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国鉄労働組合史詳細解説 97

長らく開けてしまいましたが、再開したいと思います。

今回も、国労の資料を底本に展開させて頂きます。

国労が過員センター【国鉄当局の名称は、人材活用センター】ですが、その実体ということで、営業補助【特別改札などの他、今まで協力会社が行っていた下請け作業の直営化等が行われたと記録されています。

また、直営売店などへの転出なども行われ、一部の組合員は、正規の名札を着用せず、元所属の名称を書いた名札を着用するなどの行為が見られました。

なお、国労の記述では

国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

さて、ここで下記の記述に関しては既に、前回の 96号にも詳しく書いていますが、実際の国労組合員の考え方は、どのような物であったのかと言うことを、国鉄部内誌、国有鉄道の昭和59年10月号を参照しながら当時の国労の考え方を見ていきたいと思います。

 

whitecat-kat.hatenablog.com国労は、この時点でまだまだ分割民営化は覆せると考えていた。

国労大会は、昭和59年8月20日から23日まで静岡県伊東市で開催され、挨拶に立った、武藤委員長は下記のように挨拶をしています。

引用させていただきます。

武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、

 

  1. 政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化
  2. 反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化
  3. いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化

の3つだと述べた。同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。
また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

として、国労としてはまだまだ、この時点で、勧奨退職、一時帰休、出向を強く拒否するとしています。

結果的には、採用において明暗を分けることになるのですが、当時の国労では、下記のように、国労の弱体化を図るもので、容認できないとしていました。

国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

 動労との協調を期待する総評

総評は、国労並びに動労は、全逓日教組と並び官公労の主要な組織で有り、動労と共闘できるところは協同して欲しいと呼びかけていますが、最終的には動労は総評と袂を分かつこととなりますが、この頃は未だ動労としても、過員の問題など共闘できるところは協力すると述べています。

この辺は、当時の公企労レポートなどを参照していく必要があると思っておりますので、改めてその辺は書き加えることが出来ればと考えております。

以下、引用させていただきます。

来賓挨拶では真柄植評事務局長が「分割・民営化問題に積極的に対応していくが、動労ともそれに反対という一致点があるならぱ戦略的に対しても一致できるよう努力してほしい」とし、動労から久方ぷりに出席した福原書記長は「総評大会でも共闘への努力を明らかにしている。余剰人員問題は一過性ではない。総評強化lこしても国労が最大組織としての中心軸になって翼う任務がある」と述べた。

国労の運動方針は、国鉄分割民営化阻止

小町副委員長の経過報告に続き、山崎書記長が84年度運動方針案を提案した。その骨子は「分割・民営化を阻止し、国鉄労働者と関連労働者の雇用と労働条件を守る」など。同書記長は細部の説明に入るまえ、冒頭の委員長挨拶にもあった「もはや黙って嵐が過ぎるのを持つ態度は許されない。立って闘う以外に道はない」旨を受ける形で「56歳以上の特別休職扱いには、組合機関もかかわり合う方法を確立したい」と述べた。

として積極的に、特別休職に対して反対すると共に、分割・民営化を阻止することを打ち出しています。

実は、当時の国鉄当局も分割民営化迄は、想定していないというか、分割民営化は反対しており、過員が解消できて、合理化が完成していれば、もう少しスマートな形で移行できるもしくは、分割は避けることが出来たと思うのですが、あまりにも国労既得権益に拘りすぎていたのではないかと、その後の流れを見ていると、個人的には考えてしまうのです。

なお、上記3項目(勧奨退職、一時帰休、出向)に反対するため、8月31日に3項目に反対する、全国統一半日ストライキを実施すると、国労の山崎書記長【後の委員長】集約答弁で回答しています。

この当時の国労と、動労、そして鉄労、それぞれの思惑が有りながらも中々交わらない、否、交われない、そんな風に思えます。

また、この頃の国鉄当局も組織温存の意識から、政府の力を借りて労使の正常化と今まで進んでいなかった合理化は進めたい反面、臨調が提唱しているような、分割民営化はしたくないというのが本音で有り、動労革マル派が機を見て、当局との協力体制を取って、積極的に出向などに応じたように、国労もそうした制度に対して理解を持って、3ない運動ではなく、修正した出向案であったり、合理化案に多少でも応じていれば、また流れは変わったと思うのですが、国労は、段々と意固地になって最後には総評の斡旋案も受け入れないほど、極端な状態になってしまうのですが、悪い面での国鉄らしさが見えたような気がするのは私だけでしょうか。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い


┌─────────────────────┐
├○ 「特例休職」募集の開始提案に対する闘い│
└─────────────────────┘

続き


 この間、国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣悪であったり、センターでは自習をさせられ、仕事がないため大幅減収となる事例も多いことが明らかであった。地方局によって過員の扱いに違いがあるが、過員の一部を営業活動に活用する例が多く見られた。そのさい、「渉外活動の条件は、ワッペンを外し、氏名札を着けること」と業務命令を乱発し、従わない者は、渉外活動からはずすなど、職場支配の道具に使い場合もあった。多くの組合員は不慣れな仕事に気遣いも大きく、不安な日々を送っていた。また、先行きの不透明さは組合員の不安感を高め、動揺を強めた。

ここで書かれている「過員センター」は、一般には「人材活用センター(人活センター)」と呼ばれていたものです。なお、マスコミは余剰人員という言い方をしていましたが、国が行う業務関しては、全て定員が定められておりそれを超す人員を「過員」という表現をしています、「余剰」という言い方はいわゆるマスコミによる印象操作の一つとも言えるでしょう。

┌───────────────┐
├○ 「特例休職」募集提案の妥結│
└───────────────┘

 当局は、8月16日になって特例休職の具体的な取り扱いについて、
 ① 休職中の賃金は100分の100を支払う、
 ② 退職手当は規定第12条により整理退職の場合の退職手当を支払う、
 ③ 功績賞受賞者、勤続25年以上の者または勤続10年以上の者は4号奉昇給させる、

 ④ 退職発令日を1985年3月31日とする、という提案を行ってきた。
 国労は、この提案の直後の8月20日~23日に開かれた第46回定期全国大会(伊東)で「余剰人員三項目」提案の本質とねらいが、
 ① 「20万人体制」を具体化するために制度の確立をめざすものであって、今後とも合理化を強行し、さらに「過員」を作り出して国鉄の職場から放り出す「受け皿」づくりである。
 ② 「過員」は団結破壊、闘争力の弱体化、世論との分断をはかる思想攻撃の手段である、
 ③ 「雇用安定協約」の空洞化と事実上の破棄につながる
 ④ 国鉄労働者全体を「去るも地獄、残るも地獄」の状況下におき、労働者の分断をはかりながら強行されるものである、と指摘した。
そして、「過員」が国鉄の分割・民営化への移行の一環として作りだされるものであることから、首切り反対闘争は分割・民営化阻止の闘いと結合して闘うことが重要であると方向づけた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 96-2

