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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 150

久々に更新させていただきます。
今回から、弊サイト「国鉄があった時代」の記事を参照しながら、自身の記憶を絡めながらお話を勧めさせていただきます。
最初に1985年7月以降の国鉄に関する動きを見ていきたいと思います。
 

1985年後半(国鉄があった時代)

大畑線【路線廃止】下北~大畑間 下北交通に転換 7/1
岩内線【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバスに転換 7/1
興浜北線【路線廃止】浜頓別~北見枝幸(-30.4km)。宗谷バスにバス転換 7/1
この内、大畑線は、鉄道経営の経験を持たない民間パス会社に移管した全国初のケースとなる
第1次線40線区のうち29線区の転換が完了
JNRカード会員募集開始 7/1
キャプテン利用の指定券予約受付開始 7/1
 国労主催"国鉄の分割・民営化反対、地方交通線廃止反対、地域公共交通を守る全国交流集会"全国各地の「足を守る会」など10団体、約1000名の参加者が結集 7/3
昭和60年度第1218回日本国有鉄道監査委員会 7/4
国鉄「再建実施推進本部」設置 7/4
杉浦総裁、現場を初視察(東京駅) 7/4
杉浦総裁は、初の現場視察として8時30分、ラッシュで混雑する東京駅を訪れ、高木東京南局長、百瀬東京駅長らとともに山手・京浜東北線ホームへ、つづいて各職場を巡視、第一線で業務に励む職員を激励
 
国労、「分割・民営」に反対を表明 7/5
国鉄分割民営化反対・国鉄再建政策推進大阪集会」の開催 7/5
国労国鉄再建監理委員会に対する抗議と国会議員に対する連日の上京要請行動 7/8
 
同盟中央評議会で宇佐美会長、「国鉄の再生は分割・民営以外にない」と表明 7/10

同盟中央評議会で、国鉄の再生について言及

昭和59年度監査報告書案について運輸政策審議会、「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画を運輸相に答申 7/11

国労三役、杉浦総裁と初のトップ会談。総裁、「監理委員会答申に沿って」など表明 7/12
国労主催、「国鉄の分割・民営化反対、地方交通線廃止反対、地域公共交通を守る」全国交流集会。110団体1000人が交流 7/13
興浜南線【路線廃止】興部~雄武(-19.9km)。北紋バスにバス転換 7/15
第2次特定地交線漆生線の第1回対策協議会開催 7/15
総評第七三回大会開催 7/15
昭和60年度最大の課題として、国鉄問題をあげ。運動方針とは別個に独立議案として「国鉄再建闘争方針」を提起。活動方針は
  1. 国鉄の「分割・民営化」を阻止し、真に国民のための国鉄再建をかちとるために国民の多数派形成をめざし、有権者過半数を目標とした署名運動を展開する
  2. ローカル線廃止をやめさせる運動を進める
  3. 国鉄労働者の首切りを許さないために、総評傘下全組合員が団結してたたかう
  4. 総評国鉄再建闘争本部を設置する、などが柱となっている

動労第12固定期全国大会 7/5~28
再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26
旅客6分割
  1. 貨物分離で1社
  2. 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付
  3. 余剰人員対策

全文は、以下に記述

国労動労・全動労・全施労の国鉄4労組は、国鉄再建監理委の最終答申に対し連名の抗議声明 7/26
動労の第一二回大会開催 7/26
総評国鉄再建闘争本部、「答申に対する見解」と抗議声明 7/26
統一労組懇や民主団体などによびかけ、1,000万署名に取組むことを決定
国労第48回定期全国大会(名古屋)。7/29~8/2
監理委員会答申と対決する方針決定。「分割・民営化」反対のための多数派形成 5000万署名の強化、雇用を守 るため労働組合の存在をかけ、重要段階ではストライキで たたかうと意思統一。「職場の力、共闘の力、政治の力」 を一体のものとしてたたかうとの方針を決定昭和60年度第1232回日本国有鉄道監査委員会 7/30昭和59年度監査報告書案について国労委員長に山崎俊一氏 7/29~8/2
国労(20万人)は名古屋で開かれた定期大会最終日に役員改選を行ない、新委員長に山崎俊一書記長(53歳)、新書記長に荒井敏雄調査資料室長(52歳)ら新執行部を選出
山崎委員長は「分割民営化阻止」を宣言
政府「意見」を最大限尊重する旨の閣議決定 7/30
一部抜粋。全体は下記サイトを参照
国鉄があった時代 昭和61年後半

