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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 109

今回は、オリジナルの記事としてアップさせていただきます。

昭和55年頃の、国鉄の事情等を再び、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら総括して見たいと思います。

 不協和音が見られた公労協、独自路線を歩む全電通

昭和54年、官公労は、私鉄総連などと組んで公労協統一闘争を行っていましたが、ここに来て、全電通(現:NTT労組)が自主交渉、個別調停を行うことを提唱し、官公労の統一闘争から一足早く離脱するなど、全電通の独自性が見える春闘でした。

全電通自体が、全電通が、1970年代後半から、賃金闘争と物価闘争を重視する運動を進める独自性を発揮して、官公労からの距離を置き始めると共に、1980年の「全日本民間労働組合協議会(全民労協)への参加を果たすなど、官公労の中では異色の動きをして行くこととなりました。

公労協では全逓の弱腰が垣間見えた春闘

かつて、権利の全逓と言われるほどに強力な組合運動を展開してきた全逓ですが、全逓名古屋中郵事件(ストによる郵便不取扱いが刑事罰の対象になるとした判決)などの理由から、拠点局における、29分だけのストライキとなるなど、弱腰というか、あまり派手な運動は見られなかったようです。

参考:全逓名古屋中郵事件

persona-non-grata.hatenablog.com

私自身が、郵便局に就職したのが1983年7月、普通局に転属して全逓に加入したのが1987年4月であり、この頃は強力な闘争路線は姿を消していました。

最終的には仲裁裁定によ頼るしかない、賃金決定

国鉄など官公労は、基本的には独自の賃金決定権を当事者が持っておらず、最終的な決定は、仲裁裁定によるしかないわけで、昭和55年の春闘では下記のような流れがありました。

  • 当局の回答前に組合側から調停を申請したグループ・・全林野、全印刷、全造幣、アルコール専売

  • 当局側から調停を申請したグループ・・・・・・・・・国鉄、郵政、専売公社
  • 調停委員長見解が出された後、当局側から申請したグループ・・・・・全電通

 

と言ったグループに分かれました。

ここに来て、全電通の組合としての方向が変わってきていること、そしてこれが民営化議論が起こった際にもスムーズに民営化に移行できたところなのかなぁと考えさせられるところがあります。

特に、全電通は、昭和25年に逓信省から分離する際に、独立した組合で有り、全逓から分離した組合であり、昭和30年代、40年代には郵政の全逓に劣らないほどの強力な闘争をしていたことを考えると、時代の流れに沿って旨く生き延びてきたのかなぁと思ってしまいます。

 

電電公社ロゴ

独自路線を歩み出した、電電公社の組合、全電通


続く

 

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国鉄労働組合史詳細解説 108

 久々に更新させていただきます。

今回も国労の労働運動誌を底本に、労働運動の変遷を別途調査した資料等を参照しながらアップしたいと思います。

過熱気味の公定歩合と賃上げ闘争

国労の資料によりますと、80年代春闘の話をここで行うとされていますので、こちらノーページでも、春闘を中心に国労、そして他の組合の動きを80年~82年までを3回に分けてアップさせていただこうと思います。

1980年当時の公定歩合は、昭和55年2月19日に改訂され、年7.25%(1.0%引上げ)されています。

www.boj.or.jp

参考:日本銀行公表資料 昭和55年2月19日公定歩合改定

 今では考えられないくらいの好景気ですよね。

7%強ですから、お金を預けておけば10年で倍になって返ってくる計算になります。

実際、昭和55年の夏には、郵便局の定額貯金の金利が8%となり、定額貯金が集まりすぎて、10年後の90年にV90と言うタイトルで、預金の再契約がそれこそ、郵政省を上げて施策を行うと言ったことが行われた時代でした。【当初のタイトルはV65(昭和63年当時)でしたが、その後V90に変更されました】

私も、当時郵政局に勤務しており、V90関係では色々と走り回ったものでした。

国労も強気の春闘額を要求

ちょっと、余談が過ぎましたが、80年代は、緩やかなインフレr状態でしたので、賃上げは生活改善と共に、目減りしない賃金という名目もありました。

この春闘では労働四団体の要求基準が八%に揃えられた点も注目された。4月9日に出された金属労協への回答では鉄鋼などで前年を上回ったが、電機は最低賃上げ目標額に達しなかった。このため電機労連は、4月10日にJC決戦参加以来初の12時間ストに突入したが、回答に上乗せできず、手当の改善にとどまった。4月16日未明には私鉄総連に対し、平均1万2200円の賃金引き上げ、年間臨時給13社平均5.3ヵ月の回答が出され私鉄総連は予定していたストを中止した。 
 国労は、2月27、28日に開いた第127回拡大中央委員会において、80春闘要求額として、2万3000円(12.5%)35歳・勤続17年19万円を基本とする、との方針を決め、3月11日に要求書を提出した。国鉄の賃金について4月16日からの公労委の調停作業が始まり、私鉄との完全連動をめぐって折衝が続けられたが、公益委員はこれに応じず、労働側委員の辞任する事態となった。5月14日、6.6%、1万1546円の調停委員長見解が示された。これを公労協が拒否して仲裁に移行し、6月10日に先の調停委員長見解と同一内容の仲裁裁定が出された。しかし、80年6月の衆・参同日選挙の結果自民党が大勝し、与野党伯仲の終わった選挙後の閣議で仲裁裁定が議決案件とされた。80春闘の結果は、労働省調べで、民間1万1679円、率は前年を上回る6.74%であった。

国鉄当局から見た労働組合の動き

国鉄の部内誌、主に総務関係で読まれていたと思われる冊子で、人事関係等が詳しいですから、引用してみたいと思います。

さて、「国有鉄道、昭和55年6月号  今次春闘をかえりみて」を参照しますと、

当局も当初は、4月16日早朝に私鉄のべアが決着を受けて、国鉄春闘も早めに終わると期待されたが、国労動労は公労委公益側委員の示した平均平均6.6%程度(国鉄6.4%程度)11、650円の調停案を不満としてストを続行、公労協の労働側委員4人の辞表提出という異常な事態にでたため、調停作業は一時中断という形で中止となった記録されています。

その後、5月6日には、労働側委員が辞任を撤回 5/6には辞任を撤回、5月13日、夕方から、公労委の調停作業が再開され、14日早朝調停委員長見解の提示で、約1ヵ月ぶりに決着をみることになりました。

この改訂では、3公社5現業加重平均6.625%・1万1546円、国鉄べ-スで6.396%・1万1897円」というもので、4月16日に公益委員が非公式に示した解決案の「骨格」をわずかに微調整した程度 となっています

詳細は是非、弊サイトをご覧ください。


jnrera3.webcrow.jp

 

官公労から民間労組が春闘相場を決定

再び、国有鉄道の記事から引用してみたいと思います。

今次春闘(同盟等は賃闘という〉では、最近とみに昂まった労働戦線統ーへの動きを背景に、民間労組の結集が一段と進んだようである。
具体的には、J C (金属労協〉と化学エネルギー労協の共闘、私鉄総連・全日通・全国金属の3単産の民間賃闘対策連絡会議への参加(ブリッジ共闘〉等である。ここ数年来、春闘のあり方等をめぐって鉄鋼労連その他の民間労組と官公労組との、聞に意見対立、乖離が目立ってきていたが、民間労組の結集が進んだことによって、賃金闘争を民間がリードするという様相が一層強まった感がある。
そのような状況の中で、いわば総評が同盟や民間労組に歩み寄る形で、統一要求基準8%が設定され、また、官民総がかりの短期集中決戦構想が打ち出された。短期決戦という点では、参議院選挙、国鉄運賃値上げ等との関係もあった。