長らく更新しておりませんでしたが、改めて更新させていただこうと思います。

国鉄当局の退職前提の休職に対する、国労の闘争を、国労の資料から見ていくものですが、国鉄のこうした大量の過員【余剰人員】は、どのような契機で発生したのかを考えないとみえにくいものがあります。

合理化しても人を減らせない職場

本来であれば、機械化することなどで合理化するのが本来なのですが、合理化=人減らしに繋がるとして、「合理化しても人を減らさない」もしくは、合理化させないといった行動を取ってきた時代がありました。

昭和53年鉄道ジャーナル10月号では、架線下DCの特集をしていますが、そのパターンとして

  1. 非電化線区への直通が出切り気動車の特長を活かした運転パターン
    A 主要区間が電化され、途中から分岐するローカル線が非電化であるパターン
    B 電化路線の路線の一部が非電化で残っている場合【紀勢本線の新宮以東など】
    C 走行区間の一部に電化区間が介在する
  2. 非電化ローカル線からの直通列車を併結させるパターン
  3. 車両基地の理由から運転されるパターン
  4. 間合い運用を活かすために架線の下を長距離にわたって運転されるパターン

ということで、書かれており、

特に、2~4のパターンは、本来であればで、無理に走らせる必要のない列車ではないかと疑問を挟んでいるものがあります。

特に、車両基地の理由から運転されるパターンの場合は、車両基地の統合反対などの妥協の産物で生まれたものも多く、

同じく、鉄道ジャーナルの架線電化と動力車の中で、電化後のDC列車が残る理由として、車両基地の能力不足・・・として、DCで運転しているとされていますが、こうした例も以前であれば、基地の統廃合で今まで対応していた事例であり、こうした統廃合を行わず、電化だけはするけれど、普通列車気動車で引き続き険修させると行った二重投資を認容してきたことの証左になります。

実際、長崎、佐世保電化では、特急列車のみ電車化して、急行列車以下は引き続き気動車で運転すると言う事例がありましたし、紀勢本線の場合も、特急は日根野電車区配置となったものの、気動車は和歌山機関区に引き続き残り、急行きのくにの運用に残ると言ったことがありました。

これに対しては、将来的紀勢東線区間を電化させるか否かを見極めるためという理由がなされていますが、このあたりも、組合との基地統廃合の問題があったのでは無いかと思われます。

結局、和歌山機関区はその後合理化で、電車配置がなされますが、昭和43年の国鉄部内誌、交通技術を参照しますと、将来の紀勢本線電化も見越して、日根野に電車基地を、設けるとしています。

3基地の必要性
 現在の阪和線の電車基地は、鳳電車区のみで、紀勢・
和歌山両線のDC・SL基地とLては、和歌山機関区がある。
 鳳電車区は、昭和19年阪和線南海電車から国鉄に買収されて以来殆んど増強のための改良は行なわれず、その留置能力はすでに眼界に達し.基地内のELを竜華に配置替えした跡、ならぴに吹田工場鳳電車職場を吹田に移転した跡(能力場21両)を整備して留置線に充当してもなお、30両の能力不足となり.また紀勢直通優等列車も、和歌山地区その他に分散留置させても約30両の不足となる.
 さらに将来の紀勢線の電化、及び飯和沿線の宅地造成計画による人口増加により、電車の大幅な増備が見込まれる。
したがって、相当程度の輸送量の段落が想定され、かつ用地取得の比較的容易な、日根野駅付近に将来事両基地を新設(理在の鳳電車区は電留線として在置する〉ことが決定された。

交通技術、昭和43年11月号から引用

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これ以外にも、交流電化区間などでは、特急のみ電車化して、普通列車は引き続き気動車や客車列車で残ると言った場合も数多く有りました。このような矛盾と言える運用などは、サービス上も、運営上も非効率な経営を加速させることとなりました。

この当時は、まだまだマル生運動の後遺症で、組合に対して妥協に妥協を繰り返す、そんな時代でした。

北海道で、基地の統廃合問題で、ダイヤ改正が遅れたと言ったこともあり、本社としてもなんとして茂田や改正だけは実施したいので、ということで、組合と妥協に妥協を繰り返すと言ったことをしていた時代でもありました。

このように、組合と妥協を繰り返し、合理化しても人を減らさないと言う奇妙な合理化を進めてきた時代のつけが、昭和56年5月に承認された経営改善計画以降、強力に水推進されることで、大きな問題として浮き彫りになってきました。

また、その時期に太田職員局長、【鉄労の志摩委員長の弁では、ただ時流に乗ったタカ派だと発言していますが、労使との馴れ合いに対して決別するとして、政府の後ろ盾がある、経営改善計画に則り、合理化を進めていくこととなったのです。

余剰人員の発生は構造的

このように、今まではどちらかというと、妥協に妥協を重ねてきた消極的な合理化【自然減と採用数の減少による定員減)から大きく舵を切るようになり、CTC導入に伴う旅客駅の無人化や、委託化を進め、駅職員を中心に余剰人員と呼ばれる過員が増えてきましたが、駅員の場合は、大駅への転勤などで吸収することが出来ましたが、貨物輸送の輸送量減少に伴う、貨物列車廃止などで、機関士自体が余ってしまい、職場に来ても仕事がないぶら勤状態が顕著な問題となってきました。

また、これと派生して、機関車の運用距離が減るので、必然的に工場入場の回数が減り、今度は工場もそれに連動して、人が余剰になってくると言う悪循環になっていきました。

当局も労使対決姿勢を明確に

昭和50年代の国鉄労使の関係を公企労レポートなどで参照していきますと、処分の段落とし、本来の発令するべき処分よりも一段軽い処分、例えば、解雇相当であれば、停職にするとか、停職であれば、減給と言った形で処分を軽くするものでした。

実際には懲戒免職になる職員が、数ヶ月の停職で、国鉄職員としての資格を失わず、国鉄の組合幹部として戻ってくると言ったことが行われていたわけです。

組合にしてみれば、解雇となれば、組合費からその組合員を専従などで雇用することになりますが、身分を失わない場合は、組合は実質的にその職員の雇用に関しては考慮する必要は無いわけですから。

