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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 141

気がつけば二ヶ月以上も放置状態になっておりました。
申し訳ございません。
改めて、仁杉総裁更迭の頃からのお話をさせていただこうと思います。

国鉄改革の推進役として古巣の国鉄

仁杉総裁は、昭和58(1983)年12月2日、第9代国鉄総裁として就任しましたが、その後中曽根首相[当時]に、国鉄改革に関して積極的で無いとして、電撃的に解任されることとなり、反対派の常務理事の辞表とりまとめて辞任することになるのですが、その前に簡単に、仁杉総裁の経歴を振り返ってみたいと思います。

大正4年5月7日 生誕
昭和13年3月  東京帝国大工学学部土木工学科卒業
昭和13.4    鉄道省入省 任鉄道技手、建設局
昭和27. 2      運輸総局施設局土木課
昭和28. 6      大阪工事事務 所次長
昭和30.11     技師長室
昭和33. 2      施設局土木課長
昭和34. 7     同 管理課長
昭和34.12     名古屋幹線工事局長
昭和37.10    東京幹線工事局長
昭和39. 6     建設局長
昭和40. 2     臨時 工事積算室長兼務
昭和40. 4    日本国有 鉄道理事(常務理事)
昭和43. 4     同 退任(任期満了〕
昭和43. 4      極東鋼弦コンクリ ー ト振興(株)取締役
昭和46.11     西武鉄道側専務取締役
昭和48.11     同 副社長
昭和49. 5      西武建設側社 長( 兼任)
昭和54.10     日本鉄道建設公団総裁
昭和58.12.2  日本国有鉄道総裁

以上のように技術者としての道を歩んできたわけで、高木総裁の後を受けて再び国鉄出身の総裁誕生となりました。
昭和40年には常務理事として第3次長期計画にも携わっていたようで、古い記事を探していますと下記のように常務理事就任直後のインタビュー記事で、国鉄としては、高速道路の兼ね合いで国鉄としてはより立派な新幹線のような線路を作りたいのだが、それが中々出来ないという点や、人員を増やさず輸送力を増やすべき工夫と言うことで、技術屋らしいと言いますか、技術一本と言いますか、そのように感じられます。

中央の写真は、若き日の仁杉常務理事

仁杉総裁が民営化を容認した背景には、西武鉄道時代の経験が

こうして元技術屋の総裁である、仁杉氏は鉄道建設公団総裁を経て、国鉄の8代総裁として古巣に戻ってくることになる訳ですが、国鉄自身は後の無い再建計画として、臨調は国鉄の分割民営化を容認する発言をしていました。
就任最初の頃は国鉄職員に対しては、「親方日の丸意識の払拭・お客様を大切にと言うことで下記のような発言しています。
「厳正な規律のなかにも職員の間 での相互信頼 温かい交流が大切なことだと思う。私は皆さんに、
  1. 親方日の丸意識の払拭
  2.  ルール・規律の遵守
  3. 職員間の連携を深め再建に向けて心を一つにする
  4. 各現場において勉強を重ね技能の研鑽につとめる
    の4 点をとくに お願いしたい。幸い関係各方面の国鉄問題への関心は高まっており、今こそ再建への絶好の機会であると思うので、これらのことについて努力していただきたい

国有鉄道 昭和59年1月

就任時の挨拶と言うことで、国有鉄道P2に書かれていました。

実際、この当時の国鉄職員の接客はお世辞にも優れているとは言えず、昭和59年2月号の国有鉄道では、新聞の投書からという記事が掲載されていて、国鉄職員に対する接客の苦情などが数多く掲載されていたものでした。そうした国鉄職員に対して、親方日の丸的な意識止めようと意発言しているわけで、西武鉄道時代の経験が大きいと本人も認めています。

仁杉総裁の民営化容認発言で、国労動労などと一緒に抗議声明発表

ただ、下記の通り国労が批判しているように、

「昭和59(1984)年6月21日の日本記者クラブにおける講演で、「分割も民営も基本的には賛成だ」との発言は、労働組合からの猛反発をうける事になります。

国労動労、全動労、全地労の四組合は共同で抗議声明を出したとありますが、昭和57(1982)年頃から、国労動労はその基本方針でその運動方向の違いなどから互いに批判しあう(国労は、出向反対派であったが、動労は鉄労同様に、出向には積極的に応じるなど、動労の変節が目立っていた時期でした。

国鉄は非分割民営化案を発表

さて、再建監理委員会が昭和59(1984)年8月10日に分割民営化の方向性を打ち出し、その具体案を打ち出していた時期、国鉄は唐突とも言えるように、昭和60(1985)年1月10日に国鉄としての独自再建案を発表しますが、これはローカル線の経営は地方がして欲しい、その反面、幹線部分は国鉄が運営するものであった事は既に記した事ですが、この案はマスコミからも相手にされることは無かったわけですが、このような国鉄独自の再建案が発表された背景には、国鉄だけが審議から外されていたこともあり、また1987年までに分割民営化は出来ないのでは・・・と言う思惑もあったと言われています。この辺は、日本労働年鑑1987年 特集  国鉄分割・民営化問題 II 分割・民営化路線と国鉄当局の対応 に詳しいので、引用させていただきます。

 

監理委員会がすでに国鉄分割・民営化の具体案づくりを本格的に進めている時期に、国鉄当局がこれに反対する独自案を出した理由は、つぎのように考えられる。
一つは、監理委員会が答申作成にあたって国鉄をほとんど無視して進めてきたことにたいする国鉄の側からの、とくに分割反対派から国鉄の意思をアピールしておくべきだと考えたこと、それにいたる判断は、国鉄民営化は八七年四月一日に可能だが、分割は無理と見なしたことがあった

国鉄内では、この案にもとづいて「分割抜きの民営化」に向けて具体的な体制づくりをはじめ、二月初めには総裁直属の「経営改革推進チーム」が非公式に発足し、全国一社制について、各方面に国鉄の考え方を広げるキャンペーンをはじめ、また国鉄内の分割・民営化容認の改革派にたいする締めつけをきびしくしていった。

*1

更に追い打ちをかけることとなった、総裁の脇の甘さ

改革3人組と後に言われた(井手・松田・葛西)を本社から転出させるなどの体制で分割容認派を排除していく中で、徐々に世論は分割容認の方向に流れていくこととなりました。

そんな折、仁杉総裁の家族[仁杉総裁の娘の夫が経営する会社]が総裁就任後も国鉄の協力会社として多額の発注を受けていたことが発覚し。
それを国会でも追及されることとなりました。側にも非があった点としては、総裁の家族が経営する会社がいわば利益供与を受けているのでは無いかと社会党の代議士から指摘を受けることとなり、国労の下記資料でも書かれているように、亀井監理委員会委員長からは、「5月16日の記者会見で仁杉総裁について「分割に反対する国鉄自身の再建案が1月に出たが、その考えを変えてもらわなければ、総裁を代わってもらわなければならない」と発言した。」とあるように、当初は分割民営化の推進役として期待された仁杉総裁は、ますます進退窮まることとなりました。

結果的には、以下のように6月21日辞意表明

24日には、反対派全員の辞表をとりまとめ、一斉に退任、翌25日からは、国鉄最後の総裁として元運輸事務次官杉浦喬也氏が就任することとなりました。

仁杉国鉄総裁辞意表明 6/21

仁杉国鉄総裁は中曾根首相に辞意を表明、首相は後任に杉浦喬也前運輸事務次官を内定

仁杉総裁辞表提出 6/24

仁杉同鉄総裁は山下運輸大臣に中曾根首相宛の辞表を提出、運輸相はこれを受埋、縄田副総裁、半谷技師長も退任

杉浦国鉄総裁誕生 6/25

政府は仁杉国鉄総裁の任を免し、同時に杉浦喬也氏を国鉄総裁に任命。また国鉄は役員13人のうち6人を交替させる大幅人事異動を発令、副総裁に檎元雅司氏、技師長に坂田浩一氏就任

以上 国鉄があった時代 から引用

jnrera.starfree.jp

なお、仁杉総裁が、変節していく背景には縄田副総裁及び太田職員局長の動きにも注目しないと行けないのですが、この辺は長いので次回お話をさせていただく予定としております。

仁杉総裁の関連会社に関する報道を受け糾弾する千葉動労の記事

仁杉総裁の関連会社に関する報道を受け糾弾する千葉動労の記事

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第二節 分割・民営化推進体制の確立
           ―内閣. 運輸省. 国鉄
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┌────────────────────┐
├○ 一 仁杉総裁の更迭と杉浦新体制の発足 │
└────────────────────┘
 
