国鉄労働組合史詳細解説 158 前編 余剰人員対策で直営店舗や関連事業も増加
いよいよ緊迫する国鉄改革
国労の資料及び鉄労の国鉄民主化への道なども参照しながら解説を加えさせていただきます。
国鉄改革まであと1年ちょっととなった昭和61年2月12日、閣議では
緊急措置法案閣議決定 2/12
政府、「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のため昭和61年度において緊急に講ずべき特別措置に関する法律案を閣議決定
国鉄従業員の希望退職に関する扱いが定められている。
更に2月28日には、国鉄改革関連の主要法案が閣議決定されるとともに、国鉄当局でも緊急役員会議が招集され善後策を協議したとされています。
政府、「日本国有鉄道改革法」など国鉄改革関連の主要五法案を閣議決定 2/28
改革実現に向けて、全力で取り組んでいくことを確認。またその席上、幹部職員の期末手当一部返上を了承
国鉄改革関連法案が閣議決定されたのを受けて、同日、緊急役員会開催 2/28当局、「職員管理調書の作成について」と題する指示文書を作成し、3月11日までに各鉄道管理局に配布 2/28 参考
斯様に、この時期は慌ただしかったことが窺えます。
昭和61年当時の要員事情
国鉄部内誌、国有鉄道を参照しますと、1986年5月号の記事で、「正念場を迎える余剰人員対策」というタイトルの記事を見つけることが出来ました。
個人的には、余剰と言う言葉はあまり好きではないのですが、タイトルがそうなっていますので、敢えてこの言葉を使わせていただきます。
この記事によりますと、昭和59年度ヤード系輸送の改廃などを含めた大幅な輸送改革や駅の無人化などを通じて、昭和59年度以降、大幅な合理化が行われることとなった訳で、この時期一気に無人駅が増えた印象はありました。
また、ヤード系輸送が廃止され、それまで貨物の入替などで深夜などでも行われていた継走業務は無くなり、それに伴う大幅な過員【余剰人員】が発生することとなりました。
この措置に対して、出向や一時帰休制度などが取られたほか、他の関連事業要員に回すなどの工夫が取られたりしたわけですが、それでも昭和61年度には当初の計画以上に合理化を進めたために更に12,500人も余剰人員を増やす結果となりました。
直営店舗などが増えたのもこの頃で、当時の国有鉄道という雑誌には、毎月各地の直営店舗の写真が掲載されています。
当時の事情として見ていただければと思うのですが、当時は国鉄頑張っているなぁと思ったものですが、今思い返してみるとこれは一つのアリバイ造りだったのかなぁと思ってしまいます。実際に、民営化後は急速にこうした直営店舗は姿を消していったように記憶しています。



改めて眺めてみると、当時の国鉄=赤字だから、民営化すべきと言う風潮は日に日に強まり、同調圧力とでも言うのでしょうか、各管理局もこぞって直営店舗を出すようにしていったわけですが、当時の国鉄は余剰人員対策でと言うのも判らなくもないですが、本質的な所が何か違うような気がするわけですよね。
次回は、国労の記事
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
を解説させていただきます。
労働組合の対応:分割・民営化攻撃の影響と再編の必要性 国鉄労働組合史詳細解説 157
長らく更新出来ませんでしたが、改めてアップさせていただきます。
国鉄職員全体に対する進路希望アンケートを実施
国鉄では、昭和60(1985)年12月13日には政府は、余剰人員対策の基本方針を決定しました。
このアンケートは昭和60年12月20日から翌年の1月6日までの間に提出することとされており、他省庁への転出を含めた希望調書という事で一種の踏み絵のようなものとも言えました。
このように具体的な民営化の姿が見えない中で、こうしたアンケートが取られた背景には、各省庁や地方公務員等公的部門への受入が3万人と言われる中で、どれくらいの職員が他省庁への転出を希望するのかを知ることも大きな目的であったとされています。
実際には、20代、30代の人を中心に、転出希望者が少なからず居たことから、十分な希望者があることが裏付けられたとしています。
国の機関という事で、全体で3万人を吸収しようという事であり、特に現業機関を抱える郵便局などはかなりの国鉄職員が受け入れられてのではないでしょうか。
実際に、国鉄職員の第1陣が優性研修所に入所したのは、昭和61年10月頃では無かったかと思います。と言いますのも、私は近畿郵政研修所研修生として1年間研修所勤務しており、その時に国鉄からの転職者が第1陣として初任教育を受けていたからです。
そのような余談はともかくとして、当時の国有鉄道という部内誌に、当時の職員に対するアンケート結果という記事がありますので、引用してみたいと思います。
そこでの内容を要約するならば、国鉄職員のうち、公的部門を希望する職員の数を把握するとともに、その人数をは青くしておくことが主な目的として実施されたとしています。
アンケート調査結果について
、国鉄としては公的部門への転出希望の把握を主目的とする、全職員を対象としたアンケートを実施することになった。これは、公的部門への転出に関する職員個々人の意向をあらかじめ把握しておくことにより、近々のうちに本格化することが予想された昭和61年度の転出に際して、適切な人材を迅速に送り出すなと、円滑に転出事務が行えるようにする必要があったことが第一の理由としてあげられる。さらに国鉄職員の中には、潜在的に公的部門志向が強い傾向があると従来から言われてはいるものの、これを数量的に把握することにより、今後、政府において着手されることになる昭和62年度以降の公的部門における国鉄職員からの受げ入れの枠取り作業においても、職員の気持ちを充分に反咲させ、最大の枠を確保してもらえるようにしていくことが必要であると考えたためでもある。


これを見る限り、旅客鉄道会社に残りたいという意向は、優先順位としてはどの年齢も高いことが窺えるものの、第二希望として、国や政府関係機関への希望が20代を中心に多くあることが窺えます。
注:アンケートないの内外は、所属する管理局管内・管外という意味合いであり、多感内への転出ではなく、現管内での希望をして居る人が大半であることが窺えます。
当時の私も20代でしたので、もし私が国鉄に奉職していたならば、恐らく国や政府関係機関への就職を希望していたと思います。反面、国鉄管連企業への就職は低く、安定志向が有ったことが窺えます。
というか、当時の20代の感覚では未だ未だ安定志向というか公務員への信望が強かった時期でもあったように思えます。
国労はこのアンケートに対して、非協力の体制を指示
このアンケートは、退職前提休職者を除く全職員を対象に実施され、昭和61年1月6日に締切られました。そして、集計を行った結果、配布総数296,963枚のうち、回収は294,868枚と非常に高く、(回収率99.3%)かったものの、白紙提出されたものもあり。その数は分を除いた実質回答数は242,099枚とされた、これをグラフ化してみると。概ね7割が回答したこととなっています。

