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国鉄労働組合史詳細解説 112

久々に更新させていただきます、今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただくこととします。 

昭和58(1983)年の世相とは

昭和58年春闘における賃金闘争に関してのお話になっていますが、昭和58年当時の景気は、徐々に回復傾向にあったとされており、

昭和58年の春闘について、大原社会問題研究所労働年鑑、昭和59年版の中から引用させていただきますが、当時の労働運動全般の動きを見ていますと、下記のような動きがありました。

  • 中曽根新内閣が発足し、日本の軍事大国の強化が懸念され。行政改革の断行も公約とされた
  • 連合の前身、全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足、労働戦線に新たな流れが起こった
  • 実質経済成長率が、当初見通しを大きく下回ることとなり、雇用・失業情勢も相変わらず低迷しつつ、むしろ悪化の傾向さえ示した。

と言うことで、国労も書いていますが、全民労協の出現は、労働運動の右傾化を示すとして、警戒感をあらわにすると共に、経済成長率は低迷することになりました。

結果的には、

国鉄当局は「3月25日」になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した

とあるように、かなり低いものでありました、これは当時の経済成長が低迷していたことによるものであり、その辺を割り引いて考える必要があります。
実際に、民間の妥結状況を大原社会問題研究所 労働年鑑 昭和59年版で改めて参照してみますと下記のように書かれています、

妥結額は八九六四円、賃上げ率四・四〇%(前年一万三六一三円、七・〇一%)となり、春闘史上もっとも低い伸びにとどまった。昨年にくらべ要求額が低下したものの、妥結額がさらに大きく低下したため、妥結率(要求額にたいする妥結額の割合)は昨年の七五%から六〇%まで大幅低下している

 と言うことで、国鉄の賃金引き上げは、4月22日に回答が行われるものの非常に低いものであり、これを不服として、仲裁裁定に委ねることとなりました

以下は、国労労働運動史からの抜粋です。

国鉄、林野以外の各当局は関係組合との交渉のなかで、単純平均で定昇込み5814円、2.8%という春闘史上最低の賃上げ回答をおこなった。国鉄当局は、25日になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した。
国労は、この回答を不満とし、当局に再回答を求めた。公労協は公労委と会見し、調停にあたって公労委が従来とってきた民間準拠の原則を貫き、かつ準拠すべき民間賃金の水準についても変更すべきでないことを要請した。

少し話は前後しますが、前回111号にも書かせていただきました、3月末の話にすこしだけ時計の針を戻したいと思います。
 
国労が、春闘の前段として、年度末手当の支給を交渉を行っていく前段で、駅の合理化闘争に対して組合管理を行ったり、後述のように、順法闘争を行うなど、国鉄当局としても、容認できないであろう行為が続きました。
こうした国労の一連の動きは、既得権益にどっぷりと漬かってしまって、結果的に非常に保守的になってしまって、環境の変化に対応していない状況に国労と言う組織自体がなっていたように見えます。
いわゆる、老害といえそうです、それが、下記の内容になります。 

世論を無視した順法闘争を展開

世間では、国鉄の職員の働きなどに対して、批判的になっている時期に、3月15日~17日まで順法闘争を全国で実施したようで、当局も中止に動くよう説得するも、結局新幹線を含め、約330本の電車が運休させ、183万人がその影響を受けたました。 
当然のことながら世論は厳しく、国労を非難することとなりました。
その辺の事情を、国鉄部内紙「国有鉄道6月号」に当時のマスコミの記事が書かれていましたので、引用させていただきます。
「なんとも奇妙な順法闘争」(東京),「国鉄私物視」「理解できぬ順法闘争」(読売),「相もかわらず乗客不在」(サンケイ),「不毛だった順法闘争」「労使亀裂まざまざ」(朝日)
と言った具合で、マスコミからも総スカンを食らう結果に、特に東京新聞すらも、今回の闘争を「なんとも奇妙な順法闘争」と表現して、その意味があったのかという疑問を呈していることからも、この時期にはすでに時代錯誤ではありませんが、国労の執行部の中では、冒険をしないで今までの路線を踏襲しようという雰囲気が更に濃くなっていったのではないかと思われます。
さらに、ここで注目しなくてはいけないのは、この順法闘争に動労が参加していなかったという点です。
動労が、昭和57年の貨物大幅減量も受け入れているように、ある程度現実路線を踏まえての戦術転換が図られてい言ったことが十分裏付けられそうです。 

国労の行動は、更に当局の態度を硬化させることに 

  • 国労(3月4日提出)2万3500円
  • 動労(3月17日提出)1万7700円(35歳勤続17年)
  • 鉄労(3月3日提出)7 %
  • 全勤労(3月10日提出)3万1500円
  • 全施労(3月7日提出)2万5000円(標準労働者)

単位がまちまちなので、一概に比較できないのですが、全動労共産党動労)の要求額が突出しているように見受けられ、概ね2万円以上の賃上げを要求していたものと思われます。
これに対して、当局は4月1日にだ1回目の交渉を行い、本年の賃金改定問題は、国鉄自身が合理化を含めた効率的な運営を行うことで世間からも認められるので、その辺を十分理解してもらいたい旨を回答しています。
以下、前述の「1983年、国有鉄道6月号」から引用させていただきます。

当局は「新賃金問題は労働条件の最も基本的なものであるとの認識に立ち,今後,諸般の情勢を総合的に見極めながら誠意をもって対処していきたい。今年の新賃金問題は,昨年にもましての困難が予想されるが,その解決のためには,業務の効率的運営,サービスの向上,職場規律の確立等に職員が一体となって取り組み,再建への道を切り拓いていく以外に方法はない。これらの努力の積み重ねによってはじめて,賃金問題についても,国民の理解と協力が得られるものであると考える。実側におかれでも,とうした厳しい状況下にあるということを十分に認識され,今後の経営改善全般にわたり,従来以上に協力されるととを切望する次第である」と回答した。

 とあるように、国労は回答が低かったので、仲裁裁定に移行したとあっさりと書かれていますが、こうしてみる限りでは、国労がどこまで、当局や世論を感じ取っていたのか疑問に思う点も多々あるわけで、改めてこうした資料を参照する場合は複数の資料を参照することの重要性を感じてしまいます。