国鉄当局は、分割民営化体制へ、同盟も分割民営化容認

国鉄総裁がに仁杉総裁から杉浦総裁体制となり、国鉄分割民営化は既定路線となり、国労は、7月5日には、国労、「分割・民営」に反対を表明 しており、積極的な反対行動を行います。
国鉄分割民営化反対・国鉄再建政策推進大阪集会」の開催 7/5
国労国鉄再建監理委員会に対する抗議と国会議員に対する連日の上京要請行動 7/8
同盟中央評議会で宇佐美会長、「国鉄の再生は分割・民営以外にない」と表明 7/10
ここで注目したいのは、同盟がこの時期に、分割民営化を容認していることでしょうか。こうして同盟は分割民営化に容認の姿勢を示すものの、国労は断固分割民営化反対ということで、労使協調路線を明確に示しています。
さらに、国労の本文でも出てきますが、
1985年11月、国鉄の分割・民営化に反対する大阪府民会議が結成されたこにひとつの起点を求めることができる。
と書かれていますが、この辺の詳細を改めて見ていきますと、大原社会問題研究所の1987年版にその当時の動きを追いかけることができます。
すなわち、1985年7月25日に大阪で結成された、「国民の国鉄を守り、利用者・市民本位の足づくりを進める大阪駅周辺共闘会議」であり、これに呼応して吹田市などでも同じような運動が立ち上がったと言われています。
当時の吹田と言えば吹田操車場(この時点では信号所)があり、運用を停止した操車場には、多数の貨車が滞留しており、数多くの操車係などはその職を奪われる形となっていたわけで、当然のことながら職場がなくなるか否かの死活問題ですのでその辺は関心は高かったと思われます。
なお、国鉄での動きを中心に見ていきますと、国労は分割民営化阻止に向けてのストライキを実施する反面、鉄労では、分割民営化を容認する運動方針を決定するなど、国労が時限ストを含めた国鉄分割民営化反対を打ち出す中で。正反対の動きを行っていること、更にはこの大会で鉄労は正式に分割民営化を方針として決定しており。同盟の動きとも同調したとも言えそうです。
国労が時限スト 8/5
分割・民営化に反対する国労は再建監理委員会の最終答申に抗議して始業時から全国1、500カ所で1時間の時限スト。乗務員関係を除いたためダイヤに影響はなかった。国労のストは昨年8月以来1年ぶり
国鉄本社 第292回運転事故防止対策委員会開催 8/5
国労国鉄の分割・民営化答申に反対するストライキ決行。1588分会、6万7700人が参加 8/5
鉄労第18回定期全国大会で、分割民営化支持の運動方針採決、杉浦総裁が初めて出席 8/6~8/8
鉄労第18回全国大会(6~8日)鉄道労働組合(辻本滋敬組合長)の6日から3日間の日程で、東京・上野の池之端文化センターで関かれ、歴代総裁で初めて労組大会に出席
こうして、国労=分割民営化反対、鉄労=分割民営化推進の立場であり、動労は資料不足もありますが、この時点で積極的に分割民営化賛成とは謳っていませんが、積極的に出向なども受け入れており、分割民営化ならずとも積極的に協力態勢を敷いていましたので、実質的には容認と言えますが、積極的なものではなかったと言えそうです。
 

続く

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第四節 分割・民営化に反対する国民運動
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├○ 三 国民会議の結成と展開 │
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 国民会議国鉄の分割・民営化に反対し、国鉄を守る国民会議)が結成される契機となったのは、1985年11月、国鉄の分割・民営化に反対する大阪府民会議が結成されたこにひとつの起点を求めることができる。この大阪府民会議のもとに、関西の各地域で結成されていた地域共闘組織が結集することになったからである。もっとも、このような全国各地に組織された分割・民営化反対をめざす諸団体が結集を強めていこうとする機運は、大阪府民会議の結成以前から高まりつつあった。例えば、1985年7月3日に国労の主催で開かれた"国鉄の分割・民営化反対、地方交通線廃止反対、地域公共交通を守る全国交流集"会には、全国各地の「足を守る会」など10団体、約1000名の参加者が結集した。そして、この全国交流集会で採択されたアピ-ルでは、「政府、各政党、関係機関への申し入れ」や「総評との連携を強める」ことや、当面は「監理委員会答申反対の活動を強化し、『分割・民営化』反対の諸団体を総結集して幅広い闘いを展開するよう努力する」との運動方針が決定されていたからである。大阪府民会議の結成もまた、この全国交流集会でのアピールをふまえたうえで実現の運びとなったといってよいであろう。
 さて、国民会議結成への次のステップは1986年1月3日、国鉄の分割・民営化に反対する東京会議準備会""大阪府民会議 分割・民営化に反対する愛知連絡会"の代表が名古屋で交流集会を開いたことである。この交流集会には国労の東京、名古屋、大阪の各地本の代表も参加し、全国的な共闘組織運動の連絡組織の結成を呼びかけるアピールが確認された。また、このアピールには先の市民団体だけでなく国労3地本の委員長も名を連ねており、この意味で、以降の全国的な共闘組織の確立を推進していくうえで大きな意義をもっていた。
 この名古屋アピールの後に、全国的な共闘組織をめざす動きは急速に進展した。1986年2月16日には、それまで"準備会"であった東京の組織も「分割・民営化反対東京会議」として正式に発足することとなった。また、4月17日には「分割・民営化に反対する神奈川会議」も発足した。さらには、4月27日に国鉄の分割・民営化に反対する全国交流集会が開催されたのに続いて、5月13日には「国鉄の分割民営化に反対する全国連絡会(仮称)準備会」が発足した。同日には、東京会議と神奈川会議の呼びかけで、「国鉄解体法案の廃案をめざす5・13大集会」(日比谷野外音楽堂)が約1万3000人を結集して開かれた。かくして、7月"9日、東京九段会館において国民会議が正式に発足することとなった。そして、国民会議の発足によって、全国に組織された分割・民営化に反対する約"300の市民団体や共闘組織が大きなひとつの流れに合流していった。
 国民会議は主要な運動として、 ①「分割・民営化」の本質や矛盾を徹底的に明らかにし、宣伝 活動を行うこと、②国鉄労働者との連帯行動、③大衆行動と国会の要請行動、④国鉄当局への抗議行動、⑤無数の学習会と集会の開催を行うという方針のもとに、積極的な取り組みを展開していった。