 監理委員会答申の一ヵ月前、国鉄の分割・民営化をめぐる事態が緊迫化するなかで、1985年6月25日、仁杉国鉄総裁が辞任した。仁杉総裁は、国鉄のなかで「分割・民常化」を率先して推進していく役割をにない、83年11月29日に高木総裁の後任として任命されたのであった。しかし、当時の国鉄内には「分割. 民営化」を受け入れる状況はなかった。のちに改革派と呼ばれた国鉄官僚の共通点は、労働組合に対するタカ派的立場で、職場管理権を確立することにあり、まだ分割・民営化を唱えていなかった。
したがって、仁杉国鉄総裁は就任後すぐには中曽根政権と監理委員会の期待する分割・民営化には動けなかった。
 しかし、84年6月21日の日本記者クラブにおける講演で、「分割も民営も基本的には賛成だ」との発言をし、この総裁発言は、前述したように労働組合の猛反発をうけ、国労動労、全動労、全地労の四組合は共同で抗議声明を出した。
 そして、85年1月の国鉄独自再建案( 前述) の発表後、仁杉総裁と国鉄首脳陣との間に食い違いが目立っていった。山下徳天運輸大臣は、1月12日に仁杉総裁を運輸省に呼び、「運輸省としては、基本的には、再建監理委員会と同じように、分割・民営化の方向で検討を進めるべきだと考えている」と述べ、「分割. 民営化に向けた再建監理委員会の審議に国鉄も積極的に協力すべきだ」と強く要請した。この要請に対し、仁杉総裁は「国鉄としても頭から分割を否定しているわけではない。審議促進のため協力する」と答えた。しかし・国鉄内部では先に述べたように「民営化」に向けた法改正の準備作業を開始しており、縄田副総裁は「分割については検討しない」と明言するなど、運輸大臣への総裁の回答とは違いが生まれていた。このことからも明らかなように仁杉総裁の指導力は低下していた。監理委員会に対する国鉄首脳の反抗的態度に、中曽根首相は2月6日の衆議院予算委員会で「臨調答申に反するような考えの人がいれば、けじめをつけなければならない」と強い姿勢を明らかにするほどであった。
 とりわけ、仁杉総裁の指導力を一段と低下させたのが、3月6日の衆議院予算委員会社会党が追及した、総裁の家族の経営する会社が国鉄指定業者の下請けを続けていた事実であった。亀井監理委員会委員長は、5月16日の記者会見で仁杉総裁について「分割に反対する国鉄自身の再建案が1月に出たが、その考えを変えてもらわなければ、総裁を代わってもらわなければならない」と発言した。こうした一連の動きからみて、仁杉総裁の辞任は時間の問題となっていた。
 監理委員会の最終答申のでる一カ月前国会も会期末となった6月21日に仁杉総裁は中曽根首相に会い、辞意を表明し、首相もこれを了承した。形は仁杉総裁の辞意表明であったが、実際は監理委員会の分割. 民営化答申を実行に移す場合、現状の国鉄経営陣のままでは事が運ばないとして中曽根首相の意向で辞任を迫ったものであった。中曽根首相は、仁杉総裁の指導力を危ぶみ、国鉄の動きを観察していたが・縄田副総裁を中心とする反分割の動きを押さえ切れなかったことも、首相の懸念を大きくした、と報道された(『朝日新聞』1985年6月22日付) 。仁杉総裁は役員全員の進退一任をとりつけ、分割反対の首脳陣を国鉄から一掃する仕事を行い、総裁としての仕事を終え、6月25日には、総裁、副総裁、技師長のほか4人の常務理事計7人が同時に退任するという、国鉄史上最大規模の首脳陣入れ替え人事が実行された。
 後継者には杉浦喬也・前運輸事務次官が任命された。国鉄総裁就任を受諾した同氏は、2日の記者会見で「答申が出たら、政府をあげて実行ということになるわけで、国鉄としてもその線に沿って具体的に検討の必要がある」「( 人事については) 私の考えに賛成の人はがんばってもらい、賛成いただけない人とはご一緒に仕事ができない」と語った。こうして国鉄内の分割・民営化反対派は一掃され、政府・監理委員会の方針がストレートにとおる体制が確立された。国鉄当局は新体制のもとで、7月4日に「再建推進本部」を設置し、分割・民営化へ向けての準備をすすめていった。
 国労は、国鉄総裁の更迭について、「本日の総裁辞任は、国鉄の再建について広く国民に問うこともなく『分割・民営化』を強行しようとする中曽根首相の意思を反映したものだ。われわれは、こうした政治的暴力にまきこまれることなく、引き続き『分割・民営化』反対の闘いをすすめる」との委員長談話を発表した。


*1:傍線・赤文字は筆者追記

国鉄労働組合史詳細解説 140

気がつけば2カ月ほど放置状態となっておりましたので、取り急ぎ更新したいと思います。

今回は、国労国鉄労働運動史なども参考にしながらアップさせていただきます。

再建監理委員会答申、国鉄を分割民営化することに

1,985年7月26日、国鉄再建監理委員会は、再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出することとなりました。

再建監理委員会の特徴は、旅客会社を6つに分割し、貨物会社は線路を間借りする第②種鉄道事業者として扱うこととしていました。

ま他、圧倒的な収益力を誇る東海道・山陽新幹線を中心にして、新幹線は保有機構が譲渡を受けてJRに貸し付ける

  1. 旅客6分割
  2. 貨物分離で1社
  3. 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
  4. 余剰人員対策

以下、引用「国鉄再建監理委員会答申 *******鉄道の未来を築くために*******」

jnrera.starfree.j再建監理委員会は、国鉄の危機的状況を招いたのは最大の原因は公社制度にあるとして、現行制度での再建はもやは不可能であるとして、国鉄分割民営化を打ち出したのであるが、ここで注目すべきは、貨物部門は旅客部門から経営を分離する点、新幹線にあっては、「わが国の基幹的交通機関として、国土の均衡ある発展等に果たす役割から見て、新幹線利用者間の負担の均衡ができるだけ図られるよう配慮して分割」するとして新幹線にあってはリース方式が提言されていました。

国鉄は昭和59年には幹線系は黒字を達成していた?

話しは前後するが、公社制度の中で幹線系の輸送に至っては合理化の推進と、特定人件費の分離などの結果、1984(昭和59)年には、僅かではあるが幹線系は黒字を計上していたと言われています。

国有鉄道 1985年11月号 59年度客貨別経営成績には以下のように解説されていました。
これに関する資料として公表されているものがなかったのですが、以下のような記述がなされていました。

在来線については、新幹線と同様、輸送量が伸びたこと及び運賃改定の実施により、収入が対前年1,018億円 (6%)増加したが、原価も909億円 (4 %)増加し、差し引き109億円の損益の改善となり、59年度は5,479億円の損失となった。またこれを営業係数でみると前年度の134→132へと改善された。
以上の結果 、旅客全体では前年度の3,694億円の損失は3,304億 円となり、660億円の改善であった。なお、東北・上越新幹線の資本経費を除いた旅客全体では、前年度ま では損失を計上していたが、59年度は359億円の黒字となった。

と書かれているように、幹線系にあっては特定人件費の分離などの結果営業外損益の増加はあったものの、営業経費の圧縮が大きく昭和60年までの幹線系の収支均衡は1年早く実現したことになります。

このように、最後の再建計画は遊休地の売却や貨物システムチェンジなどの影響もあって、その収支は改善されてきているわけですからもう少し時間をかけて検討されても良かったという気がしますが、当時の風潮では分割民営化がベストというが世間一般の考え方であったようです、この背景には高速道路網が未だ全国を網羅して居ないこともあり、鉄道に対する期待も大きかった事も反映されていたと思われます。

国鉄分割民営化反対に際して、他労組も反対署名などで協力を約束

ちょっと前段が組合関係とは大きく離れてしまいましたが、国労の資料によりますと、国鉄以外の労組・団体なども国鉄の分割・民営化には積極的に反対してくれたと以下のように書かれています。

 監理委員会の答申が提出されて以降、多くの労働組合が組合大会において、国鉄分割・民営化反対、国鉄労働者支援の決議を行った。新聞労連は7月26日の定期大会で国鉄労働者とともに連帯して闘うことを決議した。同日、政労協も定期大会で「国鉄の分割・民営化と10万人首切りに反対する決議」を採択した。全国一般は7月31日から開いた定期大会で国鉄分割・民営化反対闘争を支援することを決定した。全金は8月27日からの定期大会で採択した決議は「総評提起の5000万署名・100円カンパを柱とする分割・民営化反対の闘いを支持し、国労の闘いを支援する」と記されていた。ホテル労連は8月31日の大会において「国鉄再建闘争を支援する特別決議」を採択した。

このように、各労組も国鉄の分割民営化に対しての一定の理解を示し、国労動労による分割民営化に対する反対運動を共闘することを表明していますが。

蒸気のように、再建監理委員会答申以後の国鉄を取り巻く動きを見ていきたいと思います。

当時の様子を年表から確認する

以下は弊サイト、国鉄があった時代昭和60年7月の部分から抜粋したものです。

7月分

総評第七三回大会開催 7/15
昭和60年度最大の課題として、国鉄問題をあげ。運動方針とは別個に独立議案として「国鉄再建闘争方針」を提起。活動方針は

  1. 国鉄の「分割・民営化」を阻止し、真に国民のための国鉄再建をかちとるために国民の多数派形成をめざし、有権者過半数を目標とした署名運動を展開する
  2. ローカル線廃止をやめさせる運動を進める
  3. 国鉄労働者の首切りを許さないために、総評傘下全組合員が団結してたたかう
  4. 総評国鉄再建闘争本部を設置する、などが柱となっている

加古川線 黒田庄~比延間【新駅開業】日本へそ公園 7/15
東北・上越新幹、線、利用者l億人を達成 7/18

57年6月23日の東北新幹線の開業以来1,122 日目の記録達成、東海道新幹線の1億人達成の1,016日にわずか106日遅れただけだった。両新幹線の一日の平均乗客数は58.59年には9万人台であったが、今年3月の上野開業により一気に増加し、1日12万人に。これまでの1日の最高利用人員は、今年5月6日に東北新幹線が記録した17万人

第1次特定地交線美幸線第8回対策協議会で9月16日限りで廃止、パス転換を決定22日第2次特定地交線幌内線の第1回対策協議会開催 7/18

国労動労・全動労・全施労の国鉄4労組は、国鉄再建監理委の最終答申に対し連名の抗議声明 7/26
動労の第一二回大会開催 7/26

統一労組懇や民主団体などによびかけ、1,000万署名に取組むことを決定

山陰本線 竹野 ~ 佐津間【臨時駅開業】(臨)切浜海水浴場 7/27
東海道貨物線【旅客営業再開】品川~汐留間(カートレイン九州運行開始に伴う) 7/27
汐留~東小倉間に「カートレイン」運転開始 7/27
同じく、地元負担で建設される、東海道新幹線豊橋~名古屋間に新設される(仮称)三河(現・三河安城)駅でも起工式 7/29
国労第48回定期全国大会(名古屋)。7/29~8/2

分割・民営化反対のため5000万署名運動の強化、重要段階でのストライキなどの方針採決

国労委員長に山崎俊一氏 7/29~8/2

国労(20万人)は名古屋で開かれた定期大会最終日に役員改選を行ない、新委員長に山崎俊一書記長(53歳)、新書記長に荒井敏雄調査資料室長(52歳)ら新執行部を選出
山崎委員長は「分割民営化阻止」を宣言

政府「意見」を最大限尊重する旨の閣議決定 7/30
政府、「国鉄再建閣僚会議を改組して国鉄改革閣僚会議」とし、長期債務の処理、余剰人員対策などにあたることとなった。山下運輸大臣は杉浦総裁に対して「直ちに改革推進体制を整備し、作業に着手されたい」と指示 7/30
国鉄再建実施推進本部にプロジェクトチーム設置 7/30
昭和60年度仲裁裁定完全実施を決定 7/30
運輸省国鉄改革推進本部 7/31