それが、昭和57年頃から風向きが変わってきたわけですが、国労は大きな船よろしく、中々方向転換が出来ず、当局に対して対抗していくことに成るのでした。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

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├○ 「特例休職」募集の開始提案に対する闘い│
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  国鉄当局はこの調定案の出た翌25日、第2回目の余剰人員対策第3項目の交渉を各組合と行ったが、その席上「特例休職」(退職を前提にした休職希望者の募集=56歳以上の者の勧奨退職)募集を9月1日から始めたいと提案してきた。
 国労は、この提案に対して、7月30日、31日に全国委員長戦術委員長会議を開き、募集撤回を要求して、8月10日、地上勤務者による全地方本部の2時間ストを実施することを決めた。国労は、募集撤回のこの8月闘争を重要視し、同時に「分割・民営化」を明示した監理委員会の第2次緊急提言が10日頃出されるとみて、この闘争を「分割・民営化」反対の長期闘争の一環に位置づけた。
 国鉄当局は、この8月闘争に先制攻撃を仕掛けるかのように、83年5月13日の監理委員会設置反対の29分スト、84年7月6,7両日に実施した過員問題解決要求と健保改悪反対の順法闘争の二つの闘いにたいして、停職3人を含む2600人の大量処分を通告してきた。
 国労は7月31日、9月1日から特例休職の募集を行うという提案を撤回し、団交での合意を求める、という要求を当局に提出した。8月2日にこの緊急要求で本社交渉を行ったが、当局は提案通り9月1日から実施したいと回答し、「調整策が有効に機能しなければ雇用安定にとって最悪の事態も予想され、民間で行っている調整策の一番上位のものが迫られる」と述べ、国鉄労働者の指名解雇もあり得ると国労を恫喝した。こうした恫喝に対し、国労は強く抗議し、9月1日の募集の中止を重ねて要求した。
 8月9日、ストライキを翌日に控えて国労は本社との準トップ交渉を行った。ここで当局側は9月1日の募集は該当職員の再就職のためであるとし、9月1日募集開始を譲らなかったため、組合と対立したまま交渉を打ち切った。かくして「三項目」提案の撤回、9月1日からの「特例退職」募集中止を要求した。8・10ストライキが実施された。全国27地本363ヶ所の拠点指定職場で3万1111人が参加した始業時から2時間のストライキであった。このストライキは、これまでの弱点を克服して全国統一闘争を成功させることができた画期的なストライキであった。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 96

久々に更新させていただきます。

今回は、昭和59年2月以降の国鉄の動きについて、国鉄の部内誌などを参考に書かせていただこうと思います。

なお、組合視点の記事については、次回、組合史詳細解説 96-2として書かせていただきます。

ご了承ください。

約2万5千人の余剰人員

昭和59年の輸送システム改廃で国鉄では数多くの過剰人員が発生しました。

国鉄側の資料などによりますと、

計画 29,800人

実行 43,500人(+14,300)と当初計画よりも合理化が進んでしまいました。

退職予定者 22,000人

退職予定者が、当初の見込みを下回った原因は、年金支給開始年齢が55歳から56歳に延伸された為です。
この両者の差の約21,500人が58年度中に新たに発生した余剰人員であり,これに昨年から持ち越しの3,000人を加えた2万4500人が,59年度首における余剰人員の規模となったと書かれています。

 

余剰人員【過員】が発生する原因としては、機関区は工場の統廃合、駅のCTC導入などでの合理化など多岐にわたりますが、今まで合理化をしたくてもできなかったのが国鉄末期になって一気に行ったため、そこでも大きな歪みが生まれたとも言えます。

余剰人員対策は国鉄としても取り組んでいるが

国鉄としても、人員の有効活用を図るため、日本テレコム【初代】のような関連事業などへの転用なども図りましたが、こうした新会社を立ち上げてと言う場合は関係部局との調整や、法令の整備など時間がかかるため、一番多かったのが、直営売店や、外部委託事業の再直轄化等でした。

その辺を、国鉄部内誌、国有鉄道 昭和59年8月号から引用してみたいと思います。

(1)余剰人員の活用策
59・2ダイヤ改正以来、現実に余剰人員が大量に発生して以来今日まで、各地方機関等において様々な工夫を擬らし、地域の実情に即したキメの細かい活用策を推進してきた。その主なものは以下のとおりである。

  1. 増収・・・・・特別改札(大駅、無人駅、車内)、渉外セールス(団体募集、企画商品販売、指定券取次ぎ等)
  2. 経費節減・・・・・外注移行時期の繰り延べ、外注作業の一部直営施行(貨車解体、業務用自動車・機械の修繕、調査・設計業務等)
  3. 教育・・・・・フロントサービス教育、多車種化教育、管理者教育、技術レベル向上のための教育等
  4. その他・・・・・用地の再チェック、波動対策(除雪、海水浴、各種イベント)、その他

これらは、営業基盤の確立・開発、経費規模の縮小、将来の鉄道運営への基盤整備等、何れも重要な意義を持っており、また最も基本的な余剰人員対策であるため、今後もより一層の深度化をはかるとともに、内容を充実していくことが必要である。

実際、今までは業務委託していた作業、古いブレーキホースのブレーキ管からの回収や、

 

さらに、国鉄は、余剰人員対策として昭和59年8月になると、「余剰人員対策委員会」なるものを設置し、 余剰人員に関するあらゆる問題を総合的に調整 ・審議したそうで、その中で出てきた施策の一つが、「特例休職」(退職を前提にした休職希望者の募集=56歳以上の者の勧奨退職)の制度でした。

特例休職制度とは

  特例休職制度は、その後民間会社でもよく見られたいわゆる、肩たたき制度であり、55歳以上は給料上げないよ。【定期昇給も特別昇給も無し】としたもので、現在民間企業の多くでも、55歳の役職定年制度を設けているところが多いのですが、国鉄のこの方式を参考にしているのでは無いかと考えています。
この辺は、もう少し調べて見る必要がありそうです。

他にも、55歳以下の職員に対して二つのオプションを用意しました。

一つは往復切符の休職、もう一つは、片道切符の休職

いわゆる、復職前提の休職と、退職前提の休職で、それぞれ次のような特徴が有りました。

少し長いですが、全文引用させていただきます。

退職前提休職

 

