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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 48

 

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国鉄改革の直接の引き金となった第2臨調ですが、国鉄という存在自体が最初から中途半端な形でスタートしたことにその問題があったわけで、臨調のお話をする前に少しだけ振り返ってみたいと思います。

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下記サイトから引用しました。

bizacademy.nikkei.co.jp

  1. 国鉄職員の身分が、公務員ではないが、民間企業の社員でもない。(スト権の否認など)
  2. 税制も中途半端な形であり、その整備が遅れたと言われています、その後その煽りもあって昭和30年代地方交付税が不足した時に3公社に対して「市町村納付金」として、地方税法で定める固定資産税の代わりに納付する事が定められ、国鉄の場合、鉄道線路等もその対象となるためその額は巨大なものとなりました。(駅舎等は、固定資産税の対象となっていた)
  3. スト権がないので、本来はストをできないはずですが、スト権をよこせという違法ストライキが行われ、結果的には国民の信頼を失う結果となりました。
  4. 元々、公務員なのか民間企業なのかあいまいなうえ、国からも同様に曖昧な位置づけとされたため結果的に政治に翻弄されることとなりました。

といった具合でしょうか。

行政改革の進展、第二臨調発足

鈴木内閣の目玉であった行政改革は、土光敏夫経団連名誉会長に要請することから始まりました。

就任に際しての条件は、

  • 首相は臨調答申を必ず実行するとの決意に基づき行政改革を断行すること。
  • 増税によらない財政再建の実現。
  • 地方自治体を含む中央・地方を通じての行革推進
  • 3K(コメ、国鉄、健康保険)赤字の解消、特殊法人の整理・民営化、官業の民業圧迫排除など民間活力を最大限に生かすこと。

の4箇条の申し入れを行い、実現を条件とした。

と言われています、また、私生活は非常に質素であったと言われており、「メザシの土光さん」というイメージが定着したと言われています。

臨調の委員については、土 光氏のほか、円城寺次郎氏(日本経済新聞社顧問)、林敬三氏(日本赤十字社社長)、宮崎輝氏(旭化成工業社長)、瀬島龍三氏(伊藤忠商事会長)、辻清明氏 (国際基督教大教授)、谷村裕氏(東京証券取引所理事長)の他に、労働界代表として丸山康雄総評副議長(自治労委員長)、金杉秀信同盟副会長(造船重機 労連委員長)の九氏が選出、専門委員二一人には、労働界から鶴園哲夫元全農林委員長、山田精吾政策推進労組会議事務局長を選ばれました。

 このほか、臨調は、 四月にかけて顧問五人、参与四九人を各界代表として選出、槇枝総評議長、宇佐美同盟会長、竪山中立労連議長の各氏も選ばれましたが、臨調の審議に加 わるとされたこれら委員、専門委員、顧問、参与は、国労が指摘しているように6割を財界・官界の出身者が占め、労働界からはわずか3人の参加にとどまったことが批判の的とされました。

また、非公開、多数決の運営が確認されたとのことです。

労働運動側から見た時、行革はどう映ったか

意外と柔軟だった総評

総評は、第二臨調の発足に対し下記のような方針を決定した。

  1. 国民生活のニーズに直結 した民主的行政改革の取組を強めること
  2. そのために積極的提言や対策を国民の前に示すことをかかげ、「積極的かつ大胆に対応していくことが80年代戦略の観点からも重要」と国民的行革の推進を強調しつつ、転換に応じる意向を明確にするなど臨調の審議方向へ柔軟な姿勢をみせた。

ということで、非常にこの点は重要視すべきことではないかと思います。

特に配置転換問題に関しては、「かつて三井三池鉱山閉鎖時にとった措置 同様、雇用先を明確に打ち出すこと」といっそう具体的かつ柔軟な姿勢を示したとされており、何でも反対ではなくより合理的な判断をしていたと言う点が注目されます。

同盟も異論はなく賛成に

 同盟は、評議会で「行政改革に関する国民運動の展開と第二次臨時行政調査会への対応について」を決め、政策推進労組会議、金属労協、化学エネルギー労協とともに、第二臨 調に呼応して行革推進に協力する方針を明確化。四つの労働団体は「行政改革推進国民運動会議」(略称・行革推進会議)を個人参加の形で発足させるなど積極的な動きを伴っていました。

