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国鉄労働組合史詳細解説 50

本格的な労働統一戦線構想始まる

昭和53年(1978年)以降の労働運動方針は、春闘方式による対立による賃上げから、全日本金属産業労働組合IMF-JC)略してJCが提唱した、無駄な労使対立は行わず徹底的に話し合う労使協調を提唱した運動が広がりつつありました。

労働者はストライキをしない代わりに使用者は「従業員の雇用を守る」「成果配分は、労働者・経営者・消費者で均等に配分するなど、株主優先の欧米型の経営とは大きく異なる「日本型資本主義」といいますか、高度な日本型社会主義とも言える状況がその背景にありました。

公労協とは一線画すこととなる「この指とまれ方式」の結集

そうした中、1980年9月20日に労働戦線統一推進会が発足し、総評加盟の鉄鋼労連や中立労連の電機労連、純中立の 自動車総連等の委員長が「統一準備会の合意形成の場として必要な諸活動」を開始したそうですが、協議を重ねていく中で、1981年5月1日、「民間先行による労働戦線統一の基本構想」を発表するに至りました。

基本構想は、

  1. 運動の基調(理念)
  2. 情勢の基本認識
  3. 統一の必要性と目的
  4. 統一の進め方
  5. 全的統一への展望

と言う構成となっており、統一労組懇の排除など反共・選別結集の性格をも備えていたそうです。

 

5月2日付の朝日新聞朝刊が上手く表現していますが、”この指とまれ”方式で「まず 運動の基調を示し、この路線に賛成の組合は集まれというやり方でした。

その辺を少し大原社会問題研究所の資料から引用してみたいと思います。

 統一推進会が進めている民間労組の結集構想は「この指とまれ」方式である。まず運動の基調を示し、この路線に賛 成の組合は集まれ、というやり方。その意味では、「労働戦線の統一」というよりも、「再編成」に近い。統一推進会の動きには、野党再編成の土壌づくりに向 けた政治的戦略も秘められているとみられ、それだけに、民間労組の結集といっても、そう簡単ではないようだ。

  統一推進会の〃指〃にどの範囲の組合が結集できるかは、「ハードルの高さ」によって決まる。このハードルの役目になっているのが、基本構想の中の 国際自由労連問題と、統一労組懇問題。新しくできる協議会が反共色の強い国際自由労連加盟を前提とすることが明確になれば、総評主流派の多くがハードルを 越えられない。共産党系の統一労組懇を排除するかどうかも同じ問題だが、固有名詞を削除したものの、反共色はかなり鮮明に出している。

  このハードルの高さを六人の統一推進会メンバーで決めるのはどうか、という声も労働界には根強い。まして、「選別結集方式による再編成は反対」 との原則をとる総評にとっては、受け入れにくい問題。総評側がクレーム(苦情)をつけて国際自由労連問題の決着を先に持ち越したのも、こうした事情を背景 としている。

法政大学大原社研 労働戦線統一基本構想について、発表以後の労組の対応〔日本労働年鑑 第52集 071〕

ただし、民間先行で進んだ統一懇ですが、総評は公労協を抱えていることもあり、基本戦略では賛成としながらも、 動労国労などからは、戦線の在り方に異論が出され、一元化はなかなか難しいところが多々あったようです。

国労などは明確に統一労組懇には反対を示した。

この点は、以下本文に出てきますが、「(1981年)七月二〇日からの総評第六三回定期大会は、統一準備会参加をめぐって、鉄鋼労連、合化労連、電通労連、全日通が参加の方針を固めている一方、運輸一般、 医労協、全日自労建設一般が「基本構想」反対の態度を明確にしている、という状況のもとで始まった。富塚事務局長提案による本部提案は、まず「基本構想」 について「大筋において理解するが、問題点も多いので、団体間協議などを通じて合意が得られるよう努力する」というなんとも苦しい言い訳に終始する発表が行われました。

そこで、総評が発表した5項目補強意見、それは下記のようなものでした。

  1. 全的統一への展望
  2. 官公労働者全体の話し合いのためのテーブル設置
  3. 労働基本権の確立
  4. 国際自由労連加盟を前提としない、
  5. 「基本構想」はあくまで民間 先行の構想

