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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 118

国鉄の過員状態について、国労の実態が語られています。
この当時は、国鉄の余剰人員(国労的には過員)は、出向なども行われており、鉄労・動労は出向に応じていたのですが、国労の方針は、出向「しない・させない・(話を)きかない」と言う3ない運動を始めており、国労の見解をそのまま鵜呑みにするわけにも行かない部分があります。

59.2の合理化は不可避な合理化だったのか?

国労は、「59.2ダイヤ改正によって大量の過員がでた」として、その現状を書いていますが。

すでに、昭和57年の大幅なダイヤ改正で、貨物列車の大幅削減が行われており、この時点で、動労は大幅にその運動方針を転換。
それまで鬼の動労と言われるほどに過激に【時には国労以上に過激な運動】を行ってきた、動労は一転労使協調路線を打ち出していました。
動労が、貨物列車を中心とする機関士が多く所属する組織であったのに対し、国労は運転士も居れば、駅員も、車掌も・・・ということで、職能組合的要素の強い動労と異なる国労は、その対応はどこか他山の石のようなところがありました。

というか、どこまでも最大公約数的なところでの正解を求めてしまうので、低い次元で妥協してしまって、その対策は後手後手に回ってしまった感はあります。

動労は、松崎委員長の号令一下、出向などにも積極的に順応

実は、動労は昭和57年のダイヤ改正の際に当局と合理化に関しては受け入れる方向で動き出したとされています。

実は、この辺は千葉動労の機関紙が暴露してくれていますので、容易に確認することが出来ます。

以下は、日刊千葉動労の記事からの内容を抜粋したものです。

前略・・・
ところが、この国鉄労働者の壮大な決起が始まるやいなや、動労「本部」革マルは、11月4日の段階で早々と当局提案のダイ改ダイヤ改正)合理化を全面的に受け入れるという大裏切りに走ったのである。

と書かれています。

国労は、総評とも連携して、57年のダイヤ改正をボイコットしようとしていたとされています。

それに対して、今まで歩調を合わせて、進んできたもしくは、その先頭になって闘ってきた動労があっさりと反旗を翻したということで、この頃から千葉動労動労の亀裂は鮮明なものとなっていきました。

以下は画像の一部をキャプチャしたものです。

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千葉動労 日刊千葉の記事から

動労の裏切りの証拠としてアップされた、協定書の内容

動労の裏切りの証拠として、昭和55年と昭和57年の協定書のキャプチャ

昭和55年の協定書では、地方機関との交渉を含めて足並みを揃えた事に対し、昭和57年には早々と動労が当局と早々と決着したことをひどく非難している。

 記事の全文は下記にリンクを貼ってありますので参考にご覧ください。

参考:日刊千葉動労 11月23日号「57.11ダイ改闘争 動労革マル裏切りを暴露する 1」

国労は、いわゆる面子にこだわった?

国労のこうした、作業が行われたという事実は事実であったと言えましょう、実際に昭和61年に入ると、こうした単発で事業所ごとに置かれていたものは、「人材活用センター」という名称で一斉に設置されることとなりました。

業務の内容は、従前とさほど変わらず、架線や、古レール切って加工した文鎮などが主な作業であったようです。

他にも、それまで協力会社に委託をしていた業務を直営に戻すと言ったことが行われました。

廃車になった貨車などに残っているブレーキホースの部品などを外す、比較的単調な作業などに、ベテラン運転士などが充当されるといったこともありました。

もちろん、国労の記事で書かれているように

仙台鉄道管理局内5カ所の要員センターに〝営業開発グループ?を新設し、そこに郡山ターミナルの過員の一部を配属した。営業開発グループの仕事の内容は、渉外活動である。具体的には、チラシ、パンフレット類の配布、企画商品の取り次ぎと引き渡し、デパートなどでのPRコーナーでの取り次ぎと相談、各種調査資料の整備などが予定されていた。そのため、鉄道学園に特設営業開発科(セールス分科)が設置され、4泊5日の教育が実施され、職場でも4日間にわたって時間外に1~2時間の養成訓練が行われた。

