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国鉄労働組合史詳細解説 112

久々に更新させていただきます、今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただくこととします。 

昭和58(1983)年の世相とは

昭和58年春闘における賃金闘争に関してのお話になっていますが、昭和58年当時の景気は、徐々に回復傾向にあったとされており、

昭和58年の春闘について、大原社会問題研究所労働年鑑、昭和59年版の中から引用させていただきますが、当時の労働運動全般の動きを見ていますと、下記のような動きがありました。

  • 中曽根新内閣が発足し、日本の軍事大国の強化が懸念され。行政改革の断行も公約とされた
  • 連合の前身、全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足、労働戦線に新たな流れが起こった
  • 実質経済成長率が、当初見通しを大きく下回ることとなり、雇用・失業情勢も相変わらず低迷しつつ、むしろ悪化の傾向さえ示した。

と言うことで、国労も書いていますが、全民労協の出現は、労働運動の右傾化を示すとして、警戒感をあらわにすると共に、経済成長率は低迷することになりました。

結果的には、

国鉄当局は「3月25日」になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した

とあるように、かなり低いものでありました、これは当時の経済成長が低迷していたことによるものであり、その辺を割り引いて考える必要があります。
実際に、民間の妥結状況を大原社会問題研究所 労働年鑑 昭和59年版で改めて参照してみますと下記のように書かれています、

妥結額は八九六四円、賃上げ率四・四〇%(前年一万三六一三円、七・〇一%)となり、春闘史上もっとも低い伸びにとどまった。昨年にくらべ要求額が低下したものの、妥結額がさらに大きく低下したため、妥結率(要求額にたいする妥結額の割合)は昨年の七五%から六〇%まで大幅低下している

 と言うことで、国鉄の賃金引き上げは、4月22日に回答が行われるものの非常に低いものであり、これを不服として、仲裁裁定に委ねることとなりました

以下は、国労労働運動史からの抜粋です。

国鉄、林野以外の各当局は関係組合との交渉のなかで、単純平均で定昇込み5814円、2.8%という春闘史上最低の賃上げ回答をおこなった。国鉄当局は、25日になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した。
国労は、この回答を不満とし、当局に再回答を求めた。公労協は公労委と会見し、調停にあたって公労委が従来とってきた民間準拠の原則を貫き、かつ準拠すべき民間賃金の水準についても変更すべきでないことを要請した。

少し話は前後しますが、前回111号にも書かせていただきました、3月末の話にすこしだけ時計の針を戻したいと思います。
 
国労が、春闘の前段として、年度末手当の支給を交渉を行っていく前段で、駅の合理化闘争に対して組合管理を行ったり、後述のように、順法闘争を行うなど、国鉄当局としても、容認できないであろう行為が続きました。
こうした国労の一連の動きは、既得権益にどっぷりと漬かってしまって、結果的に非常に保守的になってしまって、環境の変化に対応していない状況に国労と言う組織自体がなっていたように見えます。
いわゆる、老害といえそうです、それが、下記の内容になります。 

世論を無視した順法闘争を展開

世間では、国鉄の職員の働きなどに対して、批判的になっている時期に、3月15日~17日まで順法闘争を全国で実施したようで、当局も中止に動くよう説得するも、結局新幹線を含め、約330本の電車が運休させ、183万人がその影響を受けたました。 
当然のことながら世論は厳しく、国労を非難することとなりました。
その辺の事情を、国鉄部内紙「国有鉄道6月号」に当時のマスコミの記事が書かれていましたので、引用させていただきます。
「なんとも奇妙な順法闘争」(東京),「国鉄私物視」「理解できぬ順法闘争」(読売),「相もかわらず乗客不在」(サンケイ),「不毛だった順法闘争」「労使亀裂まざまざ」(朝日)
と言った具合で、マスコミからも総スカンを食らう結果に、特に東京新聞すらも、今回の闘争を「なんとも奇妙な順法闘争」と表現して、その意味があったのかという疑問を呈していることからも、この時期にはすでに時代錯誤ではありませんが、国労の執行部の中では、冒険をしないで今までの路線を踏襲しようという雰囲気が更に濃くなっていったのではないかと思われます。
さらに、ここで注目しなくてはいけないのは、この順法闘争に動労が参加していなかったという点です。
動労が、昭和57年の貨物大幅減量も受け入れているように、ある程度現実路線を踏まえての戦術転換が図られてい言ったことが十分裏付けられそうです。 

国労の行動は、更に当局の態度を硬化させることに 

  • 国労(3月4日提出)2万3500円
  • 動労(3月17日提出)1万7700円(35歳勤続17年)
  • 鉄労(3月3日提出)7 %
  • 全勤労(3月10日提出)3万1500円
  • 全施労(3月7日提出)2万5000円(標準労働者)