1..適用条件

退職前提の休職を適用する場合の条件は、休職期間満了時に退職する旨の意思表示があることのほか、次の各号に定めるところによる。

  • 休職の発令予定日の属する年度の末日において、年令満55歳以下であること。
  •  休職の発令予定日が、復職前提の休職の期間又は派遣期間の満了日から、原則として1年以上経過していること。

2.休職期間
休職期間は次の各号に定めるととろによる。ただし、休職期間中において退職の意思表示があった場合は、その日をもって休職期間満了の日とみなす。

 

  •  休職の発令予定日の属する年度の末自において、年令満55歳未満の者・・・・・1年
  • 休職の発令予定日の属する年度の末日において、年令満55歳の者・・・・・・・当該年度の末日まで

3.休職の申出

  • 職員が退職前提の休職を申し出る場合は、所定の休職願に、辞職願を附して所属長に提出しなければならない。
  • 休職を発令された職員は、前号の辞職願による退識の意思表示を取り消すことはできない。

4.休職の承認

職員から休職の申出があった場合、所属長は要員需給上休職させても差し支えないときに、1項に定める適用条件を審査のうえ、遅滞なく休職を発令するものとする。ただし、余人をもって代えがたい業務に従事している場合など休職を発令するのが適当でないと認められる場合には、休職を承認しないことがある


5 .休職期間中の身分

休職者は、職員としての身分は保有するが、その職務に従事しない。


6.休職理由の競合

休職者から、公務による疾病が発生した旨の申出があり、その疾病が「公傷病」と認められる場合には、休職理由の発令替えを行うものとする。


7.退職の扱い

所属長は、退職前提の休職の期聞が満了する日をもって、退職を発令するものとする。

以上のように、55歳以上は基本的に退職前提の休職制度が導入されたほか、55歳未満の若年層を中心に、復職前提の休職制度も設けられました。

 引き続き引用させていただきます。

原則2年間が休職期間で、その間給与は60%が補償され、他の仕事をしても構わないこととされています。状況報告を行う義務はあるものの、就業の制限等はされていませんでしたので、専門学校に行ったり、資格取得のための勉強なども可能でした。
なお、更新は一度だけ認められており、最高4年休職することができるようになっていました。

なお、退職前提の休職では、給料は100%補償(各種手当てを含めて)されるなど、その扱はかなり異なるものでした。

復職前提の休職

1.適用条件
復職前提の休職を適用する場合の条件は,次の各号に定めるところによる。

 

  •  休職の発令予定日の属する年度の末日において,年齢満50歳未満であること。
  •  休職の発令予定日が,派遣期間の満了日から原則として1年以上経過しているとと。

2 休職期間


復職前提の休職の期間は2年とする。ただし,一回に限り更新できるものとする。


3 休職の申出


職員が復職前提の休職を申し出る場合(更新の申出の場合を含む)は,所定の休職願を所属長に提出しなければならない。


4.休職の承認


職員から休職の申出(更新の申出を含む〉があった場合,所属長は要員需給上休職させても差し支えないときに1項に定める適用条件を審査のうえ,遅滞なく休職を発令するものとする。ただし,余人をもって代えがたい業務に従事している場合など休職を発令するのが適当でないと認められる場合には,休職を承認しないことがある。
5.休職期間中の身分休職者は,職員としての身分は保有するが,その職務に従事しない。


6 休職理由の競合

 

  • 休職者から,公務による疾病が発生した旨の申出があり,その疾病が「公傷病」と認められる場合には,休職理由の発令替えを行うものとする。
  • 休職者が刑事事件に関し起訴された場合は,休職理由の発令替えを行うことがある。
  • 休職者に対し,公共企業体等労働関係法(昭23年法律第257号〉第7条第l項但書の規定に基づき,所属長が専従休職を許可した場合は,直ちに休職理由の発令替えを行うものとする。

7.休職状況報告


休職者は休職期間中,所属長の指示に従い状況報告を行うものとする。


8.復職


所属長は,復職前提の休職の期聞が満了する自の翌日をもって,復職を発令するものとする。ただし,必要と認める場合は,期間満了前においても復職を命ずることがあるものとする。

 引用以上

当局としても、55歳以上の退職を促進したかったというか、実質的に55歳以降の職員を大幅に退職させることが目的であったようで、昭和60年監査報告書では、下記のように書かれています。

勧奨退職を促進するための退職制度の見直し、 いわゆる一時帰休を含めた休職制度の改訂 ・拡充、 関連企業等への派遣制度の拡充を行い、これら諸制度の活用により退職者数約3万人 (55歳以上の職員の退職率は従来を大幅に上回り90%となった。)

大幅な退職者が発生したわけですが、それでもまだ、国鉄では更なる合理化で多くの余剰人員が発生することになるのですが、その辺はまた改めて書かせていただこうと思います。

 

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国鉄監査報告書昭和59年から抜粋

 

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 最後までお読みいただきありがとうございました。

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国鉄労働組合史詳細解説 95

当局の人員削減対策

国鉄の余剰人員は、昭和57年に退職のピーク以降は緩やかな減少を辿り、国鉄の監査報告書によると、59年度期首に於ける余剰人員(過員)は、24,500人となったと報告されています。
今後も合理化で、更に余剰人員(過員)が発生するため、その対策として、当局は、一時帰休制度や退職前提の休職制度などを提案してきます。

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昭和58年監査報告書 134ページを抜粋

退職前提の休職や、派遣制度の導入

  1.  退職制度の見直し
      ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。
      ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。

  2. 職員の申し出による休職
    退職前提の休職の適用条件として
    ① 55歳以下であること
    ② 復職前提の休職期間又は派遣期間満了日から1年以上経過していること。休職期間は2年、ただし1回に限り更新できる。賃金は、退職前提の場合は基本給、扶養手当、都市手当、住宅手当のそれぞれ全額。復職前提の場合は6割を支給
    休職制度の特例
     84年度までに56歳、57歳、58歳となる者については、本年度に限り従来の「職員の申し出による休職」を適用する。
  3. 職員の派遣に関する取り扱い
    (1)① 派遣目的=関連企業の指導・育成・強化
       ② 人材の育成
       ③ 国鉄の業務に関連する事項の調査・研究
     (2)派遣職員の決定=①本人の職務経歴、適性等を総合的に勘案の上所属長が決定する
       ② 決定に際して派遣先、期間、就労条件を明示し、同意書を提出させる。
       ③ 職員は派遣希望調書に記入、提出できるものとし、所属長はこれを斟酌する。
     (3)派遣期間=三年を超えない範囲とする。
     (4)派遣期間中の勤務条件=派遣先の就業規則などによるが、年休の付与日数、有効期間は国鉄の規定による
     (5)派遣の終了=① 期間満了
        ② 業務上の理由により派遣職員を復帰させる必要が生じたとき
        ③ その他、派遣継続が不可能又は不適当と認められるとき。
     (6)復職時の取り扱い=① 原則として派遣前の所属・職名に復帰させる。
       ② 必要時の応じて教育・訓練等を行う。       

 *1

と言った内容でした。

国労の言い分は、どうだったのか?

