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国鉄労働組合史詳細解説 103

待ったなしの再建委員会

再建監理委員会は、8月10日に第2次緊急提言を中曽根首相に提出することになりますが、再建監理委員会の中では情報を小出しし、活方針を早めの示すことで、野党などの反発を抑えようとする動きがあったと言う記述もあります。

以下、大原社会問題研究所の労働年鑑 第57集 1987年版から引用させていただきます。

監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ根強い状況を踏まえて、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていた。

また、これに呼応するように、仁杉総裁、及び鉄労が分割民営化容認の発言をしていきます。

  • 六月二一日に仁杉国鉄総裁は日本記者クラブで基本的に分割・民営化に賛成だという見解を明らかに。*1
  • 六月三〇日には、三塚博自民党国鉄再建小委員長が『国鉄を再建する方法はこれしかない』と題する著書を発行。

    三塚博著 国鉄を再建する方法はこれしか無い

    三塚博国鉄を再建する方法はこれしか無い
  • 六月二六日には、同盟系の鉄労が中央委で、地域本社制と特殊法人への転換を主張し、国鉄自らの、外圧によらない分割・民営化を推進するよう提言

等が行われ、国鉄内部や自民党の一部および野党のなかに反対の意見が根強い状況を踏まえ、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていたと言われています。

第2次緊急提言を中曽根首相に提出

中曽根首相仁提出された、第2次緊急提言は、その内容は以下のようになっていました。

昭和59年運輸白書から引用してみたいと思います。

 (ア) 国鉄事業再建についての基本認識

       ① 国鉄事業の再建を達成するためには,現在の公社制及び全国一元的運営から脱却し,新しい効率的な経営形態へ移行することが必要であると考えており,基本的には分割・民営化の方向を念頭において今後その具体的内容について検討する。
       ② 長期債務等のうち新しい企業体による最大限の効率的経営を前提としてなお事業の遂行上過重な負担となるものについては,可能な限りの手だてを尽くしたうえで最終的には何らかの形で国民に負担を求めざるを得ないが,この問題は,効率的な経営形態の確立と切り離して解決し得ない。

 (イ) 当面緊急に措置すべき事項

 ① 要員対策

 私鉄並みの生産性を前提とした場合の余剰人員は,現在顕在化している24,500人に数倍する膨大な人数にのぼるものと思われる。このため,早急に有効な雇用調整のための対策を講ずる必要があり,現在実施しようとしている退職勧奨制度の見直し,休職制度及び派遣制度の拡充を図るとともに,今の段階からこれに引き続く対策についても検討する必要がある。また,余剰人員問題の解決に当たって最も重要なことは雇用の場の確保であるので,これについて各方面の協力方を要請する。

施策を実施するに際しては,国鉄は部内に緊急対策本部を設け,所要の施策を強力に推進すべきである。また,政府においても国鉄の最大限の努力を前提として,政府部内一体となった強力な支援体制を整える必要がある。

 

 以下、用地の取扱、地歩交通線に関しては省略させていただきますが、現在利用されていない遊休地は、長期債務等の処理に際し国民の負担をできるだけ軽減するための一つの方法として公開競争入札を基本とする適正な時価によるものとされていましたが、その後バブル景気で時価が高騰、一時販売を見合わせることになたのは皆様良く言時のとおりです。

特定地方交通線も、早期にバス化を含めた、転換を行う、貨物・自動車部門、特に貨物輸送については徹底した効率化と見直しが急務としています。

答申を受けて、国鉄の談話を発表

 

これを受けて、同日付けで国鉄は、提言に対する国鉄の見解を総裁談話として発表します。

国鉄の談話を発表

 

 個人的な感想であることをお断りさせていただけば、国鉄としては既に要員削減や、経費の圧縮、増収努力など出来ることは行ってきたわけであるが、公社としての内在する問題、【制度的な欠陥を含む】などを考えると、国鉄としてもで正すことは正すが、必ずしも分割民営化が必ずしも全ての解決策では無く、今後の関連事業のへの取組を考えれば安易に売却すべきではないのでは無いかと考えているとして、牽制をしているように見受けられます。

私鉄とは単純に比較できない要員事情

臨調では、私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。となっていますが、私鉄は基本的には、夜行列車の運転などが無いため、要員を圧縮できるのに対して、国鉄の場合は夜間の貨物列車の運用や、険修なども含めてその要員は多くなる傾向にあるわけで、単純に数字だけで比較するのは問題があると思われますが、その辺は気づいていながらあえて、格下のでは無いかと思慮される部分があります。

 

 「当面緊急に措置すべき事項」では、「要員対策」として1984年度末に28万7500人の所要定員となっているが、それでも私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。そこで生じる余剰人員対策を講じるために国鉄が「緊急対策本部」を設置すべきだとしていた。

国労は、監理委の第2次緊急提言を受けてストライキを実施

国労は、第2次緊急提言を受けて、拠点ストライキなどを実施するが、全体としては国労は厳しい舵取りを行わざるを得なくなってきたようです。
以下、国鉄労使関係を中心に抜粋しました。
なお、併せて弊サイトをご覧いただければ幸いです。

国鉄監理委が第2次緊急提言 8/10

国鉄再建監理委員会(亀井正夫委員長)は中曽根首相に第2次緊急提言を提出、再建達成のため「分割・民営化の方向で具体的な内容を十分検討したい」と表明した。輸送密度4、000人未満の第3次特定地方交通線選定を急ぎ、貨物と自動車部門を分離するよう求めている。→再建案要旨

国労、分割民営化反対などで2時間スト 8/10
国労国鉄の余剰人員対策の一方的実施、分割・民営化に反対し、全国363拠点で地上勤務者による2時間ストを実施.

国鉄が余剰人員対策委員会 8/13

2万5,000人にのばる過員間題解決のため、本社内に余剰人員対策委員会(委員長、縄田國武副総裁)を設け、国鉄の関連400社に「来年度の新規採用をひかえて、余剰人員を受け入れてほしい」と異例の要請
余剰人員問題は国鉄再建の成否を左右する死活的重要問題となってため、これまで地方で行ってきた活用策の一層の深度化をはかるとともに、現在、退職制度の見直し、休職制度の改定・拡充、派遣制度の拡充について,労働組合と協議中

国労が合理化反撃表明 8/20

国労(22万人)の第46回定期大会が伊東市で始まり、武藤久委員長は「国鉄国労にとって戦後最大存亡の危機。今や立って闘う以外に道はないと表明した
31日に半日ストを予定していたが、29日に中止決定

国鉄58年度決算と監査報告書発表 8/27

監査報告書で初めて、経営形態変更を示唆

 

国鉄監査報告書 昭和58年度から抜粋、経営形態変更についても言及

国鉄監査報告書 昭和58年度から抜粋

国鉄来年度も4%値上げ 8/28

運輸省国鉄の60年度予算概算要求を決め、4%強の運賃値上げなどで純損失と借入金を今年度以下に抑えることとしている

当局・国労、公労委による退職募集に関する斡旋案を受諾 8/29

国労,8月31日予定のスト中止を決定 

 

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所) 

から抜粋

参考 千葉動労のビラから

千葉動労は当時のビラも公開してくれていますので、当時の様子を知る資料になります。
今回も、当時の組合視点での考え方と言うことで利用させていただきました。
なお、私自身は千葉動労を支持するものではなく、あくまでも当時の国鉄組合の一つとしてこのような動きもあったと言う視点から書かせてもらっているものであり、概ね国労もこれに準じた行動を取っていたものと思われます。
今後、当該時期の公企労レポートなどを参照できれば追記したいと考えております。

千葉動労ビラ、昭和59年8月14日版

千葉動労ビラ

https://screenshots.firefox.com/XOti9Tjbh8LFRMq7/doro-chiba.org

 

