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国鉄労働組合史詳細解説 30

申し訳ありません、2週間ほど開けてしまいました。

ますます政治ストに進む国労を含む官公労

今回は、「軍需輸送阻止闘争の展開」ということで、米軍ジェット燃料輸送阻止闘争について書かせたいただこうと思います、前回も書いたので、今回は国労の記事の解説程度に収めたいと思います。

実際とは異なる発表で、世論をミスリードさせた国労の見解

 国労の当時の活動と言うのは、民青による活動が主力だったのか非常に政治ストが多く、この例でもわかりますが、国際反戦デーに連動した動きと言うことで、国労の見解として、過密ダイヤとベトナム戦争の拡大による米軍輸送の拡大による米軍需輸送の激増にある」との見解を発表した。

おそらく、動労も同じような声明を発表したと思うのですが、いかんせん動労の資料が無いので何とも言えませんが。
官公労独特の発言だと思います。

ただ、ここで過密ダイヤと言われていますが、実際にはブレーキ力の弱い貨車に対してブレーキの操作が遅れたことや、信号の見落としといった機関士側の過失については何も触れておらず、問題の本質を置き換えたと言えましょう。

実際は燃えにくいジェット燃料ですが

また、輸送していたのは、ガソリンではなくジェット燃料であり、どちらかと言えば灯油に近いものだそうで、Wikkipediaを参照しますと。

  ケロシン系の燃料で一般的なものは JET A-1 (別名: AVTUR、aviation turbine fuel) と軍用規格のJP-8である。市販されている灯油とほぼ同じような主成分を持つ

と書かれています。
事故の概要をwikipedikから引用させていただくと、下記のとおり国鉄運転士側の過失が大きいのであるが、それを米軍がベトナムに参戦するからという論理にすり替えて、その後の新宿騒乱事件、1962年10月21日の国際反戦デーにつながる伏線となりました。

この、衝突事故は左翼運動家にとっては格好の日本政府への攻撃材料となり、それが上記の新宿騒乱事件につながるわけです。

この事故が新宿騒乱事件を引き起こす引き金となった。

youtu.be 新宿騒乱事件


今回は、騒乱事件のことは省略しますが、これにより国鉄では車両の破壊など多数、通勤通学客の足を奪われるなどのこととなるのですが、ここで過激派に簡単に駅構内に入れてしまったところに、国労動労による誘導なりがあったのではないかと推測してしまいます。

 事故を契機に、新たな闘争へ

更に国労は、この事故を契機に下記のような闘争を展開し、順法闘争などにより、70両の米軍タンク車が運休し、210両がストップを行うなどの闘争を行ったと記されています。

(また国労本部は、「国鉄の軍需輸送に関する実態調査」を行ない、発表した。  東京地本では10月18日から3日間、順法闘争を実施し、毎日70両の米軍タンク車が運休し、210両がストップし列車・貨物列車などに計651分の遅 れが出た。20日には、立川駅と横浜潮田公園で総決起集会が開かれた。順法闘争は、名古屋地本(笹島地区)、門司地本(門司港駅)などで実施された。

参考事項

米軍燃料輸送列車事故 事故概要

  1967年8月8日午前1時45分、新宿駅構内で、山手貨物線から中央快速下り線への渡り線を進行中の浜川崎発立川行き第2471貨物列車(EF10 38牽引、タンク車18両、米軍燃料輸送列車)の側面に、中央快速上り線を進行してきた氷川(現:奥多摩)発浜川崎行き第2470貨物列車(EF10 40牽引、ホッパ車20両)が停止信号を現示していた場内信号機を冒進し衝突した。


 下り第2471貨物列車は在日米軍立川基地向けの航空機用ジェット燃料を満載して立川に向け出発した直後であり、一方の上り第2470貨物列車は石灰石を満載の状態であった。この衝突で、第2471貨物列車の3 - 6両目が脱線し、4, 5両目が転覆、衝突によって破損したタンクから漏れた航空燃料に、衝突時に発生した火花が引火して爆発を起こし、タンク車4両(3 - 6両目)と第2470貨物列車の機関車が炎上した。

 事故現場(青梅街道大ガードから100m程中野より)周辺300m程は瞬く間に火の海と化し、火災により引き起こされた停電によってポイントの切り替えもままならない状態となったが、関係職員らの尽力により、手動操作によるポイントの切替と、構内入換に使用していたディーゼル機関車DD13形による事故を免れた貨車の切り離し、退避が行われた。

 しかし、タンク車から漏れた72トンもの航空燃料が燃えたため、新宿の夜空を明るく照らし出すほど燃え盛った炎が30m程の高さまで立ち昇る程非常に火勢が激しく、消火に手間取った(鎮火は午前3時20分頃)。加えて、大量に漏れた揮発性と引火性の高い航空燃料(灯油・ガソリン比1:1)から発生したガスが鎮火後も現場周辺に充満したため酸素バーナーが使用できなかったこと、燃え残ったタンク車からの燃料抜き取り・タンクローリーへの移し変え作業が日本側では出来ず、在日米軍の手を借りなければならなかったことなどから復旧作業は大幅に遅れ、翌9日午前4時4分の復旧完了までの丸一日以上の間中央線は停止し、国電1,100本が運休し200万人に影響が出た。
 
 事故の原因は第2470貨物列車運転士の信号冒進で、停止を現示していた場内信号機によるATS警報の確認扱い後、ぼんやりしていて制動操作が遅れ、非常制動をかけたものの間に合わず、10km/h前後の速度で第2471貨物列車3両目付近に衝突したこと。また、牽引していたホッパ車が満載状態で重く、非常制動のかかりが悪かったのも事故発生の遠因とされている。

参考 wikipedia
米軍燃料輸送列車事故

 

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********************以下が国労の資料になります。**********************


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├○ 軍需輸送阻止闘争の展開 │
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ベトナム戦争の渦中、68年8月8日、中央本線新宿駅構内でガソリン満載の貨物列車と砕石満載の貨物列車が衝突、電気機関車が脱線、連結の機関車が脱線、連結のタンク車が火を吹き、機関車とタンク車3両が炎上する事故が発生した。

国労は、事故の原因は、過密ダイヤとベトナム戦争の拡大による米軍輸送の拡大による米軍需輸送の激増にあるとの見解を発表した。国鉄の米軍需輸送は、日米安保条約第6条の優先使用権を根拠に締結された。

Wikisourceから引用
日米安保条約

第六条

日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び 安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

 

「公務鉄道輸送支払い手続きのための日本国有鉄道アメリカ合衆国との間の協定」により行われていた。

10月の第79回中央委員会では、反「合理化」闘争と結合した反対闘争の推進

(ア)10.21反戦集会への積極的参加と街頭行動の展開

(イ)国鉄の軍需輸送について、全地本でその実態調査に取組む

(ウ)10月20日を目途(ママ)に、軍需輸送(自衛隊輸送を含む)の拠点を中心に順法闘争、大衆行動を決定した。

(また国労本部は、「国鉄の軍需輸送に関する実態調査」を行ない、発表した。  東京地本では10月18日から3日間、順法闘争を実施し、毎日70両の米軍タンク車が運休し、210両がストップし列車・貨物列車などに計651分の遅れが出た。20日には、立川駅と横浜潮田公園で総決起集会が開かれた。順法闘争は、名古屋地本(笹島地区)、門司地本(門司港駅)などで実施された。 続く 次回は、70年安保闘争の闘いです。