国鉄分割民営化反対を強く唱える国労は当然のことながらこのアンケートは容認できないものであり、国労は強制的なものでは無いのかと強く反発しています。
実際に、国労の資料を参照しますと下記のように発言しています。
当局はアンケートヘの回答は「強制ではない」としていたものの、現場への実施指示文書によれば、アンケート用紙配布のとき「万が一受取を拒否する職員がいた場合、拒否理由を明確にした上で記録に残しておくこと」と指示していた。また、回収について「全員から回答を回収すべく、点呼の場・手持ち時間等を十分活用して職員に徹底するとともに、極力一人ひとりの職員に提出を勧めることL と述べており、かぎりなく強要に近いものであった。
国労は、このアンケート調査は国鉄分割・民営化がなんら決まっていない段階にもかかわらず・そのことを前提にして行う不当なものだが、この調査への非協力をもって「雇用」をテコに組織破壊攻撃が強化されることは明白であると判断し、「全国的に意{思統一のもと、戦術的に対応する」ことを決め、次のような闘争指令第8号を発した。
その結果が、白紙回答を含めた回答、84%であ有ったと言えそうです。
当時の国労は昭和60年11月30日以降は、雇用安定協約を結んでいませんでしたが、未だ未だ最大の組合員を抱える組合でしたので、国労の運動次第で撤回は可能だと考えており、その結果として下記のような指令が出されることとなり、これが15%の白紙回答として返されたという事になります。
参考:

具体的な国労の指示内容
国労本文の記事に具体的に書かれていますので、引用してみたいと思います。
国労は、このアンケート調査は国鉄分割・民営化がなんら決まっていない段階にもかかわらず・そのことを前提にして行う不当なものだが、この調査への非協力をもって「雇用」をテコに組織破壊攻撃が強化されることは明白であると判断し、「全国的に意{思統一のもと、戦術的に対応する」ことを決め、次のような闘争指令第8号を発した。
① 「アンケート調査」が、5000万人の全国策に対する巻き返し策の一つであ り、国鉄労働者の動揺と競争をあおる、きわめて悪辣な政治的策謀であること などを組合員に徹底し、5000万署名の成功と組織的団結を強めること。
② 「アンケート調査」には拙速に対応せず、糾繊的に対応するため、各級機関は全組合員に別に指示する12月17日まで、アンケートヘの記入および提出はしな いよう徹底すること。
さらに、12月25日に闘争指令第9号において、アンケートヘの対応を指示した。内容は「アンケートについては組合員個人が記入することとし、記事欄に『わたしは分割・民営に反対です。
引き続き国鉄で働くことを希塑します』と必ず記載すること」というものであった。この指令により、大量の白紙アンケートが回収された。
第8号が何時発出されたのか不明なのですが、12月20日までに発出されたと思われます。更に、第9号では、分割民営化反対と明記するとしており、ちょっと大人げないような行動にも思えます。
こうして、国労は未だ未だ白紙撤回は可能であるとして、組合員の結束を固めつつ、分割民営化反対の運動を続けて行くのでした。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
┌──────────────────┐
├○ 二 「進路希望アンケート」の実施 │
└──────────────────┘
「進路希望アンケート」の強行
国鉄分割・民営化にともなう余剰人員対策として、政府が、85年12月13日に公的部門での3万人の受け入れ目標を定める2日前の11日、国鉄当局は交渉の席上で国労に対し、全職員を対象にした「第一次進路希望アンケート調査」を実施すると通知してきた。当局の説明では、公的機関の昭和61年度採用分に対してどのくらい国鉄職員からの転職希望があるか、を見るのが調査の目的で、回答を強制しない、ということであった。この通告に対し国労は、雇用安定協約の再締結と今後の雇用問題全般に関する話し合いのルールを決めたのち、アンケート調査の話をすべきだと主張した。動労、鉄労、全地労の三組合は当局の通知に賛意を表した。
アンケートは、12月20日までに全職員( 管理職を含む) に配布し、86年1月6日までに提出させる方針であり、アンケートの内容は、氏名、所属、職名、年齢を記入のうえ、今後の「進路」として希望するものを三つ選び順位をつけるというものであった。
「進路」として「国・政府関係機関」「地方公共団体」「国鉄関連企業」「一般産業界」「旅客鉄道会社( 分割・民営化された後の)」「貨物会社・その他の新事業体」「その他」の七つがあげられ、このうち「国・政府関係機関」「地方公共団体」「旅客鉄道会社」については、希望地が現住地域の内か外か、が設問されていた。
当局はアンケートヘの回答は「強制ではない」としていたものの、現場への実施指示文書によれば、アンケート用紙配布のとき「万が一受取を拒否する職員がいた場合、拒否理由を明確にした上で記録に残しておくこと」と指示していた。また、回収について「全員から回答を回収すべく、点呼の場・手持ち時間等を十分活用して職員に徹底するとともに、極力一人ひとりの職員に提出を勧めることL と述べており、かぎりなく強要に近いものであった。
国労は、このアンケート調査は国鉄分割・民営化がなんら決まっていない段階にもかかわらず・そのことを前提にして行う不当なものだが、この調査への非協力をもって「雇用」をテコに組織破壊攻撃が強化されることは明白であると判断し、「全国的に意{思統一のもと、戦術的に対応する」ことを決め、次のような闘争指令第8号を発した。
① 「アンケート調査」が、5000万人の全国策に対する巻き返し策の一つであ り、国鉄労働者の動揺と競争をあおる、きわめて悪辣な政治的策謀であること などを組合員に徹底し、5000万署名の成功と組織的団結を強めること。
② 「アンケート調査」には拙速に対応せず、糾繊的に対応するため、各級機関は全組合員に別に指示する12月17日まで、アンケートヘの記入および提出はしな いよう徹底すること。
さらに、12月25日に闘争指令第9号において、アンケートヘの対応を指示した。内容は「アンケートについては組合員個人が記入することとし、記事欄に『わたしは分割・民営に反対です。
引き続き国鉄で働くことを希塑します』と必ず記載すること」というものであった。この指令により、大量の白紙アンケートが回収された。