国鉄最後の電化となった四国地域

国鉄最後の電化となった四国地域

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 三 第二次提言と国労の対応

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├○ 第二次緊急提言に分割・民営化の方針明記│
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 84年8月10日、監理委員会は分割、民営化の方向を明確に示した第2次緊急提言を中曽根首相に提出した、提言は、「国鉄事業再建についての基本認識」と「当面緊急に措置すべき事項」の二つの部分で構成されていた。
国鉄事業再建についての基本認識」の「1,国鉄経営の現状」では、国鉄の経営は年々悪化の度を深めており、59年予算では実質的な赤字が2兆円を超え、長期債務残高が59年度末で22兆円を上回る見通しであり、借入金依存の経営を続けるとやがて事業運営に支障をきたすという認識を明らかにした。そのうえで、
「2,国鉄経営の破綻の原因」にうつり、国鉄が輸送構造の変化に対応できなかったことが経営破綻の原因だと指摘し、ついで変化に対応できなかった原因を示し、それは公社制度のもとで全国一元的運営を行っていたことになると述べた。
 続いて、「3,現行経営形態の問題点」では、臨調の基本答申と同じ見解を示した。「4,鉄道輸送の役割」では、国鉄の経営する分野として大都市圏旅客輸送、地方主要都市圏旅客輸送と新幹線を中心とする中距離都市間旅客輸送をあげていた。また、貨物輸送も経済合理性に基づき特性を発揮できる分野を見極めるべきだとした。以上の指摘に続けて、「5,経営形態変更についての基本的考え方」ではまず現行経営形態を維持する必要性の有無を問い、全国一元的運営の必要性はなく、また国鉄に公共性を求める必然性は乏しいとしていた。そして、現行経営形態での国鉄再建はほぼ不可能として、分割・民営化の方向性を検討するとの見解を示した。その際、長期債務の処理については「最終的には何らかの形で国民に負担を求めざるを得ない」とした。
 もうひとつの柱である「当面緊急に措置すべき事項」では、「要員対策」として1984年度末に28万7500人の所要定員となっているが、それでも私鉄職員に比べ働き度は低水準であり、大幅な所要定員の縮減を求めている。そこで生じる余剰人員対策を講じるために国鉄が「緊急対策本部」を設置すべきだとしていた。「用地の取り扱い」では、「事業用用地」と「非事業用用地」とに分け、実態を把握し、できるかぎり債務返済の財源に充てるべきだと述べていた。「事業分野の整理」では、地方交通線についての廃止・転換は一層推進すべきであり、85年度以降に転換が予想れている第三次特定地方交通線の早期選定を求めていた。貨物輸送では、激烈な競争を行っている物流業界の一員としてふさわしい経営形態を選択する必要があるとした。
 最後の「その他」として管理機構の見直しをもっと進めるべきであるということ、職場規律の改善及び職員のコスト意識の喚起と関連事業での収益を増大すべきだと提言した。
 政府は8月14日に開いた国鉄再建関係閣僚会議において、監理員会から提出された第二次緊急提言を了承し、その後開かれた閣議で「提言」を最大限尊重することを決めた。閣議後、細田運輸大臣は仁杉国鉄総裁に対し、提言内容に沿って国鉄再建に全力をあげるよう指示した。

続く
 

*1:その後、七月六日に発言を修正することになります。

国鉄労働組合史詳細解説 102

高木総裁に代わり、仁杉総裁就任

仁杉総裁は、1983(昭和58)年11月25日に高木文雄国鉄総裁が辞意表明した異を受け、その後任として、29日に仁杉巌総裁が閣議決定されました。
高木総裁の辞任は、1兆4,000億近い赤字を出した責任をとらされたと言うよりも、臨調や監理委員会にたいして批判的であった事から、更迭されたと考えるべきかも知れません。
高木総裁は、組合との関係も決して悪いとは言えず、むしろ再建監理委員会の方針には反対の立場を取っており、分割民営化は反対というスタンスを取っていました。
今回白羽の矢が立った仁杉総裁は、元国鉄の技師長で、西武鉄道の社長を歴任、国鉄総裁就任前は、日本鉄道公団総裁でした。
当時の就任事情を鉄道ジャーナル、昭和59年2月号を参照しますと、やはり高木総裁が詰め腹を切らされる形であったそうで、次期総裁は部外【国鉄内部からの昇格は無い】として、仁杉氏の他、王子製紙田中 文雄社長【当時】の名前も挙がったそうです。
最初に、仁杉総裁案をスクープしたのは、朝日新聞であり、毎日新聞は、田中社長という案をスクープしていたそうです。
結果的には、田中氏が健康上の理由などで固辞、最終的に元国鉄技師長で、西武鉄道の社長を経て、鉄道建設公団の総裁をしていた仁杉氏に白羽の矢が立ったと言うわけで、朝日のスクープが光っていました。
仁杉総裁は、西武鉄道での経験などから、分割民営化には賛成の意向でしたが、その後、分割民営化には反対に変わったことから、中曽根首相からの強い意向【実質的な解任】により解任、最後の国鉄総裁には、元運輸省事務次官杉浦喬也氏が、就任することになる訳ですが、その辺はもう少し先の話になります。
国労の記述でも、下記のように国鉄の分割民営化は必ずしも反対では無いと発言しています。
仁杉国鉄総裁は6月21日に日本記者クラブでの講演で「分割・民営化も基本的には賛成だ」という見解を表明した。そして、「分割・民営化について監理委員会以外ではタブーになっているきらいがあるが、国鉄としても実務家として監理委員会に案を持って行きたい」と述べた。
千葉動労の年表によれば、5月22日に反対を表明したと書かれていますが、恐らく、上記日程の方が正しいと思われますが念のためにここに記載しておきます。
下記は、千葉動労のサイトから引用

千葉動労、国鉄「分割・民営化」に至る経過

千葉動労のサイトから

昭和59年の拡大部分はこちら

国鉄「分割・民営化」に至る経過

国鉄「分割・民営化」に至る経過

当初は分割民営化容認派だった仁杉新総裁

就任前のインタビューで下記のように答えたと大原社会問題研究所の労働年鑑に記載されていますので、引用させていただきます。
仁杉新総裁は、就任直前のインタビューでは、監理委員会との調和を強調し、「十分に話し合って意見を尊重していきたい」と語り、分割・民営化に絶対反対の態度はとらないと述べた(朝日新聞八三年一一月二七日)。
また、同様に、国鉄の部内誌、「国有鉄道」という雑誌で、就任に関するインタビューでは、下記のように述べています。
引用したいと思います。
ここでは、私鉄では、お客様あっての鉄道だという精神が浸透しているが、現在の国鉄にはそうした意識が無いとして、「国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり」と語っています。
一一その点、国鉄でもずい分変わってきているのではないかと思います。ただ、私が不思議に思うのは西武と小田急にはストがない。これは何か妙手みたいなものがあるんでしょうか・・。
仁杉 これは、小田急の場合には総評にも入っておりますし、歴史的にかなり激しい闘争をやった時代があるんですよ。それを乗り越えて卒業したというような感じですね。それから西武の場合には、これは堤康次郎先代の”感謝と奉仕”という言葉が各職場に掲げてあります。その意味は、やっぱりお客さまに感謝しありがたいと思って、その身になってサービスをしようという意味だと思いますげれども、まあ、そういうことでわりあいストライキとかいうようなものからは縁遠い存在のままきているのですね。国鉄もストが減少してきているようですが、私たちの職場である国鉄を再建するのは大変なことで、まず国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり、これが全役職員に浸透しなければいけないと思いますネ。
高木総裁は、臨調には批判的であり、35万人体制の合理化を進めることで、国民の信頼を得ることが出来、これにより国鉄は再建できるとし、分割民営化を現時点で考えるべきではないという態度を堅持しています。
下記は、昭和昭和57年4月号の国鉄部内誌「国有鉄道」から引用させていただきます。
「目下の急務は赤字を減らすことであり,そのためには民営・分割を議論することよりも,経営改善計画を着実に実行していくととが先決である。一部でこの経営改善計画が実行できるのか,また実行できたとしても幹線が黒字になるのかどうか疑問をもつむきもおられるようだが,私はこの計画は達成できるし,どうしても達成しなければならないと考えている。35万人体制を柱とするとの計画が決して幻の計画ではないということを国民の皆様にど理解願わねばと思っている」(3月1日,総裁室での高木総裁の会見から)

仁杉新総裁は、監理委員会に期待していた?