再び、国労の資料から参照してみたいと思います。

国労の記述を見ますと、昭和59年頃には、通称「人活部屋が設置されていたことが窺えます。」

国鉄当局は、これまで余剰人員を”ブラ勤”状態にさせないためと称して余剰人員を狭い部屋に押し込め「研修」なるものを実施したり、あるいは線路脇の草むしり、駅舎の窓ふきなどさせたり、増収セールスや特別改札などに充用してきた。三項目の提案のうち一時帰休は比較的若い層を中心に潜在的な転職・休職希望者の掘り起こしが狙いとされ、勧奨退職制度は一万人以上いる55歳以上の高齢層の定昇やベア、退職時の特別昇給をストップすることによって退職を促進することが狙いとされた。出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。

実は、最後の一行、出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。と言うのは少し異なっていまして、実際に関連企業への出向も多かったと思われますが、民間企業への出向、【下記の例では、スズキ自動車販売の販社に出向した職員の評判がすこぶる良いのでと言う話です】

長いですが、引用させて貰います。

はじめに
「今、派遣で来ていただいている国鉄職員を契約期間後もいて貰う方法はないだろうか?
一年半後のことだが、国鉄へ帰られると困るんだ・・・・・・」
そんな電話がある販売会社の社長からかかってきた。二年間の派遣期間で職員を受け入れて約半年経った時点での電話であった。
国鉄職員の派遣受け入れを始めて八カ月が経過した現在、軽自動車を中心としている自動車販売会社における状況を述べてみたい。

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昭和61年7月号 国鉄線から引用

これで見ることが出来るように、国労が主張する国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策ばかりでは、なかったことになります。


必ずしも、資料が正しいわけではないということ

何時も意識していることですが、こうしたblog、特に労働運動系のblogを書く場合は、複数の組合があれば、複数の組合で手に入る資料を比較したり、大原社会問題研究所に代表される、社会学のサイトを参照したり、運輸白書などを参照したりして、自分なりにバランスを取りながら、疑問符という仮説をつけながら調べていくようにしています。
少なくとも、特定の政党や、特定の組合を応援するというわけではなく、ただ淡々と事実について調べて、比較して、多少の私見を述べて、アップするようにしています。
まだまだ不十分なところも多々あると思いますが、自分なりに調べて学んだことをこうしてアウトプットすることで、更に自分の理解が深まるのではないかと考えております。
更新頻度は低いですが、どうかじっくりと読んでいただければ幸いです。

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌───────────────┐
├○ 余剰人員対策三項目の具体案│
└───────────────┘

 ところが、国鉄当局は、公労委調停中であることを無視して、7月10日に次の余剰人員対策三項目についての具体案を「余剰人員の調整策」として各組合に提案した。

 1、退職制度の見直し
  ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。
  ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。
 2、職員の申し出による休職
  退職前提の休職の適用条件として
  ① 55歳以下であること
  ② 復職前提の休職期間又は派遣期間満了日から1年以上経過していること。休職期間は2年、ただし1回に限り更新できる。賃金は、退職前提の場合は基本給、扶養手当、都市手当、住宅手当のそれぞれ全額。復職前提の場合は6割を支給、

休職制度の特例
 84年度までに56歳、57歳、58歳となる者については、本年度に限り従来の「職員の申し出による休職」を適用する。
 3、職員の派遣に関する取り扱い
 (1)① 派遣目的=関連企業の指導・育成・強化
    ② 人材の育成
    ③ 国鉄の業務に関連する事項の調査・研究
 (2)派遣職員の決定=①本人の職務経歴、適性等を総合的に勘案の上所属長が決定する
    ② 決定に際して派遣先、期間、就労条件を明示し、同意書を提出させる。
    ③ 職員は派遣希望調書に記入、提出できるものとし、所属長はこれを参酌する。
 (3)派遣期間=三年を超えない範囲とする。
 (4)派遣期間中の勤務条件=派遣先の就業規則などによるが、年休の付与日数、有効期間は国鉄の規定による
 (5)派遣の種類=① 期間満了、② 業務上の理由により派遣職員を復帰させる必要が生じたとき、③ その他、派遣継続が不可能又は不適当と認められるとき。
 (6)復職時の取り扱い=① 原則として派遣前の所属・職名に復帰させる。
   ② 必要時の応じて教育・訓練等を行う。                    
国鉄当局は、これまで余剰人員を”ブラ勤”状態にさせないためと称して余剰人員を狭い部屋に押し込め「研修」なるものを実施したり、あるいは線路脇の草むしり、駅舎の窓ふきなどさせたり、増収セールスや特別改札などに充用してきた。三項目の提案のうち一時帰休は比較的若い層を中心に潜在的な転職・休職希望者の掘り起こしが狙いとされ、勧奨退職制度は一万人以上いる55歳以上の高齢層の定昇やベア、退職時の特別昇給をストップすることによって退職を促進することが狙いとされた。出向は、実際には国鉄の出資企業や下請け企業の新規採用ストップを前提にした余剰人員調整策であった。
 以上の提案に国鉄内の各労組はすべて反対した。国労は次のような声明を発表した。

 「われわれは、この提案に対する心からの強い怒りを国鉄当局にたたきつける。・・・この提案は、世界に比類のない迅速・安全・正確なものとして誇り、培ってきた国鉄労働者3万人以上の事実上の首切りにとどまらず、さらに大量の国鉄労働者を職場から一挙に追い出すものである。・・・・国鉄労働組合は、労働者に犠牲を求めようとするなら当局首脳が、まず最初にその責任を明確にすることを求め、徹底して追求していく。同時にこの大量首切り提案に対しては、国民諸階層と連帯し、一人の首切りも許さず分割・民営化反対闘争の一環として、組織の総力をあげストライキ闘争などは壮大な闘いに総決起するものである。」