さらに、記事は続くのですが、冒頭で「4月16日早朝に私鉄のべアが決着を受けて、国鉄春闘も早めに終わると期待されたが」、とある様に、今まで国鉄と歩調を合わせて交運共闘として、同じ時期にストを実施するなどしてきた私鉄労連が、ストライキを行って、賃上げを獲得する方式から、「交渉を詰めて回答を得たのち不満ならばストを組むという交渉重視路線〈事後対処方式〉への転換をめざしてきた。」と言われています。

私鉄は、国鉄との共闘から、徐々に軸足を動かすことに

これは、国鉄ストをすることで、その利用者が私鉄に流れる、結果的に私鉄利用者が増えれば、私鉄側としてみれば、賃上げ要求を行いやすいという流れに変わってきたことも大きいかと思われます。

実際、この時もスト戦術で抵抗したのは、京成のみでした。

当時の京成は、成田空港開業の遅れなどから累積債務が増大しており、経営状態はかなり無かったこともあり、社員のモラールも低かったとも言われています。

京成3000形初代

京成3000形初代

京成は、空港開港の遅れなどから、財務状況が悪化していたこともあり、その辺も会社全体に影響は有ったかと思われます。

再び、引用させていただこうと思います。

私鉄総連は、一応は従前どおり国労動労と交運共闘を組んで公労協と連携を保ったが、一方で民間賃闘対策連絡会議に参加して民間主要労組との強い連携のもとに行動した。いわば両方に片足ずつ乗せたわけであるが、どちらの足が軸足であったのか。また、私鉄総連はここ数年来、団体交渉も進まない内にスト計画を組むスケジューノレ闘争から、交渉を詰めて回答を得たのち不満ならばストを組むという交渉重視路線〈事後対処方式〉への転換をめざしてきた。

経営側もこれらの傾向を歓迎した。加えて、公企体等との連動を断ち切って独自に賃金を決めたいという意向は、もともと労使双方に根強くあったであろう。従前の形式的な第1次回答はなくなり、11日の回答は最終回答的なものであった。最後には大方の予想をくつがえす高額(大手8社平均6.72労・1万2200円)で妥結した。

 既に、この頃から、私鉄総連は、ストをしてお客様に迷惑を掛けるのではなく、ストをしないことで、むしろ利用者に喜ばれることで、更にその利益の再配分を目指すという方式に切り替わっていく流れを目指していると言うことであり、これは私鉄総連に限らず、民間賃闘対策連絡会議(同盟が主導)の流れに沿うものであると言えます。

官公労の、ストライキによるいわゆる、闘いによる労働者の権利確立は、民間労組では時代遅れという概念を持たれていく中、国鉄、郵政といった官公労の代表組織は、その舵を切れないまま進んでいくように見受けられます。

日本民営鉄道協会も、私鉄総連の動きを歓迎しており、労使双方共に新しい春闘(賃闘)方式を歓迎していますし、私鉄総連も一定の評価をしています。再び引用してみたいと思います。

山田労務委員長は、「毎年いるいろな外的要因で思うように交渉ができなかったが、今年は自主交渉の実をあげた。組合側の新しい動きは評価した。それに応えるべきだと判断した」と語っている。
私鉄総連の田村書記長は、「成果があったと評価している。民間共闘と全交運共闘の両方に軸足を置いた闘いを来年も続けていくが、民間賃闘対策会議とのブリッジ共闘は強化していくべきだ」と述べている。

ここに来て、私鉄総連は、従来の国鉄に歩調を合わせていく方式から、その軸足を更に、民間共闘にシフトさせていくと明言しているところは注目に値する点です。

私鉄総連は、従来の国鉄に歩調を合わせていく方式から、その軸足を更に、民間共闘にシフトさせていくと明言しているところは注目に値する点です。

私鉄の代表格として、南海電車をアップさせていただきます。

続く

なお、次回以降は、動労・鉄労などの動きも併せて参照してみたいと思います。

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 八〇、八一、八二春闘 │
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 80年代初頭の春闘については、第一章に記述していなかった
ので、ここで取り上げる。
 1979年10月の第35回総選挙は、一般消費税の導入を掲げた自民党に国民はノーの審判を下し、自民党の惨敗に終わった。
 それ以降、政府・財界による「行財政改革」が中心的テーマとなって、財政支出削減の方向が追及され始めた。と同時に、与野党伯仲と景気の一定の回復のもとでの80春闘であった。この春闘では労働四団体の要求基準が八%に揃えられた点も注目された。4月9日に出された金属労協への回答では鉄鋼などで前年を上回ったが、電機は最低賃上げ目標額に達しなかった。このため電機労連は、4月10日にJC決戦参加以来初の12時間ストに突入したが、回答に上乗せできず、手当の改善にとどまった。4月16日未明には私鉄総連に対し、平均1万2200円の賃金引き上げ、年間臨時給13社平均5.3ヵ月の回答が出され私鉄総連は予定していたストを中止した。
 国労は、2月27、28日に開いた第127回拡大中央委員会において、80春闘要求額として、2万3000円(12.5%)35歳・勤続17年19万円を基本とする、との方針を決め、3月11日に要求書を提出した。国鉄の賃金について4月16日からの公労委の調停作業が始まり、私鉄との完全連動をめぐって折衝が続けられたが、公益委員はこれに応じず、労働側委員の辞任する事態となった。5月14日、6.6%、1万1546円の調停委員長見解が示された。これを公労協が拒否して仲裁に移行し、6月10日に先の調停委員長見解と同一内容の仲裁裁定が出された。しかし、80年6月の衆・参同日選挙の結果自民党が大勝し、与野党伯仲の終わった選挙後の閣議で仲裁裁定が議決案件とされた。80春闘の結果は、労働省調べで、民間1万1679円、率は前年を上回る6.74%であった。
 81春闘は、労働戦線再編の動きが活発化するなかで、労働四団体の共闘が進められたことに特長があった。80春闘に続き、10%の統一要求と減税等の要求でも四団体の共同歩調が目立った。同時に、第二臨調が3月に発足し、これを受けて行革推進国民運動会議も3月に結成された。4月9日、金属労協への一斉回答では鉄鋼6.99%、電機8%であった。4月22日に私鉄の回答が出され、私鉄総連は、平均1万4700円の賃上げ、年間臨時給5.3ヵ月、生活関連分10月から1000円増額の回答を受託し、ストを中止した。
 国労は、3月4、5日に開いた第131回拡大中央委員会において、賃上げ2万5000円、扶養手当、都市手当の増額などの新賃金要求を決定した。3月11日、当局に新賃金要求を提出し、本格的な交渉に入った。交渉では、民間賃金との格差、長時間・不規則・夜勤手当など国鉄独特の労働実態への配慮などで、当局に迫ったが対立したままであった。4月3日、国民春闘勝利統一行動に参加した国労は、ローカル線廃止反対、運賃値上げ反対、物価・減税要求実現などの要求を揚げ全国主要400駅で早朝一時間出改札ストを行った。4月15日、国鉄当局は8155円、引き上げ率4.23%の回答をしてきた。この回答を不満とし、翌16日に国労動労、全印刷、全専売、全造船とともに公労委に調停申請した。
 公労委の調停作業は4月17日から始まり、23日に調停委員長による最終案(三公社五現業平均1万3996円7.64%)が提示されたが、労働者側委員、使用者側委員双方とも拒否したため、仲裁へ移行し、5月16日に先の調停委員長見解と同一の仲裁裁定がでた。この年も仲裁裁定が国会の議決案件とされ、10月30日に議決された。81春闘の結果は、労働省調べで、民間1万4037円、7.68%で前年を額・率ともに上回った。
 82春闘に先立って日経連は「労働問題研究委員会報告」で行革推進とあわせて、官公労働者の賃金抑制の一層の強化を求めた。
貿易摩擦の激化、内需停滞という経済環境のもと、行革が展開され、国鉄労働者に対するマスコミの批判キャンペーンも加わり、厳しい状況での八二春闘であった。労働四団体は賃上げ要求基準を1万4000円、9%とした。4月8日に鉄鋼1万3100円6.36%などの金属四業種への一斉回答が行われたが、金属労協はこの回答を受け入れた。また、私鉄総連は4月12日に賃上げ1万4500円(八社平均7.0%)年間臨時給5.327ヵ月回答を受託し、これにより13日予定していたストが中止され、私鉄大手は1968年いらい14年ぶりにストなし春闘であった。
  国労は、2月19、20の両日、第134回拡大中央委員会を開き、2万5000円、12.3% の賃上げ要求を決定した。3月3日、国民春闘共闘会議は一兆円減税などの要求を掲げ、統一行動を実施した。国労は全国42拠点で地上勤務者による時限ストでこれに参加した。新賃金要求を提出して国鉄当局と交渉を重ねたが、4月13日、当局が有額回答の提示要求に応じなかったため、公労委に調停を申請した。
 公労委の調停委員長見解は4月18日、国鉄には定昇込みで1万3552円、6.71%であったが、使用者側委員の拒否で仲裁へ移行した。仲裁裁定は5月8日に、調停委員長見解と同内容のものであった。82春闘の結果は労働省調べで、民間1万3613円、7.01% と前年を下回った。

