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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 136

こんにちは、引き続き国鉄労働組合史をご覧ください。
 
今回も、国労の資料を参照しながら、独自の解釈を加えていくのですが。
再建監理委員会としては、なんとしても分割民営化は不可避であったとして、世論を作っていきたいと思うわけですが、仁杉総裁が更迭され、推進派の杉浦喬也総裁が就任するに及び、国鉄の分割民営化は待ったなしの状況に追い込まれました。
まして、一足先に二公社(電電公社と専売公社)が民営化され、長期債務の問題等で一番困難と言われた国鉄が残るという構図になっていました。(郵政は現業のため今回の再編では対象外)
そんな中で、国労動労・全施労は国鉄分割民営化では反対という点で一致しており、鉄労だけは地域本社制=分割民営化であるとして、分割民営化を進めていくのだという方向になっていました。
実際に、当時の国鉄職場の見学会等では、国労が強硬に分割民営化反対を唱える中、鉄労が分割民営化推進と書かれたスローガンを見て、個人的には非常に複雑な思いに駆られたものでした。
民営化はやむを得ないとしても、分割は拙いだろう。
26歳の若造はそんなことをぼんやり考えていたのでした。
 
再建監理員会は、答申で、分割民営化は不可避として、本州三社、及び3島会社を分割するとして明記しているわけですが、当時から三島会社の経営が厳しくなるであろう事は当然監理員会でも把握していたわけですが、国鉄長期債務を解決する手段であるとして、強行しようとしました。
国有鉄道10月号「国鉄再建監理委員会の「国鉄改革に関する意見」について」を参照しますと、以下のように書かれています。
北 海道 、四国 、九州の各鉄道会社の経営については 、私鉄並みの徹底 した合理化を行うとともに、長期債務の免除、基金の設定により、採算がとれる形で発足することとされている。具体的には、今後の実績も踏まえつつ内容を詰めていくこととなるが、いずれにしても、3 島の各鉄道会社はあらゆる部門において、私鉄並みの業務運営をめざし、従来にも増 して徹底した省力化、経費節減を行うことが不可欠である。 
とあるように、国鉄時代以上に徹底した合理化を進めていかないとその維持は難しかろうと明記していますし、実際には下図のように、国鉄自身が分析した昭和59年度の線区別運営成績自身を再建監理委員会が知らなかったわけはないわけです。
それ故に、三島会社には運用基金を設けることで経営を成り立たせるという非常に危なっかしい方法を立ち上げたと言えましょう。
下記の図では、本州と三島会社の地域別経営成績が掲載されていますが、北海道と九州で国鉄線全体の30%のシェアがありますが、輸送量は全体の7%しかなく、赤字額も九州・北海道の赤字額と本州の赤字額がほぼ同額と言うことになります。

国鉄分割民営化資料 地域別経営成績 北海道の規模が大きく、収入が極端に少ないという状況

地域別経営成績

本州は早期に純民間会社に、九州・北海道・四国の上場は当初から想定外

再建監理員会も、当初から本州以外の会社はその収益力が上記の収益構造からも明らかなように、不可であることは十分理解していたと思われます。
それが、三島会社に持参させた経営安定基金であったわけですが、バブル崩壊以降はそうしたスキームは一気に崩れることとなり、北海道は自然環境が本州各社と比べても厳しいわけで、その辺を含めて考慮する必要があるのですが、そうしたことを振り返る事もありませんでした。

また、当時は世論も国鉄分割民営化を容認する動きが一般的でした。

総評でも一部の組合は、国鉄の分割民営化は不可避であるとして考えていたようで、国労が総評大会で、「国鉄分割民営化反対五千万人署名運動」を展開すると決めたことに対して、鉄鋼労連が強く反対、全電通国労の方針に反対したという記述*1があります。

鉄鋼労連は、37兆円に上る長期債務を抱えた国鉄再生のためには、分割民営化は最後の手段で有り、万難を排して推進されなければならないとし、署名運動にもカンパにも賛同しないという方針を早々と示して国労を牽制。
全電通自身は一足早く民営化したこともあり、全電通委員長の山岸章は、「民営化反対と言うことは、国労は親方日の丸でいたいのか」と厳しく指摘しています。

全電通は、通信環境の競争などを考え、又当時はアメリカからの外圧もあったことから、自由に動ける体制を求めていたこともあり、組合側も民営化には比較的理解があったほか、一番の大きな点は職員の雇用が守られていたこと、更には国鉄と異なり優良企業として、かつ地域独占で黒字基調の営業をしてきたことなども、民営化でむしろ自由な活動が出来ると考えていたようですし、NTTという電電公社の民営化は、国鉄も民営化で良くなるのではないかという期待を持たせたという点も見逃せないと思います。

 

国労の記事で見る鉄労の話

鉄労は監理委員会の答申について次のような見解を発表した。
「答申は、鉄労が昨年の大会で提言した地域木社制と、考え方において基本的に一致している。具体的な分割・民営化のあり方や労働基本権の回復についても異論はない。この改革の成否を決めるのは、余剰人員対策で、答申は再就職のあっせんを第一に考えている。しかし、われわれは、外注業務を直営化することなどにより余剰人員をまず国鉄内で活用し、さらに分割・民営化に伴って事業範囲を拡大して行けば、余剰人員の大幅な活用が可能だと考える。」

 

さて、ここで国労が当時に鉄労の様子をアップしていましたので、もう少し詳細を語ってみたいと思います。

参照したのは、「国鉄民主化の道(鉄労友愛会議)」です。

 

ここで鉄労の動きが、出ていますので引用してみたいと思います。

国鉄再建監理委員会から分割・民営化の答申が出された直後、8月6日~8日に東京・上野の池之端文化センターで、鉄労の60年度の定期大会が開かれた、国鉄総裁の杉浦喬也総裁も来賓として出席、挨拶した。国鉄総裁が組合大会に出席したのは、初めてだった。杉浦は、「歴史の流れは大きく変わっている。ここに一つの方向に向かって、とうとうと流れ始めたと言える。私としては、国鉄改革の実現に向けて、各労働組合の理解と協力を求めていきたいと考えている。そのために積極的に話し合いを進めていく所存である。特に余剰人員対策は労使間の意思疎通をはかり、効果的に実施していきたい。各組合も余剰人員対策に就いての意義を認識し、積極的に対応していくよう要望する。特に鉄労は正しい認識で、国鉄改革に対応してきた。敬意を表したい」と挨拶した。

とありますが、赤色棒線部分ですが、鉄労は余剰人員ではなく、こうした過員を積極的に新規事業での活用を求めたのですが、杉浦体制では完全に黙殺されることとなりました。

仮に、ここでの鉄労の主張、余剰人員ではなく新規事業のための要員と言うことで雇用の確保と言うことになれば、その後の組合間による軋轢は有ったかもしれませんが、又違った形の展開になっていたかもしれません。

実際には、国鉄の合理化で発生する人員に関しては、一時帰休や退職前提休職、派遣ということで、外部に人材を流出させたことは大きな失策で有ったかもしれません。

それと、多少鉄労に苦言を呈するとすれば、何度も余剰人員対策に対して、国労を意識しすぎるのではなく、大局に立って、余剰人は国鉄にはない、新規事業の要員として確保すべきであると言い切って欲しかったのですが、結果的にはその後の労使協調宣言などで、鉄労加盟が有利である・・・・そんなイメージを作ってしまったのではないかと思ってしまうわけで、この辺は更に資料を読み込んでいく必要がありますので、いわゆる個人的な仮説として、意見を提示させていただきます。

国有鉄道 1985年10月号の記事から 鉄労大会で挨拶する杉浦喬也総裁

国有鉄道 1985年10月号の記事から

 

 

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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┌──────────────────────┐
├○ 三 再建監理委員会最終答申に対する諸見解│
└──────────────────────┘
 
