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国鉄労働組合史詳細解説8

みなさま、こんにちは約6日ぶりの更新でございます。
私も、社会学は専門ではないので、こうして毎日勉強させていただきながらアップさせて頂いております。

 

日本社会党首班、片山内閣誕生

最初に、片山内閣について簡単に概略を見てみたいと思います。
片山内閣は、戦後初の社会党内閣として、憲政の常道として、社会党から選出され2位 との差が419票差という記録は衆議院における首班指名選挙としては最高記録を残しましたが、民主党国民協同党と言う保守との連立政権のため閣内の意見 が纏まらず、組閣は難航、、親任式当日までに閣僚が決まらずに片山が全閣僚を兼任して親任式に臨み、一人内閣でしのいだと言われています。

 

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まず、ここで何故連立内閣にならざるを得なかったのかといいますと、グラフを見ていただくとよくわかると思うのですが、日本社会党が第1党とはいえ、その差は僅か12であり、日本自由党民主党(この二つが合同して後の自民党になる)の力を借りなくては政権運営が出来ないことになりました。

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*1

GHQの第8軍司令官R・アイケルバーガー中将は、参謀長C・バイヤース少将に社会党政権の誕生に下記のような不満を述べています。
「とんでもない、マック(注:ダグラス・マッカーサーのこと)は社会党社会主義者の団体であることを忘れている、社会主義者は成長すれば共産主義者になるのだ」という不満を述べています。

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なお、内閣府のホームページから当時の片山内閣の内容を確認いたしますと。

寄り合い所帯の悲劇は組閣から難航

片山内閣-昭和22年5月24日成立

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 内閣総理大臣 片山 哲
外務大臣 芦田 均
※(昭22.6.1-)
▲内務大臣 木村小左衞門
  (昭23.2.15同省廃止)
▲大蔵大臣 矢野庄太郎
昭22.6.25- 栗栖赳夫
▲司法大臣 鈴木義男
  (昭23.2.15同省廃止)
 法務総裁 鈴木義男
  (昭23.2.15法務庁設置)
▲文部大臣 森戸辰男
厚生大臣 一松定吉
▲農林大臣 平野力三
昭22.11.4- 片山 哲(臨代)
昭22.12.13- 波多野 鼎
▲商工大臣 水谷長三郎
運輸大臣 苫米地義三
昭22.12.4- 北村徳太郎
逓信大臣 三木武夫
 労働大臣 米窪滿亮
  (昭22.9.1労働省設置)
 経済安定本部総務長官 昭22.6.1- 和田博雄*
▲物価庁長官 和田博雄*
 復員庁総裁 昭22.6.1- 笹森順造
  (昭22.10.15同庁廃止)
 行政調査部総裁 昭22.6.1- 齋藤隆夫
 建設院総裁 木村小左衞門
  (昭23.1.1建設院設置)
 地方財政委員会委員長 竹田儀一
  (昭23.1.7地方財政委員会設置)
 賠償庁長官 笹森順造
  (昭23.2.1賠償庁設置)
 国務大臣 昭22.10.15 笹森順造
(-昭23.2.1)
 国務大臣 昭22.6.1- 西尾末廣
 国務大臣 昭22.6.1- 林 平馬
(-昭22.11.25)
 国務大臣 昭22.6.1- 米窪滿亮
(-昭22.9.1)
昭22.12.4- 竹田儀一(兼)
(-昭23.1.7)
内閣官房長官 昭22.6.1- 西尾末廣(兼)
内閣法制局長官 昭22.6.14- 佐藤達夫
  (昭23.2.15同局廃止)
内閣官房次長 瀧川末一
内閣官房次長 曾禰 益
  (昭22.6.17二人制)

片山内閣写真

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画像 wikipediaから引用

備考
1 6月1日までの間は総理が▲の大臣等の臨時代理又は事務取扱
2 (兼)=兼任、(臨代)=臨時代理を示す。
3 氏名の後の「*」:同一人が就任期間の全期間又は一定期間に2つ以上の職を担当したことを示す。

というように、親任式には内閣が決まっていなかったことが伺えます。

片山内閣は、社会党でも右派として位置づけられており、比較的穏健な制度改革を進めた他、物価の安定などのために下記のようにインフレを抑制するための施策を行ったことなどが逆に社会党左派からの反発を買ったっと言われています。

保守との連合故に思い切った政策を打てなかったことはGHQにとっては好都合?