運輸省〈現・国土交通省〉は国鉄再建監理委員会の分割・民営再建答申を実施に移すため,山下運輸相を本部長とする国鉄改革推進本部を設けた。長期債務処理の具体策などを詰め、次期通常国会への提案をめざし130本をこす法律の立法、改正づくりにあたる

ここで特筆すべきは、7月の最初の方に記述したように、分割民営化答申が出される前の7月15日から開催された総評七三回大会で、労働戦線統一問題と並んで国鉄再建問題も大きな話題として検討された事です。

85年度運動方針とは別に単独議題として提案され、以下の方針が確認されました。

  1. 国鉄の「分割・民営化」を阻止し、真に国民のための国鉄再建をかちとるために国民の多数派形成をめざし、有権者過半数を目標とした署名運動を展開する
  2. ローカル線廃止をやめさせる運動を進める
  3. 国鉄労働者の首切りを許さないために、総評傘下全組合員が団結してたたかう総評国鉄再建闘争本部を設置する

当時の総評にあっては、国労全逓と並ぶ大組織で有り、国労の衰退は総評の解体に繋がる事になります。

8月分

国労が時限スト 8/5
分割・民営化に反対する国労は再建監理委員会の最終答申に抗議して始業時から全国1、500カ所で1時間の時限スト。乗務員関係を除いたためダイヤに影響はなかった。国労のストは昨年8月以来1年ぶり
東京都12号線認可 8/5
運輸省は小形地下鉄となる練馬~光が五間の東京郡宮地下鉄12号線の工事施工を認可
国鉄本社 第292回運転事故防止対策委員会開催 8/5
小千谷第二発電所の起工修ふつ式 8/6
鉄労第18回定期全国大会で、分割民営化支持の運動方針採決、杉浦総裁が初めて出席 8/6
鉄労第18回全国大会(6~8日)鉄道労働組合(辻本滋敬組合長)の6日から3日間の日程で、東京・上野の池之端文化センターで関かれ、歴代総裁で初めて労組大会に出席
政府「国鉄余剰人員雇用対策本部設置」 8/7
国鉄改革関係閣僚会議で「国鉄余剰人員対策本部」を内閣に設置し、本部長に中曽根首相をすえ、政府をあげて取り組むことを決定
国鉄本社職員局に「雇用対策室」「職業訓練室」を新設「余剰人員対策本部」を拡充強化 8/7

等と記述されていますが、ここで鉄労が分割民営化を容認したこと、また杉浦総裁が労組大会に出席したことが特筆されます。

国鉄があった時代(企画・監修 加藤公共交通研究所)

地方自治体でも多くの自治体で反対決議がなされたと、国労は以下のように集約していますが。国労も認めているように、実際にはローカル線の廃止は反対だが、国鉄の分割民営化は容認という場合もあったようで、実際の国鉄分割民営化反対は、もう少し少なかったものと思われます。

国鉄分割・民営化に反対する地方自治体の決議や意見書採択は、国労の集約結果によると、85年7月24日現在で12県、130市、319町、54村の合計515となっていた。

 

 

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├○ 他労組、団体による国鉄分割・民営化反対の支援決議 │
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 監理委員会の答申が提出されて以降、多くの労働組合が組合大会において、国鉄分割・民営化反対、国鉄労働者支援の決議を行った。新聞労連は7月26日の定期大会で国鉄労働者とともに連帯して闘うことを決議した。同日、政労協も定期大会で「国鉄の分割・民営化と10万人首切りに反対する決議」を採択した。全国一般は7月31日から開いた定期大会で国鉄分割・民営化反対闘争を支援することを決定した。全金は8月27日からの定期大会で採択した決議は「総評提起の5000万署名・100円カンパを柱とする分割・民営化反対の闘いを支持し、国労の闘いを支援する」と記されていた。ホテル労連は8月31日の大会において「国鉄再建闘争を支援する特別決議」を採択した。9月8日から開催していた運輸一般も国鉄分割・民営化に反対し、ともに闘うことを決議した。全運輸省労組も9月12日の定期大会で「国鉄解体の分割・民営化に反対し、国民の足を守り国鉄労働者とともに闘う決議」を採択した。同じ日に開催された全気象労組も国鉄労働者と共に闘う決意を表明した。そのほか多くの労組が闘争支援を決定した。
 国鉄分割・民営化に反対する地方自治体の決議や意見書採択は、国労の集約結果によると、85年7月24日現在で12県、130市、319町、54村の合計515となっていた。ただし、この決議には「地方交通線廃止反対」だけで、「国鉄分割・民営化反対」がないものも含まれている。
 世界労連は9月30日から10月4日まで開いた総評議会で、日本の国鉄分割・民営化反対闘争への連帯メッセージを採択した。
また、ITF(国際運輸労連)は10月15、16日の執行委員会で、鉄労の加盟を満場一致で否認した。

国鉄労働組合史詳細解説 139

久々に、更新させていただきます。

今回は、国労が臨調による分割民営化最終答申に反対して、分割民営化反対の運動を行って頃の話を中心に書かせていただきます。

世論はNTTの民営化の成功で官業の民営化は正しいという判断

今回は、国鉄分割民営化が既定事項として進められていた、昭和60年の8月の話となります。

国労は全動労などとともに最後の抵抗として、ストライキを試みることになります。
しかし、全面ストライキを打てる状況ではなく、地上勤務者(駅員など)を中心としての時限ストであり、その影響は軽微なものでした。

ただ、当時の世論は現在と真逆で、世論は分割民営化を容認する言う雰囲気があったのも事実でした。

少なくとも、当時の世論はストばかりする国鉄(そのようなイメージができあがっていたのも事実)であり、それに対して、先行して民営かされたNTTは民営化したことで、電話機の自由化(それまでは、電話機は電電公社からのレンタル品)であり、自由なデザインの電話機を設置できるようになるなど、概ね公益事業の民営化は利用者にもメリットを与えうると言う世論が醸成されていたように見えます。

それまでの電話は電電公社からのレンタル品であり、自由に電話を買うことはできず

それまでの電話は電電公社からのレンタル品であり、自由に電話を買うことはできず

そのような中、新生NTTは電話機の自由化や長距離を中心に値下げなどによる方策で公共事業の民営化は、善であるという印象をあたえることになりました。

NTTには、通信基幹会社として株式の国による保有が義務づけられJRはそうした縛りがない点が問題

電電公社からNTTに変更の場合、国家による位置づけが異なっていたことが原因と言える

国労は、「分割・民営化反対阻止の闘い」に邁進するが

分割・民営化反対阻止の闘い  大会直後の8月4日、監理委員会の分割・民営化答申に抗議し、全国一社制による国鉄の再生をめざす集会が全国360カ所で開かれ、約70万人が参加した。中央集会は、明治公園で1万2000人の労働者と都民が結集し開かれた。  

8月5日、国労は監理委員会の最終答申に抗議し、国鉄の分割・民営化阻止を目標とした全国統一ストライキを決行した。この日始業時から、地上勤務者を対象に、全国1585分会・職場、6万7702人が1時間のストを決行した。

国労が時限スト 8/5

分割・民営化に反対する国労は再建監理委員会の最終答申に抗議して始業時から全国1、500カ所で1時間の時限スト。乗務員関係を除いたためダイヤに影響はなかった。国労のストは昨年8月以来1年ぶり

引用・国鉄があった時代 昭和60年後半から引用

NTTとJRで一番大きな違いは、将来的に国がどうするかと言う点

ただし、ここで注目しなくてはいけないのは、電電公社は当時は完全に国内にあっては独占状態、(郵政省の場合、信書は郵便独占ですが、小包の分野は当時は郵便局が6kgまでと制限されていましたが実際にはヤマト運輸による4kg程度の荷物に関してもかなり迫っており、郵政省も引き受け重量の引き上げ・・・最終的に30kgまでということで、競争状態になります。しかし、通信に関しては電電公社が民営化されるまでは、独自の電話網を構築していたJRや警察電話(ただし専用の回線をNTTと契約しているため、独自の回線網を持っていたのは電電公社を除けば国鉄のみ)のみであり、実質的な競争者はいなかったのに対して、国鉄は高速道路や、飛行機という他の交通機関との競争にされされていたことは注目しなくてはなりません。

本来であれば、そうした点も注視されるべきところではありますが、世間からすればストライキばかりしている、窓口の対応は最悪・・・当時の新聞の投書欄等では、釣り銭を投げつけられたとか、横柄な駅員がいたと言った苦情めいた話が多くあったのも事実で、実際にはそうした職員は一部であったとしても悪目立ちしてしまうのは仕方のないことでした。

実際、昭和57年には、寝台特急紀伊」が名古屋駅で、20Km/hの速度で客車に衝突、最後尾の寝台車と機関車を破壊した事故や、昭和59年にも西明石駅で速度を超過して分岐線を通過、寝台車が脱線してホームに激突、通路側を破壊しながら停車した事件(機関車は脱線しなかったが、ホームに機関車が衝撃したショックで連結器が破損して緊急停止)など、国鉄を取り巻く世間の目は厳しいものとなっていたもの事実であり、国労が分割民営化反対を声だかに叫び、また、国鉄電電公社では最初の段階から条件が大きく異なる中で、一律に「官業の民営化=善」であるという発想は問題であったわけですが、その辺がスルーされていたわけです。

名古屋駅特急紀伊衝突事故 詳細

名古屋駅構内で機関車激突名古屋駅プルトレに被害 3/15
名古屋駅構内で機関車激突名古屋駅でプルトレに被害 3/15
画像は、事故と直接関係ございません。黒木氏画像提供

2時16分頃、機関車付け替えのため名古屋駅10番ホームでに停車中の東京発紀伊勝浦寝台特急紀伊」(14系客車6両編成)に、連結しようとしていたDD51ディーゼル機関車DD51 717)が約20km/hで衝突し、客車3両が脱線した。乗客と機関士(52)の計14人が重軽傷
機関士が前日の夜、仮眠時間に飲酒して寝すごし、運転中も、もうろう状態だったらしい(16日夕。中村署に業務上過失致傷などの疑いで逮捕された

http://jnrera.starfree.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_57.html