 最終答申に対する国労および他労組等の見解

続き

鉄労は監理委員会の答申について次のような見解を発表した。
「答申は、鉄労が昨年の大会で提言した地域木社制と、考え方において基本的に一致している。具体的な分割・民営化のあり方や労働基本権の回復についても異論はない。この改革の成否を決めるのは、余剰人員対策で、答申は再就職のあっせんを第一に考えている。しかし、われわれは、外注業務を直営化することなどにより余剰人員をまず国鉄内で活用し、さらに分割・民営化に伴って事業範囲を拡大して行けば、余剰人員の大幅な活用が可能だと考える。」
 なお、監理委員会の旦取終答申が提出された直後に開催された鉄労の第18回全国大会( 8月6- 8日) において、分割・民営化による国鉄改革を推進する方針を決定した。方針によると、分割・民営化による改革をすすめ、余剰人員の解雇を防ぐため、外注事業や関連事業の面営化を図る、というものであった。この大会には、杉浦国鉄総裁が初めて出席し、鉄労への期待を込めた挨拶を送った。また、大会の論議のなかでは、監理委員会の最終答申が国鉄に余剰人員として残すとした4万1000人の選別について
「合理化に協力し労使協調に努めてきたのだから、鉄労組合員を一人も含ませてはならない。〔8月〕5日に違法ストをやった国労組組合員や動労を対象にするよう、当局に迫るべきだ」との意見が出された。
 同盟は、田中良一書記長の談話で「分割・民営化以外に国鉄を再建し、雇用を守る方法はない」、ただ余剰人員対策については外注事業の直営化など、内部努力の方法を探るよう求める、との見解を発表した。

最終答申に対する各政党の見解
各政党は7月26日、監理委員会の答申について、それぞれ要旨以下のような談話を発表した。
 自民党( 金丸幹事長談話) 国鉄再建監理委員会の答申が出されたが、亀井委員長はじめ委員のご苦労に感謝する。
国鉄の改革は国民的課題であり、わが党は監理委日員会の意見を日取大限に尊重し、広く国民の理解と協力を得つつ、政府と一体となって国鉄の改革に不退転の決意で取り組む。
 社会党( 国鉄再建対策本部見解) 答申は、国鉄の現状を招いた政府・自民党の責任に何ら言及せず、国鉄を解体して国民と労働者に犠牲を転嫁しようとしている。国鉄の分割は国鉄の公共的使命を放棄させ、地域間に大きな格差を生む。分割・民営化は国家百年の大計を誤らせることになる。
 公明党( 浅井国鉄再建問題特別委員長談話) 経営形態を民営に改めることは、活力ある経営を行うために不可欠な措置と考える。
事業分割は必要だが、分割の規模や地域などについて十分検討し、慎重に進めるべきだ。
 民社党( 河村国鉄再建問題対策特別委員長談話) 答申の基本的方向を支持し、実現を推進する。しかし、新幹線リース方式による本州の会社間の収支調整は、民営自立を阻害し、収益格差を生むので、分割の区分も含めて再検討することが望ましい。
 共産党( 金子書記局長談話) 答申の示す方向は、国鉄事業の再建とは縁もゆかりもないものである。公共サービスは際限無く切り捨て、17兆円にのぼる債務は、結局は国民に負担をおしつけるものだ。国鉄の分割・民営化に反対し、公共サービスの抹殺に反対する地域住民、国鉄労働者の運動と連帯し、その先頭にたって奮闘する。

続く

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*1:鉄労の国鉄民主化への道、P713

国鉄労働組合史詳細解説 135

長らく更新出来ませんでしたが、久々に投稿させていただきます。 今回は、国鉄部内紙、国有鉄道も参照しながら国鉄を取り巻く環境を検証していきたいと思います。
 

 国鉄の分割民営化を容認していたのは鉄労のみ

国労動労、全施労、全動労が監理委員会の最終答申に対して、
  • 公共交通としての国鉄の位置づけがなく、不採算部門は徹底して切り捨てとなる
  • 分割による全国ネットワーク破壊について、具体策を明らかにしていない。
  • 長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。
  • 『余剰人員』対策は、労働者間に分断. 選別をもたらすと同時に、労働者の雇用不安を助長するものである。
  • 『分割・民営化』は”官業払い下げ”であり、公共交通の、国鉄再建ではない。
 以上のような要旨で4組合共同の抗議声明が発せられたわけですが、この時点(昭和60年)で明確に分割民営化を示しているのは、鉄労だけなのですが、どうもマスコミのミスリードからそうなったような雰囲気があります。
鉄労は分社化(国鉄時代の支社のような権限を強化したもので必ずしも分割した独立会社としての想定では無かった。)した地域会社と発言したのですが、これがマスコミには分割民営化を支持するということかと聞かれて、そのようなものであると発言したことから、鉄労は分割民営化を容認したようになってしまったように見えます。
それ以前は、鉄労も分割反対であっただけに、その辺の違和感がありました。
結果的には、強硬に反対する国労に対し、新たな主導権(イニシアチブ)を取りたいという思いから、分割民営化容認であるという方向に舵を切ったのではないかと考えております。
その結果、国労組合員の一部からは、鉄労が裏切ったと言う印象を持つに至ったと言えそうです。
 

監査委員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置

再建監理員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置、鉄労のみが分割民営化を容認

再建監理員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置

と言うのも、当初は鉄労の唱える分社化は。かって存在した支社を地域本社として分割せずに民営化するのようなイメージを描いていたと考えております。

国有鉄道と言う雑誌の記事、労組大会の論議からを参照する

ここで、国鉄部内紙、国有鉄道という雑誌の、労使大会の論議からと言う記事を参照しながら、国労動労・鉄労の各動きを見てみたいと思います。

国労では、第4 6 回大会が、昭和59年8月2 0 日から2 3 日までの4日間、静岡県伊東市
で開催された。
開会挨拶で武藤委員長は以下のように問題を総括したようですが、国労としては強行に反対を表明していることが以下から窺えます。

  1. 「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立 こ そ緊急の課題 」
  2. 政治戦線 と 労働戦線 ・ 国民共闘の強化
  3. 反自民・反独 占 の視点に立った反行革闘争の強化
    いつ 、ど こ で 、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化であると総括しています。

他には、総評労働運動の勢いを甦られることが国労自身の力を増すとしていた。
国労としては、当局が示した余剰人員対策【国労では過員と表現】に対して、出向や勧奨退職は一切受け入れられないとして、絶対に反対という立ち位置を崩していません。

結果的には、こうした硬直した考えに至る背景には、国労自身が一枚岩と言えず、多くの派閥の中で成り立つ連合体と言える存在であったことの悲劇と言えましょう。

こうして、国労の場合はイデオロギーに押されて、全体の中動労よりもかなり損な生き方をしたと言えそうです。

国有鉄道 1984年10月号 国労の見解[行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題 」

国有鉄道 1984年10月号 国労の見解

動労の第40回大会は7月17日から20日まの4日間、秋田市で行われ 。
冒頭、佐藤委員長が「いまの状況では、 自らが"職場と仕事と生活”を守る以外にない。そのためにも動労提言を実現させなくてはならない。国労共闘については、既成のエゴイズムを打破しなくては解決しない」と挨拶 。
国労も2年ぶりに山崎書記長が出席し、動労国労との理念の違いはやむを得ないが、雇用と労働条件を守らなければならないという点では 一致している。

動労は、「国労とは共通の課題(生産性運動反対、スト権スト等)で共闘してきた歴史的事実もある。正常でない関係について十分話し合いたい。」
とも発言していますが、この背景には動労が後述しますが、昭和55年以降の減量ダイヤで貨物輸送が激減し、昭和57年からは旅客輸送も減量するなどのダイヤ改正で危機感を持った動労が貨物増送運動等をおこない、「するがシャトル」に見られる列車増発や、短編成化された山陽新幹線などの新たな提言が行われたことを指しています。
これも、組織防衛の一環から出たことで、強行に分割民営化反対を進めている国労とはこの頃はかなり距離を置いていました。

動労は自身の生き残りのため、動労提言で、するがシャトルが実現したと強くアピール

動労提言では、するがシャトルが実現したとアピール



再び、国有鉄道から引用してみたいと思います。

動労では、代議員の中から闘争を行うべきという意見がある反面、多少なりとも労働条件の悪化を受け入れても、組織を守るべきという意見も有りました。

経過報告は吉崎副委員長、84年度運動方針案は福原書記長が行い、本部案どおりで承認、採択された。代議員の発言数は、経過11人、方針案20人で、分割・民営化阻止、反核・平和などを基調した本部見解を支持する内容が圧倒的に多かった。
とくに動労提言支持に関するものが、現状報告とあわせて目立ち、改めて線路を取りはずされては国鉄としての存在がなくなる」と場合によっては労働条件の悪化も受けるとした。

以下に弊ブログで、関連する記述がありましたのでリンクを貼らせていただきます。

whitecat-kat.hatenablog.com

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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├○ 三 再建監理委員会最終答申に対する諸見解│
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 最終答申に対する国労および他労組等の見解

