本日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。
国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。
最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。
このように、国鉄当局はそれまで以上に国鉄改革=分割民営化であるという方向が示され、その方向にひたすら突き進む事となりました。
臨調答申に反対を示す国労・動労など各組合
再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26
- 旅客6分割
- 貨物分離で1社
- 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
- 余剰人員対策
国労・動労・全動労・全施労の国鉄4労組は、国鉄再建監理委の最終答申に対し連名の抗議声明 7/26
全動労の第一二回大会開催 7/26統一労組懇や民主団体などによびかけ、1,000万署名に取組むことを決定
当局としても、大手振っては反対と言えないのですが、この当時はすでに総裁が杉浦氏であり、国鉄当局としては分割民営化を前提としたなっていますので、国鉄当局としては表だった動きを見ることはできません。
国労第48回定期全国大会(名古屋)。7/29~8/2
分割・民営化反対のため5000万署名運動の強化、重要段階でのストライキなどの方針採決国労委員長に山崎俊一氏 7/29~8/2 国労(20万人)は名古屋で開かれた定期大会最終日に役員改選を行ない、新委員長に山崎俊一書記長(53歳)、新書記長に荒井敏雄調査資料室長(52歳)ら新執行部を選出
山崎委員長は「分割民営化阻止」を宣言
当時の国鉄の労働組合関連図を示すと以下のような形
動力車労働組合を容認派としたのは、基本的には分割民営化反対ではあるが、雇用の確保がなされるならばという条件付きであれば・・・という現実路線を選択したということで、容認派としています。鉄労は国労への対抗的意味合いから、対局になる分割民営化推進派の位置づけとしています。あくまでも個人的な見解であることは最初にお断りしておきます。
国鉄内の最大組織として特異な政治感覚を駆使し、闘いを通じて固めてきたこれまでの路線を、世に中の潮流に合わせて速度を調整し、全方位を確認して大胆に切り換えることに、古い体質的な抵抗があって「民営化やむなし、分割反対」という率直な意見が言い出せない。「雰囲気」があったのだろう。
ここで指摘されていますように、国労内にもそして世間的にも、分割民営化をセットで考えずに、民営化容認、分割反対を国労が早い時期に出していたならば、政府もそして世論も変化していた可能性は捨てきれないように思えます。
しかし、そこには代議員の中に、発言することで泥をかぶりたくないという意識があったことも見逃せないと指摘しています。
再びその辺を公企労レポートから引用してみたいと思います。
対局に直面し決断しえなかった最大の理由に。自分だけは「泥をかぶりたくない」という意識が各幹部の胸中深く根ざしていて「自分自身に暗示をかけていた」との見方もある。
と記述していますが、これは国労に限らず、組織の中にあるとなかなか正論を言えないのは一般の会社も同じであり、国労だけに問題がある訳ではないと言えます。
当時の国鉄では、国鉄当局の一般職員も内心では、民営化は止むなし、しかし分割には反対だという意見もあったように見えますし、国労の大半の組合員も分割は反対だが民営化は容認するという空気感があったことは間違いないと言えそうです。
しかし、実際問題としてはそれを声に出していうことは、国労の組織にあって言えるわけもなく、国労は自らが掲げた分割・民営化絶対反対の方針を変更できないまま、自壊を迎えることになるのは気の毒な事だと思えてなりません。
その辺は詳細に、公企労レポートで詳細に語られていますが、結果的には国労内では、分割・民営化はセットで反対されており、「分割・民営化反対」はより強固なものとなり、国鉄当局とのそれまでの癒着路線と言われた、歪んだ労使協調路線から完全に袂を分かち労したい結露線となってしまったことも事実です。
昭和61年10月9日に修善寺で開催された臨時大会で国労は分割・民営化反対の意見により、国労はさらに窮地に追い込まれることとなり、山崎委員長は退任を余儀なくされるわけですが、その結果は九州・北海道で多くの余剰人員を発生させることとなり、イデオロギー*1により多くの国鉄職員を路頭に迷わせる結果となったのは記憶にとどめておきたいと思います。
参考資料:
以下は、弊サイトから引用した「国鉄再建監理委員会答申」の前文になります。
昭和60年7月26日
委員長 亀井 正夫 住友電機工業㈱代表取締役会長
委員 加藤 寛 應義塾大学経済学部教授
委員 隅谷 三喜男 東京女子大学学長
委員 住田 正二 (財)運輸経済研究センター理事長
委員 吉瀬 維哉 日本開発銀行総裁
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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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├○ 四 国労の分割・民営化反対闘争│
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分割・民営化反対闘争の方針決定
国労は、最終答申のでた直後の7月29日から5日間、名古屋市で第48回定期全国大会を開き、監理委員会の分割・民営化答申に対決する方針を決定した。大会初日に次のような方針案の提案が行われた。
「監理委員会の答申を受けた中曽根首相は、『行革』の天王山としての国鉄問題、すなわち『分割・民営化』を政治生命をかけてやりとげる決意を明らかにしました。国鉄問題は今日以降完全に政治日程に乗ったのであり、われわれはこの理解に立って『分割・民営化』反対、ローカル線存続、雇用確保の闘いをさらに一層幅広く強化しなければならない」と述べ、「国鉄の解体を許すな、国鉄労働者の雇用を守ろう、国労運動を守ろうという闘いは、中央・地方・各級機関と組合員の努力で徐々にもりあがっており」「国鉄問題が文字どおり国民世論をして勝利への展望をつかむかどうかは、一にかかって国労が内部を固め、意思統一をはかり、一人でも多くの理解者・協力者を獲得するため、謙虚な態度とみずからの主張をわかりやすくのべ、国民各層の声に積極的に耳を傾ける態度こそが闘いを成功させる基礎だ」と強調した。
また「中央・地方ともに各組合の職場から国労のオルグを待っている単産が増えており、積極的に国鉄問題を訴えていかなければならない。保革を問わず各議員、自治体、消費者団体、民主団体、学生、商店、経済団体、会社などすべてに、あそこはだめだろうと勝手に決めず、当たってくだけろの闘争心で全員が行動することを確認しあいたい」「そのためにも1000カ所討論集会の一層の成功と5000万人署名運動が位置付けられている」と提起し、「われわれの闘いは、地方行革、教育臨調、戦争に反対し、平和と民主主義を守る闘いと一体をなすものだ。これらの闘いと運動を具体的に発展させるため、全代議員の取り組みや経験や克服すべき問題点を出し合って、確信を持ち合えるまで討論をお願いする」
と呼びかけた。
大会での討論は、分割・民営化反対の闘いを中心に進められた。
そして、分割・民営化阻止の闘いはいかに国民的多数派を結集するかにかかるとし、総評が決定した有権者の過半数を目指す5000万人署名に全力をあげることを確認し、雇用を守るために労働組合の存在価値をかけ、重要段階ではストライキで闘い抜く決意を全会一致で固めた。この大会で新執行部が選出され、山崎俊一委員長が新任された。
続く