国鉄当局は86年16日、全国総務部長会議を開き、「進路希望アンケート」に白紙で応じた者や提出しない者を現場長が個々に呼び出し、「個人の意思か、組合の意思か」を質し、「白紙の者は〃旧国鉄〃へ行くことになる」と説得することなどを決め、17日から実施に移した。これに対し国労は、組合貝の思想. 信条に介入して雇用の選別をねらうものであり、労働組合組織に対する破壊行為であり、断じて看過できないし、当局自身の通達にある「回答の提出を強制するものではない」にも反すると判断し、当局に対して17日中止を申し入れた。当局は、即答を拒否したが、国労は、「呼び出しをしたり、従来の労使関係を破るようなことがあれば法的措置をとる」と警告した。翌18日の交渉でも、国労は「呼び出し中止」を強く要求したが、当局側は「トラブルは避けたい」といいながら「未記人者の意思確認は実施する」との態度を変えず、交渉は打ち切られた。
国鉄当局は1月3日、「進路希塑アンケート調査」の集計結果を発表した。配布数は29万6963枚、回収数は29万4868枚で、回収率99・3% 、実質、回答数は24万2099枚( 82・1%) であった。つまり、白紙回答数と未提出数の合計が5万4864枚あったことになる。アンケート結果について当局は次のようなコメントを行った。「今回のアンケート調査の主たる目的は公的部門に対する転出希塑を把握することであるが、結果をみてみると、優先順位の1位で公的部門を指定した者は4万3495人を数え、優先順位2位、優先順位12位に指定した者は、それぞれ12万6231人、11万6999人となっている」「今回のアンケートで特徴的なことは、優先順位1位で現在居住している地域内の旅客鉄道会社を希望する者が、17万2204人( 70. 8%) 、他地域の旅客鉄道会社、貨物会社等と合わせると、18万1455人( 75・0 %) と圧倒的になっていることである」「地域志向性の強さがうかがわれるが、余剰人員規模及び雇用の場の地域的アンバランスを考えればこれを調整していくことが必要であり、これをどのような形で実施していくかが今後の課題である」。なお、転職希望者もあわせると地元での勤務を切望んでいる職員は97% にのぼった。
続く
国鉄労働組合史詳細解説 156 国鉄の民営化政策に抗議する国労闘争
国鉄改革労働組合協議会の結成 と国鉄当局
国鉄改革が大詰めとなってきた昭和61年7月18日、鉄労・動労など国鉄改革に協力姿勢の組合と、国鉄改革労働組合協議会(以下・改革労協)を結成しました。
改革労協に結集した組合は下記の組合でした。
の4組合でした。

鉄労は同盟系の雄で有り、動労は総評系でかつては鬼の動労と呼ばれるほど恐れられ、当時でも鉄労とはまさに「呉越同舟」状態と言えました。
動労は、昭和五七年以降の本格的な貨物輸送減量に危機感を覚え、それまでの運動方針を転換、貨物増送運動に取り組むこととなりました。
その背景には、恐らく機関助士反対闘争に見られた強力な反対闘争は、結果的に組合員の減少を招く苦い記憶があったからでは無いかと個人的には考えて居ます。
実際、機関助士反対闘争では、青年部長であった、松崎明がかなり積極的に介入していましたので、再び組合員が減少するという悪夢を避けようとするのは自然の流れのように思えます。
更に全施労は、保線系の組合で国労から脱退した動労に次ぐ職能系の組合でした。
こちらは、結成前に国労が分裂阻止工作に動いたため、その分裂は最小限となりましたが、全施労が保線系の職能系組合として結集していたとすれば、国労は、もっと早い時期に協調路線に転換していたかもしれないわけですが、この当時でも未だ未だ国労は最大派閥であり、数の力で押し切れると思っている節もあったようです。
最後の真国労は、以前にもお話ししましたが、国労内革マル派で。看板は国労であるが実際は動労の指示をうけてという所があり、動労の一派閥という見方が出来るかと思います。
改革労協と当局
7月30日には、改革労協と国鉄当局との間で、第1回目の会合が開かれ、その席上、下記の国労の記事でも書かれているように、当局としても協力する組合と非協力的な組合を平等に扱うことは難しいと言う思いから、下記のような当局の発言が成されました。
「当面のさし迫った問題もあるが、新事業体における新しい労使関係の展望ついても、そろそろ考えておかねばならない時期に来ている。皆さん方は、それぞれの立場でリーダーシップを発揮され、将来にわたり我々とお付き合い願いたい。
職員の問題については、正念場を迎えることになる。職員管理という立場から、各職員の勤務状況を把握しているが、本人の進路希望とその勤務状況を一体化し、真面目に働いている職員については最大限その希望をかなえてやりたいと考えている」と発言した。
組合も、新会社への採用が約束されたものではないと対外的にはアナウンスしているものの、実質的な採用に向けての優待券のようなものと多くの組合員にも捉えられていたと考えたと思われます。
この協議会は、「国鉄改革の 円滑な実現に一致協力して取り組むため、改革全般にわたり、労使が率直かつ真摯な意見 交換を行う」ことを目的として「国鉄改革労使協議会」として設置され、覚書を交換するとともに第1回の意見交換が行われました。
更に8月27日は第2回目の会合がもたれますが、この開催に先立ち、新たに、以下の三つの組合が改革協議会に参加することとなりました。
この三組合の結集により協議会の参加人数は、約90,000人となり当時の職員数の1/3弱までが改革労協に結集したことになります。
少なくとも、改革労協に所属することが採用の最短パスポートであると考えられていたと言えます。
そして、2回目の会合がもたれた8月27日には、当局と第2次労使協調宣言が結ばれることとなります。
第2次労使協調宣言とはどのような内容だったのか
第1次労使協調宣言を深度化したもので、当局の意向を組合が積極的に協力することを希望すると言った内容であり。
当局が進めている出向・一時帰休制度、更には直営売店事業や広域転配等への協力を要請しているほか。
望ましい労使体制として、新会社への移行を踏まえ組合の組織統合(一企業一組合)を進める事を希望するとともに、スト権が確立しても当面はスト権行使を自粛する事を希望すると言った内容であり、当局の期待に積極的に組合が応じてくれることを望む内容となっていましたが。それまでのストライキに次ぐストライキ故の発言で有ったと言えそうです。
参考:第2次労使協調宣言 こちらで全文をご覧いただけます。
当局は、スト権ストの損害賠償訴訟を動労については取り下げると発表
全施労の第17回定期全国大会が開催された、同日国鉄当局は、スト権ストの夜損害賠償として,国労・動労に対して行っていた損害賠償訴訟のうち、動労分202億円については、その請求を取り下げると発表、ただし、国労は引き続き訴訟へ継続するとして、ここに来て動労と国労に対する当局の温度差が開いていくこととなりました。
その理由としては,国労の資料にも書かれていますが。
「動労は、57年12月以来ストライキを行わず、また『労使共同宣言』において、国鉄改革が実現するまでの間ストライキ等違法行為を行わないと宣言し、さらに『第二次労使共同宣言』において、新事業体移行後スト権が付与された場合においても、健全経営が定着するまでは、その行使を自粛することを明言した。また、動労は、57年以来、職場規律の是正、合理化・余剰人員対策の促進など国鉄の諸施策に積極的に協力してきており、・・・・・・『民営・分割』による国鉄改革に賛成し、これに向かって一致協力」している。こうした事実から判断すると、「動労に関する限り、違法ストが再び行われるおそれは除去された」。