 監理委員会の最終答申に対し、国労動労、全施労、全動労は要旨以下のとおりの四組合共同の抗議声明を発表した。
  「答申は、110年にわたり国民の足を守り続けてきた国鉄の役割を無視し、利用者や自治体、専門家、関係組合の意見も聞かず、国民の目から離れたところでつくられたものであり、断じて認められない。答申には公共交通としての国鉄の位置づけがなく、すべてを採算性によって判断し、不採算部門は徹底して切り捨てるものとなっている。採算性だけを追求すれば、運賃値上げや路線廃止につながることは必至である。分割による全国ネットワーク破壊がもたらす弊害については『対処可能』というだけで、なんら具体策を明らかにしていない。長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、国民負担を求め、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。『余剰人員』対策については、労働者間に分断. 選別をもたらす施策を求めると同時に、関連労働者の雇用不安を助長するものとなっている。国民の足を奪い、雇用不安を増大させる『分割・民営化』は”官業払い下げ”にすぎず、公共交通としての国鉄を再建するものではない。われわれは、真の国鉄再建をめざして国民の支持と連帯の輪を広げ、『分割. 民営化』を許さず、公共交通としての国鉄を守り抜くとともに国鉄労働者の雇用を確保するために組織の総力をあげて闘い抜く決意である。」
 ところで動労は、85年までの運動方針を見るかぎり分割・民営化構想に反対し、答申がだされた段階では四組合で抗議声明をたすことができたが、以降、まず民営化に、さらに分割に賛成の方向に変化するので、詳しい内容はそれぞれのところで記述するが、ここで動労の変化を簡単にまとめておく。85年10月14日に開いた第二回拡大全国戦術委員長会議において、松崎動労委員長は「われわれの基本軸は分割反対にある」「国有鉄道として再建を考えたいが、そうはいかないから、分割反対を前面に打ち出し、幅広い世論形成をすべきだ」と述べた。そして、12月の動労中央委員会において、「分割反対を軸にして民営的手法の導入をはかるにとの方針に転換した。
 臨調=行革路線による国鉄攻撃が始まって以来、動労はかつて「鬼の動労」と言われていたころとは違い、当局の施策に「柔軟」な対応をするようになっていた。例えば、ブルトレ手当返還問題、現場協議協約の当局案での先行妥結、時間内洗身( 入浴) 問題での
当局への協力などがあった。それは84年の「動労提言」によると、国鉄最大の危機を国民の支持を得ながら乗り切っていくためには、国鉄労働者も「骨身を削る努力を立証しなければならない」「労働条件の悪化を嫌わず、これまで以上の仕事をしよう」との主張にもとづいていた。そうした考えにもとづき、余剰人員対策1二項目に対し組織として積極的に対応した。85年11月1日現在、運転職場での派遣者の数はトータルで4670人であったが、そのうち動労が約4000人、国労が360人、鉄労が80人、その他4050人であった。福原書記長は、余剰人員対策について「われわれとしては、『職場と仕事と生活を守る』という観点に立って対応していきたい。『反対か賛成からという二者択一的な方針はとりません」と述べ、状況によってはいっそう踏み込むことを示唆していた。それは、後の見る86年1月22日の動労の当局との「労使共同宣言」の締結につながっていった。86年度の動労の運動方針では、「今や国鉄改革は避けて通れないものになっており、活力ある新事業体をいかにつくり出すかが問われています」と述べ、事実上、分割・民営化を容認していた。
 総評は監理委員会の最終答申に対し抗議声明を出した。
  「答申は地方交通線の廃止と10万人に及ぶ人減らしを骨格とし、公共交通の破壊と労働者・地方自治体・利用者の犠牲のうえに国鉄の分割・民営化を行い、たんに. 長期債務の分担を示したものにすぎない。われわれは、全国ネットワークの国鉄公共企業体として再生し、次代の公共交通システムの柱として確立するため、地方自治体、地域住民、利用若・国民と連帯し、国民的多数派を組織するために国民運動を展開する。」

続く https://blog.hatena.ne.jp/whitecat_kat/whitecat-kat.hatenablog.com/

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国鉄労働組合史詳細解説 134

今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。
 
国鉄の分割民営化論議を考えていく中で、国鉄当局は当然のことながら解体には反対であり、労働組合国鉄という組織の解体には反対の立場を取っているわけで、自民党も必ずしも分割民営化を当初から容認していたわけではありませんでした。
むしろ、規制としがらみに縛り付けられた国鉄を少しでも動きやすくしたいという思いが改革三人組の方向性であったと思われますし、実際に自民党も当初は出口論【結果としての分割民営化はやむなし】という考え方であり、分割民営化を推進した鉄労も、当初は分割民営化には反対しています。

鉄労は、分割民営化を容認と報道される

ただ、鉄労が分割民営化を是とした背景には、鉄労が提唱した地域本社制と言う発言に際して、地域会社は独立した会社として認めるのかという、マスコミからの質問に対して、分社化は地域ごとに独立性を持たせるとしたことで、結果的に民営化容認と取られれることとなり、分割民営化反対では整合性が取れなくなることもあって、臨調の方針に乗っかっているという見方も出来るのではないかと考えます。

国労の方から、鉄労が裏切ったので分割民営化が推進された・・・と言った厳しい意見を伺ったことがあるのですが、鉄労としても地域本社制を当初は支社制度のようなものと考えていたと思うのですが、マスコミが新聞発表などで、鉄労は分割民営化容認と書いたことから、結果的には、分割民営化を容認した形で組合員にも説明せざるを得なかったのではないかと考えています。
少なくとも、鉄労も民営化は容認するとしても、分割は容認出来ないとしていれば又違った側面があったかもしれません。

公企労レポートで見る、国鉄分割民営化

今回は、手元にある昭和60年の公企労レポートから、その内容を引用させていただこうと思います。 第2073号 昭和60年7月10日版

最初に参照するのは、「国鉄改革に関する意見-- 鉄道の未来を拓くために」と題する採取答申が出される前に実行された、国鉄総裁更迭後の新総裁の会談を引用してみたいと思います。

記事によりますと、12日(7月12日と思われますが、公企労レポートの日付は7月10日付け)、杉浦総裁は、最終答申を月末に控えて組合代表を個別の呼んで、トップ会談を行ったと記述があります。

新総裁は、何が何でも国鉄再建監理委員会の方針で行くという強い意思表示を示しており、以下のように発言下とされています。
この辺を、公企労レポートから引用してみたいと思います。

杉浦新総裁と各組合トップとの個別会談は、12日午後から国鉄本社で行われた。
新総裁は「基本としては、近く出される再建監理委の答申に沿って行くつもりだ。この方向については国鉄幹部はもとより全職員に理解していただき、併せて国民の皆さんにもご理解願いたいと思っている。先に提示されている基本方策を全面的に変えることにつては、節操がないと言われるかもしれないが、方向付けとしてはこれを変えざるを得ない。

ここで示されている、基本方策とは国鉄が自ら作成した改善方策であり、昭和60年までの幹線系における収支均衡などを謳ったもので、基本方針は以下のようになっていました。
国有鉄道 1985年2月号から引用してみたいと思います。

国鉄では1月10日に、、「経営改革のための基本方策」を世に問うことになります。

国鉄の基本方針について

国鉄の基本方針について

 経営形態について


昭和 62年4月1日を目途に民営化 (特殊会社〉し経営責任の明確化と事業運営の効率化及び活性化をはかるが, 合理化施策の均質性、激変緩和等を考慮し、徹底した分権管理を前提に、全国一体とする。なお北海道、四国については国の政策判断により運営基盤が確立されるならば,別経営とすることも考えられる。
昭和65年度までに、その後の運営状況、輸送実態及び諸事情の変化等を勘案して会社のあり方について検討を加え、その結果に基づいて経営形態の見直しを行う。

国鉄の基本方針について、全国一律の民営化を容認

国鉄が民営化を容認



と書かれているように、国鉄としては民営化は受け入れると内外に宣言しているわけで、政府の意向であれば北海道や九州などは別経営とする事も考慮するとなっていますが、運営基盤が確立されることと言う文言が付いていることから判断出来ますが、あくまでも受けれられるのは、民営化だけであると、広く国民にも示したと言えます。