    ということで、総評は基本的には統一労組懇には積極的に入れないよ、もしくは入れないよと宣言したようなものです。

ちょっとまとまりがないのですが、また機会を見つけて加筆させていただきます。

申し訳ございません、正直学ぶことが多くて自分の中で整理しきれていない部分も多々ありますので・・・。m(__)m

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第1節 80年代初頭の情勢と国鉄労働組合
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├○ 臨調”行革路線と国鉄「分割・民営化」 │
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 その間、同盟は78年1月の定期大会で、国際自由労連指向・官公労働運動の民主化推進とともに「当面、民間労組を中心に再編統一をめざす」方針を決め、 翌79年2月には中立労連と新産別が総連を結成して「民間先行結集」を進める方針を決めた。又、総評加盟の鉄鋼労連は78年9月の定期大会で政権会議が民 間労組結集の基板となり結果として統一の足がかりとなりうるとの立場から「民間労組の戦線統一の80年代初頭での実現に全力をあげる」との方針を決めた。 こうした流れのなかで総評は、79年7月の定期大会で「全的統一を目指しつつ具体化にあたって民間先行を認め」る方針を決めたが、しかしこれは従来の「官 民一体とする全国的統一の原則(統一4原則、7方針)の変更であった。そこで、総評民間単産会議は早速、労働戦線統一問題に積極的に取組むことを確認し た。
 1980年9月20日に労働戦線統一推進会が発足した。総評加盟の鉄鋼労連・全日通、同盟加盟のゼンセン同盟、電力労連、中立労連の電機労連、純中立の 自動車総連の委員長・会長を構成メンバーとし。民間労組の統一を推進する目的をもって「統一準備会の合意形成の場として必要な諸活動」を開始した。統一推 進会は、翌81年5月1日に「民間先行による労働戦線統一の基本構想」を発表し、つづいて6月3日には「民間先行による労働戦線統一準備懇への参加要請」 を発表した。この「基本構想」は「運動の基調」とともに「全的統一への展望」という柱をもってはいたが、民間先行の戦線統一を妨害する団体への毅然たる対 応、国際自由労連との連携強化、公労協働界自身の統一への努力要請など問題点をはらんでおり、「朝日新聞」が解説したように”この指とまれ”方式で「まず 運動の基調を示し、この路線に賛成の組合は集まれというやり方であった。
 この「基本構想」をめぐっては、各ナショナルセンターのなかや各単産の間で賛否両論が表明され、同盟は早くも統一準備懇設置に向けて動きだした。 また総評は、「基本構想」に大筋で理解を示しながらも、官公労働者を含めた全的統一への展望、労働基本権の確立、国際自由労連加盟問題などについて、これまで の経緯を踏まえながら、①国民春闘路線の継承。発展②反自民勢力、全野党との共同闘争の展開③全的統一は多様なエネルギーの必要と全逓、選別方式は絶対 にとらない。④中小企業労組、未組織労働者に対する援助、共同の組織対応、⑤企業主義の克服、たたかう運動目標の明確化などの「五項目補強見解」を提示 し、総評としては統一して対応することを決めた。しかし、具体的には統一準備懇への参加は足並みが揃わなかった。
 国労は81年7月27日からの第42回定期全国大会(釧路)において、この「基本構想」が「戦後労働組合運動を全面的に否定した方針である」と指摘する とともに、「これに同意できないことはあきらかである」との方針を決定した。またこの大会では、中央執行委員長が次のような特別発言を行った。

 「統一推進会の基本構想は、たたかう労働組合の破壊と総評分断・解体の策動であり、労働組合の資本への従属と軍備拡大路線を推進するものであります。し たがって、基本構想に対するわれわれの態度は、階級的労働運動をめざす国労綱領と運動方針に照らして容認することはできませんし。反対であることは明らか であります。
 総評の5項目補強意見は、日本の労働組合の現状を真剣に憂うる労働者と労働組合の苦悩の所産であります。国労は、補強意見を支持するに当たって、決して 基本構想の容認を前提としておりません。したがって、本部は階級的労働組合運動の構築を目指して、補強見解を日取低の条件として、職場・地域から学習会、 共同行動を組織するなど、全国的な運動を展開するための指導を行う考えであります。

 しかし、民間先行による労働戦線統一、再編の動きは急ピッチで進展し、81年3月「労戦統一準備懇」発足(39組織、378万人)、82年3月、同盟と中立労連傘下組織、総評からは鉄鋼労連、合化労連など5組織が参加して「全民労協」が発足した。
 さらに、全民労協発足当時参加しなかった私鉄総連・全国金属などの総評系8単産は、翌83年3月に全民労協に加盟し、全民労協は49単産480万人と なった。ところで、この時期に特徴的であったことは、労働戦線統一の流れと並行して”第二臨調”行革路線が明確な形を持って展開し始めたことに対し、民間 先行労働戦線統一、再編の主流になった同盟や民間大手企業労組が行政「改革」推進の意見を表明していたことであった。
 81年3月16日、第二臨調が発足してすぐの3月25日、同盟、政策推進労組会議、金属労協、化学エネルギー労協の労働四組織を中心に民間有識者が加わり「行政改革推進国民運動会議(行革推進会議)が発足し、行革断行を求めるアピールを発表した。

続く