また、仁杉総裁の監理委員会に対する考え方は下記の通りであり、高木総裁がどちらかと言えば、監理委員会に批判的であったのに対して、仁杉総裁は、監理委員会に期待するとも取れる発言をしています。
再び引用してみたいと思います。 
--話が変わりますが、私どもわきでみていまして、経営者の目が現場のスミズミまで届かないということの一つに、国鉄の経営陣が、大変な精力を国会対策や政府の対応についやしている。ここに大きな問題があるように思うのですが一。
仁杉 その点は否定できませんが、そういう点にメスを入れていただくためにも再建監理委員会といった制度もできたのだと思います。私といたしましても、監理委員会の方々に、実務に携わる者としての知識、経験を積極的に提供して、国鉄をよく理解していただくとともに、鉄道の果たしてゆくべき役割を踏まえたあらゆる角度からの検討を行っていただきたいと思っています。
一一私は余計な心配かと思っているのですが、監理委員会ができたために国鉄の幹部の精力がまたそちらに奪われていくということがないかということですが...。
仁杉 過渡的にはそういうこともあるかもしれませんが、国鉄のことをよく理解していただげれば、キチンとした再建の軌道も敷かれ、現場の管理もうまくいくようになると考えます。私はその点、監理委員会のご質問に応じ、ご指示に従いつつ、申し上げなげればならないことは十分申し上げてゆくつもりです。
国有鉄道 昭和59年1月号から引用
と記しています。

鉄労は分割民営化を推進の立場を堅持

鉄労は6月26日の中央委員会で「国鉄経営再建に関する意見と提言」案を示し、地域本社制の導入と公社から特殊法人への転換する案を示し、国鉄自ら外圧によらず新経営体を推進するようにという、監理委員会にやや近寄った方向を打ち出した。

トーンダウンする民営化容認の声

国労の記述によれば、「仁杉国鉄総裁の分割・民営化容認の発言は国鉄内で大きな波紋をまきおこした。国労動労・全施労・全動労の4組合は共同で抗議声明を出した。」とありますが、国鉄の分割民営化に反対を唱えたのは、鉄労を除く各組合だけでは無く、国鉄当局内にもありました。
国鉄二つの大罪の中で、「職場を崩壊させた国鉄労使」として、鉄労の書記長であった志摩好達は、下記のように当時の職員局長、太田知行が、分割・民営化容認派を追い出して、反対派で固めたからだと指摘しています。

少し長いですが、引用させていただきます。

 太田にとっては、職場規律の問題は、その権力奪取のための一手段にすぎぬことが明らかであった。
 政府与党、マスコミの支持を受けるためには、失っても自分達が痛くないものは平気で切って捨てた。
 人事もそうだが既得権もその中に含まれた。そして綿密な計算の下で動労ブルトレヤミ手当返還問題で抱え込みに成功、国労すらも、「こうした一連の強行手段は政府及び監理委員会から国鉄の分割民営化を避けるためのものだ」とのいわゆる”国体擁護”方針でまるめ込んでしまったのであった。
 かつては名指しで”太田糾弾”を叫んでいた国労もその声を徐々に小さくしていったことはいうまでもない。
 国労動労、それぞれニュアンスが達うが最も恐れられているのは国鉄の分割である。
 そしてこのことは、国鉄百年の利権、既得権の上に胡座(あぐら)をかいてきた本社官僚にとっても同様であった。
 かってマル生問題を巡って明らかにされた国労・当局幹部の保守的結合が再び明確に表面に出てきたのであった。
 昭和五十九年、新しく総裁に就任した仁杉巌が記者会見で分割民営化に前向きの姿勢を示した時、これに徹底的に反対、ついにはこれを否定し、本社内を分割民営化絶対阻止派(国体擁護派)で固めることに成功した太田は、次から次へと分割民営化阻止のための行動に出ることになった。
 人事では分割民営促進派を追放、六十年一月には臨調、監理委の意向を全く否定するような「再建の基本方策」を発表、政府、与党、各党への根回しに乗り出したのである。
 結局、太田は、国鉄改革の抜本的な対策は否定したのであった。
声明は、仁杉総裁の発言は「経営の最高責任者が国民の共有機関である国鉄の存続を自ら否定したものであり、とうてい容認」できないとして、発言の撤回を求め、国鉄当局が分割・民営化に固執するならば「4組合はいかなる犠牲を払ってもこれを阻止する決意である。」という強い姿勢を表明した。

 この辺の事情は、今後更に検証が必要ですので全く志摩書記長の見解を鵜呑みにするつもりはありませんが、国鉄当局も、組合も分割は避けたいという点は本音であったと思われます。
また、分割民営化容認派であった、仁杉総裁も上述のように常務理事などの分割・民営化反対派の説得で、民営化容認の発言はトーンダウンしていくことになり。
やがて、そうした情報は官邸に届くところとなり、更迭されることなりました。
この辺の事情は今後更にもう少し詳しく調べていきます。
1985年6月24日に官邸からの圧力で辞任した仁杉総裁に代わり、最後の国鉄総裁に就任した、杉浦喬也総裁は、6月25日第10代国鉄総裁に就任、分割民営化を進めることになりました。

旧福知山線を走る急行列車 武田尾駅にて

福知山線を走る急行列車 武田尾駅にて

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 三 第二次提言と国労の対応

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├○ 仁杉総裁の分割・民営化容認発言│
└─────────────────┘

 監理委員会は、84年6月4日、第2次緊急発言に分割・民営化の方向を盛り込むことに決めた。この決定は、分割・民営化反対論が野党はもちろんのこと自民党の一部にも根強くあり国鉄内部はまだ現状維持派が主流を占めているという状況のもとで、早めに基本方針を打ち出すことによって世論調査を整えるという狙いをもっていた。
 監理委員会のかかる目論見を引きとるかのように、仁杉国鉄総裁は6月21日に日本記者クラブでの講演で「分割・民営化も基本的には賛成だ」という見解を表明した。そして、「分割・民営化について監理委員会以外ではタブーになっているきらいがあるが、国鉄としても実務家として監理委員会に案を持って行きたい」と述べた。
 つづいて、三塚自民党国鉄再建問題小委員会」委員長が『国鉄を再建する方針はこれしかない』と題する著書を発行し、国鉄再建は分割・民営化が基本だと主張し、監理委員会を支援する側に回った。三塚委員長は、以前には「国鉄の経営改善計画」の実施状況を見守り、その結果によって分割。・民営化を検討するという「出口論」の立場をとっていたが、「入り口論」に方向転換したのである。
 鉄労は6月26日の中央委員会で「国鉄経営再建に関する意見と提言」案を示し、地域本社制の導入と公社から特殊法人への転換する案を示し、国鉄自ら外圧によらず新経営体を推進するようにという、監理委員会にやや近寄った方向を打ち出した。
 仁杉国鉄総裁の分割・民営化容認の発言は国鉄内で大きな波紋をまきおこした。国労動労・全施労・全動労の4組合は共同で抗議声明を出した。声明は、仁杉総裁の発言は「経営の最高責任者が国民の共有機関である国鉄の存続を自ら否定したものであり、とうてい容認」できないとして、発言の撤回を求め、国鉄当局が分割・民営化に固執するならば「4組合はいかなる犠牲を払ってもこれを阻止する決意である。」という強い姿勢を表明した。
 総裁発言に翌日には国鉄当局と緊急交渉が開かれ、組合側は国鉄総裁を厳しく追求した。そして、国労は仁杉発言に対し全組合員が抗議行動に立ち上がるよう指令した。国鉄経営陣の中でも仁杉総裁発言を撤回した。
 

国鉄労働組合史詳細解説 101

一か月以上も更新しないまま、過ぎてしまいました。
本日も、国労運動史を参考に当時の国鉄の様子を見ていきたいと思います。
いままで、国鉄部内誌からの引用が多かったのですが、今回は大原社会問題研究所、労働年鑑を参照しつつアップさせていただこうと思います。