「動労がとってきた労使協調路線を将来にわたって定着させることは、今後の鉄道事業の健全な発展にとって大変有益であると考える」。これらの事情を勘案して動労については「202億訴訟」を取り下げる。「なお、国労については、今日まで訴訟を取り下げるべき事情が生じていないので、従来どおり訴訟を維持」する。
こうして、9月3日動労に対する訴訟を取り下げる手続きを行い、国労についてのみ訴訟を継続した。
動労は、機を見て上手く立ち回っているように見受けられますし、実際にそれまでの過激とも言える不法行為からすれば、現場の鉄労組合員などは素直には受け入れられなかったであろう事は容易に想像できますが、当時はそれでも新会社への採用という点ではやむを得なかったと言えます。
****************************以下は国労の資料になります*************************
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
┌────────────────────────┐
├○ 三 改革労協の結成と第二次労使共同宣言の締結 │
└────────────────────────┘
「第二次労使共同宣言」の締結と動労への202億訴訟の取り下げ
86年7月30日、改革労協と国鉄当局との初会合がもたれ、その席上杉浦総裁は「当面のさし迫った問題もあるが、新事業体における新しい労使関係の展望ついても、そろそろ考えておかねばならない時期に来ている。皆さん方は、それぞれの立場でリーダーシップを発揮され、将来にわたり我々とお付き合い願いたい。
職員の問題については、正念場を迎えることになる。職員管理という立場から、各職員の勤務状況を把握しているが、本人の進路希望とその勤務状況を一体化し、真面目に働いている職員については最大限その希望をかなえてやりたいと考えている」と発言した。
これに対し改革労協側は「新事業体は必ずしもバラ色になるとは考えていない。自らの努力でつくっていくものだと内部に向かって言っているし、スト権付与ということについても、新事業体の基礎が固まるまで自粛ということも検討している」と応じた。この話し合いのなかで改革労協と国鉄当局は「国鉄改革労使協議会」の設置を決めた。
さらに8月27日、これまで国鉄当局が各組合と個別に結んでいた労使共同宣言に加え、その内容を新会社移行後をにらんだものに改め、改革労協との間で「今後の鉄道事業のあり方についての合意事項」として第二次労使共同宣言を締結した。その内容は、労使の「信頼関係」の深まりのもとで、「今後の鉄道事業が健全な発展を遂げるために労使は何をなすべきかについて、さらに広範な共通認識を持つに至った」として、①鉄道事業のあるべき方向について、②あるべき労使関係について、③望ましい職員像について、確認したものであった。
「①鉄道事業のあるべき方向について」では、第一次労使共同宣言では国鉄の分割・民営化への労組の支持が明文化されていなかったのを改め、「民営・分割」による「国鉄改革を基本とするほかない」とうたい、改革に「一致して尽力する」とした。「②あるべき労使関係について」では、組合側は「「組織的統合への一層の努力を払う」とした上で、「『国鉄改革労使協議会』が今後の鉄道事業における労使関係の機軸として発展的に位置づけられるよう、緊密な連携、協議を行う」とのべ、「このような労使関係の帰結として改革協議会は、今後争議権が付与された場合においても、鉄道事業の健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛する」と事実上スト権返上を宣言した。「③望ましい職員像」として、「企業人としての自覚」を掲げ、そのために今後「さらに必要な教育の一層の推進を図るとともに、労使それぞれの立場において職員の指導を徹底する」と述べた。
第二次労使共同宣言が締結された翌日、8月28日に全施労の全国大会が開催されたが、これに出席した杉浦総裁は来賓あいさつの中で、1975年の「スト権スト」にたいする「202億円損害賠償訴訟」のうち、動労分についての提訴を取り下げることを明らかにした。動労も当局に対して起こしている32件の訴訟取り下げを決めた。同日の記者会見で杉浦総裁は、おおよそ次のような談話を発表した。
「動労は、57年12月以来ストライキを行わず、また『労使共同宣言』において、国鉄改革が実現するまでの間ストライキ等違法行為を行わないと宣言し、さらに『第二次労使共同宣言』において、新事業体移行後スト権が付与された場合においても、健全経営が定着するまでは、その行使を自粛することを明言した。また、動労は、57年以来、職場規律の是正、合理化・余剰人員対策の促進など国鉄の諸施策に積極的に協力してきており、・・・・・・『民営・分割』による国鉄改革に賛成し、これに向かって一致協力」している。こうした事実から判断すると、「動労に関する限り、違法ストが再び行われるおそれは除去された」。
「動労がとってきた労使協調路線を将来にわたって定着させることは、今後の鉄道事業の健全な発展にとって大変有益であると考える」。これらの事情を勘案して動労については「202億訴訟」を取り下げる。「なお、国労については、今日まで訴訟を取り下げるべき事情が生じていないので、従来どおり訴訟を維持」する。
こうして、9月3日動労に対する訴訟を取り下げる手続きを行い、国労についてのみ訴訟を継続した。
国労は、こうした国鉄当局の対応に対し裁判所に次のような準備書面を9月9日付けで提出した。
「かねて被告国労は、原告の本件損害賠償請求が国労・動労の自主的な団結の弱体化を狙った不当労働行為である旨主張してきた。はからずも、このたび、被告動労が原告国鉄の『合理化政策』、とりわけ国鉄の分割・民営化施策遂行に全面協力する旨、本件訴訟当時の態度を豹変させたことに呼応して、原告国鉄が被告動労にたいし本件訴訟を取り下げたことは、もともと本件損害賠償請求が損害の補償を目的としたものではなく、むしろ国労・動労に運動路線の変更を強いる手段としてなされたことを示すものであり、その不当労働行為であることを原告みずから認めたに等しいといえよう」。
同時に、国鉄当局に対し202億損害賠償訴訟の取り下げ要求を行った
続く
国鉄労働組合史詳細解説 155 労働組合と国鉄改革の新展開
久々に更新させていただきます。
雇用安定協約の更新が行われたかったことで組合員の不安が増大
雇用不安と国労内の分裂国鉄当局は、国労との雇用安定協約を更新しないという決定を下し、国労組合員は雇用不安を感じるようになりました。国労は当局の姿勢に問題があるとして、国労組合員自殺者がどれだけあったと発表して当局の弾圧があると指摘しようとしましたが、国労組合んに限ったことではなく中間管理職であった助役などの自殺も実際にはあったのですが、その辺はなかったこととされていました。