特急「富士」西明石駅構内で客車がホームに激突32名けが 10/19

以下詳細
1:48頃、山陽本線西明石駅構内を運転中の上り寝台特急「富士」の先頭車両がホームに激突大破した
当時の新聞記事等から再現すると、西明石駅では当日保線作業が行われており、列車線(外側線)から電車線(内側線)への進路変更が行われており、この点は点呼時伝達されていたが、飲酒をしていた機関士はそのまま乗務、同乗していた機関助士も同乗していたがこれを止めることはできなかった模様
(ここで注意していただきたいのは、機関士が飲酒していたという事実と、これを止め得なかったと言うこと。なお当時は夜間については二人乗務とされていた。)
進路が変更されていることから、構内通過速度は制限されていたにもかかわらず、直進速度(約100キロ)で分岐器に進入したため、重い機関車は脱線を免れたが、次位の客車は軽い寝台客車であったため連結器が外れそのままホーム端に激突
1両目は車体の片側をえぐりとる状態、2両目以降も脱線、計13両が脱線、幸い転覆は免れた
また、ホームに激突した側が通路側であったので負傷者のみであったがこれが逆(寝台側)であったら死傷者が多数に上ったのではないかと思われる。)なお、寝台車は製造まもないオハネフ25-104であった
この事故で東加古川~須磨間が不通となり、12:43分に下り線が開通、16:34分から西明石から大久保間の下り線が開通、翌20日13:33分から上り線が開通所定の運転に戻った

http://jnrera.starfree.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_59_5.html

国労も、こうした点を指摘すれば良かったのかもしれませんが。

国労としても感情論に走りすぎて、

以下の運動方針にもありますが、

  1. 今年度の運動の最重点は「分割・民営化」阻止であり、中央執行委員会が一丸となってこの闘いに取り組む。

  2. 闘いにあたっては中央・地方の意思統一が重要であり、そのため機関中心の組織運営とし、重要な政策や戦略の策定にあたっては、全国委員長・書記長会議にはかり協議する。戦術については従来どおり全国戦術委員長会議で協議する。

と言うことで、柔軟な発想ができず最後はイデオローギに拘ってしまったように思えてなりません。

ただ、それ以上に「官業の民営化=善」という風潮、いわゆる新自由主義に乗せられてしまった国民もそこにいたことを時代の潮目が変わりつつあるなか、十分見極める必要があるのではないでしょうか。

 

今後この辺は、労働運動史と言うよりも社会学的な視点から検討すべきことかもしれませんので、ひとまず筆を置かせていただきます。

 

参考:上記のイラストの文字を以下に記しておきます。

上段

電電公社は、公社時代から独占事業と言うこともあり収益は常に黒字であり、アメリカからの市場開放勢力などの外圧的要因があった。国鉄の場合と最初からそのスタートが異なる点には注意すべきである。

       ⇒ 

下段

NTTとJRの一番大きな違いは、電電公社は民営化することで競争を促すために参入を果たすとしていますが、基幹的通信機関として完全民営化とせず、国が一定以上の株式を保有する特殊会社とすることが法令で明記されているのに対し、JRの場合は赤字国鉄という状態をどうするかという観点からスタートしており、分割も会社間の競争を促すためというもっともらしい理由がつけられていますが、既に国鉄の時点で中長距離は高速道路などとの競合状態にあり、ローカル線などでは高速道路に蚕食されおり、超長距離にあっては飛行機という存在にそのシェアを奪われている点に注視すべきです。さらに、国鉄の場合国による株式の保有義務を持たせなかったことが更に現在の問題を大きくしています。

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分割・民営化反対阻止の闘い  大会直後の8月4日、監理委員会の分割・民営化答申に抗議し、全国一社制による国鉄の再生をめざす集会が全国360カ所で開かれ、約70万人が参加した。中央集会は、明治公園で1万2000人の労働者と都民が結集し開かれた。  

8月5日、国労は監理委員会の最終答申に抗議し、国鉄の分割・民営化阻止を目標とした全国統一ストライキを決行した。この日始業時から、地上勤務者を対象に、全国1585分会・職場、6万7702人が1時間のストを決行した。

 全動労も全国九地方労組10拠点支部で29分ストを行った。国労東京駅分会では、相次ぐ合理化と狙い打ち的な活動家の大量配転のあとに迎えた8・5ストであった。スト参加対象者は198人。当局は1人1人に手紙を出したり、管理者を総動員し、さまざまな形で切り崩し工作をつづけた。そのうえ「99%がスト脱落」とのデマ情報を流した。当日は、鉄道公安員30人、白腕部隊30人を動員し、組合側が1人の組合員を説得しているところに押しかけ、強引にその組合員を連れ出していった。スト参加者は近くの国労会館に結集しており、ギリギリの攻防の末、スト参加率は52%であった。 このように、全国各地の職場で当局の脅迫じみた切り崩しが進められたなかでのストライキの成功に、国労本部は反撃への橋頭堡を築いたものと総括した。

 国労本部は8月12日、第1回中央執行委員会を開催し、中執の任務配置をきめ、大会決定にもとづいて前年度に引き続き中央闘争委員会を設置し、指令一号を発した。  指令一号  

① 今年度の運動の最重点は「分割・民営化」阻止であり、中央執行委員会が一丸となってこの闘いに取り組む。

② 闘いにあたっては中央・地方の意思統一が重要であり、そのため機関中心の組織運営とし、重要な政策や戦略の策定にあたっては、全国委員長・書記長会議にはかり協議する。戦術については従来どおり全国戦術委員長会議で協議する。

 総評は8月28日、単産・県評代表者会議を開き、秋期闘争方針を確認するとともに、国鉄分割・民営化反対闘争を政府に対決するものと位置づけ、国民多数派の形成にむけた5000万人署名活動を柱とする「国鉄再建闘争活動計画」を決めた。この活動計画の要旨は次のとおりである。(署名活動の詳細は後述)

 ① 内閣総理大臣と衆参両院議長に対する請願署名とする。

 ② 署名を求める柱は「分割・民営化」答申に反対を基本としながら、「国鉄のネットワークを21世紀へ存続させる請願書」の趣旨に立ち、地方では地域の特殊性を踏まえて柔軟に対処することとし、国民的多数派形成の運動にふさわしい内容として幅を持たせる。

 ③ 目的=中曽根政権による国民無視の国鉄分割・民営化に反対し、国民の足と生活を守り、国鉄および関連に働く仲間の雇用を守るために国民的多数派形成をめざし、壮大な国民運動を展開する。

 ④ 目標と対象者=獲得目標数有権者過半数とし、対象は有権者はもちろん利用者すべてとする。(以下、略)。

 国労は、総評の取り組む5000万署名運動の成功のため、当面の闘いについて以下の闘争指令一号を発し、全組合員の総決起を訴えた。

 ① 監理委員会の答申について各級機関および全組合員が学習し、その内在している矛盾、弱点を把握すること。

 ② 答申の矛盾と弱点を徹底的に暴露し、分割・民営が国鉄改革・再建でないことを明らかにして、国民的「力」に点火するオルグと宣伝を強める。

 ③ 8・5ストの総括運動と結合して、当局の不法不当な労務管理を点検・摘発する組織的行動を強め、分断・差別を許さない団結を強化する。(中略)

 ④ ワッペン着用に対する不当処分の通告が準備されている模様である。この処分通告は露骨な団結破壊の攻撃であり、労働者の権利と団結を守る立場から抵抗し反撃しなければならない。(以下、略)。

 国鉄の分割・民営化阻止の闘いを本格的に開始した矢先、国鉄当局は9月13~19日にかけて労組指令によるワッペン着用、ネームプレート着用拒否の闘いに参加した労働者5万8482人に対し、戒告、訓告、厳重注意などの処分を行った。続いて10月5日には、監理委員会最終答申に抗議する8・5ストその他の闘争参加者6万4387人という大量処分を通告した。そのうち国労は6万4126人、全動労205人、動労27人、千葉動労29人であった。国鉄当局はこうした攻撃に加え、「国労は『三項目』の推進に協力的でない」との「心証」から、「雇用安定協約」の継続について難色を示した。その一方で、動労、鉄労、全施労の三組合には「87年3月31日までの間、現行の雇用安定協約を継続する」との態度を決め、協約を締結した。国労は、前述したように85年11月19、20日の中央委員会で「三ない運動」の中止を決定したが、当局は協約の締結を拒否した。このように当局側の攻撃が一段と激しさを増していった。

 

国鉄労働組合史詳細解説 138

本日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。

国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。

最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。

国鉄部内紙 国有鉄道 当時は国鉄分割民営化に関する特集記事などが組まれていた。

国鉄部内紙 国有鉄道

国有鉄道 目次


 このように、国鉄当局はそれまで以上に国鉄改革=分割民営化であるという方向が示され、その方向にひたすら突き進む事となりました。

臨調答申に反対を示す国労動労など各組合

国労では、昭和60年7月、以下の内容を骨子とする、再建監理委員会による国鉄改革に関する意見書を提出することになりますが、これに対して国労は、動労などと呼応して抗議声明を出すことになりました。
 この時点では、後に鉄労とともに労使協調宣言を出す動労も全施労も同様の抗議行動に出ていることにも注目していただきたいと思います。
鉄労は、おそらく動きたくとも鉄労の地域分社制は分割民営化を認めたものだという発言をしてしまったこともあり、表だっての行動がとれなかったように思われます。

再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26

  1. 旅客6分割
  2. 貨物分離で1社
  3. 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
  4. 余剰人員対策

 

国労動労・全動労・全施労の国鉄4労組は、国鉄再建監理委の最終答申に対し連名の抗議声明 7/26
動労の第一二回大会開催 7/26

統一労組懇や民主団体などによびかけ、1,000万署名に取組むことを決定

 

当局としても、大手振っては反対と言えないのですが、この当時はすでに総裁が杉浦氏であり、国鉄当局としては分割民営化を前提としたなっていますので、国鉄当局としては表だった動きを見ることはできません。
さらに、国労名古屋市で第48回定期全国大会を開催し、分割民営化絶対反対の方針を決定するなどしています。
国労第48回定期全国大会(名古屋)。7/29~8/2
分割・民営化反対のため5000万署名運動の強化、重要段階でのストライキなどの方針採決国労委員長に山崎俊一氏 7/29~8/2 国労(20万人)は名古屋で開かれた定期大会最終日に役員改選を行ない、新委員長に山崎俊一書記長(53歳)、新書記長に荒井敏雄調査資料室長(52歳)ら新執行部を選出
山崎委員長は「分割民営化阻止」を宣言

当時の国鉄労働組合関連図を示すと以下のような形

国労は7月29日からの定期大会で、山崎委員長を中心とする新執行部体制で、国鉄分割民営化反対を強く打ち出していくことを決定。
国鉄当局は、政府が8月7日に答申を受けて設置した、「国鉄余剰人員雇用対策本部」(本部長 中曽根康弘首相)に呼応して、「雇用対策室」「職業訓練室」を職員局内に設置(職員局長は、住田信義(後の島根県知事))、国鉄職員の再就職促進に動き出しました。
国労の方針は引き続き、「分割・民営化答申反対」として運動を続けていくこととなるのですが、当時の世論は、国鉄改革(国鉄赤字の解消)であり、各組合の思惑の中で分割民営化への反対論は最右翼にいました。
当時の組合関係をマトリックスの分けると以下のようなイメージでしょうか?

