された、昼間特割切符

JR西に引き継がれた。昼間特割切符

それは、大阪鉄道管理局が導入した、「昼間特割切符」(JR西日本に引き継がれたが、2018年9月30日をもって発売を終了)であり、当時の阪神・阪急の梅田~三ノ宮間が210円であったのに対して、国鉄では440円と大きく差を開けられていたことから、導入が決定されたもので、具体的に12枚綴りの特別割引回数券で、その1枚あたりの運賃は、私鉄の通常料金よりも割安に設定されていました。その辺りを、「岐路に立つ国鉄」という本から引用してみたいと思います。

私どものヒット商品でして、よその局からも勉強したいと問い合わせがきているんですよ」大阪鉄道管理局旅客の話です。「ヒット商品」は同管理局昨年(83年)6月から実施した昼間特別割引切符。両者に大好評で、その中身やノウハウを知りたいというわけです。この昼間特割切符は。大阪~神戸間の近郊に設定した一冊12枚つづりの特別割引回数券、平日は午前10時から午後5時まで利用でき、有効期間は3ヶ月。高槻~大阪、甲子園口~三ノ宮など26区間にのぼり、割引率は、14~43%です。「京阪神には競合する私鉄がたくさんありまして、時間的には国鉄の方が早いのになぜ私鉄を利用するかと言うと結局国鉄の運賃が高いからなんです。そこで、昨年この特別切符を導入したらこれが当たりましてね・・・・」と同旅客課の係官は自慢げです。

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄 昭和59年11月 国鉄線から引用

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄

昭和51年の運賃大幅値上げの影響などで、昭和51年を境に普通運賃旅客の私鉄に大きく水をあけられる結果に、定期旅客もわずか3年ほどで倍になった初乗り運賃で、私鉄より高くなるところが続出、大手私鉄との差は大きくなる一方であった。

 

国鉄当局も手をこまねいていたわけでは決して無かった

 国労は、昭和51年の大幅運賃値上げ当時から反対運動を断続的に続けていますが、そこには大きな矛盾点があるのでは無いかと思ってしまうわけです。

まず、自らの賃金は国鉄の場合独立採算制であること。

実際に、押しつけられた投資であるとか、不採算ローカル線の強制的とも言える譲渡など、組合として言うべき部分も有るかと思いますが、その反面、合理化により人員全体を削減して効率よく行うことに対して反発する。

合理化に反対して、運賃値上げに反対して、自らの賃上げは要求すると言うのは、どこか間違っていると言えないでしょうか。

国労は運賃値上げに反対を表明するが

国労は、こうした運賃改定にも反対する姿勢を示し、国鉄民主化とか、運賃の棚上げなど等を取り上げておりますが、生産性運動、叉それ以降の合理化などに反対をしてきたことによる、赤字の増大も多少なりともあったにも関わらず、運賃値上げもストライキで反対するというのは、矛盾していると思うのですが、そうしたことは無かったことになっているようです。

実際、国労の昭和40年代・50年代に見るストライキは、政治ストの様相が強いように感じます。

さらには、総評のリーダー格であるとして、無理に背伸びしていた・・・そんな風に感じてしまいます。

逆に、機を見た動労は、方針を転換して、働こう運動に見られるように、労使協調路線を目指す方向に舵を切ることとなり、鉄労と急接近する事になったのは皆様もよくご存じ通りです。 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第五節 国鉄の独自再建案と

     地方本部交通線廃止反対闘争一 国鉄の経営改善計画の修正 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┌───────────────────────┐

├○ 四 線区別運賃制の導入と運賃値上げ反対闘争│ └───────────────────────┘    

運賃値上げ反対闘争

 84国民春闘の取り組みと同時に、運賃値上げ反対の運動が展開された。国労は3月8日、指令8号を発して、運賃値上げ反対の具体的な取り組みの指示を出した。この指令にもとづき全国各地で運動が展開され、署名は短期間に100万人を超え、また277の地方議会で決議や意見書の採択がなされた。4月4日、国鉄運賃値上げと地方交通線廃止に反対する中央集会が開かれた。 集会には各地方の代表など2000人が参加し、総理府運輸省自治省国鉄当局と交渉した。

 国鉄運賃値上げについて運輸審議会は、4月10日、地方交通線の一部区間の定期運賃の値上げ率を30%に抑えるという修正を行ったものの、ほぼ国鉄の申請どおりの答申を運輸大臣に提出した。この答申を受け運輸大臣は4月13日に運賃・料金の値上げを許可し、申請を認め、20日から実施された。その内容は、東京・大阪の国電一般幹線(新幹線を含む)、ローカル線の3グループに分け、旅客運賃の値上げ幅に格差をつけるというものである。

山手線、大阪環状線などは据え置き、総平均値上げ率は7.8%、運賃と料金の平均値上げ率は新幹線8.3%、幹線9.2%、地方交通線15.1%の値上げとなった。旅客は、平均8.2%、運賃のみは8.8%、の値上げであった。

 運輸審議会の答申が提出された日、国労は全交運とともに抗議声明を出し、そのなかで格差運賃の問題点を「国鉄の運賃率決定の基礎について運賃法3条は、駅間距離(実測キロ)としている。 地方交通線に対して1.1を乗ずることは、どこからみても擬制キロの疑いが残る。この点につて根拠が不明確であり、確かたる論証がされていない」と指摘した。たしかにこの方式で運賃を計算すると、幹線と地方交通線のまたがり乗車の場合、50%にも達する値上げ率となるケースも出てくるのであった。

 国労は84年度ののなかでこの間の運賃値上げ反対運動の問題点を次のように指摘した。  「①署名活動をはじめ具体的な取り組みが大幅におくれた。②今回の運賃値上げ反対闘争の重要性について全組合員の意思統一と決起をかちとれなかった指導上の不十分さもあり、59.2ダイヤ改正後の過員問題などをかかえて職場を基礎とした運動の高揚を十分にかちとることができなかった。③運賃値上げの内容が『東京・大阪』『幹線』『地方交通線』の格差運賃となるなかで、その内容の不当性と矛盾を十分にバクロすることができず、とくに都市部での反対運動を強めることができなかった。この結果にみられるように、すべての闘いにおける職場・地域ごとのアンバランスは依然として克服されていない。④今回の運賃値上げ反対闘争の重要性にもかかわらず、ナショナルセンター規模での大衆行 動に取り組むことができなかった」。

国鉄労働組合史詳細解説 126-2

国鉄当局の運賃改定方針は、再建監理委員会の提言もあり、地方交通線に有っては、割高な運賃を、都市部の路線では運賃の値上げを抑制する(いわゆる特定運賃)を導入することを決定して行くこととなりました。

