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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 61

マスコミの国鉄問題キャンペーンと国鉄当局

昭和57年(1982年)初頭からはじまった国鉄問題キャンペーンは、今までの国鉄内の慣行がマスコミを中心に明るみにされ、国鉄再建問題ともからんで国民的関心になっていきました。

臨調による意図的なマスコミ操作も加わって、国鉄=悪というキャンペーンに拍車がかかっって言ったと言えましょう。

国鉄改革共闘委員会」で対抗する組合

当時の事情について、大原社会問題研究所、日本労働年鑑 第57集 1987年版の「国鉄分割・民営化問題」特集の
III 分割・民営化と国鉄労働組合運動

を参照しますと、当時の国労動労と鉄労の告発合戦のようなところも見られますが、これはそうすることで鉄労にしてみれば利得であると考えていたようです。

また、マスコミ攻撃に対し、国鉄関係四労組(国労動労、全施労、全動労)、は国鉄問題=国鉄労使問題とすり替えられないように、「国鉄改革共闘委員会」を作り広く国民全体の問題としていくことを目的とし、本格的に対抗していきました。

以下、引用させていただきます。 

こうしたマスコミ報道にたいし鉄労は、国労動労などの職場における行動を内部告発することで豊富な事例を提供しており、労・労対立も深刻さを加えた。

 マスコミの総攻撃にさらされた労働組合は、八二年二月二二日に共闘組織を結成した。総評・新産別と国鉄関係四労組(国労動労、全施労、全動労)の間で「国鉄改革共闘委員会」が国鉄問題を国鉄労使問題に矮小化することに反対し、広く国民全体の問題としていくことを目的にして発足した。翌二三日に国労本部は「反国労キャンペーン対策本部」を設置した。

  この頃から、今まで弱腰と思われていた国鉄当局の姿勢は、次第に変わっていくこととなりました。

 運輸大臣からは、昭和57年(1982)3月4日、国鉄に対して職場の総点検を行うように指示、「いわゆるヤミ手当や突発休ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行などについては、誠に遺憾なことであり、これら全般について実態調査をおこなう等総点検を実施し、調査結果にもとづき厳正な措置を講じることが必要である。」と言う依命通達を発出、さらに、この指示を受けて国鉄では同年3月5日に総裁通達「職場規律の総点検及び是正について」を発し、全国四八三一ヵ所を対象に調査を開始することおなりました。

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外圧により国鉄が変わったと見ることもできますが、高木総裁時代に労務政策に対する方針転換が行われたことは特筆に値します、元々総裁を引き受ける際には、労使問題はタッチするなと大平首相から言われて就任しただけに、非常に重要な変換点であったと思われます。

国鉄当局内でも方針が変更される

「職場規律の総点検」の結果は4月23日に運輸大臣に提出されますが。この三日前に当局は、労務担当常務を変更します。

これは、自民党民社党*1などから「職場荒廃の責任者」として労務担当常務の更迭を要求されていたもので、ハト派といわれた常務理事を更迭して大田職員局長が就任しました。この人事に関して高木総裁は。「路線変更と受け取られても結構だ」と語ったといいうように、今までの路線を決別したという点は大いに注目されることだと言えましょう。

激減した悪慣行

 国鉄問題について、当時の総点検結果が、国鉄部内誌、国有鉄道に掲載されていましたのでそこから一部引用させていただきます。

運輸大臣国鉄当局に対し、「いわゆるヤミ手当や突発休・ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪貫行などについては、誠に遺憾なことでありこれら全般について実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である」との指示を出した。」に基づき、悪慣行是正のため、国鉄当局は太田職員局長を中心に動き始め、昭和57年7月と9月の2回の点検結果では約2か月の間でも大きくその変化はあったと言われています。