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 107

本日も、国鉄労働運動史をご覧いただこうと思います。

今回は色々と資料を探してみたのですが、鉄労の資料を『国鉄民主化への道』を参考に書かせていただくのが一番詳しいようでしたので、この記事を参考に解説を加えさせていただきます。

国労とのパイプを絶つことに成功した、仁杉総裁の辞任

国鉄民営化に投書は賛成の意向であった、仁杉総裁は、本社内の民営化反対の勢力に押される形で、民営化を容認から、反対に転じることとなりましたが。
この辺は、もう少し複数の資料を探していく必要はありそうです。
6月21日に、仁杉総裁は辞表を提出、翌22日は土曜日でしたが緊急役員会が開催され、縄田国武副総裁と半谷哲夫技師長が辞表を提出、他の役員にも辞表を提出することを要請し、現状維持派の大半を含む役員の辞表のとりまとめを行ったと書かれています。

最後の最後で民営化に反対する常務理事を道連れに、辞任したのは歴史の皮肉とはいえ国鉄の改革には大きく前進したと言えそうです。

国鉄当局とのパイプを失った国労

そして、ここで一番打撃を被ったのは、国労でした。

それまで、国労とのパイプを持っていて、秋山機関と言われた、秋山資材局長と国労のパイプが切れてしまったことで、国労は迷走することとなります。

国労自体は、ある意味馴れ合いでこれた活動は出来なくなり、本社とのパイプがなくなってしまったため、結果的には〝三ない運動〝の中止にも見られるように、今までの勢いは何処へやらとなってしまいます。

雇用安定協約を再締結されなかった国労は更に窮地に

さらに、鉄労が早々と「雇用の安定に関する協約」を11月13日には調印したに対し、国労は上記のとおり、〝三ない運動〝中止を行うなど、国鉄当局への歩み寄りを示す姿勢を示すと共に、総評議長の黒川武が、国鉄総裁と組合の間に入り、雇用安定協約の締結に動きましたが、当局は、一部地本に非協力的なところがあるとして、これを拒否することとなり、雇用安定協約の再締結には至らず、国労は更に混迷の中に巻き込まれていくことになるのでした。

 

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

583系改造の419系、国鉄改革の象徴とも言えます


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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 第四七回臨時全国大会の方針と〝三ない運動〝の中止│
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 国労第四七回臨時全国大会が八五年五月二七、二八日の両日、札幌で開催された。この大会の中心議題は、「余剰人員調整三項目」
を中心とする闘いの総括と分割・民営化反対の闘争方針等を決めることであった。方針案は概略つぎのようなものである。
 ① 九カ月におよぶ闘いのなかで露呈した指導部に対する『統一闘争』の組織化をめぐる不信・批判などの内部矛盾を除去することに全力をあげ、すべての労働者の創意と行動を組織化する大衆闘争と組合民主主義の徹底をはかる。
 ② 過員づくりが、分割・民営化を推進する重要な施策であり、一体不可分であるだけに、反合理化闘争を再構築し、一人の首切りも許さない態勢をつく。
 ③ 過員の解消をめざし、安全・サービス。労働条件および権利の向上などを実現する闘いを組織する。 ④地方交渉の確立な未解決の要求の実現をはかる。
 ⑤ 用安定協定については今から再締結運動に取り組む。
 ⑥ すでに派遣に応じた仲間の派遣先での労働実態および悩み・不満などについて調査し、問題解決に取り組む。
 ⑦ 当局の一方的な「規定」の制定と業務命令の乱発にたいして、 すべての職場で就業規則の点検と意見書提出の闘いを継続して 闘う。
 また、「余剰人員対策三項目」の協定の前進面として①強制・強要はしないこと、応じないことをもって不利益にしないことを明確にさせた、②所属長が該当職員に文書で復帰・復職を保障することを協定上明確にした、③組合が、〝肩たたき?をしなければならないような協定にしなかったことなどが、書記長による協定締結の提案のなかで示された。
 「余剰人員対策三項目」に対する闘いの総括をめぐって論議がかわされ、「三項目」関係の諸協定は委員長の特別発言をうけて承認したが、闘争経過については、さらに職場討議をつづけ、七月下旬に名古屋で開く第四八回定期全国大会で最終総括をおこなうこととなった。
 七月二九日から五日間、開かれた全国大会では、「余剰人員対策三項目」の闘いの総括について次のような書記長集約意見で経過を承認した。「『三項目』問題では、妥協せざるをえなかった経緯と協定をよりどころとして職場の闘いを強化していくこととする。
臨調行革の攻撃として受け止め、これに反対する広範な統一した闘い、権利闘争としての闘いを職場と地域との結合した全国的な闘いへ発展させるうえで不十分さをもっていたこと、組合民主主義上の問題や指摘も含め、これらを教訓として闘いを展開していくこととしたい」。
 また、国鉄当局は85年11月30日に雇用安定協約の期限が切れるが、協約の延長締結を求める交渉において、国鉄当局は「国労の運動のなかに〝三ない運動?があるので雇用安定協約締結という心証形成には至らない」と主張し始めた。
 このような当局の姿勢に対し、11月19日からの第一四四回拡大中央委員会で山崎委員長は挨拶で、「三ない運動」中止し、その後の対応を「派遣労働者の組織対策を強化し、協約締結以降の今日の状況の変化に留意する。強制・強要を監視し、不利益扱いについては中央・地方での団交を強化し追及する」と述べた。中央委員会で委員長の真意を問いただす質問が集中したが、次のような書記長答弁で方針を決定した。
 「雇用安定協約が結べない場合、当局は、三項目協定と関連して組織分断の宣伝を強化するであろうし、他組合は、組合員の雇用安定を放棄したと攻撃を強めるだろう。さらに協約を結べなかったことを理由に、当局は『過員』に配転命令し、拒否には解雇のねらい打ちが考えられる。希望退職者数に達しないことを理由に、指名解雇などの事態を予測した場合、協約がないことのマイナスは大きい。いま協約を結ぶ必要性は非常に重くなっている。」

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 106

ここ最近更新が出来ずに申し訳ありません、昭和60年の公企労レポートが手元にないのですが、出来るだけ資料を集めながら書かせていただこうと思います。

55歳以上の労働者脱退を阻止するための抗議行動を行う国労

年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
しかし、国鉄当局側からすれば、合理化は喫緊の課題でした、昭和59年8月に示された早期退職の条件は、下記のようなものでした。
  • 55歳以上の職員の昇給は行わない
  • 55歳で退職した場合は、特別昇給の他、4月1日退職、(これにより定期昇給が4号奉上がるため、年金などの受給で有利になる。)その反面56歳以上の職員の場合は3月31日退職扱いとなり、号奉のアップは行われず、その後の定期昇給も行われない
  • 56歳以上の場合は、こうした条件がすべてなく、定期昇給もありません。

現在の役職定年などの制度の基礎になった?