高齢者の退職を促進するため、定期昇給等の停止を実施

日本労働年鑑 第56集 1986年版
第一部 労働者状態 II 産業合理化と経営・労務
から、引用させていただきます、ここでは国鉄の退職前提の休職に関して比較的詳しく書かれていました、まず最初にお断りしなければいけないのは、国鉄には定年制度がなく、勧奨退職年齢と言う言葉を使っていたということです。
今回提案された、新しい制度では、55歳以上の昇給、昇格を停止するものであり、積極的に55歳以上の退職を促すものでした。
なお、国鉄に定年制度がなかったことは、下記に引用した公労委斡旋で知ることが出来ます。
「退職前提の休職」にかんしては、八一年一二月、公労委斡旋で、最終退職勧奨年齢を六〇歳に引きあげる特別退職協定が締結されたが、その協定の三年間の期限が切れ、当局が新たな提案をしたのである。そこで、国鉄関連五組合は一致して斡旋申請し、舞台は公労委に移った。復職前提の休職」「出向」にかんしては動労、鉄労、全施労の三組合が受諾し、国労、全動労は拒否した。しかし、国鉄当局は八四年一〇月一一日、国労、全動労との交渉を一方的に打ち切り、雇用安定協約の破棄を通告した。労働協約の破棄は現行労組法では一年経つと自動的に無協約状態となり、組合側に不利は免れない。結局、八五年二月八日、国鉄労使トップ会談が開かれ、この問題について実務者段階での団交再開を合意した。
と書かれています。

国労は新しい退職協定を拒否、当局は雇用安定協約の破棄で対抗

ここで書かれていますように、国労と全動労は斡旋案を拒否したことで、当局は雇用安定協約の破棄を通告したと書かれています、国労や全動労にしてみれば、雇用安定協約がなくなることは、当然のことながら組合不利になり。動揺は隠せませんでした。

実際、1983年1987年までのわずか4年間で、224,000人の組合員は雪崩を打ったように減少し、44,000人になりました。
また、将来を悲観して自殺する国鉄職員もあり、国鉄分割民営化の犠牲者として、社会問題にもなりました。
中曽根内閣は、1983年に国鉄を分割・民営化する方針を打ち出し、以降、嵐のような組合破壊攻撃が吹き荒れた。
 この攻撃の激しさは、国鉄の最大組合であった国労が、1983年から民営化が強行された1987年までのわずか4年間で、224,000人から44,000人まで減少したこと、同じ間に130,000人の国鉄労働者が職場を追われたことに示されている。
なお、国労と同じように、特別退職【55歳以上の職員の退職を促す】制度をに対して厳しく反対運動を行っていた、千葉動労でしたが、当時の動労千葉の機関ビラ【日刊動労千葉】の記事を今でもネット上で簡単に参照できます。

千葉動労国労と足並みを合わせて対抗

国労は、「特別退職協定」をめぐる交渉を行ったが、当局は提案を撤回しなかったことから、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請することになりました。

以下に国労の文章から引用させていただきます。

このようななかで、「特別退職協定」をめぐる交渉が始まったが、国労の批判にもかかわらず当局は提案を撤回しなかった。そのため、国労は84年12月24日、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請した。85年1月18日、第1回の事情聴取が行われた。国労は、斡旋に至る経過と斡旋に求める事項について次のように説明した。

その理由は下記の通りで、国労は現行の制度の維持並びに、56歳退職を求めたものであったようですが、当局は人員削減を最大限の目標としていたため、国労との交渉は上手くいきませんでした。
この頃は、かなり強硬であったことが、こうしたやりとりからも窺えます。
組合は、現行協定の継続締結と、現行55歳の退職条件を年金支給開始年齢に引き上げに伴い56歳に引き上げることを要求し、交渉を進めたが、労使が一致できなかったため打ち切り、斡旋を申請した。
これに歩調を合わせたのが、全動労、千葉動労等でした。
動労は、当時の記事等がないのですが、千葉動労は今でも同時の機関誌ビラ【日刊動労千葉】をネット上で参照することが出来ますので、当時の様子がよく判ります。
下記に画像をキャプチャしたものを引用させていただこうと思います。
これによりますと、昭和59(1984)年12月24日に公労委に斡旋したことが大きく書かれています。この頃は、動労との確執も大きく、左側には、動労「本部」革マルの片仕切りを許すな!と言う檄文が見えます。
千葉動労とは?*1

千葉動労 日刊動労千葉 1984/12/24付

 日刊動労千葉の記事から引用

退職者や出向者は増加、国労・全動労などは更に窮地に

 84年の発表では、国鉄からの出向等の人数は下記の通りでした
  • 84年度中の退職者総数   約30,000人
  • 復職前提の一時帰休申出者    395人
  • 出向              2,529人

当局の予定と比べて少ないということもできます。
国鉄関連の「出向」先に関しては、協力会社への出向、第三セクターなどで以下のような業態に対して行われました、これ以外にも、ホテルや、自動車工場への出向なども行われました。
昭和60年度になると更に出向者は増えて、

  • 85年度中の退職者総数     6723人
  • 復職前提の一時帰休申出者   1,507人
  • 出向             6,244人

この辺は、再び大原社会問題研究所の記事から引用させていただこうと思います。

八四年一〇月八日、国鉄当局は、運転、施設、電気、工作、情報システム、資材などの業務委託会社および旅客のエージェント第三セクター、臨海鉄道・物資別ターミナルなど、ホテル、広告媒体管理会社、駅ビルなど、鉄道弘済会、同系の会社、日本食堂、鉄道会館、自治体など、建設会社などの出資会社・非出資の関連会社などを掲げ、トータルの派遣可能数を約二五〇〇人と明示した。また、民間企業も有力な出向先となった。なお、八五年九月現在で申出者はさらに増え、国労の調べでは「退職前提の休職」六七二三人(前出の者は八五年三月で退職した者が多い)、「復職前提の休職」一五〇七人、「出向」六二四四人となった。

 

紀勢本線を走る貨物列車DD51重連

紀勢本線を走る貨物列車

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

┌───────────────────────┐
├○ 「特別退職協定」交渉と公労委へあっせん申請│
└───────────────────────┘

 このようななかで、「特別退職協定」をめぐる交渉が始まったが、国労の批判にもかかわらず当局は提案を撤回しなかった。そのため、国労は84年12月24日、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請した。85年1月18日、第1回の事情聴取が行われた。国労は、斡旋に至る経過と斡旋に求める事項について次のように説明した。

 「退職制度に関する当局提案は、55歳をこえて在職するものの条件と年度末で56歳以上の者の退職条件を切り下げることにより早期退職を促し、要員削減を進めようというものである。
  この提案にたいし、組合は、現行協定の継続締結と、現行55歳の退職条件を年金支給開始年齢に引き上げに伴い56歳に引き上げることを要求し、交渉を進めたが、労使が一致できなかったため打ち切り、斡旋を申請した。当局提案を理解出来ない理由は、現行協定は公労委への努力をへてつくられたものであり、60歳定年が一般的になり、しかも国鉄の年齢構成のひずみから発生する大量退職への積極的対応でもあり、この制度設定の理由は変わっていないこと。本年度に55歳をこえて在職する、56,57, 58歳の者は、すでに現行制度による条件にもとづき在職を選択したのであり、道義的にも認められない、現行協定は『有効期間の定めのない協定』だが、その取扱は付属了解事項で『協定等の改廃は実施が完了した後に行う』と定めており、現段階での改定案 は協定に反する。」

 一方、当局側は提案にいたる経緯と背景を説明し、そのなかで「退職制度の見直しは余剰人員対策の一つである。国鉄の現状から余剰人員の解消は最重要の問題であり、今後更に増えていく余剰人員の対策として当局案を了解してもらいたい」と述べた。
 この後、公労委斡旋作業が続けられたが、当局側はあくまで自案に固執したことから難航し、2月20日早朝にいたり、「早急に自主解決を図るように」との勧告と「斡旋員見解」のなかには「在職条件としてのベースアップの扱いについては、賃金配分の際にしかるべき措置をするよう別途協議すること」が示されこれにより55歳以上の在職者のベースアップを実施する条件が確保できる見通しを得たものと国労は判断した。
続く
 
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*1:【千葉動労は、中核派動労【本部】は革マル派であり、その闘争方針は中核派が無産階級等の連携を強めることを前提としているのに対し、革マル派は、時と場合には権力にすり寄り、権力を奪取する事も辞さないという考え方でした。】

