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国鉄労働組合史詳細解説 44

国鉄分割民営化はスト権ストで検討された?

75年に行われた、スト権ストは、政府も公務員並びに公共企業体職員のスト権を容認する方向で動いていた時期もありましたが、スト権問題を検討していた公共企業体等関係閣僚協議会という専門委員懇談会では、当初から「事実上、国鉄や郵政などの官公労働者のスト権を認めない」と言い方針を堅持しており、更にはこうした公企業に対して民営化(国鉄の場合は分割を含む民営化)を検討していたといことは注目に値します。

 「現在の主流をなす労働組合の体質とその実績からみて、当然の権利として、争議行為が繰り返されることが予想される」 とした。
こうした観点から、意見書は、争議権問題を労使関係の見地からだけで処理しようというのは 「真の解決」 にはならないとして、この問題は経営形態とともに検討されねばならないとうたったのである。

国鉄分割民営化は土光臨調でいきなり出てきたわけではなく、この時点ですでにその萌芽があったと言えましょうか。

増え続けた国鉄赤字

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運輸白書昭和51年度から引用

国鉄の決算を見ていますと、昭和39年度の赤字決算以来毎年赤字を重ね昭和43年には累積積立金を取り崩してしまい、昭和46年度には償却前の赤字を計上、昭和48年度には負債総額が資産総額を上回るいわゆる資本マイナスの状態に追いこまれるわけで、運輸省から分離した国鉄は、運輸省に対して対立する存在から、協力を求める、さらには応援を求める立ち位置に変わっていくこととなりました。
日本の交通の不幸は運輸省国鉄が独自に交通体系を作ろうとしたことに不幸があったと個人的には思っています。

ただ、この辺のお話は労働組合のお話から外れますので別の機会にさせていただこうと思います。

スト権ストの後に設立された「公共企業体等基本問題会議」

さて、昭和50年(1975年)のスト権ストは国鉄労組にとっては敗北でしたが、その後政府は、公労協の問題を話し合うために、公共企業体等基本問題会議を昭和53年(1978年)1月に発足させました。

この会議で答申された内容は以下の通りで、国鉄ローカル線の分離民営化まで踏込んで答申されていると言うことです。

同年の6月19日には、公共企業体等基本問題会議は下記の意見書を提出しました。

  • 国鉄地方線
  • たばこ専売
  • アルコール専売の民営移管・争議権付与
  • その他(国鉄幹線系)及び郵政・電々公社・造幣・林野は現状 維持
  • ただし労使関係正常化のための労使の話合いの場を設ける

こうして労使のトップクラスの話合いの場として,公共企業体 等労働問題懇談会が設置されました。

この時点ですでに地方ローカル線は分離する方向性が打ち出されていたことであり、これがその後の国鉄ローカル線廃止の際の参考にもなっていったと思われます。

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公労協と公共企業体等基本問題会議

公労協は、初めは公共企業体等基本問題会議を無視する方針をとったそうですが、12月になって政府から「組合側の意見を十分参考にする」との回答があったことで公労協側も態度を軟化、出席して意見 を述べることになったそうです。

昭和53年(1978年)1 月13日、国労を皮切りに組合側の意見陳述に入ったそうで、国労意見は下記のような内容だったそうです。

  1. 基本的には労働基本権の全面一律禁止は認められない。しかし、公共輸送を担う労働組合の基本的姿勢として、ストの予告などの一定の制限も否認するものではない。
  2. (略)
  3. 国鉄の経営形態について、分割民営化ともに認めることはできない。公労法を撤廃し、日鉄法、営業法の制約を撤廃し、国鉄当局の当事者能力の回復を求める。分割・民営化などの経営形態の変更は真の国鉄「再建」にはなりえない。

 ということで、国労側の資料では2番目がどのよう内容であったのかもう少し調べてみないと判りませんが、少なくとも国鉄の当事者能力の回復を組合が求めていることは、組合としても国鉄の現状が縛られた巨人あることを理解していたと思われる点。

また、公共輸送という視点から争議権についても一定の制限は認められるということで、何でも反対という視点からの反対でないことが伺えます。

 

なお、この章は長いので改めて後半についても別に解説をさせていただきます。m(__)m


*1公労協

 

*************************以下は国労の底文になります。*********************************

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第8節 国鉄民主化要求闘争

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 2 スト権回復立法構想の提起
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┌─────────────────────────────┐
├○ 公共企業体等基本問題会議をめぐる動向とスト権立法構想 │
└─────────────────────────────┘