この日、全国からかけつけた組合員約5,000人が国鉄本社前で抗議集会を開いた。

続く

*1:【当時の国鉄では、定年制度はありませんでしたが、概ね55歳となった年の三月末で退職することが多かったのです。】

国鉄労働組合史詳細解説 94

本日も国鉄労働運動史を底本として、昭和59年2月以降の労働運動について見ていきたいと思います。

構造的な余剰人員【過員】問題

過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、運転職場などでは一足先に昭和57年頃から、発生していたと思われますが、国鉄部内誌、国鉄線 昭和60年1月号の記事によりますと、天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています。

国鉄があった時代を参照しますと、下記の記述を見ることが出来ます。

紀勢本線 亀山~新宮間、参宮線 多気~鳥羽間CTC使用開始 12/21

国鉄大阪電気工事局と天王寺鉄道管埋局が57年10月から60億円を費して行った紀勢本繰亀山~新宮間と参宮線多気~鳥羽間のCTC化が完成、使用を開始・制御所は亀山で、同局管内のCTC化は69%の進展率

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所)

 このCTC化により、過員が発生しましたが、下記のようなユニークな方法で過員を改称したとしています。

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御坊駅を発車する381系くろしお

管理局における過員問題の取組

その取組とは、観光ガイドブックの作成でした、国鉄職員自らが歩いて集めた情報をまとめたもので、「南近哉のハイキングガイド」は、好評であったと言われています。
その取組に関する記事が、国鉄部内誌の「国鉄線昭和60年1月号」に有りましたので、少し長いですが、記事を引用させていただきます。

国鉄の余剰人員問題は、今や国家的課題になりつつある。それだげに、われわれも全局をあげて、真剣に取り組んできたところである。
当管理局において余剰人員が発生したのは、58年12月紀勢本線 亀山~新宮間及び参宮線のCTC化と停留所化を実施した時点である。これによる職員の配転をどうするか、余った人の使い方はどうするか、大変な問題であった。いろいろ考えた結果、営業部の事務分掌にもあるとおり、調査開発の仕事がつい忙しさにとり紛れ十分行われておらず、またこれらの調査資料は、営業戦略上非常に大事な役割を持っていること等を考え、59年2月に営業部に臨時調査開発室を発足させ各同年三月下部機関として各運輸長室の所在駅に五室を開設した。
その後、本室4名、各室5名、総勢29名で出発し、今日まで大きな成果をあげている。
すでに刊行した一部を紹介すると、「南近畿の年中行事」、「夏のレジャー情報」、「南近畿のハイキングガイド」等で、いずれも職員が自分の足で歩き、目で確かめて集録したものである。中でも、「南近哉のハイキングガイド」は好評を博し、関係自治体や学校関係、個人愛好者からの引き合いが多く、たちまち品切れになった経緯がある。これらの資料が、これからの増収対策に役立つことを期待している次第である。

今でも中古本として流通しているようなので、また購入してみようと思っていますが、国鉄当局側の取組としてはユニークなものだと思ってしまいます。

下記は、記事のキャプチャ

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国鉄線昭和60年1月号

自動車駐車場や自転車置き場の運営なども計画

国鉄は、合理化により発生する過員を吸収すべくあらゆる取組を各管理局で行っていましたが、合理化による要員減少に新たな仕事の開発が追いつかず、特に昭和59年2月の輸送システム変更では、構内係や機関士等、駅務員以外で、多数の過員が発生することとなりました。

その対策として、学園での教育の上、増収対策要員として弁天町他75駅【天鉄局管内】や車掌区などでの特別改札要員などとして配置したほか、自動車・自転車整理場を設置していくなど、要員対策を併せて行ったと書かれています。

再び、引用してみたいと思います。

学園教育・増収対策要員として、59年3月に290名を弁天町他75駅に、また80名を亀山車掌区他四車掌区にそれぞれ配置をし、学園教育については計画通り実施終了している。増収対策としては、特別改札を例にとると、五十九年度上期において、1億9000万円を売り上げ、58年度上期の96OO万円に比較して198%の成績となっている。
その他の余剰人員対策としては、59年9月、各部のエキスパートを集めた要員管理室を発足させ、余剰人員対策に取り組んでいるが、その一つとして、59年2月の貨物廃止によって生み出された用地の暫定利用を考えて、直営の自動車・自転車整理場を計画し、五十九年十月から紀伊田辺駅で、同年11月から王寺・高田駅で、同年12月から松阪・紀三井寺駅でそれぞれ営業を開始している。営業収入は59年12月5日現在で440万円の実績であるが、いずれも計画を上回る成績で推移している。この要員は22名で、営業関係職員のみではなく、運転関係職員も含め運用している。残る三駅は年度内の営業開始を予定しており、既設の自動車整理場5駅、簡易自動車整理場45駅を加えた収人は約2億円を予定している。

 

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国鉄線昭和60年1月号から引用

これ以外にも、弘済会売店の一部を借り受けての受託販売等も計画していたとされています、このように管理局単位では新たなビジネスを立ち上げるなどして、過員を吸収しようとしていました。

今回の内容は天鉄局の例を挙げましたが、それ以外の局でも創意工夫して取り組んでいたようであり、機会があればここに取り上げてみたいと思います。

国労の過員活用は、ワークシェアリング

国労が「輸送サービス・安全確保に関する緊急要求」当局に申し入れた意図は少し違ったようです。

国労の意図としては、

週40時間を超える勤務の時間短縮、年次有給休暇の完全消化、年間を通じた非稼働日に対応する要員の配置、波動時期・多客輸送時間帯における要員配置の充実

と言った方策であり、本来業務に就かせたたまま。ワークシェアを求めていたような内容と言えそうです。

結果的には、国労の申し入れは認められず、

当局の回答は「現行ルールの範疇で要員運用する場合は当局の責任で行う。」との域を出なかった。

ということで、国労は、公労委へ調停申請を行うことになり。

最終的な公労委の調停案は、国労の主張に沿ったもので

「いわゆる過員にかかわる要員運用策の実施に伴い労働条件に変更が生じる場合には、労使は、中央及び地方の対応機関において、具体的に問題を提起し、団体交渉などにより、その事業の早期解決に務めること」という、

国労としてはこれを受諾し、その趣旨をいかせるように対処することを決めた。

と書かれています。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

┌──────────────────────┐
├○ 余剰人員対策についての交渉と公労委の調停│
└──────────────────────┘

 国労は、1984年6月1日に過員問題の解決のための1月12日の要求【前述】に続く再申し入れとして、次の「輸送サービス・安全確保に関する緊急要求」を当局に提出した。