これに対して、国労は下記のように総括していますので、国労の資料から引用させていただきましょう。

国鉄の再建計画に基づき検討された線区別運賃

国鉄における地域別運賃の導入は、昭和54年7月に提出された、「国鉄再建の基本構想案」に書かれていたものでした。

国鉄の再建計画は、昭和44年の第一次再建計画から、何度もの挫折を繰り返しており、いわば最後の再建計画と言われていたものでした。概要は以下の通りです。

主たる項目としては、昭和60年までの収支均衡を目指すとともに、地方交通線は、昭和54年1月に運輸政策審議会国鉄地方交通線問題小委員会が報告した提言を元にして、地方交通線を分類、鉄道としての役目を終えたと判断される路線については、バス転換もしくは、地方における第三セクター鉄道への転換などを図るとともに、国鉄で維持する路線は徹底した合理化を行った上で維持するとしたものでした。

以下は、交通年鑑1980年版を参考に抜粋引用したものです。

  • 経営の重点化
  • 35万人体制の確立
  • 運賃改定
  • 工事規模の圧縮
  • 関連事業の拡大と不要資産の売却
  • 公的補助
国鉄の経営努力のみでは解決し難い下記の項目について、公的な助成を求める
  1.  過去債務対策
  2. 退職金増加対策
  3. 年金負担増加対策
  4. 地方交通線・地方バス路線欠損
  5. 通勤定期等公共割引対策
  6. 工事費負担軽減対策
  • 行政措置・・・他交通機関との関係において,投資配分,運賃,その他各般にわたる調整を要望
  • 収支均衡・・・未開業の(東北・上越)新幹線に伴う損益を除く一般純損益(退職金及び年金負担額の超過負担分を除外したもの)で収支均衡を達成する
  • 地方交通線の見直し

 公的補助のうち、項番5・6は、本来であれば他省庁が考慮すべき問題なのですが、通勤定期等の割引は現在も基本的には鉄道会社の判断によることとされており、特に学生の割引に関しては、本来であれば文部科学省の範疇になるものといえましょう。

交通年鑑1980年版 昭和60年で収支均衡を目指す

交通年鑑1980年版 昭和60年で収支均衡を目指す

国鉄の地域別線区別運賃の導入に国労は反対を表明

国労のこうしたことに対する動きは下記のように反発しています。

国労は第140回中央委員会の方針で、「現在、進められている国鉄運賃政策は赤字を値上げによって部分的に補填しようとするものであり、場当たり的なものである。運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない」と批判した。そのうえで運賃値上げと格差運賃制度導入に反対する具体的な取り組みを決めた。

 とありますが、国労

運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない

と有りますが、ここで言うところに、国民生活に基礎をおいた体系というのはどのようなものを指すのか具体性が無いように思えます。

さらに、こうした申し入れに対しての国鉄当局の回答は下記の通り行われていますので、再びその部分を引用したいと思います。

国労は2月14日付けで運賃値上げの解明要求を出し、16日に団体交渉を開いた。国鉄当局はこの席上でおおよそ次のように回答した。  

  1.  他の公共企業と異なり国鉄は厳しい競争にさらされており、競争力も失われつつある。政府、監理委からも一律運賃の是正を言われており、格差運賃については国民的合意が得られていると考える。  
  2.  私鉄・バス運賃が国鉄運賃により抑制されているとは考えない。
  3.  割増運賃で50億円の増収を見込んでおり、それなりの収支改善がはかられる。
  4.  84年度は極力経費節減に努め、収入確保についても様々な努力をすることで予算をつくった。政府助成もあるが、それで賄えない部分を運賃改訂でカバーしたい。運賃改訂で借入金を抑えられる。  
  5.  今回の改訂が法に違反しているとは考えていない。国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。  
  6.  今回の改訂は3本だてとなるが、抑制措置については監理委の提言もあり、私鉄との競合など総合的に勘案して決めたものだ。運賃の個々具体的な矛盾はやむを得ない。 

以上のように回答しており、この時点で合理化への反対などで積み上がってきた、点に関しては、当局も強く出ていません、尚、この回答でありますが、運賃改定に際しても、国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。

としています。ちなみに、国鉄再建特別措置法13条では、下記のように書かれています。

地方交通線の運賃)

十三条 日本国有鉄道は、地方交通線の運賃については、地方交通線の収支の改善を図るために必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする。

とうことで、当局としては組合がなんと言おうと国としてのお墨付きがあると言うことでしょう。

参考:国鉄再建特別措置法全文はこちらから

jnrera3.webcrow.jp

 これに対して、国労運輸審議会が昭和59年3月15日・16日両日に開催した、公聴会で、利用者の一人から下記のような発言があったとして、反対の論拠にしています

消費者代表の一人は、「地域別運賃制の導入は、公共料金の大原則である『公平の原則』を否定する。ローカル線を値上げしても増収分は50億円にすぎず、ローカル線の収支の改善をはかるどころか、むしろ客離れを招き収支が悪化する」

しかし、現在は更に顕著ですが、鉄道を利用せず、自動車を利用しながら実際にはローカル線を廃止するなと言う風潮と同じで、三江線廃止に際しても全国から撮り鉄が集まるものの、乗車が目的では無く列車を撮影するだけの目的であり、道路の混雑を招くだけであり、地元の経済に殆ど寄与しないは明らかであり、どこまでこの消費者代表が、鉄道を利用しているのか疑問に思えてなりません。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第五節 国鉄の独自再建案と

     地方本部交通線廃止反対闘争一 国鉄の経営改善計画の修正 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┌───────────────────────┐

├○ 四 線区別運賃制の導入と運賃値上げ反対闘争│ └───────────────────────┘  

線区別運賃制の導入計画  1984年には、兼ねてから計画されていた線区別運賃制の導入が具体化し、大きな問題となった。81年から実施された「経営改善計画」において線区別運賃導入が次のように計画されていた。 「〈運賃・料金の適正化〉 線区別・地域別に、他運輸機関との関係、収支状況等を勘案し、当面、次により運賃・料金の適正化を図る。 

  • ア、 都市間運賃・料金(略)。
  • イ、 大都市圏運賃 大手私鉄等の運賃水準を考慮し、必要な区間において、特別割引運賃、往復割引きっぷ及び割引回数券を設定する。
  • ウ、 地方交通線運賃 バス等の運賃水準を勘案しつつ、特別運賃を設定し、収支の改善を図る」。  