実際には、当時の世論では、場合によって赤字にんなった場合の処遇として、政府による補填などを求めたことが、結果的に世間にも受け入れられることはなく、分割民営化と言う再建監理委員会の意向に沿うと言う大方針の下、杉浦総裁を退任に追い込み、元運輸事務次官の杉浦氏を国鉄分割民営化をさせるためだけに送り込んだわけで、それが上記の公企労レポートに出てくる発言に繋がって行くわけですが、当然各組合は強く反発することになるのでした。

 以下、各組合の見解を公企労レポートから引用してみたいと思います。

  • 国労 
    監理委員会の答申に沿って実行していく以外に道がないとするならば、あなたが総裁なって貰わなくても良いと手厳しく批判しています。
    新首脳部は霞ヶ関の法ばかり気にしており、国鉄は監理委員会の下請けになっているのではなく、国鉄としての主張を貫いて貰いたいと、国労らしくというか、様子見という感じにも受け取れます。まだまだ、国鉄最大数の組合員を誇る国労としての余裕と言うよりも、国労としても積極的に動くべきではないと考えていたと思われます。

  • 動労
    お互いに約束したことは真面目に必ず守り履行するのが動労の考え方である、国鉄が今日の状況に追い込まれた責任の一端は労働組合にもある。そういう立場に立って新メンバーとも話合いをしていきたいが、重要な事案に対して、総裁に会おうとしても中々会えないので、腹を割って話合いも出来ない。
ここで注目すべきは、動労国鉄の現状作った責任の一端は動労にあると明言している点は注目すべき点です。
  • 鉄労
    鉄労はここでは、分割民営化をはっきりと容認する発言をしています。
    国鉄の再建は心の再建であり、分割・民営しかないと言うことで我々は取り組んで来た、厳しい環境に置かれた労使だが、我々としても全面的に協力していきたいと発言していますが、その反面、行き過ぎた外注化の中止や、等にも踏み込んだ発言しています。
    ただし、あくまでも個人的な見解ですが、どうしても反体制の組合【国労を指していると思われる】を混同して悪平等に扱うことは止めて欲しいと発言するなど、どうしても国労への対抗意識的なところが見え隠れしてしまうところがあり、全体にすり寄っているような雰囲気を感じてしまいます。

  • 全施労
    申し訳有りませんが、公企労レポートでは記録がありませんので記載出来ません。

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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├○ 二 再建監理委員会の最終答申の内容│
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 国鉄再建監理委員会は、発足後2年余り経った1985( 昭和60) 年7月26日に「国鉄改革に関する意見-- 鉄道の未来を拓くために」と題する、87年4月1日に国鉄の分割・民営化を実施するとした最終答申を中曽根首相に提出した。その内容は、①国
鉄の旅客部門は全国を六分割、貨物は全国一社制にする、②新幹線は一括保有方式をとる( リース制) 、③37兆3000億の長期債務のうち16兆7000億円を国民負担とする、とりわけ④87年度の適正要員規模を18万3000人とみなし9万3000人が余剰人員となる、という国鉄解体処分であった。そして、亀井正夫委員長は委員長談話で「国鉄改革はもはや一刻の猶予も許されません。また、これを成し遂げない限り鉄道の未来を拓くことは不可能であります。国鉄は労使一丸となって直ちにこの難事業に取り組むことが必要であります。国会及び政府は、この大改革を国政上の最重要課題としてとらえ、不退転の決意をもって速やかに断行されるよう望むものであります」と述べた。
答申は全体で四章からなっている。以下、その要約を記す。
 Ⅰ 《国鉄改革についての基本認識》
  国鉄の経営は、1964年に赤字に転じて以来、年々悪化の 度をふかめている。85年度の赤字は2兆3000億円、借金残高も年度末に212兆6000億円に達する。このままいくと、列車の運行にまで支障がでる恐れがある。鉄道旅客輸送は鉄道特性に特化すれば基幹的交通機関として十分役立つ。この鉄道の役割を将来にわたり十分乗たせるよう、国鉄改革を今行う必要がある。
  国鉄経営破綻の原因は、国鉄が時代の変化に的確に対応できなかったためで、その原因は現行の経営形態に内在する構造的なものである。すなわち、公社制度の下で巨大組織による全国一元的な運営を行ってきたことにある。こういう構造的な問題を克服し、効率的で責任ある経営を行うには、国鉄を民営化するとともに適切な事業単位に分割することが不可欠である。
 Ⅱ 《効率的な経営形態の確立》
 分割案は、旅客部門では、本州を首都圏及び東北・上越新幹線を中心とする東日本、東海道新幹線及び中京圏を中心とする東海、近畿国及び山陽新幹線を中心とする西日本の三つに分割し、北海道、四国、九州をそれぞれ分離し、全国大地域に分割する。
 貨物部門は、全国一元的に運営できる独立の事業体とする。
  経営形態については、交通市場のなかで企業性を存分に発揮できるような経営形態にする。具体的には、国が強制設立する株式会社とする。当初、国鉄の全額出資により設立し、逐次株式を処分し、できる限り早期に純民間会社に移行する。これらの特殊会社は、民聞会社並みの自主性をもち、国の監督規制を必要最小限にとどめる。特殊会社の労働関係は、労働組合法及び労働関係調整法による。共済制度は当面現行のままとする。
  旅客鉄道会社の事業範囲は、鉄道路線特定地方交通線を除く全線区とし、関連事業は多角的、弾力的に行う。新幹線の収益差が大きいので利用者の負担の均衡のため、旅客鉄道会社とは別の新幹線一括保有方式で収益調整をはかる。三島の旅客鉄道会社は、いずれも利払い前の営業損益で赤字が見込まれるため、長期債務を承継せず、加えて営業損失を補填でき得る収益が生み出せるような基金を設け、それによって経営基盤を確立させる。整備新幹線については、慎重に判断する必要がある。
 貨物部門は、自立可能な事業範囲を見極めるとともに、今後のあり方は、今後政府において実行可能な具体案を作成する。
  要員規模については、私鉄並みの生産性を前提にすると87年度の適正要員規模は、16万8000人程度となるが、これを実現するのは現状の国鉄における合理化の進捗状況からみて無理である。また、膨大な余剰人員の一部を旅客鉄道会社の適正要員規模の2割程度を上乗せすることとし、移行時に20万人程度とする。貨物事業の要員数は約1万5000人と見込まれ、これらを合計した新事業体の総要員数は21万5000人となる。
Ⅲ 《国鉄事業再建に際して解決すべき諸問題》
  余剰人員の数は、87年度の国鉄在籍職員数が約27万6000人であるのに対し、新事業体の適正要員規模は18万8300人であるため、9万3000人に上る。余剰人員対策の希望退職で2万人程度の応募を目指し、かつ旅客鉄道会社で適正要員規模の2割( 約3万2000人) を上乗せしたとしても、4万1000人が残る。この職員を「旧国鉄」の所属とし、一定期間内に対策を講じ、全員が再就職できるように万全を期す。「旧
 国鉄」は3年を限度に教育訓練、就職斡旋等を行う。雇用の場は、公的部門では採用の一定割合を提供するような措置を求め、一般産業部門にも協力を得る必要がある。政府は、余剰人員対策を円滑に推進するために、所要の立法措置を講じる。
  処理すべき長期債務としては、87年度音において約25兆4000億円に達するものと見込まれ、加えて年金負担等で4兆9000億円、余剰人員対策費として9000億円、それに国鉄の長期債務等と一括処理することが適当な上越新幹線青函トンネル・6四連絡橋などの鉄建公団・本因公団建設施設に資本費5兆2000億円があり、合計37兆3000億円となる。
 これら長期債務のうち新事業体が負担する額は11兆4000億円、「旧国鉄」で処理される額は25兆9000億円となる。
 長期債務処理のため国鉄用地を売却し、5兆8000億円を生みだし、そのほか新事業体への出資株式の売却収入6000億円と新幹線保有主体からの収入2兆8○○○億円を充てる。その上でなお残る16兆7000億円の長期債務は、何らかの形で国民に負担を求める。なお、売却可能用地の面積は2600ヘクタールと推計した。
  国鉄清算法人的組織である「旧国鉄」に改組し、余剰人員対策、国鉄債務整理等を行うほか、国鉄が資本費を負担することを前提として鉄建公団及び本則公団が建設した鉄道施設に係る資本費のうち新事業体が負担しないものの処理等を行う。
 Ⅳ 《改革の推進体制及び移行時期等》
  本意見提出役速やかに、政府においては内閣総理大臣が主宰する「国鉄改革に関する関係閣僚会議」( 仮称) を設置する等強力な実行推進体制を確立するとともに、国鉄においても実行推進体制の一層の強化. 整備を図り、政府と密接な連携を取りつつ、分割・民営化の円滑かつ確実な実施を期する。国鉄事業の分割.民営化は87年4月1日に実施する。
 以上の答申をうけた政府は、7月30日の閣議で答申を「最大限尊承する」と決定し、「国鉄再建関係閣僚会議」を改組して一九閣僚による「国鉄改革関係閣僚会議」を設置した。その決定を受けて翌日、運輸省は87年4月1日の国鉄分割・民営化に向け、「国鉄改革推進本部」を発足させ、分割・民営化の具体化にとりかかった。労働省は7月26日に「国鉄余剰人員対策推進本部」を設置した。10月11日の閣議では最終答申にもとづいた「国鉄改革のための基本方針」を決定し、答申どおり分割・民営化の時期を87年4月1日とし、そのための所要の法案を次期国会に提出する方針を決めた。

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 133

長らく更新できませんでしたが、久々に更新させて頂きます。

国労の記事では世界情勢を中心とした内容でしたので、今回は割愛し、国鉄の昭和60年国鉄線9月号からの記事を参照しながら解説を加えさせて頂こうと思います。

国鉄は、昭和59年度で収支均衡を達成した?

