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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 35

皆様こんにちは、本日も国鉄労働組合史を底本に、お話をさせていただこうと思います。

資料等の性格上引用が多くなりますが了承願います。

国労全電通の見る組織保存の考え方

国鉄財政再建計画の一環で導入した生産性運動は、国労組合員や動労組合員の減少を招き、鉄労組合員を増やすという結果を生みました。

国労とすれば「組合員の減少=組合費の減収・組織力の低下」につながるわけですから何としても阻止する必要がありました。
しかし、そこで思い起こされるのは、同じように総評に所属しながらも組織内分れるも起こさず一枚岩で推移した、全電通(現在のNTT労組)との違いです。
MTT労組も、総評所属でしたが、合理化では当局と対立しつつも、条件闘争をだしながら協力していった電電公社とは、結果的に大きく異なる姿を見せることとなりました。
電電公社は、民営化問題が起こったときには、進んでこれを取り入れたことで組織の分断を割けることに成功し、現状でも実質的な地域電話会社(NTT東日本・西日本)は、(規制会社)ということで実質的な国営会社として、様々な規制を受けており、みなし公務員としての規制をうけるといったことを聞いたことがありますが、それ以外の

と言った会社はNTTというブランド力を背景に力を発揮しており、NTT本体にも多大な貢献をする会社として君臨しています。

グループ会社ですので、引き続き社員はNTT労組の組合員と言うことになります。

 

それに対して、JRは国鉄本社も組合も民営化に最後まで反対したこともあって、結果的には地域分割・完全民営化と言う道を辿ることとなり、その利便性が大きく損なわれていることは説明するまでもないかと思います。

マル生運動の反撃に出る国労

 「マル生」粉砕闘争は、職場を基点とする抵抗=反撃を中心とした組織防衛的性格の強い闘争であったが、同時に、闘いを多面的にかつ総合的に展開すること を必要とした。動労との共闘、総評や全交運の全面的支援を受けつつ、マスコミ対策強化、「マル生」調査などもその一環であった。なかでも、裁判・公労委闘 争は、ILO闘争とともに、「マル生が権利に対する全面的な攻撃である」事を明らかにするために最も重視され、成果を期待する闘争であった。

国労の取った方策は、動労との協調は言うまでもなく、マスコミ対策強化、対策なども行われたほか、闘いを多面的にかつ総合的に展開すること を必要とした。とありますように、労働組合幹部を通じて管理局長への工作なども行なわれたようです。

少し長いですが、(大野光基著 国鉄を売った官僚たち) から引用させていただきますと、

生産性運動にはっきり反旗をひるがえす幹部がでてくるのは、五月二十日のスト前後からである。
 その一人が東京南鉄道管理局長の原田種達であった。東京南局というのは、富塚三夫の出身母体である国労東京地方本部を擁する管理局であった。このため原田と富塚とは当然接触する機会も多かったと思われる。
 前述したように、第一回鉄道管理局長生産性研修は五月二十四日から行われており、第二回は六月八日から行われた。
 ところがこの研修に出席しない管理局長が四~五人いた。その一人が原田種達だった。
 私は管理局長室へ行って、「なぜ局長研修に参加しないのか」と、原田に間いた。
 その時、彼は、「あんな神がかりのようなもの……」と言いかけたので、
 私は怒って、「どこが神がかりか」と聞き返したら、
 「すまん、いまの発言は取り消す」と言って謝ったが、この時すでに彼は生産性運動について、国労や一部社会党代議士と同じような認識に立っていたのである。
 東京南局総務部長の川野政史も、局長と同様に生産性運動を忌避した一人であった。
 富塚との結びつきは、局長の原田よりも川野の方が濃厚だった。
 なぜ生産性運動に不熟心なのか? と彼に問いただしたことがある。彼はその理由をこう説明した。
 「合理化とか、業務上の指示をビシビシやって行けばよい。あの組合は良いとか悪いとか言う立要はない」
 そう言ったうえで川野は、「東京駅でネームプレートを職員がつけるように指示した」という。
 そこで私は、
 「ネームプレートをつけろと命令するよりも、自ら進んでネームプレートをつけるような土壌か東京駅につくることを考えるべきではないのか」
 とやり返すと、川野は理解に苦しむといわんばかりに、ただキョトンとするだけだった。

