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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 109

今回は、オリジナルの記事としてアップさせていただきます。

昭和55年頃の、国鉄の事情等を再び、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら総括して見たいと思います。

 不協和音が見られた公労協、独自路線を歩む全電通

昭和54年、官公労は、私鉄総連などと組んで公労協統一闘争を行っていましたが、ここに来て、全電通(現:NTT労組)が自主交渉、個別調停を行うことを提唱し、官公労の統一闘争から一足早く離脱するなど、全電通の独自性が見える春闘でした。

全電通自体が、全電通が、1970年代後半から、賃金闘争と物価闘争を重視する運動を進める独自性を発揮して、官公労からの距離を置き始めると共に、1980年の「全日本民間労働組合協議会(全民労協)への参加を果たすなど、官公労の中では異色の動きをして行くこととなりました。

公労協では全逓の弱腰が垣間見えた春闘

かつて、権利の全逓と言われるほどに強力な組合運動を展開してきた全逓ですが、全逓名古屋中郵事件(ストによる郵便不取扱いが刑事罰の対象になるとした判決)などの理由から、拠点局における、29分だけのストライキとなるなど、弱腰というか、あまり派手な運動は見られなかったようです。

参考:全逓名古屋中郵事件

persona-non-grata.hatenablog.com

私自身が、郵便局に就職したのが1983年7月、普通局に転属して全逓に加入したのが1987年4月であり、この頃は強力な闘争路線は姿を消していました。

最終的には仲裁裁定に頼るしかない、賃金決定

国鉄など官公労は、基本的には独自の賃金決定権を当事者が持っておらず、最終的な決定は、仲裁裁定によるしかないわけで、昭和55年の春闘では下記のような流れがありました。

  • 当局の回答前に組合側から調停を申請したグループ・・全林野、全印刷、全造幣、アルコール専売

  • 当局側から調停を申請したグループ・・・・・・・・・国鉄、郵政、専売公社
  • 調停委員長見解が出された後、当局側から申請したグループ・・・・・全電通

 

と言ったグループに分かれました。

ここに来て、全電通の組合としての方向が変わってきていること、そしてこれが民営化議論が起こった際にもスムーズに民営化に移行できたところなのかなぁと考えさせられるところがあります。

特に、全電通は、昭和25年に逓信省から分離する際に、独立した組合で有り、全逓から分離した組合であり、昭和30年代、40年代には郵政の全逓に劣らないほどの強力な闘争をしていたことを考えると、時代の流れに沿って上手く生き延びてきたのかなぁと思ってしまいます。

 

電電公社ロゴ

独自路線を歩み出した、電電公社の組合、全電通


続く

 

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国鉄があった時代 JNR-era
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