なお、最近では、55歳を役職定年として、それ以降は管理職から離れて専門職にしたり、出向させることが行われていますが、こうした国鉄労務政策が形を変えて発展したと言えるかもしれません。

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国鉄施策、希望退職者
 
 
また、出向も行われており、下記のように多くの職場に国鉄職員が派遣されているようです。

国鉄職員の出向先

出向先の例

国鉄時代は、自動車工場等への出向が多いのですが、ここには出ていませんが、スズキ自動車工業の販売店への出向もあったそうで、そこでは国鉄職員の出向期間満了後も残って欲しいと言った希望もあったそうです。

自動車工業関連への出向が意外と多いのを見ていただけると思います。

さらに、国鉄ではこうした出向以外にも直営店舗の開店などを進めていきます。
国鉄部内誌の国有鉄道1985年8月号によりますと、下記のように書かれています。
昭和59年8月6日に国鉄初の直営店舗が,東京駅はじめ12駅で開設されて以来ほぽ1年が経過した。それ以来,各鉄道管理局各駅において順次展開され、現在では年聞を通じて営業する店舗(通年型店舗〉は,別表のとおり29鉄道管理局93駅で140店舗までになった。一方,多客期やイベントのある時等に機動的に開設される店舗(臨時型店舗〉も、各地で随時積極的に展開されるようになった。
 
と書かれています。
以下、別表

国鉄直営店舗、1985年国有鉄道

国鉄直営店舗

この頃は、駅構内や余剰の客車などを改装して駅構内に設けた食堂など、数多くの直営店舗が誕生しました。
天王寺駅でも、8番線ホーム側に、釜飯屋、喫茶店、等の直営店舗が複数展開していた時期がありました。

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店 国有鉄道 1985年9月号

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店

年度末における退職者の取扱に関して仲裁裁定が出されることに

四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」

この件に関しては、他の資料を参照したのですが、詳細な記事が載っていませんでしたので、国労の記事をそのまま書かせていただくだけとさせていただきます。
 
国労は、仲裁裁定を経たことで、年度末における退職者の取り扱いについて締結することで、八六年度以降も現行の協定によることとして、雇用安定協約が引き続き、有効期限がある協約となったと書かれています。
ただ、この辺は、個人的にはまだまだ不明な部分がありますので、今後更に調べていき判った時点で追記させていただくことをご承知おきください。
 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 余剰人員対策「三項目」の妥結と雇用安定協定の解約取り消し│
└──────────────────────────────┘
 
 国労第一四三回拡大中央委員会が3月5、6日の二日間にわたって開かれたが、「三項目」に論議が集中した。とくに経過報告にたいする質疑には、三・一スト延期や闘申五〇号は大会決定違反などの疑問が中央委員から出され、経過報告の承認は方針決定と同時に行うことになった。
 方針の討議では、「当局の姿勢は変わっていない。組合の方が右往左往している」
「政府や当局の動きに依存するのではなく、職場に依存せよ」
「本部は舞台裏の折衝にあけくれている」などの批判が相ついだ。
 討議後の書記長の答弁において、三項目問題では「一人の首切りもさせない」ことを基本態度とし、休職・派遣などについての要求の実現をめざす、「緊急課題の要求」で総団結し、その前進のために闘い、重要局面でのストライキを配置すると集約し、この方向で意思統一された。なお、これらの闘いの総括にたって臨時全国大会を開くことを決めた。
 年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
 こうした行動を背景に本社との交渉、国会での追及、公労委の活用などに取り組んだが、当局の不誠実な態度によって年度内解決ができなかった。三月七日に公労委に特退制度に関する仲裁裁定を申請していたが、四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」というものであった。この仲裁裁定を受けて国労はその受諾を決めた。これにより「特退協定」「昇給協定」「休職・派遣」などをめぐる交渉は、四月八日までに大筋がまとまった。
この妥結により、当局が解約通告をしていた雇用安定協定については、85年11月30日までの有効期限のある協約として存続することとなった。

続く
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国鉄労働組合史詳細解説 105

国鉄当局の基本方策を監理委員会に提出

国鉄は、1985年(昭和60年)1月10日に、国鉄の経営形態のあり方について、下記のような経営改革のための基本方策として発表しました。

本文は非常に長文ですので、後ほど弊サイト【国鉄があった時代】で全文アップする予定ですが、一先ず新しい経営形態のあり方について言及した部分について書かせていただきます。

ポイントは以下のとおり

  • 公共企業体→民営化を行う
  • 民営化に際して徹底した分権化を前提としたに全国一体の特殊会社
  • 地方交通線については、全額出資の株式会社として分離運営  

下記のようなイメージになります。

f:id:whitecat_kat:20170327100509p:plain

上の図でも出ていますが、北海道と四国も基本的には場合によっては分離しても良いとしています。
また、基本的には特定地方交通線は、転換した上で残る地方交通線は株式会社かすることとしています。
社会党案については、今後資料を集めてくる予定ですが、概ねこれに近いもので、70%の株式を国が保有する特殊会社で、ローカル線の分離などは考えられていませんでした。

以下は、国鉄が再建監理委員会に提出した、経営改革のための基本方策の抜粋になります。

「経営改革のための基本方策」

新しい経営形態(1)

経営形態の変更今回の計画は昭和65年度を目途に活力ある事業活動のもとに自助努力の限界に挑むことによって速やかに収支の均衡を図り、以後安定的な経営状態を維持することをめざしている。~中略~。
現行の国鉄は昭和24年に公共企業体として発足したが当初からその在り方が問われ国鉄自身も諸制約の緩和と事業範囲の拡大を望み続けてきた。しかし公共企業体の枠内での変更には自ら限度があり、かっそれは必ずしも適時適切に行われたわけではなかった。今後の輸送需要の見通しなどを考えると鉄道事業は極めて厳しい状況にあるととが予想されるが、刻々に変化し流動する社会経済の動きに的確かつ弾力的に対応し意欲的な経営が行えるよう現行の公共企業体という経営形態を変更し、民営化を行うこととする。