また、第二臨調の「基本答申」(82年7月)においても「運賃については、当該地域における私鉄運賃、線区別原価等をも十分配慮して定める」と述べられていた。両者とも、一つは異種交通機関との運賃調整、もう一つは線区別運賃制の導入を謳っていた。 さらに、再建監理委員会の「第一次緊急提言」でも同様の考えに基づいて格差運賃の導入を提言していた。線区別・地域別運賃制の導入は、79年12月の「閣議了解」において認められており、この時の国鉄再建計画の重要な特徴の一つであった。明治以来国鉄は全国一律運賃制を堅持してきたが、それを放棄し全面的な内部補助方式を止めたことになる。  84年2月に国鉄当局は、運輸大臣に対し地方交通線の割増賃率を含む運賃値上げ申請を行った。この値上げ申請について、国労は第140回中央委員会の方針で、「現在、進められている国鉄運賃政策は赤字を値上げによって部分的に補填しようとするものであり、場当たり的なものである。運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない」と批判した。そのうえで運賃値上げと格差運賃制度導入に反対する具体的な取り組みを決めた。  国労は2月14日付けで運賃値上げの解明要求を出し、16日に団体交渉を開いた。国鉄当局はこの席上でおおよそ次のように回答した。  

  1.  他の公共企業と異なり国鉄は厳しい競争にさらされており、競争力も失われつつある。政府、監理委からも一律運賃の是正を言われており、格差運賃については国民的合意が得られていると考える。  
  2.  私鉄・バス運賃が国鉄運賃により抑制されているとは考えない。  
  3.  割増運賃で50億円の増収を見込んでおり、それなりの収支改善がはかられる。
  4.  84年度は極力経費節減に努め、収入確保についても様々な努力をすることで予算をつくった。政府助成もあるが、それで賄えない部分を運賃改訂でカバーしたい。運賃改訂で借入金を抑えられる。  
  5.  今回の改訂が法に違反しているとは考えていない。国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。  
  6.  今回の改訂は3本だてとなるが、抑制措置については監理委の提言もあり、私鉄との競合など総合的に勘案して決めたものだ。運賃の個々具体的な矛盾はやむを得ない。  

また、運賃値上げは運輸審議会に諮問され、運輸審議会が3月15、16日に開いた公聴会では、格差運賃が主要な争点となった。消費者代表の一人は、「地域別運賃制の導入は、公共料金の大原則である『公平の原則』を否定する。ローカル線を値上げしても増収分は50億円にすぎず、ローカル線の収支の改善をはかるどころか、むしろ客離れを招き収支が悪化する」との反対意見を述べた。 

続く

国鉄労働組合史詳細解説 126

久々に更新させていただきます。

今回は、昭和59年に実施される運賃改正に関連する項目について述べさせていただこうと思います。

 今回の運賃改正で、線区別運賃制度が導入されることに

国鉄では、再日本国有鉄道再建監理委員会、昭和58年8月2日に、政府に対して

「全国一律運賃制度について早急に是正することとし、例えば、大都市圏,新幹線、その他の幹線、地方といった分野にわけ大都市圏は厳しく抑制し、地方は割増を行うなど、原価を十分配慮して格差をつけるべきである」

と言う提言がなされ、全国一律運賃制度について早急に是正する機運が高まりました。

国鉄の運賃は、鉄道省運輸省)直営時代から法令で定められており、財政法の適用を受けていました。

マッカーサー書簡により国鉄が、公共企業体に衣替えしたときも、独立採算制という建前の元会計制度を独立させた反面、運賃などの許認可は政府に残され、旅客運賃は、財政法並びに運賃法に基づく、法定運賃制度となっていました。

詳細な条文等は下記に記載していますが、これにより国鉄の運賃は必要な時期に改訂が出来なかったり、必要な資金を値上げでカバーできず、高い金利で借りざるをえなかったりという矛盾を包含したまま推移していくこととなりました。

こうした話は、労働運動の話と関係ないと思われるかもしれませんが、国鉄運賃のあり方を知っていただくことが、今回の線区別運賃導入に至ったかという経緯を確認するのにわかりやすいと思いますので、しばしお付き合い願いたいと思います。

国鉄の運賃は財政法の適用を受けている

国鉄時代の運賃は、財政法と呼ばれる、昭和二十二年三月三十一日法律第三十四号で制定された法律に規定されていました。

その、財政法3条には下記のように記載されていました。

さらに、翌年昭和23年4月14日に制定された、財政法第三条の特例に関する法律 法律第27号でも、国鉄運賃などは引き続き、法律によることとして、除外規定が設けられていました。

以下は、条文の抜粋になります。

 財政法 法律三十四号(昭二二・三・三一)

(課徴金、独占事業における専売価格及び事業料金の法定主義)
第三条
租税を除く外、国が国権に基づいて収納する課徴金及び法律上又は事実上国の独占に属する事業における専売価格若しくは事業料金については、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない。

 

財政法第三条の特例に関する法律

法律第二十七号(昭二三・四・一四)

 政府は、現在の経済緊急事態の存続する間に限り、財政法第三条に規定する価格、料金等は、左に掲げるものを除き、法律の定又は国会の議決を経なくても、これを決定し、又は改定することができる。

 一 製造煙草(外国煙草及び輸出用製造煙草を除く。)の定価

 二 郵便、電信、電話、郵便貯金、郵便為替及び郵便振替貯金に関する料金

 三 国有鉄道国有鉄道に関連する国営船舶を含む。)における旅客及び貨物の運賃の基本賃率

附 則

 この法律施行の期日は、その成立の日から十日を超えない期間内において、政令でこれを定める。

 この法律は、物価統制令の廃止とともに、その効力を失う。

 財政法第三条の規定施行の際現に効力を有するこの法律の本則各号に掲げる定価、料金及び基本賃率は、財政法第三条の規定施行の日において、同条の規定に基いて定められたものとみなす。

(内閣総理・外務・大蔵大臣・法務総裁・文部・厚生・農林・商工・運輸・逓信・労働大臣署名)

 昭和57年8月に発行された、監査報告書 P24には下記のように書かれています。

以上のように、たばこ、郵便、電信電話料金等とともに、国鉄の賃率は法令で定めることとし、勝手に改訂できないというなっていて、これが国鉄末期まで続くことになりました。

更に賃率は、運賃法により下記のように定められていました。

(鉄道の普通旅客運賃)

第三条

鉄道の普通旅客運賃の賃率は、営業キロ一キロメートルごとに、六00キロメートルまでの部分については七円九O銭、六00キロメートルを超える部分については三円九O銭とする。

ニ 鉄道の普通旅客運賃は、営業キロ区間別に定めるものとし、その額は、各区間の中央の営業キロについて前項の賃率によって計算した額とする。

(第一項の賃率は、現行法においては附則一O条のこの規定により運輸大臣の認可によって国鉄が定めることとしている。)