> 先の2・1スト後、1600円ベース賃金であった。7月末の中央委員会では、大きな論争が生じた。一方は生計費の推移から見て賃金要求額としては1980円、賃金体系は生活保障給と職階級の併立を主張し、他方は金額では3000円以上、生活保障給の上に能力給を主張した。中央委員会では、前者の意見が採択され、片山内閣の政策に近い立場をとった。

アメリカ本国の政策変更と対日占領方針の変更

元々GHQは早期の講話を目指しておりGHQ内でも長くて4年程で占領政策は終わるとされていましたが、戦後世界戦略の変化により、日本を国際共産主義運動に対する防壁とする基本方針が明確となったこともあり、日本弱体化計画は大幅に見直されることとなり、労働組合にとっては真逆の方向性を示されることとなりました。
それが、官公労労働者のスト権などを剥奪する政令201号へと繋がっていくこととなります。

政令201号と労働争議の制限強化

対日占領方針の変更を受けて、GHQは今までどちらかと言えば放任的であった組合運動に大して積極的に取り締まる方向に向かうこととなり、官公労のスト権を取り上げてしまいました。
公務員による争議特に鉄道や郵便といった基幹部分のストライキはいざという時に困るといった意図があったと思われます。
鉄道は円滑な輸送が妨げられること、また郵便の場合は実は検閲の関係がありました。(当時の郵便物はGHQによる検閲が行われていました、郵便局が公社化されなかった原因の一つに郵便物の検閲があったと考えられます。)

参考 ☆政令201号☆

 内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き、ここに昭和23年7月22日附内閣総理大臣連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令を制定する。

第1条

①  任命によると雇傭によるとを問わず、国又は地方公共団体の職員の地位にある者(以下公務員といい、これに該当するか否かの疑義については、臨時人事委員 会が決定する。)は、国又は地方公共団体に対しては、同盟罷業、怠業的行為等の脅威を裏付けとする拘束的性質を帯びた、いわゆる団体交渉権を有しない。但 し、公務員又はその団体は、この政令の制限内において、個別的に又は団体的にその代表を通じて、苦情、意見、希望又は不満を表明し、且つ、これについて十 分な話合をなし、証拠を提出することができるという意味において、国又は地方公共団体の当局と交渉する自由を否認されるものではない。
② 給与、服務等公務員の身分に関する事項に関して、従前国又は地方公共団体によつてとられたすべての措置については、この政令で定められた制限の趣旨に矛盾し、又は違反しない限り、引きつづき効力を有するものとする。
③ 現に繋属中の国又は地方公共団体を関係当事者とするすべての斡旋、調停又は仲裁に関する手続は、中止される。爾后臨時人事委員会は、公務員の利益を保護する責任を有する機関となる。

第2条
① 公務員は、何人といえども、同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならない。
② 公務員でありながら前項の規定に違反する行為をした者は、国又は地方公共団体に対し、その保有する任命又は雇傭上の権利をもつて対抗することができない。

第3条
 第2条第1項の規定に違反した者は、これを1年以下の懲役又は5千円以下の罰金に処する。

  附 則
 1.この政令は、公布の日から、これを施行する。
 2.この政令は、昭和23年7月22日附内閣総理大臣連合国最高司令官書簡に言う国家公務員法の改正等国会による立法が成立実施されるまで、その効力を有する。

参照 

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html

 

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以下は、国労の資料になります。

┌───────────────────────┐
├○ 1800円ベース賃金と国鉄反共連盟の結成     │
└───────────────────────┘