挫折した国鉄の生産性運動――マル生
(大野光基著 国鉄を売った官僚たち) から引用

 

とうことで、国労幹部による説得工作?が功を奏してきた時期と言えるかもしれません。

仮処分申請による判決が国鉄当局を追い詰める

国労は全国の裁判所に仮処分申請を出すなどして対抗、とりわけ、9月14日に、札幌地裁から出た、札幌・苗穂工場に対する仮処分につきましては、その中身が不当労働行為を行なってはならないということであったことから、当局の活動が組合員を故意に移籍させるための行為であると認定されたことは国鉄当局にとっては痛手でした。

しかし、仮処分申請がでた、苗穂工場では、「仮処分決定後において、あらためてそういう不当労働行為はしてはならないという趣旨の徹 底をされたということを下部の職場長等は聞いておらぬと言っておるのであります。」

と言うように、仮処分決定に関する内容が伝達されていないということで大きな問題として国会の質問の場に挙げられています。

札幌・苗穂工場事件に対する札幌地裁判決であった。同地裁は、当局に「脱退工作の禁止」を命じた。組合側は意気上がり。当局には打撃となった。

以下は、長いですが、衆議院会議録情報 第066回国会 社会労働委員会 第6号 昭和四十六年十月十一日(月曜日)の記事から引用させていただきます。

○真鍋説明員 九月十四日の札幌地裁で出しました仮処分につきましては、その中身が不当労働行為を行なってはならないという仮処分でござい ます。これにつきましては、当然のこととしまして私どもは当然服することでございますが、ただ事実関係につきましては争ってきたところでございまして、最 終的にこれをどのように考えるかということは現在検討中でございます。
○田邊委員 そういう返答があるかと思っておったのです。この仮処分の決定というのは、いわゆる不当労働行為をしてはならないという主文だ けで成り立っておるのではありません。その前文において、この申請の趣旨、申請の事由を相当と認める上に立って不当労働行為はしてはならないという、こう いう主文が成り立っておることは事実でありまして、主文とその事由とを切り離して考えることは当然できないのであります。したがって、この仮処分の決定に ついては、国鉄当局は当然の成り行きとしてこれに服する気持ちはありますか。
○真鍋説明員 これにつきましては現在検討中でございます。
○田邊委員 そういうあなたの態度がどのくらい国鉄を誤らしめてきたか。公労委の決定についても、当初は総裁にしても真鍋理事にいたしまし ても、きわめて高姿勢、きわめて挑戦的な言動を吐いておったけれども、いわば政治的な情勢、国会におけるところの追及等をにらんで、今朝服することに態度 を決定された。あなた方はこの中身については争うというけれども、裁判所は、いわば抽象的に不当労働行為をしてはならぬぞという、こういう訓示をしたので はないのですよ。相当な理由があって申請をした。その趣旨を相当と認めて、不当労働行為をしてはならぬというこういう緊急的な短時間におけるところの決定 をしたことはあなたも御承知のとおりであります。とすれば、この仮処分の決定に対して、公労委の命令と同じ第三者の公正な判断という立場に立てば、早急の 機会にこれに服する態度を表明すべきであると私は考えておるのですが、そういった態度をおとりになる用意はありますか。
○真鍋説明員 仮処分に至ります経緯につきましては十分承知しておるわけでございますけれども、私どもの主張してまいりました事実と、仮処 分で事実関係につきましてどのような法律的な判断になるかということを私どもは慎重に検討しておるわけでございます。その結果、これにつきまして服する か、あるいはさらに争うかということをきめたいということは、事実関係において私どもは考えておるところでございます。
○田邊委員 しかし、仮処分の決定は現在生きておる。あなたのほうであらためて争いを起こさない限りにおいて仮処分の決定は生きておる。し たがって、この仮処分の決定を尊重して下部に対して不当労働行為はしてはならないという措置をすることは、当然国鉄の任務である。そういう措置をしました か。
○真鍋説明員 繰り返しになりますけれども、仮処分の中では、事実関係につきまして争ってまいりました事実につきましての理由が明らかにさ れていないということでございますので、私どもは、その事実関係につきまして私どもが主張してまいりました点と、組合が主張してまいりました点との違い、 あるいは法律的にどういうふうにこれを今後考えるべきかというような点につきまして検討しておるというわけでございます。
○田邊委員 委員長から――実は答弁を簡潔に、しかも私の質問に対して的を射た答弁をしてもらいたい。仮処分の決定は現在生きておる。した がって、あなた方は当然この決定に対して下部に、仮処分の決定に基づいて不当労働行為をしてはならないぞという、そういう趣旨の徹底をすべき義務がある。 それをしたかどうか、こういう質問であります。
○真鍋説明員 この点につきましては、北海道総局を通じまして、そういう趣旨の徹底をしております。
○田邊委員 下部の管理者はそれを聞いておらない。仮処分決定後において、あらためてそういう不当労働行為はしてはならないという趣旨の徹 底をされたということを下部の職場長等は聞いておらぬと言っておるのであります。いつ具体的にどういう方法でもってこの趣旨の徹底をいたしましたか。あら ためてひとつ答弁してもらいたい。いま答弁できなければ委員長を通じて委員会に提出してもらいたい。
○真鍋説明員 総務部長会議の席でも申しましたし、その前に電話で連絡しておりましたけれども、具体的に何日にどういうことということは、追って具体的に資料として提出いたします。