国労内では、国労からの脱却を目指すグループが続出
国労内では分裂が続き、前回のお話の中であったように、国労内の革マル派であるグループが真国労を結成しています。「新」ではなく、「真」となった背景には、鉄労が当初「新国労(新国鉄労働組合連合)」という職能労連や新潟闘争で誕生した新潟地方労組並びに国労民同右派が脱退した、国鉄地方労組総連合会(国鉄地方総連)が合流して1962年11月30日に誕生した連合体として名乗っていたことからでした。ちなみに、新国労は1968年10月20日には単一組織として鉄労として統合されることとなったされています。
真国労が結成されたのは、昭和61年4月13日であり、弊サイトの「国鉄があった時代」から時系列を少し追ってみたいと思います。
真国労結成大会 4/13
国労脱退の約1,200人が、新たに労使協調路線を目指す、真国鉄労働組合結成大会を東京で開催動労・鉄労・全施労3組合代表があいさつ真国労は、その後7月には労使協調を謳う「鉄労」・「動労」・「全施労」とともに、国鉄改革労働組合協議会を発足させた →61/9/1「真国労」結成大会。国労組合員ら抗議 4/13「真国労」から57人が国労に復帰 4/18
真国労と労働基本協約、労使共同宣言、雇用安定協約を調印 4/28
国鉄安全問題懇談会開催 5/14
国鉄は動労・鉄労・全施労、真国労4組合と共同で安全につき意見交換を行う安全問題懇談会第1回を開催当局、ボーナス査定制度を動労、鉄労、全施労、真国労と妥結(今夏から実施) 5/29
国労第147回中央委員会(社会文化会館)。国鉄「分割・民営」阻止、雇用確保、目前に迫った選挙闘争を柱とする「当面の闘争方針」を決定。当面は同日選勝利に全力 をあげることを意思統一 5/29
国鉄当局、分割民営反対ワッペン着用をめぐって。326労組合員2万9070人の処分通告を開始 5/29
水色は組合側の動き、マゼンダは当局側の動きとし、赤色太字は国労の動きとしてみました。
国労内の革マル派派閥が、真国労を結成
国労の記述によれば、今回分裂した真国労は「本籍=動労、現住所=国労」と揶揄されるほど。常に動労からの指示を受けながら行動していたと、幣ブログ解説154話の後段の国労の記述の中で下記のように書かれていますので再掲します。

85年11月中旬頃から、東京、大阪を中心に俗にいう〝動労系・活動家と組合員のなかに、国労を脱退して動労へ加入しようとする動きが出始めた。
この動きが組織分裂行動として、具体的に職場のレベルで現れてきたのは、86年2月中旬以降からであった。反国労の分裂策動の大きな特徴は、その先頭に立つ者いずれもが「国労内〝革マル派〟の中心メンバーであり、そのうえ国労東京地本管内の支部、地区協、分会および青年部の役員、もしくはその経験者である」という点である。
このグループは、「本籍=動労、現住所=国労」などと職場でささやかれているほど、「これまで常時、動労の間接的な指導をうけて行動してきた。
そして、動労の主張とほぼ同様に『出向・派遣に積極的に応じることが〝新事業体〟への切符を手にすることだ』といちはやく『派遣』や『直営売店の販売員』に応じ、さらに国労の方針を批判、中傷する言動をつづけてきた」(1985年度年報)。
と書かれているように、国労内における雇用不安はさらに大きなものとなって、組合員を揺さぶることとなりました。国労内ではさらに不安が広まり、更には組織拡大を続ける鉄労・動労などへの改革労協の組織へと流れていくこととなりました。
真国労は、動労と同じく改革労協へ合流
国労から脱退した、真国労は元々動労の指示を受けていた革マル系の組合であったことから、動労とも急接近することとなり、5月31日には動労・鉄労の幹部を招いて、「全国懇親会」を開催したとされています。
以下は、下記本文から引用。
当日来賓として招かれた動労の松崎委員長は挨拶のなかで「国鉄にいくつも組合があるのは不自然だ。四組合は早い時期に統一を目指し、新事業体について話し合うべきだ」と述べ、労使共同宣言締結四組合の統一の必要性を訴えた。鉄労の船山情宣部長も「新しい組合組織のあり方について7月の定期大会で明らかにしたい」と述べた。
として、国鉄内での組合の早期統一を目指すべきだと発言を松崎委員長がしており、鉄労の情宣部長も同様な趣旨を発言しており、当局も積極的に国鉄内の労働組合が1本化することを期待すると発言しており、一企業一組合が労使双方の合言葉のようになっていました。
このように、労使協調路線を目指す方向を目指す組合が増える中で、国労はその前日、5月30日に、ILO事務局長に国労執行委員長及び総評議長の連名で書簡を発出しています。
内容としては、国労が当局から理不尽な扱いを受けているとして主な項目としては下記の9項目が書かれていました。
当然のことながら、当局は寝耳に水の状態であったことから国労に対して激怒、更に国労は迷走をする羽目となったのでした。
- 今年3月に国会に提出された国鉄改革関連法案は労使間の団体交渉が行われなかった
- 清算事業団に移行する職員の雇用関係は事業団とともに終る。
- 所属組合を理由に差別される可能性が強い
- 国労との雇用安定協約の再締結を拒否している。
- 国労の団体交渉開催要求は無視され公労委は機能していない。
- 国鉄の労働者は労働条件等の不利益変更の受け入れを法的に強制される。
- ストライキを組織するとき、あるいは勤務時間中の組合活動に対し処分が行われる。
- 新聞へ投書したことで乗務停止をされた。
- 過去1年6箇月の間に当局の執拗な退職勧奨等で61人の自殺者を生じたとし、これらの事実は、人間性の軽視、基本的な労働者の権利を保証した条約違反だとしている
この辺の話は改めて詳述することとしますが、国労はこれにより、更に窮地に自らを追いやることとなるのでした。
国鉄労働組合
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争国鉄労働組合『国鉄労働組合の歩み』
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
┌────────────────────────┐
├○ 三 改革労協の結成と第二次労使共同宣言の締結 │
└────────────────────────┘
改革労協結成のうごき