 

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続く

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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┌───────────────┐
├○ 二 八三、八四、八五春闘 │
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政府は、4月22日に公共企業体等給与関係閣僚会議を開き、国鉄、林野をのぞく各当局の有額回答を認めた。国鉄と林野については、閣僚会議の了解事項として、「その取り扱いについては、運輸大臣農林水産大臣及び官房長官に一任する」とした。22日、国鉄、林野以外の各当局は関係組合との交渉のなかで、単純平均で定昇込み5814円、2.8%という春闘史上最低の賃上げ回答をおこなった。国鉄当局は、25日になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した。
国労は、この回答を不満とし、当局に再回答を求めた。公労協は公労委と会見し、調停にあたって公労委が従来とってきた民間準拠の原則を貫き、かつ準拠すべき民間賃金の水準についても変更すべきでないことを要請した。
 27日、全電通を除く各組合は公労委に調停を申請した。5月6日から調停作業にはいったが、12日に公益側委員から次のような調停にあたっての基本的考え方が明らかにされた。①経営状況を賃金に反映させることについては、従来から業績手当など年間の臨時給与によって調整する方法がとられているため、基本的賃金に企業間の格差はもうけない。②公企体の本年の賃金決定は民間準拠の原則にもとづいておこない、従来どおりの民間賃金の動向を参考に、それと同時に賃金構造基本統計調査における100人以上の賃金の上昇率にも留意する。公労協はこのような公益-44-側委員の態度表明に対して、これはこれまでの経緯を踏みにじり、民間賃金準拠の立場を放棄したものであると批判した。
 12日の深夜、調停委員会は非公式に収拾案を提示したが、民間賃金のベアを反映しない低額であったため、公労協が強く反発した。このため公労委は収拾案を提示できず、調停作業を打ち切った。そして、5月17日に公労委総会が開かれ、公益委員が提案した仲裁裁定への移行が決定した。
 仲裁裁定委員会は6月3日に、国鉄労使に「基準内賃金を、1983年4月1日以降、一人当たり、同日現在における職員の基準内賃金の1.27%相当額に1140円を加えた額3796円の原資をもって引き上げること」という仲裁裁定書を交付した。
政府は7月15日の閣議で18日に召集される臨時国会に三公社4現業一括して議決案件とすることを決め、18日に国会に付議したが、22日に閉会し継続審議となった。第一00臨時国会が83年9月8日から始まったが、仲裁裁定は11月17日に衆議院で可決され、28日に参議院で全会派一致して可決された。
  国労春闘の総括で次の点を指摘した。
 「83春闘は、人事院勧告凍結が臨調行革の名において貫徹され、 公企体等も民間も徹底して賃上げを抑制された。また、減税を 中心とする制度・政策要求は、全く前進しなかった。・・・・・・公 労協のなかでも全電通が調停段階で独自の調停申請をおこなったことは、格差攻撃が強まっているなかで見過ごせない問題を 含んでいた。公労委は仲裁裁定で4.3%の賃上げを決めたが、これは民間準拠の原則を放棄したものであった。また、裁定書 に期末手当の格差を認めたことは、公労委の中立性を放棄したことを意味する」。
 こうした指摘にたち、83年度運動方針で春闘再構築の方針を掲げた。
 なお、83春闘の結果は、春闘史上これまで最低の4.5%の賃上げに終わった。

国鉄労働組合史詳細解説 111

 皆様久々に更新させていただきます。

今回は、再び国労の労働運動史を底本にして説明を加えさせていただきます。

経済不況と春闘相場

昭和58年、国鉄の財政は厳しさをましていましたが、それ以上に経済の悪化は大きく、実質経済成長率は、当初見通しを大きく下回り、5.2%から3.1%に下方修正されたといわれています、当然のことながら、春闘における、相場も厳しいものとなりました。

労働四団体は統一要求として、7%の賃上げを要求

八三年春闘にあたって、82年12月3日、労働組合としては7%の要求基準が決められました。
これは、82年12月3日、労働四団体の事務局長・書記長会議決定されたものでした。
*1

国労の労働運動史から引用させていただきます。

超低額回答の八三春闘

 八三年国民春闘は、人事院勧告の凍結、臨調行革の推進、82年12月に全民労協の発足にみられる労働戦線の右より再編が進行するなかで闘われた。その結果は、春闘史上最低の4.5%の賃上げ率に終わった。各労働団体は、八三春闘を実質所得の増大をはかり、消費拡大による内需主導型の安定成長を実現する闘いと位置付け、減税と賃上げ(7%の統一要求基準)を柱として闘争に取り組んだ。八三春闘は政策要求闘争に加え、82年度の人事院勧告完全実施と仲裁裁定の完全実施および年度末手当闘争を春闘前段に据えて始まった。

 全体で4.5%という低い改定率で終わった春闘

 最終的には、国労の資料でも書かれていますが、全体では4.5%という低い賃上げ率に留まりました。

 鉄鋼、造船が3%台、自動車がホンダの5.39%を筆頭に、概ね5%前後で妥結、重電・家電とも4.90%で横並びになったほか、全民労協に加盟して、公労協から距離を置いていた、私鉄総連も、4.73%【金額ベースで行くと、唯一一万円超え】の10,300円+生活関連手当500円を獲得するなどしていました。

これは、前年と比べると、額で三〇七八円、率で二・〇〇ポイント下回った事になります。 

昭和58年度春闘、民間妥結状況

昭和58年度春闘、民間妥結状況

国鉄部内誌、国有鉄道 昭和58年7月号から引用

 突出した私鉄総連のベースアップ

なお、私鉄が10,300円(4.73%)という高額の回答を出した背景には、国鉄がストをしてくれれば私鉄が儲かると言う認識が労使双方にあったことも見逃してはなりません。

実際、ストライキを計画したものの、4月17日(当日は日曜日)を設定し、通勤通学輸送に影響を与えないことを暗に伝え、経営者側としてもその意図を汲んでそれに引き換え、高額のベースアップ回答を行いました。

