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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 97

長らく開けてしまいましたが、再開したいと思います。

今回も、国労の資料を底本に展開させて頂きます。

国労が過員センター【国鉄当局の名称は、人材活用センター】ですが、その実体ということで、営業補助【特別改札などの他、今まで協力会社が行っていた下請け作業の直営化等が行われたと記録されています。

また、直営売店などへの転出なども行われ、一部の組合員は、正規の名札を着用せず、元所属の名称を書いた名札を着用するなどの行為が見られました。

なお、国労の記述では

国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

さて、ここで下記の記述に関しては既に、前回の 96号にも詳しく書いていますが、実際の国労組合員の考え方は、どのような物であったのかと言うことを、国鉄部内誌、国有鉄道の昭和59年10月号を参照しながら当時の国労の考え方を見ていきたいと思います。

 

whitecat-kat.hatenablog.com国労は、この時点でまだまだ分割民営化は覆せると考えていた。

国労大会は、昭和59年8月20日から23日まで静岡県伊東市で開催され、挨拶に立った、武藤委員長は下記のように挨拶をしています。

引用させていただきます。

武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、

 

  1. 政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化
  2. 反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化
  3. いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化

の3つだと述べた。同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。
また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

として、国労としてはまだまだ、この時点で、勧奨退職、一時帰休、出向を強く拒否するとしています。

結果的には、採用において明暗を分けることになるのですが、当時の国労では、下記のように、国労の弱体化を図るもので、容認できないとしていました。

国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

 動労との協調を期待する総評

総評は、国労並びに動労は、全逓日教組と並び公労協の主要な組織で有り、動労と共闘できるところは協同して欲しいと呼びかけていますが、最終的には動労は総評と袂を分かつこととなりますが、この頃は未だ動労としても、過員の問題など共闘できるところは協力すると述べています。

この辺は、当時の公企労レポートなどを参照していく必要があると思っておりますので、改めてその辺は書き加えることが出来ればと考えております。

以下、引用させていただきます。

来賓挨拶では真柄植評事務局長が「分割・民営化問題に積極的に対応していくが、動労ともそれに反対という一致点があるならぱ戦略的に対しても一致できるよう努力してほしい」とし、動労から久方ぷりに出席した福原書記長は「総評大会でも共闘への努力を明らかにしている。余剰人員問題は一過性ではない。総評強化lこしても国労が最大組織としての中心軸になって翼う任務がある」と述べた。

国労の運動方針は、国鉄分割民営化阻止

小町副委員長の経過報告に続き、山崎書記長が84年度運動方針案を提案した。その骨子は「分割・民営化を阻止し、国鉄労働者と関連労働者の雇用と労働条件を守る」など。同書記長は細部の説明に入るまえ、冒頭の委員長挨拶にもあった「もはや黙って嵐が過ぎるのを持つ態度は許されない。立って闘う以外に道はない」旨を受ける形で「56歳以上の特別休職扱いには、組合機関もかかわり合う方法を確立したい」と述べた。

として積極的に、特別休職に対して反対すると共に、分割・民営化を阻止することを打ち出しています。

実は、当時の国鉄当局も分割民営化迄は、想定していないというか、分割民営化は反対しており、過員が解消できて、合理化が完成していれば、もう少しスマートな形で移行できるもしくは、分割は避けることが出来たと思うのですが、あまりにも国労既得権益に拘りすぎていたのではないかと、その後の流れを見ていると、個人的には考えてしまうのです。

なお、上記3項目(勧奨退職、一時帰休、出向)に反対するため、8月31日に3項目に反対する、全国統一半日ストライキを実施すると、国労の山崎書記長【後の委員長】集約答弁で回答しています。

この当時の国労と、動労、そして鉄労、それぞれの思惑が有りながらも中々交わらない、否、交われない、そんな風に思えます。

また、この頃の国鉄当局も組織温存の意識から、政府の力を借りて労使の正常化と今まで進んでいなかった合理化は進めたい反面、臨調が提唱しているような、分割民営化はしたくないというのが本音で有り、動労革マル派が機を見て、当局との協力体制を取って、積極的に出向などに応じたように、国労もそうした制度に対して理解を持って、3ない運動ではなく、修正した出向案であったり、合理化案に多少でも応じていれば、また流れは変わったと思うのですが、国労は、段々と意固地になって最後には総評の斡旋案も受け入れないほど、極端な状態になってしまうのですが、悪い面での国鉄らしさが見えたような気がするのは私だけでしょうか。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い


┌─────────────────────┐
├○ 「特例休職」募集の開始提案に対する闘い│
└─────────────────────┘

続き


 この間、国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

ここで書かれている「過員センター」は、一般には「人材活用センター(人活センター)」と呼ばれていたものです。なお、マスコミは余剰人員という言い方をしていましたが、国が行う業務関しては、全て定員が定められておりそれを超す人員を「過員」という表現をしています、「余剰」という言い方はいわゆるマスコミによる印象操作の一つとも言えるでしょう。

┌───────────────┐
├○ 「特例休職」募集提案の妥結│
└───────────────┘

 当局は、8月16日になって特例休職の具体的な取り扱いについて、
 ① 休職中の賃金は100分の100を支払う、
 ② 退職手当は規定第12条により整理退職の場合の退職手当を支払う、
 ③ 功績賞受賞者、勤続25年以上の者または勤続10年以上の者は4号奉昇給させる、

 ④ 退職発令日を1985年3月31日とする、という提案を行ってきた。
 国労は、この提案の直後の8月20日~23日に開かれた第46回定期全国大会(伊東)で「余剰人員三項目」提案の本質とねらいが、
 ① 「20万人体制」を具体化するために制度の確立をめざすものであって、今後とも合理化を強行し、さらに「過員」を作り出して国鉄の職場から放り出す「受け皿」づくりである。
 ② 「過員」は団結破壊、闘争力の弱体化、世論との分断をはかる思想攻撃の手段である、
 ③ 「雇用安定協約」の空洞化と事実上の破棄につながる
 ④ 国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

続く