(2) 民営化の具体的あり方

現行国鉄経営の現状は特性を発揮できる分野と、特性を失い縮小ないしは撤退すべき分野、または特性を失ってはいるが何等かの方途で存続させざるを得ない分野が併存しているのが実態である。~中略~同時に行財政上の支援を受けつつ解決していく事柄も多い。~中略~
また当面の重要課題の一つである余剰人員対策についてもその発生は全国に及ぶが、雇用機会には地域差が強いこと等を考慮すると全国的な規模で調整策をとることが有効であると考えられる。一方、輸送の実態をみるとかなりの地域差がみられるものの、現状ではそれぞれの地域が独立して存立し得る経営基盤は必ずしも整っておらず、現に日々の輸送をあずかるものとしては全国的にこれを運営するととがより現実的であると考えられる。以上の諸点や全国的な輸送の実態及び経営形態の変更に伴う激変緩和の必要性等を総合的に勘案して、現時点においては民営化の手段として徹底した分権化を前提に全国一体の特殊会社方式を選択する。
 この特殊会社は幹線系線区を専ら運営するものであり、特定地方交通線以外の地方交通線については前述のとおり、全額出資の株式会社として分離運営する。
 なお、北海道及び四国については、輸送や運営面の独立性が比較的強いという事情もあるが、将来の見通しからみて民営による安定的運営は至難である。しかし国の政策判断により特別に運営基盤が確立されるならば別経営とすることも考えられる。特殊会社の具体的制度内容は別途検討するが、可能な限りの自主性を確保するとととし、労働基本権については当面現行どおりとする。なお新会社への移行は実効性を早期に実現するため昭和62年4月1日を目途とする。

(3) 新会社の運営方式

新会社はその内部管理に際しては分権管理を徹底することとする。要員規模が縮小するとはいえ依然として新会社は全国規模の大企業であり、情勢の変化に対応して経営施策を推進するためには機動性のある組織運営が行われる必要がある。今後は特殊会社という枠組みのもとで事業運営に適した画一的でない分権管理を導入する。実施にあたっては地域別、機能別事業本部制などの方式により経営責任を明確にし、意欲と創意に満ちた事業活動の展開をめざす。

 

国鉄特殊会社設定の前提条件

国鉄特殊会社設定の前提条件

収支試算、昭和65年で収支均衡を目指している

収支試算

地域別収支

地域別収支

国の負担が前提の株式会社案は国民に受け入れられたのか?

この監理委員会に提出した民営化案ですが、国労も指摘しているように監理委員会は言うに及ばず政府、マスコミ、各政党、労働組合などから、それぞれの立場にもとづいて徹底的に批判された。

と書かれています。

実際にこの当時は、国鉄部内は分割民営化反対派が主流でしたので当然と言えば当然でした。
ただ、助成金をください、ローカル線は子会社化して分離します。
北海道・四国も経営が厳しいのでこくが面倒見てくれるのであれば個別に別会社にしますとなっています。九州を分離しますとなっていないのは、新幹線が既に博多まで開業していたためでしょう。

昭和65年【平成2年】に収支均衡できること、また長期債務のうち15.6兆円は国が負担する、更に助成金として、ローカル線の赤字や年金の超過負担なども国から助成してくれとなっていますので、再建監理委員会からすれば、本気で提出した案なのかと言いたくなったと思います。

ここで違和感を感じることは、国鉄として責任を持つのは主要幹線だけであるといっている点です。
ローカル線として、残す路線も子会社化するとしており、70近くの子会社を作る案となっています。
当然そうなってくると、地域のローカル線毎に運賃が異なるといった問題も起こりえたわけで、国鉄ファンの人が国鉄がJRになったからローカル線が廃止になったとか、サービスが低下したという発言をされるのですが、仮に国鉄の案で再建されていたら、ローカル線は早々と別会社になって、運賃は別料金または、運賃が区間によってはべらぼうに高くなると言ったこともあったかもしれません。

労働大臣は、国労との対話を要望

労働大臣(増岡博之)と国労幹部が会ったと書かれていますが、この時点では国労が最大組織でも有りますから、当然のことながらむげには出来ないと言うことですね。

1月22日に「国鉄の労使問題を放置できないので、あって話し合いたい」という労働大臣の要望で、国労委員長と企画部長が会談した。このあと、労働大臣は仁杉国鉄総裁と会い、「労使が十分な話し合いをしてもらいたい」と要請した。

一先ず、交渉のテーブルに着いた国労ですが、主張として

  1.  雇用安定協定の解約通告を撤回し、今後とも維持存続すること。
  2. 退協定については公労委の斡旋で円満に解決をはかるため、当局提案の内容に固執しないこと。
  3. 本人の申し出による休職、派遣については合意がえられるまでの間、募集は 一時中断する。
  4. 過員の問題については調停の趣旨をふまえ、中央・地方交渉による合意にもとづき実施し、今後についても交渉による解決をはかる。

といった申し入れを行いましたが、当時の国鉄に置かれていた現状では、余剰人員対策【過員対策】は喫緊の課題ですので、国鉄当局としては、大臣の要請があったから開催しましたよと言うところで終わってしまったと言えそうですね。

それと、その後の団結を誇示するワッペン闘争はまだしも、ストライキは国民の信頼を得るべき時期に有って本当に有効だったのでしょうか?

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昭和62年3月和歌山駅にて

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 労働大臣のあっせんによる団交再開│
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 1985年(昭和60年)1月10日、国鉄当局は「経営改革のための基本方策」を国鉄再建監理委員会に提出した。それは、87年度から国鉄を民営移管し、当面は全国一社制をとり、90年度【平成2年度】までに要員規模を18万8000人とする独自案であった。この案は、監理委員会は言うに及ばず政府、マスコミ、各政党、労働組合などから、それぞれの立場にもとづいて徹底的に批判された。このため国鉄当局をみる目が厳しくなったことは否めない。
 その後、1月22日に「国鉄の労使問題を放置できないので、あって話し合いたい」という労働大臣の要望で、国労委員長と企画部長が会談した。このあと、労働大臣は仁杉国鉄総裁と会い、「労使が十分な話し合いをしてもらいたい」と要請した。2月7日には運輸大臣との会談がもたれた。この会談において、トップ交渉で懸案事項を早急に処理するよう、大臣から求められた。この結果、2月8日国労は、国鉄当局とのトップ交渉を開き、 ①「経営改革の基本方策」については国労側の再建政策要求を含めて話し合っていく
 ②特退協定、雇用安定協約、昇給協定、過員問題などの懸案問題については円滑な解決へ向けて引き続き努力していく、などの合意が成った。
 こうして団体交渉が再開されることになったが、国労は交渉前日の二月一四日につぎのような「緊急課題の要求」を当局に申し入れた。

 ① 雇用安定協定の解約通告を撤回し、今後とも維持存続すること。
 ② 特退協定については公労委の斡旋で円満に解決をはかるため、当局提案の内容に固執しないこと。
 ③ 本人の申し出による休職、派遣については合意がえられるまでの間、募集は 一時中断する。
 ④ 過員の問題については調停の趣旨をふまえ、中央・地方交渉による合意にもとづき実施し、今後についても交渉による解決をはかる。活用に当たり差別扱い、強制的な業務等への就労はしないこと、○○センター等の職場は労安法上違法のないようにする。
 15日に「緊急課題の要求」にたいする当局の「回答または見解」がだされ、これをうけて一八、一九日に団体交渉が行われた。
当局は、八四年一〇月九日に一方的に団体交渉を打ち切った時点と変わらず、自らの施策や主張を頑強に固執し、一歩も譲ろうとしなかった。
 国労の「緊急課題の要求」の解決をめざした闘いは、3・1ストを背景に二月末決着をめざして進められた。中央闘争委員会は闘争指令七号を発し、全組合員の行動参加を呼びかけ、2月25日から全地本が主要駅頭や本社前、地方局前での集会や座り込み、街頭宣伝を実施した。ワッペン着用、ネームプレート着用拒否の闘い、労基法・労安法違反、人権無視の実態を監視、摘発の行動を展開した。二八日には三・一ストライキの指令が出された。
 こうした闘争を背景に進めた当局との交渉は、2月28日深夜から詰めの段階にはいった。この結果、3月1日早朝に「諸懸案事項については、円満に解決をはかるよう誠意をもって交渉する。
なお、その間、派遣・休職については強要にわたらないこととして自粛し、対処する」。この回答を受けて、中央闘争委員会は3月1日のストライキを延期した。

