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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 151

国鉄改革報成立前夜の動き

昭和61(1986)年9月、国鉄を取り巻く環境を弊サイト国鉄があった時代から抜粋してみます。
全て記述すると膨大な量になるので多少端折らせていただきます。
 
政府,国鉄余剰人員対策の基本方針〈国鉄等職員再就職計画〉正式決定 9/12
「明日の国鉄を創る会」主催による「国鉄改革関西フォーラム」を大阪で開催 9/12
京都府は、国鉄職員95人(府警分85人を除く)の受け入れを決定 9/12
神戸市が国鉄職員100人の受け入れを決定 9/12
15日現在の希望退職募集状況によると、退職希望職員認定申請を提出した職員は7、193人(そのうち2、945人が既に退職 9/15
滋賀県国鉄職員100人の受け入れを決定 9/16
新潟の国労組合員、人活センターへの配転は無効と提訴 9/16
新潟鉄道管理局内の人活センターに配置された国労組合員15人が配置転換の無効と不当差別差し止めの民事訴訟新潟地裁に提訴
九州電力に103人の職員が採用決定 9/17
新潟の国労組合員、人活センターへの配転は、「無効」と提訴 9/17(新聞)
人材活用センターは、国労つぶしを狙った不当な差別だ、として新潟鉄道管理局管内で、人材活用センターに配属された国労組合員15人が国鉄相手に、配置転換命令無効確認と不当差別差し止めを求める民事訴訟新潟地裁に提訴
地方本部の仮処分申請はあるが、組合員からの訴訟は全国初
国労新潟地本に夜と9月1日現在47ヵ所284人が配置され、うち146人が国労組合員で各支部の役員や活動家という
岐阜県国鉄職員180人の受け入れを決定 9/18
日産自動車は系列の販売会社に国鉄職員876人の受け入れを決定 9/18
自民党国鉄改革惟進本部」(本部長中曽根首相)の初会合 9/19
国労との労使共同宣言、地方では結ばず。 9/19
国労の地本レベルで独自に労使共同宣言を結ぶ動きがあるが、本部と締結していない以上、地本レベルでの締結はしないように各鉄道管理局に指導していたことが明らかとなった
本部を飛び越えた形で地方と締結するのは不当労働行為にあたる恐れがあると説明している
国鉄の分割・民営化に反対し国鉄を守る国民会議、8千人で集会 9/19
岡山県国鉄職員115人(公安55人を含む)の受け入れを決定 9/22
伊勢線特定地方交通対策協議会で国鉄伊勢線の代替輸送計画決定 9/22
大阪圏鉄道網整備3機関連絡会議初会合 9/22
首都圏の国鉄各線で信号ケーブルが焼き切られる同時多発ゲリラ発生 9/24
9/24朝首都圏の24カ所で国鉄の通信および信号ケーブルが、過激派とみられる一味に切断され、6線が運行不能、150万人の足に影響
国鉄改革法案審議入り 9/25
開催中の臨時国会最大の焦点である国鉄改革関連7法案の趣旨説明と質疑が衆院本会議で行われ、国会での実質審議が開始
と行った一連の動きがあり、国鉄改革の法案が決定前ですが、国鉄以外の省庁への採用枠が決定されるなど、分割峰以下は規定事項として進む中で、過激派による通信ケーブル切断などの事象が発生しました。
国労は、より現実的な路線を模索するものの反対派の意見を押さえきれない他、当局も態度を硬化し、地本レベルでの労使協調宣言を結ばないように通達するなど、国労自身が当局から突き放されている印象を受けます。
当局としても改革労協と宣言を結んいる以上国労とも結ぶというのは、矛盾が生じると感じていたことは間違いなさそうです。
 
この時期には、一般の世論は分割民営化に対しては、赤字国鉄を改革するための荒療治は必要と感じつつも、国鉄が分割されることによる不安も漠然と抱えていました。
ここに来て左翼運動は活発となりますが、世間一般にはなんとなく改革は必要だけど・自分には直接は関係ないという雰囲気が体制を占めていたように記憶しています。
 
国労は、「国民会議の運動は全国的規模で闘われ、各地の共闘組織や市民団体の運動を合流させ、国民世論の形成に大きな役割を果たした」と総括していますが、国労が考えるほど世間的には分割民営化に関しては消極的な賛成であったように感じられます。
この辺は次回にもう少し踏み込んで語ってみます。

続く

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国鉄があった時代 JNR-era
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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第四節 分割・民営化に反対する国民運動
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├○ 三 国民会議の結成と展開 │
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国民会議の運動

