鉄道ジャーナリスト、日本国有鉄道歴史研究家 日本国有鉄道 社会学 鉄道歴史 労働史 労働運動

日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 138

本日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。

国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。

最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。

国鉄部内紙 国有鉄道 当時は国鉄分割民営化に関する特集記事などが組まれていた。

国鉄部内紙 国有鉄道

国有鉄道 目次


 このように、国鉄当局はそれまで以上に国鉄改革=分割民営化であるという方向が示され、その方向にひたすら突き進む事となりました。

臨調答申に反対を示す国労動労など各組合

国労では、昭和60年7月、以下の内容を骨子とする、再建監理委員会による国鉄改革に関する意見書を提出することになりますが、これに対して国労は、動労などと呼応して抗議声明を出すことになりました。
 この時点では、後に鉄労とともに労使協調宣言を出す動労も全施労も同様の抗議行動に出ていることにも注目していただきたいと思います。
鉄労は、おそらく動きたくとも鉄労の地域分社制は分割民営化を認めたものだという発言をしてしまったこともあり、表だっての行動がとれなかったように思われます。

再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26

  1. 旅客6分割
  2. 貨物分離で1社
  3. 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
  4. 余剰人員対策

 

国労動労・全動労・全施労の国鉄4労組は、国鉄再建監理委の最終答申に対し連名の抗議声明 7/26
動労の第一二回大会開催 7/26

統一労組懇や民主団体などによびかけ、1,000万署名に取組むことを決定

 

当局としても、大手振っては反対と言えないのですが、この当時はすでに総裁が杉浦氏であり、国鉄当局としては分割民営化を前提としたなっていますので、国鉄当局としては表だった動きを見ることはできません。
さらに、国労名古屋市で第48回定期全国大会を開催し、分割民営化絶対反対の方針を決定するなどしています。
国労第48回定期全国大会(名古屋)。7/29~8/2
分割・民営化反対のため5000万署名運動の強化、重要段階でのストライキなどの方針採決国労委員長に山崎俊一氏 7/29~8/2 国労(20万人)は名古屋で開かれた定期大会最終日に役員改選を行ない、新委員長に山崎俊一書記長(53歳)、新書記長に荒井敏雄調査資料室長(52歳)ら新執行部を選出
山崎委員長は「分割民営化阻止」を宣言

当時の国鉄労働組合関連図を示すと以下のような形

国労は7月29日からの定期大会で、山崎委員長を中心とする新執行部体制で、国鉄分割民営化反対を強く打ち出していくことを決定。
国鉄当局は、政府が8月7日に答申を受けて設置した、「国鉄余剰人員雇用対策本部」(本部長 中曽根康弘首相)に呼応して、「雇用対策室」「職業訓練室」を職員局内に設置(職員局長は、住田信義(後の島根県知事))、国鉄職員の再就職促進に動き出しました。
国労の方針は引き続き、「分割・民営化答申反対」として運動を続けていくこととなるのですが、当時の世論は、国鉄改革(国鉄赤字の解消)であり、各組合の思惑の中で分割民営化への反対論は最右翼にいました。
当時の組合関係をマトリックスの分けると以下のようなイメージでしょうか?

分割民営化に関する代表組合のマトリックス、千葉動労などは省略している

分割民営化に関する代表組合のマトリックス

動力車労働組合を容認派としたのは、基本的には分割民営化反対ではあるが、雇用の確保がなされるならばという条件付きであれば・・・という現実路線を選択したということで、容認派としています。鉄労は国労への対抗的意味合いから、対局になる分割民営化推進派の位置づけとしています。あくまでも個人的な見解であることは最初にお断りしておきます。

ここで公企労レポート。
No.2082 昭和60年8月25日号 「現実論議に欠けた大組織国労大会」
を参考に、当時の様子を見ていきたいと思いますが、このときの大会では、代議員も本音を語りたがらない雰囲気であったと記録されています。
国労の代議員の中にも、民営化はやむなしだが、分割は反対だ、しかし、国労本部は分割・民営化は絶対反対とするとする運動方針を掲げたことは、国労組合員にも不満と不安を与えたとされています。
当時の国労部内でも民営化容認、分割反対というのが組合員の中でも声があるにも関わらずそうした発言はなされることなく、派閥による代議員による腹の探り合いのようになっていたようです。
その辺を公企労レポートから引用してみたいと思います。

国鉄内の最大組織として特異な政治感覚を駆使し、闘いを通じて固めてきたこれまでの路線を、世に中の潮流に合わせて速度を調整し、全方位を確認して大胆に切り換えることに、古い体質的な抵抗があって「民営化やむなし、分割反対」という率直な意見が言い出せない。「雰囲気」があったのだろう。

ここで指摘されていますように、国労内にもそして世間的にも、分割民営化をセットで考えずに、民営化容認、分割反対を国労が早い時期に出していたならば、政府もそして世論も変化していた可能性は捨てきれないように思えます。

しかし、そこには代議員の中に、発言することで泥をかぶりたくないという意識があったことも見逃せないと指摘しています。

再びその辺を公企労レポートから引用してみたいと思います。

対局に直面し決断しえなかった最大の理由に。自分だけは「泥をかぶりたくない」という意識が各幹部の胸中深く根ざしていて「自分自身に暗示をかけていた」との見方もある。

と記述していますが、これは国労に限らず、組織の中にあるとなかなか正論を言えないのは一般の会社も同じであり、国労だけに問題がある訳ではないと言えます。

当時の国鉄では、国鉄当局の一般職員も内心では、民営化は止むなし、しかし分割には反対だという意見もあったように見えますし、国労の大半の組合員も分割は反対だが民営化は容認するという空気感があったことは間違いないと言えそうです。

