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国鉄労働組合史詳細解説 105

国鉄当局の基本方策を監理委員会に提出

国鉄は、1985年(昭和60年)1月10日に、国鉄の経営形態のあり方について、下記のような経営改革のための基本方策として発表しました。

本文は非常に長文ですので、後ほど弊サイト【国鉄があった時代】で全文アップする予定ですが、一先ず新しい経営形態のあり方について言及した部分について書かせていただきます。

ポイントは以下のとおり

  • 公共企業体→民営化を行う
  • 民営化に際して徹底した分権化を前提としたに全国一体の特殊会社
  • 地方交通線については、全額出資の株式会社として分離運営  

下記のようなイメージになります。

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上の図でも出ていますが、北海道と四国も基本的には場合によっては分離しても良いとしています。
また、基本的には特定地方交通線は、転換した上で残る地方交通線は株式会社かすることとしています。
社会党案については、今後資料を集めてくる予定ですが、概ねこれに近いもので、70%の株式を国が保有する特殊会社で、ローカル線の分離などは考えられていませんでした。

以下は、国鉄が再建監理委員会に提出した、経営改革のための基本方策の抜粋になります。

「経営改革のための基本方策」

新しい経営形態(1)

経営形態の変更今回の計画は昭和65年度を目途に活力ある事業活動のもとに自助努力の限界に挑むことによって速やかに収支の均衡を図り、以後安定的な経営状態を維持することをめざしている。~中略~。
現行の国鉄は昭和24年に公共企業体として発足したが当初からその在り方が問われ国鉄自身も諸制約の緩和と事業範囲の拡大を望み続けてきた。しかし公共企業体の枠内での変更には自ら限度があり、かっそれは必ずしも適時適切に行われたわけではなかった。今後の輸送需要の見通しなどを考えると鉄道事業は極めて厳しい状況にあるととが予想されるが、刻々に変化し流動する社会経済の動きに的確かつ弾力的に対応し意欲的な経営が行えるよう現行の公共企業体という経営形態を変更し、民営化を行うこととする。

(2) 民営化の具体的あり方

現行国鉄経営の現状は特性を発揮できる分野と、特性を失い縮小ないしは撤退すべき分野、または特性を失ってはいるが何等かの方途で存続させざるを得ない分野が併存しているのが実態である。~中略~同時に行財政上の支援を受けつつ解決していく事柄も多い。~中略~
また当面の重要課題の一つである余剰人員対策についてもその発生は全国に及ぶが、雇用機会には地域差が強いこと等を考慮すると全国的な規模で調整策をとることが有効であると考えられる。一方、輸送の実態をみるとかなりの地域差がみられるものの、現状ではそれぞれの地域が独立して存立し得る経営基盤は必ずしも整っておらず、現に日々の輸送をあずかるものとしては全国的にこれを運営するととがより現実的であると考えられる。以上の諸点や全国的な輸送の実態及び経営形態の変更に伴う激変緩和の必要性等を総合的に勘案して、現時点においては民営化の手段として徹底した分権化を前提に全国一体の特殊会社方式を選択する。
 この特殊会社は幹線系線区を専ら運営するものであり、特定地方交通線以外の地方交通線については前述のとおり、全額出資の株式会社として分離運営する。
 なお、北海道及び四国については、輸送や運営面の独立性が比較的強いという事情もあるが、将来の見通しからみて民営による安定的運営は至難である。しかし国の政策判断により特別に運営基盤が確立されるならば別経営とすることも考えられる。特殊会社の具体的制度内容は別途検討するが、可能な限りの自主性を確保するとととし、労働基本権については当面現行どおりとする。なお新会社への移行は実効性を早期に実現するため昭和62年4月1日を目途とする。

(3) 新会社の運営方式

新会社はその内部管理に際しては分権管理を徹底することとする。要員規模が縮小するとはいえ依然として新会社は全国規模の大企業であり、情勢の変化に対応して経営施策を推進するためには機動性のある組織運営が行われる必要がある。今後は特殊会社という枠組みのもとで事業運営に適した画一的でない分権管理を導入する。実施にあたっては地域別、機能別事業本部制などの方式により経営責任を明確にし、意欲と創意に満ちた事業活動の展開をめざす。

 

国鉄特殊会社設定の前提条件

国鉄特殊会社設定の前提条件

収支試算、昭和65年で収支均衡を目指している

収支試算

地域別収支

地域別収支

国の負担が前提の株式会社案は国民に受け入れられたのか?

この監理委員会に提出した民営化案ですが、国労も指摘しているように監理委員会は言うに及ばず政府、マスコミ、各政党、労働組合などから、それぞれの立場にもとづいて徹底的に批判された。

と書かれています。

実際にこの当時は、国鉄部内は分割民営化反対派が主流でしたので当然と言えば当然でした。
ただ、助成金をください、ローカル線は子会社化して分離します。
北海道・四国も経営が厳しいのでこくが面倒見てくれるのであれば個別に別会社にしますとなっています。九州を分離しますとなっていないのは、新幹線が既に博多まで開業していたためでしょう。

昭和65年【平成2年】に収支均衡できること、また長期債務のうち15.6兆円は国が負担する、更に助成金として、ローカル線の赤字や年金の超過負担なども国から助成してくれとなっていますので、再建監理委員会からすれば、本気で提出した案なのかと言いたくなったと思います。