 「過員問題解決のために団体交渉を誠実に実施し、雇用安定協約、、配置転換協定の遵守、強制配転の中止、サービスと安全確保を強化する体制の整備、週40時間を超える勤務の時間短縮、年次有給休暇の完全消化、年間を通じた非稼働日に対応する要員の配置、波動時期・多客輸送時間帯における要員配置の充実、労基法、労安法等の諸法規遵守、雇用不安をおこす合理化の中止、技術教育・訓練の充実・強化、業務委託の拡大中止、安全輸送の確保とサービスの向上、営業・販売体制の強化・充実のための過員の積極的充当をすること。」

 ところが国鉄当局は、この要求書の提出の4日後の6月5日、2万5000人縮減の84年度要員計画と「余剰人員対策」を細田運輸大臣に報告するとともに「余剰人員対策について」を発表し、その内容を公にした。この「余剰人員対策」は84年度の要員計画を実施しても3,000~5,000人の余剰人員が見込まれるために、① 勧奨退職の促進など退職制度の見直し、② 退職前提休職、復職前提休職など休職制度の改定・拡充、③ 派遣制度の拡充、を図るという三項目の内容であった。当局はこの「余剰人員対策について」を各組合に提示し、具体的内容については7月中旬に明らかにする。
 また、「余剰人員対策」の円滑な実施を前提に雇用安定協約を締結するとの提案も行った。
 この直後に開かれた国労第141回拡大中央委員会(6月6日~7日)は。過員問題を中心に論議がかわされ、次のような当面の闘争方針を決めた。

 「本部は達194号を認めない立場から過員問題を追求し、『団体交渉による解決を目指す。』あわせて、院内闘争を強化し6月末までの間の経緯によって公労委活用についても緊急に検討する。このため、当面、過員問題の先行解決をもとめ新たな合理化提案は受けない。各地方は統一して協定違反の配転、物販、出向などは拒否して闘う。過員問題の解決と労働基本権を守ることを中心としたワッペン着用闘争、非協力闘争、現場長に対する集団行動などを展開する。」、「労働基準(労基)法労働安全衛生(労安)法等に基づく点検・摘発行動を強化する、また強制配転を許さない闘いを強化する。」

過員問題解決のための緊急要求についての国鉄本社との交渉は、6月14日から始まった。
しかし、交渉は遅々として進まず、当局の回答は「現行ルールの範疇で要員運用する場合は当局の責任で行う。」との域を出なかった。当局は、① 余剰人員対策③項目提案の早期の確立、有効活用を前提に雇用安定協約を存続する、② 労働時間の短縮は問題とならない、③ 部外能力活用が望ましい事柄については業務委託を行う、などと主張した。そして、「全体として効率性が低い中で、・・・・むしろいっそうの効率化が至上命令である」との回答を繰り返すだけであった。
 このため、国労は7月5日で交渉を打ち切り、翌6日に公労委へ調停申請した。調停を求める事項は次の二つである。① 一時的に「過員」となる労働者にかかわる労働条件は団体交渉を行い、意見の一致を期すこと。② 「過員」にかかわる具体的労働条件は従来の協定及び労使慣行に基づき地方・現場で交渉することの二つにつき調停申請した。
 公労委での事情聴取が7月17日から始まり、24日の第2回の事情聴取を終えた後、公労委の調停案が示された。調停案は、「いわゆる過員にかかわる要員運用策の実施に伴い労働条件に変更が生じる場合には、労使は、中央及び地方の対応機関において、具体的に問題を提起し、団体交渉などにより、その事業の早期解決に務めること」という、ほぼ国労側の主張を認める内容であり、国労はこれを受諾し、その趣旨をいかせるように対処することを決めた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 93

過員の発生と組合運動

国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」

と書かれていますが、大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第55集 1985年版」を参照しますと、国労主流派であった民同左派が、昭和58年8月19日から23日まで開催された、定期大会では下記のような発言をしたと記録されています。

大合理化、分割・民営化にたいして、「労働者に犠牲をもたらさないかぎり、効率化を一面的には否定しない」との独自の「効率化」を模索し、前年の方針を踏襲した「長期抵抗路線」でたたかうとの運動方針を、議論のすえ、原案どおり採択した。また、武藤久委員長、山崎俊一書記長らの新執行部を選出した。議論では、はじめて打ち出された「効率化」にたいし、代議員から猛反発(「効率化は合理化だ」、「国労の鉄労化だ」など)が出、執行部は、「国民の側に立ったかたちでムダな投資や資材購入をやめさせ、管理機構も見直すべきだ」と答えるとともに、「ひきつづき討議をおこない、検討を加えていきたい」と書記長が集約し、基本的な考え方をつらぬいた。

ここで注目されることは、ある程度の条件で合理化を受け入れるべきであると受け取れる見解を発表したことでしょうか。

当然のことながら、「合理化=資本家による搾取」という発想であれば、反発することも当然かと思うのですが、こうした点に国労が一枚岩でまとめられなかった難しさがあるかと思います。
実際に、この後も国労は迷走して、ILO事務局長に事前に本社通告無しに行ったことから当局側も態度を硬化させることとなり、雇用安定協約の破棄など、国労組合員に取っては不安しかない状態を作り出したのも国労執行部でした。

参考:国鉄改革のあゆみ 24 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

結果的に、地本レベルで雇用安定協約を結べないかと言った問い合わせが相次ぎましたが、国労として雇用安定協約を結んでいないので、管理局単位などで個々に労働協約を結べないとして、国労は更なる雇用不安に追いやられました。
話が飛躍しすぎましたので、元に戻しますが、国労も多少は歩み寄りを見せようとしていたのですが、結果的には、まだまだ国鉄が本当に分割・民営化されるとは思っていなかったように思われます。

  

国鉄当局は昭和57年に現場協議制度を実質終わらせた頃からですが、鉄労が合理化による人員削減は致し方ないとして、地域本社制の提案をするなど、より前向きな方向性を探っていたとき、

過員の勤務、職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。職場では、国労組合員に対する現場管理者の高圧的な態度がますます強化され、雇用不安がかきたてれら、労働不安が強まっていた。
 59・2ダイヤ改正は、国鉄労働者のなかに過員を生み出すと同時に、国鉄関連労働者の雇用問題に影響を及ぼした。国鉄の整備会社は全国に42社あり、2万7000人が働いているが、59・2ダイヤ改正によって、北海道1社の150人、九州2社の350人をはじめ全国で約2,000人の首切りが提案されたのである。

 国労は、8月20日から23日まで伊東市で開催された、国労大会で下記のように発言しています。

部内誌 国有鉄道1984-10から引用させていただきます。

「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、▽政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化▽反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化▽いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化、の3つだと述べた。同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向〉を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