 大会直後の47年7月5日、片山内閣は新物価体系を発表した。これは賃金を戦前の25倍にあたる1800円をとし、物価を戦前基準65倍で安定価格を設定し、インフレに歯止めをかけようとした。国鉄では、先の2・1スト後、1600円ベース賃金であった。7月末の中央委員会では、大きな論争が生じた。一方は生計費の推移から見て賃金要求額としては1980円、賃金体系は生活保障給と職階級の併立を主張し、他方は金額では3000円以上、生活保障給の上に能力給を主張した。中央委員会では、前者の意見が採択され、片山内閣の政策に近い立場をとった。闘争戦術では、2・1スト中止後、産別会議の主流である全逓は、全国統一ストではなく、各地域との実力闘争を展開する地域闘争戦術を展開した。この戦術をめぐり、国労内部でも論争されたが、中央員会では、この考え方をとる本部提案を否決した。
 1800円ベースに対処するため、官公労組は共同闘争組織として、全官公(全官公庁労働組合協議会)を設置したが、全逓国労の間では、賃金要求のあり方をめぐって意見の違いが目立った。全逓などの方針を国労でも採用すべきだという考え方の国労内のグループは臨時大会の開催を要求した。
 このため、47年10月16日から開かれたのが第2回臨時大会(日本大学講堂)である。この大会で、中央執行委員会(中執)は賃金要求について、生活保障給と職階級の併立、額の要求の基礎は実態生計費におくという原案を示した。これに対し、代議員からは、生活保障給の上に能力給、要求の基礎は理論生計費という対案が出され、大会ではこの対案が可決された。また闘争戦術では、中執は、中闘指令で統制することを原則とする原案を示したが、大会はこれを否決して地域闘争戦術を採択した。中執は総辞職を決め、大会議長は大会の流会を宣言し、中執派支持派の代議員とともに退場した。退場した議員らは、臨時大会の決定は、組合の意向ではなく、共産党の陰謀だとして、組合から共産党を排除することを申し合わせ、47年11月に国鉄反共連盟を結成した。国鉄反共連盟はにち、国鉄労組民主化同盟(民同)と名前を変えた。この民同派と共産党支持グループとの間の抗争の展開とともに、その中間に立つ活動家が48年(昭和23)年4月国鉄労働組革新同志会(革同)を結成した。以後、国労では三派が、指導部や方針の形成をめぐり、しのぎを削った。
 47年11月。辞職した執行部のあとを埋めるなど、流会大会の事後処理のため中央委員会が開催された。新しい執行体制では、反共連盟が主流となり、中央委員会の直前に提示された中労委の調停案を受け入れることを決めた。全官公のなかでは、全逓などが調停案を拒否し、48年の3月闘争で地域ストに入ろうとしたが、マーカット覚書によって、2・1スト同様禁止された。
 国鉄の賃金問題は、48年1月に、2920円ベースで、職務のウエイト別に12ランク。38段階の序列からなる職階制賃金の導入ということで決着した。この内容は、その後の改変はあったが職階秩序の確立の基礎をなした。

┌─────────────────────────┐
├○ マッカーサー書簡、政令201号と職場離脱闘争      │
└─────────────────────────┘

 1947年から始まったアメリカの戦後世界戦略の変化はその後、マーシャルプランなどヨーロッパにおける冷戦体制の強化と共に、アジアでは日本を国際共産主義運動に対する防壁とする基本方針が明確になった。アメリカ占領軍の政策は、当初の一定の「民主化」政策の推進から、いわゆる「反動化」政策へと決定的に転換し、労働運動など民主的諸運動への弾圧が激しくなった。
 日本の労働運動内部では、2・1ストの挫折以降、共産党と産別会議の指導に反対する勢力が力を増し、国鉄反共連盟の結成や、総同盟の反共的な労働組合結集の呼びかけがあり、さらに48年2月。産別会議でも民主化同盟が発足した。
 48年7月、官公労組の夏季闘争が本格化しようとした矢先、突然、当時の芦田内閣に対し、官公部門の労働者の労働基本権を全面的に抑圧することを法的制度に求めるマッカーサー書簡が出された。労働組合の一部などでは、これは書簡であって命令ではないと解釈したが、事実は命令であり、マ書簡にに基づき、政府は同月末、政令201号を急遽公布し、公務員の争議権、団交権を剥奪し、団結権を制限し、従来の協約を一切無効とした。
 
 続く

 

*1:第8軍司令官R・アイケルバーガー中将