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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 34-2

長らく間が開いてしまいました。
申し訳ございません、マル生運動は幅が広すぎて2回に分けようと思ったのですが逆にもう少し詳しく検証してから別の機会にアップッせていただこうと思いますので、今回は簡単に流させていただきます。

国鉄における「マル生運動」とは具体的にどのようなものであったのかを私の記憶を辿りながら書いてみたいと思います。

国鉄がマル生運動を導入しようとした昭和45年から昭和46年と言うのはどのような時代だったのでしょうか。

国鉄があった時代から少し引用してみようと思います。

寝台特急あけぼの運転開始 7/1

10月改正で設定される寝台特急「あけぼの」(上野~秋田)の車両を早期落成の上臨時寝台特急として運転、この措置により、同区間を走行する急行「おが」が運転休止となる。このような例は最初であり最後となった。
 また、今回増備された20系が最後であった。特に電源者は100番代を冠せられ、電源車の電源供給区分の切り替えや電源エンジンの起動、停止なども機関車側で行えるようにし、専門技術員の乗務を省略した。

駅レンタカー開店 7/1

東北地区に「駅レンタカーみちのく」・長野地区に「駅レンタカー信州」が開業、やがて全国に駅レンタカー網が張り巡らされていくことに。

大蔵省、国鉄再建策として赤字ローカル線大幅整理、財源に自動車新税充当など、財政制度審に諮問 7/23

国鉄、通勤形に冷房試作車導入 7/31

山手線に103系冷房試作車を導入

新快速電車 京都~西明石間に運転開始 10/1

朝10:00から17:00まで1時間ヘッドで6往復。
網干区所属の、113系7連を使用、所要80分で、大阪・三宮・明石のみ停車。

室蘭本線【旅客駅→貨物駅】陣屋町 8/1
静岡鉄道駿遠線 新藤枝~大井川 間 6.3kmを廃止。全線廃止 8/1

DISCOVER JAPANキャンペーン開始、10/14
YouTube当時のCMが見れます。


1970 国鉄 DISCOVER JAPAN - YouTube

 

などと言った内容でしょうか。

よろしければこちらもご覧ください。
昭和45年国鉄があった時代前半 昭和45年国鉄があった時代後半
昭和46年国鉄があった時代前半 昭和46年国鉄があった時代後半
昭和47年国鉄があった時代前半 昭和47年国鉄があった時代後半

国鉄では万国博覧会以降、国鉄が整備した輸送力を活かすとともに、Discover Japanキャンペーンに見られるように、国鉄に乗ってもらうための増収努力を始めていました。

しかし現場では、接遇マナーについて学ぶ機会もなく、駅では「ありがとう」が言えない職員がいるとと言うありさまで、お役所で窓口の対応が悪い部門では、国鉄は何時も最下位の指定席を保っていました。
当時で一番窓口が親切と評価されたのが確か税務署だったかと思います。

そんなおり、国鉄で始まった生産性運動は、「俺がやらねば誰がやる」と言うスローガンの下、積極的な増収運動や自己啓発運動が行われたようです。
また、ブレーンストーミング形式での検討なども行われたようです。

さすがに、この当時は私も小学生なので具体的にどのような指導が行われたのかは知りませんが、当時のそうした回想録などを読んだ記憶の範囲ではそんな内容であったようです。

複数の職員が学園に集められて訓練は行われるそうで、期間はちょっと記憶していませんが最終日にはパーティが行われ、照明を消した中で一人一人がろうそくを持って入場して、幻想的な光の中で「国鉄の再建を誓う」と言ったいささかカルトめいたことが行われたという記事が動労の資料で読んだ記憶があります。
まぁ、動労が書いた単行本ですからかなり批判めいた意味合いが強かったと思いますが・・・(^-^;

実際にそうした研修を終えた職員は、自らが変わることで国鉄は変われると真剣に思っていたようで積極的な増収活動等に邁進します。
国労の組合員や動労の組合員も居るわけで彼らは国労動労を脱退して鉄労に加入することとなります。
このことは国労が、「マル生は不当労働行為を行っている」とマスコミにキャンペーンを打たせざるを得ないほど深刻なものでもありました。

明日以降は、再び国労の記録を底本にアップッさせていただきます。


実際に、こうした運動に対して国労はマスコミを上手く活用することで、反マル生運動を展開することに成功します。
国鉄部内誌の国鉄線の昭和46年11月号世論アラカルトというタイトルで、当時の新聞記事の内容がでていました。

記事は、昭和46(1971)年9月の新聞記事について書かれたものであり、東京新聞が、「国労、勤労を敵視し、鉄労を保護するような印象を与えるならば、生産性向上の目的はとうてい達成できまい。」と国労動労擁護の論調である他、読売新聞も当局側の「安易で一方的な労務政策を進めてきたことに対する不満の累積があることは否定出きない」とこれまた批判的な内容となっています。
また10月1日の朝日新聞も、「生産性運動が「良識者」を育成する運動にすりかえられていることである。元来、所属する労働組合を基準にして「いい職員」「悪い職員」と色分けするやり方は本質的に誤りだと思う。」と一部管理者が鉄労組合員を増やすことが労務管理だと誤った認識をしたことに対する批判をしています。

 

以下、国鉄線昭和46年11月号から引用

国鉄におけるいわゆるマル生運動とこれにからむ不当労働行為等の問題が、連日のようにとりあげられている。まず、二十四日、東京は社説で、「火の車の経営に苦悩する国鉄当局が、その改善のための一方法として生産性を向上させようとする事情は理解にかたくない。しかし、問題はその進め方である。国労、勤労を闘争至上主義として敵視し、一方、鉄労を協力的として保護するような印象を与えるならば、国労動労の反発を招き、生産性向上の目的はとうてい達成できまい。
・・・・国労、勤労を過激にさせた根因には、公企体労働者の労働基本権が制限されていること、その制限に当局側が寄りかかって安易で一方的な労務政策を進めてきたことに対する不満の累積があることは否定出来ない・・・」とし、「むろん国労、勤労にしても、その合理化反対闘争、たび重なるストなどには自省すべきであるが、とくに当局側の労務対策の姿勢転換を求めざるを得ない。」と主張している。
*****中略****
朝日も「気にかかることの一つは、生産性運動が「良識者」を育成する運動にすりかえられていることである。元来、所属する労働組合を基準にして「いい職員」「悪い職員」と色分けするやり方は本質的に誤りだと思う。重要なことは全員が誇りある再建にかかわっているという共通の認識を生み出すことではないか。・・・国労も硬直的な姿勢を変えてほしい。険悪な国鉄の労使関係も、原因の大半は双方が全く意思疎通を欠いていることによる。
ストの時だけでなく恒常的な労使協議のルールをこの機会にぜひ確立することを望む
」と結んでいる。

 こうした記事に対して、当局の見解としては、組合による差別をすることなく、まして不当労働行為と認められるような行為をし無いことはもちろんであるが、組合側も闘争至上主義に陥ることなく、冷静にテーブルに着くべきではないのかと結んでいます。

結果的には磯崎総裁が当局側の不備を認める形で収束したことから、組合側としては更に過激な現場による労働運動が進められることになり、現場管理者の苦悩が続くことになりました。

 

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