私鉄総連はストライキを回避する意思を明確化

昭和58年4月17日

windows の機能で1983年4月のカレンダーを出力

国鉄では、ベースアップ以前に解決すべき問題も山積みに

国鉄では、昭和57年のブルトレヤミ手当以降、職場規律の改善に向けて取り組んでいましたが、賃金問題以上に解決すべき問題として、時間内入浴などの問題がありました。

その辺を、再び国鉄部内誌、国有鉄道 昭和58年6月号から引用してみたいと思います。

前段に発生した諸問題

 国鉄においては、昨年来の問題の解決に関連して、いろいろの事象が発生していた。職場規律問題のうち残された入浴問題2万2600人の合理化問題とこれに関連して発生した鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題、これら諸問題に関して国労が行った順法闘争がこれである。

 とうことで、入浴問題に関しては、当局側の阻止を無視して時間内入浴を行うもの、裸で区長や助役に詰め寄る姿などがテレビや新聞を通じて流され、国鉄職員=働かない職員というイメージを自ら作っているところがあったように思われます。

結果的に、国鉄の場合はベースアップ以前に正すべき事が正されていない事が問題であり、前述のように、私鉄が、労使協調路線で国労動労との共同戦線から離脱していった事は大きく、私鉄準拠を求めていく国労動労からすれば更に引き離されることとなりました。

なお、鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題について、簡単に記しておきます。

鹿児島局の営業近代化事案をめぐる問題は、鹿児島局管内の駅、鹿児島本線 川内駅肥薩線 栗野駅の荷物部門、指宿枕崎線 山川駅日豊本線 西都城駅南宮崎駅の出改札業務の合理化を目指したものの、3月1日からの実施を目指したが、組合が交渉に応じず、委託会社の社員を入れないように、ピケを張ったために、最終的には警察に出動を求めて排除したほか、西都城駅南宮崎駅に至っては、勝手にきっぷを販売し、売上金を駅長室に放置したり、職員名の預金口座に入金するなどの状況を呈してたもので、当局から国労に強く申し入れで、3月28日になって漸く正常化29日からは通常の業務となったが、組合管理の状態に置かれた無法地帯と化したとして、大きく報道されることとなりました。

 

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 二 八三、八四、八五春闘 │
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 超低額回答の八三春闘

 八三年国民春闘は、人事院勧告の凍結、臨調行革の推進、82年12月に全民労協の発足にみられる労働戦線の右より再編が進行するなかで闘われた。その結果は、春闘史上最低の4.5%の賃上げ率に終わった。各労働団体は、八三春闘を実質所得の増大をはかり、消費拡大による内需主導型の安定成長を実現する闘いと位置付け、減税と賃上げ(7%の統一要求基準)を柱として闘争に取り組んだ。八三春闘は政策要求闘争に加え、82年度の人事院勧告完全実施と仲裁裁定の完全実施および年度末手当闘争を春闘前段に据えて始まった。
 国鉄では1月26日に82年仲裁裁定実施にともなう配分交渉がまとまり、これを受けて国労は2月10日に年度末手当についての申し入れを行い、交渉を進めてきた。だが、当局は終始「いつ、いくら支払えるのか回答できない」を繰り返すだけであった。国鉄・林野については政府・自民党が大幅削減の方針を決めていたのであった。当局は、年度末ぎりぎりの31日23時45分になって、予算措置のなされている0.3カ月をさらに割り込む0.24カ月の回答をしてきた。この回答にたいし国労は、林野より低い「三段階格差」であると抗議し、再回答を求めた。しかし、国鉄当局は「経営判断であり、最終回答だ」と強弁した。この妥結によって、公労協の春闘が本格的に始まった。
 公労協は八三春闘の目標を、民間準拠の原則の確認、企業体間の格差回答なし、仲裁裁定の完全実施におき、4月18日~21日を回答指定日として交渉を重ねてきたが、この間に有額回答はなされなかった。すでに、4月12日には金属労協の主要四単産に回答がだされ、16日には私鉄総連が賃上げ1万300円(4.7%)の回答で妥結していた。第二臨調の最終答申の賃金抑制提言につづいて、日経連による公共企業体等労働者の賃金の民間準拠批判、公共企業体等の企業業績を反映し、支払い能力を考慮した回答を求める提言を政府、公労協に提出しており、きびしい状況下におかれていた。

続く

 

 

*1:注:労働四団体 日本労働組合総評議会 (総評)、全日本労働総同盟 (同盟)、中立労働組合連絡会議 (中立労連) 、全国産業別労働組合連合 (新産別)の四つを指す

国鉄労働組合史詳細解説 110

今回も、オリジナルの記事として、前回に引き続き、昭和55年頃の、国鉄の事情等を、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら、総括していこうと思います。

国鉄を含めた、現業公務員や公社職員は、経営側が自らの判断で賃金を決定できず、もちろん、運賃値上げなども国会の承認がいりますので、当局には実質的な当事者能力はありませんでした。

このストライキは、総括すると国労動労にとってはあまり実入りが無いストライキでした、労働側4委員が揃って辞表を提出、結果的に賃金問題は未解決のまま、ストライキは中止されることとなりました。

その当時の時系列を抜き出してみますと下記のようになります。

4月16日

  • 私鉄のべアは,5時ごろ1万2200円という予想を上回る回答
  • 6時に私鉄総連は妥結、6時10分にはスト中止を指令,事実上ストなしの解決
  • 公労委(公共企業体労働委員会)6時過ぎから調停委員長会議が開催
  • 公労委、公益委員(調停委員長)と労使各側委員との個別折衝が始まったが、そこで示された「解決案の骨格」に対して労働側委員が強硬に反対し、膠着状態