衆議院会議録情報 第066回国会 社会労働委員会 第6号

から引用

さらに、同じ委員会では更に国鉄当局にとっては不利な話が出てきました。

それは、水戸局の某課長が、「知恵をしぼった不当労働行為をやっていくのだ」という発言をして、この発言をテープにまでとられたという話でした。

今でしたら、簡単にボイスレコーダーで録音できる時代ですがその時はどのようにしてそのような発言を記録したのか気になるところですし、知恵を絞った不当労働行為・・・いわば自発的に組合を変わるような発言を職員からさせるような内容をちらつかせたのでしょうか。
組合を変わった職員は次の昇進試験で配慮することもあるかもね・・。といった断定的な話ではなく仮説的は話をすると言ったところでしょう。

仮に、職権で組合の脱退等を強要すると言った行為は、「労働者が労働組合に加入せず、又は労働組合から脱退することを雇用条件とすること(いわゆる黄犬契約)」として不当労働行為になります。

しかし、こうした話が実際に国会まで上がってくるとなると国鉄総裁としては中止せざるを得なくなります。
当時はすでに、自力で赤字を解消するための累積剰余金もなく、借金を返すために借金をする自転車操業状態になっていましたので、国の意向に反してまでマル生運動を進めることは困難になっていたと言えましょう。