分割民営化に関する代表組合のマトリックス、千葉動労などは省略している

分割民営化に関する代表組合のマトリックス

動力車労働組合を容認派としたのは、基本的には分割民営化反対ではあるが、雇用の確保がなされるならばという条件付きであれば・・・という現実路線を選択したということで、容認派としています。鉄労は国労への対抗的意味合いから、対局になる分割民営化推進派の位置づけとしています。あくまでも個人的な見解であることは最初にお断りしておきます。

ここで公企労レポート。
No.2082 昭和60年8月25日号 「現実論議に欠けた大組織国労大会」
を参考に、当時の様子を見ていきたいと思いますが、このときの大会では、代議員も本音を語りたがらない雰囲気であったと記録されています。
国労の代議員の中にも、民営化はやむなしだが、分割は反対だ、しかし、国労本部は分割・民営化は絶対反対とするとする運動方針を掲げたことは、国労組合員にも不満と不安を与えたとされています。
当時の国労部内でも民営化容認、分割反対というのが組合員の中でも声があるにも関わらずそうした発言はなされることなく、派閥による代議員による腹の探り合いのようになっていたようです。
その辺を公企労レポートから引用してみたいと思います。

国鉄内の最大組織として特異な政治感覚を駆使し、闘いを通じて固めてきたこれまでの路線を、世に中の潮流に合わせて速度を調整し、全方位を確認して大胆に切り換えることに、古い体質的な抵抗があって「民営化やむなし、分割反対」という率直な意見が言い出せない。「雰囲気」があったのだろう。

ここで指摘されていますように、国労内にもそして世間的にも、分割民営化をセットで考えずに、民営化容認、分割反対を国労が早い時期に出していたならば、政府もそして世論も変化していた可能性は捨てきれないように思えます。

しかし、そこには代議員の中に、発言することで泥をかぶりたくないという意識があったことも見逃せないと指摘しています。

再びその辺を公企労レポートから引用してみたいと思います。

対局に直面し決断しえなかった最大の理由に。自分だけは「泥をかぶりたくない」という意識が各幹部の胸中深く根ざしていて「自分自身に暗示をかけていた」との見方もある。

と記述していますが、これは国労に限らず、組織の中にあるとなかなか正論を言えないのは一般の会社も同じであり、国労だけに問題がある訳ではないと言えます。

当時の国鉄では、国鉄当局の一般職員も内心では、民営化は止むなし、しかし分割には反対だという意見もあったように見えますし、国労の大半の組合員も分割は反対だが民営化は容認するという空気感があったことは間違いないと言えそうです。

しかし、実際問題としてはそれを声に出していうことは、国労の組織にあって言えるわけもなく、国労は自らが掲げた分割・民営化絶対反対の方針を変更できないまま、自壊を迎えることになるのは気の毒な事だと思えてなりません。

その辺は詳細に、公企労レポートで詳細に語られていますが、結果的には国労内では、分割・民営化はセットで反対されており、「分割・民営化反対」はより強固なものとなり、国鉄当局とのそれまでの癒着路線と言われた、歪んだ労使協調路線から完全に袂を分かち労したい結露線となってしまったことも事実です。

昭和61年10月9日に修善寺で開催された臨時大会で国労は分割・民営化反対の意見により、国労はさらに窮地に追い込まれることとなり、山崎委員長は退任を余儀なくされるわけですが、その結果は九州・北海道で多くの余剰人員を発生させることとなり、イデオロギー*1により多くの国鉄職員を路頭に迷わせる結果となったのは記憶にとどめておきたいと思います。

 

参考資料:

以下は、弊サイトから引用した「国鉄再建監理委員会答申」の前文になります。

 

*******鉄道の未来を築くために*******

昭和60年7月26日

日本国有鉄道再建監理委員会
再建監理委員会委員

委員長 亀井 正夫  住友電機工業㈱代表取締役会長
委員 加藤 寛 應義塾大学経済学部教授
委員 隅谷 三喜男 東京女子大学学長
委員 住田 正二 (財)運輸経済研究センター理事長
委員 吉瀬 維哉 日本開発銀行総裁


はじめに
  •     当委員会は、日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法に基づき、国鉄事業に関し効率的な経営 形態の確立のための方策を検討することを任務として、昭和58年6月10日に発足し、以来2年余りの間にわたり、130回を 超える審議を重ねた。
      この間、国鉄及ぴ政府の関係機関ほもとより、交通問題に関する専門家、私鉄経営者、地方公共団体国鉄の各労働組合等から可能な限り広く意見を聴くとともに、数次にわたる現地調査を実施し、効率的な経営形態の確立のための方策についてあらゆる角度から検討を行った。

 続きは、下記にリンクを張っておりますので、合わせてご覧ください。 

jnrera.starfree.jp

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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┌─────────────────┐
├○ 四 国労の分割・民営化反対闘争│
└─────────────────┘
 
  分割・民営化反対闘争の方針決定
 国労は、最終答申のでた直後の7月29日から5日間、名古屋市で第48回定期全国大会を開き、監理委員会の分割・民営化答申に対決する方針を決定した。大会初日に次のような方針案の提案が行われた。
  「監理委員会の答申を受けた中曽根首相は、『行革』の天王山としての国鉄問題、すなわち『分割・民営化』を政治生命をかけてやりとげる決意を明らかにしました。国鉄問題は今日以降完全に政治日程に乗ったのであり、われわれはこの理解に立って『分割・民営化』反対、ローカル線存続、雇用確保の闘いをさらに一層幅広く強化しなければならない」と述べ、「国鉄の解体を許すな、国鉄労働者の雇用を守ろう、国労運動を守ろうという闘いは、中央・地方・各級機関と組合員の努力で徐々にもりあがっており」「国鉄問題が文字どおり国民世論をして勝利への展望をつかむかどうかは、一にかかって国労が内部を固め、意思統一をはかり、一人でも多くの理解者・協力者を獲得するため、謙虚な態度とみずからの主張をわかりやすくのべ、国民各層の声に積極的に耳を傾ける態度こそが闘いを成功させる基礎だ」と強調した。
 また「中央・地方ともに各組合の職場から国労オルグを待っている単産が増えており、積極的に国鉄問題を訴えていかなければならない。保革を問わず各議員、自治体、消費者団体、民主団体、学生、商店、経済団体、会社などすべてに、あそこはだめだろうと勝手に決めず、当たってくだけろの闘争心で全員が行動することを確認しあいたい」「そのためにも1000カ所討論集会の一層の成功と5000万人署名運動が位置付けられている」と提起し、「われわれの闘いは、地方行革、教育臨調、戦争に反対し、平和と民主主義を守る闘いと一体をなすものだ。これらの闘いと運動を具体的に発展させるため、全代議員の取り組みや経験や克服すべき問題点を出し合って、確信を持ち合えるまで討論をお願いする」
と呼びかけた。
 大会での討論は、分割・民営化反対の闘いを中心に進められた。
そして、分割・民営化阻止の闘いはいかに国民的多数派を結集するかにかかるとし、総評が決定した有権者過半数を目指す5000万人署名に全力をあげることを確認し、雇用を守るために労働組合の存在価値をかけ、重要段階ではストライキで闘い抜く決意を全会一致で固めた。この大会で新執行部が選出され、山崎俊一委員長が新任された。

続く

*1:思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系」を意味。参照:筆者:

国鉄労働組合史詳細解説 137

社会党国鉄民営化案と国労

日本社会党(現在の社民党)は、総評の意向を受けて国鉄の民営化はやむなしとして、国鉄の民営化案をまとめます。(最終的な案は昭和61年1月28日に正式発表されたわけですが、そこで提案された、国鉄改革案は、以下の通りでした。

日本社会党、現社民党が総評の意向を受けて再建監理委員会の対案

社会党国鉄改革案

国鉄分割民営化は既定事項としてやむを得ないとするも、あくまでも政府が株式の70%以上を保有することで実質的な国営事業であることを明記するとともに、民間会社ですので、スト権の関する問題は解決される。
雇用の確保については、民営化手法の導入だけですので、問題なくスト権は付与されることとなります。
国鉄問題社会党案(日本鉄道株式会社法案)に関する覚書」では、上述のように国が実質的に運営する株式会社とすべしとしており、「株式会社にする理由がどこにあるのか」という点では、下記のように。

  • 再建監理委の答申は、これからの鉄道輸送は、①新幹線などによる都市と都市との間、②大都市圏、③地方主要都市、という三つの分野の旅客輸送で収益性のある事業としてその責任を果たし続けるべきだとし、ローカル線切りす照る方向であること
  •  「公共の福祉」と言う視点からも、国民の交通権、安全・平等な足の確保といった理念が重要である

 

この答申案は、総評の意向を受けて社会党が作成したものですが、現在のJRが抱える根源的な問題を指摘しているという点では注目しても良いのではないでしょうか。

国労自身は社会党案は受け入れられないとして批判

国労では最終的には分割・民営化双方に反対する方針を取っていたことや、動労との足並みの乱れなどもあり(動労はこの頃には総評とも距離を置くこととなり、国労との関係はさらに冷え切ったものとなっていた)のですが、国労の資料で明らかにしてるように、朝日新聞の社説で指摘された、以下の点は容は改めて検証されるべきではないでしょうか。

