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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 148

久々に更新させていただきます。

今回も、引き続き国鉄分割民営化前後の記事をアップさせていただきます。

本格化する財政再建論議

国鉄の財政悪化を受けて、国鉄財政再建が本格的に議論が行われていました。

4年前の昭和50年に行われたスト権スト、更には昭和51年の大幅値上げ(初乗り旅客運賃が30円→60円)平均50.4%が行われ、この頃から本格的な国鉄離れが始まりました。

その結果、旅客以上に貨物のトラックへの移行が進むなど徐々に国鉄の貨物輸送はジリ貧の状況に追いやられていきます。
昭和52年には、国鉄運賃は法定制から運輸大臣の認可制に変更されることとなり、昭和53年5月には運賃改訂を申請、その後毎年のように運賃は改定されていきました。
それとともに、最後の再建計画と言われた国鉄再建計画が実施されることとなり、貨物列車の減量化などが進められ、昭和57年には旅客・貨物共大幅な減量ダイヤとなりました。特に貨物輸送の減少が大きく、数多くの機関車が休車として機関区に留置されることとなり、これに伴い機関士も余剰となったことから、動労では職場を守るという観点から、当局側にすり寄る施策を取るようになったの波ご存じの通りです。

昭和53年5月、法定制から認可制に移行後の初めての運賃改訂

運賃改定を申請 5/11

国鉄は、福永運輸相に対して旅客・貨物の運賃・料金を平均約15%値上げする改定案を申請
改定は2年ぶりで、最近の輸送市場、需要動向を分析したうえで、おおむね1年分の経費増加額に見合う額を目途にしている
実施時期については、国鉄としては当初7月1日を目途とし、増収額2,539億円(増収率15%)を見込んでいる
国鉄があった時代 昭和53年前半編から抜粋

昭和53年11月には再び平均15%の運賃改訂が行われるとともに、その後毎年のように経費増加分を運賃改訂で補ったため、60円に倍増した、昭和51年以降、初乗り運賃は、60円→80円→100円→110円と値上げを続けました。

国会でも問題となった、顕著な国鉄離れ

特に昭和54年以降は、旅客の国鉄離れも顕著になり、国会参議院でも「運輸委員会国鉄問題に関する小委員会」が開催されるなど、非常に国鉄財政再建問題は大きな問題となりつつありました。

短期間の内に三倍近い運賃、(30円→80円(S53改定時)に変更され、貨物輸送にあっては、前時代的なヤード系輸送が嫌われ、トラック輸送が更に加速することとなり、国鉄では一層の無人化や貨物取扱駅の集約などが行われることとなり、国鉄末期には余剰人員(いわゆる過員状態となりました。

そんな中、最後の再建計画として制定された法律が、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法であり、条文では以下のように書かれています。

第二条 日本国有鉄道の経営の再建の目標は、この法律に定めるその経営の再建を促進するための措置により、昭和六十年度までにその経営の健全性を確保するための基盤を確立し、引き続き、速やかにその事業の収支の均衡の回復を図ることに置くものとする。

と明確に昭和60年度までに経営の健全性を確保するとされています。

実際に特定人件費などを除けば昭和59年度には幹線系で収支均衡を達成し、昭和60年度には地方線区も含めて黒字決算になっていたわけですが。すでに再建監理委の方針が示されていたこともあり、そのまま分割民営化路線を突き進むこととなったのはすでに多くの皆様もご存じの通りです。

参考: 法律第111号 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法

昭和54年には、参議院で 雲遊委員会国鉄問題に関する小委員会の詳細は以下のblogを参考にしてみてください。

参考リンク:第87回国会 参議院 運輸委員会国鉄問題に関する小委員会 第1号 昭和54年5月30日

地方ローカル線廃止に関する地域の不安を煽ることで、実際に「住民の足を守る会」などの地域共闘組織が立ち上がりましたが、地方自治体も漠然とした不安はあるものの未だ現実問題として捉え切れていないものがありました。

地方の鉄道輸送は国鉄が行うものであり、地方自治体は積極的に関わらないものというのが基本的な考え方であったのもこの時期の特徴でした。

実際に、地方交通線の収支は悪化し続けており、輸送量の減少等で収支は急速に悪化していきます。

地方でのローカル線廃止反対決議が起こるも

国労的な視点では、地方での反対決議が起こったと記述されていますが。

国労は、1981年1月には「国鉄再建についての要求」を国鉄当局にたいして提出していたが、この要求のなかで、「地方交通線の切り捨ては地域住民の足を切り捨て、また、地域の産業、経済、文教等の面を含め地域社会の破壊計画である」と指摘し、「地方交通線の廃止政策に反対する」という立場を鮮明にした。そして、地方交通線の廃止を阻止するために「住民の足を守る会」などの地域共闘組織が全国の各地に結成されていった。

それまで、地方のローカル鉄道として国鉄が運営している事が当たり前であることから、現状の変更に対する反対といういわば、現状維持を求める反対という程度であったと推測されます。

実際に、基幹鉄道輸送は国が行うものであり、国鉄=国がそれを担っていると地方時自体は考えているわけで、国鉄が独立採算性の名の下、収支均衡を求められ、かつ相反する公共性を求められてきたことはあまり意識していなかったのではないかと考えます。