 まず、国民会議の発足から2カ月後の9月19日、東京都内の各駅頭での宣伝活動や国会議員への要請活動、国労本部を激励するなどの活動が行われた。午後6時からは約8000人を結集して中央集会(日比谷野外音楽堂)が開かれた。なお、この日には東京だけてなく、高知、山口、広島、群馬などにおいても集会やデモが行われている。又、10月には「国民の足を守る北海道会議」が結成された。北海道会議の結成は全国的な国民会議の結成から約3カ月後の10月19日であった。この日、札幌市で開催された結成総会には道内の地域共闘、市民組織、個人など約500人が結集した。結成後は、署名活動や国鉄当局への抗議、公開質問状の提出、各地城での住民要求の組織化、国鉄労働者と家族への激励などの取り組みが行われた。国民会議全体の運動もこのような府県レベルに結成された組織の活動を基盤とし、それに支えられながら大きな流れを作り出していくこととなった。
 国労が分割・民営化反対を堅持して闘う方針を再確立した修善寺大会(後述)後の、11月13日、国民会議の主催によって「国鉄解体を阻止する全国集会」が東京(日比谷野外音楽堂)で開催された。国労の組合員をはじめ、全国各地の代表団が上京し、約7000人が参加した。主催者のあいさつと社会党共産党国会議員の激励につづいて、六本木国労委員長は、「どんなに苦しくても仲間を信じ、団結して闘う以外にはない。国労国民会議を力を合わせて闘いつづける」と決意表明を行った。そして集会の後、参加者は国会に向けてデモ行進を行った。
 なお、分割・民営化に反対する闘いの一環として、この時期には全国の国鉄職場を対象に総評や国労弁護団を中心とした職場調査の取り組みが組織された(後述)。この取り組みは、分割・民営化攻撃のなかで現場当局による国労国労組合員にたいする不当労働行為や人権侵害を摘発し、必要な場合には関係機関に提訴するとともに不当な労務管理の実態を暴露し、分割・民営化反対の世論形成をも目的としていた。国民会議もまた独自の立場から職場調査の活動を行っているので、この活動について述べておくことにしよう。
 国民会議による職場調査への取り組みは、総勢54人で構成された調査団を編成し、87年3月15~16日に実施された。調査対象となったのはこの時期に新会社への採用・配属を通じて露骨な"国労つぶし"の攻撃がもっとも集中していた北海道の各職場であった。調査団は清算事業団に配属された組合員やその家族を激励し、国鉄北海道総局にたいしては希望者全員の新会社の採用を主張し、あわせて抗議と申し入れを行った。またこの調査を通じて、不当な差別が国労・全勤労の組合員に集中し、北海道での新会社への採用率は改革労協のほぼ100%にたいして、国労48%、全動労28%となっていること、また清算事業団詰所は人活センター以上に収容所的であることが明らかにされた。国民会議としては、こうした不当な事態を広く宣伝し、さらに国労と連帯して闘うことを確認した。
 なお、国鉄の分割・民営化が実施される直前の1987年3月31日には国労国民会議の共催で、「よみがえれ国鉄」をスローガンとして全国各地で集会・デモがくり広げられた。
 また、分割・民営化が実施された後の5月8~10日には国労教育センターにおいて、「国鉄の分割・民営化に反対し、国鉄を守る国民会議」の全国交流集会が開かれた。この交流会は、これまで分割・民営化に反対して多様な活動を展開してきた地域共闘組織や国民会議の運動の経験を交流し、分割・民営化後の国民会議の運動を展望しようという目的で開催された。そして、具体的には、①各地での裁判闘争の支援、②国労、全勤労の分会を支援し地域共闘を拡大する、③各地で報告集会を開く、④清算事業団による土地処分にたいする市民レベルでの監視行動を強める、などの国民会議としての今後の運動課題が確認された。
 こうして、国鉄の分割・民営化に反対する国民会議の運動は全国的規模で闘われ、各地の共闘組織や市民団体の運動を合流させ、国民世論の形成に大きな役割を果たした。また、分割・民営化後における国労の闘いを各々の地域でバックアップする役割が期待されたのである。
 しかし、こうした闘いにもかかわらず、国労の分割・民営化に反対する職場での闘いは困難をきわめた。当局は、87年4月1日からの分割・民営化体制への地ならしとしての合理化や広域異動などを法人と人権を無視して強引に行ってきたからである。それが国鉄内の動労、鉄労、全施労。真国労の四組合と「労使共同宣言」を結び、すべての事実をこの四組合と先行妥結し、その結果を国労に押しつけるというやり方ですすめられた。

続く