国鉄は昭和39年以降赤字決算だったという言うことで、それ故に民営化が行われたと言うことになっていますが。

実は、国鉄監査報告書を参照しますと、国鉄の収支は幹線系に限れば、昭和59年には黒字を達成していました。

これは、昭和60年における幹線系の収支均衡を図るという目的からすれば、1年早く達成した目標でした。

以下は、国鉄部内紙、国有鉄道1985年9月号から引用したものですが。

昭和59年の損益が345億円と営業外損益を差し引いても黒字に転換していることが理解して頂けるかと思います。

国鉄、経営改善計画の収支、昭和59年度で幹線系の収支均衡を達成している

経営改善計画の収支 引用 国有鉄道 1985年9月号

国鉄では、最終年度の昭和60年では、特定人件費を除く分野でも黒字化を達成しており、本来であればここで民営化を止めるチャンス、というか分割を止めるという選択肢を得られたと思えてなりません。

新幹線保有機構が誕生した経緯

ただし、当時は国鉄改革が上手くいくとは改革3人組と言われた3氏でも見通せなかったでしょうし、実際再建監理委員会の決算では、毎年の値上げが必須で、五年後で収支均衡すると考えていました。
当時の世論では、今までは、「国鉄職員=働かない」・・・という、そんな印象を持たれていたのも事実でしたが、実際には出向や管理局ごとでの直営売店などの営業、更には採用中止と勧奨退職による人員削減が行われていたわけですから、その辺をもう少し見極める、もしくは5年で一度経営形態を再度見直す、そんな条項を入れておくべきだったのではないかと思ってしまいます。

天鉄局 松阪駅直営売店の国鉄職員

天鉄局 松阪駅直営売店国鉄職員 引用国有鉄道 1985年9月号

実際、三島会社の経営自体は当初から厳しいとして、基金の上積みが行われたほか、

新幹線保有機構を作って収益調整装置にしたのもそうした表れでした。
新幹線保有機構JR各社間の収益を配分すると言うことで誕生しましたが、当初は新幹線会社を作って、新幹線会社が東北・上越新幹線の赤字を補填するという案もあったそうです。
他にも、東海道新幹線の収益で、上越東北新幹線、並びに東海会社(この場合は、中央線が東海会社に帰属するので、秋葉原駅・東京駅を会社の境界にするということで、都市間流動の分断が発生すると言う問題があると指摘しています。

内部補助を前提にした分割案 新幹線鉄道保有機構の成立と沿革から 引用


参考:「Hosei University Repository 新幹線鉄道保有機構の成立と沿革から」を参照
ここで一番問題となったのは、新幹線、特に東海道新幹線の収益性が飛び抜けてよい(収支係数で32程度、山陽新幹線も60程度で推移するのに対して、東北・上越新幹線は200超と大きく(100以上なので当然赤字)、東海道新幹線の収益で東北・上越新幹線を内部補助しようということで計画されたようで、当初は新幹線を在来線から完全に分離する案もあったようで、そうなっていたら在来線を保有するJR各社は西日本も立ち行かなかったで有ろうと思われます。

最終的に、各社の収益を平均化すると言うことで、新幹線に関しては在来線を保有する旅客会社にリースという形で貸し付けることになったわけです。

本当に分割しかなかったのか?

以下は、個人的な素朴な見解なのですが。
再建監理委員会の答申では、国鉄の分割ありきが前面に出すぎているきらいがあり、新幹線の持つ圧倒的な収益性を持つ、東海道新幹線で東北・上越新幹線並びに、東北地域の在来線を維持する内部補助を行うとした資料に注目したわけですが、分割ありきの作文と思えてしからがないわけです。
最初から、東海道新幹線の収益で東北本線や、東北・上越新幹線の内部補助を行うのであれば、分割ではなく、新幹線会社+在来線会社でも良かったわけで。
在来線会社も場合によっては、国鉄がそうであったように、幹線系と地方交通線系に分離して、地方交通線系にあっては、地方ごとに独立採算、幹線系は全国一律で一体民営化による独立採算、新幹線での黒字分を赤字ローカル線を多数抱える地方交通線系の会社に内部補助というスキームでも良かったのではないかと思ってしまいます。

もちろん、これは後付けの知恵でしか有りませんが。
内部補助で、東北。上越新幹線だけではなく、東北本線などの赤字補填という案を見るに付け、何だかなぁと思ってしまうわけです。
もっとも、その結果、新幹線に関しては新幹線保有機構が、保有して東海・東日本・西日本にリースするという形となったわけですが、この方式では新幹線を資産として計上できない他、リース期間終了後の新幹線の扱いが不明瞭であったこと、整備新幹線の財源を探していた政府との思惑もあって、最終的に、本州各社に売却する(その際、1兆円の上積みが行われた)訳ですが、上場前であったこの時期、敢えて売却ではなく、新幹線保有会社と在来線会社として完全に分離したうえで、将来的に統一するというスキームが示されていれば、現在の並行在来線問題も含めて又違った形になっていたのではないでしょうか。

東海道新幹線

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国鉄労働組合史詳細解説 132

監査委員会が提出した最終答申と国鉄

昭和60年7月26日、国鉄再建監理委員会は、最終答申を総理大臣に提出、国鉄の分割民営化への方向性がきまることとなりましたが、以下に書かれているようにその大方針としては、旅客会社の6分割と貨物会社の単独分離、更に新幹線に関しては旅客会社の保有ではなく、保有機構が持つと言う点が注目される点でした、1~3は、組織のあり方であり、4番は人の流れと言うことで、労働運動的には、当然のことながら余剰人員対策に注目するわけですが、
弊サイト国鉄があった時代には下記のように記述されています。
再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26
  1. 旅客6分割
  2. 貨物分離で1社
  3. 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
  4. 余剰人員対策
この件に関しては、監査報告書に以下の通り記述されていましたので、抜粋したいと思います。 余剰人員対策に関してはどのように記述されていたのか

  昭和60年監査報告書

第 2 要員合理化及び余剰人員対策
1 . 要員の合理化
日本国有鉄道は、「意見」の 趣旨に沿って 、新経営形態への移行のため、最大限の要員の合理化を進めるものとする 。
2 . 余剰人員対策
要員の合理化により生じる余剰人員問題については、日本国有鉄道及び第4の日本国有鉄道清算等のための組識においてその解決のため最大限の努力を行うことを前提 として 、「意見」の趣旨に沿って、強力な支援措置を講じる 。
 
( 1 ) 国 (特殊法人を含む。) においては 、その採用数の一定割合を雇用の場として提供することとし、昭和61年度の採用から実施に移す。
また、地方公共団体等に対し、国が講じる措置に準じ積極的に採用を進めるよう要請するとともに、一般産業界に対しでも、全国的規模での雇用の場の確保に協力するこ とを要する 。

(2) 新経営形態移行前に日本国有鉄道が実施する希望退職募集の実効を挙げるため 、 退職時の給付の臨時の特例について立法措置を講じるとともに、 新経営形態移行後 の余剰人員の円滑な職業転換の促進を図るための基本計画の策定等について所要の立法措置を講じる 。

(3) 以上の措置の具体的な内容及び仕組みについては国鉄余剰人員雇用対策本部を中 心に引き続き検討を進める 。

 