ここで違和感を感じることは、国鉄として責任を持つのは主要幹線だけであるといっている点です。
ローカル線として、残す路線も子会社化するとしており、70近くの子会社を作る案となっています。
当然そうなってくると、地域のローカル線毎に運賃が異なるといった問題も起こりえたわけで、国鉄ファンの人が国鉄がJRになったからローカル線が廃止になったとか、サービスが低下したという発言をされるのですが、仮に国鉄の案で再建されていたら、ローカル線は早々と別会社になって、運賃は別料金または、運賃が区間によってはべらぼうに高くなると言ったこともあったかもしれません。

労働大臣は、国労との対話を要望

労働大臣(増岡博之)と国労幹部が会ったと書かれていますが、この時点では国労が最大組織でも有りますから、当然のことながらむげには出来ないと言うことですね。

1月22日に「国鉄の労使問題を放置できないので、あって話し合いたい」という労働大臣の要望で、国労委員長と企画部長が会談した。このあと、労働大臣は仁杉国鉄総裁と会い、「労使が十分な話し合いをしてもらいたい」と要請した。

一先ず、交渉のテーブルに着いた国労ですが、主張として

  1.  雇用安定協定の解約通告を撤回し、今後とも維持存続すること。
  2. 退協定については公労委の斡旋で円満に解決をはかるため、当局提案の内容に固執しないこと。
  3. 本人の申し出による休職、派遣については合意がえられるまでの間、募集は 一時中断する。
  4. 過員の問題については調停の趣旨をふまえ、中央・地方交渉による合意にもとづき実施し、今後についても交渉による解決をはかる。

といった申し入れを行いましたが、当時の国鉄に置かれていた現状では、余剰人員対策【過員対策】は喫緊の課題ですので、国鉄当局としては、大臣の要請があったから開催しましたよと言うところで終わってしまったと言えそうですね。

それと、その後の団結を誇示するワッペン闘争はまだしも、ストライキは国民の信頼を得るべき時期に有って本当に有効だったのでしょうか?

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昭和62年3月和歌山駅にて

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 労働大臣のあっせんによる団交再開│
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 1985年(昭和60年)1月10日、国鉄当局は「経営改革のための基本方策」を国鉄再建監理委員会に提出した。それは、87年度から国鉄を民営移管し、当面は全国一社制をとり、90年度【平成2年度】までに要員規模を18万8000人とする独自案であった。この案は、監理委員会は言うに及ばず政府、マスコミ、各政党、労働組合などから、それぞれの立場にもとづいて徹底的に批判された。このため国鉄当局をみる目が厳しくなったことは否めない。
 その後、1月22日に「国鉄の労使問題を放置できないので、あって話し合いたい」という労働大臣の要望で、国労委員長と企画部長が会談した。このあと、労働大臣は仁杉国鉄総裁と会い、「労使が十分な話し合いをしてもらいたい」と要請した。2月7日には運輸大臣との会談がもたれた。この会談において、トップ交渉で懸案事項を早急に処理するよう、大臣から求められた。この結果、2月8日国労は、国鉄当局とのトップ交渉を開き、 ①「経営改革の基本方策」については国労側の再建政策要求を含めて話し合っていく
 ②特退協定、雇用安定協約、昇給協定、過員問題などの懸案問題については円滑な解決へ向けて引き続き努力していく、などの合意が成った。
 こうして団体交渉が再開されることになったが、国労は交渉前日の二月一四日につぎのような「緊急課題の要求」を当局に申し入れた。

 ① 雇用安定協定の解約通告を撤回し、今後とも維持存続すること。
 ② 特退協定については公労委の斡旋で円満に解決をはかるため、当局提案の内容に固執しないこと。
 ③ 本人の申し出による休職、派遣については合意がえられるまでの間、募集は 一時中断する。
 ④ 過員の問題については調停の趣旨をふまえ、中央・地方交渉による合意にもとづき実施し、今後についても交渉による解決をはかる。活用に当たり差別扱い、強制的な業務等への就労はしないこと、○○センター等の職場は労安法上違法のないようにする。
 15日に「緊急課題の要求」にたいする当局の「回答または見解」がだされ、これをうけて一八、一九日に団体交渉が行われた。
当局は、八四年一〇月九日に一方的に団体交渉を打ち切った時点と変わらず、自らの施策や主張を頑強に固執し、一歩も譲ろうとしなかった。
 国労の「緊急課題の要求」の解決をめざした闘いは、3・1ストを背景に二月末決着をめざして進められた。中央闘争委員会は闘争指令七号を発し、全組合員の行動参加を呼びかけ、2月25日から全地本が主要駅頭や本社前、地方局前での集会や座り込み、街頭宣伝を実施した。ワッペン着用、ネームプレート着用拒否の闘い、労基法・労安法違反、人権無視の実態を監視、摘発の行動を展開した。二八日には三・一ストライキの指令が出された。
 こうした闘争を背景に進めた当局との交渉は、2月28日深夜から詰めの段階にはいった。この結果、3月1日早朝に「諸懸案事項については、円満に解決をはかるよう誠意をもって交渉する。
なお、その間、派遣・休職については強要にわたらないこととして自粛し、対処する」。この回答を受けて、中央闘争委員会は3月1日のストライキを延期した。

続く