国労からの脱退者で結成した真国労は5月31日、「全国懇親会」を開いたが、当日来賓として招かれた動労の松崎委員長は挨拶のなかで「国鉄にいくつも組合があるのは不自然だ。四組合は早い時期に統一を目指し、新事業体について話し合うべきだ」と述べ、労使共同宣言締結四組合の統一の必要性を訴えた。鉄労の船山情宣部長も「新しい組合組織のあり方について7月の定期大会で明らかにしたい」と述べた。こうして四組合の統一の方向が固まりはじめていった。動労、鉄労、全施労、真国労の四組合は「労使共同宣言推進連絡協議会」を結成していたが、この四組合の申し入れで三塚運輸相、杉浦国鉄総裁と四組合幹部との会談が、6月10日に運輸省内で行われた。この席上、三塚運輸相は「国鉄再生に向けて一つの組合になるよう取り組んでほしい」と述べ、「四組合一体の協議会」づくりを要請した。四組合側は「各組合それぞれに歴史があり、方針、立場もあるが、真剣に検討したい」と応じて、「分割・民営」促進の統一組織づくりへ積極的な姿勢を示した。
国労は、この会談での運輸相の統一要望発言を国家的不当労働行為の疑いがあるとして、運輸相、労働相に公開質問状を出した。
そのなかで「労働組合の組織形態は組合自身が自主的にきめるのであり、これについて貴殿が直接意見を述べ、要望することは行政官庁として正当な行為か」と質問した。6月17日の閣議後の記者会見で林労働大臣は、国鉄四組合との会談について三塚運輸相から弁明のあったことが明らかした。
動労と鉄労の定期全国大会が7月8日から始まった。動労大会では、①国鉄改革に向け、国鉄の分割・民営化を求める政府案に修正を求めていく、②国鉄の新事業体移行という節目の中で、労働組合運動強化のために一企業一組合の結成を目指す、との運動方針を採択し、労使共同宣言締結四組合との共闘をさらに強化・発展させるために綱領と規約の改正を提案した。新しく提案された綱領案では、76年につくった綱領には入っていた「労働者の階級的連帯を強化し、その解放のためたたかう」「反動政治とその権力を否定的にとらえ社会主義社会樹立のためにたたかう」との文言を削除した。
鉄労大会では「87年4月に予定される国鉄の新事業体移行後には、六つの事業体ごとに単組をつくったうえで、産別組織として全国連合体を結成するとともに、国鉄当局との労使共同宣言を締結した動労、全施労、真国鉄労の三組合との『ゆるやかな協議体』を結成する」、とした87年度運動方針を決めた。また、新しい「産別」として全民労協に加盟する方針も決めた。方針提案の中で志摩鉄労書記長は、分割・民営後の運動の主導権を四組合が国労から奪取する必要性を力説し、「ゆるやかな協議体は、単に鉄労と動労がいっしょになる問題ではなく、多数派形成の対策」だと、説明した。協議体の結成時期に動労とのズレはあるが、方向は一致した。
労使共同宣言締結四組合は86年7月18日、「国鉄改革労働組合協議会」(改革労協)を結成した。結成大会では、運営要綱や当面の方針案が採択された。議長には志摩好達・鉄労組合長、副議長に松崎明・動労委員長、杉山茂・全施労委員長、古川哲郎・真国労委員長の3人、事務局長に福原福太郎・動労書記長が選出された。結成後、協議会幹部は国鉄総裁と初会合をもち、新会社移行に関する雇用などの労使関係について当局との全般的な交渉は、協議会が窓口になることで合意した。国鉄当局は協議会の結成を歓迎し、協議会と新たな労使共同宣言を結ぶことを検討すると述べた。
続く
国鉄労働組合史詳細解説 154 労働組合の分裂と再編:国鉄内の激動
長らく更新が出来ませんでしたが、久々に更新させていただきます。
今回は、国労の分裂という視点から書かせていただきました。
国労は合理化で組合員の減少があったとは言え、1984年時点では20万人強を擁する国鉄最大の労働組合であり、力で押し切れると思っていたものの、その包囲網は狭められることとなり、国労内でも雇用に対する不安から分裂が生じることとなりました。
特に、国労内の革マル派閥は「真国労」という名称で動労と同じく、協調路線を取ることで雇用の安定をめざすとして分裂する事となりました。
その後も主流派を占めていた民同左派は、社会党の協力を得ながら着地の方向を辿りますが、徐々に狭められていったのは既に皆様もよくご存じの通りです。
雇用安定協約未締結までの出来事
国労の記述では、85年11月30日に国鉄は雇用安定協約の再締結を拒否された、その後は雇用安定協約がない状況に置かれました。
ここに来て国労の中には、本当に大丈夫だろうかという不安が続くこととなります。
当時の時系列を弊サイトの国鉄があった時代から引用してみます。
国当局鉄、勤労、鉄労、全施労の3組合と「履用安定協約」を再締結することで合意 11/13
国労に対しては「再締結の用意あるが、入り口問題での整 理が先決」と締結拒否 11/13昭和60年度第1237回日本国有鉄道監査委員会 11/15
国鉄改革のための基本的方針について
国労、第144回拡大中央委員会(国労会館)で三ない運動(やめない。休まない、出向ない)の中止 11/19
国労。中心議題は国鉄の分割・民営反対、雇用安定協約の継続締結など。5000万署名、雇用安定協約の締結へのとりくみは、特別決議とあわせ本部提案を承認。論議を呼んだ〝三ない運動"は特別決議とあわせ、本部提案を了承 11/19
千葉動労24時間の違法ストに突入 11/28
千葉動労は国鉄分割民営化反対を謳い、12:00から24時間ストライキに突入
中核派とみられる過激派による信号、通信ケーブルの切断により、首都圏、大阪地区の 21線が列車運行不能に。国労・動労、共同記者会見で、"怒り禁じえない〟と見解表明 11/28
動労、鉄労、全施労の3組合と雇用安定協約を再締結 11/30
国労、国鉄との雇用安定協約拒否 11/30
国鉄最大の労組国労(18万6000人)に対し、「余剰人員対策に対する姿勢が非協力的」として,この日に期限切れとなる雇用安定協約を再締結しないと通告
この協約では「合理化に際し,本人の意思に反した免職、降格は行わないと規定しているものである
国労は、拡大中央委員会の運動方針として「3無い運動(行かない(出向)、休まない(退職前提休職)、辞めない(希望退職)」中止を決めたが、主要地本に協力体制が見られないと断じたもの。当局は当日,動労(3万4000人)・鉄労(3万1000人)・全施労(1950人)とは再締結の調印をした
とあるように、国鉄当局は、約二週間前の11月13日に雇用安定協約を締結しないことを通告することとなります。
雇用安定協約は、労働者にとっては切実
雇用安定協約は、言わば本人の意思のよらず不利益処分を受けないと言うことを意味するものですが、再建監理委員会更にはそれ以前にスタートした再建計画に基づく合理化の推進で、当局は強力に合理化を推進していくこととなり、出向や勧奨退職などを全面的に打ち出してきました。
千葉動労の記事に、その辺の事情が記されていましたので、引用してみたいと思います。
こうした攻撃の集約として84年7月に打ちだされたのが、いわゆる「首切り三本柱」(余剰人員対策3項目)であった。それは、①勧奨退職、②一時帰休、③出向、によって95年度首までに3万人の余剰人員を吸収するというもので、しかもこの三本柱への協力を、各組合との雇用安定協約再締結の前提条件としたのである。
この理不尽な攻撃に、国労も当初は強く反発し、いわゆる「三ない運動」(辞めない、休まない、出向しない)を提起する。出典:DC通信 No.