公益委員側からの解決案は、下記のとおり

民間賃金の動向を加重平均で約6.6%と推定し、公企体加重平均6.6%、国鉄は1万1800円台の上方で6.4%弱とする、というもの

  • これに対して、労働側委員は私鉄準拠を主張、使用者側委員も、財政事情等から難色を示し、双方の議論は完全に平行線に。
  • 公労協(公共企業体労働組合協議会)は14時過ぎから拡大共闘委員会を開き、私鉄準拠の慣行が無視されたことに抗議して労働側4委員が辞表を提出する旨を決定
  • 17時過ぎ、公労協は、「公労委は従来の経緯を無視して私鉄準拠を認めず、官民分断をはかる政治圧力に屈して第三者機関としての社会的責任を放棄した」との抗議声明を発表
  • 18時15分頃、総評・公労協推せんの労働側4委員が労働省に辞表を提出、事務次官が「一時保管しておく」として辞表をあずかりに。公労協は、賃上げ未決着のままストを中止
  • 19時45分、公労委の中西会長は、「これ以上調停作業を続行することは事実上不可能であるので、中断のやむなきに至った」とする調停委員長との共同談話を発表、この措置に対して、全官公(全日本官公職員労働組合連絡協議会)は、「公労協は違法ストを行なっておきながら、それによる賃上げが不可能となるや問題を審議する立場にある委員を辞任させた」として、公労協を厳しく非難する声明を発表
  • 公労協の中断を受けて、国労動労はスト中止を命令
16時 国労動労スト中止準備を指令
18時 国労、スト中止
19時 動労、スト中止
18時30分 全動労、スト中止
19時 千葉動労、スト中止
スト終了後の運転回復は、おおむね20時ごろから順次

今次の春闘では、当初は、早くに解決すると思われた調停が紛糾し、ストが16時間に及んだこともさることながら、これ以外にも下記のようにストライキを行っており

動労が時限スト 3/10

動労は、公共料金値上げやローカル線廃止に反対し全国12拠点で始発から6時まで時限スト旅客列車のストは54年4月25日以来

動労が京成半日ストを支援 3/21

民鉄協脱退に抗議する京成労組は正午まで半日スト、動労は首都圏の国電を中心に京成支援の減速闘争

国労動労、ローカル線廃止反対で時限スト 3/25

民鉄スト早期収終・国鉄は夕方 4/15~4/16

春闘支援ストに突入したが、大手民鉄(京成を除く)は6時10分、平均12、200円と予想以上の高額回答で解決。国労動労は公労委公益側委員の示した平均平均6.6%程度(国鉄6.4%程度)11,650円の調停案を不満としてストを続行、、公労協の労働側委員4人の辞表提出という異常な事態にでたため、調停作業は一時中断という形で中止。京成はひとり17日までストを継続。他社なみ回答でようやく妥結

といった具合で、ストライキを繰り返しており、上記のストライキで、延べ18,860本の列車が影響を受けたが、全体からすれば新幹線が拠点から外れるなど、大きな影響を受けることは少なかったと言える他、車両や駅へのビラ貼りや、落書きは全体には少なかったそうですが、一部では行われたとされています、スト権スト以降、公労協のストライキはその流れは変わりつつ有り、公労協のあり方、そして公労協事体の不協和音は、今後更に大きくなるのでは無いかと国鉄当局では分析しています。

参考:国有鉄道の1980年6月号

ストライキの年表に関しては、弊サイト「国鉄があった時代」から抜粋

 

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国鉄労働組合史詳細解説 109

今回は、オリジナルの記事としてアップさせていただきます。

昭和55年頃の、国鉄の事情等を再び、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら総括して見たいと思います。

 不協和音が見られた公労協、独自路線を歩む全電通

昭和54年、官公労は、私鉄総連などと組んで公労協統一闘争を行っていましたが、ここに来て、全電通(現:NTT労組)が自主交渉、個別調停を行うことを提唱し、官公労の統一闘争から一足早く離脱するなど、全電通の独自性が見える春闘でした。

全電通自体が、全電通が、1970年代後半から、賃金闘争と物価闘争を重視する運動を進める独自性を発揮して、官公労からの距離を置き始めると共に、1980年の「全日本民間労働組合協議会(全民労協)への参加を果たすなど、官公労の中では異色の動きをして行くこととなりました。

公労協では全逓の弱腰が垣間見えた春闘

かつて、権利の全逓と言われるほどに強力な組合運動を展開してきた全逓ですが、全逓名古屋中郵事件(ストによる郵便不取扱いが刑事罰の対象になるとした判決)などの理由から、拠点局における、29分だけのストライキとなるなど、弱腰というか、あまり派手な運動は見られなかったようです。

参考:全逓名古屋中郵事件

persona-non-grata.hatenablog.com

私自身が、郵便局に就職したのが1983年7月、普通局に転属して全逓に加入したのが1987年4月であり、この頃は強力な闘争路線は姿を消していました。

最終的には仲裁裁定によ頼るしかない、賃金決定

国鉄など官公労は、基本的には独自の賃金決定権を当事者が持っておらず、最終的な決定は、仲裁裁定によるしかないわけで、昭和55年の春闘では下記のような流れがありました。

  • 当局の回答前に組合側から調停を申請したグループ・・全林野、全印刷、全造幣、アルコール専売

  • 当局側から調停を申請したグループ・・・・・・・・・国鉄、郵政、専売公社
  • 調停委員長見解が出された後、当局側から申請したグループ・・・・・全電通

 

と言ったグループに分かれました。

ここに来て、全電通の組合としての方向が変わってきていること、そしてこれが民営化議論が起こった際にもスムーズに民営化に移行できたところなのかなぁと考えさせられるところがあります。

特に、全電通は、昭和25年に逓信省から分離する際に、独立した組合で有り、全逓から分離した組合であり、昭和30年代、40年代には郵政の全逓に劣らないほどの強力な闘争をしていたことを考えると、時代の流れに沿って旨く生き延びてきたのかなぁと思ってしまいます。

 

電電公社ロゴ

独自路線を歩み出した、電電公社の組合、全電通


続く

 

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国鉄労働組合史詳細解説 108

 久々に更新させていただきます。

今回も国労の労働運動誌を底本に、労働運動の変遷を別途調査した資料等を参照しながらアップしたいと思います。

過熱気味の公定歩合と賃上げ闘争

国労の資料によりますと、80年代春闘の話をここで行うとされていますので、こちらノーページでも、春闘を中心に国労、そして他の組合の動きを80年~82年までを3回に分けてアップさせていただこうと思います。

1980年当時の公定歩合は、昭和55年2月19日に改訂され、年7.25%(1.0%引上げ)されています。

www.boj.or.jp

参考:日本銀行公表資料 昭和55年2月19日公定歩合改定

 今では考えられないくらいの好景気ですよね。

7%強ですから、お金を預けておけば10年で倍になって返ってくる計算になります。

実際、昭和55年の夏には、郵便局の定額貯金の金利が8%となり、定額貯金が集まりすぎて、10年後の90年にV90と言うタイトルで、預金の再契約がそれこそ、郵政省を上げて施策を行うと言ったことが行われた時代でした。【当初のタイトルはV65(昭和63年当時)でしたが、その後V90に変更されました】