 この件に関して、昭和58年6月の国鉄線で、

前 総裁室法務課補佐・現 大阪駐在理事室補佐 庄垣内氏が、「国有鉄道運賃法と営業キロ」という記事を投稿しており、国鉄再建法において、地方交通線の運賃について、「必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする」との規定がなされたことで、全国一律の運賃制度を見直すことが法律的に認められた事は一歩前進であるとして、記事を掲載しています。

国鉄線昭和58年6月号 国有鉄道運賃法と営業キロ

国鉄線昭和58年6月号

以下は、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法から引用したものです。

日本国有鉄道経営再建促進特別措置法
法律第百十一号(昭五五・一二・二七)

地方交通線の運賃)

十三条 日本国有鉄道は、地方交通線の運賃については、地方交通線の収支の改善を図るために必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする。

 なお、国鉄監査報告書でも、昭和57年8月に報告された監査報告書にも下記のように記述されています。

線区や地域などの実態に応じた運 賃・料金を設定し得るよう、早急に全国一律の運 賃制度を見直し、線区別、地域別運 賃の導入を図るための所要の措置を講ずることが必要である。

このように、国鉄の地方ローカル線に関しては、廃止が促進される一方で、地方交通線にあっては、特定運賃を設けても良いとする事が法令的にも明記されたことから,国鉄は本格的に運賃の制度について検討することとなりました。

国鉄運賃は擬制キロで検討する方向に

国鉄では、営業キロと実キロという方法を以前から採用しており、新幹線の場合は在来線と比べると実キロは短いのですが、東海道線の線増であるという位置づけで、新幹線の実キロ、515.4kmを在来線と同じ552.6kmで計算したことは,運賃法に照らして誤りであるとして,昭和50年に裁判が行われたこともあり、慎重に議論されることとなったようです。

なお、当該事件は、「新幹線運賃差額返還訴訟」として、wikipediaに概要が載っていますが、国鉄は以前から営業キロという概念を採用しており、裁量権国鉄にあるとして、最終的には最高裁まで争われたこの事件は一審、国鉄側敗訴、二審、国鉄勝訴、最高裁では控訴棄却で高裁の判決が確定しています。(最高裁の決定は、昭和61年3月28日  昭和57(オ)1129 旅客運賃不当利得返還

最高裁の判決前に、擬制キロによる運賃は導入されているのですが、国鉄としては従来からも運賃計算の煩雑さを避ける為、もしくは営業的見地から敢えて実キロよりも短い距離を選択する場合もあり、当然その逆も然りでしたので、こうした地方交通線の運賃については特段の配慮を求めるということで、線区別運賃の可能性が認められたことから、積極的に擬制キロを使用して同一賃率では有るものの線区によって運賃が異なる運賃値上げを昭和59年2月から実施することとなったのです。

これに対する、国労の動きは、次回改めて論じたいと思います。

続く

豊川駅に停車中の流電ことモハ52 画像は直接本文と関係ありません

豊川駅に停車中の流電ことモハ52

 

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国鉄労働組合史詳細解説 125

 久々に更新させていただきます。
本日から久々に、国労の資料を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。

はじめに

今回は、国労がローカル線廃止を唱える中で、国鉄当局は幹線鉄道以外のローカル線(輸送密度4000人未満の路線)を全て、国鉄が出資する株式会社に移管して地域毎の運営を図るとして、臨調に対する対案として示してきました。
特定地方交通線にみられた、第三セクターにより近いものになっていたかもしれませんが、各路線毎に運賃も異なる路線が生まれていたりしていたかもしれません、さすがにその案に対して、再建監理委員会も、極論すぎるとして拒否しています。
国鉄と言う組織を考えるとき、常に極端から極端に走るきらいが有り、その傾向は国鉄末期まで変わる事はなかったように思えます。
収支均衡を目指せというのなら、赤字が減らないローカル線は、さっさと切り離して、廃止などしやすいように子会社化してしまおうという発想であったと受け取れます。
生産性運動の時もそうですが、国会でそして、マスコミで追求されると、見直しではなく、中止したうえ、労働組合の良いなりに条件をのんでしまって、その結果職場の荒廃と貨物輸送の荷主を失うという、大きなミスを犯してしまうのですが、生産性運動の時も、「不当労働行為が一部の管理者で行われていたことは認めるが、是正すべき所は是正して、組合とも話し合い、正すべきところは正すと」として、生産性運動を続けていたならば、その後の国鉄の姿も変わっていたかと思われますが、結果的には、上層部は国労幹部と国鉄当局幹部の癒着、現場レベルでは、階級闘争による職制(助役など中間管理職を中心とした管理者)への吊し上げが常態的に行われるようになり、結果的にさらなる赤字の増大と税金の投入という結果を招いたわけで有り、そうした結果もあるので、当局が一斉にローカル線は「国鉄直営から切り離す」という発言に対して、牽制をかけたわけで。
それに対して、国労が一定の評価をしているのは皮肉と言えるでしょう。
 

臨調の基本答申に対案を提示する国鉄

国鉄では、臨調の分割民営化に対抗すべく、国鉄としては、幹線系は国鉄自らが運営することとし、特定地方交通線として選定した以外の路線にあっては、国鉄が全額出資する新会社を設立するとして、下記のように発言しています。

 

地方交通線問題については,第3次までの特定地交線については,61年末までに第3セクターなりバスなりに転換し,その他については,分離し株式会社にして効率を上げていこうと考えています。幹線プラス20線位の地交線は直営としますが,それ以外の70線位の地交線は国鉄の出資による株式会社にしたいと考えています。

国有鉄道 1985年2月号 「経営改革のための基本方策」 の表明にあたって、から引用

これによりますと、特定地方交通線の選定に当たっては、下記のような基準が設けられていました。

上記の条件に当てはまる路線は、バス転換等を中心に転換が進み廃止されていきましたが、これ以外の路線にあっては、国鉄は経営から分離して国鉄が全額出資による株式会社として運営したいとしていました。
それが、下記の一覧表になります。
下表では、岡多線(第3次特定地方交通線)、それとここでは出ていませんが、伊勢線(第2次特定地方交通線)が廃止対象となってしまい、国鉄第三セクター鉄道の設立を依頼したと言われています。

国鉄案で上がった、ローカル線分離案の路線一覧

国鉄が試算した特定地方交通線以外の路線の計画

85年1月10日に国鉄独自再建案として「経営改革のための基本方策
」が発表されたが、そこでの地方交通線対策として次のような新方針を打ち出したのである。すなわち、今後86年度末までに「すべての特定地方交通線の転換をめざして取り組むとともに特定地方交通線以外の存続地方交通線について、より効率化を図るため89年度末までに、個別に国鉄全額出資による株式会社を設立し、それぞれの経営理念のもと地域の実情に適合した運営を行うこととする。その際、線区の性格、輸送実績等を考慮して20線区は当面直営とし、残る70線区を株式会社とする」としたこの案を批判した監理委員会は、赤字地方交通線の一律切り捨ては知恵がない、と述べた。この見解はそれまでの監理委員会の提言内容とは異なり、何らかの形で地方交通線国鉄に残すことを示唆していた。