とあるように、それまではどちらかと言えば馴れ合い的な所があった国労都当局の関係は、昭和57年に就任した太田職員局長の頃から流れは変わり、国労とは強く反発することとなり、太田職員局長自身は、国鉄改革に積極的であったと言うよりも、己の権力を集中させたいだけという見解もあり、実際にその後の動きを見ていくと、そう見るのが非常に妥当と思われます。
しかし、この時期以降国労に対しては、風当たりがきつくなったように思えます。

国労は、数の力で押し返せると意気込んだが
合理化を進めていく中で、国労はそれでも20万人移住の組合員を擁する組合でしたので、未だ未だ数の力で押し切れると思っていた所がありました。
それ故に、三ない運動(辞めない、休まない、出向しない)を実践し、組合員もそれを実践していくことで国労と言う組合への安心感を持っていたわけです。
かつての鬼の動労は・・・_| ̄|○
それ故に、動労が早々と分割民営化には反対と言いながらも、「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだし、貨物安定輸送宣言をするなど、職場を守るためとしてそれまでの鬼の動労と言われた過激な運動はその姿を潜め、千葉動労からは、裏切り者として下記のように罵られることとなりました。
動労革マルはその最初から、極めて自覚的に、権力・当局との密通関係を結び、国鉄労働運動破壊の尖兵となることによって自己の延命をはかるという道を選択したのである。
とあるように、動労は積極的に事故の組織温存のため動いていたわけで、この流れは国労内の「革マル派閥」にも影響して、「真国労(真国鉄労働組合)が結成されるきっかけとなりました。
********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
*****************************以下は、国労の資料になります******************************
第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
┌───────────┐
├○ 二 国労組織の亀裂 │
└───────────┘
国労は85年11月30日に当局から雇用安定協約の再締結を拒否され、12月1日から無協約になったが、こうした状況をとらえ動労、鉄労、全施労などによる国労に対する組織攻撃が激しくなった。85年11月中旬頃から、東京、大阪を中心に俗にいう〝動労系・活動家と組合員のなかに、国労を脱退して動労へ加入しようとする動きが出始めた。この動きが組織分裂行動として、具体的に職場のレベルで現れてきたのは、86年2月中旬以降からであった。反国労の分裂策動の大きな特徴は、その先頭に立つ者いずれもが「国労内〝革マル派?の中心メンバーであり、そのうえ国労東京地本管内の支部、地区協、分会および青年部の役員、もしくはその経験者である」という点である。このグループは、「本籍=動労、現住所=国労」などと職場でささやかれているほど、「これまで常時、動労の間接的な指導をうけて行動してきた。そして、動労の主張とほぼ同様に『出向・派遣に積極的に応じることが〝新事業体?への切符を手にすることだ』といちはやく『派遣』や『直営売店の販売員』に応じ、さらに国労の方針を批判、中傷する言動をつづけてきた」(国鉄労働組合『国鉄労働組合の歩み』1985年度年報)。
こういったグループのメンバーとその同調者が、東京地本の上野支部を中心に下十条電車区をはじめ電車区、運転区、客貨車区などで国労脱退を行い、動労に加入した。上野支部以外でも、新橋、八王子、国府津、宇都宮の各支部でも少数の者が脱退した。この時点での脱退者の数は合計で298人であった。
国労東京地本では、「革マル分裂主義者による国労破壊策動を許すな」と糾弾し、この策動が分割・民営化反対闘争の高まりを恐れた「当局の意をうけた組織攻撃」であると指摘し、「『労使共同宣言』では労働者の雇用は守れない」「国労の旗のもとに総団結しよう」と呼びかけた。なお、分会三役、執行委員多数が脱退した下十条電車区では、脱退後10日間の内に国労再建大会を開き、新たな執行体制を確立した。
こうした反国労の組織分裂行動は、4月に入って運転だけでなく、駅、車掌などの営業や施設職場にも現れてきた。この策動も中心は上野支部管内であり、上野、田端などの地区に集中しており、首謀者は運転関係と同様に国労内〝革マル派?の中心メンバーであった。4月7日、脱退者の代表が記者会見し、「このままでは自分たちの雇用を守れない」として、新たに「真国鉄労働組合」を結成することを明らかにした。この時の発表では1208人の脱退者が集まったので、4月13日に東京で結成大会を開き、将来は3万人程度の全国組織を目指すと語った。記者会見のあと、「真国労」結成準備委員会のメンバー(代表・古川哲朗)は国鉄本社に出向き、「真国労」結成を通告した。その席上、準備委員会側は、当局に対し「雇用安定協約と配転協約を締結したい。労使共同宣言を締結したい。労使協議会を設置したい」意向を伝えたところ、当局側からは、「労組としての法的資格が整備されれば交渉し、締結する用意はある」との回答を得た。そして、4月28日に真国労は当局との間で労使共同宣言と雇用安定協約を締結した。
「真国鉄労働組合」の結成大会が4月13日に開かれ、大会には鉄労、動労、全施労の三書記長が来賓として出席した。雇用の確保や正常な労使関係づくりを目指し、当局に雇用安定協約や労使共同宣言の締結などを求めていく活動方針と規約等を決め、執行部を選出した。〝委員長に古川哲朗(前・田端地区協議長)、書記長に水沢隆(前・上野支部組織部長)が選出されたが、他の執行部の顔触れも革マル派?の中心メンバーであった。
さらに、86年4月以降、全国的に非現業部門で国労組合員の脱退が相次いだ。この部門では日増しに管理体制の強化が行われ、関係労働者の雇用不安が増大していった。この時期、国労に所属していること自体が、直接・間接を問わず「締めつけ」の対象とされていた。