しかし、実際問題としてはそれを声に出していうことは、国労の組織にあって言えるわけもなく、国労は自らが掲げた分割・民営化絶対反対の方針を変更できないまま、自壊を迎えることになるのは気の毒な事だと思えてなりません。

その辺は詳細に、公企労レポートで詳細に語られていますが、結果的には国労内では、分割・民営化はセットで反対されており、「分割・民営化反対」はより強固なものとなり、国鉄当局とのそれまでの癒着路線と言われた、歪んだ労使協調路線から完全に袂を分かち労したい結露線となってしまったことも事実です。

昭和61年10月9日に修善寺で開催された臨時大会で国労は分割・民営化反対の意見により、国労はさらに窮地に追い込まれることとなり、山崎委員長は退任を余儀なくされるわけですが、その結果は九州・北海道で多くの余剰人員を発生させることとなり、イデオロギー*1により多くの国鉄職員を路頭に迷わせる結果となったのは記憶にとどめておきたいと思います。

 

参考資料:

以下は、弊サイトから引用した「国鉄再建監理委員会答申」の前文になります。

 

*******鉄道の未来を築くために*******

昭和60年7月26日

日本国有鉄道再建監理委員会
再建監理委員会委員

委員長 亀井 正夫  住友電機工業㈱代表取締役会長
委員 加藤 寛 應義塾大学経済学部教授
委員 隅谷 三喜男 東京女子大学学長
委員 住田 正二 (財)運輸経済研究センター理事長
委員 吉瀬 維哉 日本開発銀行総裁


はじめに
  •     当委員会は、日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法に基づき、国鉄事業に関し効率的な経営 形態の確立のための方策を検討することを任務として、昭和58年6月10日に発足し、以来2年余りの間にわたり、130回を 超える審議を重ねた。
      この間、国鉄及ぴ政府の関係機関ほもとより、交通問題に関する専門家、私鉄経営者、地方公共団体国鉄の各労働組合等から可能な限り広く意見を聴くとともに、数次にわたる現地調査を実施し、効率的な経営形態の確立のための方策についてあらゆる角度から検討を行った。

 続きは、下記にリンクを張っておりますので、合わせてご覧ください。 

jnrera.starfree.jp

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村 にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 現代史 戦後(日本史)へ
にほんブログ村

にほんブログ村テーマ 国鉄労働組合へ
国鉄労働組合

 

『鉄道』 ジャンルのランキング

********************************以下は、国労の資料になります。************************

 
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第一節国鉄再建監理委員会最終答申
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

┌─────────────────┐
├○ 四 国労の分割・民営化反対闘争│
└─────────────────┘
 
  分割・民営化反対闘争の方針決定
 国労は、最終答申のでた直後の7月29日から5日間、名古屋市で第48回定期全国大会を開き、監理委員会の分割・民営化答申に対決する方針を決定した。大会初日に次のような方針案の提案が行われた。
  「監理委員会の答申を受けた中曽根首相は、『行革』の天王山としての国鉄問題、すなわち『分割・民営化』を政治生命をかけてやりとげる決意を明らかにしました。国鉄問題は今日以降完全に政治日程に乗ったのであり、われわれはこの理解に立って『分割・民営化』反対、ローカル線存続、雇用確保の闘いをさらに一層幅広く強化しなければならない」と述べ、「国鉄の解体を許すな、国鉄労働者の雇用を守ろう、国労運動を守ろうという闘いは、中央・地方・各級機関と組合員の努力で徐々にもりあがっており」「国鉄問題が文字どおり国民世論をして勝利への展望をつかむかどうかは、一にかかって国労が内部を固め、意思統一をはかり、一人でも多くの理解者・協力者を獲得するため、謙虚な態度とみずからの主張をわかりやすくのべ、国民各層の声に積極的に耳を傾ける態度こそが闘いを成功させる基礎だ」と強調した。
 また「中央・地方ともに各組合の職場から国労オルグを待っている単産が増えており、積極的に国鉄問題を訴えていかなければならない。保革を問わず各議員、自治体、消費者団体、民主団体、学生、商店、経済団体、会社などすべてに、あそこはだめだろうと勝手に決めず、当たってくだけろの闘争心で全員が行動することを確認しあいたい」「そのためにも1000カ所討論集会の一層の成功と5000万人署名運動が位置付けられている」と提起し、「われわれの闘いは、地方行革、教育臨調、戦争に反対し、平和と民主主義を守る闘いと一体をなすものだ。これらの闘いと運動を具体的に発展させるため、全代議員の取り組みや経験や克服すべき問題点を出し合って、確信を持ち合えるまで討論をお願いする」
と呼びかけた。
 大会での討論は、分割・民営化反対の闘いを中心に進められた。
そして、分割・民営化阻止の闘いはいかに国民的多数派を結集するかにかかるとし、総評が決定した有権者過半数を目指す5000万人署名に全力をあげることを確認し、雇用を守るために労働組合の存在価値をかけ、重要段階ではストライキで闘い抜く決意を全会一致で固めた。この大会で新執行部が選出され、山崎俊一委員長が新任された。

続く

*1:思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系」を意味。参照:筆者: