特に、運輸省に対して、職場規律の改善や、合理化が順調に推進できていることが大きく評価された理由であり、足並みをそろえて回答できた結果だったと言っています。
しかし、「国鉄がストライキをすれば私鉄が儲かる」と言うことに私鉄労使が気づいてしまったからに他ならず。富の再配分を謳った、国鉄の生産性運動は、国鉄を反面教師とした私鉄がその漁夫の利を得る形となったのは皮肉なものでした。
公労委は4月26日深夜、3公社4現業の賃上げ紛争の調停作業のなかで、調停委員長会議の結論をだした。非公式に提示された調停案は「定昇を含め加重平均4.25%、8900円台」というもので、労働側が強く反発し、再考を求めた。そのため調停作業を一時中断し、27日夕方から再開されたが、いったん内示された案は4.26%に上方修正されたとはいえ、本質は変わらないため、労働側は調停での決着を拒否した。こうして賃上げ紛争は仲裁へ移行することとなった。仲裁作業を進めてきた公労委は、5月12日に各組合と当局に仲裁裁定を提示した。国鉄は、4125円、1.94%の賃上げ(定昇込みでは、8845円、4.16%)賃上げの裁定であった。
政府は5月21日の閣議において、実質的に4年連続の一括「議決案件」として22日の国会に提出する方針を決定した。仲裁裁定は8月3日に議決されたが、議決の時期は83春闘より約4カ月早まった。
なお、84春闘の妥結結果は、民間平均9354円、4.4%であった。
最終的な裁定は、上記に書かれていますが5月12日に仲裁裁定が提示され、ひとまず国鉄における春闘は決着を見ることとなりましたが、最終的な賃上げは国鉄4,125円、定昇込みで8,845円と言う結果となりました。
ただ、黒字基調の電電公社や郵政省と同じく、国鉄並びに林野もその昇給額に関しては格差をつけられることはなかったとされています。
その辺を大原社会問題研究所の日本労働年鑑 1,985年版には下記のように書かれています。
3 三公社四現業の賃金
公共企業体等の賃金改訂は、例年春闘のなかで、公労委仲裁によって決着している。一九八四年は、五月一二日、公労委(石川吉右衛門会長)が、三公社四現業職員の賃上げに関する仲裁裁定書を労使双方に交付した。加重平均(定昇込み)で八九四三円(四・二六%)を四月一日から引き上げる内容である。赤字経営である国鉄、林野についても格差はつけられなかった。
ということで、その辺に関してはかなり政府としても配慮したものと言えそうです。
今回は、国労の視点だけではなく、国鉄当局、さらには大原社会問題研究所の資料なども参照しながら書かせていただきました。
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国鉄があった時代 JNR-era
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************************以下は、国労の資料から引用になります************************
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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃
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第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を
めぐる闘いと専制的労務管理への反撃
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四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結
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├○ 二 八三、八四、八五春闘 │
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仲裁裁定制度の再確立と84春闘
83年12日の総選挙で、自民党が過半数を割り、新自由クラブとの連立で第二次中曽根内閣が発足し、経済は景気回復基調にあるものの日経連の賃金抑制の態度が強いなかで闘われた。労働4団体と全民労協は6%以上の賃上げ要求で統一した。4月11日、金属労協を中心に民間大手に回答がなされ、鉄鋼6900円(3.11%)、造船3.24%、電機・自動車4.9%?5%台と二極分化した。私鉄は12日、1万700円でストなし、一発回答。
84春闘前段の闘いとして、2月、3月に「84春闘勝利・働く者の生活と権利を守る全国縦断行動」が全国各地で取り組まれ、3月23日にはこの行動を締めくくる3.23中央総行動が行われた。全国から1万2000人の争議組合員などが上京し、国会・最高裁・中労委への要請、親会社・背景資本・国鉄本社への抗議行動、デモなどを都内全域で繰りひろげ、84春闘の出発点となった。
国労は、84年2月28、29日に開いた第140回中央委員会で、2万2700円(10.7%)のベースアップ要求を決定し、3月8日に国鉄当局に申し入れ、ただちに交渉に入った。国労は、団体交渉の冒頭において仲裁裁定の完全実施、民間賃金準拠の賃金決定原則の再確認、経営業績による格差の排除について当局の見解を明らかにするよう要求した。しかしながら、当局はこれらの諸点に明確な見解を示さなかった。
国民春闘共闘会議、公労協、公務員共闘は4月6日を春闘前段の統一行動日とし、ストを含む大衆行動を設定し、人事院勧告・仲裁裁定の完全実施についての政府の確約を求めてきた。4月4日に開かれた政労交渉のなかで、政府側は「①労働基本権の代償としての人事院勧告・仲裁制度は維持し、尊重するとの基本姿勢を堅持する。②59年度に出される人事院勧告と仲裁裁定は前項にもとづき完全実施に向け誠意をもって取り組む」との態度を表明した。83春闘までの3年間、公労委の仲裁裁定は国会の議決案件とされてきた。公労協の各組合にとって仲裁裁定の即時実施は重要課題であった。労働側は、政府のこの態度を評価し、6日のストを中止することになった。国労は、闘争指令10号で6日に地上勤務者の二時間ストを予定していたが、共闘会議の結論によりスト中止を決めた。
国鉄当局は、賃上げ2万2700円の要求に対し、4月19日に平均1613円、0.3%という超低額回答を示した。この回答は、19日の公共企業体等給与関係閣僚会議の決定をうけて示されたものであった。政府側は、条件として?国鉄・林野での合理化の推進、?業績手当制度の導入の検討、をあげていた。公労協は19日、各公共企業体の回答をうけて「回答内容は自主交渉の経緯や民間企業の回答・妥結状況をまったく無視した政治的回答である。とくに賃上げ交渉とは無関係な業績手当制度の再検討は団体交渉に対する不当介入であり、不当労働行為であると断ぜざるを得ない」との抗議声明を発表した。賃上げ要求は、当局との交渉ではこれ以上の進展が望めないため、20日に公労委へ調停申請の手続きをとった。
公労委は4月26日深夜、3公社4現業の賃上げ紛争の調停作業のなかで、調停委員長会議の結論をだした。非公式に提示された調停案は「定昇を含め加重平均4.25%、8900円台」というもので、労働側が強く反発し、再考を求めた。そのため調停作業を一時中断し、27日夕方から再開されたが、いったん内示された案は4.26%に上方修正されたとはいえ、本質は変わらないため、労働側は調停での決着を拒否した。こうして賃上げ紛争は仲裁へ移行することとなった。仲裁作業を進めてきた公労委は、5月12日に各組合と当局に仲裁裁定を提示した。国鉄は、4125円、1.94%の賃上げ(定昇込みでは、8845円、4.16%)賃上げの裁定であった。
政府は5月21日の閣議において、実質的に4年連続の一括「議決案件」として22日の国会に提出する方針を決定した。仲裁裁定は8月3日に議決されたが、議決の時期は83春闘より約4カ月早まった。
なお、84春闘の妥結結果は、民間平均9354円、4.4%であった。