○島本委員 私奇怪に思いますのは、この答弁によってじゃないのであります。以前からこの問題で、総裁は十分知っておられるとおり、この数 日の間にも不可解千万なことが国鉄当局によって行なわれております。それは一日、六日、これは真鍋常務理事から不当労働行為をしないようにという異例の指 示があったかのように承っておる。八日には公労委の命令書が出た。そして磯崎総裁も、国鉄に不当労働行為はない、こういうふうに大みえを切った。私はそう 受け取りました。そうであればよろしいという願望を込めてそう受け取った。ところが同じ八日に、早川武士ですか、水戸の鉄道管理局の能力開発課長という人 が、知恵をしぼった不当労働行為をやっていくのだ、こういうようなことをまた出され、こういうことがテープにまでとられてある。これは隠れもない事実であ る。そうすると、不当労働行為をしないと総裁は言い、それを受けて下部の指導者は、能力開発課長なる者が、知恵をしぼった不当労働行為をやっていくのだ。 一体、知恵をしぼった不当労働行為と、不当労働行為をしてはいけないということと、これはどういうふうな関連を持つのか。また、総裁が、これはやっていな い、今後もやっていかない、違うんだ、こういうふうに言っていながら、逆に、それではだめなんだ、法に引っかからないように知恵をしぼった不当労働行為を やっていけばいいんだ、こういうようなことは管理一体の原則にも反するし、これは今後、総裁がいかに抗弁しようとも、抜き差しならないような不当労働行為 につながる元凶です。これに対して総裁、どうお思いですか。
○磯崎説明員 去る八日の水戸におきます問題につきましては、私は新聞紙上をもって知り、また直接水戸管理局のほうからも、連絡をとって聞 いております。これはいろいろ用語の問題その他は別といたしまして、私は総裁としての見地から申し上げます。こまかい問題でなくて申し上げますと、その能 力開発課長の発言は非常に不穏当である、私は衷心から遺憾に思っております。
○島本委員 この問題については衷心から遺憾に思っておる。これは総裁の意に反した行動をした者である。そういうような者に対しては処分を考えてしかるべきだ、こういうのが私は当然だと思うのです。
 この問題については後ほど資料に基づいてゆっくりと行なうことにして、私は、そういうふうなことが随所に行なわれておるということが遺憾なんでありま す。すなわち、不当労働行為ではない、そういうようなことを平気で示唆していく。総裁はいま、残念だと言った。しかし、こういうような残念なことが方々で 行なわれておる。これに対して、管理一体の原則が正しければ、総裁以下全部責任を負うべきだ。しかしながら、総裁の意に反してこういうようなことを平気で やっているというならば、今後これに対して厳重な態度をもって臨まなければならない。その例証を一つあげます。
 これは山形ですが、昭和四十六年の四月二十四日に総務部長のほうから各現場局長に、「正常な労使慣行の確立について」という指示がちゃんと流されていま す。そして五月六日にも同様に、「労働組合に対する管理者の心構えについて」という通達を流しております。そのあとで秋田鉄道管理局総務部労働課長と国鉄 労働組合秋田地方本部組織部長の間に議事録確認まで行なわれ、そういうような事態を起こさないようにはっきり署名、捺印までしております。そして五月八日 には、「労使慣行正常化に伴う覚書」、これも秋田鉄道管理局の総務部長と国鉄労働組合秋田地方本部書記長との間にはっきり結ばれてあるのです。少なくとも この労働協約また確認事項、こういうようなことについては私は法律に準ずるものであり、かってにこういうようなものを変更させることはいけない、こう思っ ているのであります。しかし労働大臣、今度は労働大臣にお伺いしたいのですが、この労働協約またいろいろな慣行、確認、こういうような労使双方で責任ある 立場を代表して署名、捺印したものは法律に準ずるものであって、これをかってに変更する行為は許されないものである、こういうふうに思いますが、労働省の 大方の所見をまず承っておきたいのであります。

衆議院会議録情報 第066回国会 社会労働委員会 第6号

国鉄は、マル生運動を中止せざるを得なくなり、現場の管理者は、その多くが梯子を外される結果となりました。
梯子を外されたことにより現場では無力感が漂い物言わぬ管理者が増えていくことになりました。
それが、その後の職場管理(現場協議制や、同一単一形式の大量増備、メンテナンスフリーとするための冗長化等が行われ、国鉄は時代の流れの中にぽっかりと置き去りにされたようになっていきました。

国労は、国鉄の「マル生」運動は、国鉄の「再建合理化」計画を背景にもった”国労つぶし” の運動であった。」と総括していますが、結果的に失ったものが大きかったのは国労であり、10年後には今度はマスコミからヤミ手当などの問題を指摘され、追われる立場の側になるのですがそれはもう少し先の話です。

 

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1963年(昭和38年)3月から1984年(昭和59年)1月までの21年間に3,447両が製造されたが、これも国鉄時代のマル生運動余波による名残と言えそうです。
本来であれば、もっと早い時期に私鉄のようにチョッパ車等が製造されても不思議ではなかったのですが。

71年11月、「マル生全国大会」の中止で、「マル生」運動は破綻した。国鉄の「マル生」運動は、国鉄の「再建合理化」計画を背景にもった”国労つぶし” の運動であった。近代的な「理論」や巧みな言葉で粉飾しようとも、繰り広げられたのは近代的な「理論」や巧みな言葉で粉飾しようとも、繰り広げられたのは 近代的な汚い不当労働行為以外の何物でもなかった。「人間性の回復」が強調された中で、人間を人間として扱わぬ差別・選別が横行し、このうえない非人間的 な事態(自殺6人、発狂2人)が起こった。そしてこの間に、4万数千人を越える多くの仲間が国労動労から脱落していった。

*********************************以後は、国労の資料になります。*****************************

 

