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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 106

ここ最近更新が出来ずに申し訳ありません、昭和60年の公企労レポートが手元にないのですが、出来るだけ資料を集めながら書かせていただこうと思います。

55歳以上の労働者脱退を阻止するための抗議行動を行う国労

年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
しかし、国鉄当局側からすれば、合理化は喫緊の課題でした、昭和59年8月に示された早期退職の条件は、下記のようなものでした。
  • 55歳以上の職員の昇給は行わない
  • 55歳で退職した場合は、特別昇給の他、4月1日退職、(これにより定期昇給が4号奉上がるため、年金などの受給で有利になる。)その反面56歳以上の職員の場合は3月31日退職扱いとなり、号奉のアップは行われず、その後の定期昇給も行われない
  • 56歳以上の場合は、こうした条件がすべてなく、定期昇給もありません。

現在の役職定年などの制度の基礎になった?

なお、最近では、55歳を役職定年として、それ以降は管理職から離れて専門職にしたり、出向させることが行われていますが、こうした国鉄労務政策が形を変えて発展したと言えるかもしれません。

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国鉄施策、希望退職者
 
 
また、出向も行われており、下記のように多くの職場に国鉄職員が派遣されているようです。

国鉄職員の出向先

出向先の例

国鉄時代は、自動車工場等への出向が多いのですが、ここには出ていませんが、スズキ自動車工業の販売店への出向もあったそうで、そこでは国鉄職員の出向期間満了後も残って欲しいと言った希望もあったそうです。

自動車工業関連への出向が意外と多いのを見ていただけると思います。

さらに、国鉄ではこうした出向以外にも直営店舗の開店などを進めていきます。
国鉄部内誌の国有鉄道1985年8月号によりますと、下記のように書かれています。
昭和59年8月6日に国鉄初の直営店舗が,東京駅はじめ12駅で開設されて以来ほぽ1年が経過した。それ以来,各鉄道管理局各駅において順次展開され、現在では年聞を通じて営業する店舗(通年型店舗〉は,別表のとおり29鉄道管理局93駅で140店舗までになった。一方,多客期やイベントのある時等に機動的に開設される店舗(臨時型店舗〉も、各地で随時積極的に展開されるようになった。
 
と書かれています。
以下、別表

国鉄直営店舗、1985年国有鉄道

国鉄直営店舗

この頃は、駅構内や余剰の客車などを改装して駅構内に設けた食堂など、数多くの直営店舗が誕生しました。
天王寺駅でも、8番線ホーム側に、釜飯屋、喫茶店、等の直営店舗が複数展開していた時期がありました。

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店 国有鉄道 1985年9月号

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店

年度末における退職者の取扱に関して仲裁裁定が出されることに

四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」

この件に関しては、他の資料を参照したのですが、詳細な記事が載っていませんでしたので、国労の記事をそのまま書かせていただくだけとさせていただきます。
 
国労は、仲裁裁定を経たことで、年度末における退職者の取り扱いについて締結することで、八六年度以降も現行の協定によることとして、雇用安定協約が引き続き、有効期限がある協約となったと書かれています。
ただ、この辺は、個人的にはまだまだ不明な部分がありますので、今後更に調べていき判った時点で追記させていただくことをご承知おきください。
 

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************


 
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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 余剰人員対策「三項目」の妥結と雇用安定協定の解約取り消し│
└──────────────────────────────┘
 
 国労第一四三回拡大中央委員会が3月5、6日の二日間にわたって開かれたが、「三項目」に論議が集中した。とくに経過報告にたいする質疑には、三・一スト延期や闘申五〇号は大会決定違反などの疑問が中央委員から出され、経過報告の承認は方針決定と同時に行うことになった。
 方針の討議では、「当局の姿勢は変わっていない。組合の方が右往左往している」
「政府や当局の動きに依存するのではなく、職場に依存せよ」
「本部は舞台裏の折衝にあけくれている」などの批判が相ついだ。
 討議後の書記長の答弁において、三項目問題では「一人の首切りもさせない」ことを基本態度とし、休職・派遣などについての要求の実現をめざす、「緊急課題の要求」で総団結し、その前進のために闘い、重要局面でのストライキを配置すると集約し、この方向で意思統一された。なお、これらの闘いの総括にたって臨時全国大会を開くことを決めた。
 年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
 こうした行動を背景に本社との交渉、国会での追及、公労委の活用などに取り組んだが、当局の不誠実な態度によって年度内解決ができなかった。三月七日に公労委に特退制度に関する仲裁裁定を申請していたが、四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」というものであった。この仲裁裁定を受けて国労はその受諾を決めた。これにより「特退協定」「昇給協定」「休職・派遣」などをめぐる交渉は、四月八日までに大筋がまとまった。
この妥結により、当局が解約通告をしていた雇用安定協定については、85年11月30日までの有効期限のある協約として存続することとなった。

続く
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