7月15日、国鉄の東京北、西、南鉄道管理局などの事務部門の労働者を中心に、国鉄の分割・民営推進を求める新しい労働組合として「東京鉄道協議会」が結成された。15日夜、都内で開かれた結成大会には約100人が参加し、「労使一体となって国鉄改革を目指すことをうたった労使共同宣言を当局と締結する」などの活動方針を決定し、委員長に水野力氏(東京南鉄道管理局事業課運用係長)を選出し、組合員は事務職中心で約780人を組織したと発表した。
国鉄労働組合史詳細解説 153 国労闘争と労使共同宣言
労使共同宣言までの一連の流れ
国鉄余剰職員2万1000人を関連企業が受入 1/7国鉄は61年度から65年度(平成2年度)までの5年間に、2万1000人の余剰職員受入先を、鉄道弘済会や日本交通公社など関連企業(865社)に確保したと発表
鉄労は1981年にも労使共同宣言を締結すべしと当局に要望
鉄労としては「 経営改善計画 の不備を補 い、誤りを改 め、目標達成に向かつて大胆に再建に取り組んでいく」と宣言、具体的には、(再建期間中はス 卜 をやらない)平和条項を含む再建協定を労使で締結。これを労使共同によ る”国鉄再建宣言”として国民の 前に明らかにする。そして、現在、各組合と当局との間で聞いている”労使会議”を一本化し、 (当局と全組合による)合同労使会議(仮称)を設置、この中で再建問題や労働条件、合理化施策について話し合ってはどうか、という提言、今後、実現 を迫っていく 意向である。

出典:国有鉄道 1986年3月号
国労は、当局のやり方は受け入れできないと拒否
-
『労使は諸法規を遵守し、全力をあげてこれを実現する』と、ストライキとその権利を否認している
-
『リボン・ワッペンの不着用』と、労働組合の初歩的運動さえ否定している
-
『希望退職について『目標の達成に向けて積極的に取り組む』と労働組合みずからに『選別』を求めている
等々、労働組合運動存立の基本を否定する『宣言』を意味しており、労働組合である以上拒否するほかないものである。
としていますが、こうしてみる限りではまだまだ過半数を占めていただけに、当局に対してまだまだ強く言えると思っていたのでしょう。
*****************************以下は、国労の資料になります******************************
第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
第五節 労使共同宣言と国鉄内労組の再編
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
┌────────────────────┐
├○ 一 労使共同宣言の提案と各組合の対応 │
└────────────────────┘
労使共同宣言への各組合の対応
動労、鉄労、全施労の三組合は、「労使共同宣言」を調印することにその場で同意し、1月21日に調印した。動労は、1月14日の総評拡大評議会において「宣言」に同意するに至った理由を「膨大な余剰人員の雇用をどう確保するのか、まず労使の決意を示し、世間にお願いするほかない。雇用確保のためなら、蛇といわれ仏といわれようが、この姿勢は貫く」と説明した。この行動は、動労が半年後に総評を脱退する前触れであった。
一方、国労は1月16日に「労使共同宣言(案)に対する態度」という見解を発表した。内容の要旨は次のとおり。
まず「宣言」の内容と国労の立場について、「具体的には①『労使は諸法規を遵守し、全力をあげてこれを実現する』と、ストライキとその権利を否認している、②『リボン・ワッペンの不着用』と、労働組合の初歩的運動さえ否定している、③『新しい事業運営の体制を確立』と事実上分割・民営化を前提とし容認を求めている、④希望退職について『目標の達成に向けて積極的に取り組む』と労働組合みずからに『選別』を求めているー 等々、労働組合運動存立の基本を否定する『宣言』を意味しており、労働組合である以上拒否するほかないものである。加えて、3300万人以上の賛同者を得た署名運動と、その成果の上に国鉄再建闘争を一層強化することを総評・動労とともに誓ってきた立場から、署名をいただいた国民のみなさまに対しても、『分割・民営化』を容認する『共同宣言』を受諾することは背信行為であり、まともな労働組合のとる態度ではない」と述べた。
「宣言」を受諾した動労の批判として、「鉄労と全施労の受諾は、この間の彼らの運動から大方の予想どおりと受け取れるとしても、動労はつい先日まで共に5000万署名運動を行い、国鉄再建闘争の一層の推進を決めあってきた。にもかかわらず5000万署名運動を裏切る挙に出た。これを変節といわずして何を変節というのだろうか」と指摘した。
当局に対して、「仮に労使が『共同宣言』を行うとすれば、その『宣言』とともに労働条件等について具体的な内容が協定化されているのが常識である。しかし今回の『共同宣言』には、そのような具体性が全くなく、抽象性に満ちている。労働者の諸権利を放棄し、丸ハダカになり、得るものは何もない。想定するに国労が受諾し得ないものを持ち出して国労を孤立化させようとする苦肉の策としか言いようがない」と批判した。
国労の決意として、「国鉄労働組合は、当局・三組合一体の組織攻撃を仕掛けられようとも、労働組合の基本を守り、組合員と国鉄労働者の雇用をあくまで守る立場を貫くと同時に、署名をいただいた3300万人の負託に応え、総評・社会党をはじめ多くの労働組合・民主団体の協力を得ながら、国鉄再建闘争とあわせ、雇用問題解決のため全力を傾注する。われわれはこのような当局の労働者分断策を許さず、職場・地域から一層団結し、共闘を強化することを内外に明らかにするものである」と表明した。
2月13日、「労使共同宣言」の主旨にもとづいて国鉄当局と宣言締結三組合はトップ会談を行い、北海道や九州から余剰人員を本州の大都市圏へ広域配転することで、基本的に意見の一致をみた。動労は「共同宣言」の精神にのっとり「広域配転」に積極的に取り組み、2090人の動労組合員を応募させた(応募者総数3515人)。
続く
