今回も、オリジナルの記事として、前回に引き続き、昭和55年頃の、国鉄の事情等を、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら、総括していこうと思います。
国鉄を含めた、現業公務員や公社職員は、経営側が自らの判断で賃金を決定できず、もちろん、運賃値上げなども国会の承認がいりますので、当局には実質的な当事者能力はありませんでした。
このストライキは、総括すると国労・動労にとってはあまり実入りが無いストライキでした、労働側4委員が揃って辞表を提出、結果的に賃金問題は未解決のまま、ストライキは中止されることとなりました。
その当時の時系列を抜き出してみますと下記のようになります。
4月16日
- 私鉄のべアは,5時ごろ1万2200円という予想を上回る回答
- 6時に私鉄総連は妥結、6時10分にはスト中止を指令,事実上ストなしの解決
- 公労委(公共企業体等労働委員会)6時過ぎから調停委員長会議が開催
- 公労委、公益委員(調停委員長)と労使各側委員との個別折衝が始まったが、そこで示された「解決案の骨格」に対して労働側委員が強硬に反対し、膠着状態
公益委員側からの解決案は、下記のとおり
民間賃金の動向を加重平均で約6.6%と推定し、公企体加重平均6.6%、国鉄は1万1800円台の上方で6.4%弱とする、というもの
- これに対して、労働側委員は私鉄準拠を主張、使用者側委員も、財政事情等から難色を示し、双方の議論は完全に平行線に。
- 公労協(公共企業体等労働組合協議会)は14時過ぎから拡大共闘委員会を開き、私鉄準拠の慣行が無視されたことに抗議して労働側4委員が辞表を提出する旨を決定
- 17時過ぎ、公労協は、「公労委は従来の経緯を無視して私鉄準拠を認めず、官民分断をはかる政治圧力に屈して第三者機関としての社会的責任を放棄した」との抗議声明を発表
- 18時15分頃、総評・公労協推せんの労働側4委員が労働省に辞表を提出、事務次官が「一時保管しておく」として辞表をあずかりに。公労協は、賃上げ未決着のままストを中止
- 19時45分、公労委の中西会長は、「これ以上調停作業を続行することは事実上不可能であるので、中断のやむなきに至った」とする調停委員長との共同談話を発表、この措置に対して、全官公(全日本官公職員労働組合連絡協議会)は、「公労協は違法ストを行なっておきながら、それによる賃上げが不可能となるや問題を審議する立場にある委員を辞任させた」として、公労協を厳しく非難する声明を発表
- 公労協の中断を受けて、国労・動労はスト中止を命令
16時 国労、動労スト中止準備を指令
18時 国労、スト中止
19時 動労、スト中止
18時30分 全動労、スト中止
19時 千葉動労、スト中止
スト終了後の運転回復は、おおむね20時ごろから順次
今次の春闘では、当初は、早くに解決すると思われた調停が紛糾し、ストが16時間に及んだこともさることながら、これ以外にも下記のようにストライキを行っており
動労が時限スト 3/10
動労は、公共料金値上げやローカル線廃止に反対し全国12拠点で始発から6時まで時限スト旅客列車のストは54年4月25日以来
動労が京成半日ストを支援 3/21
民鉄協脱退に抗議する京成労組は正午まで半日スト、動労は首都圏の国電を中心に京成支援の減速闘争
民鉄スト早期収終・国鉄は夕方 4/15~4/16
春闘支援ストに突入したが、大手民鉄(京成を除く)は6時10分、平均12、200円と予想以上の高額回答で解決。国労・動労は公労委公益側委員の示した平均平均6.6%程度(国鉄6.4%程度)11,650円の調停案を不満としてストを続行、、公労協の労働側委員4人の辞表提出という異常な事態にでたため、調停作業は一時中断という形で中止。京成はひとり17日までストを継続。他社なみ回答でようやく妥結
といった具合で、ストライキを繰り返しており、上記のストライキで、延べ18,860本の列車が影響を受けたが、全体からすれば新幹線が拠点から外れるなど、大きな影響を受けることは少なかったと言える他、車両や駅へのビラ貼りや、落書きは全体には少なかったそうですが、一部では行われたとされています、スト権スト以降、公労協のストライキはその流れは変わりつつ有り、公労協のあり方、そして公労協事体の不協和音は、今後更に大きくなるのでは無いかと国鉄当局では分析しています。
参考:国有鉄道の1980年6月号
ストライキの年表に関しては、弊サイト「国鉄があった時代」から抜粋
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