私も、当時郵政局に勤務しており、V90関係では色々と走り回ったものでした。

国労も強気の春闘額を要求

ちょっと、余談が過ぎましたが、80年代は、緩やかなインフレr状態でしたので、賃上げは生活改善と共に、目減りしない賃金という名目もありました。

この春闘では労働四団体の要求基準が八%に揃えられた点も注目された。4月9日に出された金属労協への回答では鉄鋼などで前年を上回ったが、電機は最低賃上げ目標額に達しなかった。このため電機労連は、4月10日にJC決戦参加以来初の12時間ストに突入したが、回答に上乗せできず、手当の改善にとどまった。4月16日未明には私鉄総連に対し、平均1万2200円の賃金引き上げ、年間臨時給13社平均5.3ヵ月の回答が出され私鉄総連は予定していたストを中止した。 
 国労は、2月27、28日に開いた第127回拡大中央委員会において、80春闘要求額として、2万3000円(12.5%)35歳・勤続17年19万円を基本とする、との方針を決め、3月11日に要求書を提出した。国鉄の賃金について4月16日からの公労委の調停作業が始まり、私鉄との完全連動をめぐって折衝が続けられたが、公益委員はこれに応じず、労働側委員の辞任する事態となった。5月14日、6.6%、1万1546円の調停委員長見解が示された。これを公労協が拒否して仲裁に移行し、6月10日に先の調停委員長見解と同一内容の仲裁裁定が出された。しかし、80年6月の衆・参同日選挙の結果自民党が大勝し、与野党伯仲の終わった選挙後の閣議で仲裁裁定が議決案件とされた。80春闘の結果は、労働省調べで、民間1万1679円、率は前年を上回る6.74%であった。

国鉄当局から見た労働組合の動き

国鉄の部内誌、主に総務関係で読まれていたと思われる冊子で、人事関係等が詳しいですから、引用してみたいと思います。

さて、「国有鉄道、昭和55年6月号  今次春闘をかえりみて」を参照しますと、

当局も当初は、4月16日早朝に私鉄のべアが決着を受けて、国鉄春闘も早めに終わると期待されたが、国労動労は公労委公益側委員の示した平均平均6.6%程度(国鉄6.4%程度)11、650円の調停案を不満としてストを続行、公労協の労働側委員4人の辞表提出という異常な事態にでたため、調停作業は一時中断という形で中止となった記録されています。

その後、5月6日には、労働側委員が辞任を撤回 5/6には辞任を撤回、5月13日、夕方から、公労委の調停作業が再開され、14日早朝調停委員長見解の提示で、約1ヵ月ぶりに決着をみることになりました。

この改訂では、3公社5現業加重平均6.625%・1万1546円、国鉄べ-スで6.396%・1万1897円」というもので、4月16日に公益委員が非公式に示した解決案の「骨格」をわずかに微調整した程度 となっています

詳細は是非、弊サイトをご覧ください。


jnrera3.webcrow.jp

 

官公労から民間労組が春闘相場を決定

再び、国有鉄道の記事から引用してみたいと思います。

今次春闘(同盟等は賃闘という〉では、最近とみに昂まった労働戦線統ーへの動きを背景に、民間労組の結集が一段と進んだようである。
具体的には、J C (金属労協〉と化学エネルギー労協の共闘、私鉄総連・全日通・全国金属の3単産の民間賃闘対策連絡会議への参加(ブリッジ共闘〉等である。ここ数年来、春闘のあり方等をめぐって鉄鋼労連その他の民間労組と官公労組との、聞に意見対立、乖離が目立ってきていたが、民間労組の結集が進んだことによって、賃金闘争を民間がリードするという様相が一層強まった感がある。
そのような状況の中で、いわば総評が同盟や民間労組に歩み寄る形で、統一要求基準8%が設定され、また、官民総がかりの短期集中決戦構想が打ち出された。短期決戦という点では、参議院選挙、国鉄運賃値上げ等との関係もあった。

さらに、記事は続くのですが、冒頭で「4月16日早朝に私鉄のべアが決着を受けて、国鉄春闘も早めに終わると期待されたが」、とある様に、今まで国鉄と歩調を合わせて交運共闘として、同じ時期にストを実施するなどしてきた私鉄労連が、ストライキを行って、賃上げを獲得する方式から、「交渉を詰めて回答を得たのち不満ならばストを組むという交渉重視路線〈事後対処方式〉への転換をめざしてきた。」と言われています。

私鉄は、国鉄との共闘から、徐々に軸足を動かすことに

これは、国鉄ストをすることで、その利用者が私鉄に流れる、結果的に私鉄利用者が増えれば、私鉄側としてみれば、賃上げ要求を行いやすいという流れに変わってきたことも大きいかと思われます。

実際、この時もスト戦術で抵抗したのは、京成のみでした。

当時の京成は、成田空港開業の遅れなどから累積債務が増大しており、経営状態はかなり無かったこともあり、社員のモラールも低かったとも言われています。

京成3000形初代

京成3000形初代

京成は、空港開港の遅れなどから、財務状況が悪化していたこともあり、その辺も会社全体に影響は有ったかと思われます。

再び、引用させていただこうと思います。

私鉄総連は、一応は従前どおり国労動労と交運共闘を組んで公労協と連携を保ったが、一方で民間賃闘対策連絡会議に参加して民間主要労組との強い連携のもとに行動した。いわば両方に片足ずつ乗せたわけであるが、どちらの足が軸足であったのか。また、私鉄総連はここ数年来、団体交渉も進まない内にスト計画を組むスケジューノレ闘争から、交渉を詰めて回答を得たのち不満ならばストを組むという交渉重視路線〈事後対処方式〉への転換をめざしてきた。

経営側もこれらの傾向を歓迎した。加えて、公企体等との連動を断ち切って独自に賃金を決めたいという意向は、もともと労使双方に根強くあったであろう。従前の形式的な第1次回答はなくなり、11日の回答は最終回答的なものであった。最後には大方の予想をくつがえす高額(大手8社平均6.72労・1万2200円)で妥結した。

