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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 29

みなさまこんにちは、本日もしばしお付き合いください。

日韓基本条約締結以降における政治ストの増加と当局との対決

 この時期の公安官は警察学校で、「巡閲・点検・拳銃操作・逮捕訓練、その他ゴボウ抜きなど特殊な訓練を受けていた。

国労の資料では、巡閲・点検・・これも特殊な訓練となっていますが、この辺は日常の警察官の訓練でありこれを特殊訓練というのはかなり偏ったものの言い方と言わざるを得ません。(私自身の警察官の経験から申し上げることですが)
後、ごぼう抜き訓練などは、機動隊における基礎訓練の一つで私も警察学校で習いましたね。詳細までは覚えていませんが・・・。(^-^;

 政治ストに対し、警官・公安官等が各地に出動し、構内動員の組合員をゴボウ抜きにするなど実力行使を行ったため、こぜりあいや紛糾が生じ、11・2ストでは、国労関係者だけで20人に及ぶ逮捕者が出た。

個人的な見解を述べれば、政治ストを行うことが国鉄労働組合として必然性があったのかという疑問は残りますが、当時はこうした政治ストが頻繁に行われこれに対する公安活動として警察官なり公安官の出動は多数を数えたようです。
実際に、処分は解雇5名、停職90名、減給58名、戒告156名というのはかなり厳しい処分であり、戒告1回で特別昇給が1年遅れるか何かだったような気がしますし、
戒告の下に「訓告」「厳重注意」「口頭注意」と言ったものもありました。

少しだけの脱線を許していただくと

懲戒処分とは

  • 免職 - 職員の意に反してその職を失わせる処分をいう。
  • 降任 - 現に定められている職務の等級・階級を1ないし2下位のものに下すこと。
  • 停職 - 一定期間、職務に従事させない処分をいう。国家公務員の場合は1日以上1年以下となっている。
  • 減給 - 職員に対する制裁として一定期間、職員の給与の一定割合を減額して支給する処分をいう。国家公務員の場合は人事院規則で、1年以下の期間、俸給の5分の1以下を減額することになっている。
  • 戒告(譴責:けんせき) - 職員の非違行為の責任を確認し、その将来を戒める処分をいう。

 このほか、懲戒処分に至らないが不問に付することが適当でない場合として、軽微な処分を科すことがある。一般には次の3つが知られる。なお、これらは懲戒処分ではないので履歴書の賞罰欄に記載する必要はなく、経済的な損失も伴わない場合が多い。

  • 訓告(訓諭・訓戒)
  • 厳重注意
  • 口頭注意(単に「注意」と表現される場合もある) 

となっており、当局としてもかなり強気の対応だったと言えそうです。

なお、訓告3回以上で戒告となるほか、これにより昇給等に差が出るなどの不利益を生じることがあります。

さらに、政治スト色を強める国労

闘いの方向は民主主義を蹂躙した「佐藤内閣打倒」、「国会解散」要求、ベトナム反戦4000万署名運動に強化に向けられた。

なお、「佐藤内閣打倒」、「国会解散」要求等といった政治ストは国労だけが行ったものではなく、全逓などの公労協でも行われているほか、「朝日訴訟の会」という組織による集会参加など全国で行われていたようです。

http://asahisosho.or.jp/archives/media/1149261_img_1_1.jpg

国労だけではなく官公労を中心とした左翼系組合が多数参加した政治スト

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国労は、当局の警告にもかかわらず、昭和41年に、10・21ストを決行

日韓ストと同様、官憲・当局は一体で、実力行使を伴うスト対策を行った。また、順法闘争も全国的に実施されたが、いずれも、 当局要員や公安官、警官の出動、監視があり、小競り合い発生した。なおベトナム映画の持ち回り上映、ビラ貼り、配布、リボン着用、署名活動、デモ行進、カ ンパ活動などがほとんど全ての拠点で実施された。

リボン着用は、いわゆる意思表示を示すものとして、組合運動として分類されるものです。

余談ですが、国鉄時代は組合バッチについては労使協議の中で組合活動であるが認められていた時期があり、郵政にあっても組合バッチを制服につけることはコミルール(コミュニケーションルール)として認められていましたが、民営化直後のJR東海で組合バッチは組合活動であるという理由から国労を中心に処分を発令したという事例があります。
なお、国労はこれに対して国労マーク入りのネクタイやボールペンで対抗しました。

東日本旅客鉄道(神奈川国労バッチ等)(概要情報)

控訴人参加人  国鉄労働組合 
判決年月日  平成11年 2月24日 
判決区分  控訴の棄却 
重要度   
事件概要  本件は、会社が国労バッチを外すよう強要し、組合バッチの着用を理由に厳重注意・訓 告処分に対し、この処分を理由に昭和61年夏季手当を減額支給(5%)したことが争われた事件で、神奈川地労委の救済命令(元・5・15決定)を不服とし て会社が行政訴訟を提起したところ、横浜地裁が会社の請求を棄却した(9・8・7判決)ため、これを不服として会社が控訴していたが、東京高裁控訴を棄 却した。 
判決主文  原告の請求を棄却する。 