 

国労は、国鉄地方交通線の殆どを切り捨てるとしていたのに対して、再建監理委員会が、ローカル線を全て切り離すのは無理があるとして、国鉄に残すことを示唆したことを評価しています。
実際にJR西日本芸備線や、JR九州指宿枕崎線なども、当時から比べると大幅に旅客数が減少しているわけで、そうした意味ではJR各社は、路線網を維持していると言えます。
 

国鉄は、特定地方交通線以外の地方交通線を子会社化すると提案

国鉄は、特定地方交通線以外の地方交通線を子会社化すると提案

国労はローカル線廃止反対の運動を展開

国労は、ローカル線の廃止は当然のことながら組合員の減少を招くことから強く反対の立場を貫いており、地域の足を守れということで、組合は、下記のように「協議会設置を徹底的に返上させるよう自治体に要請する。」としています。

以下は、個人的な見解ですが、国労のこうした運動方針をみていますと、国民のためと言いながらも、どこまでも保身と言いますか、組織温存のための廃止反対運動というようにも取れます。

協議会設置を徹底的に返上させるよう自治体に要請する。・・・というのも、その合理性が説明できないと難しいと思うわけです。
協議会を設置しないとしても、最終的には、一方的廃止に追いやられることになると思うんですが。

 

第二次特定地方交通線の廃止は82年11月に運輸大臣へ承認申請を行ったが、第二次特定地方交通線の闘いについて、国労は83年度の運動方針で次のように決定した。
① 第二次廃止予定線の闘いは、第一次予定線での闘いの教を基礎にし、第一次と第二次の結合した闘いを組織する。
② 知事の意見書は第一次の場合軽視されたので、これを出させないよう全力をあげる。
③ 協議会設置を徹底的に返上させるよう自治体に要請する。
④ 地方線廃止反対の闘いは、臨調答申にその基本があることを確認し、組織活動、教宣活動を強化する。
⑤ 第二次廃止予定宣伝の関係自治体の反対意見書のとりつけを『分割・民営化』反対の意見書とセットにして進める。
⑥ 総評が提起している1万カ所対話集会との結合をはかるとともに、随時対話集会、セミナーなどの開催を積極的に進める。
⑦ 国会請願、抗議行動など闘いの節々で中央行動を展開する。

国労の運動は、地域にどのように映っていたのか?

実際、地域の反対運動を続けるグループからも、

「地域共闘の仲間から〝国労は何をするのか、何をしてくれるのか?という疑問も出されている。」

国労の運動方針のなかで、国労の地域闘争の問題点として書かれていますが、実際国労の中でも、地域との共闘をと言いながらも、国鉄の中だけの闘争に小さくまとまってしまっているというか、国鉄という組織が、外部との接触を殆ど断ってもやっていける自前の組織だったことも、その辺の連携が上手くいかなかった原因ではないかと思われます。

以下、引用します。

85年度の国労の運動方針は、国労の地域闘争の問題点として、次のような指摘をしていた。
  「地域との共闘と国労の職場の闘いが正しく結合されていない 面がある。地域共闘依存型か企業内 だけの運動型か、いずれかに偏向し、地域共闘の仲間から〝国労は何をするのか、何をしてくれるのか?という疑問も出されている。地域住民や利用者と国鉄労働者の要求の統一についての取り組みが不十分なことから、合理化反対闘争と国鉄の民主的再建闘争がかたく結びあってすすめられない。そこには、企業主義が根強く残っている」

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第五節 国鉄の独自再建案と
     地方本部交通線廃止反対闘争一 国鉄の経営改善計画の修正
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┌─────────────────────────────┐
├○ 三 地方交通線の廃止計画と廃止反対闘争│
└─────────────────────────────┘
 