 既に、この頃から、私鉄総連は、ストをしてお客様に迷惑を掛けるのではなく、ストをしないことで、むしろ利用者に喜ばれることで、更にその利益の再配分を目指すという方式に切り替わっていく流れを目指していると言うことであり、これは私鉄総連に限らず、民間賃闘対策連絡会議(同盟が主導)の流れに沿うものであると言えます。

官公労の、ストライキによるいわゆる、闘いによる労働者の権利確立は、民間労組では時代遅れという概念を持たれていく中、国鉄、郵政といった官公労の代表組織は、その舵を切れないまま進んでいくように見受けられます。

日本民営鉄道協会も、私鉄総連の動きを歓迎しており、労使双方共に新しい春闘(賃闘)方式を歓迎していますし、私鉄総連も一定の評価をしています。再び引用してみたいと思います。

山田労務委員長は、「毎年いるいろな外的要因で思うように交渉ができなかったが、今年は自主交渉の実をあげた。組合側の新しい動きは評価した。それに応えるべきだと判断した」と語っている。
私鉄総連の田村書記長は、「成果があったと評価している。民間共闘と全交運共闘の両方に軸足を置いた闘いを来年も続けていくが、民間賃闘対策会議とのブリッジ共闘は強化していくべきだ」と述べている。

ここに来て、私鉄総連は、従来の国鉄に歩調を合わせていく方式から、その軸足を更に、民間共闘にシフトさせていくと明言しているところは注目に値する点です。

私鉄総連は、従来の国鉄に歩調を合わせていく方式から、その軸足を更に、民間共闘にシフトさせていくと明言しているところは注目に値する点です。

私鉄の代表格として、南海電車をアップさせていただきます。

続く

なお、次回以降は、動労・鉄労などの動きも併せて参照してみたいと思います。

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 八〇、八一、八二春闘 │
└─────────────┘
 
 80年代初頭の春闘については、第一章に記述していなかった
ので、ここで取り上げる。
 1979年10月の第35回総選挙は、一般消費税の導入を掲げた自民党に国民はノーの審判を下し、自民党の惨敗に終わった。
 それ以降、政府・財界による「行財政改革」が中心的テーマとなって、財政支出削減の方向が追及され始めた。と同時に、与野党伯仲と景気の一定の回復のもとでの80春闘であった。この春闘では労働四団体の要求基準が八%に揃えられた点も注目された。4月9日に出された金属労協への回答では鉄鋼などで前年を上回ったが、電機は最低賃上げ目標額に達しなかった。このため電機労連は、4月10日にJC決戦参加以来初の12時間ストに突入したが、回答に上乗せできず、手当の改善にとどまった。4月16日未明には私鉄総連に対し、平均1万2200円の賃金引き上げ、年間臨時給13社平均5.3ヵ月の回答が出され私鉄総連は予定していたストを中止した。
 国労は、2月27、28日に開いた第127回拡大中央委員会において、80春闘要求額として、2万3000円(12.5%)35歳・勤続17年19万円を基本とする、との方針を決め、3月11日に要求書を提出した。国鉄の賃金について4月16日からの公労委の調停作業が始まり、私鉄との完全連動をめぐって折衝が続けられたが、公益委員はこれに応じず、労働側委員の辞任する事態となった。5月14日、6.6%、1万1546円の調停委員長見解が示された。これを公労協が拒否して仲裁に移行し、6月10日に先の調停委員長見解と同一内容の仲裁裁定が出された。しかし、80年6月の衆・参同日選挙の結果自民党が大勝し、与野党伯仲の終わった選挙後の閣議で仲裁裁定が議決案件とされた。80春闘の結果は、労働省調べで、民間1万1679円、率は前年を上回る6.74%であった。
 81春闘は、労働戦線再編の動きが活発化するなかで、労働四団体の共闘が進められたことに特長があった。80春闘に続き、10%の統一要求と減税等の要求でも四団体の共同歩調が目立った。同時に、第二臨調が3月に発足し、これを受けて行革推進国民運動会議も3月に結成された。4月9日、金属労協への一斉回答では鉄鋼6.99%、電機8%であった。4月22日に私鉄の回答が出され、私鉄総連は、平均1万4700円の賃上げ、年間臨時給5.3ヵ月、生活関連分10月から1000円増額の回答を受託し、ストを中止した。
 国労は、3月4、5日に開いた第131回拡大中央委員会において、賃上げ2万5000円、扶養手当、都市手当の増額などの新賃金要求を決定した。3月11日、当局に新賃金要求を提出し、本格的な交渉に入った。交渉では、民間賃金との格差、長時間・不規則・夜勤手当など国鉄独特の労働実態への配慮などで、当局に迫ったが対立したままであった。4月3日、国民春闘勝利統一行動に参加した国労は、ローカル線廃止反対、運賃値上げ反対、物価・減税要求実現などの要求を揚げ全国主要400駅で早朝一時間出改札ストを行った。4月15日、国鉄当局は8155円、引き上げ率4.23%の回答をしてきた。この回答を不満とし、翌16日に国労動労、全印刷、全専売、全造船とともに公労委に調停申請した。
 公労委の調停作業は4月17日から始まり、23日に調停委員長による最終案(三公社五現業平均1万3996円7.64%)が提示されたが、労働者側委員、使用者側委員双方とも拒否したため、仲裁へ移行し、5月16日に先の調停委員長見解と同一の仲裁裁定がでた。この年も仲裁裁定が国会の議決案件とされ、10月30日に議決された。81春闘の結果は、労働省調べで、民間1万4037円、7.68%で前年を額・率ともに上回った。
 82春闘に先立って日経連は「労働問題研究委員会報告」で行革推進とあわせて、官公労働者の賃金抑制の一層の強化を求めた。
貿易摩擦の激化、内需停滞という経済環境のもと、行革が展開され、国鉄労働者に対するマスコミの批判キャンペーンも加わり、厳しい状況での八二春闘であった。労働四団体は賃上げ要求基準を1万4000円、9%とした。4月8日に鉄鋼1万3100円6.36%などの金属四業種への一斉回答が行われたが、金属労協はこの回答を受け入れた。また、私鉄総連は4月12日に賃上げ1万4500円(八社平均7.0%)年間臨時給5.327ヵ月回答を受託し、これにより13日予定していたストが中止され、私鉄大手は1968年いらい14年ぶりにストなし春闘であった。
  国労は、2月19、20の両日、第134回拡大中央委員会を開き、2万5000円、12.3% の賃上げ要求を決定した。3月3日、国民春闘共闘会議は一兆円減税などの要求を掲げ、統一行動を実施した。国労は全国42拠点で地上勤務者による時限ストでこれに参加した。新賃金要求を提出して国鉄当局と交渉を重ねたが、4月13日、当局が有額回答の提示要求に応じなかったため、公労委に調停を申請した。
 公労委の調停委員長見解は4月18日、国鉄には定昇込みで1万3552円、6.71%であったが、使用者側委員の拒否で仲裁へ移行した。仲裁裁定は5月8日に、調停委員長見解と同内容のものであった。82春闘の結果は労働省調べで、民間1万3613円、7.01% と前年を下回った。