  • 「多くの人は、従業員約三二万人の電電公社が分割されていないのに、なぜ国鉄は分割されるのか
  • 分割は国鉄労使に対するショック療法のねらいがあったのではないか
  •  北海道、九州、四国の三会社は、債務の引き受けを免除し、合理化と運用基金で黒字経営が可能とされているが、経営基盤はきわめて弱い。運賃値上げ、不採算線の整理に拍車がかかる懸念は消えない
  • 本州が三分割なのかの疑問は大きい
  • 新幹線のリース会社まで作って、本州を輪切りにすることで、利用者にとってまた経営面でどんな利点があるのか
  • 分割は会社間の手間や経費を増やす。利用者には乗り継ぎの不便や、割高な運賃が押しつけられることはないか
  • 本州分割にこだわったことが、相当な無理をともなっていることは否めない

と指摘しています。

新幹線のリース案件に関しては、JR自身も新幹線の買い取りという形で決着?するわけですが、これが結果的にJRの再編成を難しくしてしまったように感じます。(JR各社の資産として新幹線が確定したことで、資産価値も確定し上場がしやすくなった、むしろ新幹線が常にリースの場合は、内部留保JR東海は相対的に小さくならざるを得ず結果として再々編(本州会社の統合等)も行いやすかったのではないかと思われます(あくまでも私見ではありますが。
また、この譲渡による1兆円の上積みが整備新幹線の財源となったわけですが、ここに来て整備新幹線のスキームの矛盾が出てきていることもあり、本当に新幹線が必要だったのかという問題なども出てくると考えられます。

動労は、国労との共同歩調から独自の運動にシフトすることに

最後に、当時の動労の動きについても記しておきたいと思います。

かつて、マル生運動反対やスト権ストでは共同歩調を取ってきた動労ですが、昭和57年の大幅な貨物ダイヤの減便など以降は、動労による「働こう運動」により、当局にすりよる事となりました。

具体的にどのような運動であったのかは、日刊動労千葉(千葉動労)の1360号 ’83.6.9号に下記のような記述がありましたので、抜粋してみたいと思います。

なぜならば、動労「本部」革マルの推進する「働こう運動」は、運用効率の向上を狙う「動乗勤」改悪を先取りする運動であるからです。
動労「本部」革マルは、「働こう運動」方針のもと「動乗勤」 改悪に積極的に応じるとともに、これと対決して闘おうとする部分には「入浴闘争」と同様に「冬の時代だ」「今は闘うべきではない」「闘うから権利を奪われる」「闘うやっは挑発者だ」なるキャンペーンをはり、暴力と恫喝をもって襲いかかってくることは必至です。
すべての国鉄労働者は政府・国鉄当局の尖兵となり労働者を翼賛運動にひきずりこ
りこもうとする 動労「本部」革マル反動分子の裏切りを許さず、追放・ 一掃を実現し、動労大改革をかちとろうではあり せんか。

日刊動労千葉 83.6.9 No. 1360号 敵の尖兵=「働こう運動」の動労「本部」革マルを一掃しよう

日刊動労千葉 83.6.9 No. 1360号

革マルが提唱する、「働こう運動」は「乗りこえ運動」

ここで動労の働こう運動という言葉が出てきましたが、動労自身が雇用の確保という観点から提唱したもので、前述の通り貨物輸送の減便とそれに伴う機関車乗務員の余剰発生が大きな危機感となったのでした。
機関助士反対闘争でも解体寸前まで追いやられた経緯がある動労とすれば、乗務員(組合員)の確保は最重要課題であることから、昭和57年以降も国労との共同戦線で分割民営化反対は唱えるものの、職員の出向などにも積極的に応じるなど,それまでの鬼の動労から、労使協調宣言を表に出すような形となりました、これがいわゆる「働こう運動」の具体的な内容でした。
そして、この考え方の根底にあるのは、伝統的な革マル派の理論、権力等に取り入りその中から革命を実行するということで、中核派とはその根底において大きく異なるものと言えました。

そしてこのように、時には権力者にも取り入ることが、「乗りこえの論理」の一つであったわけです。

「既存の価値観に囚われない新しい労働運動や大衆運動を展開する(運動上ののりこえ)ことを指している。」

革マル派の行動を決定付ける論理で、

  • 他党派の戦術やイデオロギーを批判する(理論上ののりこえ)ことで、
  • 党派闘争に勝ち抜き、他党派を革命的に解体する(組織上ののりこえ)ことで、
  • 既存の価値観に囚われない新しい労働運動や大衆運動を展開する(運動上ののりこえ)ことを指している。

この論理は他の新左翼党派と共闘できない大きな要因となっており、他党派との激烈な内ゲバを過去に起こしている。

 

参照:wikipedia

 

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ところが、社会党は8月21日に国鉄再建対策委員会( 委員長・小柳勇参議院議員) において監理委員会の最終意見に対抗する、同党としての「国鉄再建の具体案」をまとめた。それによると、①全国ネットワーク網を維持し、分権化をすすめる。②経営形態は政府出資の企業体とするが、経営は民営的手法を大幅に導入し、民間資金も導入する、③整備新幹線の着工について、当面見合わせる、などであり、「民営化」に柔軟な姿勢を打ち出し、分割阻止を最重点課題としている点に特徴があった。この再建案は、9月11日の社会党第六四回中央委員会で正式決定された。民営化反対を棚上げする方針を決定した背景には、公明党が分割に慎重な姿勢をみせたことをとらえ、同党との共闘をさぐる狙いがあると、受け止められていた。
 マスコミの見解
 監理委員会の最終答申は、どの新聞も一面で大きく取り上げた。
1982年初頭からマスコ、ミは、国鉄および国鉄労働者に対する批判キャンペーンを展開し、臨調〞行革の正当性に裏付けを与える役割を果たしたが、この報道姿勢から三年余り経た段階で、この最終答申に対しどのような評価をしたであろうか。
 『朝日新聞』は社説で、まず、「分割、民営化ではたして国鉄は再生するのか」と問題をたて、経営形態について「現行の公社制度は多くのひずみを抱え、行き詰まっている。政治の行き過ぎた介入を防ぎ、予算や行政上の監督、規制を緩めて、国鉄経営に企業としての権限、責任、活力を年み出させないと、輸送市場の厳しい競争にに生き残れまい。民営化の方向でおおかたの合意をまとめることは可能なはずである」と民営化には賛意を表していた。
問題にしたのは分割であった。
 「多くの人は、従業員約三二万人の電電公社が分割されていないのに、なぜ国鉄は分割されるのかと思うだろう。鉄道のもつ地域密着性や労働集約性だけで、これを説得しきれるだろうか。むしろ、国鉄労使に対するショック療法のねらいがあったのではないか。/ 北海道、九州、四国の三会社は、債務の引き受けを免除し、合理化と運用基金で黒字経営が可能とされている。だが、経営基盤はきわめて弱い。運賃値上げ、不採算線の整理に拍車がかかる懸念は消えない。とりわけ、なぜ本州が三分割なのかの疑問は大きい。新幹線のリース会社まで作って、本州を輪切りにすることで、利用者にとってまた経営面でどんな利点があるのか。分割は会社間の手間や経費を増やす。利用者には乗り継ぎの不便や、割高な運賃が押しつけられることはないか。本州分割にこだわったことが、相当な無理をともなっていることは否めないのである」と国鉄分割への疑問をのべていた。
 さらに国鉄経営の破綻の原因について、「それは何より政府の責任であることを強調したい。国鉄経営悪化の大きな原因が、過去の政策にあり、その解決に国民の負担を求める以上、国鉄労使を批判してすませる段階はすぎたと知るべきだ」と明言し、監理委員会の最終答申が不問にした点に言及した。
 日本経済新聞の社説では、「国鉄民営化の必要性について、すでに、国民大方の意見は一致している」とみなし、さらに「分割化は、国鉄として、避けがたい選択と言わなければならない」とのべていた。監理委員会答申の分割民営化の理念は妥当としているが、「問題は、分割民営化の実現可能性と論理の整合性にある」とし、いくつかの疑問点をあげた。
 たとえば、三島会社に運営基金を与えたとしても「赤字にならないで済むかどうかはわからない」という指摘があった。あるいは「臨調の提言では『国鉄に特有の公共性を求める必然性は乏しい』と言っていたものが、それなら、なぜ、一時的なものとはいえ基金を設けて実質的な助成をする特殊会社を設けるのか」との疑問を出した。さらに、「監理委はかねて、職員の管理限界は5万人としていたが、東日本鉄道会社の規模は8万9000人あるいはそれ以上にのぼると想定されている。これでは、管理の限界を超えることにはならないのか」と述べた。
 「北海道新聞」は社説の冒頭において、答申を読むと「なぜ、分割が再建の絶対条件なのか、という疑問のほうが先に立ってしまうのである」と監理委の意見に対し、全国紙よりも批判的な論調であった。監理委員会の意見書では、三島会社が黒字になると説明していたことに対し、「そこで強調したいのは、各社が黒字になる要因は〃必ずしも分割・民営化とは関係がない〃ということである。ひるがえっていえば、意見書のような長期対策、人件費対策が打てるなら、分割・民営化しなくても国鉄は黒字になることが示されているようなものだ」と批判した。
 経営形態については、「経営形態のあり方は慎重に検討されるべきだ。職員が意欲を燃やして働ける形態が望ましい。民営化は検討に値するが、税金など経費が急増したり、政治干渉は相変わらず、というようなことにならない工夫が必要だ」と述べ、民営化に全面的には賛成していない。
 新聞社の社説で共通しているは、監理委員会が審議過程を公開