続く

 

国鉄労働組合史詳細解説 104

久々に更新をさせていただきます。

本日は、国鉄当局が提案した、依願者休職に対する動きについて、国労・当局の双方から見ていきたいと思います。
国労史では、撤回のみを強力に推し進めた点しか記述されておらず、国鉄部内誌や千葉動労など他の組合の資料等を参照しながら補強していきました。

今後は、動労の運動史なども購入するなどして他の組合史と比較しながら中立的視点から記述できるようにすべくしていく所存です。

依願休職募集に対する動き

国鉄の施策の一つであった、「依願休職」に関しては、本社は10月10日からの実施を予定していました。

国鉄当局が、この制度に踏み切った背景については、太田職員局長は、国鉄部内誌【国有鉄道】で下記のように語っています。

国有鉄道 余剰人員対策について、太田職員局長に聞く

余剰人員対策について、太田職員局長に聞く

記事によりますと、国鉄の輸送見込みが予想以上に減少したこと
余剰人員の問題は、一過性のものではなく、要員需給構造が変化した

  1. 国鉄の輸送見込みが予想以上に減少した
  2. 余剰人員の問題は、一過性のものではなく、要員需給構造が変化した
  3. 国鉄内でも増収活動などの自助努力を行ったが限界に達したと判断した

として、今回の依願休職の導入はやむを無かったものであるとしています。

1 国鉄の輸送見込みが予想以上に減少したことに関しては、下記の通りインタビューで答えています。

余剰人員を生ずるに至った基本的な背景は、論送量の減少であり、当初の経営改善計画では、昭和60年度初に35万人体制を実現するということを目標にしていました。

計画では、年齢構成のピークを迎えていたため退職人員が合理化目標を上回っており、むしろ若干の新規採用をしながら35万人体制に移行することが可能だという考え方をしていました。これは、輸送量の見込みが旅客において微増、貨物において横ばいという前提があったからです。

ところが、輸送量の実績は、空港の整備、高速道路の延伸等による競争の激化により旅客は微減、貨物は激減となり、経営改善計画の基本的な前提が変わりました。
要員面についてもは、当初計画した合理化目標を更に上回る目標を設定しなければならないということとなり、さる5月に運輸大臣のご承認を得て、60年度初32万人体制へと、経営改善計画の修正を余儀なくされたわけです。ところが、輸送量の実績は、空港の整備、高速道路の延伸等による競争の激化により旅客は微減、貨物は激減となり、経営改善計画の基本的な前提が変わりました。
要員面についてもは、当初計画した合理化目標を更に上回る目標を設定しなければならないということとなり、さる5月に運輸大臣のご承認を得て、60年度初32万人体制へと、経営改善計画の修正を余儀なくされたわけです。

2 余剰人員の問題は、一過性のものではなく、要員需給構造が変化した事に関しては、以下のように回答しています。

修正された合理化計画と退職人員とを比較すると、合理化数が退職人員を上回る現象がでてきました。これが余剰人員発生の基本的な背景です。
将来の輸送量の動向が厳しいことや、早急に私鉄並みの業務効率化を達成しなければならないこと等を勘案すると、合理化は今後も一層努力して続けていかなければならない。反面、年齢構成からみて退職人員が今後大幅に減少していくことから、余剰人員問題は、要員需給構造が変化したことによるものと判断したのです。

3 国鉄内でも増収活動などの自助努力を行ったが限界に達したと判断した事に関しては、以下のように回答しています

 余剰人員対策について、まず企業内での活用でと対処してきました。
各地方ごとに要員事情も違い、地域の事情も違うので、それぞれ創意工夫をとらし実情にあった活用策
一一大別すれば教育、増収活動、経費節減、施策の深度化等ですが一ーを講じてきたわけです。しかしながら、余剰人員の規模並びに今後の見通しを考えると、活用策だけでは不十分であることが明らかになりましたので、民間企業における諸々の対策等を参考にしつつ、有効な調整策を講じていくことが必要であると判断し、出向、復職前提の休職を打ち出したわけです。
今回の調整策が制度として整備されず、あるいは有効に機能しないということになると、国鉄波佐羅に厳しい状況におかれることとなり、職員の雇用安定基盤が揺らぐということにならざるを得なくなるると発言しています。

また、これに関連して国鉄は、国労、全動労に対して、雇用安定協約の破棄を10月11日に申し入れることになりました。

それでは、これに関連して、国労の全国大会の様子などを再び、国鉄部内誌、「国有鉄道」の9月号から見ていきたいと思います。

 

常務理事 太田職員局長

常務理事 太田職員局長

国労は、依願休職募集にたいして、闘争で対抗

9月14日には、9月中旬から10月上旬を分割・民営化反対、首切り「3項目」撤回を目指す第6次全国統一闘争と位置づける闘争指令3号が出された。この間に全組合員が取り組む課題として、メモ活動の徹底やワッペン着用闘争、「500万署名」活動などが指令された。

と書かれていますが、国労が全動労、千葉動労など共に、雇用安定協約を破棄されています。千葉動労も雇用安定協約の破棄を受けたのは、下記の日刊千葉動労で確認することが出来ます。

日刊千葉動労 1984年10月24日号から抜粋

日刊千葉動労 1984年10月24日号から抜粋

千葉動労は雇用安定協約を結んだ動労との確執もあるのですが、複数の組合を概括することで、出来るだけ当時の様子を再現していければと思います。

千葉動労では、動労組合員が千葉動労の年配職員【56歳以上】の退職を強要するためのいじめが行われたと報告されています。


国労は、雇用安定協約そのものを破棄されており、組合員にも動揺が有ったと思われますが、この時はまだ国鉄最大の組合は国労で有り、組合の力で雇用は守れると思っていたのか組合員の中での大きな動揺はなかったようです。

さて、再び国鉄当局の見解を再び参照したいと思います。

一一そういう事情を踏まえて、10月11日に、未妥結の国労及び全勤労に対して、いわゆる雇用安定協約を解約したい旨の通知を行ったわけですね。

太田  そうです。余剰人員の問題は、国鉄再建の成否を左右する死活的な重要問題であり、国鉄が自ら持つ能力、資質のすべてを投入して解決すべきものであります。そこで役員会で何度にもわたって真剣な議論をしたうえで最終的な判断をして6月5日に各組合に対して、伝えることとし、7月10日には具体案をとりまとめて提案したのですが、一部組合から、首切りにつながるのではないかとか、段階的な首切りだという発言がありまし た。しかし、これは、雇用を安定させるための方途であり、判断をして提案しているのであり、また、世間の常識にもかなっているのだということを、何度も述べて理解と協力を求めてきました。また、私はいろいろな機会にいってきたのですが、今回の調整策はみんなの理解と協力を得ることによって必ず効果を発揮し得るはずなのだ、そのととにより、雇用安定協約は存続の基盤を確保し得ると信じているということ、いいかえれば、われわれの努力、労使の理解、協力によって雇用安定協約が存続する条件を自らの努力によって作り出すのだと考えてもらいたい。このようにいってきたのです。そして、大詰めを迎えた10月9白には、それまでの交渉経緯をも踏まえた、当局としての最終的な条件を提示し ま したが、その際、不幸にして妥結に至らない場合には、当局として、雇用安定協約の存続について重大な決意をもって臨まざるを得ない旨申し添え、同日24時までに妥結することを要望して、ギリギリの段階まで最大限の努力を致しました。しかし、残念ながら、国労及び全動労は、向日24時に至っても妥結するに至らなかったため、これらの組合とは雇用安定協約に基づく雇用の安定を維持する基盤を維持できなくなったと判断せざるを得なかったわけです。