特定地方交通線の廃止 
  
全国各地の地方交通線国鉄経営から分離されていった時期は、第二臨調が発足し、国鉄改革の方向を定めていった時と重なっていた。第二臨調の基本答申の国鉄改革の方向は、国鉄が経営するのは鉄道特性の発揮できる分野に特化すべきだということであるから、地方交通線の廃止は促進する方針であった。さらに、国鉄再建監理委員会の第一次緊急提言(83年8月2日)および第二次緊急提言(84年8月10日)のいずれも、地方交通線国鉄経営から分離し、バス転換、第三セクター転換、私鉄への譲渡の早期実施を強調していた。国鉄の「経営改善計画の変更」についての監理委員会の意見も、予定どおりの地方交通線対策の実行を求めていた。
 こうしたなかで、特定地方交通線の廃止反対運動もあって、地元との協議は最初の1、2年はバス転換等がすすまなかったが、84年、85年になって急速に協議が整い、バス転換または第三セクター転換等が決定しいった。85年7月末現在で転換を完了した線は30線530.5キロであり、転換の方向づけを決定した線は7線137線キロとなった。
 ところが、85年1月10日に国鉄独自再建案として「経営改革のための基本方策
」が発表されたが、そこでの地方交通線対策として次のような新方針を打ち出したのである。すなわち、今後86年度末までに「すべての特定地方交通線の転換をめざして取り組むとともに特定地方交通線以外の存続地方交通線について、より効率化を図るため89年度末までに、個別に国鉄全額出資による株式会社を設立し、それぞれの経営理念のもと地域の実情に適合した運営を行うこととする。その際、線区の性格、輸送実績等を考慮して20線区は当面直営とし、残る70線区を株式会社とする」とした。この案を批判した監理委員会は、赤字地方交通線の一律切り捨ては知恵がない、と述べた。この見解はそれまでの監理委員会の提言内容とは異なり、何らかの形で地方交通線国鉄に残すことを示唆していた。
 第二次特定地方交通線の廃止は82年11月に運輸大臣へ承認申請を行ったが、第二次特定地方交通線の闘いについて、国労は83年度の運動方針で次のように決定した。
① 第二次廃止予定線の闘いは、第一次予定線での闘いの教を基礎にし、第一次と第二次の結合した闘いを組織する。
② 知事の意見書は第一次の場合軽視されたので、これを出させないよう全力をあげる。
③ 協議会設置を徹底的に返上させるよう自治体に要請する。
④ 地方線廃止反対の闘いは、臨調答申にその基本があることを確認し、組織活動、教宣活動を強化する。
⑤ 第二次廃止予定宣伝の関係自治体の反対意見書のとりつけを『分割・民営化』反対の意見書とセットにして進める。
⑥ 総評が提起している1万カ所対話集会との結合をはかるとともに、随時対話集会、セミナーなどの開催を積極的に進める。
⑦ 国会請願、抗議行動など闘いの節々で中央行動を展開する。
 国労は84年4月3日、「国民のための国鉄を再建する全国交流集会」を開いており、集会では運賃値上げ反対、地方交通線廃止反対、国鉄分割・民営化反対を掲げていた。集会には、特定地方交通線の第一次、第二次廃止対象線区で闘っている代表を中心に200人が参加した。交流会では、廃止線区に選定されて以来の闘いの経験が報告された。
 木原線の代表は、「乗車運動で地方協議会は三度目の協議中断に入っている。しかし当局は、第三セクター・バス転換への計画を進めており、楽観できない。幅広い参加で問題の本質をストレートに言えないこともあり、社・共など政党の独自宣伝が必要だ」と問題提起した。倉吉線の代表は、「乗車運動のできない線区もある。守る会会長に市長を置くなど自治体との連携が重要だ。白糠線など既成事実が作られると、あきらめも出てくる。二次線を遅らせるためにも一次線はがんばるべきだ」と強調した。あるいは、「地域の教育路線と位置付け運動を強化したい」と決意を述べる代表もいた。このほか、「バス転換を決められたが、これまでの運動は住民中心の訴えだったため国鉄・政府の本質を暴露しきれなかった」(高砂線)との反省も出された。
 すでに述べたように、国鉄当局は82年11月に「第二次特定地方交通線」の廃止申請を運輸省に提出した。運輸省は関係17道県知事に意見書の提出を求めていた。各道県は第一次の時に無視された経緯があるため、意見書の提出に反対の姿勢を堅持していた。しかし、政治的圧力によって5月27日の福岡県を最後に、全関係知事が意見書を提出するに至った。運輸省は意見書にもとづき現地調査と自治体等からのヒヤリングを6月上旬に終え、22日に承認保留の6線区(岩泉線名松線天北線、名寄線、池北線、標津線)を除き、廃止を承認した。
 また、第一次特定地方交通線のうち輸送密度が2000人を越えていた木原線、若桜線信楽線三線60.9キロは協議を中断していたが、86年7月末現在、この三線と角館線以外の第一次特定地方交通線はすべてバス、第三セクター、地方鉄道への転換が完了した(角館線は86年11月1日に第三セクターに転換した)。
 国労の84年度運動方針には真岡線などで実施された「費用・便益計算」の調査結果をもとに、廃止基準の見直し要求を進めるという新しい方針が盛り込まれていた。しかし、この時期は国労に対する攻撃が激しさを増し、地域での取り組みに十分な力を発揮できなかったことも確かである。第二次特定地方交通線の協議会開催について、頑強に開催反対を貫いてきた北海道も協議会発足を余儀なくされた線区が幾つか出た。
 85年度の国労の運動方針は、国労の地域闘争の問題点として、次のような指摘をしていた。
  「地域との共闘と国労の職場の闘いが正しく結合されていない 面がある。地域共闘依存型か企業内 だけの運動型か、いずれかに偏向し、地域共闘の仲間から〝国労は何をするのか、何をしてくれるのか?という疑問も出されている。地域住民や利用者と国鉄労働者の要求の統一についての取り組みが不十分なことから、合理化反対闘争と国鉄の民主的再建闘争がかたく結びあってすすめられない。そこには、企業主義が根強く残っている」。
 国鉄は、第三次特定地方交通線廃止については、12線338.9キロを選定し、86年4月7日運輸大臣に承認申請を行った。 

続く

国鉄労働組合史詳細解説 124-2

引き続き、職場規律の確立などに踏み込んだ、小委員会の第2部をアップしたいと思います。

当時の様子をご覧いただければと思います。

ここで注目すべきは、当時の自民党の考え方は、必ずしも分割民営化が答えだと思っていない点だと言えます。

「分割、民営論は出口論であるべき、最初に分割民営ありきという臨調側の議論は入口論だ。」

この発言は大いに注目すべきだといえますね。

国鉄再建に関する小委員会」の開催日とその内容

 

  • 第20回 4月13日(火)委員長から審議に基づく私案が提示され、若干の字句修正の上で承認。
  • 4月16日(金)「管理経営権及び職場規律確立に関する報告」との標題を冠し、交通部会・国鉄基本問題調査会合同会議および政調審議会の承認を経て同日総務会において自由民主党の党議として決定
    4月17日(土)田中竜男総務会長から運輸大臣国鉄総裁に手渡された。
  • 第21回4月20日(火)国鉄財政問題というテーマで
    1. 財政状況の推移
    2. 損失の分析
    3. 長期債務と累積赤字
    4. 地方交通線収支と島別収支
    5. 貨物赤字と貨物合理化
    6. 退職金・年金の推移
    7. 利子の推移、投資の推移
      等について審議
  • 第22回4月22日(木)国鉄自民党小委員会に対し、運賃改定の経緯、運賃制度の現状と今後の方向、資産処分の実績と今後の計画について説明。委員からは「毎年運賃値上げは問題だ、土地についても赤字だから売ればいいは困る、地域社会との調和も考えるべきだJ等の意見がある
  • 第23回4月27日(火)国鉄年金問題を審議。また、3月5日付通達に基づく総点検結果について国鉄から報告
  • 第24回4月28日(水)  国鉄の経営形態について自由討議
    大部分の委員の意見は「分割、民営論は出口論であるべき、最初に分割民営ありきという臨調側の議論は入口論だ。都市の立場からのアプローチでなく日本の国土の中での鉄道のあるべき姿の議論が前提にあるべきだ」という考えであった
  • 第25回5月7日(金)三塚委員長から5月1日に行なわれた臨調との意見交換の報告、続いて貨物問題および自動車、船舶問題について審議
  • 第26回5月11日(火)投資および過去債務について審議
  • 第27回5月13日(木)歴代運輸大臣国鉄基本問題調査会長会議とし、臨調から加藤寛第4部会長他を招き部会報告の骨子(項目〉を聴取、質疑の後、大臣、会長経験者のみによる討議を実施。
  • 第28回5月14日(金)鉄道病院および工場について審議。
    以後は、財政経営論の小委員会案作成ならびに、現場調査等をすることを表明
  • 第29回5月18日(火)前日の臨調各部会の報告発表を受け、臨調佐々木次長から部会報告の概要を聴取並びに質疑。
  • 5月20日(木)小委員会、中央鉄道病院および大宮工場視察
  • 6月1日(火)吹田操車場および京都自動車営業所大阪支所を視察
  • 第30回6月18日(金)前段として総点検結果報告以後の状況説明を国鉄から受ける。各委員から是正状況が十分でないとして、厳しい指摘が相次ぐ
  • 第31回6月25日(金)これまでの審議をふまえた「国鉄再建のための方策」が成文化、了承された事を受け、小委員会から交通部会・国鉄基本問題調査会合同会議に切りかえ、承認手続がとられた、小委員会は第2部ともいうべき財政、経営問題に討議を移すことに。