国鉄労働組合史詳細解説 100

皆様、久々に更新させていただきます。色々と資料を探してみるのですが、この辺の資料であれば、公企労レポートが一番適当かと思うのですが、あいにく持ち合わせておりませんので、今回は深掘りした意話ができないことを最初にお断りしておきます。

国労による「三ない運動」

国労は、分割民営化反対を当初から掲げており、「三ない運動」と呼ばれる戦略行動でした。

  • 辞めない・・・勧奨退職に応じない
  • 休まない・・・一時帰休
  • 出向しない・・出向

国鉄当局が進めていた施策でしたが、国労はこれを「首切り三項目」として、徹底的に反対するようにしていました。

特に、これ以外に、「こうした話を聞かない」を含めた行動としていた場合も有るようです。

さて、こうした取組に対して、同じような主張をしていた千葉動労は、国労の運動を評価すると共に、動労労使協調路線(中核派などからは、資本階級に取り込まれたと指摘)に転向したことを厳しく指摘しています。

以下、千葉動労の使途から引用させていただきます。

動労カクマルを手先
 動労革マルは、すでに82年1月には「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだしていた。表向きには「分割民営化反対」を掲げていたが、たちまち馬脚をあらわす。82年のブルトレ問題でのぬけがけ的妥結を皮切りに、以降、入浴問題、現場協議制問題等でつぎつぎに当局と妥結。東北・上越新幹線開業に伴う83年2・11ダイ改では、国労が六年ぶりに順法闘争をたたかっている最中、鉄労とともに当局提案を全面的に受け入れた。こうして動労を使って国鉄労働運動をつぶすというこの攻撃の出発点が形づくられた。  

doro-chiba.org

なお、国労に歩調を合わせていた組合としては、他に全動労 全国鉄動力車労働組合

)【現建交労(全日本建設交運一般労働組合・鉄道部会)がありました。

 

国労は何故「三ない運動」で反対したのか

国鉄当局の狙いは、勧奨退職を活用することで、55歳以上の労働者を退職させることにありました。

実は、国鉄時代には明確な定年というものがなく、慣習的に55歳で退職する人が多かったのですが、55歳を回って退職する人もいたとのことで、退職者を増やすことで3万人の人員削減を図りたいという思惑がありました。

そこで、国労としては、徹底的に反対することで組織としての引き締めを図ったと考えています。

国労の発表によると、希望退職などの総数は下記の通りだと報告されています。

① 特例休職は対象者1万218人のうち、応募者5,856人、発令者5,317人
② 退職前提休職(55歳以下)は申し出者449人、発令者389人
③ 復職前提休職【50歳未満)は申し出者72人、発令者41人
④ 派遣者については24人
を発令した、と発表した。

国労は、この実数について、国労組合員が三ない運動を実践したことによると総括しています。国労は 昭和59年9月の時点で、未だ二十万八千人の組合員を擁する圧倒的な第一組合であったからでした。

ただし、その状況はその後、雇用安定協約の破棄などで急転するのですが、雇用安定協約とはどのようなものであったのか、以下から引用してみたいと思います。

反転攻勢 国労運動45年に学ぶ

この本によりますと、1971年3月、国鉄職場に締結されたもので、日本国有鉄道法に定める身分保障を更に一歩進めた内容となっていました。

具体的には、職場が合理化等で無くなってもただちに整理解雇などにより身分を失うことがないと言う契約で有り、更に一歩進めて合理化しても人減らしをしないと言う本末転倒な取り決めなどが結ばれる温床ともなりました。

少し長いですが、本文を引用してみたいと思います。
 

卑劣な攻撃
 相つぐ人員合理化のなかで大量に発生した余剰人員問題こ雇用不安を背景にして、1984年10月9日、国鉄当局は、提案していた余剰人貝調整三項目のうち、休職制度、派遣制度が同日二四時までに妥結されない場合には、雇用安定協定の存続について重大な決意をもってのぞむ、との申し入れを関係各組合に対しておこなった。雇用安定協約の存続と引き換えに人員整理策に同意をもとめるというまったく矛盾した恫喝を国鉄労働者に対してかけてきたのであった。
 そもそも雇用安定協定は1971年3月、国鉄職場における機械化・近代化・合理化にさいして、職貝の雇用の安定と労働条件を維持・改善することを目的に締結されたものであった。その協定の内容は、①雇用の安定の確保と労働条件の維持・改善をはかる、②本人の意に反する免職・降職はおこなわない、③配置転換となる者、職員の申し出による休職を希望する者の取り扱いは別に定める、というものであり、国鉄職員の雇用の安定に関して、日本国有鉄道法に定める国鉄職員の身分保障をさらに一歩すすめた内容のものとなっていた。

この協定によって、国鉄職員は、一応、機械化・近代化・合理化によって、職場がなくなってもただちに整理解雇などにより身分を喪失することはないという保障があたえられていた。
 国鉄当局は卑劣にも、この雇用安定協定の存続と引き換えに余剰人員調整三項目に関する協定の締結を各組合に迫ったのである。雇用の安定というかぎりは、余剰人員対策においても国鉄内における配置転換によって雇用を確保するというのがギリギリの線であろう。その線をこえて他社へ出向(派遣)させなり。一時帰休制度をとることは本来の雇用の安定とは矛盾するものであり、大きな雇用不安を国鉄職員のなかに持ち込むものであった。
このような国鉄当局の姿勢は、雇用安定協定と三項目協定とをセットにして関係労働組合に押しつけ、人員整理に協力するか否かの踏み絵、換言すれば、分割・民営化に協力するか否かの踏み絵を踏ませることによって、国鉄労働者のあいだに襖をうちこみ、分断することをねらうまさに卑劣な攻撃であった。

国労としては、雇用安定協約と余剰人員調整三項目をセットにしたのは、問題であるとして、労働省【当時の名称】に「就業規則の変更に当たる出向、一時帰休制度で労働基準監督署に届けでもせず、内部規定の制定で足りるとするのは労働基準法89条に違反」として労働省に行政指導を要請し、一定の成果を上げています。

また、国労は、国鉄本社に対する抗議行動をいっそう強化するとともに、中央抗議行動を展開し、国民的なたたかいを呼びかけた。青木宗也法政大人学総長など労働法学者が運名で「雇用安定協約の一方的破棄に関する見解」を発表し国鉄当局を批判するなど、国鉄改革を、国民全体の関心事として捉えるべき運動として取り組みましたが、10年近く前のスト権ストなど、国鉄の現状を知るものからすれば、国民全体の問題と言いながらも大きな流れにはなりませんでした。

 

関連 国鉄労働組合史詳細解説 97 もご参照ください。

 

国労の運動方針は、国鉄分割民営化阻止

小町副委員長の経過報告に続き、山崎書記長が84年度運動方針案を提案した。その骨子は「分割・民営化を阻止し、国鉄労働者と関連労働者の雇用と労働条件を守る」など。同書記長は細部の説明に入るまえ、冒頭の委員長挨拶にもあった「もはや黙って嵐が過ぎるのを持つ態度は許されない。立って闘う以外に道はない」旨を受ける形で「56歳以上の特別休職扱いには、組合機関もかかわり合う方法を確立したい」と述べた。

として積極的に、特別休職に対して反対すると共に、分割・民営化を阻止することを打ち出しています。

実は、当時の国鉄当局も分割民営化迄は、想定していないというか、分割民営化は反対しており、過員が解消できて、合理化が完成していれば、もう少しスマートな形で移行できるもしくは、分割は避けることが出来たと思うのですが、あまりにも国労既得権益に拘りすぎていたのではないかと、その後の流れを見ていると、個人的には考えてしまうのです。

なお、上記3項目(勧奨退職、一時帰休、出向)に反対するため、8月31日に3項目に反対する、全国統一半日ストライキを実施すると、国労の山崎書記長【後の委員長】集約答弁で回答しています。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