と記されています。

国労としても、労働運動史に書けないとは思いますが、少なくともこうした当局の動きに対して、「分割・民営化反対、首切り「3項目」撤回を目指す第6次全国統一闘争と位置づける闘争指令3号が出された。この間に全組合員が取り組む課題として、メモ活動の徹底やワッペン着用闘争、「500万署名」活動などが指令された」と書かれています」

当局は、雇用安定協約の破棄で対抗することに

この辺の事情は、国労全国大会での答弁などの内容が参考になりますので、再び国有鉄道昭和59年10月号から引用したいと思います。

山崎書記長の集約答弁は8・31全国統一半日ストを設定するなどを柱に次のように行われた。「3項目」の職場討議は、49, 52, 56年の公労委あっせんの経過を全員のものとし、多くの労組に訴えて共闘を拡大してほしい。56歳以上の仲間には、一人ひとりに組合機関が介入する必要がある。55歳以下の退職前提の休職についての検討は、今日直ちに要求は提出しない。雇用安定協約、職安法62条及び66条を考えているためだ。復職を前提とする休職や派遣は、法律的にも問題が多く、われわれの法律的な解明要求について当局は明確な回答はできないとしている。

「3項目」の撤回を求めていく。8・31ストは零時から12時まで列車運行に影響を与えることで行う。9月下旬から10月上旬の闘いは当局が10月10日に妥結したいとしている「3項目」の動きを見ながら決める。退職条件と在職条件は一つのものであり、場合によれば10日を越えて闘う構えもとらねばならない。

ということで、募集が始まる、10月10日以降も撤回を求めて闘うとされていました。 

国労にしてみれば、「雇用安定協約」があるので、簡単に解雇されることはないと思っていたようですが、当局は最終的には、国労、全動労に対して、「雇用安定協約の破棄」という手段で対抗することになりました。これは国労にとっても想定外であったようです。

なお、雇用安定協約は、下記のような内容です。

日本国有鉄道法第29条4号では「業務量の減少その他経営上やむを得ない事由が生じた場合は、職員を免職できる」とされています。
これを救済するため、「合理化等の実施に際しては、職員の意に反して免職、降職はしない」と、労使間で雇用の安定を約束しています。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 三 第二次提言と国労の対応

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├○ 分割・民営化方針に対する抗議│
└────────────────┘

 国労は、第2次緊急提言に対して総評、全交運、動労との4者共同で次のような抗議声明を発表した。「分割・民営化の基本方向を打ち出し、本格的な雇用調整実施策や地方交通線廃止促進などを求めた国鉄解体論ととも言える提言を容認することはできない」これに対し、鉄労は、「現状の基本認識については鉄労の分析と一致しており、評価したい。ただ分割・民営化の方向については、われわれと意見を異にして」いるとの見解を発表した。

 第2次共同宣言が発表された8月10日、国労は分割・民営化に反対し、9月1日からの「依願休職募集開始」提案の撤回を要求して、始業時から2時間の全国統一ストを実施した。8月20日~23日の4日間、国労の分割・民営化反対と首切り3項目、【勧奨退職の促進、一時帰休の導入、派遣制度の拡充】提案も新たな余剰人員を作り出す合理化事業もローカル線廃止も臨調行革路線による国鉄分割・民営化攻撃とみなし、総力を上げて対決する方針を決定した。
 全国大会直後の8月24日に国鉄の分割・民営化反対、首切り「3項目」撤回について、8月31日に反日ストの闘争指令が出された。9月1日からの休職募集について、8月31日に反日ストの闘争指令が出された。9月1日からの休職募集について公労委へ撤回を求めて斡旋を申請していたものが、労使ともに団交継続の斡旋を受諾したため直前で中止となった。9月14日には、9月中旬から10月上旬を分割・民営化反対、首切り「3項目」撤回を目指す第6次全国統一闘争と位置づける闘争指令3号が出された。この間に全組合員が取り組む課題として、メモ活動の徹底やワッペン着用闘争、「500万署名」活動などが指令された。国労は、11月から始まった第7次全国統一闘争の一環として12月6日には国鉄の分割・民営化反対、雇用と権利を守る中央集会を日比谷野外音楽堂で開いた。この集会には5,000人を超える国労組合員に加え国関労の組合員も参加した大集会であり、この日までに集約した「500万署名」の数は約340万にのぼった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 103

待ったなしの再建委員会

再建監理委員会は、8月10日に第2次緊急提言を中曽根首相に提出することになりますが、再建監理委員会の中では情報を小出しし、活方針を早めの示すことで、野党などの反発を抑えようとする動きがあったと言う記述もあります。

以下、大原社会問題研究所の労働年鑑 第57集 1987年版から引用させていただきます。

監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ根強い状況を踏まえて、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていた。

また、これに呼応するように、仁杉総裁、及び鉄労が分割民営化容認の発言をしていきます。

  • 六月二一日に仁杉国鉄総裁は日本記者クラブで基本的に分割・民営化に賛成だという見解を明らかに。*1
  • 六月三〇日には、三塚博自民党国鉄再建小委員長が『国鉄を再建する方法はこれしかない』と題する著書を発行。

    三塚博著 国鉄を再建する方法はこれしか無い

    三塚博国鉄を再建する方法はこれしか無い
  • 六月二六日には、同盟系の鉄労が中央委で、地域本社制と特殊法人への転換を主張し、国鉄自らの、外圧によらない分割・民営化を推進するよう提言

等が行われ、国鉄内部や自民党の一部および野党のなかに反対の意見が根強い状況を踏まえ、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていたと言われています。

第2次緊急提言を中曽根首相に提出

中曽根首相仁提出された、第2次緊急提言は、その内容は以下のようになっていました。

昭和59年運輸白書から引用してみたいと思います。

 (ア) 国鉄事業再建についての基本認識

       ① 国鉄事業の再建を達成するためには,現在の公社制及び全国一元的運営から脱却し,新しい効率的な経営形態へ移行することが必要であると考えており,基本的には分割・民営化の方向を念頭において今後その具体的内容について検討する。
       ② 長期債務等のうち新しい企業体による最大限の効率的経営を前提としてなお事業の遂行上過重な負担となるものについては,可能な限りの手だてを尽くしたうえで最終的には何らかの形で国民に負担を求めざるを得ないが,この問題は,効率的な経営形態の確立と切り離して解決し得ない。

 (イ) 当面緊急に措置すべき事項

 ① 要員対策

 私鉄並みの生産性を前提とした場合の余剰人員は,現在顕在化している24,500人に数倍する膨大な人数にのぼるものと思われる。このため,早急に有効な雇用調整のための対策を講ずる必要があり,現在実施しようとしている退職勧奨制度の見直し,休職制度及び派遣制度の拡充を図るとともに,今の段階からこれに引き続く対策についても検討する必要がある。また,余剰人員問題の解決に当たって最も重要なことは雇用の場の確保であるので,これについて各方面の協力方を要請する。

施策を実施するに際しては,国鉄は部内に緊急対策本部を設け,所要の施策を強力に推進すべきである。また,政府においても国鉄の最大限の努力を前提として,政府部内一体となった強力な支援体制を整える必要がある。

 

 以下、用地の取扱、地歩交通線に関しては省略させていただきますが、現在利用されていない遊休地は、長期債務等の処理に際し国民の負担をできるだけ軽減するための一つの方法として公開競争入札を基本とする適正な時価によるものとされていましたが、その後バブル景気で時価が高騰、一時販売を見合わせることになたのは皆様良く言時のとおりです。