この辺はあくまでも個人的な私見であることは最初にお断りしておきます。

特別措置法は、ローカル線の廃止を言明

日本国有鉄道経営再建促進特別措置法では、第4条第2項第三号に以下のように記述されています。

第四条 日本国有鉄道は、運輸省令で定めるところにより、その経営の改善に関する計画(以下「経営改善計画」という。)を定め、これを実施しなければならない。

三 輸送需要に適合した輸送力の確保その他の輸送の近代化に関する事項

これにより、ローカル線を廃止することが明言されるわけで、廃止の他、地方自治体への譲渡が法律で示されます

 

地方交通線の貸付け及び譲渡)

第十二条 日本国有鉄道は、日本国有鉄道法第四十五条第一項の規定にかかわらず、地方交通線の貸付け又は譲渡を受けて地方鉄道業を営もうとする者に対し、政令で定めるところにより、当該地方交通線を貸し付け、又は譲渡することができる。

地方自治体にしても、こうしたことは初めての事例でもあることから、上記のような現状維持を求める反対としての反対決議が起こったと考えるのがより素直ではないかと考えるわけです。

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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第四節 分割・民営化に反対する国民運動
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├○ 一 地方議会の反対決議 │
└─────────────┘

 先にも述べた5000万署名運動とならんで国労は分割・民営化反対の国民世論、多数派の形成をめざす多様な運動を展開した。
1984~1985年の時期を中心に展開された、全国の市町村自治体野議会におけるローカル線切り捨て反対や国鉄の分割・民営化に反対する地方議会の反対決議が広がっていった。
1980年(昭和55)11月、国鉄再建法案が国会で可決され、翌12月に公布された。そしてこの法律によって赤字ローカル線特定地方交通線)の整理・廃止についての手続きが定められた。
国鉄の分割・民営化に反対する地方議会の反対決議という問題の発端はこの法律の制定を契機とするものであった。そして、国鉄再建法の下で、1981年5月に国鉄当局は「経営改善計画」を運輸大臣に提出したが、この計画のなかで貨物部門の合理化や7万5000人の人員削減計画と並んで、赤字ローカル線の整理・廃止がひとつの柱として位置づけられることとなった。
 これに対して、国労は、1981年1月には「国鉄再建についての要求」を国鉄当局にたいして提出していたが、この要求のなかで、「地方交通線の切り捨ては地域住民の足を切り捨て、また、地域の産業、経済、文教等の面を含め地域社会の破壊計画である」と指摘し、「地方交通線の廃止政策に反対する」という立場を鮮明にした。そして、地方交通線の廃止を阻止するために「住民の足を守る会」などの地域共闘組織が全国の各地に結成されていった。
(以上第二章に上述)
 しかし、特定地方交通線の廃止という不採算部門からの撤退という考えは、1982年7月の臨調第三次答申や再建監理委貝会にも一貫して継承されていくこととなった。
 かくしてローカル線を利用する住民にとっては日常生活に不可欠な交通手段を奪われるという不安が高まった。同時に、国鉄労働者にとっても大規模な人員削減によって職場そのものがなくなってしまうという深刻な事態が現実のものとなってきたのである。国鉄の分割・民営化に反対する国民運動が、国鉄労働者と地域住民の共同闘争として展開され得る社会的基盤はここに存在していたといってよいだろう。そして、このような状況を背景として、分割・民営化に反対する地方議会の決議が、全国各地に結成された共闘組織を支えとして、広がっていったのである。
 1985年7月26日監理委員会「分割・民営化」による国鉄再建という主旨の最終答申を中曽根首相に提出する直前の7月24日現在、国労本部に報告された集約結果によれば、県議会での反対決議が12県、市議会での反対決議が120市、町議会での反対決議が319町、村議会での反対決議が54村で、総計515の市町村自治体が反対決議を採択していた。このうちの102の自治体が1985年6月の地方議会での決議となっている。なお、このような地方議会での分割・民営化反対の決議への動きは、早い所では1982年から始まっており、先の集計結果は1982年~1984年の時期に行われた反対決議は含まれていないので、1986年7月の時点では、先の数字をはるかに上回る反対決議が行われていると思われる。ちなみに、国労が1987年1~2月の時点で集計した結果によると、全国で850の市町村議会が反対決議を行っていた。
 これらの地方自治体の反対決議において特徴的なことは、北海道の釧路や旭川ではほとんどの市町村議会で決議がなされていることや、四国では全部の県議会が反対決議を行っていることからうかがえるように、ローカル線が住民の日常生活にとって重要な役割を担っている地域の自治体が反対決議の中心となっていることである。また、その決議も、各々の地方議会内部の与野党間勢力のバランスや地域的な利害関係を反映して、決議の内容は多様なものとなっている。例えば、長野県の事例を挙げれば、「国鉄分割・民営化に反対する意見書」(堀金村)、「貨物駅廃止に関する意見書」(松川町)、「国鉄ローカル線の維持と運行確保に関する意見書」(長野県)、「国鉄小海線の存続に関する意見書」(佐久市)、といった主旨の決議になっている。しかし、いずれにせよ、これまで説明してきたような地方議会の反対決議や意見書は、国鉄の分割・民営化を阻止していく世論を生み出す大きな契機となったのである。

続く