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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 32

皆様こんにちは、久々に更新させていただきます。
今回も国鉄労働組合の資料を底本にお話を進めさせていただこうと思います。

昭和40年代、国鉄財政の悪化と国の助成について

国鉄の財政は昭和39年に赤字になったのはみなさんご存知ですが、昭和35年頃から積み上げた黒字による内部留保があったため、昭和40年度までは積立金を取り崩すことで辻褄を合わせることがでいましたが、昭和41年には積立金も枯渇し、名実ともに赤字となってしまいました、昭和40年に適切な値上げが行われていれば赤字は解消でいる可能性がありました。
あくまでも歴史上のIFにすぎませんが、当時の国鉄は運賃の値上げ自体も独自に行うことはできませんでした。

厳しく制限されていた国鉄

独自の沿線開発等はダメ、運賃の値上げも国会の議決をもって決定、そのくせ輸送力増強などの公共インフラへの投資は自主財源でということで、大蔵省の資金運用部や、鉄道債券として民間からの資金を借り入れたりしていました。

さらに、本格的な自動車輸送時代を迎え、国鉄は昭和40年代以降、自動車による利用が増加でそのシェアを減らしていきました。そして、その影響はもろに貨物に出ることとなりました。

旅客輸送及び貨物輸送のシェアの変遷

 *1

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ここで簡単に、先ほど出てきた資金う運用部についても述べさせていただこうと思います。
資金運用部は、簡単に言えば、郵便貯金国民年金のお金を運用する銀行のようなものでした、その多くは特殊法人と呼ばれる団体などに貸し付けられており、その主たる財源は郵便貯金・簡易保険・国民健康保険料でした。特に郵貯簡保資金量も多かったので、大蔵省も郵政省に対しての調査は甘く、隠し口座や脱税の温床であると言われても積極的に動くことは当時はなかったですね。


資金運用部
 しきんうんようぶ
1951年4月から施行された資金運用部資金法 (昭和 26年法律 100号) に基づき,国の資金を一元的に統合した資金運用部資金を管理運用するために設けられた政府機構。 1875年5月に制定された預金規則により,預金局預金の出納整理の必要上,国庫勘定中に預金部が設けられたのが起源であるが,さらに 95年から大蔵省預金部の名称が用いられるようになった。

 本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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 それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

 国労の資料からの引用ですが。この増大した原因の一つに、鉄道債券に依存せざるを得なかった問題があると思われます。その辺は、以下で開設させていただいております。

*2

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 国鉄財政の赤字は、66(昭和41)年度601億円、67年度941億円と膨張し、第三次長期計画は4年目にして崩れ、達成率もわずか44%であった。この赤字は人減らし「合理化」、運賃値上げにもかかわらず増大した。とくに借入金総額は68年度末には2兆円に

達し、元金と利子返済を含め借金の返済額は年間2600億円を超え、一日平均25億円の収入に対し、7億円の返済を必要とした。国鉄財政再建10ヵ年計画」によれば、この財政状況から推測すると、借り入れが借り入れを生み、利子が利子を呼んで、加速度的に財政悪化を深め」78(昭和53)年度には、「赤字額は償却前で1兆円、償却後1兆3000億円余り、所要外部資金は約2兆3000億円、また債務残高は10兆円のおおきに達する」と見込んでいた。

この長期計画は、ひっ迫する輸送力に対処するために、国も特段の配慮をするといっていたものになっていましたが、実際には1960年度の貸付金割合は財政投融資と民間での割合が50%50%だったのが、1965年度以降は、民間からの借入比率が80%台と大きくなりこれも経営を圧迫した原因と言われています。

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特に輸送力増強に力が入れられて、世界初の寝台電車581系が誕生したのは1967年(昭和42年)のダイヤ改正からでした。

 独立採算制のもとで政府の補助もなく、運賃収入と借入金をもって、新幹線を始めとする幹線投資を行ない、資本経費が増大したことがもっとも大きかった。だが、政府や国鉄当局はこれに人件費増大を挙げ、人を減らし、安上がりで一層効率的な経営を目指した。

この辺は、政府の運輸白書と見解を異にするところでありますが、政府は特段の配慮をすると言いながら民間での貸し付け比率が80%を越えているところから、結果的には空手形をつかまされたような感じがします。