 スト権ストの最中、75年12月1日の政府声明に基づき、76年1月の閣議で、公共企業体当基本問題会議の設置を決め、7月に発足した。そして、公社な どの①経営形態、②当事者能力、③法令関係の三つの懇談会に分かれて、77年秋までに調査・ヒアリングを終え、78年6月には「結論」をだすというスケ ジュールで審議を進めていた。国鉄関係では、77年10月に鉄労、全施労の意見聴取が行われた。国鉄総裁も、意見を述べた。公労協は、初めは公共企業体等基本問題会議を無視する方針をとった。だが12月、政府から「組合側の意見を十分参考にする」との回答があり、出席して意見を述べることにした。78年1 月13日、国労を皮切りに組合側の意見陳述に入った。国労意見は、次のような内容であった。

 ① 基本的には労働基本権の全面一律禁止は認められない。しかし、公共輸送を担う労働組合の基本的姿勢として、ストの予告などの一定の制限も否認するものではない。
 ② (略)
 ③ 国鉄の経営形態について、分割民営化ともに認めることはできない。公労法を撤廃し、日鉄法、営業法の制約を撤廃し、国鉄当局の当事者能力の回復を求める。分割・民営化などの経営形態の変更は真の国鉄「再建」にはなりえない。

78年2月の第121回拡大中央委員会では、6月に予定されている基本問題会議の答申が、スト権論議どころか、国鉄の分割・民営化の方向に傾きつつある状 況を踏まえ、スト権奪還闘争の筋道と自らのスト権回復の立法構想を明らかにし、基本問題会議の答申起草作業に一定の圧力を加える必要を決めた。
 その決定に基づき、学者、弁護士、本部役員からなる「スト権立法対策委員会」が78年3月1日、第1回委員会を開き作業を開始した。78年5月の国労第122回中央委員会には、「スト権回復・立法要求」案が提案された。
 その内容は、まずスト権問題を立法によって解決する場合の基本的前提を述べ、ついで国民生活との関係でスト規制が考えられる諸類型を挙げ、その類型に沿った対応策を提起したうえで、「立法要求の骨子」を次のように提示した。

 

① 全面・一律スト禁止法規の撤廃を
 ② 「国民生活」上の不利益との対応は、労調法上の規制に一元化を
 ③ 「経営形態」論とは別個・無関係なスト権確立を
 ④ 財務民主主義との関連は、国の特別の財務支出の場合に限定を
 ⑤ 国営事業における労使関係の特殊性にみあった、迅速な事件処理のために公労委の  存置を
 ⑥ 労組法・労調法への一元化を原則に、国営事業における労使関係の特殊性にみあっ  た例外的措置に関する特別法として、公労法の縮小・存続を

 この「立法要求の骨子」の各項目にはコメントがつけられ、最後に、「われわれとしてはギリギリの立法要求なのである」と結んだ。中央委員会では、書記長の集約答弁を経て、「当面の闘争方針』とともに承認sれた。そして、「立法要求」を基本問題会議と政府に提出した。
 78年6月19日、公企体等基本問題会議の「意見書」が政府に提出された。これは三つの懇談会の三報告書に、「本文」は、大要次のような意見であった。

 ① 民営等への移行で適切なもの(国鉄の地方線は特殊会社に、たばこ・専売は民営   に)は、移行実施後に公益事業としての制約をうけることはあっても争議行為は認め  られる。
 ② 国有・国営形態を維持するもの(国鉄幹線、電電、郵政、林野など)は、現時点に  おいて争議権を認めることは適当でない。

 この「意見書」は、1980年6月6日、「公共企業体基本問題意見書に関する検討結果報告書」として公表された。その内容は閣僚協専門懇意見書の考え方 の延長線上にあり、最高裁判例を下敷きにし、一層ひどい内容の労働基本権規制を盛り込んでいた。もちろん、国労の「立法要求」などは一顧だにしなかった。 これが、スト権ストを経て、70年代末、80年代初頭、政府、財界の労働基本権問題に関する総括的意見であった。
続く

*1:( 正式名称は公共企業体労働組合協議会。いわゆる三公社五現業労働組合で、昭和28年(1953年)のベースアップ闘争を契機に結成されたもので、いずれも総評(日本労働組合総評議会)加盟の9組合(国労動労全逓全電通全林野、全専売、全印刷、全造幣、アルコール専売)で構成され,かつて日本官公庁労働組合協議会の中心勢力。)