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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 20

国鉄では、昭和31年から第1次5カ年計画が始まりましたが、賃金の上昇などもあいまり、計画自体を4年で切り上げることとになりました。
改めて、昭和36年度を初年度する第二次5カ年計画が策定されました。
この計画を当時の運輸白書から引用させていただきますと。

  第2次5箇年計画の内容は,次のとおりである。
 (1) 東海道線広軌鉄道を増設すること。
 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
 (3) 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
 (4) 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
 (5) 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。

  第2次5箇年計画は,38年度でその第3年目を終了したが,39年度計画を含めた進ちよく状況は, 〔I-(I)-24表〕に示すように,全体で69%東海道新幹線を除く一般改良工事では,58%である。

以上 引用終わり

ここの進捗状況等は下記の図を参照ください。

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昭和39年度運輸白書から引用

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昭和39年度運輸白書から引用

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この合理化は、日本の復興とペアになるものであり、主要幹線の電化や電車化は本来合理化を行える最大のチャンスであるわけですが、国労はここで反対運動を行うこととなります。

すなわち、合理化は認めるが職場の合理化は認めないと言うきわめて矛盾した言い回しです、
「合理化・機械化に対し労働者や国民の要求で対決し、首切り、労働強化を阻止する」と言う方針で昭和35年は戦い、昭和36年は、さすがに民間企業の賛同も得にくいと思ったのか。機械化等の合理化は認めるが、労働強化を伴うものや賃下げは反対、実質新しい機械を入れて習熟する必要があればそれは労働強化に繋がるので、反対すると言う論理であり、

> 「首切りや労働強化を伴ったり、賃金引下げに通じるときは断固としてたたかう」という方針を

となっていました。

マル生運動の失敗以降の現場協議制ではこの考え方に近い方針が現場単位で行われ、日々の業務に支障をきたすこととなりました。

昭和50年代に製造された国鉄形が未だに現役なのは当時保守を1年程度しなくとも壊れない車両を作った賜物でもあるんですね。
その辺の事情がわかるだけに、未だに残るキハ47とかを見ると複雑な心境になるのです。

> 東海道新幹線など幹線投資を優先させ、通勤輸送対策を軽視し、安全や労働条件をなおざりにして強行された「合理化」による過密ダイヤと安全無視の要員減によることは明らかであった。

更に悪いことに、昭和37年には三河島事故が、更にその翌年の昭和38年には鶴見事故が立て続けに起こり、国労は下記のように言い切っているのですが、本当にそのように当局だけに責任を押し付けるべきものだったのか。
もっと積極的に合理化策を受け入れていたならば、少なくとも三河島事故に関しては防げたのではないかと思います。


昭和37年のニュース「三河島事故」① - YouTube

鶴見事故の場合、貨車の途中脱線と言う想定外の事態に、複雑に走る電車のダイヤがあり、防護無線等が当時は整備されていない時代なのでこれすらも国鉄当局のせいにするのは酷という気もします。


昭和38年のニュース「鶴見事故」① - YouTube

 

> 国鉄当局は、先の二つの事故に際して、国鉄職員の規律に問題があるとして、原因を精神的不注意に転化し、さまざまな締め付けを行った。それに対し、第二一回大会決定に基づく「合理化」との闘いが展開された。

この辺も逆に合理化をきちんと行い機械化が進んでいればと言う気がするのですが、その辺はもう少し調べていく必要がありそうですので詳述は避けさせていただきます。

> この事故の教訓によって「運転取扱心得」は「運転取扱基準規程」に改善されることになった

別途、運転取扱基準規程の抜粋をあげさせていただきます。

ILOに関しては改めて資料を参照した上でアップさせていただきます。

参考 

www.sozogaku.com

以下、国労の資料になります。

┌───────────────────┐
├○ 春闘ストと合理化反対闘争の進展   │
└───────────────────┘

 安保・三池闘争の経験は、春闘などでの賃上げ闘争で活かされた。60年春闘では、安保・三池闘争などの結合を危惧した日経連など経営者側は、賃上げ要求で譲歩を行ない、春闘を早めに終わらせた。
 61年春闘で、公労協は政府に5000円以上の大幅賃上げ、ILO87号条約の批准などの初めての統一要求を提出した。また、政府が国鉄運賃の大幅値上げなど公共料金値上げ政策を取ったので、統一要求には公共料金値上げ反対も含まれた。
 公労協参加組合は、政府との間で統一交渉を継続したが、不調のまま政府が交渉を打ち切ったため、3月13日に、3・31ストライキ宣言を発表した。これは公労法による争議権否認のもとでの初めての公然たるストライキの意思表明であった。この背景には、安保闘争の渦中で国民に支持された6・4ストなどの経験が活かされていたし、それまで低賃金を余儀なくされていた労働者の切実さが存在していた。この3・31スト計画は、3月27日、公労委が平均10%値上げの仲裁裁定を提示したため、中止された。この10%裁定は、前年の12.5%引上げの人事院勧告との均衡を考慮したものであったが、同時に、61年春闘相場をリードする役割を果たした。
 国鉄第2次5ヵ年計画の進行とともに、「合理化」も進み、国労は対応を迫られた。60年の第20回大会では、「合理化・機械化に対し労働者や国民の要求で対決し、首切り、労働強化を阻止する」基本方針が掲げられた。61年の第21回大会(山口)では、「合理化」に対する基本的考え方として、「われわれは機械化、近代化、設備投資を伴う合理化については原則的に反対しない」が、「首切りや労働強化を伴ったり、賃金引下げに通じるときは断固としてたたかう」という方針を明らかにした。
 ところで、62年の三河島事故、63年の鶴見事故の発生の基本的要因は。東海道新幹線など幹線投資を優先させ、通勤輸送対策を軽視し、安全や労働条件をなおざりにして強行された「合理化」による過密ダイヤと安全無視の要員減によることは明らかであった。
 鶴見事故と同じ日に三井三池では死者457名に達する三川鉱大爆発事故が発生しているが、これも三池労組が弱体化したあとの生産第一主義、安全軽視の「合理化」がもたらした悲惨な事故であった。
 国鉄当局は、先の二つの事故に際して、国鉄職員の規律に問題があるとして、原因を精神的不注意に転化し、さまざまな締め付けを行った。それに対し、第二一回大会決定に基づく「合理化」との闘いが展開された。61年の白紙ダイヤ改正闘争では、検査規程の改悪に反対して全国の客貨車区で二割の減車闘争や一時間の時限闘争が行われるなどのダイヤ改正闘争が展開された。この結果、多くの現場機関の当局の要員計画が修正された。また被服工場の廃止などは当局計画通り実施されたが、その交渉をつうじて「雇用の安定に関する協約」が締結された。なお、第21回大会の決定は、当局の「合理化」計画に対しては労働者の基本的要求で対抗することを内容としており、特に時短が大きな課題となったが、62(昭和37年)6月、1昼夜交代勤務について時短を実施する暫定協定が結ばれ、その後の時短闘争の足がかりとなった。
 「合理化」反対闘争は、この後、60年代後半から70年代、一層重要な課題となった。
なお、この事故の教訓によって「運転取扱心得」は「運転取扱基準規程」に改善されることになった(1987年4月の国鉄分割・民営化の際に、再び「運転取扱心得」に戻す改悪が行われた。)

続く

 

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