実際に、当時運輸省国鉄は色々な意味で対立していたこともあり(道路行政優先か鉄道輸送かということで、色々とバトルもあったようです。)この辺はもう少し詳しく調べてみたいとおもいますが。

第一に、「企業内における人件費の重圧にあえいでいる現状から、営業拠点の集約整備、駅作業の合理化、保守作業等の合理化、機械化等を推進し、生産性の高い近代的交通機関への体質改善を図る必要がある」とする大「合理化」提言があった。第二に、40数万人の職員が、「国民全体に奉仕する一大企業としての国鉄の果たす役割を自らのものとして」自覚し、「労働生産性の向上の課題」を担うことであった。第三に国鉄自らが再建に努めつつ、「政府及び関係方面に働きかけ」国の立法措置によって。施策の遂行にあたることが必要だとされた。この第三点目は、69年5月、日本国有鉄道財政再建特別措置法と、それに基づく同年9月の政府の「日本国有鉄道の財政の再建に関する基本方針」70年2月、国鉄当局による「経営の基本的な計画」(再建計画)において、具体的な形をとった。不十分にせよ、国鉄の助成措置の必要がやっと認識された。

運輸白書から引用させていただきますと、下記のとおり概要が記載されています。

 (1) 第1次再建対策(44~47年度)
 
  43年度に国鉄財政再建推進会議から運輸大臣あて提出された意見書をもとにして,日本国有鉄道財政再建促進特別措置法の制定等の措置が講ぜられるとともに,その後,同法に基づく日本国有鉄道の財政の再建に関する基本方針(44年9月閣議決定)において次の具体的な内容が定められた。

〔対策の概要〕

 

  1.   財政再建の目標
    53年度までに償却後黒字が生ずるようにする。
  2. 経営分野
    国鉄は,我が国の総合交通体系のなかで,今後,都市間旅客輸送,中長距離・大量貨物輸送及び大都市通勤通学輸送について重点的にその役割を果たすこととし,地方閑散線については道路輸送への転換を促進する。
  3. 経営の合理化
    経営体制の近代化,合理化の促進と相まって退職者の一部不補充により,53年度までに6万人を縮減する。
  4. 運賃料金制度等
    運賃料金制度について,輸送の実態に即応してその弾力化,合理化を図ることとし,また,運賃水準については,財政再建の進捗状況,物価上昇等を勘案して真にやむを得ない場合に限りその改定を図ることとする。
  5. 再建計画の策定
    国鉄は,再建期間における国鉄財政再建に関する経営の基本的な計画を定めることとする。
  6. 国の助成等
    設備投資に必要な資金の確保,資金の長期低利化等の助成を中心としつつ,過去債務に係る国鉄の利子負担に関し必要な資金の貸付け,当該資金に係る利子補給等を行うこととする。

  10年後の推定輸送量の増加分60%~70%に対し、これに必要な要員9万人を増員せず、10年後の予定人員を現在より少ない40万人にすること=実質16万5000人の要員削減をするという計画は、現場に大きなショックを与えた。この計画は当時、””三方一両損”の計画だと言われた。すなわち、国民は相応な運賃負担をする、国鉄は合理化努力をする、国は国鉄への助成を強化するということであるが、ことの本質は、国鉄労働者の犠牲と運賃値上げによる国民負担の増大を土台に、新幹線網の建設や貨物輸送システムの高度化を進め、国鉄を一層の利益主義の交通機関とし、公共性を一層薄める計画であった。

 昭和41年の国鉄人員はピーク時の1966年(昭和41年)に約47万人に達したと言われており、この頃に積極的な合理化が行われ、かつ国からの適切な助成などが得られていたならば国鉄として存続しえたかもしれません。

 

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*******************************以下が、国鉄労働組合史の資料となります。**************

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第6節 国鉄マル生運動の展開と国鉄労働組合のマル生
   粉砕闘争