┌───────────────┐
├○ 特例休職の実施と国労の闘い│
└───────────────┘

 国鉄当局は。余剰人員調整策の一つである出向の受け入れさきとして、国鉄関連企業に受け入れ要請を行ってきたが、10月8日現在で約300社から、計2500人について受け入れの回答がきていることを明らかにした。また。10月1日から実施されている特例休職(56歳以上の退職前提休職)の実施状況は、6日までに2,622人が発令され、さらに1,095人が申しでており、合計3,717人となることを発表した。12月1日現在の実施状況は、
 ① 特例休職は対象者1万218人のうち、応募者5,856人、発令者5,317人
 ② 退職前提休職(55歳以下)は申し出者449人、発令者389人
 ③ 復職前提休職【50歳未満)は申し出者72人、発令者41人
 ④ 派遣者については24人
を発令した、と発表した。

以上の実施状況から明らかなように、派遣・一時帰休の応募が極めて少なかった。この時点では、”辞めない、休まない、出向かない”という国労の方針が組合員に浸透していたと言える。
 こうした情勢のもとで、国労は、84年10月31日と11月1日の2日間、第142回拡大中央委員会を開き、「余剰人員の調整策」撤回を求める闘いの中間的総括を行い、当面の闘いの目標として、「三項目」反対、「特退協定」の早期解決、過員解消、60.3ダイヤ改正反対、年末年始などにおき、11月中旬から12月上旬にかけて第七次全国統一闘争を展開し、1,2月の第八次全国統一闘争は大衆行動を着実に積み上げ、重要な場面ではストライキを含む闘いを配置するとの方針を決定した。
 なお、国労は、第142回中央委員会直前の10月24日に国労は、「就業規則の変更に当たる出向、一時帰休制度で労働基準監督署に届けでもせず、内部規定の制定で足りるとするのは労働基準法89条に違反」として労働省に行政指導を要請していた。
この点の追求を全国的に展開し、1640の支部、分会が取り組んだ。
 12月18日、労働省労働基準局は国鉄当局に対し、
 ① 大綱的な就業規則の他に大量の内部規定があり、就業規則として一本化していない。
 ② 届出義務のある就業規則まで内部規定で定めており、変更の届出を怠っている、
として85年1月31日までに、改善措置を文書で報告するよう指導した。
 この指導が出されたことをうけて、国労は12月25日に国鉄当局に対し、
 ① 労基法違反をただちに改善し、過半数組合である国労との団交を再開する。
 ② 所定手続きの終了するまで出向、一時帰休の募集を中止する。との二項目を申し入れるとともに、当局の違反行為を改善しない場合、検察当局への告発も検討するとの強い姿勢を表明した。労働省の改善勧告を受けた当局は、八五年一月三一日、労働省に対し、「本年三月三一日までに整理して、所定の手続きをとる」と回答した。

参考、労働基準法89条
(作成及び届出の義務)

第89条  
常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
1. 始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
2.賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
3.退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
3の2. 退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
4. 臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
5. 労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
6. 安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
7. 職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
8. 災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
9. 表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
10. 前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

続く

 

国鉄労働組合史詳細解説 99

本日も、国労の労働運動史を底本にして、昭和59年当時の国労の動きを中心にして、国鉄改革の歩みを見ていこうと思います。
そこで、当時の国労だけでなく、動労の動きにも注目してみたいと思います。
国有鉄道という国鉄部内誌を参照しますと、昭和59年7月~8月にかけて開催された国労動労、鉄労などの組合大会の様子が書かれており、詳細は不明なるも概要を知ることは出来そうです。
そこで、少しずつその辺を抜き書きしながら、当時の各組合の考え方を見ていきたいと思います。

人員削減・貨物輸送削減・ローカル線廃止のいわゆる三項目には動労も反対

昭和59年10月号の国有鉄道を参照しますと、7月17日から20日まで秋田市で、国労の山崎委員長も出席した動労の大会における、最終の集約答弁で、動労の福原書記長は、以下のように答弁しています。

福原書記長の集約答弁は最終日の20日,次のように行われた。
社会党違憲合法論,原水禁の問題,84春闘の惨敗など,われわれにとってピンチが続いている
時,国鉄問題でも仁杉総裁の発言,鉄労提言,三塚氏の著書と矢継ぎ早に分割・民営化の動きが出ている。いよいよ正念場を迎えた。
骨身を削るという動労提言の姿勢は地域住民や関係労組員の共感を得た。それが中央大行動の成功につながったと思う。労働運動の惨状の中で動労は一定の集約をしてきたが,国労は組織を強くしてきたのだろうか。
観念の世界でなく,現実にあるべき姿をみなければならない。国鉄再建フォーラムでの協議も大切にしながら60・3ダイヤ改正の節に向けて全力をあげる。
3本柱(3項目のこと)は基本的に反対している。団交で受けられないというならフォーラムがある。場合によっては臨時中央委員会を聞く。そのうち過員問題に政治が介入することも考えられる。
したがって3本柱は職域の拡大などという視点からも考えていく必要がある。雇用安定協約の再締結もやっていかなければならないが,当局が一方的に実施してきたらストで闘う。

国労とは、この頃から既に考え方は異なっていましたが、3本柱(3項目のこと)は基本的に反対している*1

と明言しています。

ただし、国労との共闘については距離を置いているようで、話は前後しますが、来賓として呼ばれた、国労の山崎書記長は下記のように挨拶しています。

再び、引用したいと思います。

冒頭、佐藤委員長は「いまの状況では、自らが"職場と仕事と生活"を守る以外にない。そのためにも動労提言を実現させなくてはならない。国労共闘については、既成のエゴイズムを打破しなくては解決しない」と挨拶した。
来賓挨拶には、公明党の近江巳記夫衆議院議員(運輸委員会理事)、地元の佐々木秋田県知事らが行った。また国労は、57年の洞爺湖大会に当時の武藤書記長(現・委員長)が出席して以来、2年ぶりに山崎書記長が出席し、「動労国労との理念の違いはやむを得ないが、雇用と労働条件を守らなければならないという点では一致している。また共通の課題で共闘してきた歴史的事実もある。正常でない関係について十分話し合いたい。すべての点で共同行動をとか、組織合同をといっているのではない」と述べた。この発言は、7月24日からの総評大会でも行われ、動労も「こちらから共闘を否定したことはない」と態度を明らかにしている。しかし、現時点では関係修復までの具体的な詰めは進められていない。

と、国労としては共闘を求めようとしており、動労としても拒否するわけではないと言っていますが、結果的に双方の溝は埋まらず、別々の道を歩むことになったのはご存じの通りです。

動労は、動労提言で国民にアピール

 動労は、その辺に対しても下記のように述べています。

執行部は「59・2ダイヤ改正後の減量、攻撃にわれわれがどのように対処,撤回しているかという点も理解してほしい。動労提言は地域住民の利便性を守ることを大きな目的にしている。各地本でもそれをどう闘っていくか考えていくべきだ」(佐藤交渉部長)

として、動労の場合は、組織がなくなってしまうと、組合運動自体が消滅するとして、上記のような答弁をしています。

ただ、組合員の中には労働強化に対してストで対抗せよといった強硬派の意見もあるのですが、その辺は中央執行部が押さえつけていると言った期待があり、それが上記の発言に繋がっています。

さらに、動労はちゃっかりと、国民のための国鉄として運動していますよと下記のような記事を書いて宣伝しています。

実際、小倉~博多間の増発や、するがシャトルの実現などは動労からの提言であるとしています。
市民出版社刊「鬼の動労の緊急提言」から、引用してみたいと思います。

  するがシャトル出発進行

五九・ニダイヤ改正から、静岡駅を中心にして島田-興津間に、一五分間隔で運転する。"するがシャトル"がスタートした。

これは「定時間隔の運転」を意味していることであるそうだが、この要求は古く、動労の静岡地本が53年の改正から始めたものだった。現在ある電車を最大限利用し昼間体を中心に、短編成で列車増発せよ、というのであった。
 それがようやく陽の目を見たのは五七・一一の改正からで、今回の五九・二が本格的な出発進行である。この列車増により「時刻表を気にせずにいつでも乗れる国鉄」と好評を博し、乗客も前年度比約五%の増となっている。さらにいま続けて利便性を高めるために沼津圏や浜松圏へもひろげ、新駅の設置まで含めて要求し、地域住民と一緒に活動を展開している。

鬼の動労の緊急提言

動労の提言から、するがシャトルなどの実現

と言った具合でしたが、残念ながら国労ではこうした時期にどのような状況であったか改めて、国労大会に様子を見ていきたいと思います。

国労の動きはどうだったのか?