*1第4の日本国有鉄道清算等のための組識とは、
 
まだ、この時点では、国鉄の分割民営化に関する法案は、成立していない訳ですが、答申を最大限尊重すると中曽根首相が発言したことにより、答申に基づき国鉄改革は、次のステージに移ったと言えます。

国鉄当局に設置された再建実施推進本部

 国鉄では、昭和60年7月4日に、再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」の答申に先駆けて、杉浦総裁の下、「国鉄の役職員が一丸となって再建に取り組むという 決意を部内外に明らかに したものである。」にあるとして、杉浦氏が中曽根首相により送り込まれた、総裁であることを考えれば当然なのですが、先行して率先して行って国鉄改革に取り組んでいるとして分割民営化を先取りさせたのは、国労が以下のように分析していますが。「審議会や懇談会・調査会といった各種の諮問機関を多く設置して、その答申や報告を援用しながら政治をすすめるという手法が目立った。」
 多数の諮問機関などに打診していくとともに、マスコミによる世論操作も併せて行われたという分析は、中々重要な点を突いていると言えそうです。
 
  実際に、再建監理委員会の意見書を提出した時点では、国鉄関連法案が成立していたわけではなく、あくまでも方針を示しただけなのですが、国鉄自身も、分割民営化は既定事項であると振る舞っていたわけで、国労は、「国労潰しのファッショ的ともいえる政局運営であった。」と書いていることはあながち間違っていないとも言えそうです。
 
プロジェクトチームの所掌などは以下の通りとされていますので引用してみたいと思います。

 1 設置の目的既存の
「緊急対策実施推進本部 ・ 経営改善推進委員会J (昭和57年9月設置)及び総裁室のプロジェクトチーム(経営改革推進チーム)を発展的に解消し、この推進本部を設置した。その目的は、国鉄再建監理委員会並びに政府と密接な連携を取りつつ 、 国鉄再建の実施案を策定し、さらにその案の決定後、その円滑な実施をはかることである。


2 所掌事項推進本部においては、次の業務を行う。

  1.  国鉄再建に係る実施案の策定に関すること。
  2.  前号に基づく具体的な実施計画の策定及びその実施の推進に関すること。
  3.  前 2 号の業務に関し、部外関係機関との連絡調整に関すること。
  4.  その他 、国鉄再建に関し必要なこと。

さらに、組織については下記のように記述されていますが、とりあえず入れ物だけを作ったという感じで、内容的には具体的なものは見えいません。 

3 組織推進本部は、本部長及び副本部長及び本部員で組織する。各構成員は、次のとおりである。
本部長  総裁
副本部長 副総裁、技師長
本部員  本社常務理事、本社内各長
また、推進本部の下に本社内各総務担当課長で構成する幹事会を置いている。

4 事務局
推進本部に事務局を置き、経営計画室がこれにあたることとなった。
また、専任の事務局長を設置した。事務局長は、事務局業務の総括、幹事会の招集及び部内調整業務を行うとともに 、推進本部に係る事項についての窓口と し て 、政府 、監理委員会との連絡調整にあたることとなっている。

国鉄再建に係る事項については , 非常に複雑かっ広範囲にわたるため , 主要テ ー マごとにプ ロ ジェ ク ト チ ームを設け 、 専門的に実施案の検討及び実施の推進にあたる こととした。

国鉄再建に係る事項については , 非常に複雑かっ広範囲にわたるため , 主要テ ー マごとにプ ロ ジェ ク ト チ ームを設け 、専門的に実施案の検討及び実施の推進にあたることとした。

以上のように、随時その内容を変更させるといったものであるが、入れ物だけを作ったという感が強く感じてしまいます。
 

図を含めて、この間の記事に関しては、【国有鉄道 昭和60年8月号】から引用

続く

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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├○ 一 日本の「円高不況」と東西緊張緩和の流れ│
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 円高不況下で2度目の衆参同日選挙

 1985( 昭和60) 年7月の国鉄再建監理委員会最終答申は、第2臨調=行政改革二〇三高地といわれた国鉄改革=分割・民営化への具体的な見取り図であった。以降、87年4月1日のJR体制発足へむけて、そのすべての過程が国労っぶしをねらった国家的不当労働行為と断じられたように、中曽根内閣によるファッショ的ともいえる政局運営であった。それは、中曽根首相らが「大統領型総理大臣」と呼んだように、歴代自民党内閣とはいささか異なっていた。審議会や懇談会・調査会といった各種の諮問機関を多く設置して、その答申や報告を援用しながら政治をすすめるという手法が目立った。防衛費の1% 枠突破問題をはじめ、国鉄の分割・民営化、教育改革、靖国神社公式参拝など、公的・私的諮問機関が利用され、これら諮問機関に自己のブレーンである学者や文化人を送り込んで政策展開の地ならしを行い、マスコミを通じて世論操作の道具にした。
 1986年7月の衆参同日選挙は、?仕組まれた選挙?ともいえた。83年12月の総選挙で大敗を喫していた自民党は、6年前の初の衆参同日選挙での大勝再現を策略し、全野党の反対を押し切って臨時国会を召集した( 6月2日) 。しかし、野党側がこれをボイコットしたので国会は開かれず、衆議院議長が議長応接室で解散詔書を読み上げるという異常事態のなかでの解散であった。選挙運動さなかの6月14日、中曽根首相は国民に評判の悪い大型間接税について「やる考えはない」とまで明言した。選挙結果は、自民党のもくろんだとおりの結果となり、自民党は衆参両院とも結党以来最高の議席数を獲得した。中曽根首相は、この政局を「86年体制」の成立と誇った。
 一方、1985年9月、アメリカで開かれた先進5ヵ国蔵相会議(G5) は、異常なドル高を是正するために国際為替市場への協調介入と各国金利の協調利下げで合意をみた( プラザ合意) 。
その背景には、減税( 金持ち優遇) と軍事費増大( 強いアメリカ)を柱とするいわばレーガノミックスのもとで財政赤字と国際収支の「双子の赤字」に悩むアメリカ経済、そして80年代前半の日本の集中豪雨的な世界市場進出( 輸出) があった。翌86年にアメリカは対外純債務国となるが、とくに貿易赤字全体の3割近くを占める日本への風当たりは一段と強まり、日本に金融市場・資本市場の開放を強く求めていた。プラザ合意以降、円高ドル安傾向が加速的にすすみ、日本経済は「円高不況」に当面することになった。そこで政府は、86年1月から一年余りの間に5衣にわたって公定歩合を引き下げ、86年2月以降は史上最低の2・50%の時代がつづくが、こうした強力な景気テコ入れをすすめるとともに、他方では軍拡予算を優先しつつ( 防衛費突出) 、行政改革の名において社会保障をはじめ教育、中小企業対策、地方補助金、民生関連公共事業など国民生活のための切実な財政支出は削減した。また、円高によって輸出にブレーキのかかった大企業はさらに新たな合理化をすすめ、賃金の抑制、下請け価格の切り下げをはかった。その結果、86年と87年の春闘賃上げ、人事院勧告、公労委仲裁裁定はいずれも前年の実績を下回り、失業率も85年の2・62% 、86年の2・77% 、87年の2・84% へと悪化した。しかし、円高不況も86年11月に底をつき、これ以降はいわばバブル経済の時代に入る。国鉄分割・民営化によるJR体制の発足は、バブル経済の始まりと軌を一にしていた。
 さて、86年7月の衆参同日選挙で圧勝した中曽根内閣は、同年11月に国鉄改革11 分割・民営化法案を成立させたが、先の選挙前に明言した舌の根も乾かない87年2月に「売上税」導入( 国会上程) を図った。中曽根内閣への国民の反発は強く、その12月8日投票の参議院岩手補欠選挙で売上税反対を訴えた社会党候補が自民党候補をやぶり( 岩手ショック) 、この年の統一地方選挙でも自民党が大敗したこともあって売上税関連法案は廃案となった( 4月) 。
5月になると4年半にもおよんだ中曽根内閣の後継者レースが始まり、最大派閥を誇った田中派の分裂をへて10月、自民党総裁選挙に立候補した安部・竹下・宮沢の三人のなかから中曽根首相が竹下幹事長を自民党総裁に指名し、11月6日、竹下登内閣が発足した。

続く
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*1:第4の日本国有鉄道清算等のための組識

新経営形態移行に際して 、 「意見」の趣旨に沿って、新事業体が引き継がない資産債務等の処理及び余剰人員の再就職のための対策を行わせるため、日本国有鉄道をその清
等のための組織に改組する 。