少し長いですが、個々に引用してみましょう。

なお、この記事自体は12月に書かれたものであり、前回と書いている数字が3月調査時の数字となります。

  • ヤミ休暇について

ヤミ休暇・・・所属長の承認を得ないソフトボール大会や組合大会などへの参加などが該当するそうで、7月 1,252か所 12月 59か所

この他に管理局等の是正方針は明確になっているが、時期がこなければ確認できないものとして,年末年始休暇の増付与,忘年会・新年会等で,72カ所に残っている。

公労法に基づく専従以外の者で専ら組合活動に従事しているのは,前回241名で,今回7名である。

  • 勤務時間中の組合活動

前回は1,293カ所にあったが,今回は305カ所である。内容としては,組合情報誌の印刷・配付,ピラ作成,組合費徴収,労金事務が多く,支部・分会大会,委員会等の開催もある。

  • いわゆる勤務解放

ボーナス支給日などに、勤務日の早帰りおよび遅出で賃金の減額をしていないもの。
給料日,手当支給日の早退は,前回424カ所にあったが,今回はすべて解消した。また,前回909カ所にあったそれ以外の早退は115カ所,前回1,330カ所にあった現協等の開催前後の勤務解放は47カ所である。

など数多くの慣行が明らかになっていきました、正直これはダメと思わせる内容がある反面、時代の流れもありますが、下記のような部分は作業の効率等を考えると必ずしも反対なんだろうかと思ってしまう部分もあったりします。(あくまでも私見であることをお断りしておきます。)

  • 勤務時間内の入浴

前回1,677カ所にあったが,今回は583カ所である。そのうち作業ダイヤに組み込まれている箇所が4カ所ある。
休憩時間および睡眠時間のいわゆる増付与前回784カ所にあったが,今回は80カ所である。
三交代夜勤勤務においては,本来睡眠時聞はないのであるが,実態として,恒常的に睡眠をとっている箇所は,29カ所である。

 少なくとも、臨調と言う外圧はあったとはいえ、国鉄発足当時から続く国労偏重の政策から決別し、新しい時代に入ったと言えましょう

 

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動労は、スト権ストの失敗以降、その方針を少しづつ変更した節が見受けられ、今回のヤミ手当処分問題でも全額返済するべきと言う方向で動くなど、国労とはその歩調は合わなくなっていったと言えましょう。

更に、国鉄当局は五月末までにブルートレインのいわゆる「ヤミ手当」を返済するよう関係職員に返納通知書を出しました。

なお、この行為に対して国労動労ではその動きに微妙な違いを見せることとなりました。

すなわち、国労と全動労が、手当返納に対して反対と言う立場をとったのに対し、動労は組合として返還に応ずることを決定したわけで、動労の対応は「四組合共闘会議」が崩壊する最初のきざしで有ったと言えます。

実際には、貨物列車の削減などにより危機感を持っていた動労であったからこそ、より現実的な判断をしたともいえます。

この頃から、国労動労は次第にその歩調を異にすることになりました。

次章では、現場協議協約の改訂案について調査の上発表させていただきます。

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 三 「太田労政」の展開とその特徴│
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 いわゆる太田労政の展開

 「国鉄問題」は、反国鉄労働者のキャンペーンが開始される中で、1982【昭和57】3月4日、運輸大臣国鉄当局に対し、「いわゆるヤミ手当や突発休・ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪貫行などについては、誠に遺憾なことでありこれら全般について実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である」との指示を出した。
 これをうけて国鉄当局は、翌日ただちに「職場規律の総点検及びぎおぎ是正について」と題する総裁通達を全国に発した。その点検項目は、
 (1)悪慣行・ヤミ協定等【勤務関係と作業執務関係、その他】
 (2)現協制度の運用実態
 (3)昇給・昇格、昇職問題
 (4)管理者問題(下位職代務・年休消化など)
 (5)服務・接客サービスの実態などを、総点検し報告せよというものであった。
さらに、全国の現場管理者に総点検に関する事務連絡を送達し、その徹底を指示した。(3月10日)。そして、4月23日にいたって当局は、4,831ヶ所(集計4,439ヶ所)を対象とした「職場規律の総点検結果について」を運輸大臣に提出した。

続く

*1:社会党右派から分離したグループであり、その後初代民主党設立時に解党しました、)