国鉄労働組合史詳細解説 136

こんにちは、引き続き国鉄労働組合史をご覧ください。
 
今回も、国労の資料を参照しながら、独自の解釈を加えていくのですが。
再建監理委員会としては、なんとしても分割民営化は不可避であったとして、世論を作っていきたいと思うわけですが、仁杉総裁が更迭され、推進派の杉浦喬也総裁が就任するに及び、国鉄の分割民営化は待ったなしの状況に追い込まれました。
まして、一足先に二公社(電電公社と専売公社)が民営化され、長期債務の問題等で一番困難と言われた国鉄が残るという構図になっていました。(郵政は現業のため今回の再編では対象外)
そんな中で、国労動労・全施労は国鉄分割民営化では反対という点で一致しており、鉄労だけは地域本社制=分割民営化であるとして、分割民営化を進めていくのだという方向になっていました。
実際に、当時の国鉄職場の見学会等では、国労が強硬に分割民営化反対を唱える中、鉄労が分割民営化推進と書かれたスローガンを見て、個人的には非常に複雑な思いに駆られたものでした。
民営化はやむを得ないとしても、分割は拙いだろう。
26歳の若造はそんなことをぼんやり考えていたのでした。
 
再建監理員会は、答申で、分割民営化は不可避として、本州三社、及び3島会社を分割するとして明記しているわけですが、当時から三島会社の経営が厳しくなるであろう事は当然監理員会でも把握していたわけですが、国鉄長期債務を解決する手段であるとして、強行しようとしました。
国有鉄道10月号「国鉄再建監理委員会の「国鉄改革に関する意見」について」を参照しますと、以下のように書かれています。
北 海道 、四国 、九州の各鉄道会社の経営については 、私鉄並みの徹底 した合理化を行うとともに、長期債務の免除、基金の設定により、採算がとれる形で発足することとされている。具体的には、今後の実績も踏まえつつ内容を詰めていくこととなるが、いずれにしても、3 島の各鉄道会社はあらゆる部門において、私鉄並みの業務運営をめざし、従来にも増 して徹底した省力化、経費節減を行うことが不可欠である。 
とあるように、国鉄時代以上に徹底した合理化を進めていかないとその維持は難しかろうと明記していますし、実際には下図のように、国鉄自身が分析した昭和59年度の線区別運営成績自身を再建監理委員会が知らなかったわけはないわけです。
それ故に、三島会社には運用基金を設けることで経営を成り立たせるという非常に危なっかしい方法を立ち上げたと言えましょう。
下記の図では、本州と三島会社の地域別経営成績が掲載されていますが、北海道と九州で国鉄線全体の30%のシェアがありますが、輸送量は全体の7%しかなく、赤字額も九州・北海道の赤字額と本州の赤字額がほぼ同額と言うことになります。

国鉄分割民営化資料 地域別経営成績 北海道の規模が大きく、収入が極端に少ないという状況

地域別経営成績

本州は早期に純民間会社に、九州・北海道・四国の上場は当初から想定外

再建監理員会も、当初から本州以外の会社はその収益力が上記の収益構造からも明らかなように、不可であることは十分理解していたと思われます。
それが、三島会社に持参させた経営安定基金であったわけですが、バブル崩壊以降はそうしたスキームは一気に崩れることとなり、北海道は自然環境が本州各社と比べても厳しいわけで、その辺を含めて考慮する必要があるのですが、そうしたことを振り返る事もありませんでした。

また、当時は世論も国鉄分割民営化を容認する動きが一般的でした。

総評でも一部の組合は、国鉄の分割民営化は不可避であるとして考えていたようで、国労が総評大会で、「国鉄分割民営化反対五千万人署名運動」を展開すると決めたことに対して、鉄鋼労連が強く反対、全電通国労の方針に反対したという記述*1があります。

鉄鋼労連は、37兆円に上る長期債務を抱えた国鉄再生のためには、分割民営化は最後の手段で有り、万難を排して推進されなければならないとし、署名運動にもカンパにも賛同しないという方針を早々と示して国労を牽制。
全電通自身は一足早く民営化したこともあり、全電通委員長の山岸章は、「民営化反対と言うことは、国労は親方日の丸でいたいのか」と厳しく指摘しています。

全電通は、通信環境の競争などを考え、又当時はアメリカからの外圧もあったことから、自由に動ける体制を求めていたこともあり、組合側も民営化には比較的理解があったほか、一番の大きな点は職員の雇用が守られていたこと、更には国鉄と異なり優良企業として、かつ地域独占で黒字基調の営業をしてきたことなども、民営化でむしろ自由な活動が出来ると考えていたようですし、NTTという電電公社の民営化は、国鉄も民営化で良くなるのではないかという期待を持たせたという点も見逃せないと思います。

 

国労の記事で見る鉄労の話

鉄労は監理委員会の答申について次のような見解を発表した。
「答申は、鉄労が昨年の大会で提言した地域木社制と、考え方において基本的に一致している。具体的な分割・民営化のあり方や労働基本権の回復についても異論はない。この改革の成否を決めるのは、余剰人員対策で、答申は再就職のあっせんを第一に考えている。しかし、われわれは、外注業務を直営化することなどにより余剰人員をまず国鉄内で活用し、さらに分割・民営化に伴って事業範囲を拡大して行けば、余剰人員の大幅な活用が可能だと考える。」

 

さて、ここで国労が当時に鉄労の様子をアップしていましたので、もう少し詳細を語ってみたいと思います。

参照したのは、「国鉄民主化の道(鉄労友愛会議)」です。

 

ここで鉄労の動きが、出ていますので引用してみたいと思います。

国鉄再建監理委員会から分割・民営化の答申が出された直後、8月6日~8日に東京・上野の池之端文化センターで、鉄労の60年度の定期大会が開かれた、国鉄総裁の杉浦喬也総裁も来賓として出席、挨拶した。国鉄総裁が組合大会に出席したのは、初めてだった。杉浦は、「歴史の流れは大きく変わっている。ここに一つの方向に向かって、とうとうと流れ始めたと言える。私としては、国鉄改革の実現に向けて、各労働組合の理解と協力を求めていきたいと考えている。そのために積極的に話し合いを進めていく所存である。特に余剰人員対策は労使間の意思疎通をはかり、効果的に実施していきたい。各組合も余剰人員対策に就いての意義を認識し、積極的に対応していくよう要望する。特に鉄労は正しい認識で、国鉄改革に対応してきた。敬意を表したい」と挨拶した。

とありますが、赤色棒線部分ですが、鉄労は余剰人員ではなく、こうした過員を積極的に新規事業での活用を求めたのですが、杉浦体制では完全に黙殺されることとなりました。

仮に、ここでの鉄労の主張、余剰人員ではなく新規事業のための要員と言うことで雇用の確保と言うことになれば、その後の組合間による軋轢は有ったかもしれませんが、又違った形の展開になっていたかもしれません。

実際には、国鉄の合理化で発生する人員に関しては、一時帰休や退職前提休職、派遣ということで、外部に人材を流出させたことは大きな失策で有ったかもしれません。

それと、多少鉄労に苦言を呈するとすれば、何度も余剰人員対策に対して、国労を意識しすぎるのではなく、大局に立って、余剰人は国鉄にはない、新規事業の要員として確保すべきであると言い切って欲しかったのですが、結果的にはその後の労使協調宣言などで、鉄労加盟が有利である・・・・そんなイメージを作ってしまったのではないかと思ってしまうわけで、この辺は更に資料を読み込んでいく必要がありますので、いわゆる個人的な仮説として、意見を提示させていただきます。

国有鉄道 1985年10月号の記事から 鉄労大会で挨拶する杉浦喬也総裁

国有鉄道 1985年10月号の記事から

 

 

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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┌──────────────────────┐
├○ 三 再建監理委員会最終答申に対する諸見解│
└──────────────────────┘
 
 最終答申に対する国労および他労組等の見解

続き

鉄労は監理委員会の答申について次のような見解を発表した。
「答申は、鉄労が昨年の大会で提言した地域木社制と、考え方において基本的に一致している。具体的な分割・民営化のあり方や労働基本権の回復についても異論はない。この改革の成否を決めるのは、余剰人員対策で、答申は再就職のあっせんを第一に考えている。しかし、われわれは、外注業務を直営化することなどにより余剰人員をまず国鉄内で活用し、さらに分割・民営化に伴って事業範囲を拡大して行けば、余剰人員の大幅な活用が可能だと考える。」
 なお、監理委員会の旦取終答申が提出された直後に開催された鉄労の第18回全国大会( 8月6- 8日) において、分割・民営化による国鉄改革を推進する方針を決定した。方針によると、分割・民営化による改革をすすめ、余剰人員の解雇を防ぐため、外注事業や関連事業の面営化を図る、というものであった。この大会には、杉浦国鉄総裁が初めて出席し、鉄労への期待を込めた挨拶を送った。また、大会の論議のなかでは、監理委員会の最終答申が国鉄に余剰人員として残すとした4万1000人の選別について
「合理化に協力し労使協調に努めてきたのだから、鉄労組合員を一人も含ませてはならない。〔8月〕5日に違法ストをやった国労組組合員や動労を対象にするよう、当局に迫るべきだ」との意見が出された。
 同盟は、田中良一書記長の談話で「分割・民営化以外に国鉄を再建し、雇用を守る方法はない」、ただ余剰人員対策については外注事業の直営化など、内部努力の方法を探るよう求める、との見解を発表した。

最終答申に対する各政党の見解
各政党は7月26日、監理委員会の答申について、それぞれ要旨以下のような談話を発表した。
 自民党( 金丸幹事長談話) 国鉄再建監理委員会の答申が出されたが、亀井委員長はじめ委員のご苦労に感謝する。
国鉄の改革は国民的課題であり、わが党は監理委日員会の意見を日取大限に尊重し、広く国民の理解と協力を得つつ、政府と一体となって国鉄の改革に不退転の決意で取り組む。
 社会党( 国鉄再建対策本部見解) 答申は、国鉄の現状を招いた政府・自民党の責任に何ら言及せず、国鉄を解体して国民と労働者に犠牲を転嫁しようとしている。国鉄の分割は国鉄の公共的使命を放棄させ、地域間に大きな格差を生む。分割・民営化は国家百年の大計を誤らせることになる。
 公明党( 浅井国鉄再建問題特別委員長談話) 経営形態を民営に改めることは、活力ある経営を行うために不可欠な措置と考える。
事業分割は必要だが、分割の規模や地域などについて十分検討し、慎重に進めるべきだ。
 民社党( 河村国鉄再建問題対策特別委員長談話) 答申の基本的方向を支持し、実現を推進する。しかし、新幹線リース方式による本州の会社間の収支調整は、民営自立を阻害し、収益格差を生むので、分割の区分も含めて再検討することが望ましい。
 共産党( 金子書記局長談話) 答申の示す方向は、国鉄事業の再建とは縁もゆかりもないものである。公共サービスは際限無く切り捨て、17兆円にのぼる債務は、結局は国民に負担をおしつけるものだ。国鉄の分割・民営化に反対し、公共サービスの抹殺に反対する地域住民、国鉄労働者の運動と連帯し、その先頭にたって奮闘する。