国鉄労働組合史詳細解説 131

今回は、鉄労が提唱した地域本社制に関しての国労の見解です。 なお、公正を期するために、鉄労自らの、地域本社制に関する話を合わせて参照しながらお話を進めたいと思います。

国労視点では、鉄労の地域本社制導入は、分割民営化を容認したと認識

最初にお断りしておかないといけないのは、鉄労は、「再建監理委員会の緊急提言に対する我々の意見と任務」並びに「国鉄の分割・民営化から職場を守るために・業務の外注化より労働生産性を高めよう」という別冊資料を提案し、国鉄再建に対する考え方を明らかにしたとしていますが、これは国鉄の分割民営化を容認する、もしくは、推進するものではありませんでした。 国労の資料では、以下のように鉄労がその方針を変節させたという風に書いています。

「現行制度の悪弊を除去すると共に徹底した分権化をはかり、民間的手法の大幅導入を可能とするなど、経営者の権限と責任によって可能な限り自由に企業意志を決定できることを基本とした経営システムヘと改革しなければならない。」
経営規模を適正に区分し「地域本社制」で再建をすすめるべきだ、と提言した。
この内容は、81年の「国鉄経営改善計画」について「鉄労の意見」( 5月に発表) を変更するものであった。

 と書かれていますが、ここで書かれている、国鉄経営改善計画とはどのようなものであったのでしょうか。

1981(昭和56)年に鉄労大会で提案された、国鉄経営改善計画とは以下のようなものでした。

鉄労の国鉄経営改善計画とは?徹底した合理化と正常な労使関係

鉄労の根底には、徹底した合理化などにより、健全な労使関係の確立と徹底した合理化は必須であり、業務の外注化をも含めて徹底的な生産性の向上を図るべきであるというのが基本的な考え方でした。

その辺を当時の国労大会の様子を記した、「1981年11月号 国有鉄道」という部内紙から引用してみたいと思います。

鉄労としては「経営改善計画の不備を補い、誤りを改め 、目標達成に向かつて大胆に再建に取り組んでい く」と宣言 、具体的には、(再建期間中はス卜をやらない)平和条項を含む再建協定を労使で締結。これを労使共同による"国鉄再建宣言"として国民の前に明らかにする。そして、現在、各組合と当局との間で聞いている"労使会議"を一本化し、(当局と全組合による〉合同労使会議(仮称)を設置、この中で再建問題や労働条件、合理化施策について話し合ってはどうか、という提言、今後、実現を迫っていく意向である。

仲裁と国鉄再建で議論一鉄労の年次全国大会から-

国有鉄道 1981年11月号

鉄労としては、当局が合理化であるとか、正常な労使関係と書いているものの、その中身にあまりにも踏み込んでいないことに対して、どう対処するのか、違法ストに対して当局の姿勢はどうなのか、職場規律の確立についても、重大な問題であるにもかかわ らず触れていない事への不満などが述べられています。

ただ、ここで注目していただく必要があるのが、鉄労もストは辞さないと明言しているところです。

ただ、鉄労が考えているストは非常に強力なもので言わば刺し違えるくらいの覚悟で挑むものだという位置づけをしています。

これに対しても、再び「1981年11月号 国有鉄道」という部内紙から引用してみたいと思います。

討論では、仲裁裁定の完全実施、国鉄再建問題 、組織拡大など 3 点が議論の中心となった 。 なかでも仲裁問題が最大の焦点となった。ことにマスコミが「仲裁裁定が完全実施されなければ 、無期限ス 卜で闘う」との厳しい方針を打ち出した、と報じたため「裁判闘争に出た場合、法廷闘争が長びき 、ストはどうなるのか」、「iストは、いつの時期に計画するのか」など、もっぱら "スト" 問題に論点が移った 。

 国労動労のストを "違法"、と決めつけてきた関係で 「職場の中で 、 混乱が起きたり 、逆に国労動労から共闘を申し込まれはしまいか」といった懸念する向きもでるほど。こうした代議員の動揺に対して本部側は、中執見解を示 して、統一方針を確認した。 また、総括答弁で書記長は 「単一の経営体の保持こそが職場を守り抜く こ とであり、不満もあり苦しくても 、35万人体制は絶対に仕上げ、なければならない」と訴え、新しい提言を柱に国鉄再建に大胆に取り組んでい く決意を明らかにした 。

と有ります、かように鉄労も国鉄再建に関しては、単一経営体の保持が大事であるとしてきたのに対して、「徹底した分権化をはかり、民間的手法の大幅導入を可能とするなど、経営者の権限と責任によって可能な限り自由に企業意志を決定できることを基本とした経営システムヘと改革しなければならない。」として、再建監理委員会の分割民営化を容認したものと国労は理解したようでした。

この辺は、改めて、鉄労編纂の国鉄民主化への道から引用してみたいと思います。

昭和58年の定期大会でも、職場規律の確立などで改善できると提案

実際には、マスコミも同様の判断をしたことところがあり、国労は反対・動労も反対、鉄労が裏切って、分割民営化に舵を切ったと思われた遠因ですが、実際には、以下のような発言をしており、必ずしも分割民営化を全面的に支持しているものではないと考えられます。

鉄労としては、昭和58年度の定期大会では、国鉄の再建は、十分に現行形態で可能であるとして以下のような主張をしていました。
以下、「国鉄内労働運動の民主化への道」P692から引用させていただきます。

 鉄労の定期大会が、9月7日~9日に東京・港区のニッショーホールで開かれた。・・・中略・・・・、国鉄再建に対する基本的な考え方を内外に明らかにした。
 その骨子は、従来からの主張をまとめたもので。国鉄内労働運動の民主化、健全な労使関係の確立、職場規律の確立、徹底した合理化努力に取り組むことこそがわれわれの任務であり、国鉄労使の真剣は努力が国民に認められるならば、「分割民営化」に求められている再建への施策は、現行の企業形態でも十分達成し得る、と訴えていた。

と書かれていました。

 鉄労の地域本社制導入は、分割民営化を容認したものではない

鉄労が中央委員会で「地域本社制」の導入を柱とする、「国鉄経営再建に関する鉄労の意見と提言」が協議された際の、地域本社制と言う考え方を、各マスコミが、「国鉄の分割・民営化構想、鉄労が事実上認める」(産経新聞)や、「分割民営化に賛成」(朝日)、「分割・民営を”支持"」(読売)など、こぞって鉄労が民営化を支持しているという見出しで記事を書いたからですが、地域本社制自体は、「雇用と生活を守るためのものであり、分割・民営化に賛同するとは一言も書かれておらず、むしろ。分割民営化を阻止し、雇用を守るという本来の組合の趣旨に沿うものであったのですが。これはマスコミのミスリードと言えそうです。

結果的に、中央委員の間でも相当戸惑いがあったようで、案の定定期大会でもかなりその辺が論議の的となりました。

この辺は改めて、記載させていただきます。

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第六節 国労国鉄再建提言
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┌────────────────┐
├○ 三 鉄労の「地域本社制」提言│
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 鉄労は、1984年6月の第45回中央委員会において「地域本社制導入」を柱とした「国鉄経営再建に関する鉄労の意見と提言」を提起し、職場討議にかけ、84年9月の第17回定期全国大会で正式決定した。
 この提言は、現行制度の延長線上での再建は不可能との立場からなされている。すなわち、「昭和56年に経営改善計画が策定されて以降、今日まで3年が経過した。この3年間の経過と実績を冷静に分析し、総括してみる限り、残念ながら現行の制度・手法及び経営者の姿勢では」国鉄改革と再建は不可能である。したがって、「わが国における鉄道特性を発揮しうる経営体制」へと転換をはかるべきで、その場合に「現行制度の悪弊を除去すると共に徹底した分権化をはかり、民間的手法の大幅導入を可能とするなど、経営者の権限と責任によって可能な限り自由に企業意志を決定できることを基本とした経営システムヘと改革しなければならない。」
経営規模を適正に区分し「地域本社制」で再建をすすめるべきだ、と提言した。
  この内容は、81年の「国鉄経営改善計画」について「鉄労の意見」( 5月に発表) を変更するものであった。そこでは、従来の再建計画が破綻した理由を、年来の主張と同様、労使関係上の問題点と交通政策および行財政上の問題点に分けて指摘し、国鉄の分割・民営化についてはいわゆる「出口論」を主張していたのであった。
 今回の提言は具体策が85年3月に発表されたが、ここで地域本社制の内容が次のように明確にされた。
  「地域本社制への移行とは、単なる国の機関としての輸送業から『鉄道を中心とした地域の総合産業』へと脱皮することである。
 従って、各地域本社は、地域の特性に応じて可能な限り自由に事業経営が行える体制とすべきであって、経営形態は『民営』であり、機能的には『独立した会社』である。」この地域本社は、「当初『政府持株の特殊会社』として発足するが、一定期間の後に」、逐次「株式会社」に転換する。地域本社の区分は、本州を4区分( 東北、関東、中部、関西) し、北海道、四国、九州を島別に区分して、七つの地域本社と東海道・山陽新幹線本社を創設する。
 鉄労は「地域本社制とは民営・分割となった場合の新会社のひとつの呼称と考えたほうが理解しやすい」といっており、分割・民営化を提言したのである。そして、これらの地域本社で鉄道輸送に従事する社員を「私鉄並み効率で推計」すると、20万人とはじきだしていた。
 