国労は8月20日から23日まで静岡県伊東市で第四六回大会を開催しており、開催され、冒頭挨拶で下記のように発言しています。

武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをペースに、それは、

  • 政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化
  • 反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化
  • いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化、
の3つだと述べた。
同時に総評労働運動の勢いを廷らせることは国労自身の力を増すことにもなるとしfこ。また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう〉対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のつくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

来賓挨拶では真柄総評事務局長が「分割・民営化問題に積極的に対応していくが、動労ともそれに反対という一致点があるならば戦略的に対しても一致できるよう努力してほしい」とし、動労から久方ぶりに出席した福原書記長は「総評大会でも共闘への努力を明らかにしている。余剰人員問題は一過性ではない。総評強化にしても国労が最大組織としての中心軸になって闘う任務がある」と述べた。

動労が寄り現実的な路線を選択し、世論を味方に付けようとしていく中で、国労は懐古的とも言える階級闘争にそのエネルギーを割いているとしか見えません。

結果的には、国労は当局に押しきられる形でとなり、動労・鉄労・全施労などは、当局の強提案を受けいれますが、強硬に反対してきた国労や全動労、千葉動労に対しては、雇用安定協約の解約を通告することとなり、こうした一連の流れが、組合員の不安を生むことになりました。

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

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├○ 休職制度と派遣制度についての提案と動労などの先行妥結│
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 「特例休職」の交渉が妥結し、続いて10月10日実施予定の「余剰人員の調整策」余剰人員対策三項目)の本格交渉が開始されることになった。交渉は、復職前提の休職制度と派遣制度にかかわる問題であった。連日の交渉が続けられたが、10月9日になって国鉄当局は以下の新たな提案を行った。
 ① 「退職制度」については国鉄当局は10月10日から6ヶ月延長し引き続き交渉する。
 ② 「休職」「派遣」については、これまでに示した当局の考え方に加え、復職前提の休職者および派遣社の復帰について所属長の文書で該当の職員に対し明確に保証する。
 ③ 「休職」「派遣」については、9月24日までの妥結を強く要望する、妥結に至らない場合は雇用安定協約の存続について重大な決意で臨まざるを得ない、と一方的実施の意向を示した。
 当局の強硬ともいえる提案を受けて、動労は「職場を失っては、生活はもとより、労組も運動もあり得ない」と判断し、雇用安定協約の確保を重視して妥結し、全施労も足並みをそろえた。鉄労は、余剰人員対策では余剰人員の活用と業務外注化の見直しなどの方針を掲げていたが、ある程度納得出来る回答が得られたとして妥結した。
 よく10月10日早朝、当局は国労に対し団体交渉を打ち切りを通告してきた。そして11日には雇用安定協約を85年1月11日を持って解約したい、との通知を国労、全動労、千葉動労に行った。国労は、団体交渉否認の態度を改め、誠意をもって要求を解決せよという目標を掲げた闘争指令を出した。それは徹底した抗議行動とともに「休職」の募集、「派遣」の希望調書には一切応じない組織的な取り組みの強化、ワッペン着用闘争の継続、非協力闘争、11月下旬にはストライキを含む全国統一闘争を実施するなどの指令であった。
 また、国労は、社会党など各方面に働きかけ、労働大臣や運輸大臣とも会見し、「監督官庁として国鉄を適切に指導」するよう求めた、国会においても運輸委員会で国鉄問題を審議され、社会・共産両党の議員が「余剰人員対策三項目」を一方的に実施した国鉄を批判し、組合との合意ができるまで中止せよと迫った。こうした働きかけにも関わらず団交再開に至らなかった。

続く

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*1:三項目とは、人員削減、ローカル線廃止、貨物輸送縮小・削減を明言した経営改善計画のこと

国鉄労働組合史詳細解説 98-2

今回も、国労は56歳以上の者の退職条件を切り下げることで退職を促進することを目的とする当局の方針に異議をとなることとなります、しかしそういった申し出に対しても、当局側はなかなか応じようとはしませんでした。
 さて、実際にはどのような経緯となるのでしょうか、以下お読み下さいませ。
現在、労働組合視点の資料を探しているのですが、中々見つけられませんので、当局資料などを中心にして類推しながら書かせていただくことを了承いただきたいと思います。

合理化は国鉄改革の原点と位置づけた当局

国鉄の場合、組合問題に論点がいきがちですが、何故合理化を強力に推し進めなくてならなかったのか、その一つには、確かに組合との馴れ合いで、合理化が進んでこなかったと言う側面もありますが、実は特定人件費の増加という点にも着目する必要があるかと個人的には考えています。

下記は、昭和58年度監査報告書に書かれている、経営改善計画の収支表です。

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1984-09_国有鉄道から、引用
 
これによりますと、特定人件費の上昇が極端に大きいことが判ります。
特定人件費とは、戦後、復員者及び、満州鉄道、朝鮮鉄道等で勤務していた人も国鉄で採用したことで発生している人件費で有り、本来はこうした人件費は、政府の責任で処理すべき問題であったと思われますが、その辺は臨調などでも話題になったとは言えません。
なお、運輸白書にも、特定人件費に関する記述がありました。
下記のように記述されているように、国鉄の問題の一つは、国鉄の組織そのものだけではなく、国鉄職員のうち、本来であれば国が負うべき人件費も国鉄が負担していたことにも注目しなくてはいけないのではないでしょうか。
全体収支においては,地方交通線・地方バスの損失及び特定人件費の増大により,改善の目途がたたない状況にあり,将来の国民負担の軽減や鉄道の果たしている使命の維持のためには,経営形態を含めた抜本的な改革が必要となっている。
 

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2 再建対策の経緯 昭和61年度運輸白書から引用
ここで書かれている人件費は、特定人件費を含めた全ての金額のためわかりにくいが、国鉄財政破綻の大きな要因の一つは特定人件費の問題であったと言えます。ただし、その反面、本来であれば積極的な合理化等で組織をスリム化していく必要があったにも関わらず、イデオロギーに拘り、合理化を反対してきた各組織にも問題がなかったとは必ずしも言えません。

国鉄労組的には、国鉄赤字の原因は政府と当局の責任らしいです。

国鉄労働組合の中には複数の派閥が分かれていましたが、国鉄労働組合革新同志会(革同】になるのでしょうか、杉田明著 「臨調国鉄攻撃と労働者階級」国鉄問題研究会刊の記事を参照しますと、国鉄の赤字に関して下記のような記述を見ることが出来ます。

少し引用してみたいと思います。

 以上見てきたような国鉄赤字がどこから生まれてきたか、結論的にいってそれは日帝の戦後高度成長政策、戦後国鉄政策とその破産・崩壊の不可避的な帰結ということができる。特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け
入れた結果である。巨大な利子等は、国鉄が戦後一貫して独立採算制の名のもとに巨額の借金を重ねながら設備投資を続け、日帝・独占資本の要請に応えてきたことの、いわばツケということができる。一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果
だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって、けっして狭い意味での国鉄経営のあり方の問題でもなければ、ましてや国鉄労働者の働き度の問題でもないのである。

p146~147

ここで、個人的なコメントを挟むことを許していただけるならば、「特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け入れた結果である」としながらも、当局は定員法により、適正規模の人員に減らそうとしましたが、強く定員整理に反対したのはどこの組合だったでしょうか。
結果的に、定員法による首切りは実現されたものの、その多くは戦時中に徴用された女性従業員や若手の職員でした。
一番、解雇に反対していた組合はその辺の活動はなかったことにしているようです。
また、「一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって」としていますが、国労が行った違法ストライキで利用者が減少し、更に貨物輸送の荷主にも愛想を疲れたことには一言も触れられていません。
もちろん、国鉄当局も専用線方式ではかなり荷主に無茶ぶりをさせていたのも事実でした。
専用線を引いたは良いが、肝心の貨車が配給できないとか、自由に使いたければ貨車も用意しろと言った具合で、国鉄当局の貨物輸送のあり方もじゅうぶんに誉められたものではありませんでしたが、ク5000を使用した自動車輸送は、一定の成果を見せて自動車業界も積極的に利用を行おうとしたのに、ストライキの続発で結果的に荷主の信用を失わせた組合の責任はどこにあるのでしょうか。
自分たちが行ったストライキが、「日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結」と言えるのでしょうか。
自分たちの都合の悪いところは徹底的に模糊としてしまう点に関しては、納得いかないものがあります。