特定地方交通線も、早期にバス化を含めた、転換を行う、貨物・自動車部門、特に貨物輸送については徹底した効率化と見直しが急務としています。

答申を受けて、国鉄の談話を発表

 

これを受けて、同日付けで国鉄は、提言に対する国鉄の見解を総裁談話として発表します。

国鉄の談話を発表

 

 個人的な感想であることをお断りさせていただけば、国鉄としては既に要員削減や、経費の圧縮、増収努力など出来ることは行ってきたわけであるが、公社としての内在する問題、【制度的な欠陥を含む】などを考えると、国鉄としてもで正すことは正すが、必ずしも分割民営化が必ずしも全ての解決策では無く、今後の関連事業のへの取組を考えれば安易に売却すべきではないのでは無いかと考えているとして、牽制をしているように見受けられます。

私鉄とは単純に比較できない要員事情

臨調では、私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。となっていますが、私鉄は基本的には、夜行列車の運転などが無いため、要員を圧縮できるのに対して、国鉄の場合は夜間の貨物列車の運用や、険修なども含めてその要員は多くなる傾向にあるわけで、単純に数字だけで比較するのは問題があると思われますが、その辺は気づいていながらあえて、格下のでは無いかと思慮される部分があります。

 

 「当面緊急に措置すべき事項」では、「要員対策」として1984年度末に28万7500人の所要定員となっているが、それでも私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。そこで生じる余剰人員対策を講じるために国鉄が「緊急対策本部」を設置すべきだとしていた。

国労は、監理委の第2次緊急提言を受けてストライキを実施

国労は、第2次緊急提言を受けて、拠点ストライキなどを実施するが、全体としては国労は厳しい舵取りを行わざるを得なくなってきたようです。
以下、国鉄労使関係を中心に抜粋しました。
なお、併せて弊サイトをご覧いただければ幸いです。

国鉄監理委が第2次緊急提言 8/10

国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は中曽根首相に第2次緊急提言を提出、再建達成のため「分割・民営化の方向で具体的な内容を十分検討したい」と表明した。輸送密度4、000人未満の第3次特定地方交通線選定を急ぎ、貨物と自動車部門を分離するよう求めている。→再建案要旨

国労、分割民営化反対などで2時間スト 8/10
国労国鉄の余剰人員対策の一方的実施、分割・民営化に反対し、全国363拠点で地上勤務者による2時間ストを実施.

国鉄が余剰人員対策委員会 8/13

2万5,000人にのばる過員間題解決のため、本社内に余剰人員対策委員会(委員長、縄田國武副総裁)を設け、国鉄の関連400社に「来年度の新規採用をひかえて、余剰人員を受け入れてほしい」と異例の要請
余剰人員問題は国鉄再建の成否を左右する死活的重要問題となってため、これまで地方で行ってきた活用策の一層の深度化をはかるとともに、現在、退職制度の見直し、休職制度の改定・拡充、派遣制度の拡充について,労働組合と協議中

国労が合理化反撃表明 8/20

国労(22万人)の第46回定期大会が伊東市で始まり、武藤久委員長は「国鉄国労にとって戦後最大存亡の危機。今や立って闘う以外に道はないと表明した
31日に半日ストを予定していたが、29日に中止決定

国鉄58年度決算と監査報告書発表 8/27

監査報告書で初めて、経営形態変更を示唆

 

国鉄監査報告書 昭和58年度から抜粋、経営形態変更についても言及

国鉄監査報告書 昭和58年度から抜粋

国鉄来年度も4%値上げ 8/28

運輸省国鉄の60年度予算概算要求を決め、4%強の運賃値上げなどで純損失と借入金を今年度以下に抑えることとしている

当局・国労、公労委による退職募集に関する斡旋案を受諾 8/29

国労,8月31日予定のスト中止を決定 

 

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所) 

から抜粋

参考 千葉動労のビラから

千葉動労は当時のビラも公開してくれていますので、当時の様子を知る資料になります。
今回も、当時の組合視点での考え方と言うことで利用させていただきました。
なお、私自身は千葉動労を支持するものではなく、あくまでも当時の国鉄組合の一つとしてこのような動きもあったと言う視点から書かせてもらっているものであり、概ね国労もこれに準じた行動を取っていたものと思われます。
今後、当該時期の公企労レポートなどを参照できれば追記したいと考えております。

千葉動労ビラ、昭和59年8月14日版

千葉動労ビラ

https://screenshots.firefox.com/XOti9Tjbh8LFRMq7/doro-chiba.org

 

国鉄最後の電化となった四国地域

国鉄最後の電化となった四国地域

 

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 三 第二次提言と国労の対応

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├○ 第二次緊急提言に分割・民営化の方針明記│
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 84年8月10日、監理委員会は分割、民営化の方向を明確に示した第2次緊急提言を中曽根首相に提出した、提言は、「国鉄事業再建についての基本認識」と「当面緊急に措置すべき事項」の二つの部分で構成されていた。
国鉄事業再建についての基本認識」の「1,国鉄経営の現状」では、国鉄の経営は年々悪化の度を深めており、59年予算では実質的な赤字が2兆円を超え、長期債務残高が59年度末で22兆円を上回る見通しであり、借入金依存の経営を続けるとやがて事業運営に支障をきたすという認識を明らかにした。そのうえで、
「2,国鉄経営の破綻の原因」にうつり、国鉄が輸送構造の変化に対応できなかったことが経営破綻の原因だと指摘し、ついで変化に対応できなかった原因を示し、それは公社制度のもとで全国一元的運営を行っていたことになると述べた。
 続いて、「3,現行経営形態の問題点」では、臨調の基本答申と同じ見解を示した。「4,鉄道輸送の役割」では、国鉄の経営する分野として大都市圏旅客輸送、地方主要都市圏旅客輸送と新幹線を中心とする中距離都市間旅客輸送をあげていた。また、貨物輸送も経済合理性に基づき特性を発揮できる分野を見極めるべきだとした。以上の指摘に続けて、「5,経営形態変更についての基本的考え方」ではまず現行経営形態を維持する必要性の有無を問い、全国一元的運営の必要性はなく、また国鉄に公共性を求める必然性は乏しいとしていた。そして、現行経営形態での国鉄再建はほぼ不可能として、分割・民営化の方向性を検討するとの見解を示した。その際、長期債務の処理については「最終的には何らかの形で国民に負担を求めざるを得ない」とした。
 もうひとつの柱である「当面緊急に措置すべき事項」では、「要員対策」として1984年度末に28万7500人の所要定員となっているが、それでも私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。そこで生じる余剰人員対策を講じるために国鉄が「緊急対策本部」を設置すべきだとしていた。「用地の取り扱い」では、「事業用用地」と「非事業用用地」とに分け、実態を把握し、できるかぎり債務返済の財源に充てるべきだと述べていた。「事業分野の整理」では、地方交通線についての廃止・転換は一層推進すべきであり、85年度以降に転換が予想れている第三次特定地方交通線の早期選定を求めていた。貨物輸送では、激烈な競争を行っている物流業界の一員としてふさわしい経営形態を選択する必要があるとした。
 最後の「その他」として管理機構の見直しをもっと進めるべきであるということ、職場規律の改善及び職員のコスト意識の喚起と関連事業での収益を増大すべきだと提言した。
 政府は8月14日に開いた国鉄再建関係閣僚会議において、監理員会から提出された第二次緊急提言を了承し、その後開かれた閣議で「提言」を最大限尊重することを決めた。閣議後、細田運輸大臣は仁杉国鉄総裁に対し、提言内容に沿って国鉄再建に全力をあげるよう指示した。

続く
 

*1:その後、七月六日に発言を修正することになります。