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第6節 国鉄マル生運動の展開と国鉄労働組合のマル生
   粉砕闘争

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 3 国鉄労働組合の「マル生」粉砕闘争
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├○ 裁判・公労委闘争、「マル生」調査団│
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 「マル生」粉砕闘争は、職場を基点とする抵抗=反撃を中心とした組織防衛的性格の強い闘争であったが、同時に、闘いを多面的にかつ総合的に展開することを必要とした。動労との共闘、総評や全交運の全面的支援を受けつつ、マスコミ対策強化、「マル生」調査などもその一環であった。なかでも、裁判・公労委闘争は、ILO闘争とともに、「マル生が権利に対する全面的な攻撃である」事を明らかにするために最も重視され、成果を期待する闘争であった。
 71年9月頃までに、裁判所に多くの仮処分申請が行われ、公労委には国労39件、動労35件の不当労働行為が持ち込まれた。そのうち、最も早く決定が出されたのは、札幌・苗穂工場事件に対する札幌地裁判決であった。同地裁は、当局に「脱退工作の禁止」を命じた。組合側は意気上がり。当局には打撃となった。その後、「マル生」運動の不当労働行為性を明らかにし、組合側の反撃の決め手となったのは、71年10月5日の静岡鉄道管理局の(一)(二)併合事件に対する公労委「命令」であった。公労委は不当労働行為を認定し、関係者に陳謝を命じた。
 この時期、社・共・学者・弁護士等による「マル生」調査団による実態調査も有力な事実を数多く摘発した。それらは国会闘争や地方議会闘争、公労委の審理や裁判闘争における有力な資料となり、マスコミ関係者の強い関心を呼んだ。マスコミは概して組合側に好意的であり、「マル生」については行き過ぎを指摘した。公労委命令は大々的の報道され、国民の共鳴を引き出した。

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├○ マル生闘争の勝利 │
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 公労委命令を契機に局面は、組合側に有利に展開した。だが、国鉄当局はなおも抗戦の構えであった。この時、水戸鉄道管理局の一課長の「生の録音テープ」が暴露され、当局もついに態度を変更した。
 磯崎総裁は、公労委命令を受諾する声明を発表し、71年10月23日、陳謝文を国労本部と静岡地本に提出し、真鍋職員局長の更迭など幹部18名を処分した。11月16日に予定されていた。「マル生」全国大会は中止された。労使間では、「紛争対策委員会の設置」など不当労働行為の事後処理と再発防止の規制措置へが協議された。
 71年11月、「マル生全国大会」の中止で、「マル生」運動は破綻した。国鉄の「マル生」運動は、国鉄の「再建合理化」計画を背景にもった”国労つぶし”の運動であった。近代的な「理論」や巧みな言葉で粉飾しようとも、繰り広げられたのは近代的な「理論」や巧みな言葉で粉飾しようとも、繰り広げられたのは近代的な汚い不当労働行為以外の何物でもなかった。「人間性の回復」が強調された中で、人間を人間として扱わぬ差別・選別が横行し、このうえない非人間的な事態(自殺6人、発狂2人)が起こった。そしてこの間に、4万数千人を越える多くの仲間が国労動労から脱落していった。しかし、国労動労と組合員の命がけの反撃、共闘体制の広がり、及びそれを支持したマスコミと広範な世論の批判の前についに国鉄当局は磯崎総裁の陳謝と「マル生」運動中止に追い込まれたのであった。そして、「マル生」運動=「国鉄財政再建10ヵ年計画」は破綻した。
 72年7月の国労第32回大会では、「中間総括」を行い、この間の闘いの弱点についても自己批判した。どうじに、「組織奪還を達成してこそ完全勝利」との方針のもと、闘いのツメに向かった。実際、この「マル生」運動をつうじ、鉄労は10万人超え(72年5月現在)動労は5万人を割り、国労は72年5月現在で21万8000人で約3万人余りを失っていた。だが、国労はこの後、増勢に転じ、75年6月の水戸大会では、ほぼ「マル生」以前の勢力を回復し、78年6月には25万2000人余りに増加した。鉄労は72年5月以降、数を減らし、78年6月には5万5千人弱に減少した。「マル生」粉砕闘争の勝利は、国労運動その後の高揚の大きな契機となった。