結果的に自分たちの職場を小さくしていく方向に動いた労働運動

 なお、この辺に関しては、民間では昭和39(1964)年に結成された、全日本金属産業労働組合協議会のように、富の再配分という労働運動の本質的な部分を生産性の拡充に求めていった、右派的労働運動を選択したのに対して、階級的闘争を打ち出した、左派的労働運動を貫いたことで、国鉄は独占性が失われあまたの交通機関と競合する中で、その地位を下げていく事となり、貨物輸送が壊滅的な状況に追い込まれて、乗務員が遊んでしまう。いわゆる、「ブラ勤」と呼ばれる状況を作ってしまいました。
更に、列車そのものの本数が減るので、機関車や貨車の稼働が減ることになり、い中部の機関車は休車という措置を取ることになります。
機関車などの場合、一休(復活前提の休車)をすることで、検査時期を延長できますので、実質的に稼働日数を増やせることになります。【休車指定することで、いわば時間を止めると言った方が解りやすいでしょうか】結果的に、工場の稼働も減るので、今度は工場の職員も遊んでしまうことに成ります。
また、日々の検査も休車の車両は不要になるので、これまた検査掛の要員も余ってしまいます。
結果的に、今まで積極的に行っていなかった合理化がここに来て一気に問題が表面化したと言うことでしょうか。
貨物輸送の減少に関しては、組合がいくら反論したとしても、スト権ストなどに至るまでの数々のストライキが、鉄道輸送利用者をことごとく裏切った事へのしっぺ返しと言えるわけで、この辺は組合はやはり猛省すべき点ではないかと個人的には考えてしまいます。
 

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国鉄労働組合史詳細解説 98

さて、本日は59・2ダイヤ改正に伴い発生するであろう過員に対し、国鉄当局は退職前提の特別休職を中心に休職を者の募集を開始したが、それに対して国労は、強く反発する反面、組織温存を図りたい、動労、鉄労、全施労は当局の要求を早々と受け入れ、さらに早期に募集開始を迫る構図となり、国労側にプレッシャーをかけることになります。
そうした中で、一定の整理がはかれたとして国労も改革三労組(動労・鉄労・全施労)とほぼ足並みを揃える形で休職者募集が開始されることになります。
 
現在、この辺に関して当局視点だけではなく、国労なり動労の視点での資料を集めようとしているのですが、適切な資料が中々適切な資料がありませんので、当局視点の資料からの類推になりますが、ご了承ください。
 

「特例休職」募集提案の妥結

国労は、退職者の募集に際しては、組合の記述では、
国鉄の分割・民営化、余剰人員対策「三項目」と新たな過員をつくりだす合理化事業案に反対し、対決して闘うことを軸にした方針を決定した。
 この大会決定にもとづき、24日、8月31日のストライキを中心とする闘争指令1号を発した。さらに、27日、募集中止を求めて公労委に斡旋を申請した。
とされていますが、実はその辺の資料を今後探そうとしているのでどのような内容であったか中々見られないのですが、この頃になってきますと、かなり柔軟と言いますか、国労も現実主義的な動きをするようになっており、この話題とは直接関係ないですが、国労の大会では、運動方針案を次のように運動方針案に記載していました。
われわれは、労働条件の改悪や「合理化」強行のための「効率化」にはあくまでも反対するが、労働者に犠牲をもたらさない限り、「効率化」に一面的には反対しない。このような立場から「効率化」に対する具体的な対応について討議するとともに、闘いを進めていく(原文のまま〉。
運動方針案についての集約意見で武藤書記長は「大会で決めた/l寺とそれを実行する時では、情勢や条件が違ってくる。基本をねじ曲げてはいけないが、戦術の判断は執行部にまかされていいと思う」と述べている。
ただし、こうした方針に対しては、当然の事ながら代議員から、「当局の合理化計画に沿ったものになりやすい」という反対意見が続いたたとされており、国労執行部は、一応保留とするという態度を示していますが、国労と言う組織が一枚岩でないだけにその辺は難しい舵取りを迫られていたのであろうと容易に推測できます。

国労当局としても最優先課題は、組合員の雇用

特に、国労としても組合員の雇用を守るという点は大事にしていかねばならない問題であったことから、
① 強制・強要の排除
 ② 申し出を行った者に対する平等の扱い
 ③ 不承認年休の買い上げ
 ④ 乗車証の取り扱い
 ⑤ 健康診断の扱い
 ⑥ 期末手当の扱い
 ⑦ 特定退職協定交渉との分離
 ⑧ 配転問題
 ⑨ 欠員補充
 など一定の前進した回答を引き出したので協定化をはかり妥結した。
いわゆる条件闘争に導いたと言えますが、結果的には、国労、全動労は約一週間遅れの9月21日から退職者の募集が開始されました。

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休職制度の概要、共済組合は休職中もその資格は保有すると明記されています。

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上記は、特定退職者協定の退職条件と在職条件
55歳の退職の場合、10号奉【約2年半勤務相当の昇格に相当】がアップされる他、年度末年齢が55歳だけ4/1となっているのは、昇給の関係と思われます。
公務員等は、4月1日付で昇給【基本は4号奉】するための措置で、管理者などは退職に際しては6月末で退職するのが一般的でした。
これは、6月1日に在職【実際には年休消化などで殆ど出勤していない】していることで、賞与の支給条件を満たすためでした。
なお、一般職員は3月末の退職が一般的で有り、この辺は役職者と担当で差が付けられていました。
 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策の交渉と闘い

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├○ 「特例休職」募集提案の妥結│
└───────────────┘

続き


 こうした分析にもとづいて国鉄の分割・民営化、余剰人員対策「三項目」と新たな過員をつくりだす合理化事業案に反対し、対決して闘うことを軸にした方針を決定した。
 この大会決定にもとづき、24日、8月31日のストライキを中心とする闘争指令1号を発した。さらに、27日、募集中止を求めて公労委に斡旋を申請した。29日、公労委は国労の主張をほぼ認めた斡旋案を提示したので、国労は斡旋案を受諾し、ストライキの中止を指令した。ところが国鉄当局は30日にこの斡旋案を受諾しておきながら、その40分後に再び、「斡旋案を受諾したので、9月15日から休職募集を開始したい」と提案してきたのである。国労はかかる当局の態度に対し、団交否認と同一であるとして強く抗議し、撤回を求めた。
 その後「特例休職」について交渉をつづけたが、9月11日に当局から修正提案がなされた。
 ① 84年度末の限って、56歳以上の退職条件と55歳以上の在職条件については従来通りの扱いとする。
 ② 84年度の退職者に限り、満56歳以上の者の退職条件は従前の例による。
 ③ 85年度に限り、満55歳以上の在職条件は、なお従前の例による、という提案であった。

 9月13日には、動労、全施労、鉄労が先行妥結し、15日からの募集開始を当局に迫るという状況のもとで、国労労働協約の遵守を求め。要求の前進をめざして交渉を進めた。9月19日になって、国労は前進した事項として、
 ① 強制・強要の排除
 ② 申し出を行った者に対する平等の扱い
 ③ 不承認年休の買い上げ
 ④ 乗車証の取り扱い
 ⑤ 健康診断の扱い
 ⑥ 期末手当の扱い
 ⑦ 特定退職協定交渉との分離
 ⑧ 配転問題
 ⑨ 欠員補充
 など一定の前進した回答を引き出したので協定化をはかり妥結した。この結果、特例休職については動労・全施労・鉄労の三組合については9月15日から、国労、全動労については、21日から募集が始まった。

続く
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