続く

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国鉄労働組合史詳細解説 130-2

総評にしてみれば、国労動労であり、全逓(郵政)共々、総評の左派を占める一角であり、いわば総評にしてみればお得意様ということになります。
そう言ったわけですから、総評としては国労の意向に沿うような提案がなされることになりました。

その中で、総評としては
> ①今の国鉄の経営危機をどう解決するか、②日本の将来の( 公共) 交通システムをどう設定するのかの2点から見る必要があるとし、監理委員会の再建 案は①の対応だけで、②の視点が欠落していると批判した。

とあるように、確かに国鉄の改革と言いながら、経営危機の解決だけがクローズアップされており、将来的に高速道路には税金による整備がなされるのに対して、国鉄の場合は公共工事でありながらその財源を独自の財源に求めるなど、いささか矛盾している部分が多々あったのも事実でした。
そうした意味では、総評の指摘も間違ってはいないと言えそうですが、昔から言われたことですが、公務員の常識、世間の非常識と揶揄されるほど、世間とのずれがある場合も多く、国鉄などもその例に漏れず、ストライキをすることで国民の理解を得られると思い込んでいる節があったのも事実でしょう。

改めて、総評が提唱した以下の点は、今の時代もう一度考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。

「われわれの国鉄改革の基本的視点」で、21世紀に向けて鉄道ネットワークを存続させるが
イカーや海運などの交通機関との間に新たな補完、連携関係に立つ鉄道ネットワークの形成、再編成が必要で有るという考え方は、もっと真剣に検討すべき事ではないでしょうか。
自動運転とかの開発は夢があるかもしれませんが、既存の仕組みを調整して、実行に移していく、そうしたことをじっくりと取り組んでこなかったことが今になって、ドライバーの不足であるとかと言った問題を生み出しているように感じます。

なお、総評が提案した国鉄再建案は、鉄道の全国ネットワークの維持と本社機能の一定の重要性を認めつつ、地方分権を強調した。経営形態、( 独立採算性は維持するが、必要限度の公的助成を前提とした) 新しい公共企業体ということで、引き続き政治に翻弄されると思われますが、国労の意向である分割民営化反対に沿ったものと言えそうですが、結局国労としては、総評案も社会党案も受け入れることは出来ず、かつ、動労は総評自体から脱退することとなりました。

もう少し、総評の再建案に関する資料が見つかれば改めてアップさせていただきます。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第六節 国労国鉄再建提言
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┌─────────────────┐
├○ 二 社会党、総評の国鉄再建提言│
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 社会党の「国鉄再建提言プログラム」 国労の諮問機関である「国鉄研究会」の提言が国労に提出された同じころ、社会党の「国鉄再建対策委員会」(小柳勇委員長)は国鉄再建案をまとめた。社会党国鉄の分割・民営化に当初反対していたが1984年10月5日にまとめた「国鉄再建プログラム」はそれまでとは異なった方向を打ち出した。国鉄の経営形態については、監理委員会の分割・民営の方針を「国鉄の再建でなく、解体をはかるものだ」と批判し、基本的には全国一社体制を取りながら、地域の実情にあわせた交通体系の整備を図ることができる「非分割・地域分権」を提言した。鉄道の全国ネットワークの「適切な維持、運営のためには全国一社制が必要。一方、地域の実情を適切に反映できる体制でなければならず、集権と分権を最適に組み合わせるべきだ」とした。
 だが、「経営合理化という観点からすると「国鉄の地域鉄道すべてが合理的、効率的だとはいえない」とし、「中・長期的には、地域交通の系統的整備は地域交通整備法を制定し、国・国鉄自治体で協議し、役割を明確にさせる」として、不採算の地方交通線の廃止を容認する方向も示した。また、新事業体の運営に関し、①最高の政策決定機関として全国鉄道政策委員会を設置する、②運賃は認可制とする、③運営費については地方ごとの独立採算制をとる、という方向を打ち出した。このほか国鉄の長期債務については、国鉄の経営責任をこえる構造的欠損は「政府の責任で処理すべきだ」とした。一方で、収益性のある資産やこれにかかわる債務は新事業体に引き継ぐ、との考えを示した。そして、国鉄再建のために「民営的手法」を積極的に導入し、経営形態については国が全額出資する特殊法人とするが、国が関与するのは経営の基本にかかわるものにとどめ、自主性を与える、との方向を示した。

 総評の「国鉄再建政策」

 総評は1985年2月7日、第72回臨時大会を開いた。大会初日の春闘方針提起のなかで事務局長は、国鉄の分割. 民営化問題を「今年最大の政治的イベント」と位置づけ、総評独自の国鉄再建案を3月までにまとめる方針を明らかにした。12月20日、総評拡大評議員会において総評提言素案) として「国鉄再建政策=21世紀へむけての鉄道」を発表し、この素案を7月の定期大会にむけて、全国1000ヵ所で討論集会を開いて検討を加えることを決定した。そして、加盟単産をはじめ関連組合や共闘組織と県評・地区分において検討を加え、さらに1000カ所討論集会での討論を重ねたうえで原案を練った。総評第73回定期大会( 7月15- 18日) には、この再建案の第2次案が提起された。
 その内容の概略は次のとおりである。
  総評としては分割・民営化路線に基本的に反対の立場をとるこ とを明らかにし、国民多数派の理解がえられるように努める、 とした。そして、国鉄再建監理委員会の基本認識と問題点では、 「今日われわれは交通システムとしての国鉄問題は2つの視点か らとらえなければならない」と述べ、①今の国鉄の経営危機をどう解決するか、②日本の将来の( 公共) 交通システムをどう設定するのかの2点から見る必要があるとし、監理委員会の再建案は①の対応だけで、②の視点が欠落していると批判した。そのうえで「われわれの国鉄改革の基本的視点」で、21世紀に向けて鉄道ネットワークを存続させるが1その場合マイカーや海運などの交通機関との間に新たな補完、連携関係に立つ鉄道ネットワークの形成、再編成が必要であると述べた。こうした中長期的展望をふまえたうえで、国鉄改革の基本的方向として、「①過去債務及び赤字原因にメスを入れて取り除くこと、②21世紀像に必要な将来の投資資金をいかに調達するか、の2点が解決されなければならないであろう。③またその中間期はできる限り支出をきりつめ、多くの民営手法をとり入れて、官僚的体質から脱皮し、経営基盤の確立をはかる必要がある」とした。
  つづいて、「国鉄改革のための具体的提案」と「国鉄経営の安定化のために」が述べられ、「国鉄経営の安定化のために」、①長期債務は政府の責任で処理する、②国鉄に対する過度の政治介入をあらため、国鉄の管理者に、定の経営責任を負わせる、③特定人件費は政府の責任で処理する、④通学定期の割引や身体障害者割引などの公共負担は国の負担で処理する、⑤国鉄の組織は新たな公共企業体とするが、分権化を徹底し、「本社は全 体的な経営戦略、地方機関の調整、技術開発、海外協力、全社的労働条件の決定などを行う」などを提案した。
 総評の国鉄再建政策は社会党の政策と同様に、鉄道の全国ネットワークの維持と本社機能の一定の重要性を認めつつ、地方分権を強調していた。経営形態については、( 独立採算性は維持するが、必要限度の公的助成を前提とした) 新しい公共企業体を提案しており、社会党特殊法人( 国が全額出資) という形態とは異なるが、両案ともこの時期はまだ民営化を明言していなかった。
 
続く