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 107

本日も、国鉄労働運動史をご覧いただこうと思います。

今回は色々と資料を探してみたのですが、鉄労の資料を『国鉄民主化への道』を参考に書かせていただくのが一番詳しいようでしたので、この記事を参考に解説を加えさせていただきます。

国労とのパイプを絶つことに成功した、仁杉総裁の辞任

国鉄民営化に投書は賛成の意向であった、仁杉総裁は、本社内の民営化反対の勢力に押される形で、民営化を容認から、反対に転じることとなりましたが。
この辺は、もう少し複数の資料を探していく必要はありそうです。
6月21日に、仁杉総裁は辞表を提出、翌22日は土曜日でしたが緊急役員会が開催され、縄田国武副総裁と半谷哲夫技師長が辞表を提出、他の役員にも辞表を提出することを要請し、現状維持派の大半を含む役員の辞表のとりまとめを行ったと書かれています。

最後の最後で民営化に反対する常務理事を道連れに、辞任したのは歴史の皮肉とはいえ国鉄の改革には大きく前進したと言えそうです。

国鉄当局とのパイプを失った国労

そして、ここで一番打撃を被ったのは、国労でした。

それまで、国労とのパイプを持っていて、秋山機関と言われた、秋山資材局長と国労のパイプが切れてしまったことで、国労は迷走することとなります。

国労自体は、ある意味馴れ合いでこれた活動は出来なくなり、本社とのパイプがなくなってしまったため、結果的には〝三ない運動〝の中止にも見られるように、今までの勢いは何処へやらとなってしまいます。

雇用安定協約を再締結されなかった国労は更に窮地に

さらに、鉄労が早々と「雇用の安定に関する協約」を11月13日には調印したに対し、国労は上記のとおり、〝三ない運動〝中止を行うなど、国鉄当局への歩み寄りを示す姿勢を示すと共に、総評議長の黒川武が、国鉄総裁と組合の間に入り、雇用安定協約の締結に動きましたが、当局は、一部地本に非協力的なところがあるとして、これを拒否することとなり、雇用安定協約の再締結には至らず、国労は更に混迷の中に巻き込まれていくことになるのでした。

 

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583系改造の419系、国鉄改革の象徴とも言えます


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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 第四七回臨時全国大会の方針と〝三ない運動〝の中止│
└──────────────────────────┘
 
 国労第四七回臨時全国大会が八五年五月二七、二八日の両日、札幌で開催された。この大会の中心議題は、「余剰人員調整三項目」
を中心とする闘いの総括と分割・民営化反対の闘争方針等を決めることであった。方針案は概略つぎのようなものである。
 ① 九カ月におよぶ闘いのなかで露呈した指導部に対する『統一闘争』の組織化をめぐる不信・批判などの内部矛盾を除去することに全力をあげ、すべての労働者の創意と行動を組織化する大衆闘争と組合民主主義の徹底をはかる。
 ② 過員づくりが、分割・民営化を推進する重要な施策であり、一体不可分であるだけに、反合理化闘争を再構築し、一人の首切りも許さない態勢をつく。
 ③ 過員の解消をめざし、安全・サービス。労働条件および権利の向上などを実現する闘いを組織する。 ④地方交渉の確立な未解決の要求の実現をはかる。
 ⑤ 用安定協定については今から再締結運動に取り組む。
 ⑥ すでに派遣に応じた仲間の派遣先での労働実態および悩み・不満などについて調査し、問題解決に取り組む。
 ⑦ 当局の一方的な「規定」の制定と業務命令の乱発にたいして、 すべての職場で就業規則の点検と意見書提出の闘いを継続して 闘う。
 また、「余剰人員対策三項目」の協定の前進面として①強制・強要はしないこと、応じないことをもって不利益にしないことを明確にさせた、②所属長が該当職員に文書で復帰・復職を保障することを協定上明確にした、③組合が、〝肩たたき?をしなければならないような協定にしなかったことなどが、書記長による協定締結の提案のなかで示された。
 「余剰人員対策三項目」に対する闘いの総括をめぐって論議がかわされ、「三項目」関係の諸協定は委員長の特別発言をうけて承認したが、闘争経過については、さらに職場討議をつづけ、七月下旬に名古屋で開く第四八回定期全国大会で最終総括をおこなうこととなった。
 七月二九日から五日間、開かれた全国大会では、「余剰人員対策三項目」の闘いの総括について次のような書記長集約意見で経過を承認した。「『三項目』問題では、妥協せざるをえなかった経緯と協定をよりどころとして職場の闘いを強化していくこととする。
臨調行革の攻撃として受け止め、これに反対する広範な統一した闘い、権利闘争としての闘いを職場と地域との結合した全国的な闘いへ発展させるうえで不十分さをもっていたこと、組合民主主義上の問題や指摘も含め、これらを教訓として闘いを展開していくこととしたい」。
 また、国鉄当局は85年11月30日に雇用安定協約の期限が切れるが、協約の延長締結を求める交渉において、国鉄当局は「国労の運動のなかに〝三ない運動?があるので雇用安定協約締結という心証形成には至らない」と主張し始めた。
 このような当局の姿勢に対し、11月19日からの第一四四回拡大中央委員会で山崎委員長は挨拶で、「三ない運動」中止し、その後の対応を「派遣労働者の組織対策を強化し、協約締結以降の今日の状況の変化に留意する。強制・強要を監視し、不利益扱いについては中央・地方での団交を強化し追及する」と述べた。中央委員会で委員長の真意を問いただす質問が集中したが、次のような書記長答弁で方針を決定した。
 「雇用安定協約が結べない場合、当局は、三項目協定と関連して組織分断の宣伝を強化するであろうし、他組合は、組合員の雇用安定を放棄したと攻撃を強めるだろう。さらに協約を結べなかったことを理由に、当局は『過員』に配転命令し、拒否には解雇のねらい打ちが考えられる。希望退職者数に達しないことを理由に、指名解雇などの事態を予測した場合、協約がないことのマイナスは大きい。いま協約を結ぶ必要性は非常に重くなっている。」