従来の再建論と一線を画す小委員会

今回の小委員会で注目されるべきところは、分割民営化ありきではないという点と、職場規律の確立を前面に打ち出した点が大きいと言えます。

その点が、従来の財政上の問題点だけに絞っていた今までの改革と大きく異なるところでした。
いわゆる、財政再建論ですと、収支均衡を図りますとそろばん勘定だけで、実際はダメでしたでずるずるときていたことであり、後の改革三人組と呼ばれた、井出・松田・葛西の国鉄幹部3名と三塚博議員とが、つながっていた点が大きいわけで、従来の再建はとかく一線を画すものであったことが理解していただけると思います。

 

次回は、他の政党の動きを見ていきたいと思います。

 

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国鉄労働組合史詳細解説 124

今回も、国労の資料ではなく、国有鉄道(国鉄の部内誌)から「自民党国鉄再建に関する小委員会」の設置について」昭和57年10月号から当時の国鉄並びに自民党の動きをご覧いただこうと思います。

臨調と国鉄の経営計画

国鉄の改善計画は、昭和56年5月に策定され10ヶ月ほどしか経ていないにもかかわらず、新たに「国鉄再建に関する小委員会」という小委員会を開催する事になったのでしょうか?その経緯は?ということで書かせていただきました。
それは、前年の大蔵省に対する助成金を減額する動きに対する牽制として、国鉄が本気で改革を進めていることを示さなくてはならないとして、設けられたもので、「国鉄の労使関係の改善は最大の課題である」として下記のように国鉄幹部に発言しています。

その辺を引用してみたいと思います。

予算編成もほぼ形がついた頃,交通関係議員と運輸省国鉄幹部との会議の席上,三塚交通部会長から国鉄幹部に対しとくに次のような発言があったことは,この間の事情を物語る。「56年度の経営改善は明確にやってもらいたい。これは大蔵省とのやりとりの最大の問題だった。大蔵省が助成の大幅切りこみを要求したのに対し『結果批判を受けるが計画を現在遂行中であり年度内には必ずやらせる』といってある。われわれも危機感をもって対応している。これは命運をかけたポイントである。56年1万2000人削減は必ずやってほしい。交通関係議員を代表してこれだけは強く要請しておきたい」このような情勢を背景に、国鉄の合理化を担保し、国鉄労使の態度が国民に受け入れられるようにするためには,その最大の障害と考えられる労使関係に徹底的にメスを入れ,実態に即した改善が必要と考えられた。

国有鉄道 昭和57年10月号

自民党の動き

この辺は当時の国鉄を取り巻く環境の厳しさを伝えているかと思います。

更に、こうした発言を受けて、自民党では、政権与党として臨調に単純に同調するのではなく、正すべきところは正すとして、翌昭和57年2月2日「国鉄再建に関する小委員会」を設置して、積極的な聞き取り調査などを実施して行きますが、国鉄改革三人組*1を擁した三塚博が中心にいた事も大きかったと言えます。

三塚博は、「管理経営権及び職場規律確立に関する提言を昭和57年4月16日に自民党に報告、同報告は自民党内の総務会の決定を経て、運輸大臣ならびに国鉄総裁に伝達されています。

これにより、マスコミ等を通じて、国鉄の現場の実態が徐々に明らかとなりました、当時の職員局長は、鷹派と言われた太田知行氏であり。

氏としても、自身の権力奪取の目的もあったのか、この時期は比較的積極的に協力していますが、最終的には国体護持派(現状維持派)として、批判されることになります。

この辺は、志摩好達氏の「国鉄二つの大罪」の中で書かれた、「ミイラ取りがミイラになった太田労政」と言う章立てに部分に出てくる記事を思い起こすことが出来ますが、この辺は、本編と直接関係がありませんので、割愛させていただきます。
一応関連記事をアップしておりますので下記リンクも参考にしてみてください。

whitecat-kat.hatenablog.com

国鉄再建に関する小委員会」の開催日とその内容

引き続き、開催日とその内容の概略を、国有鉄道 昭和57年10月号を参照しながら書き出してみたいと思います。

  • 第1回 2月5日(金)設置の目的、運営方法等につき説明があり、
    1. 臨調と対立するものではなく、党としての責任で、国鉄問題に明確な方向付けを行な宇事を目的とする。
    2. 国鉄の問題は・財政問題・組織・経営権の問・職場規律の問題があり、検討を深めるとともに現場実態調査を行なう事を明言
  • 第2回  2月9日(火)マル生当時職員局能力開発課長だった大野光基氏を招き、マル生以後の国鉄の職場管理、労使関係について氏の見解を聞き質疑