単位がまちまちなので、一概に比較できないのですが、全動労共産党動労)の要求額が突出しているように見受けられ、概ね2万円以上の賃上げを要求していたものと思われます。
これに対して、当局は4月1日にだ1回目の交渉を行い、本年の賃金改定問題は、国鉄自身が合理化を含めた効率的な運営を行うことで世間からも認められるので、その辺を十分理解してもらいたい旨を回答しています。
以下、前述の「1983年、国有鉄道6月号」から引用させていただきます。

当局は「新賃金問題は労働条件の最も基本的なものであるとの認識に立ち,今後,諸般の情勢を総合的に見極めながら誠意をもって対処していきたい。今年の新賃金問題は,昨年にもましての困難が予想されるが,その解決のためには,業務の効率的運営,サービスの向上,職場規律の確立等に職員が一体となって取り組み,再建への道を切り拓いていく以外に方法はない。これらの努力の積み重ねによってはじめて,賃金問題についても,国民の理解と協力が得られるものであると考える。実側におかれでも,とうした厳しい状況下にあるということを十分に認識され,今後の経営改善全般にわたり,従来以上に協力されるととを切望する次第である」と回答した。

 とあるように、国労は回答が低かったので、仲裁裁定に移行したとあっさりと書かれていますが、こうしてみる限りでは、国労がどこまで、当局や世論を感じ取っていたのか疑問に思う点も多々あるわけで、改めてこうした資料を参照する場合は複数の資料を参照することの重要性を感じてしまいます。

 

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続く

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************************以下は、国労の資料から引用になります************************

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節八〇年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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├○ 二 八三、八四、八五春闘 │
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政府は、4月22日に公共企業体等給与関係閣僚会議を開き、国鉄、林野をのぞく各当局の有額回答を認めた。国鉄と林野については、閣僚会議の了解事項として、「その取り扱いについては、運輸大臣農林水産大臣及び官房長官に一任する」とした。22日、国鉄、林野以外の各当局は関係組合との交渉のなかで、単純平均で定昇込み5814円、2.8%という春闘史上最低の賃上げ回答をおこなった。国鉄当局は、25日になって定昇込み5606円、2.68%の回答をおこない、林野庁も同じ日に回答を提示した。
国労は、この回答を不満とし、当局に再回答を求めた。公労協は公労委と会見し、調停にあたって公労委が従来とってきた民間準拠の原則を貫き、かつ準拠すべき民間賃金の水準についても変更すべきでないことを要請した。
 27日、全電通を除く各組合は公労委に調停を申請した。5月6日から調停作業にはいったが、12日に公益側委員から次のような調停にあたっての基本的考え方が明らかにされた。①経営状況を賃金に反映させることについては、従来から業績手当など年間の臨時給与によって調整する方法がとられているため、基本的賃金に企業間の格差はもうけない。②公企体の本年の賃金決定は民間準拠の原則にもとづいておこない、従来どおりの民間賃金の動向を参考に、それと同時に賃金構造基本統計調査における100人以上の賃金の上昇率にも留意する。公労協はこのような公益-44-側委員の態度表明に対して、これはこれまでの経緯を踏みにじり、民間賃金準拠の立場を放棄したものであると批判した。
 12日の深夜、調停委員会は非公式に収拾案を提示したが、民間賃金のベアを反映しない低額であったため、公労協が強く反発した。このため公労委は収拾案を提示できず、調停作業を打ち切った。そして、5月17日に公労委総会が開かれ、公益委員が提案した仲裁裁定への移行が決定した。
 仲裁裁定委員会は6月3日に、国鉄労使に「基準内賃金を、1983年4月1日以降、一人当たり、同日現在における職員の基準内賃金の1.27%相当額に1140円を加えた額3796円の原資をもって引き上げること」という仲裁裁定書を交付した。
政府は7月15日の閣議で18日に召集される臨時国会に三公社4現業一括して議決案件とすることを決め、18日に国会に付議したが、22日に閉会し継続審議となった。第一00臨時国会が83年9月8日から始まったが、仲裁裁定は11月17日に衆議院で可決され、28日に参議院で全会派一致して可決された。
  国労春闘の総括で次の点を指摘した。
 「83春闘は、人事院勧告凍結が臨調行革の名において貫徹され、 公企体等も民間も徹底して賃上げを抑制された。また、減税を 中心とする制度・政策要求は、全く前進しなかった。・・・・・・公 労協のなかでも全電通が調停段階で独自の調停申請をおこなったことは、格差攻撃が強まっているなかで見過ごせない問題を 含んでいた。公労委は仲裁裁定で4.3%の賃上げを決めたが、これは民間準拠の原則を放棄したものであった。また、裁定書 に期末手当の格差を認めたことは、公労委の中立性を放棄したことを意味する」。
 こうした指摘にたち、83年度運動方針で春闘再構築の方針を掲げた。
 なお、83春闘の結果は、春闘史上これまで最低の4.5%の賃上げに終わった。