 

当時、国労などを中心にこれほど政治ストが広まったのかということを考えると、昭和40年から拡大したアメリカ軍による北爆が一つのきっかけであったようです。

民間人による被害が増大し、自然発生的に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」が発足、当初は、既存政党とは一線を画した無党派反戦運動であり、労働組合や学生団体などの様々な左翼団体のみならず、右翼の玄洋社や学生、社会人、主婦など、職業や社会的地位、保革などの政治的主張を問わず、多くの参加者を呼び寄せる事になったがその後1966年(昭和41年)10月16日に名称を「ベトナムに平和を!市民連合」に変更した頃から、新左翼諸派との活動との関係が強くなりイデオロギー色が濃くなっていったと言われています。

左翼的活動家が入り込んだ中で、これに呼応するように国労などの官公労が中心となってこうした政治ストライキに積極的にかかわっていくこととなったようです.。

 

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********************************************以下は、国労の資料の本文になります。*******

┌────────────────────────┐
├○ 日韓会談阻止闘争から日韓条約批准反対闘争へ │
└────────────────────────┘
続き

この時期の公安官は警察学校で、「巡閲・点検・拳銃操作・逮捕訓練、その他ゴボウ抜きなど特殊な訓練を受けていた。この政治ストに対し、警官・公安官等が各地に出動し、構内動員の組合員をゴボウ抜きにするなど実力行使を行ったため、こぜりあいや紛糾が生じ、11・2ストでは、国労関係者だけで20人に及ぶ逮捕者が出た。処分は解雇5名、停職90名、減給58名、戒告156名と厳しかった。
 なお、この時期まで、特に乗務員部門では、ストでは一般組合員の処分をさけるため、機動隊が乗務員の交代の際に「らち」して、一定の場所に連れて行く形式がとられていたが、65年年末に日韓条約批准反対ストを経て、次第に自主参加方式のストが一般化していった。
 日韓条約は、12月4日、参議院でも特別委員会で強行採決され12日日本会議を通過した。闘いの方向は民主主義を蹂躙した「佐藤内閣打倒」、「国会解散」要求、ベトナム反戦4000万署名運動に強化に向けられた。

┌────────────────────────┐
├○ ベトナム反戦の総評の呼びかけと10・21スト│
└────────────────────────┘

 総評は、66年7月末からの第31回定期大会で、10月中旬の抗議ストを含めた「ハノイ・ハイフォン爆撃に抗議するたたかい」、「政治反動態制と軍国主義反対」の決議を採択した。10月の臨時大会では、10・21ベトナム反戦ストを決めた。国労は総評を全面的に支持し、中核となって闘う方針を決めた。国労は総評方針を全面的に支持し、中核となって闘う方針を決めた。10月7~8日の中央闘争委員会は、別に指令する地本は、10月21日、運転職場を拠点に2時間以内の時限ストを行うことにした。石田禮助総裁は、これは政治ストであって、即時計画を中止するように、警告を発した。
 10・21ストは決行された。日韓ストと同様、官憲・当局は一体で、実力行使を伴うスト対策を行った。また、順法闘争も全国的に実施されたが、いずれも、当局要員や公安官、警官の出動、監視があり、小競り合い発生した。なおベトナム映画の持ち回り上映、ビラ貼り、配布、リボン着用、署名活動、デモ行進、カンパ活動などがほとんど全ての拠点で実施された。
 国労は、67年7月、第28回定期大会(伊東市)で、次のように評価した。
 ① アメリカのベトナム侵略戦争と佐藤内閣の政策の危険性を広く国民に訴えたことで一定の役割を果すことが出来、1970年代にむけてのたたかいの基礎作りともいえる反戦ストを成功させた。
 ② 労働組合は政治要求も経済要求もともにたたかうものであることが一層明らかになった、と評価した。
 当局は、11月、10・21ストに対し、停職51、減給96、戒告238、訓告76、計461名の処分を発表した。だが解雇はなく、この点、日韓闘争と異なっており、逆にベトナム反戦闘争の国民的広がりと共感を反映していた。
 総評は、10月21日国際反戦デーと定め、国際的な統一行動を呼びかけたのは66(昭和41)年であったが、その後も社・共両党、中立労連。平和委員会を中心とする民主団体、文化人による統一行動委員会方式等による闘いが毎年展開され、60年代末にも沖縄即時・無条件・全面返還、ベトナム侵略戦争反対などの諸要求を掲げて、全国各地で10・21国際統一行動が展開された。68年の統一行動には、71万7000人の労働者がストを含む実力行使で決起した。国労の米軍輸送阻止闘争も含まれていた。
 また、68年8月5日から15日、被爆23周年原水爆禁止世界大会が、広島、長崎、沖縄を結んで開かれた。この大会では、1970年の安保条約の期限終了期を前にして、「核・安保」粉砕、ベトナム反戦、沖縄の核基地撤去と即時・無条件・全面返還を全面に押し出し、「原水爆禁運動はその中核となってたたかう」との対決姿勢を打ち出した。国労は主旨に賛同し、戦列に加わった。

続く