こうした業務に就けた方は、ましな方であったと思われます。

最も、人と話すのが苦手と言った人の場合は、むしろ苦痛であったかも知れませんが、その辺の事情までは個々では見えてきません。

こうした中にあっても、国労と言う組織の中では、どこまでも当局との対決姿勢を崩さないという方向性を堅持しており、出向などにも応じている動労・鉄労と比べると、心情的にも「ごね得」ではない公正に努めようと言うことになれば、国労が書いているとおり、「公平に交番が回され、各種の要請なども行われているが、3カ月乗り組み4カ月予備の勤務となり、賃金上も減収となって生活不安が引きおこされている」となるのは仕方がないことではと考えてしまいます。

国鉄当局は余剰人員に関してどのような取り組みをしたか

国鉄当局は、余剰人員に関しては下記のような方策を10月から打ち出すとしてしていました。

  • 退職制度の拡充
  • 休職制度【退職前提・復職前提】
  • 派遣制度の拡充
  • 関連事業などの開発

特に、関連事業【日本テレコムなどはその典型的な例】の拡充などを図っていくとしています。ただし、関連事業に関しては、即効性が有るものではなく、時間をかけて育てていくものであることに変わりはありません。

こうした取り組みに対しても、国労組合員の雇用不安を与えるとして、積極的に受け入れることはせず、階級闘争の中で当局との対決姿勢を示すことになるのでした。

   

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国鉄があった時代 JNR-era
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*************************以下、国労の記事から*********************************

第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節80年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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五 過員センターの設置と作業の実態

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├○ 過員センターでの作業実態 │
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 すでに第三節で述べたように、59.2ダイヤ改正によって大量の過員がでた。貨物関係を中心に全国の職場で仕事がないまま「自習」をさせられている労働者、営業活動に活用される労働者、草むしり、ペンキ塗りなどの雑用に使われる労働者等など本来の職務を奪われ、慣れない作業に就かされ、国鉄労働者としての誇りを傷つけられた。過員の状況は地域により、系統によって様々であり、いくつかの事例をあげるに止めざるを得ない
 郡山貨物ターミナルはかつて東洋一のヤードといわれた。仕事がないため所定作業以外に「環境整備」といわれる根っこほり、除草、焼却炉の穴掘り、床や廊下みがきなどに使われ、あるいは「資料整備」といわれるメモ用紙作りのための紙きり作業もある。
このターミナルの過員は交渉の結果70人となった。過員は、仙台鉄道管理局内5カ所の要員センターに〝営業開発グループ?を新設し、そこに郡山ターミナルの過員の一部を配属した。営業開発グループの仕事の内容は、渉外活動である。具体的には、チラシ、パンフレット類の配布、企画商品の取り次ぎと引き渡し、デパートなどでのPRコーナーでの取り次ぎと相談、各種調査資料の整備などが予定されていた。そのため、鉄道学園に特設営業開発科(セールス分科)が設置され、4泊5日の教育が実施され、職場でも4日間にわたって時間外に1~2時間の養成訓練が行われた。
 長野鉄道管理局内の松本運転所では、研修関係の過員は91人の定員のうち54人である。過員は、定員とは別枠の機動グループにまとめられ、他系統からの転入者教育、技術力の深度化、登用試験合格者の実習見習い、雑作業などについているが、雑作業は当局側が1カ月分の作業量を確保できないため、大半の労働者が詰め所に入れられたまま仕事がない状態である。当局側の機動グループの労働者に対する態度は高圧的で、国労本部の調査を制止したり、その場でワッペン着用者の現認を行ったりした。
乗務員の場合、定員185人にたいし現在員256人いる。「公平に交番が回され、各種の要請なども行われているが、3カ月乗り組み4カ月予備の勤務となり、賃金上も減収となって生活不安が引きおこされている」状況であった。

続く