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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 119

今回は、国労の資料を参照せずにオリジナルの内容をおとどけします。
国鉄が昭和59年2月の改正などを経て大幅な過員【余剰人員】を発生したわけですが、これは、既述のように今までの合理化が出来ていなかった分の反動とも言えるもので、新規採用を停止しても、それだけに過員【余剰人員】が発生していましたので、国鉄では分割民営化前には、多くの直売売店などが誕生しますが、この頃一番力を入れていたのが営業活動であり、過員解消のための勧奨退職【55歳以上の定期昇給の中止等】も併せて行われていました。
 
今回は、昭和59年当時の各組合の考え方について、国鉄部内紙国有鉄道を参考にしながら絞殺してみたいと思います。

国鉄の危機に際して、目覚める若手職員

国労は、国鉄当局の取り組みを批判するだけですが、それとは別に積極的に国鉄を憂い増収活動に参加している職員もいるわけです。

第一次廃止対象の小松島線の駅に勤務する若手職員は、「団体募集クラブというグループを結成し,団体募集に取り組んだ。ところ、増収に大きく貢献することができた。

として自らの経験を語っています。

愛する国鉄のために四国総局小松島駅宮業係****(25歳〉

第1次廃止対象線区である小松島駅に勤務し,毎日,閑散とした駅の様子を目のあたりにして,国鉄職員としての人生はこのままでいいのだろうかと考えるようになった。若者たちで,今何かをやらなければと団体募集クラブというグループを結成し,団体募集に取り組んだ。
その結果,増収に大きく貢献することができた。このような活動の輸をどんどん広げ,国鉄職員全員が一致団結して再建に取り組まなければならないと考える。

るほか、ヤード勤務の職員が、ヤード廃止を機に団体募集の営業活動を行って大きな成果を得たとして、下記のように発表しています。

赤錆びた線路に再生を嘗う盛岡局青森操車場運転係****(28歳)

北東北のヤードの王者として君臨してきた青森操車場が58年間の歴史を閉じた。かつては2,000両近い貨車を取り扱った操車場,今は作業もなく構内は閑散としている。多くの同僚,後輩が別れを惜しみながら,それぞれの新しい職場に転勤し終わった頃には,線路は赤茶色に錆びつき無残な姿となっていた。今こそ青操魂を発揮しようと,残った職員が一丸となって入換作業のかわりに団体募集のセーノレスに励み,400名のお客様の募集に成功した。この仕事のおかげで働くことの尊さと,やればできる自信を知った。

といった、取り組みが積極的に行われていました。

こうして、若手職員を中心に、もちろん生産性運動の時代は小学生であった、職員が国鉄のことを憂い積極的に取り組もうとすることが見えてきます。

惜しむらくは、結果的に中止してしまったことがさらなる国鉄の荒廃を招いたと言えますし、ここに来て、こうした若手職員による自発的な行動が、少しずつ国鉄を変えて行きつつあったということも知っていただければと思います。

しかし、残念ながらこの時期でも国労,動労は基本的には分割民営化反対の方向性は堅持しています。【最も、動労の場合は敏活民営化には反対ではあるが、国労のような絶対反対という意味合いではなく、雇用特に機関士の雇用を守れと言うことが中心であり,そのためには出向なども受け入れるという方向性を示しており、国労のような階級的対立とは見做せないというのが私の見解です。

以下の画像は、国有鉄道という雑誌に掲載された、記事の画像をキャプチャーしたものです。

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国有鉄道1984年12月号


 

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