翌年昭和57年には、国鉄に関しては分割民営化の方針が決定されたと言われています。

臨調の基本方針

大原社会問題研究所の資料から引用させていただきます。

法政大学大原社研 1982年国鉄分割・民営化問題についての臨調「基本答申」の特徴〔日本労働年鑑 第57集 038〕

分割・民営化方針の確認

 臨調の第四部会は八二年初めから分割・民営化で固まったとの報道もあったが、第四部会としては四月一七日に国鉄の分割・民営化の方針を確認し、四 月二〇日には素案をまとめた。五月一七日に電電公社・専売公社の民営化、国鉄の分割・民営化を内容とする部会報告を提出した。第四部会報告の内容は、八二 年七月三〇日の臨調基本答申(第三次答申)にすべて盛りこまれたが、基本答申ではいくつかの手直しがなされた。それは、分割案を具体化し「七ブロック程 度」としたこと、政府側の意向をうけて国鉄再建監理委員会を「行政委員会」(国家行政組織法三条)とせず、単なる「付属機関」(同八条)としたことなどで ある。

この時の案では全国7ブロックとされており、おそらく東北地域が分割されていたものと推測されます。

 

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指摘された、公社制度の理念と現状の問題点

下記のように、臨調では国鉄の現状と問題点が指摘されました。

重要な指摘をされていると思われます。

 「公共性と企業性の調和という理念に基づき設置された」公社は、現状をみると「企業性が発揮されているとはいえず、その結果、果たすべき公共性さ え損なわれがちであり」、公社制度への疑問が生じているとし、制度改革の必要性を説き、つぎのような公社制度の問題点をあげる。第一に、「公社幹部の経営 に対する姿勢について」、国会や政府による外部干渉が経営責任を不明確にし、安易感を生み、労使関係でも当事者能力が不十分なため、賃金を除く「他の勤務 条件で安易な妥協」をする。第二に、労働者の側にも倒産の恐れがない「公社制度の上に安住し、違法な闘争をおこなうなど、公社職員としての自覚、義務感」 に欠けがちである。第三に、「公社に対する国民の過大な期待」が「公社の経営に負担をかけ、効率性を阻害する要因となっている」。以上の問題を解決するた めには、「単なる現行制度の手直しでなく、公社制度そのものの抜本的改革を行い、民営ないしそれに近い経営形態に改める必要がある」という基本的立場を明 確にして国鉄問題の分析に進む。

公社に対する国民の過大な期待・・・昨今で問題になっていますが、ローカル線問題など上げられると思います。この辺の問題はまた別の機会にでも取り組みたいと思います。

以下は、国労の本文になります。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第1節 80年代初頭の情勢と国鉄労働組合
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├○ 臨調”行革路線と国鉄「分割・民営化」 │
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 ついで81年9月、第2臨調は検討課題ごとに新たな4つの部会を設置し、第1部会「行政のはたすべき役割と重要行政施策のあり方」【部会長・梅本純正武 田薬品副会長】、第2部会「行政組織及び基本的行政制度のあり方」【部会長・山下三井造船会長】、第3部会「国と地方の機能分担及び保護助成・規制監督行 政のあり方」【部会長・亀井正夫住友電工社長、日経連副会長】、第4部会「三公社五現業特殊法人等のあり方」の初会合を順次開いた。部会を構成するメン バー延べ78人のうち、6割を財界・官界の出身者が占め、労働界からはわずか3人の参加にとどまった。国鉄問題の審議は9月7日に設置された「三公社五現 業、特殊法人等のあり方」を検討する第4部会に委ねられ、第4部会長には加藤寛慶応義塾大学教授が就任し、部会長代理を2名おき、専門委員7名、参与9名 の構成でスタートした。こうして週1回といわれる早いペースで基本答申に向けた活動が開始された。
 さて、1982年になると、国鉄「改革」をめぐる動きは、臨調第4部会での討議と併行してその内部情報のリーク【意図的漏出】とともに、いわゆる自民党 三塚委員会の活動と提言、マスコミ上での国鉄「破産論」や国労敵視キャンペーン、そして国鉄内における「太田労政」の展開などが相互に関連しあいながら文 字どおり国鉄つぶしを狙った国鉄「分割・民営化」論が、第2臨調第4部会報告を経て7月30日に第三次答申【基本答申】へと急展開していった。第2臨調の 第三部会長をつめ、後に国鉄再建監理委員会委員長に就任した亀井正夫日経連副会長は「国労動労を解体しなければダメだ。戦後の労働運動史の終焉を、国鉄 分割によって目指す」と語っていたという(『文芸春秋』1985年9月号所載の内藤国夫国鉄落城前夜の修羅場」による)。

続く