    日本国有鉄道 労働運動史(別館) も併せてごらんください。

  • 第3回 2月12日 (金)スト権スト損害賠償請求訴訟(昭和51年2月14日 国鉄、スト権ストに伴う202億円の損害賠償を要求、国労・動労相手に東京地裁へ提訴 )について、今日までの経過と今後の方針について国鉄から聴取。
  • 第4回 2月16日 (火)マル生直後の現場管理者の状況を国鉄OB等3名を招き、その経験談を聴取、質疑等。
  • 第5回 2月19日(金)現場協議制度について国鉄から説明を受ける。
    現場協議が当初の趣旨に反して団体交渉の下請に化しており職場規律の乱れの原因になっていること、現場協議などの場でヤミ協定が結ぼれている事などが明らかになる。委員からは、当局は明確に無効宣言を出し、その上で現場協議協定は破棄すべきだとの主張
  • 第6回 2月23日(火)第2回、第4回に続き3名の国鉄OB等による体験談を聴取。
    主として昭和50年代に入ってから今日の現場実態が報告された。
  • 第7回 2月26日(金)国鉄から昭和56年度重点職場の実態について、職場の一覧、管理上の問題点等を説明。
    委員からは「マル生当時と比較して良くなったというげれど上層幹部のそういう判断は甘いのではないか」「一般会計から予算が出ている以上、世間の批判を受けるととのないような管理レベルに引きあげる必要がある」等の指摘があった。
  • 第8回 3月2日(火)鉄道労働組合からのヒヤリング
    国鉄再建問題について鉄労組合長、書記長他が見解を述べる。
  • 3月3日(水)全国の重点職場の全管理職員3,257名に対し小委員会としてのアンケートをそれぞれの自宅あて発送。また、第8回までの審議状況が「中間報告」としてまとめられ、三塚委員長から自民党の正規の機関である政調審議会に4日、総務会には5日に報告された。
    マスコミ等で次々と明るみにされる職場規律の乱れに関し、4日運輸大臣から国鉄総裁に対し総点検の指示、これを受げ5日、国鉄は総裁名で「職場規律の総点検および是正についてJの通達を発出。
  • 第9回 3月5日(金)前回まで宿題となっていた勤務、昇職、昇給等について国鉄が説明。
    委員からは、「現場は本気になるのか」「本当にウミは出るのか」「今回が国鉄を救う二度とないチャンスだ、」と言った厳しい意見が出された。
  • 第10回 3月9日(火)前回に続き宿題となっていた回復昇給、管理者の意識調査、議員兼職、再雇用、処分等について国鉄から説明。
    委員から国鉄側の説明は信用はおけないとして、明快な説明を委員長から特に要請された。議員兼職問題 *2でも「不承認」との意見が大勢を占めることに。
    参考:国鉄労働組合史詳細解説 78 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 第11回 3月12日(金)国鉄監査委員会の意見聴取が行われ、安居喜造監査委員長他5監査委員が出席、それぞれ所見を述べ、小委員会側の各委員からそれに対する意見、要望等が表明された。
  • 第12回 3月16日(火)冒頭、前日発生した名古屋駅構内列車衝突事故の説明が行なわれ、次いで委員から要求のあった56年度昇給、営業関係昇職経路、労働処分関係訴訟、専従職員、運転検査旅費問題等について説明が行われた。
    名古屋駅事故は総点検中の不祥事だけに委員の聞から厳しい指摘が相次いぐことに。
  • 3月18日(木)第1回の現場視察が抜打ち的に行なわれ。三塚委員長他4名の国会議員、自民党関係者、井上東京西局長ら国鉄関係者一行14名が8時30分、甲府駅を訪問、直ちに現場の詰所をつぶさに巡った後、駅長以下管理者と懇談。職場規律の乱れに各委員も駕きの表情をかくせず。大月保線区にも移動し、区長以下管理者と懇談。
    第一回目に、甲府駅を選択したのは、社会主義協会系が強い職場であると言う理由からでした。
  • 第13回3月19日(金)国会議員の中でとりわげ国鉄問題に造詣の深い細田吉蔵 *3国鉄基本問題調査会顧問から公社制度にまつわる諸問題をの提言を受ける、細田顧問からは政治の責任をとくに強調されることになった。
  • 第14回3月24日(水〕国鉄から総点検の経過報告、名古屋駅構内列車衝突事故、浜川崎・高島両駅の運転事故、深川保線区の改善状況等を説明。
    委員から、名古屋駅事故の厳重な処分を速やかにすべきであるとの指摘がなされた。
  • 3月25日(木)第2回の現場視察。今回は予告の上、東京3局の5現場を13名の委員が3班に分かれて視察
  • 第15回 3月26日(金)前日の現場視察結果が各班長から報告され、国鉄からは総点検の途中経過報告、各組合の春闘方針、職員教育等について説明がなされた。
  • 第16回 3月30日(火)国鉄労動組合、国鉄動力車労働組合から個別に意見を聴取。
  • 第17回 4月2日(金)全国の管理職員に発送しておいたアンケート結果が紹介され、職場実態の深刻さと管理職員の苦労が明らかに。国鉄からは、関連事業全般および八王子地区の不正乗車問題*4を説明。
  • 第18回 4月6日(火)国鉄から合理化の計画と実績、団体交渉の仕組み、乗車証等について説明。三塚委員長から、「はじめて合理化を先に決定し、しかも手当は前年度より下まわる率で妥結したことは、画期的なことであり管理経営権が明確に示された」との発言があった他「乗車証についても大胆な見直しを行うべしと」指摘があった。
  • 第19回 4月9日(金)主な指摘事項12項目について国鉄の考え方を改めて表明
    その項目は以下の通り
    1. 202億損害賠償訴訟・・・スト権ストの次の損害賠償を国労動労に対して起こした訴訟
    2. 現場協議制・・・・・・・現場の問題は現場でと言う方針から設置された現場協議制が、現場管理者のつるし上げの場になっている事への問題是正
    3. 信賞必罰・・・・・・・・処分の段落としなどの是正
    4. 労働処分
    5. 紛対覚書
    6. 年休管理、突発休等
    7. 昇給管理
    8. ヤミ協定等・・・・・・・現場協議の中で出てきた、ヤミ協定など
    9. 管理職問題・・・・・・・下位職代行等、管理職が本来の業務を行えていない問題
    10. 施設管理権および組休・・組合管理になっている点への是正
    11. 兼職議員問題・・・・・・市町村議員の兼職問題(既得権となっていた事への是正(給料とは別に、歳入を受けとる事への問題)
    12. 乗車証問題・・・・・・・赤字にかかわらず、全国一律の職員無料パスや、家族割引などの問題
    今回をもって第1部の検討会は一応の区切りとなる。
  • 第20回 4月13日(火)委員長から審議に基づく私案が提示され、自由討議の後。若干の字句修正の上で承認され。「管理経営権及び職場規律確立に関する報告」との標題を冠し、16日交通部会・国鉄基本問題調査会合同会議および政調審議会の承認を経て同日総務会において自由民主党の党議として決定され、翌17日、田中竜男総務会長から運輸大臣(鹿野政務次官が代理)と国鉄総裁に手渡された。

あくまでも国鉄の自主再建を期待した自民党

ここまでの経緯を見ていますと、自民党のこの小委員会での位置づけとしては、民営化ありきの臨調に最初から乗っかると言うよりも、荒廃した職場規律の確立とそれによる管理運営体制の確立を最優先に考えていたと言えます。

また、既得権(兼職議員問題・乗車証問題)等や、悪慣行(ヤミ協定等)に踏み込んだ検討がなされたことは、従前の再建計画と異なるところでした。

なお、甲府駅の詳細などは、他の資料からも参照できると思われますので、今後機会があれば追記するなどしていければと考えております。

 

次回は、職場規律の確立などに踏み込んだ、小委員会の第2部をアップしたいと思います。

 

 

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*1:国鉄改革の実質的な実働部隊として、活躍した松田昌二、井手正敬葛西敬之、敬称略

*2:国鉄職員が市町村議会議員を兼職する事を許可したもの

*3:(元鉄道省職員、その後運輸省に残り昭和35年退官、衆議院出馬)

*4:国労職員によるヤミ無料パス 3/26発覚