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 1 国鉄財政の破綻と「財政再建10ヵ年計画」
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国鉄財政の赤字は、66(昭和41)年度601億円、67年度941億円と膨張し、第三次長期計画は4年目にして崩れ、達成率もわずか44%であった。この赤字は人減らし「合理化」、運賃値上げにもかかわらず増大した。とくに借入金総額は68年度末には2兆円に達し、元金と利子返済を含め借金の返済額は年間2600億円を超え、一日平均25億円の収入に対し、7億円の返済を必要とした。国鉄財政再建10ヵ年計画」によれば、この財政状況から推測すると、借り入れが借り入れを生み、利子が利子を呼んで、加速度的に財政悪化を深め」78(昭和53)年度には、「赤字額は償却前で1兆円、償却後1兆3000億円余り、所要外部資金は約2兆3000億円、また債務残高は10兆円のおおきに達する」と見込んでいた。
 国鉄財政が、この破局的状態に陥った原因は、輸送構造の変化に伴う国鉄輸送の地位低下、運賃収入の伸び悩みもあるが、独立採算制のもとで政府の補助もなく、運賃収入と借入金をもって、新幹線を始めとする幹線投資を行ない、資本経費が増大したことがもっとも大きかった。だが、政府や国鉄当局はこれに人件費増大を挙げ、人を減らし、安上がりで一層効率的な経営を目指した。
 国鉄財政建て直しのため、「財政再建10ヵ年計画」が68(昭和43)年11月に出された。シして、69年5月、佐藤内閣による新全国総合開発計画と提携し、「ディスカバージャパン」のかけ声とともに実施された。そして、69年度から10ヵ年とし、その間に約3兆7000億円の設備投資を行ない、
(ア)山陽新幹線の建設を含む都市間旅客輸送
(イ)中距離輸送・大量貨物輸送
(ウ)大都市通勤・通学輸送の増強を主要な柱として再建を進めるとしていた、この再建策に基づき、「将来の総合的交通体系においてその役割を十二分に発揮しうる近代的経営体制の確立」のために、第一に、「企業内における人件費の重圧にあえいでいる現状から、営業拠点の集約整備、駅作業の合理化、保守作業等の合理化、機械化等を推進し、生産性の高い近代的交通機関への体質改善を図る必要がある」とする大「合理化」提言があった。第二に、40数万人の職員が、「国民全体に奉仕する一大企業としての国鉄の果たす役割を自らのものとして」自覚し、「労働生産性の向上の課題」を担うことであった。第三に
国鉄自らが再建に努めつつ、「政府及び関係方面に働きかけ」国の立法措置によって。セ施策の遂行にあたることが必要だとされた。この第三点目は、69年5月、日本国有鉄道財政再建特別措置法と、それに基づく同年9月の政府の「日本国有鉄道の財政の再建に関する基本方針」70年2月、国鉄当局による「経営の基本的な計画」(再建計画)において、具体的な形をとった。不十分にせよ、国鉄の助成措置の必要がやっと認識された。
 「財政再建10か年計画」は、不採算部門のスクラップかを柱に、経費節減を行ない、他方で、「主として新幹線等を中心とする優等列車を軸に輸送改善」を行ない、収入増加を図ろうとした。すなわち、大規模なスクラップとともに新幹線や高速大量貨物輸送に国鉄の役割をすえる点で、これまでの長期計画とは性格を異にしていた。しかも、計画が見込んだ10年後の推定輸送量の増加分60%~70%に対し、これに必要な要員9万人を増員せず、10年後の予定人員を現在より少ない40万人にすること=実質16万5000人の要員削減をするという計画は、現場に大きなショックを与えた。この計画は当時、””三方一両損”の計画だと言われた。すなわち、国民は相応な運賃負担をする、国鉄は合理化努力をする、国は国鉄への助成を強化するということであるが、ことの本質は、国鉄労働者の犠牲と運賃値上げによる国民負担の増大を土台に、新幹線網の建設や貨物輸送システムの高度化を進め、国鉄を一層の利益主義の交通機関とし、公共性を一層薄める計画であった。

*1:昭和40年代から45年にかけて自動車に伸びが大きいことが理解いただけると思います。

*2:注:鉄道債券(てつどうさいけん)は公共企業体日本国有鉄道国鉄)が日本国有鉄道法(昭和23年法律256号)にもとづいて発行した債券をいう。旧商法にもとづく社債および国や地方公共団体による公債には該当しない