続く

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*1:鉄労の国鉄民主化への道、P713

国鉄労働組合史詳細解説 135

長らく更新出来ませんでしたが、久々に投稿させていただきます。 今回は、国鉄部内紙、国有鉄道も参照しながら国鉄を取り巻く環境を検証していきたいと思います。
 

 国鉄の分割民営化を容認していたのは鉄労のみ

国労動労、全施労、全動労が監理委員会の最終答申に対して、
  • 公共交通としての国鉄の位置づけがなく、不採算部門は徹底して切り捨てとなる
  • 分割による全国ネットワーク破壊について、具体策を明らかにしていない。
  • 長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。
  • 『余剰人員』対策は、労働者間に分断. 選別をもたらすと同時に、労働者の雇用不安を助長するものである。
  • 『分割・民営化』は”官業払い下げ”であり、公共交通の、国鉄再建ではない。
 以上のような要旨で4組合共同の抗議声明が発せられたわけですが、この時点(昭和60年)で明確に分割民営化を示しているのは、鉄労だけなのですが、どうもマスコミのミスリードからそうなったような雰囲気があります。
鉄労は分社化(国鉄時代の支社のような権限を強化したもので必ずしも分割した独立会社としての想定では無かった。)した地域会社と発言したのですが、これがマスコミには分割民営化を支持するということかと聞かれて、そのようなものであると発言したことから、鉄労は分割民営化を容認したようになってしまったように見えます。
それ以前は、鉄労も分割反対であっただけに、その辺の違和感がありました。
結果的には、強硬に反対する国労に対し、新たな主導権(イニシアチブ)を取りたいという思いから、分割民営化容認であるという方向に舵を切ったのではないかと考えております。
その結果、国労組合員の一部からは、鉄労が裏切ったと言う印象を持つに至ったと言えそうです。
 

監査委員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置

再建監理員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置、鉄労のみが分割民営化を容認

再建監理員会最終答申発表当時の各組合の立ち位置

と言うのも、当初は鉄労の唱える分社化は。かって存在した支社を地域本社として分割せずに民営化するのようなイメージを描いていたと考えております。

国有鉄道と言う雑誌の記事、労組大会の論議からを参照する

ここで、国鉄部内紙、国有鉄道という雑誌の、労使大会の論議からと言う記事を参照しながら、国労動労・鉄労の各動きを見てみたいと思います。

国労では、第4 6 回大会が、昭和59年8月2 0 日から2 3 日までの4日間、静岡県伊東市
で開催された。
開会挨拶で武藤委員長は以下のように問題を総括したようですが、国労としては強行に反対を表明していることが以下から窺えます。

  1. 「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立 こ そ緊急の課題 」
  2. 政治戦線 と 労働戦線 ・ 国民共闘の強化
  3. 反自民・反独 占 の視点に立った反行革闘争の強化
    いつ 、ど こ で 、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化であると総括しています。

他には、総評労働運動の勢いを甦られることが国労自身の力を増すとしていた。
国労としては、当局が示した余剰人員対策【国労では過員と表現】に対して、出向や勧奨退職は一切受け入れられないとして、絶対に反対という立ち位置を崩していません。

結果的には、こうした硬直した考えに至る背景には、国労自身が一枚岩と言えず、多くの派閥の中で成り立つ連合体と言える存在であったことの悲劇と言えましょう。

こうして、国労の場合はイデオロギーに押されて、全体の中動労よりもかなり損な生き方をしたと言えそうです。

国有鉄道 1984年10月号 国労の見解[行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題 」

国有鉄道 1984年10月号 国労の見解

動労の第40回大会は7月17日から20日まの4日間、秋田市で行われ 。
冒頭、佐藤委員長が「いまの状況では、 自らが"職場と仕事と生活”を守る以外にない。そのためにも動労提言を実現させなくてはならない。国労共闘については、既成のエゴイズムを打破しなくては解決しない」と挨拶 。
国労も2年ぶりに山崎書記長が出席し、動労国労との理念の違いはやむを得ないが、雇用と労働条件を守らなければならないという点では 一致している。

動労は、「国労とは共通の課題(生産性運動反対、スト権スト等)で共闘してきた歴史的事実もある。正常でない関係について十分話し合いたい。」
とも発言していますが、この背景には動労が後述しますが、昭和55年以降の減量ダイヤで貨物輸送が激減し、昭和57年からは旅客輸送も減量するなどのダイヤ改正で危機感を持った動労が貨物増送運動等をおこない、「するがシャトル」に見られる列車増発や、短編成化された山陽新幹線などの新たな提言が行われたことを指しています。
これも、組織防衛の一環から出たことで、強行に分割民営化反対を進めている国労とはこの頃はかなり距離を置いていました。

動労は自身の生き残りのため、動労提言で、するがシャトルが実現したと強くアピール

動労提言では、するがシャトルが実現したとアピール



再び、国有鉄道から引用してみたいと思います。

動労では、代議員の中から闘争を行うべきという意見がある反面、多少なりとも労働条件の悪化を受け入れても、組織を守るべきという意見も有りました。

経過報告は吉崎副委員長、84年度運動方針案は福原書記長が行い、本部案どおりで承認、採択された。代議員の発言数は、経過11人、方針案20人で、分割・民営化阻止、反核・平和などを基調した本部見解を支持する内容が圧倒的に多かった。
とくに動労提言支持に関するものが、現状報告とあわせて目立ち、改めて線路を取りはずされては国鉄としての存在がなくなる」と場合によっては労働条件の悪化も受けるとした。

以下に弊ブログで、関連する記述がありましたのでリンクを貼らせていただきます。

whitecat-kat.hatenablog.com

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第一節国鉄再建監理委員会最終答申
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├○ 三 再建監理委員会最終答申に対する諸見解│
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 最終答申に対する国労および他労組等の見解

 監理委員会の最終答申に対し、国労動労、全施労、全動労は要旨以下のとおりの四組合共同の抗議声明を発表した。
  「答申は、110年にわたり国民の足を守り続けてきた国鉄の役割を無視し、利用者や自治体、専門家、関係組合の意見も聞かず、国民の目から離れたところでつくられたものであり、断じて認められない。答申には公共交通としての国鉄の位置づけがなく、すべてを採算性によって判断し、不採算部門は徹底して切り捨てるものとなっている。採算性だけを追求すれば、運賃値上げや路線廃止につながることは必至である。分割による全国ネットワーク破壊がもたらす弊害については『対処可能』というだけで、なんら具体策を明らかにしていない。長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、国民負担を求め、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。『余剰人員』対策については、労働者間に分断. 選別をもたらす施策を求めると同時に、関連労働者の雇用不安を助長するものとなっている。国民の足を奪い、雇用不安を増大させる『分割・民営化』は”官業払い下げ”にすぎず、公共交通としての国鉄を再建するものではない。われわれは、真の国鉄再建をめざして国民の支持と連帯の輪を広げ、『分割. 民営化』を許さず、公共交通としての国鉄を守り抜くとともに国鉄労働者の雇用を確保するために組織の総力をあげて闘い抜く決意である。」
 ところで動労は、85年までの運動方針を見るかぎり分割・民営化構想に反対し、答申がだされた段階では四組合で抗議声明をたすことができたが、以降、まず民営化に、さらに分割に賛成の方向に変化するので、詳しい内容はそれぞれのところで記述するが、ここで動労の変化を簡単にまとめておく。85年10月14日に開いた第二回拡大全国戦術委員長会議において、松崎動労委員長は「われわれの基本軸は分割反対にある」「国有鉄道として再建を考えたいが、そうはいかないから、分割反対を前面に打ち出し、幅広い世論形成をすべきだ」と述べた。そして、12月の動労中央委員会において、「分割反対を軸にして民営的手法の導入をはかるにとの方針に転換した。
 臨調=行革路線による国鉄攻撃が始まって以来、動労はかつて「鬼の動労」と言われていたころとは違い、当局の施策に「柔軟」な対応をするようになっていた。例えば、ブルトレ手当返還問題、現場協議協約の当局案での先行妥結、時間内洗身( 入浴) 問題での
当局への協力などがあった。それは84年の「動労提言」によると、国鉄最大の危機を国民の支持を得ながら乗り切っていくためには、国鉄労働者も「骨身を削る努力を立証しなければならない」「労働条件の悪化を嫌わず、これまで以上の仕事をしよう」との主張にもとづいていた。そうした考えにもとづき、余剰人員対策1二項目に対し組織として積極的に対応した。85年11月1日現在、運転職場での派遣者の数はトータルで4670人であったが、そのうち動労が約4000人、国労が360人、鉄労が80人、その他4050人であった。福原書記長は、余剰人員対策について「われわれとしては、『職場と仕事と生活を守る』という観点に立って対応していきたい。『反対か賛成からという二者択一的な方針はとりません」と述べ、状況によってはいっそう踏み込むことを示唆していた。それは、後の見る86年1月22日の動労の当局との「労使共同宣言」の締結につながっていった。86年度の動労の運動方針では、「今や国鉄改革は避けて通れないものになっており、活力ある新事業体をいかにつくり出すかが問われています」と述べ、事実上、分割・民営化を容認していた。
 総評は監理委員会の最終答申に対し抗議声明を出した。
  「答申は地方交通線の廃止と10万人に及ぶ人減らしを骨格とし、公共交通の破壊と労働者・地方自治体・利用者の犠牲のうえに国鉄の分割・民営化を行い、たんに. 長期債務の分担を示したものにすぎない。われわれは、全国ネットワークの国鉄公共企業体として再生し、次代の公共交通システムの柱として確立するため、地方自治体、地域住民、利用若・国民と連帯し、国民的多数派を組織するために国民運動を展開する。」

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