あくまでも、未だこの頃は過半数国労が握っていたことから、まだまだ逆転は可能と考えていたのではないでしょうか。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

┌───────┐
├○ 過員の発生│
└───────┘

そこで国労の要求は、職制・職務内容、配置転換などに関する協定の遵守、転職に必要な教育、旅客サービスの向上のための「過員」の活用、属人的過員の扱いは禁止、業務委託の見直しによる国鉄労働者の職場と仕事の確保などを要求し、「過員」にかかわる諸問題については、「団体交渉で意見の一致を期し、紛争の生じないようにすること。」

 この要求書に対する回答が1月19日の交渉の席でなされた。当局は、職制・職務内容や配置転換などの従来の協定を尊重すると答え、転職にあたっての必要な教育を実施すると回答した。旅客サービス向上のために過員を活用する要求と属人的過員扱いは行わないという要求については、「地方局にまかせてある」と答えるにとどまった。また、過員の勤務、職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。職場では、国労組合員に対する現場管理者の高圧的な態度がますます強化され、雇用不安がかきたてれら、労働不安が強まっていた。
 59・2ダイヤ改正は、国鉄労働者のなかに過員を生み出すと同時に、国鉄関連労働者の雇用問題に影響を及ぼした。国鉄の整備会社は全国に42社あり、2万7000人が働いているが、59・2ダイヤ改正によって、北海道1社の150人、九州2社の350人をはじめ全国で約2,000人の首切りが提案されたのである。
 基地の統廃合等でも数百人の要員減が予測されており、5人の1人の首切りとなる。
このため、国関労(国鉄関連産業労働組合協議会)と全整労連(全国鉄整備労働組合総連合)は、「業務委託費10%カット」「大量の要員削減・首切り」に反対し、2月20日から22日までの間に国鉄本社前で総決起集会を開き、本社交渉を行い、本社前座り込み行動を実施した。また、22日には政府、各政党への陳情行動を行うなどして、国鉄の親企業責任を追求した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 92

本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。

任期途中で交代した高木総裁

仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。

その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。

当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。

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その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。
中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。

中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前鉄建公団総裁の仁杉巌氏を第9代国鉄総裁に任命したのでした。

仁杉氏の略歴は、下記の通りです。

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仁杉総裁略歴 国有鉄道1984-01から引用

民営化推進派として送り込まれた、仁杉総裁

国有鉄道と言う部内雑誌の1984年1月号で、就任に際して、と言う記事が書かれています。

これを読ませていただきますと、国鉄退官後、極東鋼弦コンクリート振興株式会社を経て、西武鉄道の専務取締役に就任するのですが、国鉄と異なり私鉄の場合は、全ての部分を見なくてはならないとして、下記のような感想を残しています。

「私は西武鉄道に8年いて学んだ経験の最大のものは、私鉄では経営者の精神が現場のすみずみまで徹底しているなということです。」

ただ、この言葉をして、国鉄の民営化には賛成ですと言ったとはなりません。

また、下記のようにも述べています。

国鉄を再建するのは大変なことで、まず国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり、これが全役職員に浸透しなければいけないと思いますネ。

と回答しているように、総裁としては国鉄を民営化させることが目的では無く、あくまでも国鉄の信頼を取り戻すと言うことに主眼を持っていたわけです。
それ故に、組合の説得工作で変心したと言った記述をした文献もあるようですが、個人的にはそのように思いません。
少なくとも、この頃は、国労(民同左派)と職員局幹部の馴れ合いとも言えそうな、蜜月時代は終わり、むしろ対立路線に舵を切っていますので、総裁が組合に説得されたという論は無いと考えております。

もっとも、直接当時本社にいた方からお話を聞ければ、また修正できると思うのですが、現在は状況証拠から推察とさせていただきます。

国労は、「過員」問題で要求書を当局に提出した。

恐らく当局も極端な人員減は想定外で有ったと思うのは、59・2ダイヤ改正で有ろうと思います。

と言いますのも、ヤード系輸送の縮小にしても当初は、全面的な廃止を想定しておらず、武蔵野ヤードなどの近代的ヤード等は残せると考えて、専用線の合理化を含めて考えていたようですが、収支均衡を目指すと言う視点から、これは民営化に協力したと言うよりも、民営化させないために国鉄として自立できる道を選ぼうとした結果、要員を圧縮しすぎてしまったのでは無いかと推測できるわけです。

 84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。「国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。

その辺の焦りが、国労からも要求書として出てきたのではないかと推測しています。

なお、国労も書いていますが、制式には過員が正解であり、マスコミが書き立てた、「余剰人員」なるものは存在しません。

ただ、残念ながら未だに多くの文献などでは、「余剰」と言った言葉で語られることが多く、実際に渦中にあった国鉄職員の方から見ればこれは屈辱以外の何者でも無かったであろうと容易に推測できます。

自身の組織を守ろうとしてしたら、予想以上に縮小してしまったという話

国鉄本体が自身の組織を守るために行った改変が結果的には全てのヤードを廃止させることとなったと思われます。

同様の理由で、荷物輸送にあっても「クロネコヤマトの宅急便」に代表される宅配便が普及したことから、従来のように駅まで荷物を持ち込むもしくは受け取りにくる従来の鉄道荷物は減少続けることとなり、昭和58年度には集配から配達までを一貫して行える仕組みを作ったものの、減少傾向には歯止めがかからず、国鉄当局としては、59年のダイヤ改正で、荷物取扱量の少ない駅や線区の荷物営業を廃止したり、輸送力の削減と言った合理化を行ったとされています。
しかし、こうした努力はその殆どが、空回りしてしまう結果となったのは残念です。

下図は、昭和56年8月頃から使用を開始した、従来の荷札に代えて使用を開始した、国鉄荷物ラベルだそうです。
郵便局ののラベルは、私が郵便局に入ってからですので、国鉄の方がこうしたラベルの使用は早かったわけで、宅配便のに普段を参考としたのかもしれませんが、少しずつでも荷物輸送の改善に取り組んでいたことが判ります。

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昭和58年度国有鉄道 6月号の記事から引用

 

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

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├○ 過員の発生│
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 2月1日以降の全国の職場に過員が発生したが、この問題の解決が59・2ダイヤ改正闘争に残された最大の課題であった。このため、84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。

国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。こうした施策によって意図的に創りだされた大量の「過員」の存在は、国鉄労働者の首切りにさえつながる危険をもつものである。

続く