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 106

ここ最近更新が出来ずに申し訳ありません、昭和60年の公企労レポートが手元にないのですが、出来るだけ資料を集めながら書かせていただこうと思います。

55歳以上の労働者脱退を阻止するための抗議行動を行う国労

年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
しかし、国鉄当局側からすれば、合理化は喫緊の課題でした、昭和59年8月に示された早期退職の条件は、下記のようなものでした。
  • 55歳以上の職員の昇給は行わない
  • 55歳で退職した場合は、特別昇給の他、4月1日退職、(これにより定期昇給が4号奉上がるため、年金などの受給で有利になる。)その反面56歳以上の職員の場合は3月31日退職扱いとなり、号奉のアップは行われず、その後の定期昇給も行われない
  • 56歳以上の場合は、こうした条件がすべてなく、定期昇給もありません。

現在の役職定年などの制度の基礎になった?

なお、最近では、55歳を役職定年として、それ以降は管理職から離れて専門職にしたり、出向させることが行われていますが、こうした国鉄労務政策が形を変えて発展したと言えるかもしれません。

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国鉄施策、希望退職者
 
 
また、出向も行われており、下記のように多くの職場に国鉄職員が派遣されているようです。

国鉄職員の出向先

出向先の例

国鉄時代は、自動車工場等への出向が多いのですが、ここには出ていませんが、スズキ自動車工業の販売店への出向もあったそうで、そこでは国鉄職員の出向期間満了後も残って欲しいと言った希望もあったそうです。

自動車工業関連への出向が意外と多いのを見ていただけると思います。

さらに、国鉄ではこうした出向以外にも直営店舗の開店などを進めていきます。
国鉄部内誌の国有鉄道1985年8月号によりますと、下記のように書かれています。
昭和59年8月6日に国鉄初の直営店舗が,東京駅はじめ12駅で開設されて以来ほぽ1年が経過した。それ以来,各鉄道管理局各駅において順次展開され、現在では年聞を通じて営業する店舗(通年型店舗〉は,別表のとおり29鉄道管理局93駅で140店舗までになった。一方,多客期やイベントのある時等に機動的に開設される店舗(臨時型店舗〉も、各地で随時積極的に展開されるようになった。
 
と書かれています。
以下、別表

国鉄直営店舗、1985年国有鉄道

国鉄直営店舗

この頃は、駅構内や余剰の客車などを改装して駅構内に設けた食堂など、数多くの直営店舗が誕生しました。
天王寺駅でも、8番線ホーム側に、釜飯屋、喫茶店、等の直営店舗が複数展開していた時期がありました。

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店 国有鉄道 1985年9月号

天鉄局直営店舗 松阪駅うどん店

年度末における退職者の取扱に関して仲裁裁定が出されることに

四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」

この件に関しては、他の資料を参照したのですが、詳細な記事が載っていませんでしたので、国労の記事をそのまま書かせていただくだけとさせていただきます。
 
国労は、仲裁裁定を経たことで、年度末における退職者の取り扱いについて締結することで、八六年度以降も現行の協定によることとして、雇用安定協約が引き続き、有効期限がある協約となったと書かれています。
ただ、この辺は、個人的にはまだまだ不明な部分がありますので、今後更に調べていき判った時点で追記させていただくことをご承知おきください。
 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 四 団体交渉再開と雇用安定協約の締結

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├○ 余剰人員対策「三項目」の妥結と雇用安定協定の解約取り消し│
└──────────────────────────────┘
 
 国労第一四三回拡大中央委員会が3月5、6日の二日間にわたって開かれたが、「三項目」に論議が集中した。とくに経過報告にたいする質疑には、三・一スト延期や闘申五〇号は大会決定違反などの疑問が中央委員から出され、経過報告の承認は方針決定と同時に行うことになった。
 方針の討議では、「当局の姿勢は変わっていない。組合の方が右往左往している」
「政府や当局の動きに依存するのではなく、職場に依存せよ」
「本部は舞台裏の折衝にあけくれている」などの批判が相ついだ。
 討議後の書記長の答弁において、三項目問題では「一人の首切りもさせない」ことを基本態度とし、休職・派遣などについての要求の実現をめざす、「緊急課題の要求」で総団結し、その前進のために闘い、重要局面でのストライキを配置すると集約し、この方向で意思統一された。なお、これらの闘いの総括にたって臨時全国大会を開くことを決めた。
 年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に集結し、抗議集会を開いた。
 こうした行動を背景に本社との交渉、国会での追及、公労委の活用などに取り組んだが、当局の不誠実な態度によって年度内解決ができなかった。三月七日に公労委に特退制度に関する仲裁裁定を申請していたが、四月四日になって仲裁裁定が示された。その内容は、「年度末における退職者の取り扱いについて締結する協定中、年齢五五歳以上の者の在職条件のうちベースアップの扱いは、職員の申し出による休職の取り扱いと派遣の取り扱いに関する各協定が締結された場合には、八六年度以降も現行の協定によること」というものであった。この仲裁裁定を受けて国労はその受諾を決めた。これにより「特退協定」「昇給協定」「休職・派遣」などをめぐる交渉は、四月八日までに大筋がまとまった。
この妥結により、当局が解約通告をしていた雇用安定協定については、85年11月30日までの有効期限のある協約として存続することとなった。

続く
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